お任せ解釈と言えば、西行娘キック(出家)。これはもう正解は出てこない。
おそらく歴史上の西行も(仮にこの超有名エピが史実だとして)説明できないだろう。
鳥羽の裁断と共通するのは、どちらも個人の内面における主体的・実存的決断であったこと。
心の奥底で形成された内心を外から探ってみても合理的説明はつかない。
公的な意思決定といえども、透明性や説明責任を鳥羽に求めることはナンセンスであるし、
ましてや遁世を決断した西行のそれは西行個人にのみ帰属する。娘キックに至っては
理非曲直を超えた衝動的なものだった。
このように2人の決断をいわばブラックボックス化して視聴者に投げかけた脚本・演出は、
通常の大河から大きく外れるもので、放送当時大いに非難を浴びた(暴力ハンターイという
つまらないのもあったが)。
しかし、饒舌のみならず、暗喩表現やボディランゲージ、沈黙さえも雄弁に歴史を語った清盛で、
この2つがとりわけ解釈論争を呼んだことには上に述べたように然るべき理由があり、
「どこまで語るか、沈黙するか、どのように語るか」についても、作り手の考察と見識が
遺憾なく発揮されていたことを明らかにした優れたシーンといえよう。