【第二十八回】太平記 part.29『大塔宮逮捕』 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
あと「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」、「オ」と「ヲ」の発音区別は平安後期〜鎌倉期には、
消滅したと見られているが、発音区別消滅後の発音は、
それぞれ「イ」「イェ」「ウォ」に統合されたという。
そしてこの発音は幕末に近い時期まで続いた。
そのため伝統芸能の台詞回しなんかでは、近代になっても、
「アイウエオ」を「アイウイェウォ」と発音する傾向があったといわれるし、
日本の通貨「円」のローマ字表記が“yen”であるのも、それが一因。 こーいう勉強になる話は好き。コピペ馬鹿も見習えよ
>>851さん面白かった。ありがとう。 >>843
>>845
せめて戦国明智くらいの策略があれば1日くらいは持ったか?、
何せ源氏足利ブランドと代々足利家に仕えた高氏と言う障壁があるな。
上杉や畠山や夢窓疎石を人の良い尊氏を利用して事前に懐柔できたら面白かったかもしれないが無理め。
足利兄弟喧嘩に嫌気が刺した一門がいたのかは分からん。 そんくらいじゃ弱えよ。棟梁ぶっ殺した執事ってだけでだれの信用も得られない。
戦国時代じゃないんだから力と付け焼き刃の信頼度なんて当てにならんて 高橋直樹の小説「異形武夫」の中でも
師泰が、尊氏も一緒に殺してしまって義詮を傀儡にしよう
と言い出して師直にたしなめられるシーンがあった。
小説はドラマより何年も後の作品だが、作者は大河ドラマのシーンを
意識して書いてたかも、と思ってしまう。 >>854
「太平記」の時代の発音では、“ふぃの・としもと”だな。 >>855>>856
さらにいえば、明智光秀は信長に仕えてから本能寺の変まで十数年程度で、
実力者ではあっても織田氏の譜代の家臣ではない。
一方、高師直は先祖代々足利宗家に仕えてきた立場だから、
万が一裏切った場合の世間的な非難は、光秀の比じゃないと思われる。 武士が幕府を滅ぼして
鎌倉幕府という秩序、モラル、価値基準を自ら破壊してるから
足利宗家が滅んだら
史実以上に秩序が無くなると思うな
(高氏の威勢だけじゃ治まらないような) 別のどこかの(河内)源氏の名門を担ぐだけさ。将軍は所詮神輿よ >>855
夢窓疎石ってそんなに政治に影響力あったの?
それに足利一門で尊氏派・直義派にも使い付かない中立の一門ってあったの?
>>856
寝返りは鎌倉・南北朝の武士も戦国武士に負けづ劣らないかったのでは?
>>857
ってことは師泰の方が婆娑羅で変革者って事だったの?
>>861
義詮も滅んで傀儡はなしとしたら野望をもった河内)源氏の名門ってどこになるん? >>862
まだ鎌倉には光王もいるし直冬wもいる。河内源氏なら新田一門もいるし武田や佐竹もいるじゃん。なんなら足利一門の吉良や斯波でもいいんじゃね 河内源氏だろうが、三河の王じゃなきゃ無理でしょ
三河の王でなければ国が安定しないは歴史が証明しているだろうが
そこで讃岐守御願文ですよ
奉納先は1140年、藤原季範夫妻創建の蓮華寺
宛先は、外祖季範と源氏の女(藤原季範夫妻)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→藤原範忠→娘→足利義兼(初代源姓足利氏)
教えて欲しい奴は手を挙げなさい >>862
担ぐ神輿があっての裏切りはあっても神輿滅ぼす下剋上はもっと後でしょ。一家臣が棟梁殺して一門が付いてくるとは思えんよw >>862
>>857だけど、小説の中では師直もそういう野心が沸き起こるのを
迷いながらも自制しているような感じ。
バサラだけど改革者とかそういう感じではない。
結局尊氏を支える道を選ぼうとするが
その尊氏に見捨てられ最期を迎えることになる.
この本、今は品切れの上に文庫化もされてないのが残念。 >>852-853
ついでにいうと、「いろは歌」47文字に基づく五十音図では、
現代語で発音区別のない「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」、「オ」と「ヲ」が区別される一方、
ア行とヤ行の「イ」、アとワ行の「ウ」、ア行とヤ行の「エ」は区別されない。
このうち「イ」「ウ」については、古い時代から全く区別はなかった模様だが、
ア行とヤ行の「エ」については、実は古くは区別があった。
「いろは歌」より古い手習い歌である「あめつちの歌」には、ア行とヤ行の「エ」の区別がある。
ただその後「いろは歌」が大きく広まってしまったため、現代の学校教育での古典の授業でも、
「いろは歌」の47文字を区別する歴史的仮名遣いを採用している。
8〜9世紀:日本語の母音数が8母音から5母音に統合
10世紀後半:ア行とヤ行の「エ」の発音区別消滅
11世紀後半:「オ」と「ヲ」の発音区別消滅
12世紀後半:「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」こ発音区別消滅 >>860
当時の武士たちには、幕府自体を滅ぼしたという意識は多分ないよ。
単に北条氏を打倒しただけ。
ドラマのなかの台詞でも、尊氏が北条氏打倒を直義・師直に打ち明ける場面で、
「北条殿を討って幕府をこの手に握り、政をたださんと思う」みたいなことを言っているし、
北条氏滅亡=幕府滅亡とは思っていなかったのが現実だろう。 でも実質北条を倒す=鎌倉幕府の終わりじゃん。分かってないは無いわー
後醍醐天皇についていこうと思ったけどやっぱりお公家さんとは無理でしたーってとこだろw >>867
なんでそんなに詳しいの?
とりあえず分かりやすく今と昔の違いが分かる例えの会話でも書いてよ >>870
舐めてると本当に学問として専門でやっとる人ももじってるよ。
コピペ基地ばっかじゃない。 >>870
とりあえず手習い歌でよければ、古い順に「あめつちの歌」「たゐにの歌」「いろは歌」がある。
「あめつちの歌」:
全48音、8文字×6行、ア行とヤ行の「え」の区別あり
「たゐにの歌」:
全47音、五七調、ア行とヤ行の「え」の区別なし
「いろは歌」:
全47音、七五調(今様形式)、ア行とヤ行の「え」の区別なし
歌詞はすべて挙げていくと長いので、自分で検索でもしてくれ。 >>869
尊氏も含めて、元弘3年に北条氏から離反した鎌倉武士にとっては、
北条氏滅亡後に後醍醐天皇が武家政権を否定して、親政を始めたことがそもそも想定外のはず。
後醍醐周辺の倒幕運動も、あくまで北条の悪政を糺すことが主眼で、
まさか武家政権全否定という思想を天皇が持っているとは、
武士たちも(さらには公家たちも)思っていなかったのが実情では? 関東は征夷大将軍の大塔宮に任せとけば親政は成功したかも?鎌倉将軍家を大塔宮が継ぐ形で でも公家一統の世という理想は知ってたじゃん。幕府云々は元から崩壊していて北条の天下だったんだから、新しい武士の在り方は想定内な気がする。 >>875
大塔宮の支持基盤は、畿内の悪党(新興武士)勢力なので、大塔宮を関東の頂点に据えると、
鎌倉御家人系の武士を支持基盤とする尊氏との抗争が激化するだけのような・・・。
>>876
ただ後醍醐の政治思想は、側近の公家でさえ、どこまで理解していたかは微妙だと思うよ。
万里小路とか、北条を倒すまでは後醍醐の手足となって動いたにもかかわらず、
その後は新政に失望して後醍醐と距離を置くようになる公家が出てくることを考えると。 関東は関係ねーつーの
尊氏が目指したのは源頼朝が信頼した三河縁者が武家社会を牛耳る体制に戻すだ
もちろん足利氏も源頼朝の三河縁者であり、鎌倉将軍家断絶後は、三河縁者の親玉
鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) そこで重要なのは讃岐守御願文ですよ
奉納先は1140年、藤原季範夫妻創建の蓮華寺
宛先は、外祖藤原の朝臣と源氏の女(藤原季範夫妻)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→藤原範忠→娘→足利義兼(初代源姓足利氏)
教えて欲しい奴は手を挙げなさい 官符・勅許・院宣・綸旨、、、
朝廷の命令は種類が多くてチンプンカンプン >>877
悪党と言う名付けが、可哀想。それから、万里小路卿を、大和田獏さんが演じていたのは、リアルタイムでは気がつかず、10年位経過して、DVDを借りて、初めて認識した。 >>880
官符・・・太政官が出す文書。
院宣・・・院によって出される宣旨。
綸旨・・・天皇の仰せを奉じて出す文書だが、本来は宣旨よりも私的なもの。
勅許・・単に天皇の許しの意。そういう名称の文書様式があるわけではない。 当時の悪党と今の悪党は言葉の意味が全然違うんじゃなかった? >>883
根本的には同じじゃん?法を破って徒党を組んで蔵襲ったり海賊行為するんだから。
ただ今の悪党よりはもっと世情寄りというか、無名な豪族が力を付けたってのも悪党って言うってだけで。 鎌倉から盃をうけた御家人以外の武装集団をいうのでは? >>884
そういう言い方をすると、佐藤進一さんとかが怒るよ。 そういえば以前に読んだ本の著者略歴には、1916年生まれって書いてあったな。
ということは、御年100歳か・・・。 >>888
御誕生日が11月25日って事だから、昨日で満100歳じゃないですか >>882
なんでそんなに詳しいの?
ありがとう
それと
任官・昇進・兼官・使部・官掌・史生・直丁も
チンプンカンプンで良く分からない >>890
勿論勉強してするのが一番だけど、目の前の箱か小箱でキーワード入れたら出てくるべやw >>890
朝廷関係の用語を詳しく知りたいなら、
例えば「官制大観」というタイトルのサイトとかを見るといいよ。 >>830
何十回も言ってますよね、しかも愛知県じゃなく三河県だし
■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層 三河武士■
【三河県岡崎市】
・足利氏:大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):奉公衆
・富永氏(足利被官):奉公衆
【浜松市】
・今川氏(足利一族):将軍御一家、九州探題、守護職(遠江、駿河、丹後、但馬、因幡) >>881
ただ当時の「悪党」の言葉は、倫理的な善悪の「悪」という意味では必ずしもないから・・・。
>>895
まあ今の世の中、優しさが一番だよ。
それに「太平記」に興味を持った者同士、仲良くしていきたいじゃない? 自民党にとっては公明以外の野党を悪党と呼びたいだろうな >>900
以外って事は公明党は悪党じゃないって言ってるんじゃ?
俺は十分悪党だと思うけどなw ああ、野党って書いてんのかw
でも与党も野党も目くそ鼻くそだからなあ 903ゲットできたら片思いのあの子に
師直風に告白する。 >>889
佐藤さんって、誕生日は11月25日なんだ。
尊氏・直義の二頭政治における主従制的支配権と統治権的支配権の話とか未だに色褪せないし、
このドラマの観応の擾乱あたりの筋書きも、
ほぼ中公から出ている佐藤さんの『南北朝の動乱』の通りだから、凄いよね。 「峠の群像」総集編見たけど、
樋口さん出てるんだな
しかも最後は死んでしまう
同じ人が9年後に花夜叉役やったと
思うと、面白いな >>907
今やってるから......?分からんw >>909
樋口可南子は『独眼竜政宗』にも淀殿役で出ていたかな。 YouTubeで新撰組!見てたら登子殿が。
江戸の町娘風だった
どうしても姫役の方が似合う気がする
お着物も
ジャニーズ主演だからあえて見なかったけ >>912
この大河『太平記』でも、花夜叉は初登場シーンから終盤までほとんど見た目が変わらない。
正成の妹で正季の姉という設定からすれば、尊氏より歳上のようにも思われるが、
終盤の再登場シーンでも、かなり若々しかったw
>>914
沢口靖子の大河出演は、過去4回かな。
五郎八姫→登子→おね→沖田みつ、の順。 >>916
その中の3つで真田広之と絡んで2つで夫婦だな。あの2人はマジよく似合ってた。お雛様みたいで。
確かギバちゃんのTBS大型時代劇でも浅井長政とお市もやってた。 真田広之と沢口靖子が夫婦役をやった大河には、いずれも勝野洋と陣内孝則が出てくる。 尊氏や直義の衣装は普通過ぎてあまりわからないけど、佐々木の衣装は派手で記憶に残るから、
「またあれ着せてる! もっと何パターンも衣装作ってくれや!」
と思う。
佐々木の衣装や甲冑姿はきらびやかで見ていて楽しい
谷崎潤一郎の「盲目物語」読んでたら、お市と三姉妹の時代、京極家が落ちぶれてた……浪人みたいになってさすらってて……
判官が泣いておるわ! >>921
あれバブル時代の大河だからなぁ
予算2億円だろ 今は6000万円らしいが 金だけの問題で無く、悪役にも言えるけどちゃんとキャラクターがしっかりしててブレ無かったのが大きい 陣内さんは、米倉涼子主演の
「交渉」にも出てたよ
太平記のDVD発売と同じ年だったから、
よく覚えてる >>924
出てるのは沢山あるよトレンディー()俳優だったもんよ。大河もどっさり出てる(悪役、嫌なキャラで)けど、判官はその中で愛されキャラなんよ。裏切り者だけどw 陣内が他に大河でやった役というと、秀次、晴賢、直家あたりか。
まだあるかな? >>916
峠の群像見れたら、ぜひ見てみてくれ
峠での樋口さん「不破さんがあの世へ来やはったら」
太平記49話の樋口さん「もう昔のことでございまする」
あまりにも声が違うから
9年経って、年とったということがよくわかる >>870
『あめつちの歌』(10世紀初頭)
あめつちほしそら
やまかはみねたに
くもきりむろこけ
ひといぬうへすゑ
ゆわさるおふせよ
えのえをなれゐて
『たゐにの歌』(10世紀末)
たゐにいて
なつむわれをそ
きみめすと
あさりおひゆく
やましろの
うちゑへるこら
もはほせよ
えふねかけぬ
『いろは歌』(11世紀半ば)
いろはにほへと
ちりぬるを
わかよたれそ
つねならむ
うゐのおくやま
けふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす 唐突に始めるのはコピペ三河屋だな。博識さんは前置きをちゃんと書いてくれる。
便乗してもすぐバレるっつーの いろは歌は47音だが、太平記の時代だと既に現代語と同じ44音になるかな。 三河屋も
自称博識www
のWikiコピペ・ジジィも
紹介サイトからほぼコピペ・ジジィも
同類
同じ穴の狢 大塔宮ゆかりの地、篠原
五條市「篠原踊り」の由来は、踊りでの?人食いオオカミ退治
http://www.enyatotto.com/nature/animal/nihonookami/nihonookami.htm
> 「昔々、篠原の付近には、特に大きな狼がいたそうで、
> この狼から受ける被害がたいへん大きく、村人たちは退治に出かけた。
> ところが、逆にこの村の長が食い殺された。
> 思案の末、氏神様に祈りを込め村中総出で踊り、狼を退治した。(大塔村史より要約)」
> この時の踊りが、篠原踊りの始まりだというわけである。 2ch管理人のバイトをしてる人たちは才能のない売れないライターたちです
人数は400人ぐらいです
2chは人がほとんどいないんです
2chの書き込みのほとんどは、2ch管理人のバイトをしてる才能のない売れないライターたちの書き込みなんです
このライターたちはおそらく、ひろゆきの部下的な立場だと思われるので、ニコニコ、週刊プレイボーイなどの周辺にいる人たちだろうと推測できる
■そして2ch管理人はハッキングとストーカーの犯罪をしてます。ハッキングは普通にしてます。自宅やネカフェへのストーカーはたまにしてます。
■2chは誰がどのスレを見てるかリアルタイムで分かるようになってます。書き込みをしなくても見てるだけで2ch管理人に、どこを見てるかリアルタイムで分かるようになってます。 おもろいゲームないかなーとスマホ検索してたら、源平なんちゃらというイケメン武将と仲良くなるゲーム見つけた
義経ならともかく、教経とか梶原景時とか、マニアックだな
知る人は知るけど、戦国ゲームや幕末しか知らん歴女wは知らんやろ
頼朝なんかちょっかいだしたら北条政子に襲撃されそうだ 源平でゲームできたんなら次は南北朝でお願いしたい
判官はとびきり派手な服の超イケメンで 源平なら平知盛がいいな
判官は自画像で完全に顔が割れてるから難しいわw >>940
以前、YouTubeでそのファミコンゲームのオープニングとおぼしき映像を見た気がする。
ただ南北朝って、戦国のようないわゆる群雄割拠状態とは少々状況が異なるし、
なかなかゲーム化は難しいだろうね。 塩冶高貞の配役って途中で変わっているけど、最初にやっていた
峰三太って役者は、峰竜太と何か関係あるの? >Wikiコピペ・ジジィ
足利尊氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%8A%E6%B0%8F
三河のみの字も無しw
何の事だか理解出来んわけだ
例えば
>生誕地は母の実家、上杉氏の本貫地である丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(現・京都府綾部市)とされる[注釈 1]。
>また、旧来は栃木県の足利荘(足利市)出生とされる事が多かったが、足利荘説は傍証資料に乏しく近年(90年代以降)では概ね否定されている。
Wiki老人は疑いもなく信じてしまうと
だが三河的にはこう考える
貞氏(但し家督は譲らず)が出家したのが1301年だとすると、上杉頼重も同時に出家し、同時期に鎌倉を離れ三河に移ったのではないか
すると、1305年に尊氏を生んだ清子は、鎌倉からの京都への通り道である三河にいた実父にサヨナラして、一人で京都に向かい生んだことになる
アホか?wそんな事ありえるかよ、清子の実家は三河の日名屋敷だろうが
常識で考えろよ、馬鹿め
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 ファミコンとかPCエンジンとか時代感じるう
20年以上前だもんなあ。
けど南北朝時代は知名度が低くて売れなさそう......日本の教育のせいだ!!! 下手にあの時代に触れるとウヨサヨ双方からフルボッコにされる危険性高いからねw 同意。
ウヨサヨに振り回されるのを嫌うマスゴミが、この時代を意図的に避けているだけだろう。
逆に教育は正直あまり関係ないよ。
というか、教科書を執筆しているような研究者の間では、
中世のなかでも南北朝は割りと人気のあるテーマだろうし、
また高校の教員なんかも、特に高偏差値の進学校の場合、大学院まで出ている人が多く、
そういう人は研究者と似たような思考を持っていることが多い。 >>948
それが一般レベルにまで降りてこないとやっぱり教育に問題は無いって言い切るのはおかしいと思う レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。