【第二十八回】太平記 part.28『公家か武家か』 [無断転載禁止]©2ch.net
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二十八回 【開戦前夜】
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【第二十八回】太平記 part.28『開戦前夜』だ!ごめん間違えた...... 次回の「英雄たちの選択」の足利尊氏は、やはり去年やったやつの再放送みたいだな。 前スレ最後のほう三河屋が無双してたから全部読まずに飛ばしてワロタwww
三河屋がこのドラマに執着する所以がわからんwww このドラマとても出来が良いとは思うが
うまのすけの存在がどーーーしても気に入らない
あいつのせいで直義や師直が割りを食ってる
真田丸のサスケぐらいの出番でよかったのに (桃井直常)
その方たち、殿の側に居ながら今まで何をしていたのじゃ?
何故、あの三河坊主めに「太平記」スレの占拠を許しておるのじゃ!
…えええぃ、儂がおらねばこのザマよ…!! >>6
まあ放っておいても980超えるとスレはすぐに落ちるし、ああいうタイミングなら、
普段はスルーしている三河屋を敢えてカマってあげても良いんじゃね?
結局スレの終了とともに三河屋無双もリセットで、新スレに引きずることもなかったわけでw 話を広げられない奴はスルーするしかないわなw
1000 日曜8時の名無しさん sage 2016/07/02(土) 23:36:11.21 ID:KxQqyaFX
承久の乱の戦後処理って、足利氏の希望だけで決まったわけじゃないだろ。
これなんかもひでーからな
当時、熱田大宮司家は京方に付き、負けて所領を没収されたんだが、大宮司家に返されず足利氏が親戚として受け継ぐ事に決まったわけだ
熱田大宮司家の所領は三河と尾張に大量にあっが、二カ国ゲットするわけにはいかんからな、選択する必要があったわけだ
これがまさに足利の希望だろうが
結果は、地勢的に三河と大差なく経済的利益が得られる尾張より、自身のルーツである三河に拘りをみせた 大体だな、自分が足利義氏と思って考えてみろ、おじさんおばさん従兄弟がてんこ盛りの三河と関東を比べてどっちに愛着好感があるかだよ
しかもこのおじさんおばさん従兄弟は、鎌倉将軍源頼朝の親戚でもある
E藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→Fへ
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→Gへ
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→Hへ
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
F藤原範忠
・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司)
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺)
・任暁(仁和寺)
★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
G藤原範信
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫、頼朝右大将拝賀先駆)
・藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))→藤原範俊(左馬助、大学助、源実朝近習)
・藤原信綱(駿河守、尾張国海東郡地頭)
・藤原信雅(高松院蔵人)
・藤原憲行
・藤原実豪(延暦寺権僧正) >>7
うまのすけ無双は結構吉川版に忠実だな
吉川せんせもニンジャにしろとまでは言ってなかっただろうけどw >>15
長くても面白い内容なら読んでみたくもなるものだが、
三河屋の場合は毎回代わり映えしないコピペを貼り付けて、
そこから論理的に意味不明な妄想を捻り出すだけのレスだからな。
まともに読むのはバカバカしくなるんだよな。 長年の太平記スレだと話題も重なるは復活するわは仕方ないかな。
ちなみに前スレで面白かったくだり。
司馬遼太郎の短いくだり
足利美弥は尊氏の末裔説
ましらの石の才能
三条坊門殿の幾多の呼び名
京都の街のくだり
尊氏が直義の慰霊をした? >>17
最後のやつはまだモヤモヤしてるので情報募集中w 慰霊の話は、最初の言い出しっぺの奴がソースを示さないまま逐電しちゃったからなぁ。
自分もちゃんとした典拠があるなら、凄く興味はあるが・・・。 >>17
三条坊門の件や京都市内の通りの話は、
「平安京の条坊図をGoogle Mapに重ねて遊んでみなはれ。」
ってサイトがなかなか興味深い。
直義の三条坊門高倉邸が現在のどこなのか、これだと一目瞭然。 >>18 >>17
だな。
ソースを求めた人が逆怒られて
偉そうにとか自分で調べろとか歴史オタ?逐電者本人?に責めらる始末だったな。
これ件が分かれば尊氏と直義の関係も見直されたりして面白かったが残念。
>>20
早速見た。
面白い。 >>18
早島大祐『室町幕府論』だったwようやく図書館に行けたよ、待たせてゴメン
愚管記を出典に、1362年に武家の沙汰として直義の仁祠が天龍寺の傍に建てられた、とのこと
しかしこれは、義詮の時代だね。誤読すまぬ ココはおれのしってるれきし自慢も多いが>>24みたいにちゃんと調べてくるような律儀者もちゃんと居るから良いね。
>>24 つ落雁とお茶 レスが進むの早くてワロタ。
前スレの自演してる?とかの人とは別人だけど、今再放送してる武田信玄より進むのが早くて感心する。
私も太平記好きだからちょっと嬉しい。 >>24
乙です。
義詮も基氏も直冬も直義に育てられたからな。
義詮兄弟は将軍と鎌倉公方で分かれたにも関わらず
仲が良かったらしいね。
>>25
だな。 >>24
うおーい
前スレで言われてた南北朝遺文とやらになにかヒントがあるのか!?と思って
今日隣町の図書館へ行っちゃったぞ!
南北朝遺文って大日本史料と違ってひたすら文書のみを載せてる本なのね、これだと
法事関係は追えないな〜と思った このドラマ円喜暗殺→高時執権辞任から一気に5年くらい時間飛んでるけどそれはいいのか?
貞氏が5年くらいずっと病に臥せってることになるんだが? >>28
確かに『○○遺文』というのは、基本的にその時代の文書を収集したものだから、
文書以外の史料は出てこないね。
この時代の史料集で『大日本史料』と似たような構成のものとしては、
他に『後鑑』(江戸幕府が編纂した室町幕府関連の史料集)というものがあるかな。 >>29
暗殺というか暗殺未遂ね。
実際、高時が執権を辞めた嘉暦の騒動(嘉暦の政変)は1326年、
貞氏が死ぬのは元弘の乱が勃発する1331年なので、確かにそういうことになるね。
このドラマでは「宿命の子」の回の後ろのほうで、いきなり5年ほどワープしたことになる。 義満主役で大河作ってほしい
太平記とセットで南北朝時代が補完できる >>27
義詮もなの?鎌倉将軍府のとき少し一緒だったくらいじゃない?
観応のときめっちゃ拒否ってるし>>24の話なんかは化けて出たからとかそういう話だと思ってた
基氏は義堂周信さんがいろいろ書き残してるから本当に慕ってたんだなとわかるが 基氏の場合、観応の擾乱の段階で10代前半程度の年齢だから、
直義からの直接的な影響がどの程度あったのかは何とも言えないが、
鎌倉府における彼の取り巻き達のなかに旧直義派が多いから、
直義をリスペクトする意識を自然と植え付けられた面はかなりありそう。 >>33
義詮の場合、個人的な直義への感情がどうであったかは知らないが、
とりあえず義詮が直義の政治手法を全く継承していないことだけは確か。
直義時代の室町幕府の政務は、事務的な手続きも文書の発給様式も完全に鎌倉幕府の模倣だが、
直義から義詮に政務が交代した後は、すべてにおいて鎌倉幕府の模倣的な要素が消えるし。 此処の御歴々に御尋ねしたき儀、此れ有り。
そもそも、鎌倉府の役目とは如何なるもので御座候也? 尊氏と守時って実はかなり若い時期に知り合ってるみたいだな
燃える勇者(1981年)だから太平記より10年も前だぜ
あの尊氏も浪速のロッキー並みに棒台詞だが
守時は守時のまますぎて逆に違和感あるわ
キムタクが演じる役全部キムタクなのと同じ感じがする 鎌倉府って
足利尊氏は、鎌倉に幕府開きたかったが
南朝があって無理だった・・・ってホントかなあ
伝統的に反独立の連中が多かったから
「足利のための」鎌倉探題みたいな組織は置きたかっただろうけど
ドラマには出てない(?)けど
山名氏でも置いていたら
東日本の雄・山名氏なんてのが誕生してたのかな
(新田の立場が・・・?) 鎌倉府とは?
氏政「ワシじゃ(ポリポリ」
頼朝「富士川で勝つまでの私と思って良い」
直義「いちおう京都の将軍に従う義務があるがそれ以外の全ての面では、関東を支配する幕府でござる」 >>39
高嶋弟って頼朝役やったことあったっけ?とか考えてしまった >>40
直近のナレ朝のつもりだったけど、
確かに高嶋サンドで涙目だなw 早速の御一同からの御回答、感謝致しまする。
>>38
成程…興味深いifでござる。されば、かの山名宗全入道殿も…?
(皆さん、ごめんなさい)
それと、今一人…
方々がお噂していた三河殿にも鎌倉府について、御意見を伺いとうござる。
かの三河殿の御高説を承りたいが…如何? 東日本は(農業メインだから)土地が宝、西日本は(貨幣経済発達してるから)銭が宝とも聞くが
室町時代初期の関東って
反独立の連中が多くて
「上杉ごときの命令がきけるか」って連中も多かったみたいだから
将軍足利氏の一族が治めないと駄目かなあ
鎌倉時代と違って、鎌倉府自体が反幕勢力になったりするけど >>33
沢山資料や研究書籍などあるし
読みやすい研究書籍だと「関東公方足利氏四代―基氏・氏満・満兼・持氏」 ;田辺 久子
とか直義と義詮・基氏兄弟と尊氏の想いなどなどが良く研究されていて面白かったよ。 鎌倉公方の短命率は異常
得宗家当主も相当短命だが・・・
鎌倉の主は呪われてるな >>36
室町幕府の地方統治における基本的な考え方は遠方分治で、
関東・九州・東北は京都の幕府の直接掌握ではなく探題等に任せる方針だった。
ただ関東に関しては前代の武家政権の根拠地ということもあるし、
建武政権期には直義、室町幕府の初期には義詮を置いて、
ずっと足利宗家が第2の拠点を築いていた特殊事情がある。
そこで、それを受け継ぐ形で基氏以降、世襲の鎌倉公方を頂点とする鎌倉府が確立した。
まあ実態としての鎌倉府は、鎌倉公方の下に関東管領や侍所・政所・問注所などがあり、
京都の幕府本体とほとんど同じような組織になっていた。 >>38
むしろ鎌倉幕府を理想視する直義は幕府所在地として鎌倉を強く推していたが、
尊氏の意向で京都になったというような説もあったような・・・。
ただ現実問題として、南朝の存在がある以上、京都を手薄にできないのは事実だし、
実際に観応の擾乱の際とか京都が手薄になった際に、
南朝方やそれと結ぶ反幕府勢力に京都を占領される事件が計4回起こっている。
>>39
そういえば後北条氏は、北条氏綱が足利晴氏から関東管領に任命されたという主張をしていたな。
>>43
でも戦国期くらいだと、東日本は貫高制、西日本は石高制というイメージがあるよ。
>>45
しかも古河に移った成氏以降は、明らかに寿命が長くなるというのがねぇw >>46
>>47
鎌倉府についての詳しい解説、ありがとうござりまする。m(__)m >>39
上杉憲政「北条などと名乗るな!きさまは小田原じゃ!」 >>37
あれで棒って.....あの時点で芸歴ブランクあっても20年だぞ。あれは映画が駄作なだけだ。 太平記より昔の演技が棒でも良い
太平記だけ良ければ良い
陣内孝則、武田鉄矢、高嶋弟、片岡鶴太郎なんかは他ドラマではそんなに好きではないが太平記では抜群にいい
主役に関しては真田広之なくして太平記なし この大河の素晴らしいのは足利尊氏が主人公でありながら少しも幸せにならない所
帝を裏切り、執事を殺し、子に背かれ、愛弟を殺す
足掻いても足掻いても幸せにならない
冴えない姿の正成は敗れ去ったが、最後まで忠義を尽くし心魂では尊氏をはるかに上回った
逆賊が主人公ということで、懸念された方もいたとのことだが、
きっちりと逆賊の辿るべき苦悩の生涯を描き切っている 兄の子から帝位を簒奪した後醍醐帝に、
果して逆賊認定権などあるかどうか >>54
簒奪なんぞしてないし、皇室内の話だ
何をどう言いつくろっても尊氏個人が逆賊ということに変わりはない まあ正平の一統時と合体時における条件で南朝が正で北朝が潤であるということは明らか
別に戦前においても史的事実を無視して無理やり南朝を正としたのではない
思想だけではなく史的にも合理性があったゆえに皇室が納得して改めた訳で >>56
>南朝が正で北朝が潤であるということは明らか
>別に戦前においても
>思想だけではなく史的にも合理性があったゆえに皇室が納得して改めた訳で
お前すげーなwww >>57
全然凄くないが
宮内庁のHPでもを見て来たらどうかな >>32
義満もいいけど、その周りで振り回される立場が主役でも面白いかもしれない(´・ω・`)
二条良基とか >>57
予想スレに凄いオレ正義が現れたと思ったら、
同一人物だったw 皇室の話が出て、ふと考えてみたら天皇そのものが主役のドラマって見たことないな
いろいろ制約はあろうが正親町とか後陽成あたりならなんとかなるんじゃないか
または江戸初期の後水尾とか霊元あたりとか
後醍醐は主役にしちゃうとかなりキツそうだけどw >>61
現実的な問題として、天皇・皇族・宗教家は大河の主人公にはできないと言われる。 >>44
会社から2分の図書館にちょうど置いてあったからさっそく読んできた
直義という人は知れば知るほど鬱が加速するなあ・・('A`) そういや「室町幕府論」って半年前位に読んだわ(´・ω・`)
この1年くらいAmazonで一般向け中世史関係の中古本を買いあさったけど
最近ようやく熱が冷めてきた、というか読みやすい感じの本はもう底をついたというかw 関東公方足利氏四代も最近読んだ。読みやすいよね、アレ そういえば研究者には「関東府」「関東公方」という言い方をする人が多いよね。
中学・高校の教科書的には「鎌倉府」「鎌倉公方」だけど。 >>66
初代の基氏は弟筋として分をわきまえてたが、その後の氏満・満兼あたりから京都幕府に対して不平・不満路線になって、持氏・成氏にいたって遂に爆発ってカンジか。
それにしても関東管領の上杉はいつもストッパー役だな。
公方の命令を忠実に遂行するのが部下の務めではないのかな。 歴史の取っ掛かりに良いのかな太平記。
学校では後醍醐天皇の辺りは明確には教えないからか自力で調べる、図書館に足を運ぶヤツが増えるのかな。
Wikiみたいなもんだけだと好き勝手編集されてるから、やっぱり色々な研究者の著書や文献を自力でコツコツ見る方が楽しいよね。 関東公方足利氏四代の巻頭に
「室町時代、二代将軍の弟に始まり、鎌倉府の主として東国を治めた関東公方足利氏。
将軍の身辺でささやかれた関東謀反のうわさは、いつから真実となっていったのか。
幕府に抵抗し続けた誇り高き一族の一〇〇年を見つめる」
とあるな
義満からの足利将軍家にとっては謀反一族だが濡れ衣を着せられた鎌倉公方足利家にとっては
たまったもんじゃなっかたろう >>67
元々は関東管領って、任免権自体は京都の幕府にあったらしいから、
これは公方の輔佐役であると同時に、幕府によって付けられた目付役という性格もある。
そう考えれば、関東管領が制止役になるのは至極当然だよ。
実際上杉氏の守護としての分国が、鎌倉府管轄地域だけでなく幕府直轄地域にもあるのが、
この上杉氏の立場をよく表している。
具体的には山内上杉氏の越後、南北朝期における犬懸上杉氏の信濃ね。 >>69
実際、康暦の政変のときの氏満の動き、応永の乱のときの満兼の動きなんかを考えれば、
幕府が鎌倉公方に警戒心を持つのは当然だろう。
もっとも上杉禅秀の乱のときだけは、幕府は鎌倉公方持氏を支持して禅秀を討つ形になったが、
これは禅秀が足利義嗣と繋がっているという話が出てきた結果で、
この話が明るみに出るまでは、将軍義持は静観の構えだったようだし。 関東公方って自称なの?正式に幕府に公認されていたの? >>73
公方をトップとする鎌倉府(関東府)の組織自体は、当然幕府公認のものだし、
そのトップを「公方」と称する言い方も当時の史料にある。
ただ単に「鎌倉」とか「関東」とかって呼ばれていることも多い。
もっともこの場合、公方個人を指しているのか、鎌倉府(関東府)の組織を指しているのか、
文脈上からは厳密に区別できないこともある。 関東公方の正式な名称は関東管領 上杉は執事だった
関東と甲斐、伊豆の10カ国を統治、後に奥州、羽州が加えられ東日本全土を統治した
当時の交通事情からすると二府制は必要であり、鎌倉と六波羅をモデルにしたと思われる
将軍の権威弱体にともない、公方にアップしたのか、脅かしてなったのか、自称かは諸説ある 斯波が越前で、細川が四国で、畠山が大和で(?)
京極が京都周辺(?)、赤松が播磨だっけ?
有力守護が畿内周辺にいるし
義満は派手好みっぽいから、関東にはもどりたがらない
だろうなあ やっぱみんなドラマも史実も直義が好きなんだなwww
佐々木判官の史実も教えてくれてええんやで? >>78
判官殿って、尊氏死後無双化するのな。
複数国の守護を兼ね、政所長官。
政敵斯波高経や細川清氏を追い落とした後は人事権も握り、義満の執事に細川頼之を推挙したのも彼。
義詮がもっとも頼りにした人物だったんだろうな。 >>75
公方が関東管領と呼ばれたのは、初期の話。
京都の将軍の執事が管領に改められた段階で、関東執事も関東管領に改められており、
以後は公方を関東管領とは言わない。
また鎌倉府(関東府)の管轄範囲は、南北朝期の一時期には信濃が含まれているし、
永享の乱以降は、甲斐・陸奥・出羽は除外されている。
>>77
室町期における畠山氏の根拠地は河内だろう。
中世の大和は基本的には守護不設置の国で、守護の権限は興福寺が代行している。
京極氏は本来的な根拠地は近江だが、近江の守護は六角氏であることが多いので、
出雲が第二の根拠地のようになっている。
>>80
基氏急死後の鎌倉府の重石として派遣された感じだね。 >>78
おれドラマ見てから史実調べ始めたけど
判官殿と直義が印象変わったツートップだなあ
なんか判官殿ってドラマだとすげーおいしい役だけど師直やトッキーに比べるとそんなにバサラレベル高くない気がする >>82
道誉は花とか茶とか流行文化に敏感で新しいもの好きだから、バサラはバサラだと思うよ。
ただそれ以上に有能な政治家ではあるな。
あと道誉は、尊氏の取り巻きのなかでは家柄も格段によい。
道誉の佐々木京極氏は、初代の氏信(道誉の曾祖父)が北条泰時の外孫である上に、
鎌倉幕府の評定衆まで務めているから、佐々木一族内でも別格的な位置付けの家系。 >>31
じゃ、その5年を、創作で繋げろと?そんな事をするなら、今のままでいいのだが。もし、その空白の5年を、何話かに振り分ける位なら、大逆転の回の、北畠家の、美濃での戦いや、尊氏の、九州での話を、追加してほしい。 太平記に絡んだ話は面白いが時期の違う話はつまらん!! >>84
当方>>31だが、そんなこと一言も言ったつもりはないが。
それに5年程度のワープなら、「母の遺言」の回の最後と、
その次の「足利家の内紛」の回の冒頭の間も、同じくらい時間が飛んでいるし。
大したネタがない時期を大胆に飛ばすなんて、「太平記」に限らず大河ではよくあることだよ。
ところで「大逆転」の回の美濃での戦いとは? 大河でエピソードの順番入れ替えなんかしょっちゅうある事だし別に気にならんがなあ >>82
師直は放言オンリー・放蕩三昧の金好きエロ好きの戦上手
道誉は妙法院焼き討ち実行・花好き・舞好きの世渡り上手
妙法院事件だけでもバサラ度高いのは道誉でしょ 鎌倉幕府滅びても
高時から貰った「高」の字を大事にして京極家の通字にまでしてしまう道誉
ドラマでは高時と仲良かったけど実際も良かったのかな 師直やトッキーは生死をかけて無茶なバサラをやり続けたけど、
道誉の場合はどんだけバサラやっても殺される気がしない凄みw >>88
順番の入れ替え???
鎌倉幕府が滅ぶ前に建武の新政が始まるとか? >>90
元々「高」は佐々木氏の一族が名前に使用する字でもあったんじゃないかな?
道誉の京極氏だけでなく、佐々木氏嫡流の六角氏でも「高」の字を含む名前の人物がいるが、
六角氏の場合、鎌倉末〜南北朝期の当主は時信・氏頼だから、
「高」が高時からの偏諱由来とは言い難いし。 京極氏の系図は、
氏信ーー宗綱ーー貞宗ーー高氏(道誉)ーー高秀ーー高詮ー高光・・・高次
本当だwしっけん殿、嬉し泣きしちゃうぜw >>96
高光のあとの持光・持清・勝秀・政経あたりは、「高」を使っていないけどね。
特に、持光は初名持高、政経は初名政高なのに、わざわざ「高」の字を捨てる改名をしているし。 >>92
本気で言ってないよね?生まれた年とか死んだ年とか、揉め事エピソードは割とサラッと順番や時期おかしいじゃん。
おまいの言ってる事はただの嫌味 でも別に鎌倉幕府が滅びた後も、得宗家から偏諱を受けたと思われる名前を改名しない人物は、
普通にいくらでもいるからなぁ。
足利一門なら斯波高経や吉良貞義がそうだし、道誉の佐々木一門なら他に六角時信や塩冶高貞。
あと今川貞世(了俊)の子孫は、「貞」が通字のようになっている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています