【謎の歴史観】『おんな城主 直虎』のココがまちがってる!!【歴史法廷】part1 [無断転載禁止]©2ch.net
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2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の史実検証についてのみ語り合うスレです。
ドラマの出来不出来、俳優へのエールまたは罵声または演技論、視聴率の高低の話は該当スレへ。
■公式サイト
http://www.nhk.or.jp/naotora/index.html
※前スレ
【謎の歴史観】『真田丸』のココがまちがってる!!【歴史法廷】part7
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1479651267/
「あらゆる歴史は、それが当代の証拠によって支持されない限りロマンスである。」
サミュエル・ジョンソン 「著作集」 >>206
お前は早くパン屋へ行ってこい!
馬鹿者が! なんだ丸スレで相手にされなくてこっちに来てるのかw
お前の居場所は無いよ残念ながら >>208
文句ばかり言ってないで歴史的蘊蓄を披露すればあ?
どうせそんなものあるまいがね ァ千代にしとけばよかったものを
まぁこんな女性ありきの決め方はやめて欲しいわ 女が尼でなく僧になって還俗して一生独身とかってどうなんだろう >>212
なんで独身だったんだろうな。史学的に考えられる理由はなんだろう。
僧籍にある時寺に入らなかったんだろうか。坊主たちにいやらしいイタズラされるような気がするが 直盛に祐円尼という娘がいたのは確実だけど、彼女が永禄7年から8年の間井伊家当主であった次郎法師と同一人物かどうかは確証がない
出家の動機も研究者からは疑問を持たれてるし、次郎法師という当時武家男子の幼名としてよくある名前を付けらてるのも疑問がある
井伊谷徳政の史料を読んだ人によれば、次郎法師と小野但馬は徳政反対派の井伊主水佑と徳政推進派の関口氏経の間で板挾み状態だったらしい
小野が賛成すれば、次郎法師も賛成すると思われていたみたいど、小野但馬の井伊家乗っ取りも本当なんだろうかという気がするな >>216
横レスだが、ヒストリアでは尼は還俗できないから僧として出家した、と説明してたんだよ。
俺には理解できない説明だった。 誰だよ、そんなバカな話をしたのは
秀吉の弟、小一郎秀長の奥さんは元尼さんだよ
寿桂尼と並ぶ女戦国大名として名高い、赤松洞松院尼も結婚前は尼さんだったはず
そういえば洞松院尼の旦那の幼名は次郎法師丸だったな 僧が還俗するのはそうでもないが、尼が還俗するのは異例なんじゃなかったか >>219
洞松院が黒印を押した印判状出してたって話が伝わって
寿桂尼が同じ行動をしたって説もあるしな
恐らくおんな城主()直虎の逸話もそれの劣化コピーなんだろう >>199
ああもったいない。名将立花宗茂を大河で真正面から取り上げるよいチャンスだったのに >>218
まじで理解できんなw
219氏が書いてくれているように還俗した尼はいるのにな
(里美義弘正妻の青岳尼も還俗して正室になった人)
尼は女の僧のことで還俗できないんじゃなくて還俗しない人が
多かっただけの話だし仏教の教義でみても還俗しちゃいけないなんて
ないのだけど(還俗するといえばそれまでなわけだし)、井伊家の記録に
正当性を持たせるためにそうしたのかなと
ぶっちゃけ寺でそのあたりの誤解を解いてくれればいいのだけど しかし、僧が還俗して将軍大名になっていた時代に、尼が還俗するのは異例でほとんど無い
という設定にそもそも妥当性があるのかないのかが問題なんでしょうなあ。
これはひょっとしたら南渓和尚(南渓瑞聞)が属している臨済宗ではそうだったのかもしれない。
室町時代には臨済宗が京と鎌倉に尼寺五山をひらいていたぐらいだし。
しかし現代の臨済宗は尼寺を実質持ってないし、どうもよくわからんな。 君らって次郎法師が還俗したと思い込んでるわけ?
そもそも次郎法師の還俗って次郎法師イコール直虎という説が元になってるんでしょ?
次郎法師は直虎になったんだから還俗したに違いない、と
でも仮に新説の直虎イコール関口の息子というのが正しいと仮定すれば
次郎法師は一生還俗せずに生涯を終えた可能性もあるよね 次郎法師が女性というのも確かではない大石氏の本によれば確か
次郎法師に当てはまる井伊家当主が直盛の娘以外にいなかったから「井伊家伝記」は次郎法師を直盛娘としたのではと推測してたと思う
そして史実では矛盾だらけの出家話がつくられたんじゃないの いや、直虎とはほとんどはフィクションの主人公だということは全員の共通認識でしょう。
ただし、フィクションだったら何でもやってよいのか、それともその当時の制度と風習に
「ぴったりマッチした」状況設定をして、ただしひとりだけ直虎というフィクションを置く
ほうがいいのか、そこでもめているわけでありまして。 つか平清盛も武田信玄も出家入道したのにやりまくってたんだが >>227
女領主として直虎と名乗った事にするのは良いが、なぜ次郎法師という男名前で
出家したのかという問題が残るんで、うまく処理できなかったんだろうなぁ。
史実の次郎法師が男であってもどうでもいいけど、ドラマ上は直虎と同一人物なので。 明雲なんて天台座主でありながら戦場に出て人殺してたからな >>199
その四人で武勇面では甲斐姫がダントツだけど
のぼうの城と丸かぶりだから避けたかね
おつやの方をやったらちょっと衝撃的だったんだがなあ >>229
なぜ女性なのに「次郎法師」なのか
なぜ独身を貫いたのか(なぜ万千代直政なのか、なぜ次郎直政じゃないのか
色々と引っかかるからだろ
「おんな城主」という根本に関わる部分
法体の武将がだめとかおかしいなんて誰もいってない 龍潭寺の和尚が、女とは面白い話と筆が乗ってしまった可能性はあるけど、
それを言ったら真田幸村も多分に脚色された可能性があるわけで。
どう考えても、合戦の最中にああいう形で家康に対面したとは思えないわけで。 あと、幸村という名前は江戸時代の表記で、実際には信繁のままだったらしいね。
でも江戸時代に作られた講談では幸村で、そのほうが面白い話になってるからいいんじゃない。
エンタメとして面白ければいい、それは真田丸も同じだったと思うけど。 丸の話はここではどーでもいいよ。
おんな城主の場合は存在そのものが史実かどうか怪しいレベルだから数少ない史料から推測推理妄想を語ろうというのがこのスレなわけで。
で、次郎法師が女という史料の元は全て井伊家伝記なのか。戒名が女のそれであったとかはないの。 坊主の利益誘導のためのプロパガンダ文書の極一部の
作り話の約300文字しかねえもん
どうしようもねえよ
直虎本も、学術的に穏当で客観的なのも大石さんの
井伊氏サバイバル500年しかねえし >>239
南渓和尚過去帳に直盛女の戒名はある
だが彼女が次郎法師と同一人物なのかは不明
「井伊家伝記」はこの直盛女を次郎法師としている シエ以下のトンデモ脚本になるわけだな。
超有能とか恋愛感覚重視でなくもっと高い志と理念のもとに物語を作ればいい作品もできようものを。獅子の時代のように なんで急に丸の話になっとんねんw
少なくとも名前はどうあれ信繁は色々と活動はしてるし
その点じゃ仮に直虎が男であっても天と地の差がある
もちろん三谷脚本の丸は筆が走りすぎてファンタジー過ぎるし物語も実に下らなかった
その点では花燃ゆ・おんな城主と同レベルの糞大河
今考えれば八重の方がしっかりできてたレベル
>>242
直虎だと今川やら織田やら徳川やら周辺の強豪大名が出てくるわけで
そうなるとみんなたいてい知ってるから違和感を抱いたりするんだよな
義元は実は〜とかこの頃の家康は〜とか
どうせやるなら中央地域の大名外せば半分くらいの人は新鮮味を持って見れる
やっぱりァ千代とかでやりゃよかったんだよ 葛飾区青戸六丁目は、普通の一般住民が盗聴盗撮・窃盗・器物損壊などの様々な犯罪を
行っているにもかかわらず、本人たちは全く悪びれることがないという犯罪やりたい放題
の日本で最もモラルの低い異常地域である。
http://youtu.be/VS61znWdsro >>242
始まったばかりなんだからトンデモ脚本かどうかなんてまだわからんだろ >>1,2,3,4,5
新大河『直虎』に東大教授「直虎が本当に女性だった可能性は高いでしょう」 週刊女性 2017/1/14
http://www.jprime.jp/articles/-/8805
ついに、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』がスタート! とはいえ、歴史上ではあまり知られていない人物だけに「一体、井伊直虎って何をした人なの?」なんてギモンを抱く人もいるはず。
そこで、東京大学史料編纂所教授で、2012年の大河『平清盛』で時代考証を担当した本郷和人先生に、聞きました。
「直虎という人物は、非常に謎に包まれた人物です。
私が勤めている史料編纂所には、歴史上の人物の名前が記載されている書物や古文書を管理するデータベースがあるのですが、井伊直虎と検索をかけると2件しかヒットしません。
私が時代考証を担当した『平清盛』に比べると、かなり大胆に脚色しても許されるはずではないかと(笑)。
実は、井伊直虎が女性だったという物証はありません。
江戸幕府が開かれてから約150年後に突然、井伊家が“直虎は女だった”と言いだしたことが、今日まで“直虎=女性”という認識として生き続けています。
まだまだ女性のステータスが低かった時代に、大老職を歴任する名門・井伊家が、そのような爆弾発言をするメリットはないですから、直虎は本当に女性だった可能性は高いでしょう。
<プロフィール>
ほんごう・かずと◎1960年、東京都生まれ。東京大学文学部・同大学院で日本中世史を学ぶ。
日本中世政治史、中世古文書学、中世寺院史を専門とする。
東京大学史料編纂所の助手・助教授などを経て現職。2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』で時代考証を担当。
現在はテレビをはじめ、各種メディアでも活躍中。近著に『戦国夜話』(新潮新書刊)がある。 >>1,2,3,4,5
>>246の人
<プロフィール>
ほんごう・かずと◎1960年、東京都生まれ。東京大学文学部・同大学院で日本中世史を学ぶ。
日本中世政治史、中世古文書学、中世寺院史を専門とする。
東京大学史料編纂所の助手・助教授などを経て現職。2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』で時代考証を担当。
現在はテレビをはじめ、各種メディアでも活躍中。近著に『戦国夜話』(新潮新書刊)がある。 >まだまだ女性のステータスが低かった時代に、大老職を歴任する名門・井伊家が、そのような爆弾発言をするメリットはないですから、直虎は本当に女性だった可能性は高いでしょう。
すっかりアンチスレになっているが、俺もこの人に同意だな 直虎が女性であったことは井伊家の口伝だったということかな 【謎の歴史観】『おんな城主 直虎』のココがまちがってる!!【歴史法廷】
こんなスレタイではアンチを呼びやすい
スレタイを「『おんな城主 直虎』史実スレ」にすればいいのに 町内会の名簿には旦那さんの名前で実際に活動するのは奥さんだったりするよな >>250
江戸時代の人は直虎の名前は把握してないだろう
近代になって直虎書状が発見されて、次郎法師は直虎のことだと研究者が比定したんじゃないか
次郎法師のことも「井伊家伝記」に記述されて以降のこと >>251
もともと真田丸のアンチスレから派生した考証スレを
まんま直虎にスライドさせたのがここだから次スレはそっちに
変更した方がよさげ 歌舞伎も確立してたろうし、とりかえばや物語なんて変態ストーリーが古来から喜ばれてたりした。井伊家伝記を書いた僧がよりドラマチックなインパクトある話を作ったとも考えられる スレタイを変えるほど伸びないだろうな 特に何も無いし
大河のストーリーブックの巻末の年表見たら
今川 徳川の年表はきっちり埋まってるのに
オナ虎年表は 「だいたいこの当たりで誕生〜〜だいたいこの当たりで死亡」
としか無くて草はえた
今川義元 氏眞 ジュケーニスレにしよう >>10
>>13
養女にはできるけど、養妹にできる。
てか、わざわざ養妹にする? >>199
なんで「おんな風林火山」じゃだめなの? そもそも史実としての話がないのだから、このスレで議論するようなものではないわな。
ホント、今から「月光院きよの生涯」に移し替えるべきよ。 偉そうなタイトルなわりに無知不勉強の輩がくだを巻くだけのスレになってるな
アンチは別にスレあるんだぜ >>254
たしかに真田丸史実検証スレでもpart1からpart2にかわるときタイトル変更してました
まだ直虎の世界観は全展開されてないから、このスレが800か900ぐらい消化したころには
どういうタイトルが直虎検証にふさわしいか見えてくるでしょう。しばらく待てだな。 >>260
風林火山には武田の色がつきすぎてるから井伊の世界ではまだ駄目よ。 >>246
あの本郷和人があえて女だと発言しとるんだから、信じてあげましょうか。
だいたいなんで三河武士でもない井伊家が譜代筆頭まで登り詰めて
徳川の西国支配における超重要ポイント北近江に領地をもらえたのか
そのプロセスがさっぱり分からんのだよね。森下さんにも期待しますよ、
現時点では。 遠江から近江って偶然なのか? 何か意味があるのか? 次郎法師もだけど、井伊直親の墓はなぜ渋川井伊家の墓地にあるのかも謎かな
井伊谷井伊家は早くから今川に従属したけど、渋川井伊家は今川に抵抗して最終的に甲斐に逃れていった
直親は井伊谷井伊家じゃなく渋川井伊の出身じゃないかと言ってる人もいる
幕末の井伊直弼は渋川井伊家の墓地に灯篭を寄進してるけど、井伊谷ではなく渋川の末裔だと思っていたんじゃないかと >>271
それは確かに謎だけど井伊直弼が灯篭を寄進したのは都田川の堤防沿いの墓
渋川井伊家の墓地ではない 井伊って、確か南朝方だったよね。
また、応仁の乱では西軍斯波義廉に味方してるよね。
井伊からすれば、今川は南北朝の頃からの宿敵だったんだ。 家康が主張した得川という祖先も南朝方だから厚遇したのかな そんな単純な歴史でもないだろ
南朝方はほとんどその後降伏しているし
井伊は今川了俊に従って九州まで行ってるよ
九州まで行ってた井伊太郎の嫡流が没落して、井伊次郎系の分家が嫡流になったらしい
斯波家に味方して今川と戦った井伊一族も確かにいたが、現地の自治体史は戦ったのは井伊谷井伊家ではなく分家筋の渋川井伊家だとしてるらしい >>273
はじめに亀之丞ありきで、鶴亀永遠(とわ)と誰かが推測を書いてたのが妥当と思われる。 >>277
亀之丞は本当についてた幼名で鶴とわは創作? 作中命名の理由については制作陣の発言を聞かないと正解なんて無いけど
まず鶴も亀も長寿の目出度い動物として日本人に親しまれて
名前につかうことも多かった漢字
で、鶴を相談の上に採用
そして「とわ=とこしえ、とこしなえ=永久、永遠」ということで
関連発想したんじゃないのか、と自分は推測 >>276
それじゃあ、今川に敵対する理由無いじゃん。 >>280
戦国時代なんだぞ
大河では全く描かれていないが、当時は河東一乱と呼ばれる今川、北条戦争状態
天文6年とされる奥平定勝宛ての北条氏綱書状には遠州を平定したあかつきには領土をやるから、井伊と協力して直ちに軍事行動をおこせと書いてある
北条は今川に与する国人衆の切り崩しを図り、井伊にも手を伸ばしてたらしい
去年の表裏比興な方まではいかないまでも、それなりに生き残りをかけて虚々実々の駆け引きをやっていたはず
まあ、この大河では井伊一族は直平以下単細胞の馬鹿みたいに描かれてるから想像つかないだろうけど >>281
その辺を少しでも触れて欲しかった
あれでは直満が何のために北条と通じたのかさっぱり解らない >>282
その辺を説明しなくても今川に武力で屈服させられて腹が立つから離反の機会をうかがってる
位は判るでしょ。敵の敵は味方だから北条と手を組むの。 >>283
離反の機会を伺う、ってのはいいのよ
問題は北条と通じる理由
北条が今川の敵だという描写が少しでもあればよかったと思う 危ない橋渡って北条に通じようとしているんだから歴史知らなくても判るだろ
キミには無理かも知れんが まあ、そのうち三国同盟が結ばれて北条は友達ですって状態になるからw >>284
敵の敵に頼ってやろう!って普通じゃない?
わざわざ描写いるかな よくわからんのが浜松の井伊谷なら三河の松平とか尾張織田とか甲斐武田を頼ればいいのに
なんでわざわざいちばん遠い北条なの?とても救援に来てくれそうにないでしょ 井伊直満は風体自体がアレだったし
難しい背景なんか面倒くさいし、オツムが足りなくて墓穴ほったでいいんでない >>289
織田も松平もまだまだ弱小で遠州なんかに影響与えるほど力ないよ
武田は今川の同盟国じゃん
そもそも義元が武田から奥さん貰って同盟結んだから、北条が怒ってケンカ状態になったんでしょ そもそも井伊直政ですら歴史好きしか知らないのに河東一乱なんて
それこそ専門家しか知らないでしょ。それを一般視聴者に判れなんて
どこまで殿様商売やってるんだよ。
つか直虎本人じゃネタなさすぎだから河東一乱で引っ張ればよかったのに。 次回今川三連星が揃うからそのあたり(今川と北条の確執)は
彼らの口からセリフとして説明されるかもしれない
脚本構成上最初から全てを書くのではなく後から前を振り返るとか
歴史ものでは定石の一つだし
義元がうまく利用〜と言っているのが誰をさすかにもよるけど 去年も天正壬午の乱を楽しみにしてやつは多かった
結果は言わずもがなだ
女子向けになってる時点でそういうオッサン連中が一番面白いと感じる
戦略ネタ臭いのはすっ飛ばされしるよくてナレーション行きだ ああそう、この時代の今川・北条・武田・織田の関係なんて専門家しか知らないよ
ヒストリアかなんかでしっかり教育しないと誰もついてこれないって >>294
戦国時代後期の天正壬午の乱ならけっこう知られるようになったけど
桶狭間以前の戦国時代なんて普通誰も知らないって。 >>291
>そもそも義元が武田から奥さん貰って同盟結んだ
武田義信が今川から奥さんもらって同盟したんじゃなかった?
いやこの時期もう武田信虎は駿河に追放されてるのか?
視聴者のみなさんがいつ頃の話かわかりやすい話題入れてくれないか? 義元は元坊さんだったとか後北条は小田原じゃなく
沼津から始まったとか武田が大名化したのは信虎からとかな >>297
それは三国同盟
義元が信虎の娘を嫁にもらったのはその前の話
大河風林火山でそのあたり取り上げてるよ >>299
だったらそういうのまずは制作スタッフに教育しないと とりあえず戦国武将勢力地図と戦国年表を穴のあくほど何度も見返してこい >>297
すでに信虎は追放され晴信は諏訪を制圧し信州攻略を進めている過定。
三国同盟は亀が帰ってくる前年なのでまだずっと先。だから北条はずっと敵。 ところで真田丸って視聴率的には前半〜中盤良かったのが終盤低空飛行してしまったみたいだけど
逆に大河ドラマ館の来館者は前半は今一つだったのが中盤〜後半で巻き返した感じみたいだ。
1〜3月頃は冬場だから人があまり集まらなかったのもあるだろうけど。
ドラマ館の人気と視聴率の人気は必ずしも一致しないのかな? NHK出版のガイド本の190Pの年表
天文11(1542) 徳川家康誕生
天文12(1543) 家康、織田家の人質となる
とあるんだけど、これ正しいの? wikiだと6歳のころ人質として駿府に送られるはずが
裏切りで織田氏に送られたとあるんですが wikiでは家康は年表と同じ天文11(1542)生まれです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています