【第三十一回】太平記 part.31『尊氏叛く!』 ©2ch.net
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世間は何気に室町ブームらしい
呉座勇一の応仁の乱は面白かったし
夢窓疎石本も出る 室町と言えば日本文化
そこから茶道、連歌、猿楽を経由して佐々木道誉を持ち出す
南北朝クラスタ論法をだな これか?
日本文化の源流、北山文化東山文化のクリエイター集団、その名を「大草衆」
■大草衆 
大草衆とは、大草氏の惣領を中心に時衆の阿弥号(観阿弥、世阿弥も時衆)を持つ者(同朋衆)を取り込み形成された一種の職能集団で強い仲間意識で連帯していた。  
阿弥号を持つ者は、主として身分が低い者が身分制度から抜け出て南北朝や応仁の乱の乱世で、己の才で主に芸術面で活躍することができた。  
大草衆は庖刀式などの儀式のみならず、書式、書札式、礼式、数式、絵図式、礼法、兵法、歳時記 十節句、年中行事、臨時儀礼(冠婚葬祭等)、音声などを自らの職能とし室町幕府を文化面で支えた。  
大草流は武家諸礼式の流派小笠原流や伊勢流と、ならぶ故実の伝承者であり、群書類従で有名な大草家料理書、大草殿より相伝の聞書などは、大草流の伝え事のほんの一部でしかないのである。 
足利将軍家料理人
大草流庖丁道 
https://ja.wikipedia...1%E9%81%93  
大草氏 
http://www2.harimaya...   
>家伝によれば、三郎左衛門尉公経が足利尊氏に仕えたとあり、公経をもって始祖にしている。 
> 三河国額田郡大草(三河県幸田町)を領して、大草を家号にしたと伝える。 >>102
道誉を持ち出すなら、立花も経由しないとw やはり佐々木判官主役の大河を
原作は北方でいいから 数回目の大河鑑賞で胸いっぱい。
私本も読んだ。
ここは原作の、岩波の古典太平記に行くか、と巻一を買ったが、今赤坂城落城。
まだまだこの辺りだと尊氏も判官殿も出てこねー。
はよ師直のえげつないのとか融通きかない直義とか読みてえ。 そういえば今日5月18日は新田義貞が鎌倉を包囲した日だな。 高氏が投獄されてた時に直義を貞氏と高氏が「誰に似たのかそそかしい奴よ」って言ってるシーンが好きだ。
弟と父の愛情を感じて声が震えてるんよねー真田上手いなーと思った。 >>112
新田勢2万北条勢4万とか言ってたけど
絶対そんなことないと思うんだ
千寿王で20万ドン!のほうがなんか実感がある 当時、関東だけで20万の軍勢をかき集めることが果たして可能かな? >>116
秀吉の小田原征伐や朝鮮征伐で2万だったからなぁ 朝鮮のときは、東国では出兵を免除された大名も多いけどね。 戦国末期の鉄砲等装備した正規動員兵と混同してはいけない
太平記で諸国のつき勢かり侍と呼ばれる類
とりあえず何騎連れて参加したという証文が欲しいだけの連中 >>120
「はい、これ着て、そうそうこれ持ってね、あっちに向かって走ってねー」
と言われる気の毒なお百姓さんが見えるようだ そもそもあの時代の関東の総人口は?
百万はいないだろう? >>121
葵のエキストラに参加した方々「ポカーン」 足利市の大量なエキストラ市民も
渡良瀬川の合戦ロケや鎌倉炎上のセットロケではご苦労様でした >>77
大塔宮はあれだけ人を斬ってる(ドラマ上の演出か?)から、
血で穢れた皇子なので、この時点で帝の後継はないのでは? それ以前に後醍醐帝は、建武政権成立後、護良にもう一度出家しろと言っているわけでw ドラマも古典も鎌倉滅亡かっこいいんだよな
五大院みたいなゲスがいるから死んでいく者たちが美しく見える 足利殿、そのことはこの座の者は既に皆存じておるのじゃ! >>132
暑かったから、新田義貞も稲村ヶ崎を走り抜けて濡れても、苦にならなかった訳だな。 俺の親父は ばあちゃんが初夜権の際におえらいさんの
種で妊娠した時の子供 逆にいうと、「足利決起」の回で桜が舞っているのは、実際には若干おかしいわけだけどね >>106
道誉=山P 尊氏=亀梨のW主演でいいよ。 滝沢とか香取とか爆死学芸会だったもんな
東山は見なかった
岡田だけはよかった 香取の場合は、そもそも下手過ぎる上に、演技に対する向上心すら全く見えなかったからなw
下手でも役を引き受けた以上は、下手なりに少しは上手くなろうと努力しないものなのかね? >>140
義経、新撰組、琉球の風、軍師官兵衛か… 今のNHKに南北朝をやる余裕も度胸もないだろうなぁ
とにかく予算がない上に視聴率至上主義に陥ってしまっている 松蔭の妹とか井伊直虎とかを主人公にする度胸はあるのに? 本木慶喜が抜けてる
あれが近年の悪い大河のはしりで、史料の少ない幼少期を冗長に描き、
肝心な部分は端折る端折る
30才過ぎで隠居したのに、公爵になるようなくだりは無い
太平記は時間配分もよかった そもそも原作があの短さだから仕方ない面もある
ただダチョウ倶楽部は要らなかった >>144
戦国と幕末は鉄板だとNHKが勝手に思い込んでいるから
これ以外の時代を取り上げる冒険ができない
実際、ここ15年ほど戦国と幕末の繰り返しだろ
源平の2作以外は >>145
幼少期を冗長に描くのなら、「独眼竜政宗」や「春日局」のような先例もある。 そういえば「花の乱」も第7話まで松たか子だったはず。 佐々木道誉主役で、陣内さん。
足利尊氏役は、榎木孝明さん。
日野俊元役を、野村萬斎。 陣内は、バブル期に不動産投資で失敗、
10億円借金あって最近やっと返し終わったとか告白したからなあ
「あのころから芸風も変わって、必死だったでしょ僕(笑)」
とか今田に語ってるすっかり白髪頭の陣内を見ると、
もう完全燃焼し尽くしたら感じ
ギラついてた危うさは消えた シエのように、大人の役者に子供時代を長々と演じさせていた不思議な大河もあったな。 鎌倉も滅んだし、あとは後醍醐帝の京都への還御は6月3日だっけ? なんかおもろいアプリないかと検索してたら、太平記の乙女ゲームが出てきた。
……戦国や幕末ならともかく、需要はあるのか?
とりあえず、尊氏様に会いたくて(真田広之に脳内変換)始めてみたが、新田が田舎の中学のヤンキーみたいだ。チンピラみたいな楠木。
師直が柄本さんじゃない(当たり前)。
直義すら入っているのに、尊氏はメインキャラに入ってなかった……。
判官殿は地味に見えた。
仕方がないので自分は守時様でプレイしている。
幕府は滅びるの?
後醍醐はでてくるのか。 今日のサラメシの最後、
「あの人が愛した一品」で、左中将殿の好物だったらしいトマトパスタが紹介されてた。 >>163
左中将って千種忠顕?それとも新田義貞? >>165
忠顕=慶喜=真之さんまだ生きとるやんけ。 考えてみれば、無位無官の田舎武士がいきなり左近衛中将なんだから
いかに後醍醐の人事がメチャクチャな前例無視だったか、ということだな 坊門の「左中将殿」のボイスが浮かんできたせいで新田の方しか出てこなかったw >>168
たからこそ、先例がすべてのような世界に生きていた公家達から忌み嫌われた。
ちなみに後醍醐自身は「朕の新儀は未来の先例たるべし」と言ったというが、
後世の公家日記などでは、「後醍醐の時代は異例なことが多すぎたから、先例とは見なせない」
というような書かれ方をしていることもあり、朝廷において、
後醍醐が始めた新儀が未来の先例になることは、ついぞなかったということだなw 後醍醐帝は中途半端だったんだよ
自分が命令すればみんな従うと思っていた
権力基盤を贔屓した部下で固めるところまではいいんだけど
持明院派閥や中立派を思い切って粛清するくらいじゃないと改革は進まない
後に西園寺卿が北条の残党に通じた件でようやく手をつけ始めたけどその時はすでに遅いし >>171
最初は手懐けようとしていたんじゃないの?
公家一統で天皇親政をやるためには、やはり自らの手足となって動く存在として、公家たちを
掴んでおくことはどうしても必要だろう。
最初から恐怖政治を敷いたところで、朝廷内での後醍醐の求心力が高まるわけでもないし 公家一統を武士に頼ってやろうってたんだからそこから既に歪んでる。きっちり恩賞与えてまず手懐けんと。
力を手に入れる前に名を欲しがったのがバカ。周りが何と言おうと尊氏と争うべきじゃ無かった。尊氏は後醍醐天皇ファンクラブだったのに。 公家一統と言っても、武士の存在自体を否定しているわけじゃないし、
平安期のような朝廷の番犬としての武士なら、これが存在することは、
後醍醐にとってむしろ歓迎すべきことなんじゃないか?
ドラマ中でも、後醍醐が義貞を“古風な武士”として称賛している場面があるけど、
これは要はそういうことでしょう。
あと後醍醐と尊氏は、個人的な関係では相思相愛でも、政治理念がまるで違うから、
遅かれ早かれ破局を迎えるのは時間の問題だったと思う。 南北朝が人気ないのはわかりにくいからなんだよ
あり得ない話だが、後醍醐が権力取り返してそこで終わってたらそこそこ人気出てたと思う 戦国時代に当てはめると信長が暗殺されてまたそれまでの世の中に戻ってしまった感じ >>178
尊氏の治世では南北決着つかなかった歯切れの悪さがあるよね。
南北合一が秀吉の天下統一や家康の大阪の陣にあたるのかな?
中国の三国志もダラダラな時代で、曹操・劉備・関羽・張飛のキャラが途中で退場するけど、後半の諸葛孔明の活躍で盛り上がってくれるのがいいな。
太平記で探すとなると、細川頼之あたりか。 >>179
というか鎌倉幕府を滅ぼしたこと自体が、ある意味パンドラの箱を開けたようなものだと思う。
鎌倉幕府の滅亡によって、それまで水面下に抑え込まれていたいろんな矛盾が一挙に噴出し、
収拾がつかなくなったイメージかな。
>>180
今川了俊とかどう? >>180
源平も戦国も幕末も一区切りついてから矛盾が吹き出して色々あるけどあくまで内部で処理してるから、歴史好き以外はあまり気にならないよね
三國志で例えるなら南北朝は晋の統一後のぐだぐだのような感じさえする >>126
その足利市民は滅ぼされた側なんだが、何が嬉しゅうてエキストラに参加してるんだろうか?
藤姓足利氏は三河の源頼朝に滅ぼされて、その所領は従兄弟である三河の源義兼に与えたよね
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→女→源頼朝
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、源義兼(初代源姓足利氏)を生む しかも、その源姓足利氏は足利にはシッカリ土着せず、二代目には三河に舞い戻り、足利王国を作ったわな
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>183
豆だが、直義と合流した尊氏は息子と嫁をおいて関東に向かった
預けた寺が滝山寺だ
もうお馴染み、トモちんので顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めた仏像はある寺だわな
滝山寺
http://takisanji.net/jihou_hou_seikanx.html
追加豆だが、トモちんので顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めた仏像は、細川頼之も当然知ってた
仏像内部に尊氏の遺髪か 三 井 寺
http://ameblo.jp/rallygrass/entry-11400714323.html
>南北朝時代の資料「園城寺文書」では 3代 義満の後見役として知られる武将・細川頼之が1368年 同寺に送った書状があり
>そこでは「源頼朝や足利尊氏の先例にならって 義詮の遺髪を納めた地蔵菩薩像を園城寺に奉納した」という趣旨の記述が出てくる >>184
> 三國志で例えるなら南北朝は晋の統一後のぐだぐだのような感じさえする
中国も、晋の三国統一がすぐにグダグダになって、その後は南北朝時代になるからなぁw 晋の三国統一は、古代ローマで軍人皇帝時代を収めたディオクレティアヌスみたいな感じだろう。
一時的に古代帝国の再統一を成し遂げたが、間もなく分裂・崩壊に向かっていくし。
時期はどちらも3世紀後半 >>188
鎌倉幕府滅亡〜親政までが三国志で
その後は晋グダクダからの異民族支配てな感じかね というか、日本史における南北朝時代と、中国史における南北朝時代は、本質的に違うだろう。
日本史における南北朝の内乱は、綺麗に南北の領域が分かれているわけでもないし、
両者の支持勢力がゴチャゴチャに入り乱れているわけで。
その意味では、これとイメージ的に近いのはイギリスのバラ戦争とかじゃね? どうでもいいレスをageで書く奴=三河屋なのかな? 日野さまが石に田畑をやる書き付けを渡してた時て
もう自分の終わりを薄々悟って、将来ほんとに役に立つか
わからない書き付けでも自分の遺言みたいに残したかったのかな。 「観応の擾乱」亀田俊和・著 中公新書 7月15日発売 >>196
あれ今思えば悪質だよなー所領なんか既に没収されてんのにやるとか言うなよw詐欺かよw まあでも北条に奪われた所領なら、北条を倒せば自分に戻ってくるという発想は、
さほど可笑しなわけでもないけどね。
実際そういう発想が、最終的に多くの者を北条氏打倒へと動かしたような面もあるし。 >>182
そうだよな。鎌倉幕府を滅ぼしたことがパンドラの箱を開けたんだよな。滅ぼしてなければ、今の時代まで、いい国が続いただろうに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています