【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 三上博史vs松山ケンイチを実現させてくれたのが今にして思えば大きかったかも。
三上vs菅田将暉って今や実現不可能かも。 ついに執拗に抵抗していたアンチも長文さんには敵わないと敗北を認めて現れなくなったようだな
大河の清盛が真価をようやく認められ大河の頂きにたったということか でもあのアンチの煽りがなければ長文さんの書き込みも激減したはずで もしかしてあえて敵対することで清盛批判の盾となり長文さんに論破されることにより清盛を守っていたという小野政次の
ような考えだったのかも お前本人だろ
要はムキになって長文の嫌がらせをしていたということか
そりゃ過疎化するわ 長文頼りのこのスレが生き残れると思っているのか 地獄のそこから見届けてやるわ 主役と関係ないパートもひどかったろ…同じ歌の繰り返しとか… 家康の土下座エスケープ
お前本当に謀僧信西の生まれ変わりなのかと 海賊回で言えば、兎丸に縛られて絶体絶命の清盛にどこからか聞こえてきた
遊びをせんとやの声の主がいつものopの女の子ではなく母舞子であったことが重要
母が歌う遊びの歌に励まされピンチの清盛は生への活力を維持することができた
一方、祇園の聖子@青墓が奏でる同じく遊びをせんとやの歌によって孤独な
要らぬ皇子雅仁はボーンアゲインした→どうでも良かった帝位への意欲を初めてもち
手繰り寄せた
清盛は母によって、雅仁は母代わりの祇園女御によって新たな生を吹き込まれたのである
(大病で生死を彷徨う清盛をこの歌で励まし生への帰還を誘ったのも母代わりの女御である)
ことほど左様に生命の歌=遊びの歌は決定的に重要なライトモチーフであり続けた
しかも何とかの一つ覚えのようにむやみにリフレインされたのではなく
状況に応じて様々な意味を変奏させていったのであり、同じ遊びの歌が誰がどの場面で
歌いどのような意味を担ったかを押えなければならない(後白河に滋子が応えて歌う
ーいわば愛の二重唱、死にゆく清盛への挽歌となった後白河最後の朗唱など)
先の話に戻ると、吹っ切れて帝位への意欲も露わな別人のごとき後白河が歌う遊びの歌
に接した清盛は
「何でござりますかその歌は。いつか海賊船にて耳に蘇った歌」
(どこかで聞いた気がする、遠い昔に)
「あの時あの歌が聞こえてこなければ俺は生きていられなかったかもしれぬ」
と語りかけ、それに対して後白河が「ほう、そなたもか」と応じた場面を想起されたい
平治の乱後成立する両者の政治的連携の萌芽は、誕生後白河回において合致をみた
遊びの歌という共通の生の紐帯に求められる(タブーを恐れない、好奇心の塊、
迷信嫌いなどのキャラも共通する→滋子の婚礼) こうしてみると胎児ないし嬰児記憶に残る母舞子の存在が清盛にとっていかに大きかったかを痛感する
清盛を規定し超えるべき目標となった二人の巨大な父性だけではなく母舞子の母性も巨大だったのだ
清盛の大病と出家という後半生への画期となった重要史実から驚くべきドラマを引き出したのが
母の胎内において瀕死の清盛が敢行した「冥界巡り」である(白河院の伝言回)
苦悶の表情で流離う清盛は女御の歌に誘われるかのように再び白河に対峙した
そして父に決然と「あなた様を超えてみせまする」決意表明をしたところで清盛は蘇生したのだった。 史実といえば後白河の双六くらいの大きさの腫れ物ができたというのも史実で
時期は清盛の大病の半年くらい前だったと思うが こういった時期の近い史実を絡めて
脚色するのが非常に秀逸 他にも平家納経と崇徳院をからめたのもよかった
こういった手法は花の乱でもあったが{花の御所炎上と日野勝光の 逝去など 半年くらいの違い}
脚本 音楽 映像 キャスティングなど多くの点が大河史上でも屈指の素晴らしさにもかかわらず
視聴率はよくなかったなどこの2作品は共通するところが多いと思う アンチはみな逝ったか。お盆はすぎたがご先祖様と一緒に
平らかにして清らかな御心でますます盛んなる本スレをお見守りくだされ。
合掌 清盛憎しのババアたちが元気出してくれないとつまんないよw
昼見たらラジオ体操第一良〜いに始まり毎日毎日何百もツイしてお達者な金満婆さんさんが
「ある大河は人物相関図で堀河帝をなかったことにした(指摘を受けて訂正)」と呟いてた
もちろん本編では鳥羽はちゃんと白河の孫の設定であり何ら問題はないが(というか
そんな基本中の基本を知らない馬鹿がいるはずもない。ところが作品そのものではないHPの
記載に飛びついて、無知な制作側がーとドヤ顔するのがデフォ。それでいて家盛を消し去り
経盛が次男でしかも同母、重盛は時子腹という目眩がするような新平家は問題なしなのだそうだ
しかも大河は元々講談の世界であり真田丸が本来の物語性を取り戻しー確か講談はやりません
史実の信繁ですと胸を張ったはずだがー直虎がこの路線を受け継いで??(清盛がぶち壊した)
悪しき大河の流れを正常化しつつある、これもミタニンのおかげ!なる笑止千万の与太話で
ババアたち一同ソーダソーダ盛り上る一方で、大河清盛の史実と虚構の絶妙なブレンドが織りなす
講談調ではない強烈な「物語世界」は憎しみの対象でしかない)
ということで実際どういうHPだったのか?覚えてる人おせえて下さいませ
なかったことにしたという以上、白河の子として鳥羽が図示されていたのか?それとも
白河→名無しの囲み→鳥羽となっていたのか、その辺が気になる
前作であればそのHP担当者は訓戒もの(ただし作品そのものの価値とは無関係、
まして脚本演出が無能であることの証拠となるわけがない)、後者であればもう死んでるので
省略しただけのこと そもそも白河の孫でないと鳥羽朕と崇徳との関係は
お
じ
こ
にならんでしょ
叔父子という現代人にはポカーンの摩訶不思議な人間関係が前半の清盛をややこしくし
モラル的にも視聴者を遠ざけた要因の一つだろう
タフマン白河の性的乱脈が撒いた災いの種が王家の皇統分裂を生み、これに摂関家の内紛が
ミックスされて勃発したというのが通説が見通す保元の乱の基本構図だ
平氏源氏は乱の起動要因ではなかったが(だから前半の魅力が王家摂関家側にあった
としても何ら不思議ではない)乱に動員され勝敗を左右する武力を見せつけたことで
「ムサの世」(慈円)の道を切り開く大きな一歩となった
叔父子説は今では批判も強いようだが清盛は以上のオーソドックスな歴史把握に立って
保元の乱を魅力いっぱいに描いて見せた
その前提として平氏・源氏・王家・摂関家それぞれの人物相関図の正確な把握が不可欠であり
この点清盛は非常に的確だった(平氏で言えば異母兄弟の区別、描き分け。棟梁の座を争った
正妻の子家盛を省略するなどありえないし、離反傾向を有した頼盛の位置づけも適切、
後に登場する武人歌人忠度への焦点の当て方も秀逸。重盛世代も腹違いの息子たちに
時子も絡んだ一蓮托生で仲の良いはずの面々による水面下での確執が見どころ。
他方忠正の設定については史実から離れドラマ的に上手にアレンジした。しかしそれは講談調の
面白さを追求したいがためではない)
要するに叔父子説を採用した以上、史実はもとよりドラマ上も堀河をすっ飛ばして鳥羽を白河の子
と捏造するなど万に一つもありえない。現に作中で当の本人たちが叔父子フレーズを用いていたではないか
仮に堀河がなかったとされていたのなら、ホムペ作成者の単なる凡ミス以上のものではなく
無知無能な制作側がーの証明には残念ながらならない、御愁傷さま 汚盛制作サイドは、大河を壊滅させる事に何のメリットを見出して大河をメチャクチャにしたの? だからスレチだと前からいってるだろ、ここではなくシエスレでいってこい。 >>261
大河が壊滅されなかったのは翌年の八重のおかげだな ロスロス大安売りが始まるとウンザリするのだけれど
清盛でロスと祭り上げられるとしたら義朝と崇徳、忠正叔父さん
そして忘れてならないのが重盛かね
悲劇性からは悪左府と信西も立派な対象者だがキャラ的にちょっとない
院の近臣西光と成親の最後はそれはそれは強烈だったが不屈の男と蝙蝠男では
おばちゃんたちがフォレバーするには色気に欠けていた
最後までカッコ良く退場した忠盛父さんはロスではなくお疲れ様!
肝心の清盛は無頼の高平太から闇落ち入道まで終始散文的な男だったゆえ
間違ってもロスの対象とはなりえないw
最低視聴率大河清盛が享受した数少ない僥倖と思っているのだが
タマキン主従の壮絶な自決もアラタ一世一代の怨霊演技も斬れない清盛を
煽りまくってついに斬らせた実は最後まで優しかった豊原氏も
後白河翔太に嬲られやつれ果てて死んでいった窪田くんも
その死を悼みロスロスする大絶賛の記事がマスコミから発せられて
トレンドとなるようなことはなーーにもなかった
我々は彼らの名演技を各人のパーソナルな想いで受けとめることが出来たのだ 海賊討伐(忠盛のさらなる出世、さらに後の清盛の国造りにとって絶対に
見逃せない意味をもった重要史実。これが単なる海賊ファンタジーのはずがない)
という同一テーマを2話連続してまとめて見た翌週は
股肱の臣盛国誕生、最愛明子ゲット、孤独な崇徳、たまなり対決、博多現地視察に密貿易、
そしてこれを許すまじと満を辞して登場するコチコチ頭の法家頼長
という具合にテンポ良くストーリーは拡散展開していく
狙ったわけではないだろうが銀河再再盛の放送形態は なかなか洒落ている 宗盛が「あいの結婚相談所」にイケメン僧侶役で転生
結婚詐欺に簡単に引っ掛かるお人好しのように見えて
裏では名門寺院の乗っ取りを着々と企む策略家ぶり
宗盛にこの半分も謀略の才があったなら
平家一門は海の藻屑と消えずにすんだであろうに 明らかに近年の大河ドラマでは最高傑作のクオリティだった。
全ての役者が鬼気迫る最高の演技力、伏線がこれでもかと張り巡らされた脚本、
メイク、カメラワーク、見るものが見れば最高の水準であったことは疑う余地も
なくすばらしかった。一つの芸術作品としてみれた。 警察ドラマ乱立のワケ
260 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2017/08/28(月) 02:47:57.83
>>1
警察は毎年、裏金を200億円(以前は400億)も作って税金を盗んでる税金泥棒だから天罰だなww
最近は裏金200億円がバレたからか警官になりたがる人が少なくなって必死にテレビで
警察上げのイメージ洗脳工作してるよねww
イカサマ警察24時とか警察ドラマとか、電通と警察のステマだからねww 全編通した特徴でもあるのだけど宋銭と内大臣回の多元実況的展開は何度見ても見事
各パートがよく動きしかもそれぞれが横軸ー空間軸で緊密に連結されているので
取っ散らかることが一切ない。西国で海賊を平らげて意気揚々凱旋帰国した平氏
これに対比させた源氏は東国修業に出た義朝主従がヒャッハー。厳しい環境下自らの
サバイバルに精一杯で荒くれ武士たちを傘下に従えるどころではない
それは次回以降の課題でありワンシーンから始まった義朝の登場時間は力をつけていくのに
比例して増えていく(義朝個人史という縦軸ー時間軸。東国に源氏の勢力を扶殖して
ついに帰国したのが水仙回)
他方すっかりうらぶれ中の為義は押しかけ女房ツンデレ由良姫の訪問を受け楽しいコント
(由良の「と父が・・」が最後泣かせるダイイングメッセージに転化しようとは。。
武士の妻の鑑となっていく彼女の個人史も源氏パートの展開上重要な時間軸を形成した)
サイドストーリーだった源氏パートすらこの密度。そこに忠盛による密貿易という重要テーマに
絡めた清盛の博多視察、初登場摂関家頼長との対峙というメインストーリーが中心軸を成し
さらには爛れた愛憎により人間関係を縺れさせていく王家の面々がいよいよ妖しい魅力を放つ
そして次回はいよいよ未来のラスボス雅仁くんがいきなりキ印っぽく登場する
縦の俯瞰力と横の立体感に代表される構成力、各パート間のシームレスな繋がり、次々と
物語が紡ぎだされるストーリーテラーぶりすべて半端でない
でありながら基盤は常に史実にありこれらの総体が保元の乱へと雪崩れこんでいくのである 流罪の憂き目にブー垂れていたのに、美味しい食べ物もアレも満喫できてまんざらでもないご様子の時忠。
そういえば盛国同様、時忠の奥さんは必要なかったためか出てこなかった。
ご当地で提供されたオナゴは、上戸あやか、艶系女優ぽかったのか、それとも宮沢りえとそっくりだったのか・・・ タカヒロwho?ということで思わずググってしまった
ヨシトモとキヨモリと蛭子さんの何が不満なのだ常盤ちゃん! 遊びをせんとや生れけむのに
ずっと働かされてる哀れな現代人 お経のようにいつも唱えているので、久々長いの書きますた
521 名前:名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止[sage] 投稿日:2017/09/04(月) 18:14:12.47 ID:3nCwUpXL0
盗賊ファンタジーはつまらん
海賊ファンタジーから学習しとけよ
548 名前:名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止[] 投稿日:2017/09/04(月) 19:48:51.76 ID:gqXyBHsT0 [1/2]
>>521
・海賊討伐という忠盛期平氏にとっての重要史実を基盤としている
・検非違使に差し出されずに家人化された元海賊たちの知識と経験はその後大いに活用され(頼朝ナレ)清盛の交易国家構想実現のために
欠かせぬ人的資源となっていった
このプロセスを匿名の元海賊たちを集合的に代表する兎丸というオリキャラを用いて追求していったどこがファンタジーなのだ?
史実的基盤を有しかつ特定の誰某ではなく匿名の集合体が清盛平家に貢献した点で兎丸ほどオリキャラに相応しい人物を
大河で見つけるのは困難なくらいだ※
昔は良かった大河に頻出の意味のない賑やかし、ご都合主義丸出し、恋バナ要員オリキャラとは根本的に違う
おまけに兎丸が重要なのは海賊ではなく「元海賊」という属性であって、海賊回以降は博多貿易のバイヤー、瀬戸内航路の船長、
博多を近くにもってくるという発想の提供者、そして難工事となった大輪田泊建設の現場責任者というように兎丸はアウトロー的性格を残しつつも
清盛の手足となってその指揮命令系統に従って動き清盛が創り出していった歴史に随伴し貢献したまごうことなき家人であった
(さらに元義賊の孤児として冷酷な権力者と変貌していった清盛&時忠に対し京の下層民の正義を対峙する役割
〜人格を奪われた禿への同情、人道を省みないブラック企業家清盛への反発)
このように兎丸は、龍雲丸のように直虎に関する史的展開とは本来的に無縁の存在でありながら主人公の人生に関わるベく自由に動き回る男ヒロイ
ンとして脚本家が創作した「完全オリジナル現役盗賊」とほとんど接点をもつところがない
材料が足りないのでオリキャラをあちこち自由に動かして恋バナ含みで女主人公と絡め話をもたせましたというキャラでは兎丸はないのである
※大輪田泊については阿波の在地領主田口成良がモデルとなりうるが、海賊家人化とは無関係のためストーリーに位置づけられない上
京の下層民、孤児という問題系を採り上げて物語を膨らませることができない。田口もモデルの一人としたぐらいに考えておけば良い そんな重要な役柄を極楽とんぼにやらせたのが最大の失敗 ガサツでウザくて当時の支配層の規範からは逸脱しまくり(パーリア的→関西弁)
「常識人」たちを辟易させ嫌われながらも情に厚く子分たちからは慕われるアウトロー的なボス
清盛の子分となってからもいたずら従属するのではなく兎丸は自らの出自と正義観念に従い
志を共有するかぎりにおいて清盛のまたとない盟友そして仕事人であり続け清盛を支えた
(いずれ破綻する運命→兎丸無念回〜結局兎丸は決して支配層のメンバーにはなり得なかった)
そういう身分秩序外的な異端性を潔く受け入れた清盛の度量も特筆ものだ
(れっきとした武士の娘きりのタメ口を礼賛するミタニンスゲーのババアによると
身分社会の階層秩序に対する清盛制作側の無知蒙昧を兎丸は証明したのだそうだ)
このようなユニークなはみ出し者であった兎丸をふつうの役者が演ずることは難しい
白拍子の巨匠祇園女御と並びいわゆる芸人枠がものを言うキャラだろう
ユニークな視点と押しの強さでアンチを生み出しつつ、秘めた優しさのようなものを
感じさせる加藤氏は本人のキャラ的にも兎丸に適任であり大いに期待に応えてくれた >>280
自分が幻覚か何かを見ているという意識はあるんだろうか?ないだろ。 ない
加藤がなってない所以を兎丸とは何者だったかについて見解を述べた上で論ぜよ 兔丸とは最下層の貧民と権力者清盛を繋ぎ橋渡しするべき存在。
虐げられた人々に寄り添いつつも清盛と共に新しき世を創るべく
奔走するわけで本来相当の演技力を求められたはずなのに
キレる怒鳴るの一本調子だったのはいかんとも残念の一言に尽きる。
海賊王になるとの宣言もお笑い芸人から発せられるとギャグにしかならない。 デレもしたし何だかんだいって清盛が好きだったんだよ
だからこそ清盛の変節が許せなかった
最後禿に刺されても一つも抵抗せず彼らを見つめた悲しそうな表情
一本調子とか鼻からお笑い芸人は演技できっこないと決めつけないことだ
だいたい海賊王になるぞ〜は脚本家が忍び込ませたパロディなのだから
お笑い芸人がギャグっぽく発してなんぼの場面だ
なお加藤氏が名優とか主張しているのではなくあの兎丸には似合っていた
言いたいことはコレ、役者の評価は演じた役と切り離して行うべきものではない 厨ならんとほっすれば高ならず
高ならんとほっすれば厨ならず
【視聴率】
窪田正孝主演
「僕たちがやりました」
第8話は過去最低タイの5・2%
[無断転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1504660357/ やはり面白いんだが、見返すとあの歌が流石にウザい
歌の意味が全てなのは分かるが何度も何度も歌いすぎ
ここぞという時以外は別の歌をいくつか用意しとくべきだったと思う 個人的には清盛本編が神大河であの 歌もすきだったのでよかったが 歌がこのみに合わず視聴
やめたひともいたんだろうな 2年前の花藻湯はopが神だったので 本編はシエの次のワースト2だったが完走してしまった 大河清盛を罵倒しまくって昔はヨカッタと宣う
皆様の多くも絶賛するだろう大河新平家主演の仲代達矢氏が
松山君の清盛は新鮮でとてもよかったですよ
と評価していますな
https://dot.asahi.com/dot/2017090800117.html?page=3 そもそも完全版を見た人間がどれだけいるんだよ。
たった3時間ばかりの総集編で新平家を絶賛し、清盛を貶す際の規範と見なす人間が本当にいるのかはなはだ怪しい。
総集編の編集も芳しくないためか、仲代他の役者の名演技と端正な古典的格調は伝わってくるものの、
内容的には時代的制約を考慮してもはっきり言って酷くて、清盛とその時代に切り込んでいく作品とはいえない。
清盛と比較するのは失礼となってしまうので、昭和の名作に敬意を払いあまり言及しないようにしている。 > あと、藤本有紀ちゃんは、やっぱりもっと自由に描ける人主人公でやったほうがよかった気がする。西行先輩とか。
今見たら、2ちゃんにおける清盛罵倒の3トップの一人である遊び人が久々ツイってた。
前から何度も与太ってるワシの主張で新鮮味はございませんが。
これに反論したらすぐさま!反応したはいいが(2ちゃん与党なわけだから当然だ)、私は馬鹿は相手にしませんとのことで
何も再反論していない。
ミタニンすげー・パッパすてきーに続き、今年も森下女史の「自由」な創作を、ビジネスか本音かはともかく称賛。
反面、清盛とその時代へ切り込んでいった「有紀ちゃん」は、「自由」を失って精彩を欠いたのだそうだ。
たとえば、安徳の障子の穴開けという著名エピから引き出した「そこから眺め」という創作は、ミタニンが創作した春の
障子の穴開けと比べて著しく創造力や想像力が劣っていたとか、そのあたりを語ってくれ。
西行でやれについても既出。出家して表舞台から去った西行を主人公にどうやって50話もたせるのか、構想を語ってみろ。
以上、リアルに見ているだろうから頼むよ、晩ごは〜ん。 今日は直虎嬢と龍雲丸のチューで盛り上がってるので思い出した
新平家と違って清盛での常盤との関係は「とってつけた」ものなんだそうだ
確かに新平家では短い総集編にもかかわらず清盛と常盤とのラブが大きな
見せ場だった(もっとやることないのと呆れてしまった)
清盛の人生に歴史的に迫ろうとする姿勢からは蛇足でしかないこういう恋バナは
昔は良かった大河にそれこそ頻出する約束ごとみたいのものだが
大河清盛はこういう「とってつけた」ようなラブには見向きもせず
あくまでも勝者となった武家棟梁清盛の義務的行為(常盤たちの生存保証)
に特化していた。すなわち「とってつけた」衣を剥ぎとって物事の核心に
単刀直入に分けいったことが逆に「とってつけた」ことに見えたのだそうだ 主人公に感情移入して俺SUGEEEしたいタイプの人には辛い大河よね
小説でも一人称体の読み方しかできばい感じの >>1
大河を完全に破壊したい連中が総力を結集して作り上げた大河。 汚盛の色恋話がスベりまくったのは
龍雲丸のようなマチュアな男の感じが皆無だからさw 平清盛ってつくづく惜しいな
脚本がちゃんとしてれば名作になったのに 思い出すだけで恥ずかしい場面がいっぱいある
格調って大事やな 真田丸のラスト唐突な佐久間象山は平清盛のラスト唐突な日明貿易のパロディだと思う 別にあれは日明貿易というわけではないと思うが?
国同士の交易は足利の時代までなかったというナレで
民間レベルでは小兎丸が先頭に立ってやってたという絵だろ アンチはアンチスレで楽しくどうぞ
1年で10レスしか付かないからって本スレに書き込まないでね
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ どちらも物語終了時から見て将来起こる出来事をナレが言及した点で共通している
しかし信之の松代藩から幕末の鬼才佐久間象山が生まれたということと
それまで積み上げてきた真田物語とは何の連関もなくただ将来の史実を述べただけのことだ
このように人物や事象間の脈絡を欠き有名人なので言及しましたという扱いは
唐突と呼ぶに相応しい
他方頼朝ナレによる「足利の世になってようやく清盛が礎を築いた日中国家間貿易が
行われることとなった」という言明はまさに清盛が生涯かけて追求してきた目標の現実化に他ならず
これに言及しないまま終わったならば清盛物語は完結しないと言ってよいくらい
主人公清盛と強い関連性をもった出来事である
しかも頼朝ナレに被せて小兎丸が唐船で大海に漕ぎ出し咆哮するシーンを挿入したことで
日宋貿易を夢見て礎を築いた父兎丸と同志清盛の志は彼らの死によって失われることはなく
民間貿易として連綿と引き継がれたことが示唆された
すなわち日中貿易というテーマで積み上げられてきた物語の着地点であり長いプロセスの帰結
であった足利へ言及したことは唐突どころか必然だったのだ スレ違いですまぬが
銀河で「利家とまつ」が始まったので見てみたんだが
何これ?って印象で唖然呆然状態
これって辛抱して見続けてるといいことある?
ちなみに「義経」以降はずっと見てるけど、「江」だけは早々に脱落した 「利家とまつ」の脚本は「秀吉」と同じ人だよね
「秀吉」は原作が非常に面白かったので楽しみにしていたら
いい加減な内容で期待外れだったけど、一応完走はした 一向一揆門徒によるかの呪いの瓦文字を読んでしまった以上
利家とまつとかいう接近視角でこの時代の戦国有力大名を描くなんて耐えられない
なので単純に見忘れたのだが見る気がしない
昨今流行りのドラマなんだから史実なんてどうでも良い、面白きゃそれでいいじゃんか
みたいな刹那的な開き直りに与することはできない
清盛は史実ベースないし史実縛りを潔く受け入れた歴史劇展開において傑出していた
もちろんドラマである以上、史実とフィクションとの絶妙なブレンドが必要となる
この点に思いを馳せるとなおさらキツいフォーマットの枠組みの中で異様に濃い人間ドラマ
を紡ぎ出した藤本女史の天才にア然としてしまうのである
それにしても利家が獲得した視聴率は清盛の遥か上を行くわけね
その前の銀河放送天地人といいあまりの不条理に気分はブルーでありますよw 「利まつ」はトレンディー大河として21世紀の大河ドラマの方向性を決定づけた作品
ハイビジョン推しのための物凄い原色系ギラギラコントラストな絵作りや
女性主人公がいとも簡単に何でも難題を解決してしまう女性視聴者に配慮した展開 そうは言っても昨日録画で見た
今日は録画してない
どうやら一回限りのお付き合いとなりそうだ 何となく懐かしの人が回想で出てきたり一歩進めて幽霊となって登場するのも大河のお約束一つ
しかし清盛は「何となく」というのが皆無であり、再登場した死者は常にその時その場面で
〈新たな意味〉を担った(cf白河院の伝言回における白河と舞子)
最終回における幽体離脱清盛も然り
清盛は突然の熱病で急死(あっち死)したというのがまず押さえるべき史実だ
それゆえ新平家のように今際の際になってなお一門と時子と涙の別れを交わす暇も
なければ時忠に後事を託す余裕はなかった
しかしドラマである以上一門との別れの場面がない清盛物語はありえない
そこで活用された舞台装置こそ西行に乗り移ったユーレイ清盛だった
こうしてあの感動的な別れの場面は実現したのである
しかも急死ゆえそのままでは清盛は自らの生涯を総括しないまま死ななければならない
しかしこれまたそれでは清盛物語は完結しない
そこでここでも清盛の生涯を振り返り餞けの言葉を贈る役割が西行に割り当てられた
そしてそのためには清盛は瀕死の床から幽体離脱して西行の庵に赴く必要があったのだ
さらに重要なのは頼朝との「志」継承式でありこれこそが最終回のメインイベントである
清盛と頼朝はかの助命場面以降史上もドラマ上も一度も会っていないがドラマの後半両者は
隔たれた空間にありながら雄弁に「対話」し続けた(隔地者間の対話)
それゆえ敗者清盛から勝者頼朝へ襷を渡す継承式がなければこれまた清盛の人生は完結しないし
頼朝の武士の世造りも真の意味では始まらなかった(指を加えて眺めておれ→真の武士とは
いかなるものか見せてみよ〜前者が直接対話であった以上後半も直接対話であって然るべき)
こうして死せるユーレイ清盛は西行に化体して鎌倉の頼朝のもとに現れたのだった
別段大河では珍しくない幽体離脱や幽霊だけれどもここまで考え抜かれた無理どころか
ナチュラルで意味深いそれらが見られる大河はおそらく他にないだろう >>311
おばあちゃん、お薬飲み忘れちゃ駄目ですよ 時子時忠ドラマおわた。ムロも一回だけ出たよ。利家の中の人のリアル嫁も出てたよ。 だからあれは助命歎願からの流れから、3人の子を何の代償も
なく助けられたとなれば、常盤が自らの命を代償として絶ちかねないため
、常盤の肉体を代償として提供させることで常盤の精神的負担をなくし自害を
させなかった、清盛は心の内では亡き友に詫びながら常盤を抱いたという場面だろ。 まあオツムをショートさせたババアがワンフレーズすれば
話題が広がって大変よろしい あれで文句言ってるやつはジパング深蒼海流でも読んどけ 抱いたていにしとけばいい
清もっこりしなくてもいい お前ら!来月から銀河で義経が始まりますよ! 哲也清盛に慶子時子。ゴッシーの一人称は「み」です。ゴッシーの怪しい家来で草刈パッパも出ます 平清盛って残念な出来だけど、それでも2000年代大河では4位以内に入ってしまうのが恐ろしい >>310
それだけ説明を尽くさないとダメな大河ってなんだかなあ 俺が説明しないと分からない自分の脳味噌を嘆け
描かれていないことにつき行間を読み込み補足説明したのではなく
描かれたことをそのまま紹介しこれに寄り添う形で幽霊を用いた創作意図を
忖度したまでだ。最終回は
・熱病で苦しみ急死した著名エピ(史実)を出発点とした(新平家は無視)
・清盛物語をコンセプトに従い終結に導くために全ての素材は取捨選択され
軽重配分がされていた
・そのためには西行をキーマンとした超常現象の利用が不可欠であった
(東大寺再建勧進僧として鎌倉の頼朝のもとに下向したことは史実であり
幽霊といっても史実との融合がここでも追求されていた)
要するに描きたいことが明確に絞らた作劇上の必要が幽霊を生んだのであって
幽霊で虚仮威したいみたいな下衆な思惑が先にあったのではない
あっち死をシカトしたり清盛死後をただ事後譚的に流す凡庸なストーリー
で満足するのならば何もユーレイは必要はなかったのである
こんな程度で独自の解釈を(無理くり)施したとか言ってもらいたくはない >>321
残念なオツムには残念な出来にしかならないよ
煽ったつもりで煽られたのが悔しかったら残念な出来である所以を書かないとな >>322
これくらい批評できるくらいのドラマ性がなかったらむしろ脳味噌溶けるわ
普段どんなエンタメに接していてどれが傑作だと思うんだ >>325
多くの平清盛ファンが支持してる部分と、君が説く「平清盛の魅力」との齟齬は君自身よく理解しているはず。
そしてその部分こそ俺が平清盛を残念だと思う所以。君の批評にまったく異論はないし平清盛が秀作であるという点も同感
ただ、君のその姿勢に対して敬意が足りないレスだったことは謝罪する すまんがそのレス俺ではない
助命シーンと引き継ぎシーンは勝者敗者が入れ替わる形で完璧にリンクしていた
(清盛が敗者と確定するのは死後のことゆえ死者清盛の方から頼朝を訪う必要があった)
さらに言えば西行の餞けの言葉は初回舞子自身が解説した遊びをせんとやの極意を敷衍した
ものだ(面白き人生の核心→志半ばで無念だろうがお点前は「面白い人生」をやり尽くした
何と「美しい人生」だろうか)
弁慶によって時空を超えて運ばれ頼朝に突き刺さったエア矢(祇園社事件の核心は旧体制
のど真ん中に清盛という矢が刺さったことにある)も驚きの展開
こういう意味を連結させるようなスーパーロングパスは大河には相応しくないと言われれば
そうかもしれない(ふつうの善男善女はそんな昔のことは覚えていないし込められた意味
については解釈という作業が必要となるためいよいよ負担が大きくなる。要するにエンタメではない)
しかしツイやらブログやら2ちゃんで猛烈に貶し腐しpgrする連中が分かりません、ただの
荒唐無稽で反日で支離滅裂で歴史に敬意を払わないファンタジーな駄作ですではいかんだろう
罵詈雑言吐く前に正確に描かれたことを理解しろってことだ 北斎の娘の録画見た
中身はピンとこなかったけど凝った映像にこだわり抜いた美術はなんか既視感満載
白い粉いっぱい撒いてたし
そう清盛的画面であった
しかるにこの方面ではこちらはとっても評判良かったのに清盛の画面ときたら
汚いの大合唱に紛い物ではない美しさがかき消されてしまった
この点もダブスタが大嫌いな拙者としては納得がいかないのだけれども
コンスターチ含めた清盛的映像をNHKは放棄していなかったことを
確認できたことは喜ばしい 画面関係で接して一番唖然としたたわ言は
予算を早々使い果たしてしまって清盛後半はひたすらチープな画面となってしまった
そうした失敗例を反面教師として真田丸は最大の見せ場である大坂の陣へ向けて
余力を残し素晴らしいスペクタクルを実現した
大河で遊ぶじゃなかった大河を批評する自称権威さまたちによるコレ
反論済みだが馬鹿馬鹿しいのと酔っ払てんので今日はお休みなさい
しかし真田丸は史実と真摯に対峙したギリギリのせめぎ合いが緊張感溢れるドラマを生んだ
対する清盛は史実に無頓着に好き勝手出鱈目し放題、いい加減なドラマをでっち上げた
どこをどう見たらこうした真逆の評価が生まれるのか今以てナゾすぎる
おたくらちゃんと例証してくれない? もっとも権威さまの一人は
清盛の後半は史実を追うので精一杯でドラマの態をなしてなかった
とか
仏教的輪廻因果応報をやるつもりが時間不足で史実を並べるだけで終わってしまった
(大河研究に人生捧げる日本一の情報通で2ちゃん情報担当取締役氏は『NHK関係者』
から清盛は失敗だったとの証言を得たとのこと)
と仰ってましたけどね
幸いそのような『NHK関係者』がその後顕在化することはありませんでした もし仮にそういう清盛の基本コンセプトすら少しも把握していない「NHK関係者」
なるお方がいたのならばその場で「あなたは大河清盛を何一つ理解していない残念な人です」
と気の毒そうに言ってあげるのが権威のあるべき姿だろう
でわ >>339
ご新規さんですね。このスレ名物の長文さんをご存じないとは。
試しに清盛のここがダメだったってところを挙げてみなされ。
即興の長文で十倍返しで反論してくれるから。 長文自体が昔から2ちゃんでは嫌われている
お前こそ新参だろ 長文なんか誰も読まんやろ
レスあるとしたら自演のオナニー もはよ
すまんが俺ではない
しかし朝っぱらから重たいですの再再盛 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています