今川義元が天下統一する大河ドラマ作れよ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
それだと「おじゃるおじゃる」という言葉やそれ一色の雰囲気
で、一年間も見てられるかってのw 今川家ってのは歴代当主が何人も最前線で闘死している。
好戦的で武断的な家だ。 ドラマは無理でも
小説なら空想で書いてもよさそうなもんだが
そういうのは無いのか。 >>1 それを言うなら、足利義輝公だろ。今川家は所詮分家。 太宰府と鎌倉を両方落とした事があるのは今川家だけ
違ったらごめん 歴史シミュレーション小説は、以前少し流行ったけど、最近は廃れているね
ネタが尽きたからw
異戦国志
→本能寺から生き延びた織田信長が、野望を露にした羽柴秀吉と対決
反関ヶ原
→小早川秀秋、西軍として参戦、徳川家康関ヶ原で敗走
このあたりがわりと有名なのかな 天下取りのいくさは初めてじゃ!
武者震いがするのぉ! ifになっちゃうと、NHKではやらんだろうな。
if物でも面白いのが何本かあるから(>>12とか)、
この際民放でやってくれんかなあ。
ちゃんと真面目にやれば、ひょっとしたら最近のクソ大河より視聴率とれるかも。
そしたら義元公の天下統一物もありえるかも。 徳川家康を参謀に天下統一
今川義元死後、氏真を飾りの将軍、家康が執権で実権を掌握→お家乗っ取り
サーセンwww >>14
まー、やるのはいいんだけど、
問題は、まともな合戦シーンが作れないことだなw
この手のifものは、合戦があってこそ盛り上がるんだし 氏真が家康の名参謀になっていた・・・とする
「天下を汝に」って小説があるぞ。
詰めの甘い主役美化小説でつまらなかったけど。 >>1
今川家の当主が征夷大将軍職を継承できる身分だったことはご存知? 信玄でもいいぞ
信玄が上洛するのもいいし
戦で討ち取られるのもいい
信玄が討ち取られた戦国自衛隊は興奮した 今川了俊が九州に割拠して関東公方と組んで義満を滅ぼすドラマとか 万人恐怖が鎌倉公方家を根絶やしにしていたら
吉良家と今川家の宗家継承順位が大幅に繰り上がってただけに
その意味ではちょっと惜しかったかも 駿河の龍・今川義元の天下取り
青木と武者震いもあるよ 跡取があれだからたとえ義元の代で天下取っても、
秀吉亡き後の豊臣家みたいになってるな、下手すれば家すら残らず跡形もなく滅んでる
足利が絶えれば吉良
吉良が絶えれば今川
なんて完全な俗説
>>23
いやいや、とんでもない
鎌倉公方家に宗家継承の資格が無ければ
永享の乱なんてそもそも起きなかった
>>26
解説してるサイト等があれば、アドレスをぜひ >>27
>鎌倉公方家に宗家継承の資格が無ければ
>永享の乱なんてそもそも起きなかった
いやだから京都から見れば鎌倉公方は最初からスルーされていたという意味で
22の言う
>万人恐怖が鎌倉公方家を根絶やしにしていたら
>吉良家と今川家の宗家継承順位が大幅に繰り上がってただけに
はあり得ないという意味。そのぐらいレスの流れを読み取れよ。 良くわかんないな
足利宗家が絶えれば鎌倉公方
その次は斯波細川あたりでその次が吉良今川なんじゃね? >>29
足利一門の序列はこうだったらしい。
室町将軍家>鎌倉公方家>>吉良家>今川家>(越えられない壁)>斯波家>畠山家>>その他諸々の庶家
吉良・今川・・・いざという時に足利宗家を継ぐ家(徳川御三家のような存在)
斯波・・・本来なら足利宗家になるはずだったので高序列(越前松平家のような地位)
畠山家・・・名門・畠山家の名跡を継いでいるために特別扱い
細川、一色、桃井など・・・単なる家臣筋の庶家(その他諸々の松平家のような存在) >>26
造り話しだろ。明治以降の作者による。。。。。
今川過大評価は、帝国陸軍参謀本部の桶狭間研究がすべて。
いまだに、これに影響されてるバカが多すぎ。
小和田というキチガイを筆頭に。 そんなガチっと将軍継承権を決めていたとは思えない。
だいたい吉良は名家ではあるが守護大名でもない。
官位が他の家と比べて高いわけではない。
今川の自称だろう。
もし足利宗家や鎌倉御所の血筋が耐えたら前例に倣って宮将軍あたりを細川や山名が担ぐんじゃない? 吉良家は出しゃばらなかったおかげで江戸時代まで存続できたな
新田流を称する徳川が足利を嫌う一方、
室町時代にはそれほど勢力の無かった吉良、今川を持ち上げたんじゃないか?
アニメ戦国バサラの今川義元ひどすぎ。
あんな弱々しいおじゃる丸にするなんて、
無知から生ずる固定観念な偏見の極み。 そもそも家康の祖父の清康が新田流を称した意味というのは
足利一門である三河守護の吉良と遠江に勢力を伸ばしてきた今川への対抗としてではないだろうか 信長も下立つて、若武者共に先を争ひ、つき伏せ、つき倒ほし、
いらつたる若もの共、乱れかゝつてしのぎをけづり、鍔をわり、
火花をちらし火焔をふらす。然りといへども、敵身方の武者、
色は相まぎれず。爰にて御馬廻・御小姓衆歴々手負・死人員を知らず。
服部子平太、義元にかゝりあひ、膝の口きられ倒伏す。毛利新介、
義元を伐臥せ頸をとる。
おけはざまと云ふ所は、はざまくみ、深田足入れ、高みひきみ茂り、
節所と云ふ事限りなし。深田へ迯入る者は所をさらずはいづりまはるを、
若者ども追付き追付き二つ・三つ宛手々に頸をとり持ち、御前へ参り候。
頸は何れも清須にて御実検と仰出だされ、よしもとの頸を御覧じ、
御満足斜めならず。もと御出で候道を御帰陣候なり。
世はぎょう季ニ及ブト雖モ、日月未ダ地ニ堕チズ、今川義元、
山口左馬助が在所へきたり、鳴海にて四万五千の大軍を靡かし、
それも御用に立たず。千が一の信長、纔か二千に及ぶ人数に扣立てられ、
迯死に相果てられ、浅猿敷仕合、因果歴然、善悪二つの道理、
天道恐敷候なり。
今川を過小評価する奴が多いのは、やっぱりメディアのせいなんだろうな 信長も下立つて、若武者共に先を争ひ、つき伏せ、つき倒ほし、
いらつたる若もの共、乱れかゝつてしのぎをけづり、鍔をわり、
火花をちらし火焔をふらす。然りといへども、敵身方の武者、
色は相まぎれず。爰にて御馬廻・御小姓衆歴々手負・死人員を知らず。
服部子平太、義元にかゝりあひ、膝の口きられ倒伏す。毛利新介、
義元を伐臥せ頸をとる。
おけはざまと云ふ所は、はざまくみ、深田足入れ、高みひきみ茂り、
節所と云ふ事限りなし。深田へ迯入る者は所をさらずはいづりまはるを、
若者ども追付き追付き二つ・三つ宛手々に頸をとり持ち、御前へ参り候。
頸は何れも清須にて御実検と仰出だされ、よしもとの頸を御覧じ、
御満足斜めならず。もと御出で候道を御帰陣候なり。
世はぎょう季ニ及ブト雖モ、日月未ダ地ニ堕チズ、今川義元、
山口左馬助が在所へきたり、鳴海にて四万五千の大軍を靡かし、
それも御用に立たず。千が一の信長、纔か二千に及ぶ人数に扣立てられ、
迯死に相果てられ、浅猿敷仕合、因果歴然、善悪二つの道理、
天道恐敷候なり。
今川義元=大内義興
今川氏真=大内義隆
徳川家康=毛利元就 大河で出来ると思うよ。
だって最近の大河はペーペーの若造が出演して
史実とはかけ離れて男女の恋仲話みたいな内容だし。
ここ何年かはつまんなくて見てないね。 http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0
海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?
秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
大河ドラマはエンターテインメントなので、ドラマの内容が歴史事実と異なっていても、
それが明らかに誰でも間違ってると思われなければ、シナリオ優先。
↓
直江兼続、五大老五奉行制を発案
これが許されるんだから、今川義元が天下統一することも、完全否定はできないからイケるはず あの直江ですらあの壮大なOPなんだから、
今川OPがしょぼいはずない 足利一門の序列はこう
室町将軍家>鎌倉公方家>>吉良家>今川家>(越えられない壁)>斯波家>渋川家>畠山家>>その他諸々の庶家
今川は征夷副将軍になった人がいるから、これでいいと思われ・・・。
室町将軍家>鎌倉公方家
これだけで、十分将軍になる人手が足りてたから、結果として将軍を
出さなかった・・・? http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0
海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?
秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
苫米地先生曰く、こういうのは「人間のIQを下げるのに最も効果的な方法」なのだそうです。
TVの中で誰かがいったセリフに対して、普通はそれを解釈しようとします。
でも、文字で強調したり、効果音を入れたりすることによって、考える必要なくなってしまいます。
そして想像力がなくなるのです。TVをただ見ているだけの人になってしまうのです。
それもまた一つの洗脳です。余計なことは考えるな!という誰かの意思がそうさせているのでしょうか?
想像力をなくしてしまったら、それはもう人間じゃありません!そんな世の中にならないために、
是非この本を読んでください。
http://roko3.cocolog-nifty.com/tuiteru/2008/03/post_7a11.html
常識に流されない人 脳の論理部位が活発…辻井・慶応大教授らが解明
常識や雰囲気に流されやすい人は、論理的に考える際に活発になる右脳の部位の働きが弱いことが、
慶応大の辻井岳雄准教授(認知神経科学)らの研究でわかった。米神経科学誌に発表する。
研究チームは、大学生ら48人を対象に、
「鯨は哺乳(ほにゅう)類。哺乳類は歩ける。よって鯨は歩ける」のように、常識ではありえないが、
三段論法では正解となる問題を50問出題。
同時に、右脳前部の「下前頭回(かぜんとうかい)」と呼ばれる論理的思考をつかさどる部位の働きを調べた。
その結果、三段論法の問題の正答率が高いほど下前頭回の働きが強い傾向があり、
100点だった人は、20点ほどの人に比べ、下前頭回が4倍近く活発に働いていた。
(2009年9月1日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/research/20090902-OYO8T00720.htm
明治維新は外資によって成し遂げられた/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090902/p1 雪斎禅師があと10年、いや5年生きていたら状況は変わっていただろうな てか、沓掛城で酒呑んで戦勝報告を待ってれば勝てた。 雪斎禅師ですら、信長には、勝てないだろ。
家康や秀吉すら従属してるわけで。
桶狭間の決戦で、今川に壊滅的打撃を与えたのだから。 過大評価の雪斎とかいうじいさんが生きていても、信長に一緒に討ち取られてるだろ
歴史の流れを止めることはそんじょそこらの愚物では無理だからな だから、治部大輔様が移動せずに沓掛城に居れば勝ってたんだって。
センゴク外伝やってほしいな
キャスティングが大変だろうけどw どうせパラレル設定の大河やるなら庵原之政とか思い切ったことやろうぜ 氏真がイメージ下げてるなw
滅びたのはしょうがないにしても仇の信長の面前で蹴鞠をしたのが致命傷だw
ほんとは氏親、義元と戦国大名の典型を輩出した家なんだけどね。 >>1
地元の大河誘致運動が盛り上がらなきゃ、大河化の目は無いよ。
そういう点では徳川家の事績の下に埋もれている今川は無理 >>36
吉良は三河守護ではない。
三河の守護は、義満〜義教の時期は基本的に一色だったが、1440年に
一色義貫が義教によって謀殺された一件によって、一色から
細川(阿波守護の家系)に交代した。
ただその後、細川の支配が確立しないうちに応仁の乱が発生したため、
三河は東軍方の細川と西軍に属した一色の残党との間で内乱状態となり、
守護勢力は早い段階で消滅している。
なお三河松平氏は、家康の5代前の松平親忠の母が当時の
三河守護一色満範の娘だといわれている。
>>38
松平清康が新田一族の世良田氏を称しているのは事実だし、「源清康」との
署名がある文書も残っていたりする。 >>53
国人領主から戦国大名になったところは守護勢力が根づいてない国が多いよね。
安芸の毛利なんかもそうだ。
守護がそれなりに根づいたところは守護が戦国大名化するか、守護代一族が戦国大名化するかが多い。 >>74
安芸の場合は、鎌倉・南北朝期の安芸守護は基本的に武田の世襲なのだが、
その後、義満の時代に今川了俊→渋川満頼→山名の一族と頻繁に
交代したからね。
一応その後は、ずっと山名が守護のようだが、山名は隣国備後の守護も
兼帯しており、この地域における支配の拠点は備後にあったことに加え、
旧守護家である武田の勢力もかなり強く残っていたこともあって、守護の
支配は全然浸透していなかった感じ。
で、当然ながら応仁の乱の際は東西の勢力が入り乱れる感じになり、
国人一揆の盟主的立場の毛利氏や、奉公衆の身分を持ち元々守護から
独立的な勢力だった小早川氏が、その後急速に台頭することになる。 >>51
室町幕府の発給文書なんかの書札礼から見ると、
斯波≒吉良>今川
という感じがするけどな。 今川は関東管領代志位刑部大輔にマイナイをおくり、駿河支配を認めて貰い >>79
でも斯波は管領になっちまったからな。
あの時点で将軍にはなりえなくなったわけで自動的に吉良、今川以下でしょ。
家系的にはむしろ吉良、今川より上だと思うが。
ちょっと質は違うけど松平家に養子に出されて老中になってしまった松平定信とその子孫みたいなもんだよ。
家系的にはむしろ一番嫡流に近いのに、幕末は水戸家出身の慶喜の老中になってるからね。 室町期の吉良・今川に将軍継承権があったなんて、江戸以降に作られた俗説でしょ。
つうか、斯波が管領になったというなら、侍所頭人を出したことのある今川はどうなんだよw あと室町時代の歴代当主の官途という点でも、今川は基本が上総介(要するにただの受領名)なんだよな。
これは、兵衛府・衛門府の督クラスが基本の鎌倉公方・斯波・吉良・畠山あたりとの比較では無論、細川の右京大夫、一色の左京大夫、能登畠山の修理大夫などと比べても、見劣りする感は否めない。 今川泰範って今川の嫡流だけど、侍所頭人をやっていたような気がする。 >>79
というか、室町幕府の発給文書(御教書・御内書・奉行人奉書)などでの足利一門の大名への書札礼は、斯波と吉良の2家に対してだけが特に厚礼になっている。
一方今川については、他の足利一門の大名と全く同じで、幕府側に今川を特別扱いするような感じは見て取れない。
これは斯波が管領になる義詮期以降も、今川が副将軍に任ぜられたとの俗説のある永享の乱以降も変わらないし、さらにいえば戦国に突入する16世紀になっても同様。 >>85
今川泰範は侍所頭人を間違いなくやっている。
よって>>84は間違い。 高氏と同じ官と(なぜか変換出来ない)上総介を代々貰ってることの意味が大きい。 >>88
尊氏って上総介になってたっけ?
足利宗家で上総介は、鎌倉初期の義兼だけで、鎌倉後半期には、上総介は吉良氏の官途になっていたはず。
鎌倉後半期には、上総介を世襲している吉良氏を足利上総家、尾張守を世襲している斯波氏を足利尾張家というし。
ただ室町に入ると、斯波・吉良両氏は、もっと高い官途を名乗るようになり、上総介は今川の官途、尾張守は畠山の当主が若年期に名乗る官途となるが。 >>86
斯波と吉良は足利を名乗るのを禁止されたあとも、基本的に幕府内で
「斯波」や「吉良」の苗字で呼ばれることがないんだよな。
幕府から彼らへの発給文書の宛先とかでも、苗字が書かれない。
なお室町期の斯波に関しては、兵衛府の唐名である「武衛」もしくは
京都での屋敷の所在地から「勘解小路殿」などと呼ばれることが一般的。 >>91
治部大輔で正解。
>>92
個人的にも、桶狭間で義元が死ななかったとしたらどうなったのかは、
興味あるところ。
仮に桶狭間の戦況は史実通りだったとしても、義元本人の戦死さえなければ
その後の歴史はかなり違ったものになったかも知れない。 >>93
「勘解小路」じゃなくて「勘解由小路(かでのこうじ)」だな。
確か『花の乱』で、斯波の屋敷のことを「勘解由小路邸」といっている場面があった。 義政は、「治部の大夫義廉」と呼んでいたぞ
ちなみに勝元は、「斯波殿はいかが?」と聞いていた。 >>92
成田三喜夫なら桶狭間で織田兵を返り討ちだからなw
まあ実際の義元もかなりの剛勇だよな。
斬りかかって来た奴の膝叩っ斬って組み伏せて来た奴の指喰いちぎったんだっけ? >>98
そうそう。
襲い掛かって来てる連中は槍だから、そいつらに太刀で立ち向かうのは既にかなり絶体絶命状態。
だけで最初の奴は膝を叩ききり、次の奴とは壮絶な死闘。
義元の首は首を揚げた奴の指を噛み締めてたとか。 成田三樹夫が今川義元をしていた頃、甲斐国では佐藤慶が武田信玄をやっていた。
北条氏康は出て来ないが、このメンバーの善得寺の三者会談見てみたいわ。
きっと迫力のヤクザの手打ち式みたいに違いない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています