最近の大河の厭戦思想にうんざりな人
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民が嘆くとかそういうのならまだしも
大名とか武将に
「また民が苦しむ」とか「血が流れる」とか「戦のない世を」とか
「こんなとこきとうはなかった」とか言わせるのはどうかと思うよ 作り手がアホだからな。
過去をモデルにした話作るのに現代の価値観で作ってんだからどうしようもない。
戦国史の中で人命を惜しむ発言してイイのは秀吉くらいだが…歴代の秀吉だってアソコまでヘタレじゃなかった…
そのうちに、信長にまで「生命は大切に…」なんて事を言わせそうだな… 社会構造も思想も異なる世界に、今時の平和思想だけ盛り込んじゃうから
ヘンテコなんだよな。
当時の武将の戦に対する考えってのは、
未開部族の部族間の争いとヤクザの大規模な抗争と、
華美な装飾性からしても、ある種の‘お祭り’的要素が
混ざったような感覚なのかな、と想像するのだが。
色々大変で恐ろし事だが、結構楽しかったんじゃないかと。 「お祭り」とはなかなか良い所突いてますね。大体祭礼なんてのは喧嘩が付物だったし、結構血腥いものだった。
でもそれが当然だったし、また関係者もそれを期待していたりする。今でもそういう祭礼は世界中にありますよね。
昔の戦争もその延長と見做されていたのは事実ですね。それを今の大規模で総力を注ぎ込む悲惨な戦争と全面的に同一視すると
途端におかしくなってしまいます。 信長が浅井浅倉のしゃれこうべで盃作ったってのも
そんなに猟奇的なことじゃなかったかもしれないな
今のドラマじゃ完全にカットされるんだろうけど ついこの前まで必死に否定してたのに最近では肯定してるのか
わかりやすいな まぁ北朝鮮のミサイルが少しでも日本に落ちれば、変わるんじゃね?w 平和を愛するのはいいことだよ
だが、毎年毎年、その表現が同じでうんざりしてくる
主人公その他のコンセプトにしろそうだが
水戸黄門みたいな、むしろパターン化を楽しむもんなのかね この当時の民の中には
なんまいだーって言いながら特攻して
一国支配しちゃってたりしてるよね 厭戦思想ってより
単に主人公をいい人にする為の小道具にしか見えない
>厭戦発言
そもそも武士とは戦うのが存在意義。
戦が嫌じゃというのは百姓町人の考え方。
もちろん、武士が厭戦発言をしても、
それに見合った自己犠牲を払って非戦を実現させるんなら別だが。
ほとんどの場合、ただ言うだけなんだもん。
動乱の時代の武士で「戦はならぬ」と言わせて許されるのは徳川慶喜ぐらいだろ。
百姓町人にしても、求めてるのは「秩序」と表現したほうがよいモノだろうな
今のような平和主義や博愛主義は存在しない時代なので
困窮した母子がワラビ粉を盗む→自警団が現行犯で処刑
隣の村人が縄張りで草木を切る→フルボッコした挙句に身包み剥ぐ
宗教一揆同士が市街戦→辻々から略奪を狙う町人が集まる
こういうやり方で秩序を守っていた時代なので それにくらべると新選組!は主人公以外がやけに好戦的だったなw 農民は、耕して収穫するまでの間に農地が戦場になったらすべてを失うし、
職人や製造業しかり、商人も仕入れができなければ信用を失うし、彼らが生きていく社会のためには、
護ってくれる強い支配者が必要なことは言うまでもない。
人を殺すことの好きな人間など、一部の病人を除いて誰一人いないと思うが、
長い人類の歴史の中で、強い武士の存在は不可欠だったはず。
そして、戦の悲惨さ、愚かさや不条理を強調するほど、見る側の平和への願望は強くなるんじゃあるまいか。 その百姓農民が落ち武者狩りしまくってて武士が落ち込むのが七人の侍のええところ >>1
こんなとこきとうはなかった
これは許してやれよww 厭戦思考で平和主義で
「話せば分かる」「みんな仲良く」「あいつは人殺しだ!奉行所に通報汁!」の新選組局長って
ダメだろ
やっぱ徳川家康に問題があるな
もっと毛利や上杉に力を温存させるべきだった
それから山岡荘八みたいな戦争体験者の原作は止めるべきだろう
ただ60年代は厭戦思想はあるが、全学連など国内でのバトルにはやる気十分w
あの頃は角材もって暴れて成長したからな 大河の家康は秀頼の潜んでる蔵に鉄砲打ち込んだのも家臣が勝手にやったことにしてたな
功名が辻でもそんなシーンあったっけ 厭戦なら武功で成り上がった人物を主題に据えなきゃいいのに
ほんとおかしなことになっとる オラもっと強えやつと戦いてぇだ
これじゃドラゴンボールだろ… 劇中、武士が男女平等や民主主義、非暴力主義を唱えそうな予感。 まあ、昔の人だって平和な方がいいと思っていたと思う。
武士だって平和(秩序、安定政権)を望んでいたと思うよ。
ただ、問題なのはその平和を実現するために戦争をなくすために何をすべきかが
大事なんだよね。ただ平和がいいとか戦争は嫌だと言うだけでは何の解決にもなら
ない。
結局、秩序を実現する手段として、一番ものを言うのは
力であり武器であるとちゃんと分かっていた点で、現代日本の甘ちゃんと
決定的に違う。
そもそも武士の成り立ちは、中央政権が無能で娘に
帝の子を産んでもらうことが政治で、地方行政は国司任せでほったらかし。
安寿と厨子王をさらった集団みたいなのがのさばって治安はめちゃくちゃ。
自分の土地、さらに地域を守るために武装したのがはじまりだよね。
安全を得るためにそうするしかなかった。
そういう身分の人が考えることは制作者や脚本家よりはるかにリアリスト
だと思う。
現代だって、米ソ冷戦が終わってじゃあ世界が平和に良くなったかというと
冷戦より良い時代だとは決して言えない現実が多くある。
チベットの悲劇は、結局武力を持たないものが持っているものにねじ伏せられた
悲劇。自国に関しても、なぜ日本の船が海賊に襲われるのか、自国民がさらわれて
も何十年も解決できないのか。
それをイデオロギー抜きにまともに考えれば単純に戦争は嫌だと思うだけでは
何の解決にもならないのが分かるはず。
制作者には、まずもっと勉強しろ!世界の現実をよく知った上で想像力を
もっと働かせろ! 視野を広げろ!
それを強く訴えたいね。底が浅いんだよ。 悲惨な戦場を知り尽くした者が戦は嫌だと出家したほうが説得力ある描写できそうだけど
>>24
現代の世界の現実を知っても、大河の時代には全く関係ない。
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