【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 「ただ、かわいそうな人物になってしまったら奥行きがなくなりますよね。」
さすが崇徳の中の人、よくわかっていらっしゃる。ちゃんとわかった上で演じた納得の名演。
今回の崇徳の肝は、権力意志、密かな野心、政治への情熱(ゆえの巨大な挫折)といったところにあった。
ただかわいそうな崇徳では、怨霊に化けるまでもなく讃岐でひっそり余生を過ごせば足りた。 なぜみんな171に言い返さぬのだ、あのような無礼なことを。
まさか言い返さなかったのではない、まことの事ゆえ言い返せなかったのだ、
認めてどうするという展開ではあるまいな。 >>169
運営って何処の?
すごく面白かったのに途中でなくなってしまったのか。
視聴率が悪かったと同様、見る目のない馬鹿ばかりだな。 え!?これ書いてるん、あの時のあらすじ書いてくれてた人???
途中で、あらすじ無くなってしまって心配してたんだよ
もの凄くウィットにとんだ素晴らしいあらすじで楽しみにしてた
前のパソコンにいくつか保存してたくらい
あの時の人なら、本当にありがとう。
平清盛は一番好きな大河ドラマだった、画面が暗いとか文句つけられてたけど
平安時代をやってくれた事、ストーリーも素晴らしかった。
崇徳天皇を書いてくれたのも嬉しかった。ご本人ならあらすじありがとう。 >>174
2ch にスレ立てて世論を誘導してる人を運営と呼んでいるらしい。
清盛の評価が低いのは運営のせいだという誇大妄想。 ここのクソ長文があらすじさんなわけないだろ
文章力で分かれ
ここの長文はあらすじさんを運営などと呼んで追い出した側 16回「さらば父上」あらすじ
平氏サイド
混じる白髪に老いを隠せない忠盛は、夢うつつの寝床に舞子の声を聞いた。何ゆえ武士として己は生きてきたのか…。
同じ頃、清盛は愛刀の例の宋剣を振っていた。男子が深夜に無性にバットを振りたくなるのは致し方ない事である。
忠盛は鳥羽法皇から刑部卿に内定を約束され、清盛は安芸守に任じられる。
清盛は盛国と愉快な仲間たちと共に、ウキウキ遠足気分で安芸へ向かった。兎丸に国司の所領にしちゃ随分しょっぺーなと
突っ込まれるも、もてなされた馳走は格別で、海と山の恵に満ちているらしい。温水佐伯景弘こと社の司に案内された
嚴島神社も、わんこ一匹のかなりしょっぱい風情のお社であったが、兎丸が舞人の中に、かつてのチャイナ娘、桃李を発見。
春夜もそこに仕えていた。思わぬ出会いに喜び過ぎて、またもヤンチャ時代に後退しかけた清盛に、春夜は
なぜ伝説の宋剣エクスカリバーを持っているのかと問う。清盛がそれ聞いちゃう?とニヤニヤしていた頃、忠盛は床に臥していた。
24時間棟梁として頑張り過ぎた疲れが出たらしい。安芸から戻った清盛は忠盛の容態を聞き、急ぎ駆けつけたが、
棟梁はしれっとした様子で元気な姿を見せていた。俺はやるぜ俺はやるぜな清盛に、病身を隠しながら棟梁は目を細める
のだった。そんな中、鳥羽法皇が左大臣頼長(の手下)が家成Pの邸宅を襲撃して激怒している事から、美福門院得子が
平氏に密かに命を下した。頼長討ってくれれば国母様がさくっと公卿にしちゃるよという、恒例の殿上人にスルスル詐欺に、
皆浮かない顔でいると、清盛が口を開いた。宋剣でヤンチャしまくってた頃(※黒歴史)もあったけど、俺が剣を振るうのは、
細けぇ事の為じゃねぇ!と豪語。忠盛はその時OPをBGMに、院の走狗ではなく、武士こそが頂に立ち、武士の世を作るために
生きておるのだと、自らに言い聞かせるように語った。忠盛は一門を揃え、後々の事を話し出した。忠正はいつものうるさい
忠正でおれと、清盛には鎧を、頼盛には名刀抜丸を、教盛には弓を、その影の薄さだと伝芸板が泣くぞ経盛には鞍を、
忠清は変わらずに脳筋侍大将でと、家貞には出家せず一門を支えよと、そして盛国と兎丸には、新しい棟梁に仕えよと告げた。
主文後回しにされたが、新しい棟梁には清盛が定められた。やがて安芸に向かった清盛の後姿を見た忠盛は不意に足元を
崩し、傍らの宗子に支えられる。そんな最期に宗子にねぎらいの言葉を残し、安芸の海辺の清盛の許にまでバリバリ現役な
霊体をぶっ飛ばし、1153年1月、忠盛はこの世を去ったのだった。 源氏サイド
先週の為義率いる郎党が襲ったのは摂政藤原忠通の東三条邸であった。藤原家の氏長者(うじのちょうじゃ)の証である
朱器台盤を強奪したのだ。命じた忠実のお役に立って嬉しい為義だったが、義朝に盗人かと非難される。
しかし、為義は一族郎党を食わせる為じゃ何が悪いと反論。新橋SL広場の酔いどれサラリーマンが号泣するような台詞である。
また、いつもの廊下では、為義は忠盛(刑部卿仮内定)とすれ違った。為義は、かつて交わした約束―源氏と平氏、どちらが強いか、
そしてそれは武士が力を持ってから(竹光の件はおいといて)―という決着について、自分は這ってでも生きのこってやると
息巻くのだった。一方、由良御前は仕えている愛原実花統子(ムネコ)内親王の館で、統子内親王が白ぬこを抱きながら、
忠通と頼長を揶揄した歌を詠むのを聞いていた。由良がウチもとグチってしまうと、その仲を取り持つのが妻の努め、とおっとり
諭された。早速由良は為義を義朝宅に招き、鬼武者の孫オーラのでいっときほんわかしたも束の間、頼長から家成を襲えと
命が下った。またしても摂関家のいいように使われようとする為義に苛立つ義朝だったが、為義は渾身のパンチで反撃。
やりきれないまま義朝は常盤の許へ行き、常盤はヒロイン属性(例・顔を見ただけであなたのことがわかるの)で、義朝は落ちた。
摂関家サイド&朝廷サイド
忠通が百人一首76番を白拍子に詠わせながら舞を楽しんでいると、曲者が襲ってきた。お正月用の赤い食器セットにして
藤原氏長者の証である朱器台盤を強奪されてしまったのである。しかもその命を下したのは父・忠実であった。
忠実はその強引なやり方で頼長に氏長者の座を譲らせ、頼長はさらに法皇から内覧(帝に報告する宮中の文書を
まっさきに読んで、政務を代行しちゃってよい)の宣下を受け、実質上、摂政に並び立つ権力を手に入れた。頼長は近衛帝を
びびらせ粛正を実行してゆく。当然面白くない得子と悪役顔が破裂寸前な忠通は家成をカワイソスな目に合わせる事で
頼長と鳥羽法皇との間に火種をつくろうと画策。気付いてないぞ鳥羽法皇。いいのか…あと3年だぞ。 17回「平氏の棟梁」あらすじ
平氏サイド
冒頭の編集&ナレーションマジックでアイタタ黒歴史を武勇伝に書き変えてもらった清盛は、1153年、遂に棟梁となった。
やっと顔を洗い、床山に仕事が来るようになったが、気を抜くと顔がカールおじさんになるのは仕様である。
清盛は忠盛の館に居を移し、一門が集まった。清盛の長男清太→重盛、次男清次→基盛に、頼盛の乳父に梶原善宗清、
忠盛三男が勝さん経盛、四男がヤンキードラマに出ています教盛、五男が愛のむきだし(237分)主演の頼盛である。
やがて忠清アニキの熱血・弓矢修練大会(解説:昼は鴨だった忠正)が開催。重盛は真面目過ぎ、基盛は調子良過ぎ、
頼盛は天才型、経盛はどうにかして文系に進路を変えたい型、教盛は豪腕の持ち主であった。
また若社長清盛は、巻物にして2mくらいの伊勢・伊賀・尾張・美濃ほか、の所領の管理と家成の道中警固と鳥羽法皇命の
仏塔建設と社員からの給与催促と博多からの貨物引き受け確認を同時進行するという、パパはこなした業務を任される。
一方、宗子は出家し池禅尼となり、張り切る時子を心配するが、案の定もののふエンゲル係数を甘く見ていた。
しかし、圧し掛かる重責にピリピリしている若社長に対し奥方はおっとりとしたもので、家成Pの開催する歌会御前プレゼンで
就任の挨拶を兼ねた和歌を詠む羽目になった旦那を次男と共に冷やかす始末であった。西行不在で清盛は信西に代歌を
頼るが、すげなく断られてしまう。また清盛は一段とドヤ顔になった義朝と遭遇。なんと義朝はスカウトされた常盤を妻にしており
お腹の子まで作っていたのであった。寝所で清盛は時子に妻の務めを説くものの、時子はアヒル口で爆睡していた。
また子供たちも重盛と基盛は盛国くもん式で書を習っていたが、堪え性のない基盛は放棄。それを重盛は盛国のやたら詳細な
黒歴史でもって諌めるという逆説教で先生を困らせたりしていた。そんな時、遂に居つきやがった平安ゆとり時忠おじさんが、
餌付けた清三郎に、お前はね、要らん子なんだよと唆した。その言葉に傷ついた清三郎は癇癪を起こし、プレゼン準備中で
うろうろする熊状態の父を怒らせてしまう。何故か矛先は時子に向けられ、清盛は後妻にとっての禁句を発してしまう。
とうとうショックを受けた時子だったが、困惑する清盛に時忠がふてぶてしく事の真相を明かした。今いっぺん流されろ。
その後、家成P開催の、歌会という名の御前プレゼンで、鳥羽法皇、美福門院得子、崇徳上皇、雅仁親王などが一同に揃い、
摂関家も三連星となり、白塗りハムテル藤原成親が読手を務めた。しかし、崇徳上皇のファンタスティック和歌を得子が皮肉ったり、
雅仁がフヒッwwと笑ったりと、プレゼン会場のギスギス感は増していくばかりであった。
そこでとうとう清盛の出番となるが、成親は読むのを躊躇った。なぜならそこに書かれていたのは俗に言うサラリーマン和歌であり、
ざっくり要約すると「帰りたい 嫁と子供と 遊びたい 早く帰って晩飯食いたい」的な事が書かれていたからであった。
清盛は家成Pにサーセンおつかれっした!と言い逃げしてダッシュで帰宅。なんだかんだで仲直りして団欒する若社長であった。 朝廷サイド&摂関家サイド
年若く病弱な近衛帝の容態が心配される中、暇浸し兄弟の崇徳上皇(息子の視線が怖い態)と雅仁親王は碁を打っていた。
雅仁親王は、もし近衛帝に事あらば、上皇の息子重仁が帝に上がり、崇徳上皇が願い望んだ院政が出来ると、不届きな
青写真を描くが、崇徳帝は動揺しながらもそ知らぬふりをする。そして鳥羽法皇は歌会後、自分の家族の仲の悪さを
改めて思い返していた。雅仁親王は清盛の歌に呆れつつ、俺シラネとフヒッていたが、信西はある思惑をひそかに抱いていた。
一方、こちらも猛烈に仲が悪いはずの摂関家のゴッド忠実と内覧頼長と氏長者剥奪されたんだけど関白忠通が並んで参列。
糸竹和歌は本来どうでもいいはずの頼長は、歌会中に居眠りしていたが、清盛の歌のあまりのヒドさに鬼の副長化した。
源氏サイド
鳶が鷹を生んだものの、産んだ鷹は能がありすぎた。為義は次男義賢(台記:久安四年正月五日は個人の感想です)を
呼び出し、源氏重代の太刀・友切を授けてしまう。驚いた通清は、これは嫡男義朝を差し置き、義賢を棟梁とするのかと
問い質すが、為義は自分より優れた息子を許すことが出来なかった。由良御前の正室然とした心構えにナレーション七歳も
行き場のない寂しさを募らせる中、出世していく義朝は、為義のかつてない最小物発言に切れ、自らの道を行くと父と決別。
そして通清の息子正清もまた、袂を分かったのだった。 >>177
お前も臭い芝居やってないで流麗な文章のお手本を示しもって長文を打倒せよ!
今や清盛罵倒は可愛らしい爺様の汚盛がーだけになってしもうたw
あんだけ元気だったババアたちどうしたんだよ・・・ 長文さま 我等もはようお斬りくださりませ 婆さまたちの姿の消えぬうちにはよう後を
追いとうございます おい偽長文、こんな時間から某所で酔っ払ってしまったので読んでやったよw
サラリーマン和歌ってのが現代和歌のジャンルにあるのかもしれんが
平安の世においては清盛君のアレは崇徳さんが呆れたようにもはや和歌ではない
和歌ではないことが決定的に重要な意味をもった創作なんよ
和歌下手ゆえどう頑張っても和歌では最低評価を受けるしかない清盛が
この窮地にあって貴族社会から平氏の新棟梁として認知されるにはどうしたら良いのか?
懸命に頭を捻って思いついた危機脱出策こそ歌会=思惑入り乱れるもう一つの政治の場
という本質を直截に抉りだし和歌もどきによって自らをアピールせんとするあの奇策だった
清盛は歌会というまだるっこい婉曲表現の場を自らの所信を単刀直入散文的に
表明する場へと変えてしまった。ピンチをチャンスに変える逆転の清盛の誕生である
人を食った奴と呆れながらもこの清盛に大物の片鱗を認めた面子は保元の乱の勝者となり
そこに気づかずバカにした面子は敗者となったことも見逃せない
こうして馬鹿馬鹿しい創作とされた和歌もどき回は清盛という非常識な人間ゆえに
歴史を切り拓いた革命的な人間像に鋭く肉薄した回だったのだ
お分かりですか?平安文化に対する藤本の無教養を暴露したくだらない創作だと力説されている
自称大河研究のど暇な権威さんたち? 連中が待ってましたと飛びついたターゲットの一つ滋子巻毛もそう
たった一つの設定からいかに豊かな内容を引き出したかについては繰り返さない
しかし「平安美人がストレートロングな髪でなわけないじゃないの
そんなことも知らない無知無能な以下ry」には参った
何故ならこの創作は「平安美人はストレートロングの髪であるべし」
との当時の通念ー清盛が偏見と非難したーに対する確固たる理解を
前提とした創作だったからだ 悪文しか書けない長文が
あらすじさんを偽長文よばわり!!
まで読んだ 18回「誕生、後白河帝」あらすじ
朝廷サイド
若き近衛帝の病状は悪化していた。生母美福門院得子は夥しい数の僧を集め、祈祷に専念するが、鳥羽法皇は
この不幸は、崇徳上皇を叔父子と蔑み疎んじてきたことの因果なのではないかと(今頃になって)思い悩んでいた
そんな懊悩する法皇を心配する家成もまた病に倒れた。清盛は家成を見舞うが、家成の子ハムテル藤原成親は、父上は
酒の飲みすぎっスよ〜と、家成の養子にしてどす黒い四草の師光(モロミツ)は清盛さんが散々ヤンチャしてくれたせいっスよ〜と
軽口を叩くものの、家成Pは病身をおして清盛の手を取り、後々の事を頼んだ。そして気配りと根回しと尻拭いに
明け暮れ、父方のいとこを国母に、母方のいとこを平氏の棟梁の母にまで配置した癒し系プロデューサー家成は亡くなった。
そして芳しからずの状況の中、崇徳上皇は清盛を呼び出し加勢を命じた。次なる帝に重仁をと目論む崇徳上皇だったが、
清盛は鳥羽法皇に忠義があるんで、とキッパリアッサリ拒絶。激昂した崇徳上皇は、かつて義清が出家の際に残した歌を
詠いあげ、清盛の顔を万力圧縮しつつ、親子の情からも政の場からも遠ざけられた13年の無念を吐露するのだった。
しかし崇徳上皇の弟雅仁親王は、政に興味ないから青墓宿に遊びに行くし、と乳父の信西から妻朝子を借っぱらい、
楽人や遊女に溢れる寺山修二風に猥雑怪奇な町・青墓を訪れる。そこで雅仁は今様を謡う年老いた白拍子、聖子乙前に
遭遇する。アラサー駄々っ子発言を炸裂して強引に今様ピクニックを開いた雅仁は、オレ宮様やけど、本当は要らん子なんよ…と
誰に言うこともなかったコンプレックスを吐き出し自嘲する。すると乙前は、オマエに流れる今様フォースの力を信じよ…と説いた。
やがて近衛帝に眼疾が顕れ、得子らは一層祈祷に励むが、読経の声もむなしく近衛帝は崩御。17歳の短い生涯を閉じた。
それに伴い、次の帝を決める議定が御所で開かれる。鳥羽法皇を中心に、忠通や他公卿たち、信西らが論を並べる中、
崇徳上皇はただ重仁の帝位を望み待ち、雅仁親王は今様フォースの力が漲っているのか弔問に来た清盛と対峙していた。
が、鳥羽法皇は重仁を、いやいっそ崇徳上皇を帝に戻しても良いと発言。これまでの数々の冷たい仕打ちを崇徳上皇に
詫びたい…と涙ながらに語った。が、信西に、ナニ甘ちゃんになってんスか!ここは俺が、いや法皇が使える傀儡の帝を
さくっと立てとくべきでしょーが、ウダウダしてっと戦争になりますよ?と激辛発言で切り返された。そして、あまりのショックに
崇徳上皇がローリング気絶、教長絶叫の結論が出た。遊びをせんとや雅仁ボーカルVer.をBGMに、大天狗後白河天皇が誕生した。
平氏サイド
芳しからずな状況の中、平家一門も揃って会議をしていた。法皇派にある平氏だが、時勢を鑑みて上皇につくべきか、
いや、それではこれまでの法皇への忠義の証はどうなるか、ぼく歌会に招かれたいから上皇につきたいですとか、
論調は右往左往するが、平安ゆとり時忠おじさんはどっちにもいい顔しとけばいいじゃんねと天秤理論をドヤ顔で語った。
それぞれの持論を聞いていた棟梁清盛は、法皇と上皇を仲良くさせるという、今の話ちゃんと聞いてたかという決議を下す。
相変わらず六波羅はムーミン谷の如く仲良しこよしの平氏である。が、あのバカタレが帝になってしまったどうしよう。
摂関家サイド
こちらも状況は芳しからず、苛烈さを極める頼長の刑罰は、世の悪評を連ね、悪左府と(ナレーションにまで)呼ばれていた。
父・忠実さえ撥ね付け、自らの政を為すと言って憚らない頼長だったが、たまたま近衛帝崩御の際に正室幸子の服喪中で
あったため、師光と信西のかけたズルっこいトラップにまんまと嵌り、帝の議定メンバーにハブられるという痛恨のミス。
一方、忠通は、芳しからず中に養女で近衛帝中宮の呈子がとうとう子を為さなかったため、気を揉みまくっているところを
本心を信西にちゃっかりそそのかされたりしていたのだった。
源氏サイド
芳しからずは鳥羽法皇の所領・鎮西で暴れる男にあった。実のところだいぶ年月が前後しているようなのだが、
腕に枕木を着けた七尺ガンダムの益荒男、その名は橋本さとし鎮西総追捕使・源八郎為朝△であった。しかしこの
つわもの為朝△があんまりにヤンチャだったため、鳥羽法皇の怒りを買った父親の為義が左衛門大尉の任を解かれていた。
いよいよすがるところが摂関家しかない為義は、前世の祟りをこめて鬼若をぶっ叩いたりしてポイントを稼いでいたが、
正直コイツここで死にそうな悪僧じゃないんで、200叩きとか50過ぎのおじいちゃんに無理させないでください…
おまけ 信頼ェ 第19回 「鳥羽院の遺言」 あらすじ
朝廷サイド
まさかの後白河帝爆誕により、乳父である信西は一気に時の人に。俺少納言なのに超人気者wwヤッベwwと調子こく信西だが、
清盛はあのバカタレが帝などと憤懣やるかたない。しかし、信西はこれで思うままの政ができると得意満面だった。
ま た し て も×∞裏切られた崇徳上皇はボロ泣きしながら法皇を恨み、そして法皇は上皇に許しを請いながら写経していた。
そして1155年10月、後白河天皇が正式に即位。宴の席では、後白河帝のお気に入りに、公卿でない藤原成親と、
冗談ではないですよね塚地藤原信頼ちゃんが近臣として傍に控えていた。信頼ちゃんも面白くないそんな中、崇徳上皇から
歌が届けられた。詠い上げるとそれは、上級者向け横読み折句で、あな憎し…と猛烈な恨みが込められていたのだった。
怒り狂った後白河帝に慄いた鳥羽法皇は、なかったことにして!と嘆くが、後白河帝は白河院のスタンド(好きなように鳥羽院を
苦しめられる能力)を発動、俺の天下じゃと法皇を圧倒。そんな法皇を心配し清盛が参じたが、鳥羽法皇は写経を続けていた。
上皇に殺される朕を守って!と怖がる法皇だったが、清盛は仲良くしようずの平氏の俺ルールを語り、かくして上皇に法皇の写経、
法華七譬の長者窮子が送りつけられ、清盛は父子の仲直りのええ話を説いたものですよ説是我子ですよと口説きにかかるものの、
感情がぶっ壊れた崇徳上皇は無表情で写経を切り裂いてしまう。やがて法皇の病重くなり、上皇挙兵の噂も立ち出した。
信西は俺が、いや法皇様が治天の君として方向を示されよと進言。有事の際は鳥羽法皇を武士が守れという誓文が命じられた。
1156年7月2日、法皇は危篤状態に。崇徳上皇は鳥羽の御所へと輿を向けたが門前で仇とみなされ拒絶される。
上皇は輿を降りて問い詰めるが、安芸守清盛が頭も下げず進み出た。崩御を知らせる鉦が響く中、傷心の崇徳上皇は崩れ落ちた。
そこへ喪黒f…頼長がいた。
平氏サイド
信西ワイプ時にみずらのバカタレだった奴が帝になったことが気に食わない棟梁清盛だったが、自邸に戻ると、一門の男子が
何やらニヤニヤソワソワしていた。その中心には時忠がドヤ顔で連れてきた異母妹、パーマ璃子滋子がいた。皆々が俺の嫁!と
テンションだだ上がりの平氏男子だったが、時子と時忠は滋子の入内を目論んでいた。しかし、当の滋子はそんな話ごめんだと
ばかりに日本式に中指を立てるのだった。病に臥せている鳥羽法皇からもののふどもは誓詞を提出しろと命が下った。
清盛は相変わらず仲良くしようずの姿勢を崩さない。そんな甘チャンな棟梁に不安を感じた池禅尼は、忠正にいざというときは
頼 む とフラグを立てた。天変地異的に源氏の御曹司が来て喧嘩して帰ったが、清盛の許に信西が訪れた。法皇と上皇が
仲良くしようがしまいが、もう時はわくわく天下大乱!身の振り方考えとけ!と言う。そして遂に危篤となった鳥羽法皇の御所を、雨の中警固していた清盛は、父のいまわの際に
訪れた上皇に向かって剣先を向けた。身の振り方を決めた清盛は、法皇方に誓文を出していたのだった。
源氏サイド
武蔵国の義賢の館ではいつもの河内源氏DNAが荒ぶっていた。義朝の息子、小悪党役なら浪岡源義平が義賢を襲っていた。
鎌倉悪源太△の容赦ない仕打ちで、義朝は源氏重代の太刀友切を奪還。そこへ為義が現れ、子に甥を殺させてまでした
義朝に掴みかかろうとするが、ペシャア×3とこける始末。そんな父と祖父の姿を見た鬼武者は勉強サボリながら、身内で殺すの
ダメだよねと言ってたら、スパルタママ由良御前にシバかれた。落ち着かない義朝は常盤とイチャイチャしたりしたものの、鳥羽法皇から
誓文の命が下ったらさくっと書いた。そんな時通清が、為義との和解を改めて請うが、断った。が、正清は、俺、ついてゆけねッスと
去っていく。ぼっちになった義朝は清盛邸を訪れるが、戦になれば武士の出番だヒャッハーな源氏と仲良くしようずの平氏は
その一門の管理および経営の信念に決定的な違いがあり、刀が出るわ殴るわの大喧嘩となる。で、義朝、いいのか。
摂関家サイド
悪左府頼長は内覧の権限を取り上げられ政治の場からハブられつつあったが、同志の鸚鵡はわかってくれるよねと余裕こいて
いたら、身に覚えのない近衛帝呪詛の疑いをかけられていた。いきり立った頼長は鳥羽法皇に直訴を申し出ようとするが、
関白の兄忠通がその道を塞いだ。父忠実も、綱紀粛正と乗じて苛烈な政を行ってきた頼長を非難した。もう菖蒲若ちゃんでもない
悪左府を、とうとう父は見限ったのだった。そして味方を失くした頼長は、鳥羽法皇崩御の雨の中、崇徳上皇の前に現れた。
おまけ 4サイド激突 長文よ、そなたは新たな荷を背負った、馴れ合いを捨て返り血と己の血反吐にまみれながら
あらすじさんや婆様たちを斬ったという重き荷を、
それはそたなにはそれだけの力があるということじゃ。
禍々しくも輝かしい定めを背負うて、道を切り開き、生きてゆく力が。このスレの宝となれ長文。
すべての重き荷を背負うてこの腐りきったスレを根底から
叩き直し清盛スレの宝となるのじゃ。 あのさぁ…
長文連投されてからスレ内容がそれしかないんだけど そういうと思うたわ、ならば192よ、
そなたが真の長文、レスとはいかなるものか見せて見よ。 どうせ長文で流れ断ち切られるから
何やっても無駄
それを何度もやられてる やららればよいのです。192のやられた分は私がやりかえします。
192がやられる程に私は強うなる、強うなってきっと192をお守りいたします。 >>194
ドヤ気の利いたあらすじだろーとご満悦の長文は良い長文
しかし
>>185 や>>186はお前らの楽しみを奪う許せない長文
であるのはなぜ?自分(たち)がやってるから? 再再放送前に盛大に事細かにネタバレしているあらすじ長文。笑えるところもあるけどさ、
見りゃわかることをなぞった超長文に精を出す暇があるんだったら、
たまにはその筋がその回あるいは作品全体の中でどういう意味があったのか検証してみてもいいんじゃないの? 常盤ゾクッとするほど綺麗になったな>若き銀座のママ
貧しい酒売り娘で初登場したときは、ほんとに都1の美女なのかよと心配してしまったわ。 だからビフォーアフターで綺麗になったじゃん
という訳ではなく? ああ、なんかあった気がする民放の番組かと思ったら、素直に美女コンテストの前と後という意味ね。
ここで言いたかったのは、武井嬢すら知らなかったので、義経の常盤さんをよく覚えていただけに、
画面上からは絶世という形容詞がつくほどの美女なのこの娘?という偏見をもってしまったということ。 >女優の武井咲(23)が8日、都内ホテルで行われた『全日本国民的美少女コンテスト』の第15回本選大会にゲスト出演。
>第11回大会(2006年)で「モデル部門賞」と「マルチメディア賞」の2冠に輝いた武井だが 以下略
うわーご本人も「国民的美少女コンテスト」の勝者だったんだw 臣下のスペシャリスト教長さん、おんな城主ではドラマストーリーでの扱いよりずっと重要な役目だね。
上皇様、上皇様、じょうーこぉーさまーー、ああああーーー。 素晴らしい出来だと思うんだけど、主役であるマツケンだけがなあ…、うーん…。 わからぬと申すか!大河の清盛のすばらしさのわかる205でさえ、わしの役作りについて
来られぬと申すか!
すみやかにたちさるがよい。わしの芝居の素晴らしさのわからぬものはこのスレにはいらん! 清盛から伝わってくるものが何もないもんな
あらすじさんも面白きことのなきドラマを面白く書くのに疲れたんだな >>205
そんなに悪いかなあ
若年から老年まで演じ切れてて
俺は良いと思うんだけど 尊敬するお仲間のあらすじさんに、面白すぎて巧みすぎて再現できずに挫折しちゃった後半部分についても
新作発表するようお願いしなよ!
もう5年もたって再放送もされてるんだから、ただ長々とあらすじを頭悪そーに紹介してドヤ面白いだろー
じゃダメだよw マツケン論はもう秋秋。このリアクションも何度やったことやらいい加減秋田w。
青年期から壮年期、そして老年、最晩年に至るまで、清盛のほぼ一生を演じ抜いたマツケンについて、
それぞれのステージにおける清盛像〜生涯変わらぬ人間性と目まぐるしく変貌していった棟梁そして政治家清盛のあり方
〜に照らして、マツケン演技のどこがなってなかったのか批判すべきだ、と100万回お願いしても、
相も変わらずマツケンは下手、若すぎました、ミスキャストという無内容な回答しか返ってこない。
この期に及んでまたマツケン最悪論を唱えるなら、今度こそ両者切り離して論ずることはできない
「本作で清盛はいかに造型されていたのか?そしてこの清盛をどうマツケンは演じたか?」というテーマで語ってみろ。 あらすじよお前は半年にものも満たぬ短期間にこのスレに現れ熱狂的
ファンにも支えられ賞賛のみを浴び惜しまれつつ去り未だにみなの中に
美しき偶像として生きこれからも生き続けるだろう。
お前はそれで気がすむだろう。ただ一心にあらすじをウイットにとんだ
表現言葉を散りばめ振り回し、元祖長文として生き、偉大なる長文家として
去った。そう思うておるのだろう。
だが俺はどうだ。俺はこれから先もこのスレで生きていかねばならん。
お前がおらぬこのスレで。大河の清盛の真価を世にしらしめ大河の清盛を
大河の頂きに立つ世を切り開いていかねばならんのだ。
それが如何に苦しいことかわかるか、如何に虚しいことかわかるか。
だが俺は乗り越える。乗り越えてこそ のまことの長文じゃ。
心なきものの醜き批判浴び悪評に塗リ固められようと、必ず大河板の
頂きに立つ。
途中で降りた愚かなお前が見ることのできなかった景色を、
この目で見てやる。
その時こそ思い知れ、あらすじは長文に負けだのだと。
途中でおりた事を心より悔やめ。己の愚かさを罵れ。
俺はお前を断じて許さぬ。
誰がお前のことなど認めてやるものか、まことの長文とは
いかなるものか見せてやる。
このスレを指をくわえてROMっておれ!!! 左様、絶望的なまでの差にござるな
あらすじ殿は惜しまれつつ早世した重盛公
長文は八十まで生きた浄海入道の如し でもみんな本当は長文も長文の文章も大好き何だろ?心待ちにしてるんだろ?
長文の素晴らしい文章と考察を読むのがもう生活の一部、生きる活力なんだろ? 秋篠宮
タイを訪問した時に秋篠宮に付いたガイドが、秋篠宮はソープランドを見学したと、はっきり発言。
長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)
長嶋のタニマチは吉原のソープランドの帝王。このソープランドに長嶋のサインがある。
イチロー
ヤクザが経営する巨乳ヘルスで店で一番のデブとオムツを付けて赤ちゃんプレイをしていた(イチローが赤ちゃん役)。
後で経営者のヤクザから脅されオリックスが口止め料で1億円を支払う。
噂だけど、ソープランドでイクときに「監督(仰木彬)〜」と言った。
清原和博
花束を持って高級ソープランドにいく。デリヘルで本番強要。覚醒剤を使ってアナルセックス。
落合博満(プロ野球史上唯一となる3度の三冠王)
高級ソープランドでアナル責めされるのが好き。
小久保裕紀(侍ジャパンの元監督)
熊本の高級ソープランドを頻繁に通う。費用はタニマチが支払っていた。後輩の攝津正、本多雄一をソープランドに連れて行くことも。
野茂英雄(元プロ野球選手)
アメリカでプレーしてたときヤクザに愛人をあてがわれて、帰国後もその愛人を自宅近くに住まわせていたんだって。これもタレこみ漫画に描いてあった。
前田智徳(元プロ野球選手)
ソープランド通いばかりしていてソープ帝王とよばれていた。
松本人志
ニューハーフヘルスが好き(ニューハーフ男性のアナルに入れるのが好き?)。
江口洋介
1回11万円するSMクラブに通うマゾ。SMクラブで全裸で縄で縛られて鏡の前に映される行為が好き。SMクラブでヒーヒー甲高い声でよがる。
桜井和寿
一時期どこの風俗店に行ってもサインがあったほどの風俗好き。亀頭責めが好き。
テリー伊藤
ソープランドでソープ嬢に説教。
松方弘樹
ソープランドを経営をしていた親の跡をついてソープランドを経営していた。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の収録後に毎回、ビートたけしやスタッフ(テリー伊藤?)を連れて川崎市のソープランドに行く。
岡村隆
風俗大好き。アイドルや女優に緊張するためアイドルや女優と収録する直前に緊張をとるためにトイレでオナニーをする。
ラサール石井
ソープランド街(吉原)で交通事故。芸能界屈指の風俗好きとしても知られる。
小林幸子、野口五郎、土田和歌子(パラリンピック金メダリスト)
AV嬢が在籍するソープランド経営者“吉原のドン”と親しく交際していた。
笑福亭笑瓶
行きつけの風俗店で10万円払い8時間ぶっ通しでプレイ。→「急性大動脈解離」で入院。
篠原信一(シドニー五輪で柔道銀メダル)
テレビで風俗通いを告白。
私が吉原(ソープランド街)にいた時は、お相撲さんや有名な政治家が来ていた。
お笑い芸人は、もう数え切れないほど…。
http://i.imgur.com/t1K3LRb.jpg
高級ソープ嬢の間で語られる最新事情
・安倍晋三・ビートたけし・清原和博・山下智久(ジャニーズ)・錦戸亮(ジャニーズ)・EXILE・唐沢寿明・高見盛・渡部陽一(戦場カメラマン)・トミー・リー・ジョーンズ・YOSHIKI
http://i.imgur.com/5DEJuVx.jpg >>215
んなーこたーない!!
/)
/ /)
`/// __
| ̄二つ /⌒⌒\
| 二⊃/(●) (●) \
/ ノ/ ⌒ (_人_) ⌒ \
\_/| | ┬ | |
/ \ `ー ′ / 長文さんもこのまま消えたらあらすじさんのように神格化されるのかな。 視聴率スレ連投ってあらすじ長文でなくて俺のこと?
とうとうあのくだらない場所に登場させてもらうことになったのか。
確かにたまに下らない清盛攻撃にお遊びでパトリオットミサイル打ち込むこともあるけどな。
しかしながら、なんでお前らが総力をあげて視聴率を弄び自らも遊び惚ける茶番自演興行の場に
ねちっこく付き合わなきゃならんのだ。真っ平ごめんだよ、そんな下らない人生。
当然あらすじ長文は当然そこにもいるだろうよ。仕事なんだから。
はともかく、直虎スレの目下の惨状はなんなんだよ。いい加減くっさい芝居やめなよ。
自演バトルで荒稼ぎの得意技は本スレ以外でやれ。
ファンが寄りつかなくなると、本スレですらこいつらの茶番大根猿芝居で埋め尽くされしまう。 「そちが言うたではないか!叔父子と呼ばれ疎まれてきた朕に、この醜き世をもっと面白う生きよと」
「あのあと朕は美福門院に陥れられ、政のできぬ身に追いやられた(謀りおったな得子ぉぉーーー)
・・・世捨て人のような暮らしを強いられて待つこと13年。やっと再び面白う生きる機会が訪れようとしておるのじゃ。
そちが朕の力にならずして何とする!」
昨日の沖縄返還交渉に命をかけた転生崇徳氏
「いつまで沖縄を捨て石にしておくつもりなのか!!」
この怒り、激情、迫力。まさに崇徳さんでした。 そういえば、荒らしているのは何と何と人稼ぎを目論む運営自身!
この衝撃的でしかし今ではすっかり周知されてしまった「真実」を暴かれると、
あわてふためいて、暴いた人間を当事者に引き込むというのも(そいつのせいにする)、
まさしく2ちゃん運営お馴染みの常套手段ね。
>>218どう?w なぜ、磯プロデューサーは、市場最低最悪のクソ大河責任者という十字架を背負わされたの? それは磯巾着にはそれだけの力があるということじゃ
人はみな重き十字架を背負うておる。 磯氏は天晴であったが、磯氏ということでその後見たドラマはあんまりピンと来ず?だったなw
今度の「この声を君に」というやつ凄く楽しみなんで、さすが磯氏と誉めさせてくらはい。 灘・筑駒・麻布
日本を代表するリベラル超進学校がこぞって採用した学び舎の中学歴史教科書を読む
今の中学生はこんな視覚的にも歴史記述的にも物語的にもお見事な教科書で
歴史を学べるなんて羨ましい限り。世界史的視座にも欠かないアグレッシブな内容に
暫し夢中になってしまった
唯一従軍慰安婦の記載があるということでウヨが大騒ぎし灘へは自民政治家を巻き込んでの
組織的な妨害活動が行われ、これに対して灘校長による真に清々しい反論がなされた
で見た限りでは従軍慰安婦なる言辞は出てこずあくまでそのような悲劇がありましたよ
という暗喩的な記述ー日本軍と共に移動させられ自分の意思で行動することはできなかったー
があるにすぎない
一方何とわが八条院あきこ様が荘園@院政期に絡んでフルネームで登場するー鳥羽上皇の時代、
院の身内や信仰する寺社に、たくさんの荘園が寄進されました。娘の八条院ショウシには、結局、
220ヶ所もの荘園が集まりましたー
大河清盛で画期的にも以仁の乱の黒幕としてクローズアップし後白河もぞんざいに扱えなかった
ふてぶてしい八条院様の権勢の拠り所はここにあった
荘園という社会経済的観点から見て中世的世界の肝といえるカテゴリーに、中学生から誘われる
エリートたちが羨ましいータイトルは「荘園絵図をえがくー院の荘園と平氏」 でこの間、例の遊び人のババアのツイを見たら、何とかというウヨの
「この教科書は近現代に比重を置きすぎしかもイデオロギーによって歪曲されてしまい
肝心の江戸をぞんざいに扱っている」との笑ってしまうような戯言に飛びついてた
そもそも近現代史までいかないうちに終了という授業の実態が原爆を落とした国はどこかも
知らないような若者を大量に再生産し続けてきた・・・この反省にたって近現代重視は
学習指導要領で昨今強調されているー歴史修正主義の側からの圧力も当然あるが・・・
なぜ江戸は肝心なのだろうか?もちろん前近代的身分社会でありながら近代を
内部から胚胎させていった江戸の重要性は疑いえないが
でそんなこと読んだのでどんなに江戸軽視かと思ったらこれまたすこぶる充実している
毎日遊び呆けて自分では何も読みもしないくせに偉そーな社会批評を臆面もなく
やってる連中が大河評論のリーダーとは寒々しい光景ではありませんか皆さん
ちなみに本書のアドバイザーとして東大の歴代現役の大先生たちが名を連ねている
ー古代は佐藤信、平安は保立道久、そして江戸は藤田覚、現代はベトナム史の古田元夫
東大以外でも、戦国は池享、近代は大日方純夫、現代は大門正克という豪華メンツ 私学補助金ガバガバの創価大がエラソーに講釈垂れてんじゃねーよ
日本会議も創価も同じ穴の狢の圧力団体だろーが ああ清盛同窓会みたいなライフいう番組録画してないよ 涙 もしかして忠実と時子がイチャコラして頼朝を生んだのか! 本日のライフ
自称日本一の大河痛であられるノグチよしあきさんによると
清盛役者が多数出ようと出まいと馬鹿にし尽くした清盛風ではなく
奇跡の大河だという三谷真田丸風となるのですね何が何でも
なるへそ 秋篠宮
タイを訪問した時に秋篠宮に付いたガイドが、秋篠宮はソープランドを見学したと、はっきり発言。
長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)
長嶋のタニマチは吉原のソープランドの帝王。このソープランドに長嶋のサインがある。
イチロー
ヤクザが経営する巨乳ヘルスで店で一番のデブとオムツを付けて赤ちゃんプレイをしていた(イチローが赤ちゃん役)。
後で経営者のヤクザから脅されオリックスが口止め料で1億円を支払う。
噂だけど、ソープランドでイクときに「監督(仰木彬)〜」と言った。
清原和博
花束を持って高級ソープランドにいく。デリヘルで本番強要。覚醒剤を使ってアナルセックス。
落合博満(プロ野球史上唯一となる3度の三冠王)
高級ソープランドでアナル責めされるのが好き。
小久保裕紀(侍ジャパンの元監督)
熊本の高級ソープランドを頻繁に通う。費用はタニマチが支払っていた。後輩の攝津正、本多雄一をソープランドに連れて行くことも。
野茂英雄(元プロ野球選手)
アメリカでプレーしてたときヤクザに愛人をあてがわれて、帰国後もその愛人を自宅近くに住まわせていたんだって。これもタレこみ漫画に描いてあった。
前田智徳(元プロ野球選手)
ソープランド通いばかりしていてソープ帝王とよばれていた。
松本人志
ニューハーフヘルスが好き(ニューハーフ男性のアナルに入れるのが好き?)。
江口洋介
1回11万円するSMクラブに通うマゾ。SMクラブで全裸で縄で縛られて鏡の前に映される行為が好き。SMクラブでヒーヒー甲高い声でよがる。
桜井和寿
一時期どこの風俗店に行ってもサインがあったほどの風俗好き。亀頭責めが好き。
テリー伊藤
ソープランドでソープ嬢に説教。
松方弘樹
ソープランドを経営をしていた親の跡をついてソープランドを経営していた。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の収録後に毎回、ビートたけしやスタッフ(テリー伊藤?)を連れて川崎市のソープランドに行く。
岡村隆
風俗大好き。アイドルや女優に緊張するためアイドルや女優と収録する直前に緊張をとるためにトイレでオナニーをする。
ラサール石井
ソープランド街(吉原)で交通事故。芸能界屈指の風俗好きとしても知られる。
小林幸子、野口五郎、土田和歌子(パラリンピック金メダリスト)
AV嬢が在籍するソープランド経営者“吉原のドン”と親しく交際していた。
笑福亭笑瓶
行きつけの風俗店で10万円払い8時間ぶっ通しでプレイ。→「急性大動脈解離」で入院。
篠原信一(シドニー五輪で柔道銀メダル)
テレビで風俗通いを告白。
私が吉原(ソープランド街)にいた時は、お相撲さんや有名な政治家が来ていた。
お笑い芸人は、もう数え切れないほど…。
http://i.imgur.com/t1K3LRb.jpg
高級ソープ嬢の間で語られる最新事情
・安倍晋三・ビートたけし・清原和博・山下智久(ジャニーズ)・錦戸亮(ジャニーズ)・EXILE・唐沢寿明・高見盛・渡部陽一(戦場カメラマン)・トミー・リー・ジョーンズ・YOSHIKI
http://i.imgur.com/5DEJuVx.jpg 訂正
「問い直される戦後」という章において河野談話を引用する形で
慰安婦という言葉が出てくる。これに今の日本政府の見解を併記している
最近のおんな城主はメロドラマと言ったらおばちゃんたちに怒られそう
清盛にもおどろおどろしい昼ドラはあったがそして心理ドラマの性格も強かったが
男と女の間で繊細に交錯する心情のようなものが物語の核となることはなく
ストーリーを推進したのは常に歴史そのものだった(資料が殆どない周縁的な人物である
直虎に清盛のやり方を求めることはできないので優劣の話ではない)
祇園社事件あたりまでの清盛についてはあまり資料が残っていないものの
最近の大河の中では題材的に恵まれていた方だろう
この幸運を生かすかのように清盛は史実の制約の下で豊富な資料を基礎に
しかし物語性を前面に打ち出したオリジナル大河を創造する気概に溢れていた 228.229と235は同一人物ということか 235がずいぶん紳士的な文章で内容も素晴らしいので
若手の新進気鋭の学者が初降臨したと思ったが228と229は長文さんのようなので
違うようだ。長文さんは酒が残っていると人格が素面の時とべつじんということか? 絶賛してるやつは自演臭いな
読んでる人はほとんどいないのに ん?私のことをいっているのか?別に自演ではないし絶賛まではしていないが公平にみても
長文さんほど見識もあり筆のたつ人は少なくともこのスレでも大河スレでも見たことが
ないのでありのまま書いただけだ 不肖平長文、なるべくお行儀良く振る舞いたいです
しばしば清盛ファンにもご迷惑をおかけいたしますもんで
酒入るとスイッチ入るのは明らかですが入ってなくてもまたかよいい加減にせい!
となった時もスイッチ入ります
反論してくれた人に怒ったりはしません。そうではなくその時はやり過ごしながら
ほとぼりが冷めた頃にまたぞろ寸分違わぬ因縁を臆面もなく繰り返す下衆な態度が
気に食わんのであります
昨日はお馴染み「清盛は季節感が一切なかったー」に久々ご挨拶して顰蹙を買いました
水仙は何よりも鳥羽&たまこの愛のシンボルvsなりこは菊
この愛のシンボルを義朝が京に帰国するきっかけを与えるアイテムとして機能させた
・東国に勢力を扶殖した義朝の次なる戦略は京に凱旋して新たな地歩を築くこと
・そこにもたらされたのが季節外れの水仙を探せとの鳥羽の命
・早馬を走らせ陸奥の山奥という寒冷地で水仙を見つけた義朝は京へ急行する
・すれ違い続けたたまことの愛を最後の最後で水仙により確証した鳥羽は
功労者義朝に官位を与え報い、ようやく貴族社会への仲間入りを果たした義朝は
以後鳥羽の近臣として頭角を現していく。しかしそれは摂関家にあくまでも従属する
為義との骨肉の争いの開始を意味した
たった一つのアイテムからこれだけの核心的な歴史的展開(義朝東国修行からの帰国、
鳥羽へ奉仕、出世、為義との路線対立・確執)を引き出したというのに、
水仙ネタはさんざんせせら笑われた。だから俺は怒るのだ(アルコール入ってます)
今頃水仙が咲いてるわけないじゃないのそんなことも知らない無能がーってさ
家成さんもそう法皇様にご注進してたじゃないの。夏の京には水仙は咲かないという
季節感に対する理解を前提にこれを重要な史実展開へと見事に溶け込ませた創作
だったのですよ水仙ネタは。ドラマ的には義朝が京に戻るのも鳥羽から気に入られるのも
何かのきっかけが必要でしょ。水仙はこの2つを同時に叶えるスーパーアイテムだった 昔は良かった大河他たぶんほとんどの大河の習わしではナレで
「義朝が東国へ下向してから十数年の時が過ぎた。
力を蓄えた義朝はついに京へ戻り今は鳥羽院にお仕えする身である」マル!がせいぜいだろう
(そもそもこのレベルで歴史を扱うことは滅多にないが)
清盛はこういうやり方を拒否して因果の流れをドラマ上明らかにすることに執着した
多彩なシンボル(歌、穴、矢 、刀剣、花など)を操作することで歴史事象のど真ん中を穿ち
人物像の核心に迫りかつ事象と事象、事象と人物、人物と人物とを次から次へと連結していった
こうしたところに大河清盛の卓越性が端的に現れている(ところがババアによると
小ネタのシークエンスにすぎず歴史を描けない無能な藤本の逃げの一手なのだそうだ。
愛するミタニンと違って!) とヴぁいんの中の人ってWOWOWにばっか出てるな。 時専で赤マフラー時宗がハジマタ
柳葉は塚本の子孫。タフマン出てる。猫侍演じる平頼綱はどこか鱸丸ぽい。
(鱸丸は頼綱みたいならんぼうものでは無いけど) 政子の実の父親が闇化するのが見ものである大河ドラマ北条時宗 ああ芸スポだっけそれ
今日おんな城主は男ヒロイン政次とお別れのようだが辞世に注目だな
何しろこれぞ戦国という時代性を見事に表現した和歌なのだそうだ
清盛の創作和歌については崇徳の怨念を詠んだ縦(横)読み和歌を紹介した
もう一つ堀河さん作、かの「長からん心も知らず黒髪の」が完成する一歩手前の歌に着眼したい
堀河が自身満々に披露したこの原歌を西行義清が褒めつつも弱点を指摘して
添削して出来たのがかの名作なのであった
このパーフォマンスにより和歌名手ぶりをたまこの前で見せつけた義清は
作戦通り出世の足がかりを得た
ー崇徳とお友達、堀河とは男女の仲、そしてたまことの禁断の愛→破滅、出家
ともあれ堀河の名作の誕生には西行が絡んでいた!と考えるだけで楽しいでしょう
そしてこの創作は堀河の完成和歌の卓越性がどこにあるかについての理解がないと
なし得ない。でないと添削前のイマイチの原歌は生まれようがないからだ
まとめると
・和歌ではない「和歌もどき」により新棟梁清盛はユニークな朝廷デビューを飾り
存在感を見せつけた
・今に伝わる名歌のあったかもしれない誕生秘話を天才西行との絡みで想像させた
・一読オーソドックスな平安調和歌に潜む仕掛けにより崇徳の怨みを表出させた
いずれも和歌の文化性と政治性に対する深い理解なしになし得る技ではない
その辞世がどれだけ戦国に固有なものか存じ上げぬが、たぶん森下女史は
戦国文化に造詣が深いのだろう
ならば同じくらい藤本女史は平安文化に造詣が深いあるいは深めたと断言できる
しかるに2ちゃんを牛耳るリーダーの一人である自称日本一の大河通が、「無知な藤本とは
大違いの森下」なる目が・級の戯言を呟き、早速これを本人ないし取り巻きが2ちゃんに落として
「世論」の流れを創り出し、次にマスコミがこれに飛びつき「常識」となっていく
これは一例に過ぎないのであって、こういうネットを発信地とする思慮を欠く大河評論が
大河とりわけ清盛の真価を著しく歪めていったとの診断に基づき長文いたしました 三上博史vs松山ケンイチを実現させてくれたのが今にして思えば大きかったかも。
三上vs菅田将暉って今や実現不可能かも。 ついに執拗に抵抗していたアンチも長文さんには敵わないと敗北を認めて現れなくなったようだな
大河の清盛が真価をようやく認められ大河の頂きにたったということか でもあのアンチの煽りがなければ長文さんの書き込みも激減したはずで もしかしてあえて敵対することで清盛批判の盾となり長文さんに論破されることにより清盛を守っていたという小野政次の
ような考えだったのかも お前本人だろ
要はムキになって長文の嫌がらせをしていたということか
そりゃ過疎化するわ 長文頼りのこのスレが生き残れると思っているのか 地獄のそこから見届けてやるわ 主役と関係ないパートもひどかったろ…同じ歌の繰り返しとか… 家康の土下座エスケープ
お前本当に謀僧信西の生まれ変わりなのかと 海賊回で言えば、兎丸に縛られて絶体絶命の清盛にどこからか聞こえてきた
遊びをせんとやの声の主がいつものopの女の子ではなく母舞子であったことが重要
母が歌う遊びの歌に励まされピンチの清盛は生への活力を維持することができた
一方、祇園の聖子@青墓が奏でる同じく遊びをせんとやの歌によって孤独な
要らぬ皇子雅仁はボーンアゲインした→どうでも良かった帝位への意欲を初めてもち
手繰り寄せた
清盛は母によって、雅仁は母代わりの祇園女御によって新たな生を吹き込まれたのである
(大病で生死を彷徨う清盛をこの歌で励まし生への帰還を誘ったのも母代わりの女御である)
ことほど左様に生命の歌=遊びの歌は決定的に重要なライトモチーフであり続けた
しかも何とかの一つ覚えのようにむやみにリフレインされたのではなく
状況に応じて様々な意味を変奏させていったのであり、同じ遊びの歌が誰がどの場面で
歌いどのような意味を担ったかを押えなければならない(後白河に滋子が応えて歌う
ーいわば愛の二重唱、死にゆく清盛への挽歌となった後白河最後の朗唱など)
先の話に戻ると、吹っ切れて帝位への意欲も露わな別人のごとき後白河が歌う遊びの歌
に接した清盛は
「何でござりますかその歌は。いつか海賊船にて耳に蘇った歌」
(どこかで聞いた気がする、遠い昔に)
「あの時あの歌が聞こえてこなければ俺は生きていられなかったかもしれぬ」
と語りかけ、それに対して後白河が「ほう、そなたもか」と応じた場面を想起されたい
平治の乱後成立する両者の政治的連携の萌芽は、誕生後白河回において合致をみた
遊びの歌という共通の生の紐帯に求められる(タブーを恐れない、好奇心の塊、
迷信嫌いなどのキャラも共通する→滋子の婚礼) こうしてみると胎児ないし嬰児記憶に残る母舞子の存在が清盛にとっていかに大きかったかを痛感する
清盛を規定し超えるべき目標となった二人の巨大な父性だけではなく母舞子の母性も巨大だったのだ
清盛の大病と出家という後半生への画期となった重要史実から驚くべきドラマを引き出したのが
母の胎内において瀕死の清盛が敢行した「冥界巡り」である(白河院の伝言回)
苦悶の表情で流離う清盛は女御の歌に誘われるかのように再び白河に対峙した
そして父に決然と「あなた様を超えてみせまする」決意表明をしたところで清盛は蘇生したのだった。 史実といえば後白河の双六くらいの大きさの腫れ物ができたというのも史実で
時期は清盛の大病の半年くらい前だったと思うが こういった時期の近い史実を絡めて
脚色するのが非常に秀逸 他にも平家納経と崇徳院をからめたのもよかった
こういった手法は花の乱でもあったが{花の御所炎上と日野勝光の 逝去など 半年くらいの違い}
脚本 音楽 映像 キャスティングなど多くの点が大河史上でも屈指の素晴らしさにもかかわらず
視聴率はよくなかったなどこの2作品は共通するところが多いと思う アンチはみな逝ったか。お盆はすぎたがご先祖様と一緒に
平らかにして清らかな御心でますます盛んなる本スレをお見守りくだされ。
合掌 清盛憎しのババアたちが元気出してくれないとつまんないよw
昼見たらラジオ体操第一良〜いに始まり毎日毎日何百もツイしてお達者な金満婆さんさんが
「ある大河は人物相関図で堀河帝をなかったことにした(指摘を受けて訂正)」と呟いてた
もちろん本編では鳥羽はちゃんと白河の孫の設定であり何ら問題はないが(というか
そんな基本中の基本を知らない馬鹿がいるはずもない。ところが作品そのものではないHPの
記載に飛びついて、無知な制作側がーとドヤ顔するのがデフォ。それでいて家盛を消し去り
経盛が次男でしかも同母、重盛は時子腹という目眩がするような新平家は問題なしなのだそうだ
しかも大河は元々講談の世界であり真田丸が本来の物語性を取り戻しー確か講談はやりません
史実の信繁ですと胸を張ったはずだがー直虎がこの路線を受け継いで??(清盛がぶち壊した)
悪しき大河の流れを正常化しつつある、これもミタニンのおかげ!なる笑止千万の与太話で
ババアたち一同ソーダソーダ盛り上る一方で、大河清盛の史実と虚構の絶妙なブレンドが織りなす
講談調ではない強烈な「物語世界」は憎しみの対象でしかない)
ということで実際どういうHPだったのか?覚えてる人おせえて下さいませ
なかったことにしたという以上、白河の子として鳥羽が図示されていたのか?それとも
白河→名無しの囲み→鳥羽となっていたのか、その辺が気になる
前作であればそのHP担当者は訓戒もの(ただし作品そのものの価値とは無関係、
まして脚本演出が無能であることの証拠となるわけがない)、後者であればもう死んでるので
省略しただけのこと そもそも白河の孫でないと鳥羽朕と崇徳との関係は
お
じ
こ
にならんでしょ
叔父子という現代人にはポカーンの摩訶不思議な人間関係が前半の清盛をややこしくし
モラル的にも視聴者を遠ざけた要因の一つだろう
タフマン白河の性的乱脈が撒いた災いの種が王家の皇統分裂を生み、これに摂関家の内紛が
ミックスされて勃発したというのが通説が見通す保元の乱の基本構図だ
平氏源氏は乱の起動要因ではなかったが(だから前半の魅力が王家摂関家側にあった
としても何ら不思議ではない)乱に動員され勝敗を左右する武力を見せつけたことで
「ムサの世」(慈円)の道を切り開く大きな一歩となった
叔父子説は今では批判も強いようだが清盛は以上のオーソドックスな歴史把握に立って
保元の乱を魅力いっぱいに描いて見せた
その前提として平氏・源氏・王家・摂関家それぞれの人物相関図の正確な把握が不可欠であり
この点清盛は非常に的確だった(平氏で言えば異母兄弟の区別、描き分け。棟梁の座を争った
正妻の子家盛を省略するなどありえないし、離反傾向を有した頼盛の位置づけも適切、
後に登場する武人歌人忠度への焦点の当て方も秀逸。重盛世代も腹違いの息子たちに
時子も絡んだ一蓮托生で仲の良いはずの面々による水面下での確執が見どころ。
他方忠正の設定については史実から離れドラマ的に上手にアレンジした。しかしそれは講談調の
面白さを追求したいがためではない)
要するに叔父子説を採用した以上、史実はもとよりドラマ上も堀河をすっ飛ばして鳥羽を白河の子
と捏造するなど万に一つもありえない。現に作中で当の本人たちが叔父子フレーズを用いていたではないか
仮に堀河がなかったとされていたのなら、ホムペ作成者の単なる凡ミス以上のものではなく
無知無能な制作側がーの証明には残念ながらならない、御愁傷さま 汚盛制作サイドは、大河を壊滅させる事に何のメリットを見出して大河をメチャクチャにしたの? だからスレチだと前からいってるだろ、ここではなくシエスレでいってこい。 >>261
大河が壊滅されなかったのは翌年の八重のおかげだな ロスロス大安売りが始まるとウンザリするのだけれど
清盛でロスと祭り上げられるとしたら義朝と崇徳、忠正叔父さん
そして忘れてならないのが重盛かね
悲劇性からは悪左府と信西も立派な対象者だがキャラ的にちょっとない
院の近臣西光と成親の最後はそれはそれは強烈だったが不屈の男と蝙蝠男では
おばちゃんたちがフォレバーするには色気に欠けていた
最後までカッコ良く退場した忠盛父さんはロスではなくお疲れ様!
肝心の清盛は無頼の高平太から闇落ち入道まで終始散文的な男だったゆえ
間違ってもロスの対象とはなりえないw
最低視聴率大河清盛が享受した数少ない僥倖と思っているのだが
タマキン主従の壮絶な自決もアラタ一世一代の怨霊演技も斬れない清盛を
煽りまくってついに斬らせた実は最後まで優しかった豊原氏も
後白河翔太に嬲られやつれ果てて死んでいった窪田くんも
その死を悼みロスロスする大絶賛の記事がマスコミから発せられて
トレンドとなるようなことはなーーにもなかった
我々は彼らの名演技を各人のパーソナルな想いで受けとめることが出来たのだ 海賊討伐(忠盛のさらなる出世、さらに後の清盛の国造りにとって絶対に
見逃せない意味をもった重要史実。これが単なる海賊ファンタジーのはずがない)
という同一テーマを2話連続してまとめて見た翌週は
股肱の臣盛国誕生、最愛明子ゲット、孤独な崇徳、たまなり対決、博多現地視察に密貿易、
そしてこれを許すまじと満を辞して登場するコチコチ頭の法家頼長
という具合にテンポ良くストーリーは拡散展開していく
狙ったわけではないだろうが銀河再再盛の放送形態は なかなか洒落ている 宗盛が「あいの結婚相談所」にイケメン僧侶役で転生
結婚詐欺に簡単に引っ掛かるお人好しのように見えて
裏では名門寺院の乗っ取りを着々と企む策略家ぶり
宗盛にこの半分も謀略の才があったなら
平家一門は海の藻屑と消えずにすんだであろうに 明らかに近年の大河ドラマでは最高傑作のクオリティだった。
全ての役者が鬼気迫る最高の演技力、伏線がこれでもかと張り巡らされた脚本、
メイク、カメラワーク、見るものが見れば最高の水準であったことは疑う余地も
なくすばらしかった。一つの芸術作品としてみれた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています