【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 実際掘られたかについて
家盛
・史実→5%
・ドラマ→100%
万千代
・史実→20%
・ドラマ→0%
いつもちょっとズレたツイおばさんが「そのものの描写は清盛もない」と呟いていたがそりゃそうだ
しかしバサバサの暗喩表現によって事に及んだことは100%明らかである(足の絡みがカットされたらしいが
オウムによる間接表現の方が遥かに生々しい想像を掻き立てる効果をもっている。カットは妥当)
一方万千代は「実際はやってない」のだから「そのものの描写」があろうはずはない
(にもかかわらず家康の迫り方が非常に上手くてその後万千代を押し倒したと想像した視聴者も多かった)
優劣の話ではなくドラマの設定上男色に実際及んだかどうかが問題となっている時に
清盛で頼長家盛の本番シーンをボカしたこと(日曜8時の大河である以上当然だろう)を強調してみても
意味のある相対化とは言えない
いずれにせよ時代も男色の意味も異なるが(清盛は上流の人々の嗜み以上に政治文化面を強調→家盛も
万千代同様ケツを差し出して上昇したい。他方頼長は落ち目の源氏に代えて家盛を操ることで
平氏の武力を摂関家再興のために役立てたい)、男色という危ういテーマに果敢にしかし慎重に
切り込んだ点においてどちらも出色の出来であった どうでもよくないから平家はその方面で頑張ったんだろ
鎌倉政権になっても朝廷と張り合うために苦労してるし
平家が負けたのは武士のくせに軟弱だったから〜
みたいなのは割と最近の価値観なはず
敦盛や忠度の話は基本美談だし 悪左府と家盛ホモネタで是非とも押さえておきたいのは
2度あったヤバいシーンの最初は和姦で2度目が強姦であったこと
1度目は身体で結ばれた良好なギブアンドテイク関係の始まりだ(まだ本当の獲物=平氏の武力は
手に入れてないがそのためのステップ)
しかし2度目のアレはおフェラのみならず肛門性交も強制猥褻から強姦に格上げされた現在では
極悪犯罪者として断罪されかねない卑劣な行為だ
頼長のぶっちゃっけ話によって一気に己の愚かさを悟り目を覚ました大東家盛が見せた
恐怖の表情がこのことを雄弁に語る(家盛は逃れようとするも「もう遅い!」)
ところでよろしく睦じい関係を保っていたのになぜ頼長はぶっちゃけたのだろうか
おそらく肉体の支配では飽き足らず頼長は家盛を自己の精神的奴隷とすることで人格そのものに対する
完全支配を目論んだのだろう。そうなれば摂関家による平氏支配はもう間近である
しかしながらご存知のように己の犯した「大罪=平氏を売る」にショックを受けて絶望した家盛は
集中力を欠いて落馬し命を落としてしまった
こうして「祇園事件で窮地に陥り、加えて急上昇してきた正妻嫡男家盛の台頭により立場を弱めた
清盛であったが、家盛の急死によりようやく次期棟梁の座を確実なものとした」という
清盛のライフストーリー上見逃すことができない核心的な史実命題が、著名な頼長の男色という
キワモノを絡めつつかくも悲痛な人間ドラマへと昇華されたのである しかしいまだに全然ホモ描写理解されてないね。題材が題材だけに仕方ないのかもしれないけど。
>大河で衆道を臭わしたのは近くは平清盛←平安のアレは「衆道」ではないし臭わしたのではなく「やった」。
>悪左府の真の相手でやるべきだ。本物の相手との描写もあれば説得力が増した。後白河×信頼を通説通りにやってもらいたかった
←院政期における男色を採り上げる意義〜政治的コネクション形成という政治文化面から離れて性風俗という面から
興味本位で採り上げたのではない。しかもストーリー展開上適切に位置ようとすれば、前後の話との有機的結合が不可欠となる。
そうすると、何十人もいたであろう「恋人」の中で(たとえ台記に記述はなくとも)、家盛以上の相手はいないことは明らかである。
義賢を相手に一体何を描けるのだ?はたまたドラマでも嫉妬役でちょこっとでてきた、いかにも気持ち悪い秦公春とやってる場面に
何の意味がある?ただし、正真正銘の「恋人」公春をちゃんと出したということだ。
さらに言えば、台記にないから100%フィクションとは言い切れず、逆に大勢いる中で「史実では義賢』という決めつけは独断にすぎない。
「家盛は官位を急上昇させ清盛を脅かすようになった。清盛を危険視する頼長は、御しやすい家盛を棟梁につけ清盛追い落としを謀り、
平氏の武力を乗っ取ろうと企んだ」〜本作は、主人公清盛の人生行路に立ち塞がった家盛という存在に初めてスポットを当て、併せて
中下級貴族と結びつく頼長の政治的狙いを明らかにした。すなわち、男色がもつ重大な政治的機能に着目し(五味教授は院政期は
男色がわかればすべてわかるとまで言う)、これを清盛主人公のドラマで適切に扱うには誰が相応しいかを考えた場合に、
自ずから導かれる最適解が頼長vs家盛というコンビだったのである。
なお後白河vs信頼については、「通説通り」しかし至高の存在に配慮してそれこそ微妙な形で匂わせていた(「あさましき御寵愛by頼朝ナレ、
手を取り合ってのダンス)。
>ただのセクハラ
←頼長の家盛に対する態度が単なる性的嫌がらせにしか見えなかったとしたら、それはドラマの描写不足ではなく、拡がりをもつ意味世界の
一つの断片を切り取ったにすぎない。そもそも両者は当初対価関係にあり、セクハラの定義にあてはまらない。最後はセクハラではなくレイプだ。 つくづく唖然としてしまう世迷い言といえば、今でも盛んな
清盛のホモ描写は腐女子に迎合したくだらないBL
なる超弩級そして目が・級となってしまう頓珍漢の極みとしか言いようのない戯言
他方、衆道が直政の出世要因の一つであったことは証明できないが(家康の性向とは言えない)
有力な仮説であることは確かだろう
やったかやったことにしたかをボカした直虎大河の手法は頗る上手い(結局やってないことは明らか)
つまりこういう危うい一歩間違えば大顰蹙を買ってしまう、しかし大事なテーマに取り組む
ためには作り手の洞察とセンスとバランス感覚が必要となる
清盛の男色描写はこの意味でも最高だった 直虎での描写はその気になった家康にその後襲われたかとも
思ったが違うのか。ソースはノベライズ?
衆道は武士のたしなみとして葉隠でもかくあるべしと取り上げ
られている当時の武家としては身近なものだから
家康と直政の間にそういう関係があっても驚かないんだけど
「家康の性向」とは言えないとみるのはどうしてでしょう?
直虎ではコミカルに描かれていたが清盛はサディスティックに
見るものによっては嫌悪感を抱かせるような描き方。
実際、山本耕史がちょっと嫌いになったが
そう思わせるということは作品としても役者としても
成功してるんだろうとは思う。 今回だけではどちらにも解釈可能だが先を読んでしまった
もっともノベ読んでなくても個人的には「やったことにしちゃおうか、
その方がお主にとっても何かと便利だろ」と受けとったと思う
ともかく意見が分かれていること自体、脚本と演出の勝利 昨年の真田丸の五人衆では毛利勝永が土佐藩主の山内忠義と
衆道の関係であったため、脱走して豊臣方につくのを黙認して
もらったエピソードが有名ですね。
武士は戦場に赴くと男ばかりだし、血気にはやるのを抑えるため
衆道が流行るのは分かる気もするが、頼長の場合は完全に性癖。
ただ、公家よりも普段から体を鍛えているであろう武家の方が
体力面で勝るであろうから、いくら権力をもって迫られたとはいえ
なされるがままに犯されてしまった家盛もどうかとは思う。
来年もBL要素を描くそうだけど、林真理子氏がどのように取り上げるのか
いまから心配。 別冊文芸春秋「西行隆盛を知る」の林真理子×磯田道史冒頭対談より
【林】
歴史ドラマって、史実ではその場にいることが証明できなくても成立するでしょう?
小説だと、斉彬がそこにいなかったら、やっぱり書きません。でもドラマは「いなかったとは言い切れないから、
いたのかもしれない」という前提で書きますね。
【磯田】
辻褄はなるべくあわせなければいけませんが、完全には無理です。今回は西郷が主人公なので、
少年時代に斉彬と出会わなければドラマとして成り立ちません。もっともありえるように、かつ薩摩の本質が
わかるようなシーンになるように書かれたらどうだろう?というふうに相談を受けながらやっています。
この磯田氏の発言は非常に的を得たものだ。清盛はすこぶる律儀に史実に向かい合っていたが、それでも
どうしても設定変更せざるをえない人物相関もあった。それが平氏では忠正の立ち位置、そして源氏では義朝
とのライバル関係というわけである。忠正はとうの昔に平氏一門の外にあって関わりありませんでした、
義朝とは保元の乱で初めて会いました、ではドラマにならないのは明白だろう。
要はその設定変更が不自然でなかったか、それによってドラマが面白くなったか、であり、清盛はいずれのケースも
十分な説得力をもち、そこから熱いドラマを引き出すことに成功していた(離反分子という頼盛との共通点に着眼、最終段階で
頼盛と入れ替わることで史実との整合性を図った解決法は天才的)。
また「薩摩の本質がわかるようなシーン」に引きつければ、頼長の相手を家盛とすることで「男色の本質」に迫り得たのである。
「史実と違う」とドヤ顔するのが、自称本物の歴史ファン、コアな大河ファン(昔は良かったのトンデモ創作には寛容いや盲目)
の存在証明なのだろうか?本物の歴史ファンならば、「ああこういう意図でこういうアレンジをしたのかー、フィクションの
混ぜ具合が絶秒だなー(あるいは下手だなー)」」みたいな見方をするのではないのか?
プロ中のプロ磯田氏の言葉を噛みしめたいものだ。フィクションについては、本郷氏もほぼ同様の見方をしていた。 平治の乱見直したら、ナレ朝は「過剰なまでのご寵愛」だね
「あさましき程のご寵愛」は長恨歌絵巻により後白河を諌めようとした信西(平治物語)の口から飛び出した
この「あさましき」は愚管抄で慈円がズバッとあっち方面を暴露しちゃった表現だ
信西の台詞に置き換えられたこの「あさましき」により、両者の男色は婉曲的というよりも
分かる人には直球で伝わったことだろう
にもかかわらず後白河は聞く耳をもたず、信西、師光共々「やってられねーよあのバカ」と呆れ顔
(和漢に比類なき暗主なり~流石に言葉に出さなかったがこの出典は玉葉)
例によって思いつきではなく複数の古典を巧みに咀嚼融合して採り入れたシーンである 家康殿の「ご寵愛」キター
この一言をシグナルとするのがアレやる時の定番となりそう
ところで清盛にはもう一場面「ご寵愛」が出てくる
それが鳥羽朕を発狂させたファムファタールたまちゃんのアレ
「あの夜、私は久方ぶりに法皇様にお会いし、そして・・・・
存分にご寵愛をこうむりました」((((;゚Д゚))))))) 昼に本スレに投下↓
その女のライター、ネット界隈が騒然となった悪左府の本気のやつ見てないんだ
男色は大好きな真田丸に始まったブームではないし昔の大河にもあった
もっとも清盛のは腐女子がどうのこうの低次元の話ではないので一緒にしないで結構
異例のごぼう抜き出世は直政の才幹によるものだったに違いないが(草履番から始めて
グレードを上げてきた)実際あったかもしれない色小姓についても、あったとはせず
そういう噂までも巧みに利用してライバルを黙らせる直政という具合に
直政の才覚話に引きつけて構成したシナリオに脱帽した
2、3日前に出た陳腐な記事(そしてこれに飛びつきバッシングを始める2ちゃん)通り
森下に受け狙いがあったとしても、家康×直政のホモネタは題材にするれっきとした
根拠があり、慎重を要するその処理の仕方も非常に上手かった
★男色即BLと考えている時点でつまらん記事でしかないが、ボーイズラブのわけない有名な光秀折檻シーンを
例にあげているのに、さらに強烈でしかも意味深かった頼長のシーンをシカトするとは何事か。
見てないんだか、見たのに忘れたのか(忘れようがないはず)、一応ドラマ批評の専門家なんだろ彼女?
上に書いたように、BLなどと一緒にしてもらいたくないのでこの扱いで結構だけれども、専門家を名乗る連中が
きちんと作品を把握・理解した上で批評した文章をほとんど読んだことのない、という意味でも稀有な大河である。 BS平清盛の録画
いきなり義経のテーマで始まる!その次はなんと風林火山!
いやはや嫌われてますのぉーとショボーン(´・ω・`)したところにホンゴー先生登場w 清盛が頂点に立てた謎1
三十三間堂を献上し(経済的奉仕←政治的・軍事的に奉仕した二条天皇との間でアナタコナタ)後白河法皇を味方につけた
〜提携関係の地ならし→滋子を媒介とした本格的提携成立→あからさまな外戚=朝廷簒奪作戦へ(pgrされた巻毛回はこの流れに位置づける必要がある)
コメンテイターのお婆ちゃん曰く「清盛さん家族に弱いんですよ。義理の母の懇願にほだされて会ったこともない頼朝を助けてしまった」
←お婆ちゃん、上西門院殿上始めでお会いしてますよー。本邦初、清盛にビビった頼朝が粗相を働いた画期的描写を見てくださいませ。
ともかく以上みっちりやりましたねー
眠い、以下続くw 元ある神のお作りになられた山の残るは一握り。
自然の森は人間の都合で、杉や檜だらけの森となった。
山には動物たちの食べる餌場もねぐらもなく、木の実や食べられる柔らかい葉もなく、人間ならば雨露しのぐ家もなく、食料もない状態なり。
熊や動物が食物を求め人間社会に入り込み人間を襲うのは、そもそも、人間が彼らの生きる場を奪ったからにほかならぬ。
山から動物の姿消えれば、いずれこの世は人も住めぬ世界へと荒廃する。
山は人間の想像つかぬほどの緻密さにて生態系を守っている。
人はそろそろ目を覚まし、自然との共存に本気で取り組まねば手遅れなり。 番組では気前よくプレゼントを惜しまない清盛が強調されていたが、大河では蓮華王院造営ではなく、王家のコレクションとなる青磁
を献上し、後白河の気を惹く清盛の作戦にスポットを当てていた。
ただし、後白河は二条に奉仕する清盛にへそを曲げてしまい、「公卿としてやったはわしぞ。参議にしてやったもわしぞ。侮りおって!
かような器の一つや二つでわしの機嫌をとったつまりか!なにゆえわしを見ぬ、なにゆえ帝ばかり見るのじゃ」とおカンムリ。
器を次々と叩き割ってしまった。したがって、「後白河を味方につけた」とした番組のアンサー通りではない。
この時点では明確に二条親政派に属していたことからして(親子の情を知らない二条に同情し忠誠を誓い、時子を乳母とした。
さらにドラマで滋子の入内先として狙ったのも当初二条→しかし、意に反して後白河とフォーリンラブ、できちゃった婚→後白河路線へ)、
アナタコナタの重心は二条の側におきつつ、後白河にも保険をかけていたあたりが実情だろう。もっとも、蓮華王院プレゼントに
後白河はたいそう喜んだに違いないのであって、両者は協調に向けた良好な関係に入っていったといえよう。
番組が間違いというのではないが、二条寄りの清盛にぶんむくれる後白河の描写もまた、この時期の政界の構図を見事に
示すものとなった。
ところで、ツイで「平治の乱までは神であったが、それ以降は平家物語をなぞるだけのものとなった」というのがあった。
これまたよく聞かされた話すぎて今さらなんだけど、「保元の乱に始まる平氏の勃興期を正面からは扱わない。
ギボンが『ローマ帝国衰亡史』を帝国繁栄の頂点から始めたように、平家物語も平清盛の絶頂期から筆を起こす」(池澤夏樹)
平家物語は、平治の乱以降「いかにして清盛が政界を駆け上っていき頂点を極めていったか」に対して、関心をほぼ向けていない。
二条帝時代の上の話からしてまったく平家物語と重なるとことがない。どこをどう見たら、「後は平家物語をなぞっただけ」
となるのだろうか?平氏の勃興過程を頂点に至るまでこれほどフォローした大河はなかったし、今後も期待できないだろう。
もちろん、後半になればなるほど平家物語を最大の資料として用いて、ドラマは組み立てられていった。
平家物語自体、歴史叙述を徐々に充実させていき、両者の関心が一致し始めた以上、当然のことだろう。しかしながら、現象面では
平家物語に材料を多くとっても、ドラマは決して単なるエピの祖述に止まらず、いままで積み重ねてきた清盛物語を終結へと導くために、
至るところで独自の解釈が試みられていたことは、一見通説っぽい鹿ケ谷事件や治承クーデター、頼朝挙兵といった
大事件を見れば直ちに判明する。ちなみにプロフィールを見たら、自称時代考証家。また自称大日本帝国憲法研究者として
お笑いを振りまいている倉山某の信者だそうな。 頂点を極めた謎2−1 厳島神社
しかし、厳島神社のロケだけで謎解明にはなっていないw本郷先生も先進性を強調するぐらい。
大河清盛では、まさに本郷教授の助言に基づき「横へ横への国造り」の発現として位置づけられていた(平面プラン)。
海に屹立する鳥居も先はきっと宋国がイメージされていたのだろう。
頂点を極めた謎2−2 音戸の瀬戸
こちらは、「五十の宴」に乗り込んできた兼実の嫌味の台詞で一言触れられていた。開削工事のロケはさすがにできない。
その代わり、日招き伝説を、平家が幸福の絶頂にあった「五十の宴回」のラストに取り込んでいた(この噂が東国にも伝わり、
カリスマ清盛のイメージを増幅させた。このように、頼朝流罪後も、常にこうしたエピや祐親大番役等を通じて〜気さくに声をかけた
清盛にビビった祐親が勝手に「大魔王清盛」の虚像をつくり上げ、これを伊豆に持ち帰り拡散させ、千鶴丸の悲劇を生んでしまった〜
空間的に接することがなかった京の清盛と伊豆の頼朝とが、ストーリー上つねにリンクされていた)。
最後に、2つの謎について番組は、当時の常識を超えた清盛の大胆な発想と統治手腕を示す代表的な事跡としてまとめた。
頂点を極めた謎3−神戸港&宋銭導入
もっとも重要なポイント。博多を京の近くに持ってくるby本郷→大輪田泊。もう説明不要だろう。もっとも力を入れて描いた清盛の業績がコレ。
ドラマでこの発想を最初に提起したのが、誰であろう元海賊兎丸であった。遅いと怒る清盛に「アホか、博多がどこにあると思ってんのや。
んな無茶言うなら、博多を京の近くにもってこい!」と兎丸。ここで清盛はハッと閃いた。作劇上生きたオリキャラとはかくありたい。
そして貨幣経済の産みの親清盛(本郷)。宋銭について印象に残っているシーンは、あれだけ清盛を憎悪した信西原理主義者西光が、息子たちを
通じて宋銭普及を地味に目指していたそれ。西光も決して私怨だけで動いていたのではなく、信西の理想を継承しようとした国士であった。 番組の最後で、清盛平家はなぜ滅んだかについて本郷先生。
「平家一門は、朝廷で京都で出世していくことを選んでしまった。やっぱり貴族の力はでかいんですよ。
強大な貴族の力に立ち向かっていくということがどれだけ難しいことだったか。それは、頼朝が鎌倉に拠点をおいて成功した、
そのことが何よりも雄弁に物語っているわけです。やっぱり京都で伝統的な勢力と戦いながら武家の政権を創るというのは、
極めて難しかったのだと思います」
頼朝が清盛を教師としても反面教師としてもリスペクトしたとしても、あながち脚本家の勝手な解釈とはいえないだろう。
その意味で、あの鳥羽エア矢(そちこそが朝廷に突き刺さった一本の矢by鳥羽)が、時空を超えて頼朝に突き刺さった場面が
決定的に重要(あの方は朝廷の内部から貴族体制を掘り崩してくれたのだ。私は孤軍奮闘戦ってくれた清盛の遺産を
〈あたかもフリーライダー〉のように活用して武士の世を拓く!)。
そして、頼朝をナレに据えたことにも十分な理由があったことがわかるだろう。 屹立する鳥居も先→鳥居の先
しかし、ほんとにほんとに清盛後半は、ただ史実を並べるだけで精一杯、あるいは平家物語をなぞっただけなんすかー???
真の歴史ファンにしてコアな大河ヲタの皆さま?
おやぬみなさい。 一方で頼朝から放たれたエア矢が清盛に突き刺さらなかったのは
頼朝の残念な弓術からしてやむを得ないことであった。 いやいや
・弁慶の記憶によって鎌倉の頼朝の元へ運ばれた鳥羽エア矢
・清盛を改めてリスペクトした頼朝が放ったエア矢ー清盛への挑戦状
・平泉では義経が弁慶相手にウィリアム・テル
これらにより、源平合戦最終ラウンドの舞台設定が完了したんだよ 平安版エアガンだよ
鳥羽エア矢は13話祇園闘乱事件回のクライマックス(清盛自身が旧体制を穿つ矢)
これを48話幻の都回で頼朝が受け止めた
そして49話双六が終わるとき回で頼朝は京の清盛に向けてエア矢を放つ
これを受け止めたかのように清盛は後白河を訪れ「あんたとの勝負はこれで最後」
と来し方を総括し貴族の世の終わりを告げ頼朝との最終決戦に臨もうとした時
熱病で倒れた
そういう流れ
しかし本日やっぱ蝉蝉蝉セミー!となっとるw >>428
エア矢自体、ムックなんかにそのような設定があったんですかね? 清盛は矢をつがえ引き絞る仕草をした。清盛の突き刺すような視線が鳥羽院のみぞおちに狙いを定めた。
清盛は矢を放った。鳥羽院は手を開いて矢が当たったあたりを確かめた。血がーー
ノベにはこうある。
本当に矢を放ったのならば大事で鳥羽は死んでしまう。しかし、描写はリアルで疑似射撃には見えない。
おそらく当初は、虚実皮膜の間で「矢を放って当たったが死んでいない」場面設定だったのだろう。
実際、当初の演出では、清盛は矢を放ち鳥羽に当たる仕様だったが、両者が対峙する同一画面で清盛が
矢を放つのは危険なのでエア矢に変更された旨、何かで読んだことがある。
しかし、エア矢へ変更されたことで、結果的にむしろ「鳥羽という旧体制のど真ん中を射た清盛」というこのシーンが
狙った意味内容〈本作が捉えた祇園闘乱事件の核心命題)がよりリアルなものになったと思われる。
本当に射て当たったのに鳥羽は生きており高笑いしたとしたら、それは超常現象であり、説得力を弱めかねなかった。
結果論でオッケーなシーンではないだろうか(予算不足?のため、他に誰もいない賀茂川河川敷での一騎討ちと
なった場面もそう。リアリティを欠く異次元空間における仮想現実っぽいある意味エア矢と逆方向の演出が、
荒唐無稽となることから一騎討ちを救っていた)。
さらに49話を読み返すと、ノベには頼朝のエア矢のシーンはどうもない。本編では、庭にケツモブたちが戻り
賑わいをみせる六波羅(←ここ重要。清盛は南都焼討ちで絶体絶命となっても黄昏ていたのではない)で、
清盛が「武士の世」と呟いているシーンへ向けて、鎌倉の頼朝がエア矢を放った。
助命・流刑後も作劇上リンクされ続けた両者にあって、当然のことながら清盛→頼朝の一方的作用が続いていたが、
頼朝挙兵を境に頼朝→清盛のベクトルが作用し始めた(闇落ちした清盛を再覚醒、直近では鎌倉都市建設(これ自体
おそらく六波羅=福原幕府を参考にしたはず)に清盛は想いを馳せ自己の畢生の事業福原京建設挫折を思う
→最後に9条防衛構想を披露したところで倒れる)。両者は相互に作用しあい、「会話」を再開した。
その集大成が頼朝のエア矢、すなわち頼朝から清盛へ最終決戦を促す挑戦状といえよう。つまり頼朝は助命時
清盛が放った「指を咥えて眺めておれ」の真意=「再び立ち上がって俺に挑戦してみろ」に、ついに応答したのである。
頼朝エア矢は、脚本家と制作陣が話し合った結果の追加と思われるが、これにより40年にわたる「双六遊び」を
終わりにするため後白河を訪れるシーン(メインイベント)の説得力が格段に高まった(時代は源平最終決戦のステージに移る)。 頼朝エア矢は頼朝が的を外して政子が「もっと、こう」とか
アドバイスする場面と繋がって
頼朝の意気込みは感じるんだけど、これはちゃんと
清盛まで届いたの?そんな様子もなくて、なんだか残念
なんて思いつつもニヤニヤしながら見てた。
一方の鳥羽帝エア矢は茶番としか思えなかった。
エア矢に射抜かれた鳥羽帝がひとり勝手に納得するのに
なんの必然性、整合性も見いだせなかったためだと思う。 もちろん頼朝挙兵によって、広義の源平合戦はもう始まっている。
ここでいう最終決戦とは、4話の【忠盛vs為義】、平治の乱(早すぎた源平合戦)での【清盛vs義朝】のタイマン対決を受けて、
ついに訪れた源平合戦本戦ラウンドで繰り広げられるはずであった、【清盛vs頼朝】(≒義朝)棟梁間の戦い、すなわち武士の覇者決定戦のこと。
そしてこの流れからは、両者相まみえることなく敗者となった清盛のユーレイが、勧進層西行に召喚される形で頼朝のもとを訪い、
頼朝と直に「再会」して、「しからば真の武士とはいかなるものか見せてみよ」と武士の世づくりを託すシーンが必須であったことが知れよう。
1対1タイマンで対峙するこの「継承式」がないと、祖父・父親世代の因縁も、頼朝助命シーンも永遠に完結しないのである。 まあ茶番と言うまえに、院政期の最高意思決定過程が見事に跡付けられていたことに注目してみるこった。
公卿、院の近臣たちによる激論を踏まえ、しかし最終的決定権はあくまでも専制君主鳥羽に留保されていた。
罪刑に関しては、罪刑法定主義ではなく罪刑専断主義。つまり清盛の処断については、鳥羽の胸先三寸によって決まる。
その恣意性こそが味噌であり、彼の真意を忖度してその合理性を探索することは無意味である。合理性は不要なのだから。
鳥羽の真意について、放送当時それこそ侃々諤々の議論がなされ、いろいろな解釈が提示されたけれども、このことは、
なぜ鳥羽は清盛を軽い罰金刑で済ましたのか?「台詞で明解に説明しない」脚本と演出の狙いが当たったことの証左といえよう
(私的には、白河の血が「外に」流れたことのカタルシス。あるいは自己が「乱した世」に対する贖罪意識による減刑)。
つまり、茶番としか思えないなるお気楽な反応が出てきても、この場面の意味深さはいささかも揺るがないのである
(「そちこそが朝廷に対する一本の矢」が核心命題。この発言自体は解釈が分かれる暗喩ではなく清盛に対する歴史的評価)。 平家追討の実務を取り仕切ったのは義経であり
側近として従うのは清盛を若い頃からよく知る弁慶。
大将でありながら現場に赴かない頼朝よりも感情移入しやすい。
義経にとっては腰越こそ彼のルビコン。
ここを超えれば、人間世界の悲惨。超えなければ、わが破滅。
カエサルが渡った河を義経は超えられなかった。 こうして見ると、4話のパパ盛発言の重みに改めて感じ入ってしまう。
「為義殿、斬り合いとなったら源氏と平氏も終わりぞ。源氏と平氏どちらが強いか。それはまた先にとっておくことはできぬか?
その勝負は武士が朝廷に対して十分な力を得てからでも良いのではないか?」
清盛が朝廷を簒奪するまで貴族体制を弱体化させた段階で、満を持して勃発したのが、歴史上の源平合戦というわけだ。
平治の乱時は、清盛が再三義朝に自重を求めたように、まだ武士は貴族間の争いに駆り出される存在を脱していなかった。 京都国立博物館で平家納経見てきました
清盛の自署見て不思議な気分になりました ところが、当のパパ盛はそんな重大発言をしたことをすっかり忘れてしまっており、覚えていたのはダメ義のほう。
「わしはこんな汚い仕事まで引き受けて息子から盗賊呼ばわりされているが、地を這ってでも生きてみせる。
そしていつかそなたとの〈約束〉を果たす」とダメ義さんから指摘されて、「何それ?ああそんなこと言ったかな、楽しみじゃの」
とパパ盛が思い出したあたりは皮肉が利いていた。
キツイことを言われたほうはいつまでも忘れないとはいえ、実力的には?がついてしまう為義の諦めない筋の通った生きざまは立派。
一方、病に倒れた忠盛は退場回でなおも迷える人であった(最後に清盛から武士の世への目標を明確に示され得心→棟梁交代)。
ところが、この2人のやり取りを見ていた息子たちとなると、清盛は父の言葉をしっかり胸に刻んで教訓としていたのに対して、
義朝は父の悲哀を理解することができないまま、焦って逸って清盛の忠告に聞く耳もたず信頼に乗せられてしまい、
ついに暴発、自滅してしまった。
忘れかかった忠盛→忘れなかった清盛。忘れなかった為義→忘れてしまった義朝。このパラドキシカルな二重の対比からは、
義朝は早晩滅ぶべき運命にあったと言わざるをえない。 ツイ界隈のオバ様方による「好きな大河を4つ晒すと好みがわかる」を読んでも
整合的で統合可能な「好み」 なるものをサッパリ明晰判明できないアテクシですが
何はともあれ最低視聴率大河平清盛を挙げる人がこんなに多いことに感銘いたしました >>436
よくぞ今日まで残ってくれたよね
清盛に肩入れしているからかも知れないけれど、清盛時代の美術品は我が国の歴史でも群を抜いてると思う 2番目のグループの真ん中の女性がジャスティン・ビーバーのバックダンサーのDelaney Glazer
"Versace on the Floor" Bruno Mars Alexander Chung Choreography
https://www.youtube.com/watch?v=6TsvrWluthw
YANIS MARSHALL HEELS CHOREOGRAPHY "IN THE MIX" MIX MASTERS. LOS ANGELES MILLENNIUM DANCE COMPLEX
https://www.youtube.com/wat★ch?v=Zh6F★BlFSxIk
YANIS MARSHALL HEELS CHOREOGRAPHY "SHOW ME LOVE" ROBIN S. FEATURING STEVIE DORE.
https://www.youtube.com/wat★ch?v=qi2PJ★r2cWjM
Kaytranada Ft Syd "You're The One" | Choreography By Karon Lynn
https://www.youtube.com/watch?v=X3bPYme_kl4
2番目のグループの真ん中の女性がDelaney Glazer
PILLS & AUTOMOBILES Chris Brown - Alexander Chung & CJ Salvador
https://www.youtube.com/wa★tch?v=gAMj★GfcUdNU
"MI GENTE" - J Balvin, Willy William - Choreography by TRICIA MIRANDA
https://www.youtube.com/watch?v=Poacb8t5aNg
Love Galore | @MightyMykell | @DanceMillennium
https://www.youtube.com/w★atch?v=M★naGUyNeDXc
G-Eazy (feat. A$AP Rocky & Cardi B) - "No Limit" | IMMASPACE EDITION | Nicole Kirkland Choreography
https://www.youtube.com/wat★ch?v=Y0oI★SNfFqig
Lion Babe - Rockets ft. Moe Moks | missTiff Choreography | DanceOn Class
https://www.youtube.com/wa★tch?v=TV★EFp2uHPdQ
Chris Brown - Strip - WilldaBeast Adams Choreography - Filmed by @TimMilgram #immaBeast
https://www.youtube.com/wat★ch?v=0RF★5CCAJZr4
Boots - Kesha | Brian Friedman Choreography | #DancingForPuertoRico
https://www.youtube.com/wat★ch?v=p2JjW1★PUuyY
#SoloShowcase | SONNY - Wrongest Way | Choreography by @NikaKljun
https://www.youtube.com/wat★ch?v=wWyU★ei_sWNo
SOLO SHOWCASE | SONNY - Do It | Choreography by @NikaKljun
https://www.youtube.com/wat★ch?v=00Epi★we3BB4
3番目のグループがすごい
Jhene Aiko - "While we're young" | Nicole Kirkland Choreography
https://www.youtube.com/wat★ch?v=Kgk★8sPEqG0Y
THEY. "U-RITE" Choreography by Kenny Wormald - #TMillyTV - #Dance
https://www.youtube.com/wat★ch?v=A9pW★h0u6rv0
Janelle Ginestra
Rihanna - Work | Choreography by Janelle Ginestra | Shot by Brazil
https://www.youtube.com/wa★tch?v=q8JGr★kt7gOo お任せ解釈と言えば、西行娘キック(出家)。これはもう正解は出てこない。
おそらく歴史上の西行も(仮にこの超有名エピが史実だとして)説明できないだろう。
鳥羽の裁断と共通するのは、どちらも個人の内面における主体的・実存的決断であったこと。
心の奥底で形成された内心を外から探ってみても合理的説明はつかない。
公的な意思決定といえども、透明性や説明責任を鳥羽に求めることはナンセンスであるし、
ましてや遁世を決断した西行のそれは西行個人にのみ帰属する。娘キックに至っては
理非曲直を超えた衝動的なものだった。
このように2人の決断をいわばブラックボックス化して視聴者に投げかけた脚本・演出は、
通常の大河から大きく外れるもので、放送当時大いに非難を浴びた(暴力ハンターイという
つまらないのもあったが)。
しかし、饒舌のみならず、暗喩表現やボディランゲージ、沈黙さえも雄弁に歴史を語った清盛で、
この2つがとりわけ解釈論争を呼んだことには上に述べたように然るべき理由があり、
「どこまで語るか、沈黙するか、どのように語るか」についても、作り手の考察と見識が
遺憾なく発揮されていたことを明らかにした優れたシーンといえよう。 アホウヨにババアどももそろそろ
「オレ様アタシ平清盛大っきらーい」お笑いオンステージ再開してよ
待ってるぜいw 2ちゃん始めネット世論を牛耳り激しい罵詈雑言で平清盛を葬り去ったつもりであったところに、
思わぬ「敵」が現れ、各々方が日々催してるお気楽な「ビジネス」を狂わせてしまってすんません。
歴史系ブロガーだのツイッタらーだの自惚れてる「名の知れた」オタクたちのことですよ(爆
おやぬみなさい ツイとかブログでもっともらしく公平中立を装ってる連中と、
清盛に限らず2ちゃんで罵詈雑言吐いてる連中はピタッと一致しますゆえ、世間の皆様
是非とも惑わされないでくださりませ、でわ。 璋子に振られて娘キックで出家。
老いても煩悩を捨てられず堀河局とイチャイチャ。
このドラマの西行はどうも好きになれないし
捨てられた娘と吉田羊が不憫だ。
もうちょっと描き方をなんとかできなかったものか。 138 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 13:11:48.47 ID:IKkm8DaY [2/5]
宮廷の政争パートは結構おもろい
清盛パート自体はあんまおもろくない(´・ω・`)
176 名前:公共放送名無しさん[] 投稿日:2017/11/09(木) 13:14:53.80 ID:mCuPM98S [6/16]
本当は「平家物語」にしておけば主役のマツケンだって
あそこまでボロクソに叩かれなかったのにね
「大河は一人の一人生」というNHKのつまらないプライドのために
ひどい目にあったよね
190 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 13:16:02.15 ID:IKkm8DaY [5/5]
平家物語ベースに、現在の日本史研究の成果を修正反映させるだけで十分だったのにな(´・ω・`
244 名前:公共放送名無しさん[] 投稿日:2017/11/09(木) 13:20:27.68 ID:mCuPM98S [8/16]
無理に主人公を正義の味方にして力ませすぎたからなぁ・・・
もっと権力欲にまみれた清盛だったら多分評価は違ってた
645 名前:公共放送名無しさん[] 投稿日:2017/11/09(木) 13:51:06.57 ID:1ICjzb1y
あれまー崇徳さんの映像が出たというのをツイで見かけたので、閑なババアどもがたぶんやってるだろうと覗いたら案の定。
お前ら阿呆にはまともな清盛分析はもう無理なので、せめてその与太話を大河板でやって笑わせてくれよ。
しかしまあ、清盛を無理に正義の味方にして権力欲を消去したって、メクラなんか>>244?? 今日の朝日新聞に時代区分に関する興味深い記事が載ってたね >>454
244はひどすぎ
見たのに理解できない残念な人なのか
脳内の「堕落した最近の大河ドラマ像」を根拠に見てもいないのに叩いて通ぶりたいのか 保立先生の専門以外のご発言には100%賛同してるんだけど
岩波新書の平安王朝読んで以来以来どうも肌に合わない
朝日に書かれた時代区分ちゃんと読んでみる うわぁ清盛と時子、世知辛い現世で再婚すんのかw
「もうそなたで良い!」
「もーう台無し!」
無くして宗盛知盛重衡徳子は無かった! 244はたぶん、無頼の高平太時代の清盛造型を指して非難しているのだろう。
もし、ギラギラした壮年期、とりわけ闇落ちした晩年の清盛も含めてそのような評価をしたのだとしたら、それこそ「盲目」と断定せざるをえない
(そう寄り添ってみたけれど、昨今の大河はーの一貫として、トータルで見た清盛に対してすら、「敵を悪く描き清盛を不自然に美化しまくった」
と嘲る昔は良かった―たちに欠かなかった)。
そのことは別に、無頼の高平太並びにその後の青年清盛が、青臭い「正義」を振りかざして突っ張っていたことは確かだ。
しかし、そのどこが変なのだろうか?乱れた社会に義憤を抱く清盛、貴族体制に対する父の深謀遠慮を理解できずに反抗する未熟な青年清盛ではなく、
力まず何事にも疑問を抱かず品行方正に朝廷でお勉強する清盛。こちらの清盛こそが、のちの体制破壊者清盛の「正しい」前史なのであろうか?
おまけに何よりも重要なのは、こうした「正義を振りかざす」清盛を、脚本家は「本物の正義漢」とまったく捉えていなかったこと。
頼盛は「ぎゃーぎゃー喚いては落ち込む兄上が苦手です」と突き放していたし、何よりも父忠盛は「正義ぶったお前の浅知恵は、浅知恵によって
報復される。そのことで苦しめられるのは他ならぬ民なのだ」と喝破しているではないか。そして清盛自身も悪左府を前にして、自分の拙い青さの
限界を痛感していたではないか。
ここまで寄り添ってあげても呆れるばかりの与太話であるところに、さらに驚いてしまうのは、青年清盛が「もっと権力欲にまみれていた」
ならば高い評価を得られたはずだとの戯言(壮年期以降は、「正しすぎることはもはや誤り」であった重盛をネガから照らすマキャベリスト的権力欲の塊であったから、
青年期に限定するしかない)。
これまたさんざん聞かされた話だが、翻訳すれば、清盛はおギャーと生まれた途端に「ダークで権謀術数に長けた男であるべきだった」のだそうだ。
ここまでくると、3歩進んで2歩下がる、ちょっと進歩したらそこでまた立ち止まる方式で着実に成長していった「晩稲の政治家清盛」を綿密にフォローしていった
本作における清盛の歴史的個性を持ち出して反論する以前に、人間の発達過程一般に対する常識すら持ち合わせていないのではないかと、
失礼ながら同情せざるをえない。 無頼の高平太清盛は奇を衒ったデタラメ。大人清盛は極悪人なのに生ぬるく振り切れなかった(だからドロドロ武田信玄の足元にも及ばない)。
実際は、こうした驚くべき無知と比較にもならない比較を持ち出して、トータルで清盛の人物造形を全否定していたんだけどね。このいつもの女たち。
それにしても、大古典文学平家物語を現代の歴史解釈で修正するなんて許されるのかよ?
虚構塗れだからこそ盛者必衰の理は後世の人々の琴線に触れるのだろう。それが歴史学とは異なる優れた文学の証であり魅力なのだ。
無知無能な制作側なんだから、吉川の新平家物語のリメークがせいぜいよpgrにしても、残念ながらデタラメな家族構成のような骨格部分まで動かしたら、
それはリメイクでもなんでもなく著作権侵害であり、とてもじゃないが許される改変ではない。
だがしかし、清盛は祇園女御の子、清盛と経盛、重盛と宗盛が同母腹というデタラメを、21世紀に堂々とやるわけにはいかないだろう(今では通用しない
個々の描写はさておいて)。
そもそも、「なぜ今、平清盛か?」という切実な問い(これに対する答えが根本コンセプトとなる)に、「仏敵・朝敵・悪人清盛」像を掲げる平家物語は
答えるものなのか?新平家は当時としては清新な清盛像を打ち出したとされているが、平安末期の諸相と体制変動に歴史的にアプローチしたものなのか?
どんなに名作でも、平家物語あるいは新平家物語がベースでは描けない部分がある。
今までやってこなかったこうした部分につき、「躍動的な平安、武士の世の礎を築いた〈滅びではなく未来志向の〉平清盛」という新しい視点で描こうとしたのが、
オリジナル大河平清盛なのである。
もし、新平家のリメイクを見たいというのならば(そういう希望自体はごもっとも)、「21世紀の今、なぜ新平家物語をリメイクすべきなのか?そこでは
どのような平安末期像と清盛像を期待するのか?イメージの刷新はできるのか、不要」〜この切実な問いに対してきちんと答える必要がある。 最終行
不要→不要なのか?同じコンセプトでやれば足りるのか?アレンジは原作改竄とならないか? 付け加えると
清盛は平家物語ベースではなく、歴史そのものをベースに平家物語など多くの古典を塗して
創作されたオリジナル作品 例えば、昭和の貧乏サラリーマンのようだった忠盛像は、本作によって「強かに朝廷に取り入りながら
密貿易にまで手を染めるなどして着々と富と軍事力を増大させ、自らの地位と平氏の立場を
飛躍的に高めた忠盛。清盛に大きな遺産を残した大きな父」という風に刷新された。
この種の刷新は、「新平家を近時の学説で修正」する方式で可能なものなのだろうか?
そこまで人物像を180度変えてしまうとしたら、それはもはやアレンジではなく原作の否定だろう。
新平家のリメイクで十分と言うのならば、歴史的な役割とは真逆の忠盛像をこれからも受け入れる
覚悟が必要だ。 カッコよすぎるパパというプラスイメージで圧倒的な魅力を発散した忠盛。
しかし、実のところ鳥羽の弱みにつけこみ狡猾に立ち回ったり(得長寿院寄贈→殿上人へ)、
シラを切った院宣偽造による密貿易を人の良さそうな家貞さん中心に行ってぼろ儲けしたり、
蓄積した荘園をバーターに強訴じゃーとデモる山門とクッサい取引をしたり、
相当エグいアンチモラルの人でもあった(ここでも好々爺家貞さんの手練手管がものをいった。
さらに、平治の乱時の周到な鎧準備に白々しい名簿提出演技など、この唐物好きの人の良さそうな
爺さんに油断したら痛い目に遭う。感動的な主従パターンをいくつも見せた清盛の中で、
この狸親父コンビはとってもユニーク)。
もう一つ、「死にたくなければ強くなれ」と清盛に生きる道の厳しさと手本を「親父の背中」で
指し示してきた忠盛なのに、人生の最後で「俺は何のために太刀を振るってきたのだろう。武士のレゾンレートル
とは何ぞや?舞子は懸命に生きればそのうちわかる(←遊びをせんとやを解説しながら)と諭してくれたが、
未だ分からぬのだ」と弱気になってしまったところが印象的(家盛を死なせてしまった悔恨もあって)。
同じくあれだけ自信家であった信西も、穴の中から「師光よ、私は何を求めてここまで上がってきたのだ」
と人生の最後で弱音を吐き、此の期に及んで自分探しを始めた(青い清盛のそれと比べて何と悲劇的な
終着点なのだろ)。
そして彼らを最終的に迷いから救い出し、確信の元にあの世に送ってあげたのが、我らの主人公
清盛なのであった(委細省略。この観点から見直していただきたい)。主人公とはかくありたい。 太刀は物理的なものとは限らないでしょ(代償に穢れた血を浴びた盗賊朧月退治、
西海の海賊討伐が物理的に太刀を振るった例)。
しかし、そうした武士の職能的働き以上に注目すべきは、「王家の犬」を装いつつ、
王家や摂関家始め旧体制にじわじわと食い込み、自己と武家平氏の地位向上を成し遂げていった
忠盛の戦略と戦術のほうだろう。こちらの象徴的意味における「太刀を振るう」のほうがより重要。
思えば、苛烈な処罰を断行し清盛を傷つけた信西もまた、絶望した清盛から問い詰められて
「私には武力はない。しかし太刀ならば私も振るっている。もう馴れ合いはお終いじゃ。
共にこの腐った世を変えようぞ清盛」と「見えない太刀」=博識に裏づけられた果断な政治
による世直しを誓ったのであった。 昨日一瞬本スレに投下して与党たちからスルーされたが、おんな城主のP談話を読むと、明らかに家康のキャラは
信西を踏まえたものとなっている(コミカル家康からシリアス家康へ)。阿部サダヲ起用も信西演技を評価してのことだろう。
蝉の演出も凄惨な成親の死のシーンと無関係ではありえない。
色小姓から来年の男色への流れは真田丸の光秀折檻をホップとする、真田丸の独創でナレ死はすっかりブームとなった、
などなど珍妙な講釈を披露されているライターの方々や、どうでも良いことまで
「あ、これは丸の成果に学んでる(ついでに清盛の失敗と不成果に学んでいる)。これも森下さんの三谷さんへのオマージュ」
と熱心に奇跡の大河真田丸を讃えるおっちゃんなんかは、きっとこれらの露骨ともいえる鮮明な類似に気づかないでしょうがね・・・ 377 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 14:09:13.90 ID:5eZmyVbU0 [2/3]
清盛はダークヒーロー的なストーリーだったら最高だったんだけどなんかいい人でまとめちゃって話が小さくなった
396 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2017/11/13(月) 14:24:10.92 ID:uwxoqJuu0
お前ほんとメクラなんか?
メクラは初めから完成されて登場した渡清盛やダークヒーロー面ゼロの仲代清盛みてから
マツケン清盛はただの小さなイイ人で終わってしまった―とかお笑いふりまけや
★秘密警察禿を放ち反平家を弾圧する恐怖政治を敷き、ブラック企業のごとく民を使役してまで大輪田泊完成を急ぎ、
謀略を仕掛けて後白河を挑発し鹿ケ谷事件を誘発し、朝廷を簒奪していったんは平氏系新王朝を開始し
(正統的な外戚路線から軍事力による院政停止=治承クーデター)、絶倒の頂点から頼朝挙兵によってあっという間に
奈落の底に叩き落され(そこからの眺めは漆黒の闇)、最後まで諦めず奮闘したものの志半ばで無念の死を迎えた清盛。
しかしながら、武士の世と交易国家の礎を築いた業績は後世に綿々と引き継がれ、不滅の光を放ち続けている。
「平清盛なくして武士の世はなかった」〜本作が主張したかったことは、頼朝が冒頭とラストで繰り返したこのスローガンに集約されている。
清盛は、根本的にダークヒーローどまりの人間にとどまらない、多大の業績を歴史に遺した偉人なのである。
このような朝敵・仏敵・悪役清盛像を塗り替えることを主眼とした大河に対して、単なるダークヒーロー像を求めること自体、
ナンセンスでしかないが(主人公を悪く描きさえすれば大喜びして名作だと礼賛する単細胞が多い)、
ドラマの清盛は、保元の乱での甘ちゃん外交の失敗から学んだこともあって、上昇過程で太々しさと胆力を増していき、
出家後は明らかに非情なマキャベリストと化していった。その果てが治承クーデターで国の頂に立った途端に陥った
いわゆる闇落ちである(これも、白河の血の再帰というロジックに支えられている〜暴君、エロ爺)
こうした展開から明らかなように、清盛には「ダークヒーロー」そのものであった時期が明確に存在する。しかし、それは
例外であって本来の清盛からの逸脱にすぎず、(考証高橋が主張するように、晩年陥った精神の硬直化)、清盛は生涯、陽性で開放的な男であり続けた。
要するに、明暗、正邪を抱えた清盛の全生涯をありのままトータルに捉えたのが本作であり、ダークヒーロー面を等閑視した事実はないし、
正当にも清盛のプラスの業績と人間性に光をあてた一方で、主人公だからといって美化することもなかった。
これがこの阿呆によると、「いい人でまとめちゃって話が小さくなった」となるのだから、世の中わからない。。。 絶倒の頂点→権力の頂点
清盛の権力資源は、忠盛から相続し、日宋貿易、荘園・知行国の集積により増やした財力、
及び財力に裏づけられた武力。平治の乱を一人勝ちした清盛は、政界の一人者となり歴史の前景へ躍り出た。
支配秩序を揺るがす2つの大乱を、圧倒的な軍事力にものを言わせてその帰趨を決定づけたことが、
裸の暴力支配とは異なる支配の正当性を生みだした。
再度強調したいのは、このように清盛の権力奪取は軍事力をバックとしたものであるが、その方法は
至ってオーソドックスな官位の上昇と婚姻政策によるもので、合法性に依拠したものであったこと。
逆に言えば、旧貴族体制の内部での「擬似革命」に止まる限界を有していた(古い皮袋の中に新しい酒)。
このことが「武士の世を切り開いた先駆者清盛」を分かりにくいものとしているのだが、
本作はこうした分かりにくさを分かりやすく改変することはしていない(ただし、「新しい形」について
高橋・六波羅幕府論を咀嚼→京と福原との絶妙な空間的・政治的・心理的距離の問題~京の政界が二進も三進も
立ち行かなくなった段階で、歌舞伎の千両役の如く真打ち清盛が登場したシーン)
しかし、全部見終えた視聴者ならば、頼朝がリスペクトを込めて放った「平清盛無くして武士の世は無かった」
にきっとハゲドーできたことだろう。
いずれにせよ、清盛は正攻法の人、文武特記事項なしの努力の人であって、ピカレスクとかアウトロー、
ダークヒーローとは程遠い人だった。
また、落胤という初期設定を最大限に生かしきった作劇であったが、それは縁故で楽して上昇していった清盛
というベクトルでは働かず、主として白河の負のエネルギーによる支配という形で現れた(時に正のパワーも)。
清盛はあくまで身分という先天的な属性ではなく、自らの業績によって上昇していったのである。
つまりラッキーだけに恵まれた人でもなかった(本郷教授の「落胤じゃ清盛の実力が見えてこなくて
それじゃつまんないじゃないですか」との懸念を、藤本女史は見事に払拭した)。 過去最強と断言できるスケールの大きなマツケン清盛であったことは揺るがない。
文句があるのなら「小さくまとまらない清盛とは如何なるものか見せて見よ」
by最終回清盛風。
は冗談として、少なくとも仲代清盛と渡清盛、さらに雷蔵清盛、出したくないが
トンデモ清盛時代劇に出演された先代マツケン清盛がスケール大きな清盛で、
松山清盛を馬鹿にできるだけの人物造形であったことを説得的に語ってもらいたい。 大河主演という暴挙を経て
田舎出のアホな兄ちゃんポジに落ち着いたケンちゃん もうすぐ義経再放送。
清盛を描く気がなくデタラメファンタジーに逃げたスカスカの平清盛。平家の面々と歴史をしっかり描いた義経。
平家パートは何もかも義経が上。歴史を知るには義経を見るべし!
清盛本放送時、こう2ちゃん与党たちはスクラム組んで、清盛バッシングに励んでおりました。
きちんと比較できる機会ができて、皆さま楽しみですね。
視点・力点が異なるので、単純にどちらが上とか決めつけるわけにはいきませんけど、
個々の人物造形、歴史的事件の捉え方など豊富な比較材料が提供されるでしょう。お楽しみに! 日本史の教科書から「鹿ケ谷の陰謀」が消えるかもしれないそうだね 陰謀は事実ではなく物語にすぎないとする説も唱えられているが(川合康)
後白河も関与した院の側近たちによる何かしらの企みはやはりあった
と考える説の方が今でも有力なのでは?高橋先生はこちら
教科書が書き換えられるほど定説の見直しが進んでいるようには見えないけど
大河清盛は平家物語に準拠したオーソドックスの中にトリッキーを潜ませる展開だった ない説を通すより
あった説を通した方が面白いやん
清盛白河院落胤説も(棒読み ドラマなんだから、100%否定されてしまった説を平気の平左で採用するのはともかく、
より面白いよりドラマチックな展開を可能とする説のほうを選ぶのは当然だ。
歴史学やってんじゃないのだから。清盛落胤説、崇徳叔父子説が典型例。
そのうち落胤説は、高橋先生始め学界をリードする複数の有力学者が認める今でもれっきとした有力説。
したがって、これを荒唐無稽な俗説と退けるわけにはいかない。
ぶっちゃけホンゴー先生も、「んな訳ないだろ、それじゃつまらん」以上の否定根拠を挙げていないw
(骨が見つかってDNA鑑定でもしない限り永遠の謎)。
なので平清盛を取り上げる場合に、こんな古今東西稀な魅力的な設定をわざわざ避ける脚本家は
たぶんこれからもいないだろうし、落胤説で行っても時代考証なってなーいなどと言われる筋合いはない。
要は落胤説からどのようなドラマを引き出すかであり、大河清盛はその可能性のマックスに挑んで成功させた。 ああこれ脱暗記型歴史学習のために学会が提唱した用語半減案のことね(朝日新聞)
しかし削除対象に挙げられた歴史用語を見ると、世界史、日本史どれも必須としか思えないのだけれど・・・
鹿ケ谷の「陰謀」は陰謀の有無について再検討中ということでやめても良いが
清盛と後白河との破局という歴史のターニングポイントまで消し去ってしまったら
この時期の歴史の流れがわからなくなっちゃうよ
暗記より歴史の流れ(因果系列)を重視する観点からも鹿ケ谷「事件」は残してもらいたいところ 仕方ないとはいえ、牛若は清盛と子供たちと日常的に交流会話し、常盤を想い人とした清盛に時子は激しく嫉妬する。
今後、間違いなくどうでも良い存在であった義経の動向に、平家一同ピリピリする展開となる。
これだけ見ても、切り取り方一つで同じ平安末期大河と言えどもまったく異なる様相を呈してくるところが面白い。
ただ、平治の乱の次の回に、福原への想いを語るのはチトというかずいぶん早すぎる(「わしの夢の都じゃ」)。
総じて、義経は清盛のように一つ一つ丁寧に歴史を積み重ねるやり方ではないので(むしろこれが大河のデフォ)、
マジになって見ると、今何年でどのあたりをやっているのか執着しないおおらかな世界にいささか戸惑う。
今見てるところは、もうまさに平家絶頂期の宴のように煌びやかな美女たちの宴(といってもやはり映像的には
古くさくて、汚いと叩かれた清盛の映像美とは天地の差。これも技術の進歩からいって仕方ない)。 ああそういえば、早くも早くも大輪田泊構想を披歴して「新しき国」を宣言するのね。。。
平治の乱後の政界動向とゴシラとの息詰まる心理戦、提携と破綻はとりあえずなしです。
と感心してたら、重盛さんが「父上、まさか福原へ都へとお考えなのでは???」と。
ほんと???となってしまいました。今何年なのでしょうか? ちょっと意地悪しちゃいましたが、
どうして2ちゃん与党やってる自称「歴史系ブロガー&ツイッタらー」の皆さんは、
デタラメのかぎりを尽した清盛なんか見るのやめて、平家については義経を見よう!
なんてお笑いプロパガンダで一致団結して清盛を攻撃したんですか(一致団結してミタニン丸すげーもやってましたが)?
ちゃんと答えてくださいよ、おやぬみ。
なお、「おんなたちの平家」を原作とする「義経物語」を否定するものではありません。 ああ、2話にして時代は一挙に飛んで、清盛は内大臣、太政大臣になってる頃かもう。
泊修復に取り掛かり、、福原に別荘を持ち、福原京構想も清盛の頭の中にはあったかもしれない頃なので(その前に
京での地盤固めの様子を少しはやってもらいたいところ)、宋人と密かに京で謁見という無茶なところもあるが史実の枠に収まっている
(大河清盛は、嘉応の宋人謁見と承安の外交をドラマ化した〜上級貴族の猛反発を後白河の支援を得て跳ね返し、
「タブーを恐れない好奇心」で清盛と意気投合した後白河は堂々福原で宋人と謁見。しかし、それは平相国入道となってからのこと)。
しかし、この間の歴史の動き、政界の動き、パワーバランス、何よりも清盛平家の旭日昇天の上昇過程をほぼすべてカットしてしまっている。
今のところ常盤、牛若、清盛、時子のホームドラマ中心で、歴史は雰囲気だけで良いということかね。牛若のキャラ立て期間。 義経ー平家納経奉納は1164年であったことはナイショ
大河清盛はこの年が崇徳没年であることに着眼して怨霊伝説をリンクさせた
ヲタの間で今や伝説となった30話「平家納経」回である 夢見心地なほんわか少女深キョン時子が、ガミガミ嫉妬深い松坂時子に成長するとは思えない。
ここは、源氏物語絵巻から出てきたような美女常盤と清盛に微かに嫉妬しつつもポーカーフェイスの
いつもの時子さんで正解。
そもそも本作の清盛は、従来のように常盤に惚れたのではなく、裸で放り出された常盤親子の生存を
敵方棟梁の義務感から確保し妾としたにすぎないしね。
しっかりと背後から清盛を支え、いざという時にだけ前面に出て手綱を締め、一門にテキパキと指示を与える深キョン時子さん。
お花畑系少女から未来のゴッドマザー一歩手前まで、この「成長する」時子キャラも見事だった。
義経は五条大橋が近づいてきたが、清盛は鬼若時代から始めた弁慶がユニークで、「出会い」の意味が全然異なるものとなった。
「出会い」と「再会」の違いがキーワード。
総じて、清盛は清盛死後が薄い反面、ほとんどの主要人物の「前史」が分厚く描かれたため、若い頃からのパーソナルヒストリーを
辿ることができる。盛国、時忠、後白河、頼盛、重盛、宗盛なんかもそう。 そもそも若年から老年までをやる役と
老年しかやらない役と一緒すんなよ ん?一緒にしてないが
一緒にして清盛役者は若すぎる、渡や松坂の風格に及ばない、清盛息子たちがショボい
やってたのはお前らなのだが もっとも平治の乱時まだ清盛は40ぐらいで老年ではないのだけどね
義経でも60半ばの渡が前線に出っ張ってチャンバラやってるシーンがあったけどちとキツい あと深キョン時子で一番好きなシーンは、殿下乗合事件で無表情で琵琶を弾くところ
あれだけ重盛を立ててきたというのに、やはり腹を痛めた子可愛さから逃れることは
出来なかったのだろうか?
重盛孤立化を招いた時忠主導の事件処理に時子も一枚噛んでいたことを想像させる
ミステリアスなシーンだった
歴史的にも時子及び時子腹と重盛との水面下の確執は「一連托生」で仲の良い平家にあって
見逃せないテーマだろう 政治の枢機に参画する政治家清盛が誕生したのは、平治の乱を乗り切り公卿に昇進してからのことで、
清盛は実に晩稲の人だった。そこから清盛は、我々の良く知る清盛の姿へとなおも変貌していくのである。
なので、そこからの清盛を大家が演ずる完成され老成した一つの清盛のイメージで捉えることはできないし、
相応しくない。
大河清盛は概ね
1 太政大臣にまで上り詰め、年来温めてきた事業を精力的に開始した時期(タフ、精悍)
2 大病・出家で自己を見つめ直し、残された時間を自覚してマキャベリスト化していった時期(冷酷、焦り)
3 国の頂きに立ち自らの新王朝を樹立した途端に闇落ちしてしまった時期(老醜)
4 頼朝挙兵によって逆説的に再生し、静かなファイトを燃やして自己の使命を全うしようとした最晩年(透徹)
の4つのステージを設定して、壮年期以降の「根底において不変でありながら目まぐるしく変貌していった」
清盛を追跡していった。
清盛の変化は、無頼の高平太から「強うなった(by忠盛)青年清盛、未熟な棟梁から原田への「棍棒外交」を経て
ついに知略を爆発させた平治の乱の清盛で終わるものではなかった。
どんだけこの清盛を一人で演じきることが大変かわかるだろう。「一人」「一つのキャラ」をきちんと立派に
演ずるだけでは到底合格点に達しないのだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています