何となく懐かしの人が回想で出てきたり一歩進めて幽霊となって登場するのも大河のお約束一つ
しかし清盛は「何となく」というのが皆無であり、再登場した死者は常にその時その場面で
〈新たな意味〉を担った(cf白河院の伝言回における白河と舞子)
最終回における幽体離脱清盛も然り
清盛は突然の熱病で急死(あっち死)したというのがまず押さえるべき史実だ
それゆえ新平家のように今際の際になってなお一門と時子と涙の別れを交わす暇も
なければ時忠に後事を託す余裕はなかった
しかしドラマである以上一門との別れの場面がない清盛物語はありえない
そこで活用された舞台装置こそ西行に乗り移ったユーレイ清盛だった
こうしてあの感動的な別れの場面は実現したのである
しかも急死ゆえそのままでは清盛は自らの生涯を総括しないまま死ななければならない
しかしこれまたそれでは清盛物語は完結しない
そこでここでも清盛の生涯を振り返り餞けの言葉を贈る役割が西行に割り当てられた
そしてそのためには清盛は瀕死の床から幽体離脱して西行の庵に赴く必要があったのだ
さらに重要なのは頼朝との「志」継承式でありこれこそが最終回のメインイベントである
清盛と頼朝はかの助命場面以降史上もドラマ上も一度も会っていないがドラマの後半両者は
隔たれた空間にありながら雄弁に「対話」し続けた(隔地者間の対話)
それゆえ敗者清盛から勝者頼朝へ襷を渡す継承式がなければこれまた清盛の人生は完結しないし
頼朝の武士の世造りも真の意味では始まらなかった(指を加えて眺めておれ→真の武士とは
いかなるものか見せてみよ〜前者が直接対話であった以上後半も直接対話であって然るべき)
こうして死せるユーレイ清盛は西行に化体して鎌倉の頼朝のもとに現れたのだった
別段大河では珍しくない幽体離脱や幽霊だけれどもここまで考え抜かれた無理どころか
ナチュラルで意味深いそれらが見られる大河はおそらく他にないだろう