【1979年大河ドラマ】 草燃える part10
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尼将軍と呼ばれた北条政子を中心に、治承・寿永の内乱から承久の乱まで
鎌倉幕府の草創期を描くNHK大河ドラマ。
1979年1月7日〜12月23日放送、全51話、第17作
2010年2月17日〜4月29日
時代劇専門チャンネルで全51話再放送
原作:永井路子「北条政子」「炎環」「つわものの賦」他より
脚本:中島丈博
音楽:湯浅譲二
前スレ
【1979年大河ドラマ】 草燃える part9
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1312392130/
牧の方の大谷直子さん、最近お見かけしないな。引退してないよね?
>>86
時房の森田順平さんは、「草燃える」と同時に「3年B組金八先生」の乾先生(カンカン)もやっていたね。
仕事運は、文句なく恵まれていたね。色々な俳優・女優さんと共演できたからな。 定家の牧の方評ってどんなん?
時政の供養で派手にやったなら、牧の方らしくていいと思うがw
時政ラブでかつ自分たちを追い出した幕府にあてつけてふんふん!みたいな >>85
実朝暗殺の場面で、義村の肩をぽんと叩いて、このへんがキリキリと・・
とやる北条兄弟は最高だったな
まったくあの兄にしてあの弟あり、いやあの姉にしてあの弟ありでそのまた弟ありで
北条家は牧の方といいわらわらいるきょうだいといい強烈すぎる そうなの〜意外だね〜
でも、実朝の正妻は公家のほうが無難だから、賢明だね
これで実朝と姫の間に子が出来たら、良かっただろうね 坊門家に時政の娘がとついでるからそのコネで
というので牧の方がつれてきた、という話にしてたな
まあ、実際、北条のコネだろうけど >>59
このドラマではスルーされてたけど、頼家が北条討伐を命令した和田義盛は
その命令無視して時政に通報して頼家は詰んだよね
その時政が出あえ出あえ〜といっても、執権の命令を御家人たちが誰もきかずに
今度は時政が終了、というのは皮肉な姿だった >>93
もし、義盛が頼家の命令を聞いて、時政を撃ったらどうなってたかね
まあ〜頼家の覇権は長くは続かないだろうね。 >>94
義盛が頼家の命令聞かなかったのはまったく勝算なかったからじゃないのかな。
このドラマでは一幡は比企一族とともに死んでるけど実際はあの時点で生死不明。
善哉をかかえてる三浦はおいそれと頼家につけないわなw
三浦本家の協力得る見込みがなくては和田は北条に立ち向かえんでしょう。
それと、頼家が御家人自体の支持をまったく失ってたんだとも思う。
頼家を北条にうった和田義盛が、結局、北条と衝突して滅亡
これもまた皮肉というか それが歴史だよ
でも、ここまで頼家って御家人にしじされなかったのは悲惨すぎる
実朝は兄を反面教師にしてたんだな。 >>97
仕方ないよ。
器量が足りなかったんだよ。頼家は。
生まれたころから周りにかしずかれて育っただろうからね。
御家人の利益を充たしてこその自分の地位だって理解できる前に破綻がきてしまったんだろうね。
吾妻鏡の記述の全部は信用するわけにはいかないが、まるっきりの嘘でもないだろうからね。 >>94
比企討伐に参加したのは北条以外では、和田、三浦、小山、畠山といった面々
北条と一緒に一幡と比企を殺した和田が、いまさらしらん顔して
北条をうつわけにはいかんのだろう
ドラマでもそういってたけどさ
いずれ頼家がしったら今度は和田がねらわれるし、他の御家人の目もある
>>99
北条、和田、三浦、小山、畠山、この面子が揃ったってことは、
駿河、伊豆、相模、下野、武蔵の御家人が揃ったに等しいからね。
そして比企は族滅してしまったわけだから比企が押さえてた信濃、に北陸あたりも含まれてくる。
これだけの御家人がまとまったら勝てんよね。 実朝は頼家を反面教師にしたのか結構長く将軍の座にいたな
公暁に暗殺されなかったら、もっと続いてたんじゃないか 実朝義時体制になってから鎌倉は安定してるしね
途中で鎌倉最大の戦となった和田合戦がどっかんとあったがw
頼朝時代にあった粛清もなかった
あの安定ぶりみてると、実朝暗殺されて将軍後継が半年も決まらなくても
幕府が揺らがなかったのも納得
なのにその安定した将軍の実朝に子供ができないんだから
ほんとにどうしようもないというか 実朝が死んだときには百人前後が追善出家してるし人望はあったと思う
いない人扱いの頼家とはえらい違いだ
頼朝の寵臣の梶原景時 →御家人に弾劾されて追放滅亡
梶原を追放した頼家 →北条討伐令を御家人に無視されて追放殺害
頼家を追放した北条時政 →御家人から見捨てられて追放引退
頼家の命令を無視した和田義盛 →将軍かついで御家人味方にした北条と激突して滅亡
やっぱ、この時代の主役というか時代をつくったのは御家人軍団だな
気に入らないと地位や権力ある人のいうことでもきかないから連中はw >>103
乳母一族のはずの北条は実朝が死んでも誰一人出家してないってのはどういう事なんだかな。 >>105
こういうのって真実を裏打ちするからな。
少なくとも北条一族と実朝との間に決定的な隙間風が吹いてたことだけは間違いないってことと思う。
一般御家人に人望ある実朝自体の存在が北条一族にとって疎ましいという状況になってたんだろうね。
富士の巻き狩りの頃から頼朝と北条家との間が微妙で、その関係が時間がたつにつれて修復不可能になってたんじゃなかろうか。 それでも、乳母の保子辺りは実朝の味方じゃない草燃えるのように
保子だけは実朝の死を悲しんでたと思う
実朝を育てたのは彼女だからね 保子と実朝の関係が出ると静かになるな
そんなに評判悪いの? 保子は実朝暗殺後に義時の腹心の殺し屋の金窪に実の息子を粛清されてる。
実朝暗殺の頃は北条一門でも立場は浮いてたんじゃないかな。 後の執権連署みても出家してなお仕事してた人いないのでは?
だから義時や時房が出家しないのは引退を意味するからしないのわかる
息子たちは実朝に近くつかえてなかったんだろうな
そこが不思議で
義時は頼朝、時房は頼家の側にいたし、頼経にも名越は近い印象あるのに
実朝の側に北条家の人はいないぽいのがさ
ほんと阿波局ぐらいな ただ、立場浮いてたかというとどうかな
息子殺されたのは政子も頼家殺されて同じだが、別に彼女はういてないだろ
頼家の息子は全員義時に殺されてるんだぜ
それでも、なんかの文献に、義時がもしも殺されたら私はあ〜と政子が承久の時に嘆いたと
書かれるぐらいだから 政子と保子じゃ立場が全然違うからな。
政子は頼朝の代理人だよ。
いざって時に源家の家長として出張って来て頼家から裁判権を取り上げ、
将軍位も命すらも取り上げた。
頼家を死に追いやったのは親として不本意に間違いないが、少なくとも義時の行動を事後承認したのは間違いない。
あそこで政子が公の立場で義時の行動を否定したときに、それに逆らえる人間なんて御家人にはいない。
そんなことしたら幕府そのものが消えてなくなるからね。
政子が異能なのは、女性でありながらプライベートの親としての情より公を優先した点だ。
こういうことがきちんとできた女性って世界史でも非常に稀と思う。 保子の息子ってずっと離れて暮らしてたろ
だから息子はなんか気の毒な感じするんだよね
保子は実の息子でなくて実朝をとったというか、そういう役目をとったというか
だから、政子と似てると思うんだ
息子が遠い領国で殺されたときに心中に思うことって政子と似てるかも、てさ >>110
実朝のそばにいる北条の人間といえば政子自身だな
基本的に干渉じみたことはしないけど実朝の名代として朝廷と重要な交渉をしてるし
嫁とも仲がいい
北条は乳母の一族といっても阿波局が乳母してただけだから
別に実朝は北条館で育ったわけでもないし、北条に乳兄弟がいるわけでもない
そういう意味ではちょと孤立してたかも 将軍に擁立された頃に政子一派に奪還されるまでは、
実朝は乳母が養育してるはずだろ。阿波局が実朝の身柄を
コントロールしてたし、旦那の全成に地盤がない以上、11才までの養育の中心は北条だろう。
それに乳母の子供達は自動的に乳母子になるし、
乳母が属する一族そのものが乳母一族だ。まして阿波局は乳付けをしてるから、
実朝と同年に生まれた子がいる(時元の可能性大)その子は
乳兄弟としてもっとも強い絆がある場合が多い。
>例:源義朝と鎌田政清、木曾義仲と今井兼平など。
まあ、養育に関与したのが子供時代まで、乳母子たちも
側近に起用されなければ、そこで関係は終わりだけど。
ドラマの通り、実朝が北条を信頼してなかったのかもね。 実朝が北条を信用してたら北条の側が実朝と距離置く理由はないからね。
実朝が北条を信用してなかったのは間違いないと思う。
端的にいうと、実朝は独裁したかったのだと思う。
それなりの側近グループが出来ていたしね。
だから暗殺前は実朝と北条とで主導権争いがあったのだろうね。 乳母が養育してても阿野館で育って北条館でないだろ、というわけでさ
乳母の子供は時元になるが、その彼が全成事件で蟄居?というわけだからさ >>117
信用うんぬんはもう少し大きくなってからではないかな
将軍になった頃の12歳とか13歳の段階でも両者の間には隔たりがある
頼家の周囲を比企の息子がとりまいていたのと違って
実朝の周囲に北条の息子はいない
泰時はもうすでにでかいから政務の方の手伝いしてたのかもしれないし
朝時は実朝に嫌われて義絶されるありさま
重時が一番近づく可能性あるが、ただ実朝将軍就任時はまだ子供だから
結局側近にはなってないような >>119
そらそうだろうね。
実朝と北条との間に距離が出来たのは実朝が京都から来た公家を中心にした側近グループを形成するあたりじゃないかと。
これは父頼朝にならったんだろうけどね。
頼朝が大江や三善なんかを側近にして独裁したのを。
しかし、頼朝の時代と違って北条は既に大きな勢力になってたからそこに対立が生じたのだと思う。
この側近グループに北条の人間は含まれてないんだよね。 実朝に一番年齢が近いのは朝時だが、彼のうきっぷりをみるとどうも
母親の比企氏の方に心情的に近い可能性ある
つまり、頼家が追放されるまで母親と一緒に頼家に親しかったのかも
義時自身も妻側の頼家と妹側の実朝と天秤にかけてたのかもしれないし
それで実朝にべったり忠誠を誓うわけでなく、両者が離れていて
それが実朝の成長とともにぎくしゃくすることになったのかもしれん
時房だって頼家と仲良くしてたわけだし 中野五郎は頼家の側近として潜り込んだ北条側のスパイだったってのが偶然みつかった史料で現在明らかになってる。
中野五郎がそうなんだから時房は確実に北条から送り込まれたスパイだったと思う。
と同時に万一北条本体が敗北した場合のスペアとしての役割も時房は与えられてたと思う。
>>121
朝時は比企滅亡後に比企の勢力圏そのまま受け継いでるくらいだからね。
比企氏の長男でもあるし、比企色濃厚だろうな。
義時は比企の乱の当時北条宗家とは独立した江間家の当主だから、時政とは一応独立した判断を下したろう。
最終的に時政の側についたのは政子の意向が決定的で政子があくまで頼家なら義時も頼家を選択したと思う。
やはり義時も実朝と距離あるね、最初から。
実朝と一番距離近かったのは時政だろ。名越の屋形に抱え込んでたわけだし。
その時政が追放された時点で政子保子以外に実朝と近しい北条一族は事実上いなくなってたってことだろうね。 時房は結果から見るとスパイとしか思えんが、
ドラマでもあったように、実朝を擁立すると時政・牧の方・政範が
出張ってくるわけで、庶子で微妙な立場の時房がそれを歓迎するとも
思えないが・・。まあ、父権絶対だから、時政の命に逆らえるもんでもないだろうけど。 時房は頼朝生前時から頼家に近かったのかもしれんよ
頼朝の二人の息子のどっちにもコネつくっとけ、と北条が考えてもおかしくないし
別に頼家の側にいても不自然な話ではない
ただ、その分、実朝とは親しくなかったろうと思ってさ
ドラマでは時房が明るく比企氏と戦ってたがw実際にも参戦してたんだっけ?
泰時が参戦してたのは確かみたいだが >>124
かわいそうに比企の乱の時点で義時と違って時房は単なる庶子だからな。
時房は時政の命ずるままに動くしかなかったろう。
だからこそ、時政追放の時は積極的に義時についたと思う。
このへんはドラマはリアルじゃないかな。 猜疑心の強い義時が時房を全く警戒していないのが不思議
泰時も時房を頼りにしている それだけ時房が義時父子に大して誠実に接してたんだろう
ところで頼家と実朝はなんで、こんなに差が有るんだ
保子も比企ほどじゃないけど実朝を結構甘やかしてたぞ?
誰か教えてくれ 実朝が将軍になったときはまだ子供
頼家が後ついだときは成人だったから
では 実朝も結構激情家だよね
御家人がよく実朝に叱りとばされてる
さすが政子の息子w
義時もさすが政子の相手つとめてるだけあって間にはいってよくなだめてるし 実朝は瞬間湯沸かし器のようでよく癇癪起こすんだよねw
ただ、偉いのは、ちゃんと後日のフォローを受け入れて何事もなかったかのように不問に付してくれることで。
親子の義絶まで発展した朝時のケースは稀だよね。 あれは朝時が悪い
ようするに女をさらってレイプしたんだろ
北条のよいとこは身内にも厳しく処分するとこだ でも親父の義時も朝時の母親娶る時に似たようなことしてんじゃんw
状況がかなり違うんだろうけどさ。
そもそも義時は頼朝の大のお気に入りだったしな。 義時は手紙をねちっこく送ってたが、さらってレイプはしなかったろ
このドラマではマツケンがさらって一緒に乗馬してたが >>134
まあな。ただ、ドラマ的には馬でさらったマツケンとやったことは紙一重w
実際は、比企の乱の件で母親と離婚してるから親父と朝時との間にかねてからいろいろあったんだろうね。 >>127
時房って遊び人で政治的野心はないんでないかな
ボク3位になりたーいとかはいってもさ
そういえば、それ以降、3位になりたーいといいだす北条人間はいなかったのかな
泰時はいつも一門の長老の時房を上位においてるから外からみると
時房がトップみたいにみえる 北条は三位になったのはいないはず
執権より官位の高い御家人もたまにいる
足利幕府も将軍より官位の高い守護大名いるが
徳川幕府は将軍>世継ぎ・尾張・紀伊>水戸>前田はほぼ絶対 うんそうだけど、なりたいといいだす人はいなかったのかなと思ってさ
まあ、得宗自身が若くて死んだりさっさと引退してしまうぐらいだからw
義時も承久の乱で勝ったあとは昇進でなくて役職やめてったし
都と距離おいた頼朝の姿勢が影響してんのかね 北条氏が駄目になったのは何時からだろう貞時の代からかね?
まあ、時宗の時代から執権政治も綻びが見えてきたけどね。 >>139
貞時の時だね。
完全な独裁体制敷く事に成功したのに肝心の政務が全く思うように機能しなくなってしまった。
晩年の貞時は酒浸りで政務も顧みない状態だったとか。
個人の力量でどうにも出来なくなった時が組織の寿命なんだろうね。 やっぱり、貞時の時代なのか、最もそうなったのは元が日本を攻めたのが原因だけどね
元寇がなければ鎌倉幕府はもう100年は続いてたよ >>137
北条で一番官位の高いのは政子の従二位だな(だから吾妻鏡では「二品禅尼」「二位家」等と表記)
まあこれは朝廷が勝手にくれたものだが
男性だと一番官位高いのは泰時と時房の正四位下
一般御家人は足利義氏の正四位下が最高か?
泰時は望めば従三位くらいはなれたと思うけど、やはり本人が望まなかったのだろう
義時の遺領配分でも大半を弟達にやっちゃう人だし 高官位貰って下手に北条家自体の格を上げると、
他の御家人たちから反発くらうから出来ないだろう。(御台所政子は別)
北条執権は「将軍代行」であって、幕府内での身分上は
一般御家人と同列なんだし。「官位上げて将軍に成り代わるつもりだ」
とか格好の攻撃材料になる。 政子は頼朝の代理人であり、事実上の将軍だからね。
従二位はある意味当然の位だね。
政子が従二位になれたのは実朝が右大臣になれたお陰もあるな
事実上の将軍でもバックボーンが無いと従二位は不可能
頼朝も大納言が極官だったからね 頼朝はもう少し長生きしてたら内大臣くらいにはなってたんだろうな。
平重盛、宗盛も内大臣だったから。 でも、頼朝は長生きしても大納言程度で留まってたんじゃない
大臣に面倒なだけ 大臣になったって別に京都に居る必要あるわけでもないし、そもそも数ヶ月で辞任するでしょ。
だから面倒なわけでもないよ。 源氏が三代で絶えた最大の理由は頼朝の早死が大きいね。
頼朝が後10年生きてれば源氏将軍はもっと続いてたよ
でも、頼家はどうにかしないといけないね。
30になったからといって分別つくような性格じゃなさそう。
実朝の下にさらに弟をつくれたかもしれないから望みはそっちかなw
政子の年齢的には微妙かなw 頼家は1202年頃、頼家が病死してたらどうだい
あれは持ち直したけど、病死してたら、問題ない 640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品
@『監査法人 (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員
頼家は体弱いというからね
ドラマでは全然元気そうなのに、突然頼朝のせりふの中で
万寿はからだが弱いが、とでてきて驚いた覚えがある
実朝にこどもができない原因が問題だな 坊門姫が子供の出来にくい身体だったんじゃない
実朝の妻は正室の坊門姫だけで側室がいなかったから
実朝に子供が出来ないというのはよくない 実際、実朝に子供ができなかったから、源氏が続くには頼家しかいない
しかし、頼朝が10年長生きして頼家体制に移行して、はたしてすんなりと
頼家ー比企体制が安定したかというと
やっぱ千幡派と衝突して同じ歴史になりそうだよ >>145
逆
政子が従二位叙任した後に実朝の昇進ラッシュが始まってる
親王将軍の話が内定したので、親王の後見人になる実朝の官位を釣り合わせる必要があったのだろう >>154
坊門姫だと、頼朝パパンの同腹姉妹になってしまうがなorz
まだ夫婦ともに若かったから、子供に恵まれる機会はあると踏んでいたんだろうけど。
側室が居なかったのがネックなんじゃないのかな。
たとえ側室所生であっても、御台所が嫡母になればいいわけだし。 >>154
側室をためすこともしないで皇族将軍話をすすめてるんだから
実朝に子だねがないと思われてたんでは 実朝に子種が無いというのは早計
側室は進められても実朝が拒否したからじゃない
今年の大河のヅラのナチュラルさを見てたら、
郷頼家のピッコロ大魔王を思い出して吹いたwさすがに進化してるな。
<=( ´∀`)
( ) 朝鮮人は宇宙一ニダ
| | |
〈_フ__フ
Λ_Λ
< ;`Д´> あ…
( )ポロ
| | | ヽヽ
(__フ_フ =( ´∀`)
朝鮮人だらけの東京のテレビ局が日夜流す、デマや歪曲に騙されないようにしましょう。
義時「御所様も側室を選ばれ、お世継ぎをもうけられては」
実朝「そなたに殺させるために子をつくるのか?」
と言う台詞はなかったかな?他の番組? いってないよー
その子をめぐってまた争いあい云々かんぬんという愚痴はいってた
実際、子供が殺される危険性はないし
あぶないのは実朝の身の方でさw
子供ができたら自分は洋なし、とびびって子供つくらなかったならわかる
でも源氏の血を絶やすことに平気なのはやっぱどうなんかい >>161
GOは天然パーマを押さえるのにえらい苦労をしたらしいなw おそらく親王将軍の正妻は竹御所にする気だったんじゃない おそらくじゃなく間違いなく竹御所は親王将軍の正室になる予定だったと思う。竹御所を養女にしたのもおそらくそれが念頭にある。
紆余曲折の末に三寅の嫁になっちゃったから年が釣り合わなくなったけど。
皇族の血を新たに加えることで将軍家をより高貴なものにするのが実朝の目的だろう。
実朝は兄から将軍位を簒奪した格好なので、頼家への贖罪的な意味もあるんじゃないか(政子にとっても)。
自分の奥さんに子供ができないんだから竹御所に子供ができない可能性もある
実際そうなったな 実朝が暗殺されず、後鳥羽上皇の息子が実朝の養子になり、竹御所と結婚して
男子を産んで、その子が将軍になったら、源氏将軍は続いてたかもしれないね
でも実朝は源氏は自分で終わるから位をあげるんだ、といってたぞ
女系のことは意識してないんだろう
竹御所が御台所の猶子になったのは、結構遅いから何となく意図はわかる
だが、善哉が実朝の猶子になったのは意図がわからん
ドラマでいってたように、政子は善哉後継の頭があったのかな
史実では公暁を実朝の世継ぎにする気はなかったんじゃない
あくまで竹御所に親王将軍の嫁にするつもりだったきがする 親王将軍に竹御所御台所って、実朝でなくて政子や北条の意思でないか
実朝に子供ができないわ側室を迎えないわで業を煮やしてさ
竹御所が将軍の猶子になったすぐあとだろ、実朝の渡宋騒ぎがおきたの
鎌倉を将軍が不在にしてもいい、なんてことを堂々とやるってのは
なんか実朝のメンタルの問題を感じる
鎌倉は執権がいれば十分だろ、みたいなさ んーなんか上杉謙信の家出騒動と同質のものを感じるのは俺だけかな?渡宋なんて本気じゃなかった気がするんだが。
義時あたりと喧嘩して「執権だけで何かできるってんならやってみやがれ!」みたいな。
もしそうなら義時は土下座して引きとめただろうね。後年の得宗と違ってこの時期はまだ将軍あっての執権だから。
吾妻鏡は基本得宗家ageのための書だからあんまり格好悪いことは載せないだろうし。 でも結局実朝いなくてもできてしまったからな
実朝がそれをあの時期にわかってないとも思えないんだな
実朝暗殺は義時が源氏の断絶をはかったからだ、という説も
つまり、源氏が断絶してもやっていける、と義時が思ってたから、てことだよな 「もっとも力のある武士が鎌倉を治めるのじゃ」
「それが北条というわけか」
「やらねばやられる」
そんな会話があったな 義時が十郎に「源氏は借り物」と語るシーンですね。
で
「倒さなければ倒される、その渦中にいる以上、俺は死力を尽くして戦うぞ」みたいな。 総集編だけ見ていたら、祐之がなんで義時の所に突然いるの?と思うだろうな
完全版が発掘されて良かったよ 総集編は一年みたあとで締めくくりとしてダイジェストとしてみるものだよね。あくまでも。
あれだけみたらわけわからなくなるのが当然だよね。 大姫の縁談関係で、高能の時とは違うと頼朝がいったとき、
たかよしでなくてよしたかだろ、とつっこみしてた人もいた
総集編では高能でてこなかったから仕方あるまい 所で鎌倉武士は武芸ばっかりしてるイメージがあるんだが
教養とかはあったのかね? 640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品
@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は
NHKが汚れているから
史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。
薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのだ。 >>176
でも実朝死後に親王将軍東下を懇請したり、それが駄目になると九条家から幼児を連れてきて将軍候補にしたり
北条が名実ともにトップに立とうとは決してしないよな。というよりなれないんだろう。
執権はあくまで将軍(源氏でも藤原氏でも親王でも)の代行者であって将軍の権威なしには何も出来ない役職だし、出自の低い北条が将軍なんて他の御家人が納得しない。
幕府が危機を乗り越えられたのは将軍代理である政子あってのことで、義時だけだったら御家人に見捨てられた可能性が高いと思う。
>>182
個人差あるだろうな。実朝の和歌サークルに入ってる御家人もいるし。
家格の高い大豪族とか在庁官人とかなら最低でも読み書きは出来るだろうし京とのつながりもあるから教養も仕入れられるだろう。
梶原景時は頼朝と和歌のやりとりができるくらい教養あった。 糞出来の悪い今年の大河を見ていたら無性に草燃えるが見たくなってきた
近々全編CSで放映してくれ〜! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています