【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 俺が説明しないと分からない自分の脳味噌を嘆け
描かれていないことにつき行間を読み込み補足説明したのではなく
描かれたことをそのまま紹介しこれに寄り添う形で幽霊を用いた創作意図を
忖度したまでだ。最終回は
・熱病で苦しみ急死した著名エピ(史実)を出発点とした(新平家は無視)
・清盛物語をコンセプトに従い終結に導くために全ての素材は取捨選択され
軽重配分がされていた
・そのためには西行をキーマンとした超常現象の利用が不可欠であった
(東大寺再建勧進僧として鎌倉の頼朝のもとに下向したことは史実であり
幽霊といっても史実との融合がここでも追求されていた)
要するに描きたいことが明確に絞らた作劇上の必要が幽霊を生んだのであって
幽霊で虚仮威したいみたいな下衆な思惑が先にあったのではない
あっち死をシカトしたり清盛死後をただ事後譚的に流す凡庸なストーリー
で満足するのならば何もユーレイは必要はなかったのである
こんな程度で独自の解釈を(無理くり)施したとか言ってもらいたくはない >>321
残念なオツムには残念な出来にしかならないよ
煽ったつもりで煽られたのが悔しかったら残念な出来である所以を書かないとな >>322
これくらい批評できるくらいのドラマ性がなかったらむしろ脳味噌溶けるわ
普段どんなエンタメに接していてどれが傑作だと思うんだ >>325
多くの平清盛ファンが支持してる部分と、君が説く「平清盛の魅力」との齟齬は君自身よく理解しているはず。
そしてその部分こそ俺が平清盛を残念だと思う所以。君の批評にまったく異論はないし平清盛が秀作であるという点も同感
ただ、君のその姿勢に対して敬意が足りないレスだったことは謝罪する すまんがそのレス俺ではない
助命シーンと引き継ぎシーンは勝者敗者が入れ替わる形で完璧にリンクしていた
(清盛が敗者と確定するのは死後のことゆえ死者清盛の方から頼朝を訪う必要があった)
さらに言えば西行の餞けの言葉は初回舞子自身が解説した遊びをせんとやの極意を敷衍した
ものだ(面白き人生の核心→志半ばで無念だろうがお点前は「面白い人生」をやり尽くした
何と「美しい人生」だろうか)
弁慶によって時空を超えて運ばれ頼朝に突き刺さったエア矢(祇園社事件の核心は旧体制
のど真ん中に清盛という矢が刺さったことにある)も驚きの展開
こういう意味を連結させるようなスーパーロングパスは大河には相応しくないと言われれば
そうかもしれない(ふつうの善男善女はそんな昔のことは覚えていないし込められた意味
については解釈という作業が必要となるためいよいよ負担が大きくなる。要するにエンタメではない)
しかしツイやらブログやら2ちゃんで猛烈に貶し腐しpgrする連中が分かりません、ただの
荒唐無稽で反日で支離滅裂で歴史に敬意を払わないファンタジーな駄作ですではいかんだろう
罵詈雑言吐く前に正確に描かれたことを理解しろってことだ 北斎の娘の録画見た
中身はピンとこなかったけど凝った映像にこだわり抜いた美術はなんか既視感満載
白い粉いっぱい撒いてたし
そう清盛的画面であった
しかるにこの方面ではこちらはとっても評判良かったのに清盛の画面ときたら
汚いの大合唱に紛い物ではない美しさがかき消されてしまった
この点もダブスタが大嫌いな拙者としては納得がいかないのだけれども
コンスターチ含めた清盛的映像をNHKは放棄していなかったことを
確認できたことは喜ばしい 画面関係で接して一番唖然としたたわ言は
予算を早々使い果たしてしまって清盛後半はひたすらチープな画面となってしまった
そうした失敗例を反面教師として真田丸は最大の見せ場である大坂の陣へ向けて
余力を残し素晴らしいスペクタクルを実現した
大河で遊ぶじゃなかった大河を批評する自称権威さまたちによるコレ
反論済みだが馬鹿馬鹿しいのと酔っ払てんので今日はお休みなさい
しかし真田丸は史実と真摯に対峙したギリギリのせめぎ合いが緊張感溢れるドラマを生んだ
対する清盛は史実に無頓着に好き勝手出鱈目し放題、いい加減なドラマをでっち上げた
どこをどう見たらこうした真逆の評価が生まれるのか今以てナゾすぎる
おたくらちゃんと例証してくれない? もっとも権威さまの一人は
清盛の後半は史実を追うので精一杯でドラマの態をなしてなかった
とか
仏教的輪廻因果応報をやるつもりが時間不足で史実を並べるだけで終わってしまった
(大河研究に人生捧げる日本一の情報通で2ちゃん情報担当取締役氏は『NHK関係者』
から清盛は失敗だったとの証言を得たとのこと)
と仰ってましたけどね
幸いそのような『NHK関係者』がその後顕在化することはありませんでした もし仮にそういう清盛の基本コンセプトすら少しも把握していない「NHK関係者」
なるお方がいたのならばその場で「あなたは大河清盛を何一つ理解していない残念な人です」
と気の毒そうに言ってあげるのが権威のあるべき姿だろう
でわ >>339
ご新規さんですね。このスレ名物の長文さんをご存じないとは。
試しに清盛のここがダメだったってところを挙げてみなされ。
即興の長文で十倍返しで反論してくれるから。 長文自体が昔から2ちゃんでは嫌われている
お前こそ新参だろ 長文なんか誰も読まんやろ
レスあるとしたら自演のオナニー もはよ
すまんが俺ではない
しかし朝っぱらから重たいですの再再盛 いやあー久々リアル視聴してしまった(血曼荼羅回〜この著名エピからこんな壮絶な
ドラマを引き出してしまうとは・・忠盛退場回〜武士と清盛に残したレガシーの巨大さが
ナレ朝によって強調されそのような大きな忠盛を中井は演じきった)
あっちこっち場面転換しながら泉のように次から次へと話が湧いてくるが
すべてが有機的に繋がっているため多元的でありながらストーリーの凝縮力は揺るがない
回顧的には泉の源流はここでも1話にあった(死にたくなければ強くなれ→強くなったな清盛)
高野山造塔という初めての重責をまっとう〜西行の助言が大きかった〜した清盛は
頼長による家成邸襲撃に対する報復に駆り出されることを躊躇する忠盛に代わって
決然と美福門院の要請(企み)を拒否した
我々が太刀を振るうのは何故か?効果的に用いられた回想によってそれは武士の世を目指す
ためであって王家に良いように使われるためではないことが説得的に語られた
(対する源氏為義は地を這ってまでも摂関家の犬となって一門を養うのが自分の務めであり
誇りだと宣言、義朝と決定的に袂を別つ。統子の助言に従って両者を取り持とうとした由良の苦悩)
こうなればある意味忠盛を超えた清盛に一時はフラついた忠盛が平氏の命運を清盛に託すことに
迷いはなかっただろう
展望的には保元の乱がしっかりと見据えられ(摂関家内紛本格化、源氏骨肉の争い勃発、
病弱近衛を蔑ろにし専横を強める頼長への美福門院の怒り)、他方平家は雨降って〜家盛死〜地固まる
→血曼荼羅は宗子との和解のシンボル)
さらに忠盛の遺言シーンは支流が合流し大河となって流れ込んだ終着点である最終回の清盛の遺言
シーンと対応するものであった
厳島との出会いや(開放的なロケも美しい)雅仁崇徳孤独2兄弟の同居シーン(保元で敵味方となる、
気儘な弟と違って権力意思を隠せない崇徳にそこに気づいている鋭利な心理洞察家雅仁)もあり
2桁になろうかというアクターたちそれぞれの一挙手一投足が見逃せない怒涛の展開に
朝っぱらから目眩がしてしまいました DVDだけじゃなくて、ブルーレイも再販されないかなあ 今朝のT新聞にも広告出てた
篤姫、独眼竜、新選組、太平記、葵三代、黄金の日々、徳川家康、炎立つ
といった過去の大人気作や評価の高かった作品に
秀吉と清盛が新商品として加わり一段大きな扱いだ(一番の売りは当然新作の直虎)
こうして眺めると明らかに清盛だけが異質なことに気づく
何しろ最低視聴率という不名誉に輝き1年中マスコミや2ちゃん始めネットから
叩かれまくった作品なわけで
この異例のチョイスは再発売を望む視聴者の声がいかに大きかったかを推測させる
と共にNHKにとって清盛は失敗作どころか渾身の挑戦作にして自信作であり
一貫して高い評価を与えていることの証左にもなるだろう つくづく呆れつつも興味深くそして面白いと思うのは
昨今の大河はーの連中が非難する要素が当の本人たちが礼賛する
昔は良かったーの中にほぼ漏れなくいっそう盛大に検出されること
でその要素をほとんど見出すことができない清盛を蛇蝎の如く嫌っていること
この不思議で滑稽なパラドックスを誰か説明してくだされ -5と+10の要素の総合評価+5よりも
-10と+50で総合評価+40のドラマが見てえんじゃねーの(鼻ホジ 大河ドラマ 歴代オープニングテーマ曲一覧
http://youtubelib.com/taigadorama-song
1.1 2010年 大河ドラマ 『 龍馬伝 』
1.2 2011年 大河ドラマ 『 江〜姫たちの戦国〜 』
1.3 2012年 大河ドラマ 『 平清盛 』
1.4 2013年 大河ドラマ 『 八重の桜 』
1.5 2014年 大河ドラマ 『 軍師官兵衛 』
1.6 2015年 大河ドラマ 『 花燃ゆ 』
1.7 2016年 大河ドラマ 『 真田丸 』
1.8 2017年 大河ドラマ 『 おんな城主 直虎 』 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。総務省の、
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
2017年10月22日(日)の国政選挙は、ぜひ投票に行きましょう。
平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ 家康殿は未だに前世のうだつの上がらないコミカル通憲さんのようだけど
ラスト10話でシリアス信西が見せた凄みを見せてくれるのだろうか
最後首を掻き切った際のサダヲ氏の鈍く光る目は怖かった
穴での清盛とのトボけた出会いに始まり穴からの悲痛な叫びで終わった信西
・俺は誰なんだー→誰でもよーい(から助けてくれ)→(誰でも良くない)清盛殿助けてくれ
→俺は平清盛ぞ(ゆえに迷える自分を導いてくれた信西殿の救出に参る)
・俺は誰なんだー→西光よ私は何者になりたくてここまで上ってきたのだ
→己が誰だか見つけたり我は信西入道ぞ
力んで叫ぶ青臭清盛を見事に脱力化した笑えるシーンが最後かくも悲痛なシーンに
連結されると予想できた者は絶無だろう
信西の最後を知っていれば最後の穴から遡及した最初の穴であったことはすぐ分かる
しかし信西単独の悲劇に止まらない、その後展開していった清盛と信西との関係性の深まりと
それが突然切断されたことのパーソナルかつ歴史的意味すべてを
穴と穴との対比と華麗なコトバのレトリックにより雄弁に一気に総括してしまうなど
凡人には及もつかない発想と構成力という他なく降参するしかない
伏線回収の大安売りは好きではないがこういうのをザ伏線と言ってもらいたい。 作り手の思惑が見え透いていて一種の感動ポルノ。
押し付けがましくて苦手だな。ー は?
確かにあれほどバカだ漫画だと息巻いていた今は無きというかおそらく武将何ちゃらで
提灯記事書き殴ってるゆうじんあん先生はw方向転換したのか大衆無視そして「見え透いた」作劇
なことに怒りの矛先を転嫁させましたけどね。
ところがところが直虎演出は清盛の渡辺だからーと初めから狙いをつけていた愉快なババアたち共々
「なーんにも見えなかった」そして今でも見えてない連中が「見え透いた」とは片腹痛い
まあ昔は良かった大河なんかはエピを並べていくだけで時空間跨るストーリーの連結とか
そのためのハイテク駆使とか複雑なシンボル操作とかある種の思弁とかとは無縁な素朴性ゆえ
ちょっとでもその類の「複雑性」が出てきた途端オツムがショートしてしまい藤本許すまじと
なるのもわかりますですハイ 感動ポルノ?
個人史とも歴史とも無関係にただ情緒に訴えた信西の最後なのかよ
そういう大河でお馴染みの安直な感動物語から遠いからあの場面は傑出していたのだ まだ見ていないが顔芸はいらぬ、渡辺のセイだと例のババアたちが本スレで喚いている
しかしノベを読む限り本日のキモは直政の般若顔つまり顔芸ではないか
気にくわないことが出てきても何故かこいつらは罵倒を森下女史には向けずに
「清盛の演出家」にもっていこうとする 言いたくないが新平家なんて誰と誰との悲しいお別れで感動誘う話だらけ
徳子入内にしても娘を手放す父清盛の悲しみという視点以上のものはないし
義朝常盤もぶっちゃけそれだけ。反対に清盛との脱線恋バナを延々とやったりする
忠盛と清盛との間柄も非常に情緒的で平氏興隆にとって忠盛が果たした役割
なんていう視点は何もない。またこちらも一応落胤説だが何ら掘り下げなかった
感動ポルノとやらどういうものを指すのか存じ上げぬが歴史を捨象して
扇情的情緒的な感動で誤魔化すのがそれだとするのならば清盛ほど遠い大河はない 清盛はジェットコースターのように人びとの感情が揺れ動き反転し爆発する
なので淡々と歴史を刻む大河に比べると主情主義的大河とみなす向きも多い
確かに感情の機微、多彩さにおけるダイナミックレンジの広さは屈指のものがある
しかしより明確に清盛を特徴づけるのはそれらの主情的要素が堅固な論理的構築物
のフォーマット上にいわば上部構造のように乗せられていたことだ
しかもその論理的構築物は歴史とは無縁に脚本家の夢想によりでっち上げられたものではなく
歴史叙述に忠実にその意味で王道ともいえる着実さに根ざしていた
例証は省くが(というか言い尽くした感がある)清盛を熱心に視聴した人ならばわかってもらえると思う
ファンタジー性豊かでも清盛には歴史と融合されない無意味なフィクションがないのである 井伊は一応 鎌倉時代から井伊谷を支配した名家で松下より名家だから松下から→井伊ってそんな無理はなかったんでは? 西郷どんに今度は徳子と西行か
最低視聴率大河に貢献してくださった役者さんの、いよいよご健勝な姿を拝見できるのは喜ばしい
とはいえ、清盛のときの強烈な魅力を凌駕したと思える役柄を、怒られるがその後見たことがない
信西も頼長も徳子も為義も時政も忠度も青年頼朝も忠清も兼実も
やはりキャラ造形という作業は決定的に重要だ。来年の弁慶久光なんかはどうなるのだろう? 遅ればせながら録画しておいたわろてんかを見た。今頃
「政子ぉー父の気持ちがわからぬかトホホ」の時政さんに、今にも消え入りそうな儚い高倉帝を発見(浦島太郎)
NHKによくある前世でのキャラを評価しての起用だろう
キースというのがガキンチョ平太とは解説読むまで気づかなんだ。大きくなったもんだ、というかもう5年経ったのね まーたその話?
ババアいつになったら「滋子巻毛によって表現しようとしたもの」について何か語れる時が来るんだ?
公式で堀河天皇を(とっくに死んでおり登場人物たりえないため)おそらく名無しの四角囲いとした
ことをもって「堀河をいなかったことにした」と喚き散らしあまつさえ本編までもが天皇家の系図すら
理解していない無知無能な制作側がーと糾弾(叔父子設定は何だったのだろうか?)
安徳への太平御覧があれっぽっちのわけないじゃないのーとドヤ顔し仮に全巻プレゼントしてたとしても
ドラマで再現しようがない無理難題を吹っかけては清盛についてのみこの種の重箱の隅で糾弾
ところがどっこい実際はほんの数巻を豪華に包んで献呈されたという考証が突き止めた史実を念入りに再現した
ことへの無知蒙昧を惨めにも晒しただけだった
ともかくこいつらは個別シーンを他のシーンと結びつけて意味を探求したりましてや全体構造の中で
いかなる要素として機能させられていたかなんてことは常に「ビヨンドアンダスタンディング」
美人の滋子が巻毛のわけないじゃないの無知無能な作り手がーとモノ考えぬオウムのように瞬間反発するしかない
(実際は美人がすべて長髪のはずはなく美人の規範に照らして長髪たらんと乙女たちの間で鬘が流行した
そして何よりも重要なのはそういう規範そのものがこれからの国づくりにおいて正すべき悪しき因習なのだと
諭した清盛の合理的精神である)
宋風婚礼も同じ
宋風にコーディネートされた滋子の婚礼といっても遠い国宋をイメージしたものにすぎず100%
宋の婚礼を再現できたはずがない。より重要なのは「日本風」ではなかったということだ
ロングドレスに髪を垂らすのではなく巻き上げ上手く言えぬが髪を覆う・・・これはまさに中国風であり
十二単の世界とは真逆の世界
それ以上に「まるで西洋のウェディングドレスでヴァージンロード」と一生縁がないババアたちが
怒り狂うのならば「憧れのウェディングドレスを諦めないで!」とご同情申し上げるしかないですですです ようやくそれっぽくなってきたサダヲ家康
思えばまだ身分という超えられない壁に阻まれて己の才能学識を発揮する場を見出せない通憲が
活路を拓かんと入道信西になった辺りの年齢にすぎない
未来の天下人、大御所様へと向かうペース配分的にはこんな感じで良いだろう
初めから自信家で国政への志と野望を滾らせていた信西とオドオドしながら碁盤相手に
生き残りのための方策を熟考してきた慎重な家康とはかなり異なるが
情勢が自己に有利に開けてくるや持ち前の能力を開花させて主体的に歴史を動かしていった点は良く似ている
サダヲ家康はまだ信西の凄みを発揮するまでには至ってないがこのままでは終わらないだろう
それにしても強烈な家臣団を育成統率した家康に対して頼るは自己の才能と極少数の側近と息子たちのみ
(宰相財務相外務大臣経済産業相総務相その他を一身で兼務)ようやく手に入れた権力を武器に
「正しい社会」を実現すべく目に隈を作りながら国事に奔走したものの強引な政治手法が反発を生み
あっけなく自爆してしまった信西の姿はあるべき政治家論にとって格好の教材であり続ける 長文さん、風林スレで暴れるのやめれ。
あと「リアルに泥臭いだけだと反感買うのは某平家モノ」って言われただけで
即座に清盛と結びつけるのは「情熱大陸に出て馬鹿がバレた俳優」って言われて
すぐ某俳優に結び付けるくらい失礼だぞ。 ああすまん酔っ払って開いてたら友人庵センセを見つけたもんで というか頼長さんから絡まれていたのでさっき何か書いたんだけど
ジェーンにはどちらも反映されてないような
幻を見たのか俺は
毎度酔っ払いすんませんでした わかったから大人の書き込みしなよセンセ他ババアたち。俺はお前らみたいのに
反吐を吐き続ける永遠のガキだ
ところで酔っ払ったついでにツイを見たらベストツイということで賛同を集めたのが↓
清盛は中盤まではとても面白かったが終盤失速した
フムフム何度も聞かされた話だ。でその心は如何に?と読み進めたら
・次世代へバトンが上手く渡ってなかった
・受け取ったのが頼朝になってしまった
なんだと
まさにまさに清盛を超える息子たちが一人も現れなかった、言い換えれば息子たちの
育成に失敗して真の後継者を作れなかったことが平家凋落そして族滅の最大の要因となった
これは紛れも無い正当な史実解釈だ
それだからこそドラマでは清盛を継承した人物は残念ながら宿敵源氏の頼朝であったと
明確に位置づけられたのである
いやはや平氏凋落を的確に描いたことをこの善女はドラマの失速と捉えているわけね
まあ悪意の無い人なので罪はないけどこれに飛びつく人間がいっぱいいてベストツイと
なるのはやはり悲しい なので賢人重盛が生きていればなーなる通俗的な見方~清盛ヲタも嵌った落とし穴については
何度もそれは違うと反論した
類稀なる人格者重盛であっても政治的には残念ながら「正しすぎればもはや誤り」(by時忠)
と言わざるを得ない矮小なスケールに止まってしまった嫡男であり、清濁併せ呑む図太さで
権謀術数蠢く政界を渡り歩いた清盛を決して超えることは出来なかった
藤本女史の政治家重盛に対する評価はそれはそれは辛辣を極めた(この小物めがby成親) LOVE虎さまの活躍で清盛の背中が見えてきた。
ビック3世代交代か! 最近の岩波新書ー日本の中世シリーズを読んでたら、五味大先生は「国王家」という表現をしていた。
東大系は王は用いても王家は用いなかったけれど、家長権を掌握した上皇が君臨する院政という
過渡期(古代→中世)における政治形態がもつ歴史的個性を把握するために相応しい概念は、
少なくとも「天皇家」ではあり得ないことについて、少なくとも学界レベルでは共通了解が
出来上がっていることの証しだろう。
ちなみに白河が石清水八幡宮に捧げた告文には、「王法は如来の付属により、<国王>興隆する」
と記されているとのこと。
ここで白河は自らを「国王」と自己認識していたようだ(素人としては、学術用語としての「王家」は、
権門分散化の趨勢にあって、それらを超越する天皇=共同体の王を再生産する院主宰のイエと考えたい)。 転生高倉院が朝ドラにてナレ死されたとのこと。
清盛における「死なせ方」のバリエーションの多彩さと的確さは何度か指摘した。
去年も話題となったが、ナレ死というだけでおざなりだ怠慢だと決めつける風潮にはウンザリした
(逆に、あたかも真田丸が発見した独創であるかのような提灯記事にも。もちろん清盛の独創ですらない)。
例えば、「死にたくなければ強くなれ」を受けて「強うなったな清盛」で終わった忠盛との別れがもたらす余韻は、
ジメジメした枕死では到底表現し得ない感動をもたらしたのである。
他方、死の床の家成を見舞う清盛をかなり丁重に扱っており、その時点でバランス的にどうかなと思ったものだ。
しかし、遥か後、鹿ヶ谷事件の首謀者であった成親と西光との会話に接するに及び、この場面は鹿ヶ谷へ向けた
初発の仕込みであったことに気づいて腰を抜かしたのである(親平家筆頭貴族の家成が託した息子たちが、
後白河院の近親として激しく清盛と対立し破綻を生じた帰結が鹿ヶ谷事件である~成親の自嘲と西光の憎悪)。 お戯れを。後年の鹿ヶ谷への壮大な伏線であることを長文様はかのシーンの段階
よりお気づきであったはず。
長文様を戴く本スレ、我らもスレ落ちせぬよう微力ながら拙いレスにて
全力を尽くしお支えする所存にござりまする。 頼長さんの毒牙にフリーズしてしまいなす術なく掘られた家盛クン
直政クンの運命は如何に⁇ 西郷どんの話題で信西の嫁さん役の名がついでに出てくるので
何のこっちゃとなって理解するのに四半時
スケバン刑事ってドラマがあったのね知らなんだw
朝子さんはちょっと危なっかしくて向いてなかったかも >>418
帰宅。まずもってJANEに反映されてないのでレスに気づかなんだスマン。
レス番もぜんぜん違う。何なんだろ。
腰を抜かしたは大袈裟でも、あの場面が成親の「我ら親不孝者でござりますな」に繋がるとは、完全に想定外。
ともかく、鹿ケ谷事件をかくも息の長い線的描写で描く大河は、(中期〜滋子を媒介とした提携とその死によるバランス崩壊、
短期〜謀略合戦と事件そのものの描写と合わせて)、大河清盛これ一度だけの僥倖だと思って皆様方見て欲しい。 >>424
そういう頭ワルソーな無内容な与太話でなくて、主要人物の行動について、
ただただ愛憎を行為動機としていたことを例証してみなよ。
歴史に詳しい俺様だか俺という名のババアだか。 正盛はどうだったか?
「王家に逆らえば必ず大事なものが犠牲になる。武士は王家に仕えておる。そのために太刀を帯びておる。
そこには『なぜ』などと疑う余地はない。心しておけ」
単に愛憎で動いていたか?
忠盛はこの父の言葉に反逆した。しかし、彼我の力関係を冷静に見極めることのできた彼は、なおも表面上は
「王家の犬」に甘んじつつ、武士の世への道筋を着々と整えていった(たとえばフラつく鳥羽の心に食い込みbyナレ朝
得長寿院寄贈→殿上人へ。そこでも盛大な侮辱を受けるがすべて「想定内」〜殿上闇討ち事件を見事に咀嚼)。
単に愛憎で動いていたか?
そして清盛。長くなるのであえてここでは簡単に。まさにそのような忠盛の姿に疑問を抱き、真意を知って敬愛の念を深め、
落胤という最大の自我危機を乗り越え武士たるアイデンティティを獲得し、目指す国家社会像を持ち前の行動力を発揮した
広い見聞によって(博多実地見聞など)徐々に明確としていき(交易国家)、自らの理想実現のためには貴族支配の旧体制を破壊し、
武士による新しい世を拓かなければならないと明確なビジョンを形成していった。
確かに、2人の巨大な父との葛藤含め、情感と情動(白河の血の支配〜これは愛憎を超えたエスの次元である)に溢れていた清盛であったが、
以上見たような清盛の行為動機を、単なる愛憎に収斂させることができるのか?
清盛を馬鹿にしきった真の歴史ファン、本物の大河ファンの皆様いかがでしょうか? このように、平氏三代を通じて成し遂げた「王家の犬」からの脱却、さらに進んで清盛による「朝廷簒奪」までの紆余曲折したプロセスと、
「源氏との武士長者決定戦における最終的敗北」という悲劇的結末〜かかる動乱の平安末期がもった体制変動のダイナミズムを、
朝廷サイドとの力関係の推移、そしてもう一つの軸である源平相互の力関係の推移とを、常に対比・拡散・輻輳させながら綿密に追求していったところに、
歴史劇としての大河清盛の最大の特徴があった。熱い人間ドラマはすべてこのフォーマット上に繰り広げられたものである。
すなわち、主な登場人物たちの感情表現の幅と豊かさは特筆されるレベルに達していたが(水際だったキャラ造型に投影されていた)、
ドラマの推進力はあくまでも歴史そのものにあった。 愛憎が重大な行為動機であったこともある。しかし、それは人間ドラマに相応しくないのだろうか?
たとえば、忠盛はなぜ自分の血を引かない清盛を引き取って、突き放しつつも期待をかけ大事に育てたのだろうか
(清盛に決定的な経験をもたらした博多見聞は、「新しいもの、珍しいものはあやつの大好物ゆえ」という
忠盛パパの絶妙な「教育的配慮」によるものである。ただし、最終的に後継者としたのは、自分を超える実力を清盛に認めたこと
にあったことを見逃すべきではない。この点、血曼荼羅回が重要)。
女房が白河からの払い下げ?それでは少なくともドラマの理屈として、父から子へかくなる愛情を注ぐ十分な理由たりえない。
それを説得的にしたのが舞子という存在であった。清盛は自分の身代わりとなり死んでいった最愛舞子の分身だったのである。
これぞ卓越した発想による創作である(ところが、ババアどもときたら「院御所で血が流れるわけないじゃないのよー」の一点張り)。 いや、これからいっぱいだけゴクっとやって寝る。
以上はシラフによるものゆえ、相変わらずの生硬な悪文にしては誤字脱字はほとんどないのではないのw
でわ、おやぬみ、アホウヨ爺にババアさんたち。
ついでにJANEのからくりについておせえて。 うわぁスーパー神回「叔父を斬る」寝坊して見逃した
続いて箸休め回改め実はやっぱり神回であった「清盛の大一番」でっせ 無邪気な竹馬おねだりが木下の一件まで繋がっているとはなー
この感想は絶重要
竹馬の伏線は忠正との別れを劇的に演出することでふつうは役割を終える
竹馬アイテムが遥か後の木下強奪エピから発想されたものであることに気づいた視聴者は皆無だろう
何よりも特筆されるのは、竹馬トラウマが宗盛の人間性にかつてない厚みを加えたことだ
時忠から焚きつけられ密かな野心をもった宗盛であったが、彼は自分が棟梁の器でないことを
深く自覚しておりその重圧とコンプに苦しめられ続けた
酒に溺れたのは重圧からの逃避であるし「奢れる平家」の代表的なエピソードである木下強奪は
木下があの忌まわしい竹馬の記憶を蘇らせたことによる衝動的行為であった
そこに見られたのは単純お気楽無能傲慢な宗盛ではなく自己を見つめる内省的な宗盛であり、
そういう宗盛の複雑な人間性を作り出した大きな要因となったトラウマ経験こそが
死に臨んだ忠正に対する「竹馬おねだり」だったのだ
そしてダメ棟梁を自覚するコンプの塊宗盛だからこそ、自らを曝け出し決死の覚悟で臨んだかの還都諫言が
頑迷清盛を翻意させる迫真の力を持ち得たのである
ここまで来ると安直に振りかざされる「伏線回収!」なる大安売りの定型文は用いたくない やっぱモホは擬似じゃなくモノホンでなくっちゃw
悪左府に抑え込まれた大東家盛くんの恐怖の表情ったらない 悪左府はあの格好で梅ちゃん先生を口説いてたんだから
本物の男色家ではないだろ 実際掘られたかについて
家盛
・史実→5%
・ドラマ→100%
万千代
・史実→20%
・ドラマ→0%
いつもちょっとズレたツイおばさんが「そのものの描写は清盛もない」と呟いていたがそりゃそうだ
しかしバサバサの暗喩表現によって事に及んだことは100%明らかである(足の絡みがカットされたらしいが
オウムによる間接表現の方が遥かに生々しい想像を掻き立てる効果をもっている。カットは妥当)
一方万千代は「実際はやってない」のだから「そのものの描写」があろうはずはない
(にもかかわらず家康の迫り方が非常に上手くてその後万千代を押し倒したと想像した視聴者も多かった)
優劣の話ではなくドラマの設定上男色に実際及んだかどうかが問題となっている時に
清盛で頼長家盛の本番シーンをボカしたこと(日曜8時の大河である以上当然だろう)を強調してみても
意味のある相対化とは言えない
いずれにせよ時代も男色の意味も異なるが(清盛は上流の人々の嗜み以上に政治文化面を強調→家盛も
万千代同様ケツを差し出して上昇したい。他方頼長は落ち目の源氏に代えて家盛を操ることで
平氏の武力を摂関家再興のために役立てたい)、男色という危ういテーマに果敢にしかし慎重に
切り込んだ点においてどちらも出色の出来であった どうでもよくないから平家はその方面で頑張ったんだろ
鎌倉政権になっても朝廷と張り合うために苦労してるし
平家が負けたのは武士のくせに軟弱だったから〜
みたいなのは割と最近の価値観なはず
敦盛や忠度の話は基本美談だし 悪左府と家盛ホモネタで是非とも押さえておきたいのは
2度あったヤバいシーンの最初は和姦で2度目が強姦であったこと
1度目は身体で結ばれた良好なギブアンドテイク関係の始まりだ(まだ本当の獲物=平氏の武力は
手に入れてないがそのためのステップ)
しかし2度目のアレはおフェラのみならず肛門性交も強制猥褻から強姦に格上げされた現在では
極悪犯罪者として断罪されかねない卑劣な行為だ
頼長のぶっちゃっけ話によって一気に己の愚かさを悟り目を覚ました大東家盛が見せた
恐怖の表情がこのことを雄弁に語る(家盛は逃れようとするも「もう遅い!」)
ところでよろしく睦じい関係を保っていたのになぜ頼長はぶっちゃけたのだろうか
おそらく肉体の支配では飽き足らず頼長は家盛を自己の精神的奴隷とすることで人格そのものに対する
完全支配を目論んだのだろう。そうなれば摂関家による平氏支配はもう間近である
しかしながらご存知のように己の犯した「大罪=平氏を売る」にショックを受けて絶望した家盛は
集中力を欠いて落馬し命を落としてしまった
こうして「祇園事件で窮地に陥り、加えて急上昇してきた正妻嫡男家盛の台頭により立場を弱めた
清盛であったが、家盛の急死によりようやく次期棟梁の座を確実なものとした」という
清盛のライフストーリー上見逃すことができない核心的な史実命題が、著名な頼長の男色という
キワモノを絡めつつかくも悲痛な人間ドラマへと昇華されたのである しかしいまだに全然ホモ描写理解されてないね。題材が題材だけに仕方ないのかもしれないけど。
>大河で衆道を臭わしたのは近くは平清盛←平安のアレは「衆道」ではないし臭わしたのではなく「やった」。
>悪左府の真の相手でやるべきだ。本物の相手との描写もあれば説得力が増した。後白河×信頼を通説通りにやってもらいたかった
←院政期における男色を採り上げる意義〜政治的コネクション形成という政治文化面から離れて性風俗という面から
興味本位で採り上げたのではない。しかもストーリー展開上適切に位置ようとすれば、前後の話との有機的結合が不可欠となる。
そうすると、何十人もいたであろう「恋人」の中で(たとえ台記に記述はなくとも)、家盛以上の相手はいないことは明らかである。
義賢を相手に一体何を描けるのだ?はたまたドラマでも嫉妬役でちょこっとでてきた、いかにも気持ち悪い秦公春とやってる場面に
何の意味がある?ただし、正真正銘の「恋人」公春をちゃんと出したということだ。
さらに言えば、台記にないから100%フィクションとは言い切れず、逆に大勢いる中で「史実では義賢』という決めつけは独断にすぎない。
「家盛は官位を急上昇させ清盛を脅かすようになった。清盛を危険視する頼長は、御しやすい家盛を棟梁につけ清盛追い落としを謀り、
平氏の武力を乗っ取ろうと企んだ」〜本作は、主人公清盛の人生行路に立ち塞がった家盛という存在に初めてスポットを当て、併せて
中下級貴族と結びつく頼長の政治的狙いを明らかにした。すなわち、男色がもつ重大な政治的機能に着目し(五味教授は院政期は
男色がわかればすべてわかるとまで言う)、これを清盛主人公のドラマで適切に扱うには誰が相応しいかを考えた場合に、
自ずから導かれる最適解が頼長vs家盛というコンビだったのである。
なお後白河vs信頼については、「通説通り」しかし至高の存在に配慮してそれこそ微妙な形で匂わせていた(「あさましき御寵愛by頼朝ナレ、
手を取り合ってのダンス)。
>ただのセクハラ
←頼長の家盛に対する態度が単なる性的嫌がらせにしか見えなかったとしたら、それはドラマの描写不足ではなく、拡がりをもつ意味世界の
一つの断片を切り取ったにすぎない。そもそも両者は当初対価関係にあり、セクハラの定義にあてはまらない。最後はセクハラではなくレイプだ。 つくづく唖然としてしまう世迷い言といえば、今でも盛んな
清盛のホモ描写は腐女子に迎合したくだらないBL
なる超弩級そして目が・級となってしまう頓珍漢の極みとしか言いようのない戯言
他方、衆道が直政の出世要因の一つであったことは証明できないが(家康の性向とは言えない)
有力な仮説であることは確かだろう
やったかやったことにしたかをボカした直虎大河の手法は頗る上手い(結局やってないことは明らか)
つまりこういう危うい一歩間違えば大顰蹙を買ってしまう、しかし大事なテーマに取り組む
ためには作り手の洞察とセンスとバランス感覚が必要となる
清盛の男色描写はこの意味でも最高だった 直虎での描写はその気になった家康にその後襲われたかとも
思ったが違うのか。ソースはノベライズ?
衆道は武士のたしなみとして葉隠でもかくあるべしと取り上げ
られている当時の武家としては身近なものだから
家康と直政の間にそういう関係があっても驚かないんだけど
「家康の性向」とは言えないとみるのはどうしてでしょう?
直虎ではコミカルに描かれていたが清盛はサディスティックに
見るものによっては嫌悪感を抱かせるような描き方。
実際、山本耕史がちょっと嫌いになったが
そう思わせるということは作品としても役者としても
成功してるんだろうとは思う。 今回だけではどちらにも解釈可能だが先を読んでしまった
もっともノベ読んでなくても個人的には「やったことにしちゃおうか、
その方がお主にとっても何かと便利だろ」と受けとったと思う
ともかく意見が分かれていること自体、脚本と演出の勝利 昨年の真田丸の五人衆では毛利勝永が土佐藩主の山内忠義と
衆道の関係であったため、脱走して豊臣方につくのを黙認して
もらったエピソードが有名ですね。
武士は戦場に赴くと男ばかりだし、血気にはやるのを抑えるため
衆道が流行るのは分かる気もするが、頼長の場合は完全に性癖。
ただ、公家よりも普段から体を鍛えているであろう武家の方が
体力面で勝るであろうから、いくら権力をもって迫られたとはいえ
なされるがままに犯されてしまった家盛もどうかとは思う。
来年もBL要素を描くそうだけど、林真理子氏がどのように取り上げるのか
いまから心配。 別冊文芸春秋「西行隆盛を知る」の林真理子×磯田道史冒頭対談より
【林】
歴史ドラマって、史実ではその場にいることが証明できなくても成立するでしょう?
小説だと、斉彬がそこにいなかったら、やっぱり書きません。でもドラマは「いなかったとは言い切れないから、
いたのかもしれない」という前提で書きますね。
【磯田】
辻褄はなるべくあわせなければいけませんが、完全には無理です。今回は西郷が主人公なので、
少年時代に斉彬と出会わなければドラマとして成り立ちません。もっともありえるように、かつ薩摩の本質が
わかるようなシーンになるように書かれたらどうだろう?というふうに相談を受けながらやっています。
この磯田氏の発言は非常に的を得たものだ。清盛はすこぶる律儀に史実に向かい合っていたが、それでも
どうしても設定変更せざるをえない人物相関もあった。それが平氏では忠正の立ち位置、そして源氏では義朝
とのライバル関係というわけである。忠正はとうの昔に平氏一門の外にあって関わりありませんでした、
義朝とは保元の乱で初めて会いました、ではドラマにならないのは明白だろう。
要はその設定変更が不自然でなかったか、それによってドラマが面白くなったか、であり、清盛はいずれのケースも
十分な説得力をもち、そこから熱いドラマを引き出すことに成功していた(離反分子という頼盛との共通点に着眼、最終段階で
頼盛と入れ替わることで史実との整合性を図った解決法は天才的)。
また「薩摩の本質がわかるようなシーン」に引きつければ、頼長の相手を家盛とすることで「男色の本質」に迫り得たのである。
「史実と違う」とドヤ顔するのが、自称本物の歴史ファン、コアな大河ファン(昔は良かったのトンデモ創作には寛容いや盲目)
の存在証明なのだろうか?本物の歴史ファンならば、「ああこういう意図でこういうアレンジをしたのかー、フィクションの
混ぜ具合が絶秒だなー(あるいは下手だなー)」」みたいな見方をするのではないのか?
プロ中のプロ磯田氏の言葉を噛みしめたいものだ。フィクションについては、本郷氏もほぼ同様の見方をしていた。 平治の乱見直したら、ナレ朝は「過剰なまでのご寵愛」だね
「あさましき程のご寵愛」は長恨歌絵巻により後白河を諌めようとした信西(平治物語)の口から飛び出した
この「あさましき」は愚管抄で慈円がズバッとあっち方面を暴露しちゃった表現だ
信西の台詞に置き換えられたこの「あさましき」により、両者の男色は婉曲的というよりも
分かる人には直球で伝わったことだろう
にもかかわらず後白河は聞く耳をもたず、信西、師光共々「やってられねーよあのバカ」と呆れ顔
(和漢に比類なき暗主なり~流石に言葉に出さなかったがこの出典は玉葉)
例によって思いつきではなく複数の古典を巧みに咀嚼融合して採り入れたシーンである 家康殿の「ご寵愛」キター
この一言をシグナルとするのがアレやる時の定番となりそう
ところで清盛にはもう一場面「ご寵愛」が出てくる
それが鳥羽朕を発狂させたファムファタールたまちゃんのアレ
「あの夜、私は久方ぶりに法皇様にお会いし、そして・・・・
存分にご寵愛をこうむりました」((((;゚Д゚))))))) 昼に本スレに投下↓
その女のライター、ネット界隈が騒然となった悪左府の本気のやつ見てないんだ
男色は大好きな真田丸に始まったブームではないし昔の大河にもあった
もっとも清盛のは腐女子がどうのこうの低次元の話ではないので一緒にしないで結構
異例のごぼう抜き出世は直政の才幹によるものだったに違いないが(草履番から始めて
グレードを上げてきた)実際あったかもしれない色小姓についても、あったとはせず
そういう噂までも巧みに利用してライバルを黙らせる直政という具合に
直政の才覚話に引きつけて構成したシナリオに脱帽した
2、3日前に出た陳腐な記事(そしてこれに飛びつきバッシングを始める2ちゃん)通り
森下に受け狙いがあったとしても、家康×直政のホモネタは題材にするれっきとした
根拠があり、慎重を要するその処理の仕方も非常に上手かった
★男色即BLと考えている時点でつまらん記事でしかないが、ボーイズラブのわけない有名な光秀折檻シーンを
例にあげているのに、さらに強烈でしかも意味深かった頼長のシーンをシカトするとは何事か。
見てないんだか、見たのに忘れたのか(忘れようがないはず)、一応ドラマ批評の専門家なんだろ彼女?
上に書いたように、BLなどと一緒にしてもらいたくないのでこの扱いで結構だけれども、専門家を名乗る連中が
きちんと作品を把握・理解した上で批評した文章をほとんど読んだことのない、という意味でも稀有な大河である。 BS平清盛の録画
いきなり義経のテーマで始まる!その次はなんと風林火山!
いやはや嫌われてますのぉーとショボーン(´・ω・`)したところにホンゴー先生登場w 清盛が頂点に立てた謎1
三十三間堂を献上し(経済的奉仕←政治的・軍事的に奉仕した二条天皇との間でアナタコナタ)後白河法皇を味方につけた
〜提携関係の地ならし→滋子を媒介とした本格的提携成立→あからさまな外戚=朝廷簒奪作戦へ(pgrされた巻毛回はこの流れに位置づける必要がある)
コメンテイターのお婆ちゃん曰く「清盛さん家族に弱いんですよ。義理の母の懇願にほだされて会ったこともない頼朝を助けてしまった」
←お婆ちゃん、上西門院殿上始めでお会いしてますよー。本邦初、清盛にビビった頼朝が粗相を働いた画期的描写を見てくださいませ。
ともかく以上みっちりやりましたねー
眠い、以下続くw 元ある神のお作りになられた山の残るは一握り。
自然の森は人間の都合で、杉や檜だらけの森となった。
山には動物たちの食べる餌場もねぐらもなく、木の実や食べられる柔らかい葉もなく、人間ならば雨露しのぐ家もなく、食料もない状態なり。
熊や動物が食物を求め人間社会に入り込み人間を襲うのは、そもそも、人間が彼らの生きる場を奪ったからにほかならぬ。
山から動物の姿消えれば、いずれこの世は人も住めぬ世界へと荒廃する。
山は人間の想像つかぬほどの緻密さにて生態系を守っている。
人はそろそろ目を覚まし、自然との共存に本気で取り組まねば手遅れなり。 番組では気前よくプレゼントを惜しまない清盛が強調されていたが、大河では蓮華王院造営ではなく、王家のコレクションとなる青磁
を献上し、後白河の気を惹く清盛の作戦にスポットを当てていた。
ただし、後白河は二条に奉仕する清盛にへそを曲げてしまい、「公卿としてやったはわしぞ。参議にしてやったもわしぞ。侮りおって!
かような器の一つや二つでわしの機嫌をとったつまりか!なにゆえわしを見ぬ、なにゆえ帝ばかり見るのじゃ」とおカンムリ。
器を次々と叩き割ってしまった。したがって、「後白河を味方につけた」とした番組のアンサー通りではない。
この時点では明確に二条親政派に属していたことからして(親子の情を知らない二条に同情し忠誠を誓い、時子を乳母とした。
さらにドラマで滋子の入内先として狙ったのも当初二条→しかし、意に反して後白河とフォーリンラブ、できちゃった婚→後白河路線へ)、
アナタコナタの重心は二条の側におきつつ、後白河にも保険をかけていたあたりが実情だろう。もっとも、蓮華王院プレゼントに
後白河はたいそう喜んだに違いないのであって、両者は協調に向けた良好な関係に入っていったといえよう。
番組が間違いというのではないが、二条寄りの清盛にぶんむくれる後白河の描写もまた、この時期の政界の構図を見事に
示すものとなった。
ところで、ツイで「平治の乱までは神であったが、それ以降は平家物語をなぞるだけのものとなった」というのがあった。
これまたよく聞かされた話すぎて今さらなんだけど、「保元の乱に始まる平氏の勃興期を正面からは扱わない。
ギボンが『ローマ帝国衰亡史』を帝国繁栄の頂点から始めたように、平家物語も平清盛の絶頂期から筆を起こす」(池澤夏樹)
平家物語は、平治の乱以降「いかにして清盛が政界を駆け上っていき頂点を極めていったか」に対して、関心をほぼ向けていない。
二条帝時代の上の話からしてまったく平家物語と重なるとことがない。どこをどう見たら、「後は平家物語をなぞっただけ」
となるのだろうか?平氏の勃興過程を頂点に至るまでこれほどフォローした大河はなかったし、今後も期待できないだろう。
もちろん、後半になればなるほど平家物語を最大の資料として用いて、ドラマは組み立てられていった。
平家物語自体、歴史叙述を徐々に充実させていき、両者の関心が一致し始めた以上、当然のことだろう。しかしながら、現象面では
平家物語に材料を多くとっても、ドラマは決して単なるエピの祖述に止まらず、いままで積み重ねてきた清盛物語を終結へと導くために、
至るところで独自の解釈が試みられていたことは、一見通説っぽい鹿ケ谷事件や治承クーデター、頼朝挙兵といった
大事件を見れば直ちに判明する。ちなみにプロフィールを見たら、自称時代考証家。また自称大日本帝国憲法研究者として
お笑いを振りまいている倉山某の信者だそうな。 頂点を極めた謎2−1 厳島神社
しかし、厳島神社のロケだけで謎解明にはなっていないw本郷先生も先進性を強調するぐらい。
大河清盛では、まさに本郷教授の助言に基づき「横へ横への国造り」の発現として位置づけられていた(平面プラン)。
海に屹立する鳥居も先はきっと宋国がイメージされていたのだろう。
頂点を極めた謎2−2 音戸の瀬戸
こちらは、「五十の宴」に乗り込んできた兼実の嫌味の台詞で一言触れられていた。開削工事のロケはさすがにできない。
その代わり、日招き伝説を、平家が幸福の絶頂にあった「五十の宴回」のラストに取り込んでいた(この噂が東国にも伝わり、
カリスマ清盛のイメージを増幅させた。このように、頼朝流罪後も、常にこうしたエピや祐親大番役等を通じて〜気さくに声をかけた
清盛にビビった祐親が勝手に「大魔王清盛」の虚像をつくり上げ、これを伊豆に持ち帰り拡散させ、千鶴丸の悲劇を生んでしまった〜
空間的に接することがなかった京の清盛と伊豆の頼朝とが、ストーリー上つねにリンクされていた)。
最後に、2つの謎について番組は、当時の常識を超えた清盛の大胆な発想と統治手腕を示す代表的な事跡としてまとめた。
頂点を極めた謎3−神戸港&宋銭導入
もっとも重要なポイント。博多を京の近くに持ってくるby本郷→大輪田泊。もう説明不要だろう。もっとも力を入れて描いた清盛の業績がコレ。
ドラマでこの発想を最初に提起したのが、誰であろう元海賊兎丸であった。遅いと怒る清盛に「アホか、博多がどこにあると思ってんのや。
んな無茶言うなら、博多を京の近くにもってこい!」と兎丸。ここで清盛はハッと閃いた。作劇上生きたオリキャラとはかくありたい。
そして貨幣経済の産みの親清盛(本郷)。宋銭について印象に残っているシーンは、あれだけ清盛を憎悪した信西原理主義者西光が、息子たちを
通じて宋銭普及を地味に目指していたそれ。西光も決して私怨だけで動いていたのではなく、信西の理想を継承しようとした国士であった。 番組の最後で、清盛平家はなぜ滅んだかについて本郷先生。
「平家一門は、朝廷で京都で出世していくことを選んでしまった。やっぱり貴族の力はでかいんですよ。
強大な貴族の力に立ち向かっていくということがどれだけ難しいことだったか。それは、頼朝が鎌倉に拠点をおいて成功した、
そのことが何よりも雄弁に物語っているわけです。やっぱり京都で伝統的な勢力と戦いながら武家の政権を創るというのは、
極めて難しかったのだと思います」
頼朝が清盛を教師としても反面教師としてもリスペクトしたとしても、あながち脚本家の勝手な解釈とはいえないだろう。
その意味で、あの鳥羽エア矢(そちこそが朝廷に突き刺さった一本の矢by鳥羽)が、時空を超えて頼朝に突き刺さった場面が
決定的に重要(あの方は朝廷の内部から貴族体制を掘り崩してくれたのだ。私は孤軍奮闘戦ってくれた清盛の遺産を
〈あたかもフリーライダー〉のように活用して武士の世を拓く!)。
そして、頼朝をナレに据えたことにも十分な理由があったことがわかるだろう。 屹立する鳥居も先→鳥居の先
しかし、ほんとにほんとに清盛後半は、ただ史実を並べるだけで精一杯、あるいは平家物語をなぞっただけなんすかー???
真の歴史ファンにしてコアな大河ヲタの皆さま?
おやぬみなさい。 一方で頼朝から放たれたエア矢が清盛に突き刺さらなかったのは
頼朝の残念な弓術からしてやむを得ないことであった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています