【第二十八回】太平記 part.28『公家か武家か』 [無断転載禁止]©2ch.net
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二十八回 【開戦前夜】
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前スレ
【第二十七回】太平記 part.27『公家か武家か』
http://nhk.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1463725409/ >>843
金沢文庫とそれをつくった実時には言及があっても、貞顕個人への言及はほぼないと思う。
守時に関しては、最後の執権として、申し訳程度に名前だけは載っている教科書もある。
道誉は、バサラ大名の代表例として師直や頼遠と一緒に言及されたり、
三管領四職の説明のところで京極氏の実質的な祖として言及されたりしていることもある。
ただ「三木一草」の語は、この用語自体に言及している教科書はないと思う。
詳しい参考書ならわからないが。
あとこの大河に出てくる大物のなかで、教科書での言及がまずない意外な人物は、阿野廉子かな。 >>848
吹き替えねw
真田広之にスタントマンは使えなかった。何故ならどんなスタントマンより剣殺陣もスタントも豪快で華があり上手かったから。
スケジュール都合で影の軍団で覆面忍者でスタントマン入れてたけどバレバレだった。
50越えてもまだ「ヒロがスタントするぞ」というと他のスタジオのスタントマンが見学にくるほどのレジェンド。 雷電に豪快に引き回される見事さよwww
あんなのプロスタントマン顔負け >>854
高氏が捕らえられて放免の嘆願に来たときに円喜に対して強気の無言帰宅で唯一反抗心見せたとことか特にかっこよかったです(小学生並みの感想) 北条衰退で金沢文庫が廃れた後に、
上杉が援助して下野・足利学校に寄贈したんだよな。
今はその古文書の数々が国宝や重要文化財になっている。
遡れば、上杉の血を入れた足利頼氏〜貞氏のお蔭でもある。 高氏が無罪放免されたとの報せを受けた貞氏の安堵の表情が…。その後の大の字ジャンプ?が記憶に残ってます。
もちろん、無罪放免に一役かった判官殿の証言には…もう笑うしかないですなぁ。(^ω^) 何にせよ陣内は良い役貰ったよねえ。バサラで友思いでゲスでカッコよかったわ。判官殿は >>857
あったなあw
ノリがあそこだけ朝ドラのそれよw 貞氏は史実にあまり残って無いから、あの貞氏が生き生きしてたよね。
高氏、直義の父として、非力ながら源氏の棟梁として凄く魅力あった。 鎌倉期の足利氏の歴代当主のなかでは、発給文書の残存数は貞氏が一番多いらしいよ。 この物語上の役柄でいうと、吉良の爺さんがもっと長く生きてたら
観応の擾乱は怒らないような気がする >>857
「この判官が出会った足利尊氏はもっと大男でゴザッタァ〜」ってヤツが。 西園寺に虐められる高氏なんていうのも意外
六波羅探題の威を借りてるだけだろあんなの 足利宗家の中ではなんだかんだ言っても貞氏の時期が安定していたんでは?
北条に虐められてもそれなりの地位も守って耐え忍び割と平和に長生きもしたし
家時以前は夭折したり戦乱の中枢にいたり突然出家したりで大変だった 人となりが分かるような史料が無かったと思う(貞氏)
書簡とかは残ってるけど私的なのって無いんじゃ無いっけ?
派手な息子らに比べると逸話が無い分演出で魅力的な人物に出来たと思う。 >>866
三河は調べたか?
1301年に三河で出家したらしいが、讃岐守願文というのがある >>859>>863
ニコニコ動画で判官殿の証言が投稿されています。
「佐々木佐渡判官高氏登場」判官殿の証言にコメントが…集中してますね…ハハハ…(*^□^*) >>864
あれは西園寺家の別荘であった北山が、後に義満によって半ば強制的に奪われる伏線かもなw >>865
貞氏の発給文書の残存数が多いのは、足利の当主であった期間が長いから、というのも大きい。
父親が死んでから自らの臨終まで47年もあるわけで、
そのうち、元服前の時期や、高義に家督を譲っていた時期、病床にあった最晩年を除いても、
自ら文書を出していた期間は通算40年にはなるはず。
鎌倉期の足利宗家で、当主であった期間の長さで貞氏に匹敵するのは、他には義氏くらいかな。 達筆な貞氏もヘタれた書家の父親の家時も豪放書家の息子の尊氏も狂人説があり
義氏の父親の義兼も息子の泰氏も突然出家
足利家って面白い 普通の文書のウネウネ文字だと知識のない自分には上手い下手がよくわからんが
写経の楷書とかだと個性がわかりやすくて見てて楽しいね
宝積経要品は初見でも誰がどれを書いたか一目でわかるww本当字は人を表しますなあ >>873
足利宗家の発狂気質は、室町期の子孫にもしっかり受け継がれているよ。
義教とかがその代表だろうが。 >>877
太平記では温厚だけど史実では「こいつ躁鬱じゃね?」ってとこ多いよw 中先代の乱の後、突然出家したりとか、尊氏も十分にブッ飛んだ頭をしていると思うぞw >>879
あれは理由があるべさ。後醍醐天皇に朝敵とされるのを避けようと自分が身を引こうとした。
史実では出家するする詐欺や死ぬ死ぬ詐欺やりまくっるし、自分の領地ゴリゴリ削って恩賞ぽんぽんやったりずーっと変な人だってw 何デタラメ言ってんだ?
矢作川の戦いの戦況を聞いて、出家すると言い出したんだから、負けるとは思いもしなかった三河で負けたのがショックだったからだろ
矢作川の戦いをノリノリで臨んで何が朝敵だ、馬鹿かお前は >>881
ちゃんとみたんか?台詞でもあるぞ?セル見直せや。勝ち負け云々で髪落としたんちゃうぞ?太平記では >>883
ココは大河の太平記スレだろ。大河の太平記が全てでしょーにwホンがそうなってるんだからそれでいい。
間違ってる!!!とか言うのは大河ドラマ観るのむいてねーよw >>881と>>883は明らかに同一人物に見えるのだが、何でID違うんだろ? >>885
スマホじゃポコポコID変わる、或いは泣きながらPCやスマホ繋ぎ直してんじゃねーの? >>880
なんか尊氏って直義の所領を自分の名前で人にあげちゃったりしたこともあったらしいとこの間知ってクソワロタ
さすがに事前に相談はしてるんだろうがそれでいいのか直義 まあ鎌倉期の発想なら、一門の所領の最終的な処分権は惣領に帰属するって考えも、ないというわけじゃないが・・・。 IDかえてる時点で負け認めてるんだからもうほっとこうや >>889
鎌倉初期は息子娘均等相続だっけ?
時代を経るコトに所領が零細化し、さらに貨幣経済の発達でやりくりに困った御家人が土地を手放す例が多かったみたいだな。
貞時が徳政令も一時しのぎだし、結果一族一門の長が全ての所領を支配する惣領制へと移行したんだったか。
鎌倉末期はもうそうだったのかな。 師直が尊氏の屋敷を囲んだことは大事件だと思うけど一般的には知られてないよな すまん
南朝はどうなったですか
ごだいご天皇陵にお参り行きたいです >>890
変えるのが負けではなく、いちいち必死に調べる奴が負けなんだよw
たかがIDでレス付きすぎだろう >>893
結局北朝にまとまった(京に居るしね)。後醍醐天皇の陵は奈良の吉野の如意輪寺内に塔尾陵があるよ。
京に尊氏が建立した天龍寺とかもあるけど、京への思いがこもった塔尾陵は普通は南に向けるとこを京のある北に向いてて切なさがある。
失敗してボロクソに言われても「何かを変えよう」
という改革への志を思うと切ないね。 >>895
自分も付けてんじゃん......スルーっしょjk >>894
自分も福原のソープ行く前に、必ず湊川神社に参りますw
産経新聞の「楠木正成考」での集会あったの、参加したかったな。 >>891
鎌倉期の分割相続は、形の上では兄弟姉妹に名義を分けて土地を相続するけど、
一方で土地は本来的には一族全体の共有物というような意識も根強くあるから、
庶流の者が相続している土地についても、最終的な処分権は惣領にあるって考えが一般的だよ。
そしてこの土地は本来的には一族全体の共有物という意識が根強いからこそ、
特に女性が相続した土地については、その土地が一族の手から離れてしまうことを防ぐため、
「一期分」という制約が掛けられることも多かったわけで。 >>896
ついこないだ後醍醐天皇陵に行きたくて、吉野山の中心部(金峯山寺周辺)から如意輪寺まで、
徒歩で往復してきたけど、なかなかの山道だったよw
途中で蛇とか出てきて結構焦ったし、蒸し暑い日だったので、かなり汗だくになった。
しかも帰りに喉が乾いたので、如意輪寺境内の自販機で飲み物を買おうとしたら、
見事に全部売り切れだったし・・・。 >>892
太平記みるまで知らなかったな。
若き義満が、斯波義将に管領罷免で恐喝されたのは知ってたけどね。 師直最初見たときは真面目で寡黙ながらこつこつひた向きにこなす仕事一筋人間かと思ったら後半公家嬢レイプしたり酒癖悪かったりいやらしい顔つきしたりとイメージ真逆になったなあ >>892
ドラマでは師直の妻が尊氏・足利家を倒せとそそのかすけど
実際はどうだったのかな?
師直兄弟が足利家を滅亡させたら戦国の明智みたいな3日天下になっていたのかな? 妻というか、あれは元々師直に盗み出された二条の君だな。 >>902
京に来てからは判官殿と同じバサラ武将になりました 師直っておれのなかで勝手にガタイいいイメージだったから
えもっちゃんだとちょっと違うんだよなあ
このドラマではいいキャラしてるとは思ったけど >>904
悪妻は側室の二条の君じゃなく正室の方じゃなかったけ? 師直の正妻って出てきた?
尊氏暗殺唆して扇子でぶん殴られたのは二条の君だよね 師直の正室は出てきた記憶がないな。
師直に尊氏殺害をけしかけようとしたのは、森口瑶子が演じていた二条の君のはず。
二条の君は二条道平の妹で、師直に盗み出されて、師夏を産んだ人物。
師夏の生年が暦応2年(1339年)だから、盗み出されたのは恐らくその前年。
なお観応の擾乱当時だと、二条家は家が分裂状態で、道平の嫡子良基が北朝方である一方、
良基誕生前に道平の猶子となっていた師基(実は道平の弟、二条の君の兄)は南朝方にあり、
ドラマでも二条の君が南朝と内通していて、師直をいろいろ煽っている設定になっていた。 正妻(?)が出てきたのは足利貞氏、尊氏、直義、新田、楠木正成くらいだよ。
判官殿の妻子も見たかったw 師直兄弟はおとっつぁんは官僚タイプの真面目そうな人だったのに
なんであんなのが生れたのか・・・
確か共演はしてないよね?
役者の年齢的に親子に見える感じじゃなかったし 直冬をくれって言ったシーンや直義が寝込んでるシーンに居たよ 新田嫁は勾当内侍との比較対象として出ただけだったなw 直義は最後は兄上を殺してやろうとまで思ってたんかな 大河板のなかで真田丸関連、武田信玄スレに次いで三番手の勢いになった太平記スレにあっぱれぇっ!! >>917
それは絶対にあり得ないと思うなあ
義詮には嫌われちゃったし基氏くんと静かに暮らしたいくらいに考えてたんじゃね? 結局師直は天国にいけたのか地獄に落ちたのかはっきりしろ!! 師直が女の人をレイープするシーンがあったのは
何話ですか >>913
尊氏が直義邸に来た時にあいさつしに来たな。体が悪いとかですぐ引っ込んだけど >>923
イシとかいう勝手にフェードアウトしたよくわからない役
史実にいたのか死んだのかすらわからない 塩冶判官の妻への恋文を判官から直々に断られて周りから失笑される師直ワロタ >>928
原作にも居ない大河オリキャラ。自分だって戦でバンバン人殺してたのに武士disするばっかりでよーわからんやつだったね。
disるわりに恩賞目当てでさもしい事してたし、ブレブレのキャラだった。 >>926
直接攫って襲ったのは二条の君だけじゃね? >二条の君
こんなの本当に存在したのか謎
腐っても摂家当主の妹が師直なんかの愛人になるのか? こんな懐かしい板あるの嬉しい。
大好きな大河だった。
みんなちゃんと調べてる人多くて尊敬する。
自分は大学んとき平家物語やってたから、そっちの知識は多少あるけど、南北朝は教科書程度です。
今、古典「とわずがたり」読んで、後深草と亀山兄弟までさかのぼって確執調べてます。
弟ばかり溺愛されて仲の悪い兄弟までやったんやね。
これがのちの南北朝へ >>934
バカばっかりだよ
今年になってもうすぐ4スレ目
ドラマと関係ない話ばかりしてる >>934
皇統分裂のきっかけになったのは後嵯峨の亀山びいきだけど、これが南北朝に発展するんだもんなぁ。
よっぽど後深草を毛嫌いしてたんだろうな。
ちなみにこの後嵯峨を強引に天皇に推挙したのは名執権泰時サンだ。 でもこのスレ面白いけどな。変なキャラに人気があって自分も実は好きだったりして 934だが今になってやっと私本太平記読み出した。遅すぎ。
やっぱり小説の中でも高時おかしな人だね。
脳内で勝手に鶴太郎に変換されてしまう。
放送当時、日本史のおじいちゃん先生が、鶴太郎の高時を絶賛してた。あんなアホな高時はすばらしい!って。 佐々木判官「悟舎弟殿はぁいまいち好かんン!」
高氏「判官殿も直義に好かれてるとは思えなんだ」
佐々木判官「…………フッハッハッ!!これはしたり!…したり!!」 >>942
間違ってたらすまん。
祖父は元寇のときの追っ払った人かい?
親父は聞いたことないなあ。名君だったの? 具体的にどんな? >>944
サンクス。
余裕できたら、上の方に出てきてる資料?史料?なんかも見てみるわ。 >>933
二条の君が実在しなかったら、師夏の母親は誰なんだ?
>>936
皇位継承候補が、土御門の皇子か順徳の皇子かの二者択一なら、
当時の幕府が後嵯峨を選ぶのは仕方ない。
>>945
名君かどうかは分からんが、鎌倉幕府の歴代の得宗のなかで、
最も大きな権力を手にした人物だろう。 祖父…北条時宗(鎌倉幕府8代執権)おっしゃる通り、元寇の襲来を追い払った人
父…北条貞時(鎌倉幕府9代執権)得宗専制体制を確立させた人 えー?
その血統でアホが生まれるんですか?
病弱なだけじゃなく、なんかの発達障害でもあったのかねぇ。 讃岐守御願文を調べた
詳細を知りたい奴は手を上げなさい レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。