【第二十八回】太平記 part.28『公家か武家か』 [無断転載禁止]©2ch.net
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二十八回 【開戦前夜】
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki28.html
前スレ
【第二十七回】太平記 part.27『公家か武家か』
http://nhk.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1463725409/ 義満期やるにしても義満主役はやらない気がするなー
女主役探してるみたいだし渋川幸子さんとかそういう斜め上な感じで来そうw >>157
世阿弥が出たので補足説明
日本文化の源流、北山文化東山文化のクリエイター集団(三河武士)
大草氏、足利将軍家料理人
大草流庖丁道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%8D%89%E6%B5%81%E5%BA%96%E4%B8%81%E9%81%93 ;
大草氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/okusa_k.html ;
>家伝によれば、三郎左衛門尉公経が足利尊氏に仕えたとあり、公経をもって始祖にしている。
> 三河国額田郡大草(三河県幸田町)を領して、大草を家号にしたと伝える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%8D%89%E6%B5%81%E5%BA%96%E4%B8%81%E9%81%93
大草衆
大草衆とは、大草氏の惣領を中心に時衆の阿弥号(観阿弥、世阿弥も時衆)を持つ者(同朋衆)を取り込み形成された一種の職能集団で強い仲間意識で連帯していた。
阿弥号を持つ者は、主として身分が低い者が身分制度から抜け出て南北朝や応仁の乱の乱世で、己の才で主に芸術面で活躍することができた。
大草衆は庖刀式などの儀式のみならず、書式、書札式、礼式、数式、絵図式、礼法、兵法、歳時記 十節句、年中行事、臨時儀礼(冠婚葬祭等)、音声などを自らの職能とし室町幕府を文化面で支えた。
大草流は武家諸礼式の流派小笠原流や伊勢流と、ならぶ故実の伝承者であり、群書類従で有名な大草家料理書、大草殿より相伝の聞書などは、大草流の伝え事のほんの一部でしかないのである。 足利義満は松平を絡めるのが良し
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表
【1351年】高師泰・高師直他高一族8人が、摂津国武庫川で殺害される
【1351年】仁木義長(兄の仁木頼章は幕府執事(管領の前身))が、三河守護(前任は高師兼(高師直の猶子)になる
【1357年頃】明阿(父:高師泰、夫:高師冬(高師直の養子))が、三河国額田郡菅生郷(三河県岡崎市)に、一族を菩提する総持寺を創建する、住持は兄・高師世の娘
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【1358年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
【1360年】大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
【1367年】足助重宗(足助重範の孫)の子・重政(寛立上人) が、松平郷主・在原信重の支援を得て、三河国加茂郡松平郷に寂静寺(高月院の前身)を開創する
【1368年】管領・細川頼之を烏帽子親として元服する
【1368年か?】三河国額田郡片寄郷(三河県岡崎市)に、天恩寺を創建する、足利尊氏遺言の寺、開創は永源寺2世弥天永釈、4代目将軍足利義持の祈願所
【1369年】三河国宝飯郡御馬郷(三河県豊川市)に御馬城築城を、管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
【1370年】三河国設楽郡(三河県新城市)に甘泉寺創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進する
【1379年】管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
【1379年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
【1379年】一色範光(侍所頭人、若狭守護、、尾張国知多郡・海東郡の分郡守護)を三河守護に任ずる
【1380年代】管領・斯波義将が、斯波氏先祖代々の墓所がある三河国碧海郡(三河県岡崎市)に、永源寺の創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願
【1380年代】三河国額田郡(三河県岡崎市)の滝山寺本堂(4度目)を建替える
【1382年】源信氏(細川一族か?)が義満誕生日祈祷の為、三河国額田郡片寄郷(三河県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進する
【1387年】三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)を、京極高詮に還付する 【1388年】富士山遊覧、三河国額田郡(三河県岡崎市)の矢作宿に宿泊する
【1388年】一色詮範(侍所頭人、若狭守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1390年】管領・細川頼之が、三河国額田郡細川郷(三河県岡崎市)の屋敷跡に、蓮性院を創建する
【1390年代】足助重宗(足助重範の孫)に、尾張国野間荘を還付する、当時の野間荘は、高師直領を将軍家預かりとなっていた模様
【1391年】伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所三河国額田郡山中郷(三河県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
【1392年】細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
【1394年】出家する
【1397年】三河国碧海郡(三河県岡崎市)の永源寺(創建:斯波義将)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
【1397年】三河国渥美郡(三河県田原市)を京極高詮に還付し、守護使不入の地とする
【1399年】三河国額田郡菅生郷(三河県岡崎市)の乙川六名堤造営を、管領・畠山基国にを命ずる、下和田郷が水不足に陥り、領主・京極高詮から苦情が入る
【1399年】三河国額田郡比志賀(三河県岡崎市)の深恩院に、高一族の比志賀郷の旧領を寄進する
【1404年】松平和泉守源信光が誕生する
【1406年】一色満範(義満偏諱、侍所頭人、若狭守護、丹後守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1408年】死去する >>697
蜷川氏
元は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏
蜷川氏は、越中国新川郡蜷川郷から発祥した。すなわち宮道式俊・親直父子は、治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げに参じて功があり、越中国砺波・新川の両郡を領した。
室町幕府において、政所執事を世襲した伊勢氏の家臣であり、親直から数えて3代目の蜷川親当の頃より政所代を世襲することとなった
蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っており、蜷川新右衛門といえば、テレビアニメ『一休さん』(1970年-1982年)に足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門が登場する
宮道氏
饒速日命を祖とする物部守屋の後裔(物部氏より分かれる)と称する。ほかに日本武尊系宮道氏
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷(現在の三河県豊川市)と推定される。
宮道天神社(三河県豊川市)
源頼朝は上洛の折、安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納 >>698
男・女 の法則そろそろやめて欲しい。おにぎり女で懲りろよNHK >>695
なんだかいいアイデアだね。そのくらい盛れば一年持ちそう、二引両足利六代みたいな。
家盛だよね? 盛らなくとも
義満だけでも充分
見応え満載だぞ
原作は獅子の座か・・・ >>693-694
常盤貴子
>>705
義満だけで十分というのに同意。
1年間の放送日程の大体の配分としては、
3月頃に康暦の政変、6月頃に南北朝合一、9月頃に応永の乱、といったところかな。 三河屋の松平創作は高等教育すら受けてないなwww
こいつキッズか 仲間由紀恵は葵徳川三代の最後の最後のシーンで
家光の側室として登場している >>706
義満死後の義持のふるまい、例えば政策路線の変更や異母弟義嗣との粛清、北山第の破却などがまた面白いのになぁ。 >>709
それはやるなら別の大河にするべきだろうよ。
義満の一代記だけで一年間持たせられるネタが十二分にあるのに、
義満大河でわざわざ義満死後の話題まで大量に詰め込む必要はない。 まぁ「続太平記」としてなら、義満の死で完が落としどころかな。 >>710
だな
義満以外を盛るとか死後までとか幼少期から最期までの
義満の波乱万丈かつ、その後の日本の政治外交経済に与えた影響を知らなすぎ
おまけに老若男女問わず色恋大好きだし
明や朝廷や鎌倉公方との抗争も面白い 義満なんてやったら義持以降やるのは何十年後になることやら
どっちも見たい派としては三宝院満済なんていいと思うけどね
義持どころか義教まで見れてしまう 満済が本領を発揮するのは、主に義持期〜義教期だな。
義満存命の頃の満済は、まだそこまで幕政における存在感は大きくない。 でも義満の話に歴史好きではない視聴者がついてこれなくて、クソミソに言われるオチが見える 今の真田丸でもついてこれないやつらたくさんいるからな
そんなの相手にしてたらキリがない
けど義満は金閣寺やらにゃならんしNHKには金ないよ
社員給与が高すぎてな >>719
ええっ金閣はおろか、まぼろしの北山第も観たいんだがな。
何棟も楼閣を結ぶ空中廊下があったとか。
CGなら再現できるでショ。 >>715
第六天義教サンも満済だけには頭が上がらなかったらしいしな。
くじ引き将軍選考の発案者だっけ? >>720
リアル一休だと結構暗くて重そう..... >>717
(尊氏)
義詮の「義」に、満願叶うの「満」…「義満」
(道誉)
うむ、これは良い名じゃ。天下に満ちる名じゃ。義詮殿より立派な御方になるやもしれませぬぞ?
(尊氏)
そう思うか?
(道誉)
うむ、いずれ義詮殿から義満殿へ寝返り致そうぞ…!(尊氏)
この、裏切り者…!
(道誉)
アッハッハッハッハッ…! >>725
何故?判官殿は、予言めいた事を言ったのであろうか?もしかすると、本当に、予言者なのか? 高氏でも義満でも足利氏は歪んだ逆賊史観がまだまだ多少はあるからな。
NHKが金がないからやらないのではないわ。
精霊の守り人みたいなカス作品にもべら棒な制作費をつぎ込んでいるしな。
金は沢山ある。 清盛でエライ目にあったから、戦国以前ってビビってやらん気がする。
ずーっと戦国幕末戦国幕末の繰り返し飽きたわ。 >>720
一休が主人公じゃ義満は序盤に晩年がちょっと出てくるだけになっちゃうよ!
しかも一休だと、終盤は応仁の乱より後になるから扱う期間も長いし、制作は大変だね。
一般に大河って、長命な人物が主人公の作品ほど、登場人物の数も膨大になるし・・・。
>>722
確かに籤引きでの新将軍選出は、満済の発案らしいね。
ただ実際の籤には細工がしてあって、義教が選ばれることは最初から決まっていたとか。
そしてその籤の細工も、満済が畠山満家や山名時煕と一緒に仕組んだとか。 >>730
それより「花の乱」が視聴率的に振るわなかったことがNHKが室町時代に及び腰な理由では?
「太平記」は実質的には鎌倉末期〜建武政権期の話がメインで、
厳密な意味での室町時代(室町幕府創設以降)が描かれたのは、ドラマ終盤の4分の1くらい。
そして「太平記」も終盤は視聴率的に振るわなかったらしいし。 まぁ、後半は、鬱な展開になる事が多いから
敬遠した人もあるようだね。 >>732
そうだったんだぁ、ガチだと思ってたよ。
ヤラセで将軍になった義教サンが、王権新受型専制君主になっちゃって、チョットあわれ。 >>733
時代を輪切りにしたその理屈なら
戦国でも幕末でもカス作品はゴマンとある よし、じゃあ湊川で征夷大将軍になって最終回ってことで2019年に太平記やろう
竹中秀吉も小田原くらいで終わったしヘーキヘーキ >>736
というか、あのとき将軍候補になった義持の弟4人のうち、
義教(青蓮院義円)だけが義持と同母だった。
当時の兄弟間の序列は生母の身分でかなりの部分決まっているわけで、あの段階では、
義持の存命の弟のなかで、義教が最も序列が上であることは、普通に考えても明らかだった。
それをあえて石清水の神前で管領が籤を引いて、石清水の神慮とするパフォーマンスをやった。 >>739
尊氏主人公で観応の擾乱を描かずに終わるなんてあり得ん・・・。 おれが小学生のときに愛読していた漫画日本の歴史では天龍寺建てた次が義満&頼之のシーンで観応飛んでたから
あとから知ってかなりショックだったなあ
あの師直と直義そんな死に方すんの!?って 足利義満の歴史小説で名作ってあるの?。
やるとしたら原作から書き起こさないと無理だよね。 >>743
カゴ直利サンのは尊氏VS直義やってたなぁ。
観応の擾乱という用語は使ってなかったと思うが。
直義が負け続けて、鎧が矢だらけの状態で降伏したシーンがあったと記憶。
毒殺もなかったと思う。 >>743
小学館のは、観応の擾乱を一応描いていたかな。
九州で直冬が暴れまわっていたことにも言及があった。 足利義満を書いた小説って
平岩弓枝さんの「獅子の座」くらいしか聞かないな 別に原作を小説に拘る必要もないだろう。
『武士の家計簿』みたいに、研究者が一般向けに書いたような本とかを原作にしたっていい。 義満大河でやって欲しいね
もしやるなら陣内判官殿が幼き義満に祖父尊氏との思い出を語るシーンとか入れてほしい >>749
義詮が病床で春王や細川頼之に遺言を伝える時も枕元にいて、
判官「貴方様までこの道誉をおいて先立たれますかぁ〜」
義詮「これで春王に寝返りできますな」
とかセリフはかせてほしい。 判官って義詮の臨終のとき京都にいたの?
基氏死後の鎌倉府再建のために関東に下っていなかったっけ? そこで面倒がっていては、義満大河なんて永遠に実現しないぞw どっちみち数字取れなくて無理でしょ........ 20世紀と21世紀じゃ大河はもとよりNHKに対する国民意識が違うからねえ 登場人物の居場所に関してはドラマの都合上、厳密な史実と比較して「?」な場所にいることも多い >>732
畠山満家は字がまともに読めなかったんじゃなかった?
だからそんな小細工できたわけないって聞いたけど 義満は香川照之
一休は広瀬すず
演出・脚本は庵野秀明
なら視聴率アップでしょ もう観阿弥・世阿弥の2代記でいいじゃん
キャストは現役の能役者を起用したらいいじゃん >>759
賛成ッ〜〜‼︎ >>757
管領までやってるヒトが文盲なのかなぁ〜。
祐筆がいるだろうが、コトが露見したらマズイもんなぁ。
そこで黒衣の宰相サンかぁ。 とりあえず、例の籤を引いたのは畠山満家であるということ、
そしてその籤が公正な籤だったとはとても思えないということ、
確実にいえるのはこれだけということだな。 >>711
大河ドラマを、前半と後半に分けて、前半の主役を、佐々木道誉(陣内孝則)、後半の主役を、足利義満(高嶋政伸)とすれば、続太平記となる。 >>758
義満大河で広瀬すずを出すなら日野康子だろう。
ついでにその場合、日野業子は広瀬アリスでいいよ。 >>764
道誉はまだいけるが高嶋弟はもう無理やw
老獪な役しかな この時代はそれぞれの人物ファンがいるから、バランスよく登場させるのがいいな。
◯細川頼之
◯今川貞世
◯斯波義将
◯懐良・菊池
◯大内義弘
◯楠木正儀
◯観阿弥・世阿弥
◯一休 情報収集衛星使用の全国警察本部公安電波部の電磁波による性器拷問
全国女性被害者の告発(元たんぽぽの会)
昼、夜を問わず毎日、毎晩のように睡眠がとれないほどの長時間にわたる、
女性器、クリトリス、肛門、乳房、乳首などを主に女性の体全体を電磁波で
イヤラシクいじくり回し、イヤラシイ脳内音声送信を続ける警察電波部の
担当者3名は、3日に一度の24時間勤務で責任者は指導官である。警察電波部
による性犯罪、性器拷問は、女性の精神的弱点をつき、徹底的に恥ずかしくて
人に言えない程の、いやらしい事をやり、いやらしい脳内音声送信をしながら、
警察官勃起システムがマニュアルである。肛門、性器に電磁波棒を挿入し、振動、
上下左右のうねり、出し入れするピストン運動はレイプまがいの性犯罪であり、
いく寸前の寸止めによる繰り返しの性器拷問は、睡眠不可能となり、体調不良の
原因となる。性器拷問は、濡れ膨らんだ性器を、モニターに大きく写しての長時間
にわたる、ひだのめくり、いじくり、内部盗撮、内部刺激、膣の締め付けなどを強制
される。クリトリス拷問は、根本絞り出し、直立不動の限界勃起状態にした動けない
充血したクリトリスを、徹底的にいじめ、いじくり、はれ上がり痛くなるまでの強制
拷問によるオナニーの強制などの精神的屈辱、睡眠妨害は日常生活、仕事にも支障を
及ぼすのは当然である。電波部担当者も長時間の性器勃起は、さすがに辛く我慢汁の
垂れ流しで、パンツ、ズボンまで濡れるのを防ぐため、トイレでの精子排出による悪臭が、
警察本部の噂にまでなっているらしいが警察のやる事では無い。警察電波部担当警察官
による性器拷問や性犯罪は、責任者である指導官、警察本部本部長の責任であり、警察は
スケベだとの世間の女性の噂となっている。
http://denjiha.main.jp/higai/archives/category/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E >>766
もうそういう「誰やねん大河」はウンザリなんだよ! >>767
まぁ、年齢は、陣内孝則さんが、遥かに年上なんだけれど、若く見えるからって事ですか? >>771
このスレの大半は暇なジィさんだから知らないんだろうな 大河ドラマ「勘合貿易」
架空の貿易船の船長の物語
義満の命を受けて明との交易に奔走する
最終回、義満死後に倭寇となる >>774
じゃあ義満大河のヒロイン日野康子は、有村架純でいいよ。
有村架純なら、朝ドラに准主役級での出演経験あり(しかも来年は朝ドラの主役)だし、
頭の固いジジババ対策としてもよいのでは?
ついでに日野康子が有村架純だと、日野業子は新井ゆうこでどうかな?
まあ新井ゆうこの演技力は未知数だが、有村架純としても、
姉がいつまでも売れないグラドルじゃ体面が悪いだろうし、
朝ドラ女優のアフターケアの意味も兼ねて姉妹共演でw
代わりに広瀬姉妹は、安芸法眼の娘で姉妹で義満の側室になった藤原慶子・量子にする。
慶子は義持・義教の生母でもあるし、ちょうどよいだろう。 なんかドラマ「太平記」後の話ばかりだな
個人的にはあえて遡って元寇後の日本が見たい >>776
女大河に無理にしなくていい。今の女脚本家に書かせて朝ドラ風大河にされたら太平記の思い出が汚れる。 >>775
違う違う。足利義満の諸国漫遊記。南北朝合一を成し遂げ、太平の世になった日本を、歩いて、悪人達を退治して行く物語にすればいい。
傍らには、一休さんと蜷川新右衛門さんを連れて >>778
454 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 17:41:36.01 ID:iVyHt6hC
「太平記」
何不自由なく蝶よ花よと育てられた北条の超名門のセレブ姫登子。
幼い頃から産声や笑顔で北条のピンチを救う特別な姫。
最後の執権の兄守時の知恵袋であり、北条高時や金沢、長崎親子も参加する評定を普通に立ち聞き。
「北条やばいなら、私が足利に嫁いでやってもいいよ」と、足利に嫁ぐ。
尊氏はもちろんイケメンでセレブ登子にぞっこん。政略結婚でもイケメン夫と対面するなり恋愛結婚だと思い込む登子。
結婚後も登子と仲の良い守時に尊氏は激しく嫉妬し、鎌倉幕府に反旗を翻す。
尊氏は単騎で鎌倉まで向かい登子と千寿王を自ら救出し、新田に託すと鬼神のような速さで京の六波羅を殲滅させる。
登子は鎌倉攻めの新田に「戦いは嫌にござりまする(キリッ」
兄守時死亡。イケメン尊氏の戦いはいい戦。新田の戦いは悪い戦。新田を兄の仇・貧乏御家人と罵る。
登子の歓心を得たい尊氏は将軍になりたいが、任じてくれない御醍醐に不満。
中先代の乱では登子を守るために尊氏は天皇の許可を得ず鎌倉に駆けつけ、
乱を鎮めても登子がいる鎌倉の方が居心地がいいと京に帰らない。
尊氏が弱気になると、守時の亡霊が尊氏を叱咤し、嫉妬心を煽るので、尊氏は登子のために奮起。
南北朝も登子が寝屋で「御醍醐天皇じゃなければ、将軍になれるよ」と囁いたことがきっかけ。
直義はずっと兄嫁に懸想してるので、次第に尊氏と対立。高師直もセレブ登子に懸想してる。
登子をめぐる愛憎劇の果てに観応の擾乱が起こる。
これ以上の「戦いは嫌にござりまする」と尊氏に幕府のために弟直義を殺すように知恵を授ける。
直冬は尊氏が泥酔して前後不覚に陥った際に登子と間違えた白拍子との間にデキた薄汚い可哀想な子。(演:マエケン)
尊氏に背く北条の残党は最後の執権・守時の亡霊が鎮めるのがデフォ。
尊氏死後は義詮を補佐し、義満の養育に深く関与し、室町幕府の黄金期の礎となる。 シエや花もゆって太平記に移し変えるとこんな感じなんだな・・(;・`д・´) >>782
ハイ!わかりました。今、改めて思う事だが、当時の日本は、街道もあまり整備されていなくて、あれだけの距離を、馬と足軽が行ききしていたのは、驚く限りです。特に、北畠顕家の
奥州から京の進軍は、驚く限りです。 北畠の行軍の実態は略奪ツアー。
配下の武士に、手当たり次第に略奪していいよとインセンティブをあらう 現地調達オンリー主義で兵站考えずに済むなら行軍スピードも速まるってもんやね
とはいえそれでも顕家の行軍は速すぎではあるけど >>787
そもそもこの時代に兵站思想があったのかどうか。
補給をおろそかにする軍団は最終的に負けるよな。 >>788
顕家は、最後の戦いで、兵を2つに分けて、負けたようなものだが、兵站は、きちんとしていたのだろうか? この時代の大軍勢は基本的に各地からやってきた武士たちの寄せ集め。
食糧や必要物資もそれぞれの武士が自前で持ってくるのが前提だから、
大将が軍全体の兵站なんて考えてはいないでしょう。
で、遠征が長期におよんだ場合は、当然現地調達になるから刈田狼藉は当たり前。 織田信長が、兵農分離をするまでは、鎌倉時代末期から南北朝、応仁の乱以降まで、そうらしいね。 顕家がマッハの行軍してたら行く先々で軍勢が集まった感じか 千早城を兵糧攻めにしようとした幕府軍を構成していた貧乏御家人達は自分達も兵糧攻め状態になって苦しんでたな 北畠軍団の略奪ぶりは有名だが、尊氏はどうだったのかな?
京都〜九州〜京都とかなりの距離を移動してるが。 >>796
基本は瀬戸内海を海路で進んでいるから、大規模な略奪はしたくてもできない。
途中で水軍の船を襲うくらいはやったかも知れないが。 >>787
だな
それに京都〜九州の敗走は北畠軍に比較したら少数だし、
九州〜京都の上京では兵農も賛同する武門などによて確保されていたし、
鎌倉攻めの新田軍の略奪に比較して足利家の規律はしっかりしていたのではないかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています