ツワイクの本にも、マリーアントワネットがフランスの国境を一歩跨いだ瞬間に、群衆環視の中オールヌードになった、というのは書いてた
それはフランスの蛮風なのか、ある種民衆パワーを示すのか

まあ中世の論理から言えば、王冠を奪われた権力者やその縁者が首を切られるのは当然
鎌倉殿で言えば、比企の一族が許されただろうか
それが悲劇に思えるのは、1789年というあまりにも最近のことだから。啓蒙主義を経た時代で、現在と同じ論理で裁かれたと思ってしまう