【第二十八回】太平記 part.28『公家か武家か』 [無断転載禁止]©2ch.net
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二十八回 【開戦前夜】 http://www2s.biglobe.ne.jp/ ~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki28.html 前スレ 【第二十七回】太平記 part.27『公家か武家か』 http://nhk.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1463725409/ その足利宗家の大門屋敷から南に2キロ行ったとこにあったのが、足利尊氏、直義かま生まれただろう上杉氏の日名屋敷 ■上杉氏 太田亮 上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。 丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。 『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。 その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か 足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷 ■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷) 鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。 足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、 翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。 頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。 日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 だからシジツハナスナーはスルーして 歴史談義やりたきゃやれと ナスナーは他の話題すら出さないで口を封じにくるだけだから 放置が最善 その足利宗家の大門屋敷のすぐ北にあったのが文書係だった倉持氏の屋敷だった便寺屋敷 その倉持氏出身の鈴木由哲の実の息子が第42代総理大臣の鈴木貫太郎 鈴木由哲(倉持由哲) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E7%94%B1%E5%93%B2 >由哲の実家は三河の渥美郡の出で、倉持家は大名にこそなっていないが、旗本や譜代大名の家臣として多数を占めており、古くからの徳川の家臣である。 >鈴木の家には子供が無かったので倉持家から養子に入った。倉持家は足利氏(室町幕府将軍家)の被官で鎌倉期から足利氏所領の管理を行い三河額田郡内に所領を持っていた家柄である。 その三河鈴木氏には、源為朝の遺伝子が受け継がれていて、家康とやらにも伝わっている ■今川記(1553年成立) 松平信光(第3代目当主) 正室:一色氏の娘 一色満範の娘の仮定する 源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 ■熊野国造家 和田家系図 松平親忠(第4代目当主) 正室:鈴木重勝の娘 ・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 家康とやらに源義家、源義国(源姓足利氏・新田氏の祖)、足利義兼(初代源姓足利氏)、一色公深(初代一色氏)、今川国氏(初代今川氏)、吉良長氏(初代吉良氏)、源為朝、安達盛長、足助重範、楠木正成の遺伝子イン その源為朝の孫娘は頼朝の跡取り息子の嫁(正室)だった 源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した荘園(三河国高橋荘、高橋新荘)の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ 源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民 源頼朝の祖父は三河県岡崎市民 源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民 その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁 ・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている ・源頼家(2代目鎌倉将軍) 藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁 ・辻殿 足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁 ■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964) 木造大日如来坐像 http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/ 本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。 実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。 納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。 髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。 『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。 スレの活性化の為って、ぶっちゃけ引いちゃってるよ。長いし読む気にならん。明らかに普通の書き込みの勢い落ちてる。 読んだけど源頼朝や北条政子なら「草燃える」スレかやっぱり歴史板じゃ? 歴史談義したけりゃ、何故やるか長文の言い訳なんてしてないでやればいいし、 歴史談義が嫌なら、歴史談義すんなとか荒らさずに他の話題を振ればいい ちなみに上杉は、外戚ではあるけど、師直暗殺はやりすぎた 尊氏に睨まれてその後長く失脚、関東管領は畠山が握ってた いろんな人間がいろんな時期でいろんな陣営に属してるから その時期その時期で属する陣営を間違えずにのし上がって有力者のまま人生を終えるとかムリゲーや(´・ω・`) >>168 名越高家なんかは、出ていて、判官殿に、構われていたのに、畠山氏は、出ていなかった。 >>168-169 畠山国清は「兄弟の絆」の回で、直義が後村上の綸旨を受け取る場面に登場していた。 あと「将軍の敗北」の回の打出浜の戦いの戦後処理の評定にも恐らくいたと思われる。 またそれ以外では、その少し前の回で、畠山直宗が上杉重能とセットで何回か登場して、 師直を闇討ちにしようとしたりしている。 >>171 見落としていました。ありがとうございました。 このドラマ安達時顕が出てないと思ったら秋田城介って名前で 出てた ひょっとしてあきたじょうのすけって名前と勘違いしてたのかも知れない ともチンを除外するとかアホか? 足利尊氏の真の目的は、鎌倉幕府創成期と同じように、幹部をともチンの母方縁者でがっちり固めた体制に戻す事だ ではこのともチンの母方縁者とは何ぞやになるだろうが ともチンの母方縁者とは? 霜月騒動の負け組(ともチンの三河譜代) ・足利氏←三河守護 ・安達氏(三河国八名郡小野田)←初代の盛長は三河守護、泰盛は三河国渥美郡小松原荘地頭 ・足助氏(三河国加茂郡足助)←三河国加茂郡足助荘地頭、頼朝嫡男の正室の家系 ・吉良氏(三河国幡豆郡吉良) ・斯波氏(三河国額田郡矢作) ・中条氏←三河国加茂郡高橋荘地頭、中条家長は八田知家猶子 ・二階堂氏←二階堂行政の母親は三河の藤姓熱田大宮司家出身、三河国碧海郡重原荘地頭 ・長井氏(大江氏)←大江広元は、元々、三河の藤姓熱田大宮司家の家来か?広元の4男が藤姓熱田大宮司家に養子入り >>173 大河って時々そういうよく分からない役名にすることあるよ。 『草燃える』では、摂関家の近衛基通を「摂政基通」という役名にしていたし。 同じ摂関家の九条兼実が普通に「九条兼実」の役名になっていたのと比べると、 明らかに整合性がなくて不思議であったがw すごい勢いでスレ進んでると思ったらあぼーんばっかw誰も聞いてなくて太平記関係ない話を上から目線で語られてもねー。何年も前からいるけど心の病気の人なん?ブログかなんかで勝手にやって欲しいわ。 太平記のオープニングの映像って何か意味あるのかね?楽曲が大河最高傑作なのは間違いないんだが映像って天狗?のお面出たり滝流れたりで何か寓話的だなって思った。 >>176 安達時顕なのか安達高景なのか微妙なんで、秋田城介と言う名前にまとめちゃったのかもw 顕子の父として六波羅で戦死した説もあるよね >>177 うろ覚えだが 天狗の面は 北条高時の元へカラス天狗が現れて 一緒に酒宴した みたいな伝説があるからでは? >>178 確かに顕子の父が六波羅で死んだことは、数少ない顕子自身のセリフのなかで語られているな。 但しドラマにおいて顕子自身の素性・身分は明かされていないからな。 高時の正室なのか側室なのかも含めて・・・。 あとこのドラマの役名で少々一貫性に欠けるという印象を受けるのは、北条一族の名前だな。 例えば赤橋守時・金沢貞顕・大仏貞直などのように、 北条氏の庶流の人物を北条以外の苗字(家号)で呼んでいるケースもあれば、 六波羅探題北方の仲時は、「普恩寺仲時」ではなく「北条仲時」だったりする。 しかし元弘の乱勃発時に、上方へ派遣する軍勢のリストを高時が読み上げる場面では、 「普恩寺相模守」(仲時の父基時?)という名前があったりもする。 あと貞顕については、最初の2回だけ「北条貞顕」で、その後「金沢貞顕」に変えているから、 ここにどういう意図があったのかは不思議というほかない。 得宗家嫡流以外が北条を名乗るのは制限があったともいうね 得宗様からはやっぱり家名で呼ばれるのが自然かも >>183 最初のときは連署だったからでは? 連署降りたら金沢にとか 六波羅探題にしろ役職つくと北条名乗れるとか とうこ、高時、日野様がテレビ東京のドラマ出てるw 太平記の人が群れてるとニヤニヤしちまうね >>184 その手の制限は、室町幕府が足利一門庶家に対してやっていたのは聞くが、北条はどうだろう? 家格的には赤橋流より下のはずの政村流には、北条以外の家号みたいなものがなさそうだし。 >>186 初登場の時点での貞顕は、連署どころか評定衆にも未だなっていない段階だよ。 初回の貞氏との会話のなかで、 「自分がなかなか評定衆になれないのは、長崎殿への付け届けが足りないから・・・」 みたいな会話をしている。 たぶん尊氏が誕生した頃だと、執権は師時、連署は後に執権になる大仏宗宣だろう。 >>180 そんな逸話あったんだ!高時って実際は暗愚じゃなかったのかもね。 >>189 暗愚かどうか以前に、実際の高時は病弱で表に出てくること自体があまりなかった人物というが。 そういえば、このドラマの「妖霊星」の回での嘉暦の政変の描写は、 無理やりカラス天狗を絡めようとした雰囲気もあるがw トップが有能でなくても幕府は機能していたので 高時の時期の鎌倉幕府はある意味完成形に近かったのかもしれない でも完成形になったら滅びちゃった、と 原典太平記だと、あの崇徳院を始めとした大天狗たちが多数現れて 政変は概ね「天狗の仕業ぢゃ!」 しかし大河版も吉川版太平記も天狗はいないからね 組織が完成されると 「トップが誰であっても組織は動く」ようになるのかな(?) 源頼朝→御家人合議制(→執権制)→得宗専制(執権より身分は下?)→御内人専制 →崩壊 史実は知らないけど フランキー堺(長崎殿)は「公平な政治」を口にしていたが、実際はどうだったのかな 息子のほうは賄賂政治家だったようだけど 今日BS−TBSで昭和63年元日に放送された家康ドラマを放送していた 真田さんが三成役だった うまいねえ 今の俳優にあのレベルはいない 緒形拳さんも出てた >>191 >>193 むしろ逆のような気がする。 得宗専制は、トップである得宗に大きな権力が集中する体制だが、これは裏を返せば、 大きな権力が集中する得宗は有能であることが前提の体制。 しかしそこに政治能力の微妙なトップが生まれてしまったから、 そのトップの持つ権力に周囲の人が群がって政治を振り回し、 政権の混乱・崩壊に繋がったというイメージだと思うよ。 あと、これと似たようなパターンとしては、足利義教の時期の室町幕府の将軍専制体制と、 義教死後の幕府の迷走が挙げられるような気がする。 >>156 追加 高師泰、高師直に姉妹で、とーちゃんが創建した深恩院総持寺で尼をやって奴がいたらしい まとめ @高師重(三河国額田郡菅生郷郷司、足利貞氏、足利尊氏執事) ・高師泰(尾張守、幕府執事) →Aへ ・高師直(三河守、幕府執事) →Bへ ・貞円(三河国滝山寺大勧進) ・満目尼(三河国深恩院総持寺開基尼) ・女子(高師春室)→高師兼(三河守護) A高師泰(尾張守、幕府執事) ・高師世→いち(三河国総持寺初代住持) ・明阿(三河国総持寺開基、高師冬室) B高師直(三河守、幕府執事) ・高師兼(猶子、三河守護) ・高師冬(猶子、三河守、関東執事、室は明阿) ・高師夏 ・高師詮 ・女子(渋川直頼室) 直義がなまじ能力があったのが不運だったな いや、でも直義がいたからこそ足利があそこまでなったってのもあるから何とも言えんな >>197 史実もドラマも直義ありきでしょう 直義あっての尊氏 直義あっての室町幕府 その直義を自らの手で殺したときの想い 筆舌に尽くしがたいよな まあ結局直義の政治手法はその後の室町幕府には踏襲されていかない部分も大きいが、 一方で後々まで武家社会に直義信奉者が多い理由だな。 >>198 まあドラマではあんなだったけど実際はもう愛は完全になくなっていたんじゃないかな・・ 直義が北へ逃げていったあとの尊氏、今までとは別人格レベルで行動早いし北朝捨てる剛腕ぶりだし 直義死んだ直後の3月に宇都宮さんか誰かに出してる感状で直義反心によって起きた戦いのときに〜みたいな書き方してるのを見て ああもはや尊氏にとって直義は謀叛人でしかなかったのかあ・・と悲しくなったのよ(´・ω・`) そんな感情的な直義への憎しみなんて、尊氏にあったのかなあ 師直殺害の罪をあれだけ上杉に厳しく問うたのに 弟である直義だけ赦免してしまったら、部下たちは反感を持つだろう >>200 その時期だと旧直義派が各地で蜂起している状況があるから、個人的な思いはどうであれ、 直義派が反乱軍で、自分の側が正統であることを強調せざるを得ないでしょう。 嘉元の乱でしくじって以降、政治への興味を失った貞時 嘉暦の政変でしくじって以降、政治への興味を失った高時 やっぱり親子は似ているねw >>203 実際歴史でもそうかもしればいけど、大河って親と子の関係を軸にするよね。 俺ら程度でも親とは色々難しいもん。 でも貞時は平頼綱誅殺に成功して得宗独裁体制を固めたらからね。 そこは円喜暗殺に失敗した高時とは違う。 でも貞時はそれで調子に乗って一門の中で面倒くさいやつを殺しちゃったら 思いのほか反発が大きすぎて引きこもっちゃったけどw その負の遺産を息子が背負っちゃったんだよな 直義も師直も右馬介もみ〜んないなくなって、 最後に残った判官殿に、幕府と息子を頼んで、 「ずっと友だと思ってきた」と言われた判官殿が、 一瞬うるっと来た感じで、「先に行っておりまするぞ」と 照れ隠しのように去っていくシーンはやっぱり良い。 ドラマのなかでも言っていたが、道誉は尊氏という人物が個人的にも好きだったというのは、 何となく当たっているような気がするね。 道誉は当人の立場や生い立ちからすれば、得宗専制体制のもとでも、 後醍醐天皇の取り巻きのなかでも、直義派の武士たちの間でも、 どこにあっても上手くやっていける要素を持っていたのに、 結局ずっと尊氏に近侍しているわけで。 そういえば先程やっていたNHKニュースで、来年の大河の新たな配役発表の話が出ていたが、 今川義元役に決まった春風亭昇太が、 「今川家が大好きで普段から今川の家紋を使っている」と発言していた。 で、てっきり足利一族の二引両の紋かと思ったら、違う紋が出てきてちょっと残念だったw 何でも、源氏の白旗は嫡流の鎌倉幕府だけが使えたのに対して、 区別するために新田の旗は一本、足利の旗は日本の横線を引いたというのが大中黒と二引両の由来だとか 六波羅攻略で尊氏が源氏の白旗を掲げたのは、我こそが源氏の嫡流って宣言なんだろうな >>209 あれを尊氏に与えたのは高時だから、 高時が足利を源氏の嫡流と認めたということか >>210 迂闊ですな、太守もw 忠臣尊氏を見習って、諸国の源氏も幕府に従えという意味だったのかもしれないけど 赤松氏も名和氏も源氏を自称していたからね >>210 鎌倉幕府は霜月騒動後の貞時の時代、 一時臣籍降下して源惟康と名乗っていた将軍惟康を皇族籍に戻して惟康親王とした頃から、 足利氏に対して、鎌倉幕府への忠誠と引き換えに、 源氏嫡流と公認するような政策を取るようになったという説があるな。 >>211 ただ赤松や名和は源氏を名乗っているといっても村上源氏だからなぁ。 名和はなぜ村上源氏なのかよく分からんが、赤松に関しては、 建武政権期の大塔宮派に北畠など村上源氏が多く、赤松もそれにあやかったためらしいね。 >>211-212 つうか武士の系図の仮冒なんて日常茶飯事だよね だいたい執権北条氏自体も本当に平氏の流れか怪しいもんだし でも赤松と名和ってどっちも自称村上源氏なのは単なる偶然? 系図を調べるとどっちも村上源氏雅兼流で鎌倉初期の公卿源師季の子孫らしいのだが しかも赤松則村も名和長年も師季から8代目になってるんだが 鎌倉初期の人物から則村・長年まで途中に7世代もあるわけないし 系図捏造するにももう少し上手くやれよと言う気がするね 今日の、ニュースで、生前退位の意向を示された天皇陛下ですが、太平記の時代の、後醍醐帝は、建武のね >>216 んごうを、付けられようとした時に、取り巻きの公家が、不吉だから、考え直して下さいと、言ったとか、話で、聞いた事があるのですが、詳しい情報を知っている人がいたら、教えて下さい。 ねんごうを、変換する時に、通信状態が、悪くて、変換する前に、書き込み完了を、押した事になりました。読みにくくて、申し訳ありません。 >>219 江戸時代まではね。明治時代以降は、初めてです。 いっそのこと、木や金で作った帝でもよいのではありませぬかな? >>214 それは何ともいえない。 ただ武家で村上源氏というのが、そもそも割りと珍しい気がする。 >>219 後醍醐帝が今上帝のように生前譲位を考える度量を持っていれば、 南北朝の内乱も起こらずに・・・。 ただそれをやったら後醍醐帝じゃなくなってしまうがw >>223 師直、言葉を慎め! http://www.ashikagatakauji.jp/ashikaga/acity05.html このサイト、足利家時が文保元年に三十五歳で自害したとあるんだが、 家時が文保元年=1317年に三十五歳だと、貞氏より年下になってしまって おかしくね? >>226 足利家時の没年月日は、文保元年という説もかつてあったが、 現在では弘安7年(1284年)6月25日で決着している。 文保元年説は、尊氏の異母兄高義の没年と混同された可能性が高いと言われる。 あと、その「足利尊氏のホームページ」ってサイト、前にも話題になったことがあるが、 人物の生没年なんかの前後関係は、結構いい加減だよ。 例えば若くして死んだはずの義康(足利氏初代)が、 嫡子義兼が成人するまで生きているような話になっていたりするし。 まあ、あくまで個人が趣味で作った妄想ストーリーなんだろうけど。 >>227 なるほど。確かに個人の妄想話として楽しむのがよいかも知れませんね 足利義康でいうなら、自分個人は2013年の大河平清盛に足利義康が登場 しなかったのが太平記ヲタとしてすごく残念だった 史実じゃ保元の乱で大活躍してるんだし、足利氏のご先祖さま出して 欲しかったな 足利=関東の設定だから、色々と無理矛盾が生じるとボキは思うな >>228 その気持ちは分からぬでもないが、要は話を単純化したんだろう。 「草燃える」には足利義氏が出てきたらしいから、それで我慢するしかないかなw >>229 ドラマでは「凱旋」の回で師直に「木の帝、金の帝」発言をさせているね。 完全版DVDは「足利決起」から「凱旋」までが一つの巻になっているから、 「足利決起」「京都攻略」「鎌倉炎上」の神3回を見たついでに、 「凱旋」の回もついつい見てしまうな。 昔は良かったーの爺さまたちまたやり始めたのかよ 義康省略は単純化でも何でもない、要らないから省略しただけのこと 保元の乱への起動要因から見れば何一つ重要性をもたない義康は 乱に至るまでの息の長いプロセス描写をみっちりやった平清盛においてフォーカスされるべき人物では到底ない 平清盛はいきなりとってつけたように人物を登場させ大活躍させるようなお目出度い大河ではなく 常に仕込みとタンドリに意を配っていた 平治の乱ではどうでもよい???二条親政派にフォーカスしたのはナンセンス 一方で保元の乱における大ヒーロー義康をオミットしたのは犯罪的 こういうとんちんかんを偉ぶって喚くあんたらが太平記を大河史上に冠たる作品と讃え もって昨今の大河は屑なる妄言の拠り所としている現状は 名作太平記にとっても不幸な事態と言わざるをえない >>232 読みにくい! せめて句読点くらい書いてくれ。 何が言いたいのかサッパリ分からんw 清盛エリートは鼻つまみものだな こいつの文章みて清盛に興味を持つものが一人もいないだろう まあ、逆賊ってことだなw >太平記スレの活性化のために、 勘違いキチガイの連投が止まらない 社会からの落伍者 >>232 何で突然こっちの大河に遠征してきたんだアンタw 拙者が御供仕りまする故、福原に帰りましょう。入道相国様がお待ちです >>232 別に歴史談義そのものは否定しないけど、お前の存在だけは全力で否定させてもらうよ スレタイも間違える臭いスレだから変なのが寄ってくる 都知事になったら真っ先に 韓国人学校つくるニダ! http://goo.gl/KVTaS8 >>226 家時の後見人、足利家氏が三河で出家して以降、事実上菩提寺は滝山寺だから、鑁阿寺の記録が不正確 三河で出家した貞氏は、妾がいた三河には鎌倉から頻繁に行き来しただろうがが、恐らく足利荘には殆ど行っていない 尊氏直義が生まれただろう、上杉氏の日名屋敷 ■上杉氏 上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。 丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。 『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。 その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か ■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷) 鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。 足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、 翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。 頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。 日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 【生前退位】政府 極秘に皇室典範の改正を準備(映像ニュース)©2ch.net daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1468471395/ 【生前退位】恣意的な退位排除、「称号」など課題 皇室典範改正©2ch.net daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1468448828/ 保元の乱のときに清盛と頼朝の父と足利の祖先を 3人並べて登場させなかった脚本はセンス悪いと思う 多少の史実は曲げても昇殿できる3人の武士として出すべき そんなことよりもっと大きな問題点は摂津源氏の頼政が河内源氏の義朝を様付けで呼んでいたこと。 あの時点で摂津源氏と河内源氏の間に上下関係なんてないだろうに。 草燃えるでも足利は影薄かったしな 義兼は頼朝の相婿でもあるのに扱いが悪い 天皇機関説事件(Wikipedia) ・・・1935年(昭和10年)2月18日、貴族院本会議の演説において、菊池武夫議員(男爵議員・陸軍中将・在郷軍人議員)が、美濃部達吉議員(東京帝国大学名誉教授・帝国学士院会員議員)の天皇機関説を国体に背く学説であるとして 「緩慢なる謀叛であり、明らかなる叛逆になる」とし、美濃部を「学匪」「謀叛人」と非難、井田磐楠らと貴衆両院有志懇談会をつくり機関説排撃を決議した。 菊池議員はこの前年にも足利尊氏を評価する記事を10年以上前の同人誌に書いた中島久万吉商工大臣を「日本の国体を弁えない!」と非難して辞任に追い込んでいる。 菊池議員はそもそも、南北朝時代に南朝方に従った菊池氏の出身で、天皇を神聖視する陸軍の幹部でもあり、また、右翼団体の国本社とも関係があった。 この菊池議員の演説をきっかけに軍部と右翼による機関説への攻撃が激化する。同年2月25日、美濃部議員が「一身上の弁明」として天皇機関説を平易明瞭に解説する釈明演説を行い、議場からは拍手が起こり、菊池議員までもがこれならば問題なしと語るに至った。 それでも議会の外では右翼団体や在郷軍人会が上げた抗議の怒号が収まらなかった。 しかしそうした者の中にはそもそも機関説とは何たるかということすら理解しない者も多く、「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か!!」と激昂する者までいるという始末だった。 大逆転の回の、北畠軍の上洛の事だけれど、奥州から、駆けつけたとあったが、その間は、城を、あまり攻めず、一気に、上洛したのかな? >>243 ここの爺様の罵倒に従って、二条親政派を省いて平治の乱をやっていたら、センス以前に この脚本家バカ?乱の基本構図すらわかってないじゃんかと、ふつうに知識と常識のある層からは嘲笑されていただろう。 もちろん怜悧な頭脳をもつ脚本家ゆえ、そのようなヘマと野暮とは無縁。 他方、保元の乱への過程で1秒でも出す理由を見い出せない義康はまた、王家と並ぶ対抗軸として設定した 平氏vs源氏のストーリーライン上でも出る幕がない。出しても話に絡めようがない。出したら焦点がボケる。 足利のご先祖様なのでストーリ上の必然性がないのにとりあえず出しました、みたいなセンスのないことはやらなかった。 清盛は、通常整理対象となるような人物まで多数とりあげかつ有意に動かしていたが(たとえば忠度)、 残念ながら、義康は平清盛物語において、顔見世以上のとりあげる意味をもたなかったということだ (おそらくPの判断に脚本家が従ったのだろう、。オリキャラの意味づけと動かし方についても抜群で、 ましらの石みたいな?がつくのは清盛にはいなかった)。 >>243 「清盛」の保元のくだりは、軍事的活躍の源氏軍団よりも本来院側に近かった清盛の後白河へのくら替えによる政略的インパクトを強調したかった。 足利省略はやむおえんでしょう。 なるほどこの時足利が登場してれば、鎌倉以前からの武門の家として視聴者にうったえることもできたでしょうに。 権力者を憚って気が狂ったフリをしてきた歴史なのか それとも血統的にガチだったのか・・・ >>250 清盛はもともと鳥羽法皇の院の近臣にして北面の武士という経歴なのだから、 彼が保元の乱で崇徳上皇方につくという選択肢なんて最初からあり得ない気がするが。 >>248 この当時の戦の仕方ってどんな感じだったんだろうね?判官殿はガンガン刀振るって戦って寝返り御免!みたいに叫んでるけど大将も乱戦の中に突っ込むスタイルだったとか? 思い返せば義貞も西岡徳馬も最前線で刀持って戦ってたよなwアグレッシブな武将が多かったのか? 映画版クレしんの戦国時代物の城攻め描写は当時の戦法をかなり忠実に再現してるって聞いたことある。戦国時代なのに石投げてたりするのにはびっくりした。楠木軍かよって思ったw ほら長文清盛がきた......なんでわざわざ他の作品をdisらないと自分が好きな作品語れないんだろ? 素晴らしい!面白い!って思ってるもん同士スレで愉快に語ればいいのに >>254 今、武田信玄の再放送で、村上弘明さん演じる源助、つまり、高坂昌信の若い頃に、石を、投げているね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる