NHKスペシャル 古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る★5
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[総合] 2024年03月17日 午後9:00 〜 午後9:50 (50分)
【出演】シシド・カフカ,前川泰之,原菜乃華,宍戸開,濱正悟,木場勝己,松尾諭,松田悟志,【語り】礒野佑子
私たちの国のルーツを解き明かす壮大なミステリー!古代史の空白に迫るシリーズ第1弾。謎の女王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあった?発掘調査と最新科学が突き止めた新事実を紹介。人骨やDNA分析から見えてきた激動の東アジア。「三国志」に秘められた卑弥呼のグローバル戦略とは?最強の宿敵・狗奴国とのし烈な争いの結末は?未知の古墳のAI調査や大規模実験で徹底検証!日本の歴史を変えた卑弥呼の波乱万丈のドラマを描く!
前スレ
NHKスペシャル 古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る★4
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1710677977/ 魏志倭人伝の通りに進んだらどう見ても奈良には到達できないんだけど
どう見ても九州の何処か
それとも当時の中国は方向音痴だったのか? 八幡神社の総本社は宇佐八幡宮だが元宮は飯塚市の大分八幡宮に
なっている。八幡神は応神天皇の事だが宇佐八幡宮と応神天皇との
関係は不明、大分八幡宮は生まれたばかりの応神天皇が神功皇后
に同行してそこで朝鮮出兵に参加した兵士の解散式をしている 魏志倭人伝に書いてあるような卑弥呼の墓も奈良にはない
九州には該当するような墓が沢山あるけどね 少なくとも高千穂はヤマト勢力の及ばない地だったので神話の里は後世7世紀の作り話にちがいない
【竹中正巳】 令和2年
骨の研究や最近ではDNAの研究で、縄文人の遺伝的な要素、DNAを色濃く残しているのが北海道のアイヌの人々だということがわかっております。
アイヌの人々の軟組織を見れば、眉が濃かったり、髭が多かったり、そして目は二重であったり。そして耳垢が湿っていたりという特徴があります。縄文時代の人たちもそういう顔つきや体つきをしていた。
縄文人は基本的に日本列島全域でほぼ一緒の特徴を持っていたと言われております。近年では、DNAの研究で東日本と西日本の縄文人の中には、DNAのタイプとしてちょっと違うものがあるという面白い研究等もあります。
私はDNAの専門家ではありませんので、またの機会に譲るといたしまして。縄文時代の終わりから弥生時代にかけて大陸から、朝鮮半島や今の中国の地域から人がやってきます。
そのような人たちは顔が長くて、面長で平べったい顔で、毛は薄い。そして目は一重ということになります。縄文人とは違っていますね。
こういう人たちがやってきて、生活も弥生時代になると、金属の道具とか水稲耕作とか、色んな形で生活も変わってまいります。
もう日本列島の人々にとっては大革命です。こういうことをもたらした人たちが、地元の縄文的な人たちと混血をしていくことになります。
そしてどんどん広がって、この人たちの特徴がどんどん後の日本列島の色んな所に広がっていくというのが、現代日本人の成り立ちの大まかなストーリーであると、大方の研究者が認めております。 南九州の古墳時代人は、ということになります。この都城盆地からえびのにかけての地域というのは、本土の縄文人みたいな感じ。都城盆地の古墳時代の人々、多様な古墳がいっぱいありますけれど、
今わかっているところでは地下式横穴墓と箱式石棺墓から出てきている人骨から言うと、本土の縄文人に近い顔つき、体つきの人たちがこの都城盆地の古墳時代の主な住民だと思います。
そして古墳時代は地下式横穴墓をはじめ、人骨がたくさん出てきます。地下式横穴墓からは非常に良好な遺存状態で古人骨が出土し、その数は宮崎県内で600体を超える。
これほど大量の古墳時代人骨資料が出土しているのは全国唯一であり、考古学のみならず人類学研究においても重要かつ不可欠な資料群と言えます。 古墳時代に縄文人がまだ残っていたのは北海道擦文人を除いて南九州だけ
地下式横穴墓から出土した人骨および人骨関連遺物に関する骨考古学的研究 (竹中正巳、篠田謙一他 2015)
主に大隅半島の古墳時代人骨に関する研究。5〜6世紀
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-24520873/
宮崎県などの南九州の山間部では縄文人・西北九州弥生型の人骨が弥生〜古墳時代にかけて出土することで以前より知られている(南九州山間部タイプと呼ばれる。)が、大隅半島では詳細が不明であった。
今回の研究で大隅半島に属する立地の遺跡(立小野堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、 町田堀遺跡(鹿児島県鹿屋市)、塚崎古墳群 19 号地下式横穴墓(鹿児島県肝付町)、飯隈古墳群鷲塚地区地下式横穴墓(鹿児島県大崎町)、
旭台地下式横穴墓群(宮崎県高原町)、地下式横穴墓群(宮崎県えびの市))で新資料が得られた。
それらの新資料を本研究で詳細に調べたところ、典型的な縄文人の特徴を持っていることが判明した。 各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…南九州・西九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側 薩摩半島の成川遺跡(4世紀〜8世紀末)では390体分に上る人骨が発見されているが、成人骨が多い・男性が多いという特徴がある。
装飾品は刀装具・刀子・やりがんななどがあり、蛇行剣・曲身剣が多く含まれるのは特異である。
人骨を調査した金関丈夫博士は「古墳時代でありながら、縄文時代人の様相に近い。北九州地方の渡来系弥生人とは非常に異なっている」
と述べているが、隼人を異人とした当時の記述と一致するものである。
南九州は、火山噴出物の厚く降り積もった土質で、水田に向いていなかったので、狩猟や漁撈と畑作を主な生業としていたと思われる。いわば自然の恵をもとめて、平穏に暮らしていたのである。
といっても既に、王子遺跡や釘田遺跡をはじめ、この地方の河川の流域等では、弥生時代から水稲耕作が行われていたことは明白で、狩猟や漁撈と畑作のみが行われていたということではない。
弥生後期200年の南九州の人口は六万五千人とされており、それは当時の日本列島の総人口六十万一千五百人の一〇%になり、全人口に占める割合は、他の時代と比べると驚く程高かった。
なお、当時の住居跡についての調査に依れば、その数からみて、南九州では古代の成立期から古墳前期にかけて人口は大幅に増加したものと考えられている。
第一章で述べた通り、四世紀以後にも地下に穴を掘って埋葬する地下式墳墓制度をとっていたことは、北九州地区や近畿地区と大いに異なっているが、これを単純に先進地帯の北九州・近畿より遅れていたとのみ評価してはならない。
いわば南九州の人々は当時の技術によってこの土質にふさわしい生活様式を生み出していたのであり、当時南九州の人々は、それなりに平穏な生活を満喫していたのである。
それ故に、人口も大幅に増加したのであった。(吉田町郷土史-鹿児島市) 魏志倭人伝の記述が事実と異なった場合、
邪馬台国や卑弥呼の存在も怪しくなるんですか? 卑弥呼はヤマト王権の初代大王で、その象徴が纏向、最古の前方後円墳、箸墓であるは
結構寺沢氏のオリジナリティなので満足だろう 土蜘蛛の女性酋長一覧置いとくぞ
卑弥呼乱立祭りやで
https://i.imgur.com/sjwZIgD.png
田油津媛(タブラツヒメ)山門郡瀬高大草・神功紀 多くの民を従え、兄の夏羽が妹を補佐している。先代女王葛築目と同様にヤマトに帰順しなかった為に殺されてしまった。年代的に卑弥呼没後の約100年後の女王とされる
宇津羅媛(ウヅラヒメ)山門郡長島宇津・景行紀
八女津媛(ヤメツヒメ)八女郡北矢部・景行紀
神夏磯媛(カムナツソヒメ)田川郡佐波・景行紀 景行天皇に見初められヤマトに帰順したため国を奪われた。
速津媛(ハヤツヒメ)海部郡宮浦・豊後国風土記 碩田の国一帯を治める土蜘蛛女王で景行天皇に道案内をした。
五馬媛(イツマヒメ)日田郡五馬・豊後国風土記
比佐津媛(ヒサツヒメ)日田郡會所・豊後国風土記 大山田女(オオヤマダメ)佐嘉郡川上・肥前国風土記
狭山田女(サヤマダメ)佐嘉郡川上・肥前国風土記
八十女(ヤソヲミナ)杵嶋郡嬢子・肥前国風土記 アマゾネス軍団
海松橿媛(ミルカシヒメ)松浦郡賀周里・肥前国風土記
速来津媛(ハヤキツヒメ)彼杵郡速来村・肥前国風土記
浮穴沫媛(ウキアワナヒメ)彼杵郡浮穴郷・肥前国風土記 その他の土蜘蛛
土折猪折(ツチオリ)田川郡緑野・景行紀
麻剥(アサハギ)田川郡高羽・景行紀
耳垂(ミミタリ)下毛郡御木・景行紀
鼻垂(ハナタリ)宇佐郡菟狭・景行紀
打猿(ウチサル)八田(ヤタ)国摩侶(クニマロ)直入郡禰疑野・豊後国風土記
青(アヲ)白(シロ)大野郡血田・豊後国風土記
小竹鹿奥(シノカオキ)小竹鹿臣(シノカオミ)大野郡網磯野・豊後国風土記 堡を築いた土蜘蛛 日田郡石井郷・豊後国風土記
堡を築いた土蜘蛛 小城郡・肥前国風土記
大身(オオミ)松浦郡大家郷・肥前国風土記
大耳(オホミミ)垂耳(タリミミ)松浦郡値嘉郷・肥前国風土記
大白(オホシロ)中白(ナカシロ)少白(ヲシロ)藤津郡能美郷・肥前国風土記
三種の玉を持つ土蜘蛛 彼杵郡速来村・肥前国風土記
欝比表麻呂(ウツヒオマロ)彼杵郡周賀郷・肥前国風土記 福岡県遠賀川河口域の山鹿貝塚で4000年前の埋葬人骨が20体以上出土しており、
緑色大珠を持った2号・3号・4号の女性人骨は呪術師兼女族長であったとしている。
サメの歯のイヤリング、翡翠勾玉、貝の腕輪十数個、垂れ飾り、足飾りを全身に付けていた。
縄文人の女性が装身具を多数身に着けて埋葬された事例は全国でも極めて少なく、縄文社会の構造について一考の余地を与えている。
https://i.imgur.com/3zq0XJZ.png
女性酋長シャーマンが多いのは北部九州の伝統 >>832
>女性酋長シャーマンが多いのは北部九州の伝統
田油津媛(たぶらつひめ)もそうですね。 いい加減な取材で番組作ってるし、NHKは公共放送とは言えないなw
まともな取材をしてたらこんな近畿説に偏向したおかしな番組になるはずがないw
単純にこういった遺物が出てきましたとか、こういった遺跡がありますって話だけなら全然構わんのだけど、
邪馬台国はどこ?って話まで踏み込むなら、近畿説を唱えるアホな関西の考古学者からの取材だけでなく、
神社の社伝・ご由緒、日本書紀・古事記、シナの史書、朝鮮の史書、原子物理学、考古学、言語学、地理学、生物学・分子生物学、分子人類悪、形態人類学からも取材をしなきゃだめだろ。
そこまで取材をすれば、おのずと九州説になるわけだけどね。 福永が馬鹿学者であると感じた瞬間↓
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福永 はい。三角縁神獣鏡が、魏でつくられた証を発見しました。実は、三角縁神獣鏡は中国では1枚も出土していないことから、それまでは、日本で独自につくられたのではないか、とか魏と対立した呉の工人の手によるものだという説があったのです。
──どのようにして発見されたのですか?
福永 20年ほど前に、三角縁神獣鏡のまん中にあるひもを通す穴(鈕孔:ちゅうこう)の形が、中国の銅鏡の中では珍しい長方形をしていることに気付いたんです。それからは、各地で出土した鏡の穴ばかり観察して歩きました。3年くらいかけて千数百枚は見たでしょうか。
その結果、三角縁神獣鏡の長方形鈕孔が、魏の中でも皇帝直属の工房の工人に特有な技術であると突き止めたんです。
──粘り強さの勝利!大発見だったのですね。
福永 こういうささいなところから大きなことを発見することが、まさに考古学の醍醐味といえます! 魏志倭人伝さ奴国以降は伊都国からの距離で語ってる気がするけど
そもそも使者は九州から出てないだろ もはや日本人の読解力の問題だな
漢文書いてる側の中国側は九州説なんだろ? 200年代はまだまだ人口も文化も含めて九州中心だったから九州のある国の女王が本州等も統治してるとか中国に言ってたんだろうな
後で大和朝廷が奈良からやってきて平定し乗っ取られるけど 卑弥呼の時代は人口の10%を九州が占める
北九州と南九州を南北に割るように大規模な戦争の跡が残っている
同時に菊池川以南は免田式土器の分布域であることから、ここが邪馬台国と狗奴国の国境と考えられる 西暦200年人口推定
陸奥(福島、宮城、岩手、青森): 2万9000
出羽(山形、秋田): 5000
北関東(茨城、群馬、栃木): 3万9000
南関東(千葉、埼玉、東京、神奈川): 6万
北陸(新潟、富山、石川、福井): 2万1000
東山(山梨、長野、飛騨): 8万7000
東海(静岡、愛知、岐阜): 5万4000 畿内(奈良、京都、大阪、神戸): 3万
畿内周辺(滋賀、三重、和歌山、兵庫): 7万
山陰(鳥取、島根): 1万8000
山陽(岡山、広島、山口): 4万9000
四国(徳島、香川、愛媛、高知): 3万
北九州(福岡、佐賀、長崎、大分): 4万1000
南九州(熊本、宮崎、鹿児島): 6万5000
総数60万 鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」2000年 天孫降臨の地として有名な宮崎県高原町にある立切地下式横穴墓群(5世紀中頃から6世紀)
https://i.imgur.com/9uIQLQA.png
https://i.imgur.com/UCpx4xh.png
典型的な縄文形質76体の人骨が出土
隣の宮崎県小林市東二原地下式横穴墓群は公園に人骨レプリカ付きで観光地にまでして一般公開してる >そもそも使者は九州から出てないだろ
九州からも出てなさそうだし、卑弥呼については倭人からの伝聞っぽいし、
「王となってから、朝見のできた者はわずかである。侍女千人がいて、(指示もなく)自律的に仕え、ただ男子一人がいて、飲食物を運んだり言葉を伝えたりするため、女王の住んでいる所へ出入りしている。宮殿や高楼は城柵が厳重に作られ、常に武器を持った人が守衛している。」
とあるので、下手をすると卑弥呼にも面会すらしてなさそう。
>200年代はまだまだ人口も文化も含めて九州中心だったから九州のある国の女王が本州等も統治してるとか中国に言ってたんだろうな
>後で大和朝廷が奈良からやってきて平定し乗っ取られるけど
奴国なんかもかつて朝貢してたようだし、日本海側や九州北部のたくさんの倭人の国が朝貢しにきてたようなので。
北部九州連合の邪馬台国が外交面で地理的に有利な場所にあっただけの話だよね。
「女王国の東、海を渡って千余里で、また国が有り、皆、倭種である。」とあるので、東に海を越えて本州の方に畿内勢力があるのは間違いないし。 女王国のずっと南に侏儒國(種子島)があるって書いてるのも地味に大きい
畿内派は侏儒國をどこと比定してるんだろう 魏の注目が海上ルートにあるなら魏の関心は九州島の南端の地勢やそこに位置する国々
遠い東の倭種には何の興味もないだろう 今や考古学の世界で九州説は絶滅危惧種だっていうからね
ほぼほぼ畿内説だろうという前提になっている あくまで邪馬台国問題は文献史学の問題であって
村おこし的な一部の自治体の研究者を除いて考古学は関与していない >>850
畿内だと東に海があるのは伊勢神宮しかないが
地理的条件が色々と違うから畿内の可能性は低い
そもそも邪馬台国があるのはある程度大きい島のはずだから 畿内説の考古学者は、同年代に大規模のものがあるから楼閣がなかろうが畿内が邪馬台国だっていってるだけだからねw全く根拠がないw
考古学的見地で見ても九州説は全く見劣りしないからw
神社の社伝・ご由緒、日本書紀・古事記、シナの史書、朝鮮の史書、原子物理学、考古学、言語学、地理学、生物学・分子生物学、分子人類学、形態人類学を取り入れると、
完全に九州説になるしねw 史上最大の上陸作戦とはウリナラ軍が半島に巣食う日帝を蹴散らした仁川上陸作戦ニダ!
今すぐ内容の差し替えを要求するニダ! 録画でみたけど、畿内説に都合よくパッチワークしたひでえ内容だなw >>840
別に漢文は日本人でも読める。
昔の漢文だと中国人の読解力にも限界あるよ。
里数なんかは短里と長里があったことなんかも研究しなければ無理だし。
あと、もともと漢字のつくりを見ると邪馬臺の「臺」は「至」で、音符ではトウだったはずだけど、いつの時代からかイーになったと思われるけど、
邪馬臺の発音がヤマトウであった可能性が現代のネイティブ中国人にはまったくわからないからね。
音読みは、日本が漢字を輸入した当時の音読みを現代まで割と残してるけど、中国はそうじゃないので中国人だから一番わかっているということもないんだよね。 倭国の地名なんかは特に中国人にはわからないよ。
当時の漢字の発音にて表音してるから、むしろ漢字の音読みが漢字輸入当時のまま現代まで残っている日本人の方が理解はしやすいだろう。 東の倭種の国は文字通り和人だな
アテルイの本拠地である奥州胆沢でも常磐広町遺跡など紀元前後の高度な渡来系灌漑水稲集落が見つかっている
西暦150~280年、宮城県石巻市の梨木畑弥生人骨について
https://i.imgur.com/7xAiJAh.png
頭骨の観察的所見では、顔面が面長で、眼窩も高く、鼻骨は狭長で、現代的な印象が強い
上顎切歯に明らかなシャベル状形質が認められる
四肢骨では、脛骨骨体が扁平でない、脛骨大腿骨示数が78.5程度であること
縄文人やアイヌを想わせる特徴はまったくと言ってよいほど認められない
ミトコンドリアDNAはD5b2
結論としては、梨木畑人骨は明らかに和人であり、現代化した特徴を有していた 青森ではキリストが生まれる遥か前から和人化が進んでいる
弥生時代の遺跡はただでさえ少なく渡来系の骨しか出ていない
遠賀川系土器は東日本最古、紀元前5世紀の青森に伝わり、津軽垂柳遺跡で656面の水田跡、弘前砂沢遺跡においても弥生文化が受容されていた。
水田跡からは渡来系弥生人の足跡も発見され、形質人類学的にも注目をあつめた。
https://i.imgur.com/d3ScV29.jpg
https://i.imgur.com/CtOEXtK.jpg 垂柳遺跡、砂沢遺跡の水田はその灌漑水路や農耕具、出土した石包丁など技術的には西日本の稲作技術と大差がない。
つまり弥生前期、中期に西日本で既に完成された農耕技術が東北にも到達しているのである。
その後続々と関東・東北での出土例が相次ぎ、西日本各地とそう時間的な差が無くコメ或いは稲作が東北地方にまで伝わっていた可能性をもはや誰も否定できなくなった。
垂柳遺跡、砂沢遺跡の水田はそれを証明したのである。 紀元前後、卑弥呼の時代に和人がジェノサイドしながら本州を北進している >>861
卑弥呼じゃねーよ
景行天皇の時代
ちょうどヤマトタケルの東征に当たる 戦乱に倦んだ諸国の王が終戦のための話し合いの末、
彼らからしたらショボい武力(単独で動かせる軍隊の規模と質)しか持たない(或いは武力を持たない)卑弥呼を、
お飾りの同盟の代表とする事が「上手い落とし所」だと考えたのだろう。
って話だったんじゃないの?
それで、
「墓の規模が当時としては空前絶後だから卑弥呼の墓だろう」
という結論になるのは腑に落ちないんだが。 墓の規模が径250余歩だから前方後円墳では無いのは明らかで
前方後円墳ならば径では表さずに全長で表すはずなので
かなりサバを読んだ円墳か方墳と考えるのが正解
従って箸墓古墳は卑弥呼の墓では無い >>864
最高の最終回だった まとめ方がうまかった
永野芽郁はこのドラマで 別格の演技力をみせつけてたな
とくに泣きの演技や笑顔の自然さは他の女優にはない天才系
泣くことや笑うことできてもあそこまで自然でキラキラ感はだせない 他の女優では
永野芽郁の演技力だけでもみる価値があり
君が心をくれたから
第11話 雨の音色と未来の約束
https://tver.jp/episodes/epo5hcv89n 魏使は本州には行っていないので本当に倭種の国かどうか
自分で確かめた訳じゃ無い、九州の倭人が言った事をそのまま
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