第一回目の入京戦の時、コテンパンに袋だたきにあった後、西に向かったのはなぜかな?
赤松の手引きがあったにしろ、彼はもともと尊氏とはソリが合わなかった大塔宮派だったし、よく信じる気になったな。
まぁこの大味おおざっぱさが英雄たる気質なんだろうが。
安全策ともいえる東国に逃げ帰り割拠してたらどうなったかな。
治承・寿永の乱のようになったかもしれないな。