【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 太刀は物理的なものとは限らないでしょ(代償に穢れた血を浴びた盗賊朧月退治、
西海の海賊討伐が物理的に太刀を振るった例)。
しかし、そうした武士の職能的働き以上に注目すべきは、「王家の犬」を装いつつ、
王家や摂関家始め旧体制にじわじわと食い込み、自己と武家平氏の地位向上を成し遂げていった
忠盛の戦略と戦術のほうだろう。こちらの象徴的意味における「太刀を振るう」のほうがより重要。
思えば、苛烈な処罰を断行し清盛を傷つけた信西もまた、絶望した清盛から問い詰められて
「私には武力はない。しかし太刀ならば私も振るっている。もう馴れ合いはお終いじゃ。
共にこの腐った世を変えようぞ清盛」と「見えない太刀」=博識に裏づけられた果断な政治
による世直しを誓ったのであった。 昨日一瞬本スレに投下して与党たちからスルーされたが、おんな城主のP談話を読むと、明らかに家康のキャラは
信西を踏まえたものとなっている(コミカル家康からシリアス家康へ)。阿部サダヲ起用も信西演技を評価してのことだろう。
蝉の演出も凄惨な成親の死のシーンと無関係ではありえない。
色小姓から来年の男色への流れは真田丸の光秀折檻をホップとする、真田丸の独創でナレ死はすっかりブームとなった、
などなど珍妙な講釈を披露されているライターの方々や、どうでも良いことまで
「あ、これは丸の成果に学んでる(ついでに清盛の失敗と不成果に学んでいる)。これも森下さんの三谷さんへのオマージュ」
と熱心に奇跡の大河真田丸を讃えるおっちゃんなんかは、きっとこれらの露骨ともいえる鮮明な類似に気づかないでしょうがね・・・ 377 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2017/11/13(月) 14:09:13.90 ID:5eZmyVbU0 [2/3]
清盛はダークヒーロー的なストーリーだったら最高だったんだけどなんかいい人でまとめちゃって話が小さくなった
396 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2017/11/13(月) 14:24:10.92 ID:uwxoqJuu0
お前ほんとメクラなんか?
メクラは初めから完成されて登場した渡清盛やダークヒーロー面ゼロの仲代清盛みてから
マツケン清盛はただの小さなイイ人で終わってしまった―とかお笑いふりまけや
★秘密警察禿を放ち反平家を弾圧する恐怖政治を敷き、ブラック企業のごとく民を使役してまで大輪田泊完成を急ぎ、
謀略を仕掛けて後白河を挑発し鹿ケ谷事件を誘発し、朝廷を簒奪していったんは平氏系新王朝を開始し
(正統的な外戚路線から軍事力による院政停止=治承クーデター)、絶倒の頂点から頼朝挙兵によってあっという間に
奈落の底に叩き落され(そこからの眺めは漆黒の闇)、最後まで諦めず奮闘したものの志半ばで無念の死を迎えた清盛。
しかしながら、武士の世と交易国家の礎を築いた業績は後世に綿々と引き継がれ、不滅の光を放ち続けている。
「平清盛なくして武士の世はなかった」〜本作が主張したかったことは、頼朝が冒頭とラストで繰り返したこのスローガンに集約されている。
清盛は、根本的にダークヒーローどまりの人間にとどまらない、多大の業績を歴史に遺した偉人なのである。
このような朝敵・仏敵・悪役清盛像を塗り替えることを主眼とした大河に対して、単なるダークヒーロー像を求めること自体、
ナンセンスでしかないが(主人公を悪く描きさえすれば大喜びして名作だと礼賛する単細胞が多い)、
ドラマの清盛は、保元の乱での甘ちゃん外交の失敗から学んだこともあって、上昇過程で太々しさと胆力を増していき、
出家後は明らかに非情なマキャベリストと化していった。その果てが治承クーデターで国の頂に立った途端に陥った
いわゆる闇落ちである(これも、白河の血の再帰というロジックに支えられている〜暴君、エロ爺)
こうした展開から明らかなように、清盛には「ダークヒーロー」そのものであった時期が明確に存在する。しかし、それは
例外であって本来の清盛からの逸脱にすぎず、(考証高橋が主張するように、晩年陥った精神の硬直化)、清盛は生涯、陽性で開放的な男であり続けた。
要するに、明暗、正邪を抱えた清盛の全生涯をありのままトータルに捉えたのが本作であり、ダークヒーロー面を等閑視した事実はないし、
正当にも清盛のプラスの業績と人間性に光をあてた一方で、主人公だからといって美化することもなかった。
これがこの阿呆によると、「いい人でまとめちゃって話が小さくなった」となるのだから、世の中わからない。。。 絶倒の頂点→権力の頂点
清盛の権力資源は、忠盛から相続し、日宋貿易、荘園・知行国の集積により増やした財力、
及び財力に裏づけられた武力。平治の乱を一人勝ちした清盛は、政界の一人者となり歴史の前景へ躍り出た。
支配秩序を揺るがす2つの大乱を、圧倒的な軍事力にものを言わせてその帰趨を決定づけたことが、
裸の暴力支配とは異なる支配の正当性を生みだした。
再度強調したいのは、このように清盛の権力奪取は軍事力をバックとしたものであるが、その方法は
至ってオーソドックスな官位の上昇と婚姻政策によるもので、合法性に依拠したものであったこと。
逆に言えば、旧貴族体制の内部での「擬似革命」に止まる限界を有していた(古い皮袋の中に新しい酒)。
このことが「武士の世を切り開いた先駆者清盛」を分かりにくいものとしているのだが、
本作はこうした分かりにくさを分かりやすく改変することはしていない(ただし、「新しい形」について
高橋・六波羅幕府論を咀嚼→京と福原との絶妙な空間的・政治的・心理的距離の問題~京の政界が二進も三進も
立ち行かなくなった段階で、歌舞伎の千両役の如く真打ち清盛が登場したシーン)
しかし、全部見終えた視聴者ならば、頼朝がリスペクトを込めて放った「平清盛無くして武士の世は無かった」
にきっとハゲドーできたことだろう。
いずれにせよ、清盛は正攻法の人、文武特記事項なしの努力の人であって、ピカレスクとかアウトロー、
ダークヒーローとは程遠い人だった。
また、落胤という初期設定を最大限に生かしきった作劇であったが、それは縁故で楽して上昇していった清盛
というベクトルでは働かず、主として白河の負のエネルギーによる支配という形で現れた(時に正のパワーも)。
清盛はあくまで身分という先天的な属性ではなく、自らの業績によって上昇していったのである。
つまりラッキーだけに恵まれた人でもなかった(本郷教授の「落胤じゃ清盛の実力が見えてこなくて
それじゃつまんないじゃないですか」との懸念を、藤本女史は見事に払拭した)。 過去最強と断言できるスケールの大きなマツケン清盛であったことは揺るがない。
文句があるのなら「小さくまとまらない清盛とは如何なるものか見せて見よ」
by最終回清盛風。
は冗談として、少なくとも仲代清盛と渡清盛、さらに雷蔵清盛、出したくないが
トンデモ清盛時代劇に出演された先代マツケン清盛がスケール大きな清盛で、
松山清盛を馬鹿にできるだけの人物造形であったことを説得的に語ってもらいたい。 大河主演という暴挙を経て
田舎出のアホな兄ちゃんポジに落ち着いたケンちゃん もうすぐ義経再放送。
清盛を描く気がなくデタラメファンタジーに逃げたスカスカの平清盛。平家の面々と歴史をしっかり描いた義経。
平家パートは何もかも義経が上。歴史を知るには義経を見るべし!
清盛本放送時、こう2ちゃん与党たちはスクラム組んで、清盛バッシングに励んでおりました。
きちんと比較できる機会ができて、皆さま楽しみですね。
視点・力点が異なるので、単純にどちらが上とか決めつけるわけにはいきませんけど、
個々の人物造形、歴史的事件の捉え方など豊富な比較材料が提供されるでしょう。お楽しみに! 日本史の教科書から「鹿ケ谷の陰謀」が消えるかもしれないそうだね 陰謀は事実ではなく物語にすぎないとする説も唱えられているが(川合康)
後白河も関与した院の側近たちによる何かしらの企みはやはりあった
と考える説の方が今でも有力なのでは?高橋先生はこちら
教科書が書き換えられるほど定説の見直しが進んでいるようには見えないけど
大河清盛は平家物語に準拠したオーソドックスの中にトリッキーを潜ませる展開だった ない説を通すより
あった説を通した方が面白いやん
清盛白河院落胤説も(棒読み ドラマなんだから、100%否定されてしまった説を平気の平左で採用するのはともかく、
より面白いよりドラマチックな展開を可能とする説のほうを選ぶのは当然だ。
歴史学やってんじゃないのだから。清盛落胤説、崇徳叔父子説が典型例。
そのうち落胤説は、高橋先生始め学界をリードする複数の有力学者が認める今でもれっきとした有力説。
したがって、これを荒唐無稽な俗説と退けるわけにはいかない。
ぶっちゃけホンゴー先生も、「んな訳ないだろ、それじゃつまらん」以上の否定根拠を挙げていないw
(骨が見つかってDNA鑑定でもしない限り永遠の謎)。
なので平清盛を取り上げる場合に、こんな古今東西稀な魅力的な設定をわざわざ避ける脚本家は
たぶんこれからもいないだろうし、落胤説で行っても時代考証なってなーいなどと言われる筋合いはない。
要は落胤説からどのようなドラマを引き出すかであり、大河清盛はその可能性のマックスに挑んで成功させた。 ああこれ脱暗記型歴史学習のために学会が提唱した用語半減案のことね(朝日新聞)
しかし削除対象に挙げられた歴史用語を見ると、世界史、日本史どれも必須としか思えないのだけれど・・・
鹿ケ谷の「陰謀」は陰謀の有無について再検討中ということでやめても良いが
清盛と後白河との破局という歴史のターニングポイントまで消し去ってしまったら
この時期の歴史の流れがわからなくなっちゃうよ
暗記より歴史の流れ(因果系列)を重視する観点からも鹿ケ谷「事件」は残してもらいたいところ 仕方ないとはいえ、牛若は清盛と子供たちと日常的に交流会話し、常盤を想い人とした清盛に時子は激しく嫉妬する。
今後、間違いなくどうでも良い存在であった義経の動向に、平家一同ピリピリする展開となる。
これだけ見ても、切り取り方一つで同じ平安末期大河と言えどもまったく異なる様相を呈してくるところが面白い。
ただ、平治の乱の次の回に、福原への想いを語るのはチトというかずいぶん早すぎる(「わしの夢の都じゃ」)。
総じて、義経は清盛のように一つ一つ丁寧に歴史を積み重ねるやり方ではないので(むしろこれが大河のデフォ)、
マジになって見ると、今何年でどのあたりをやっているのか執着しないおおらかな世界にいささか戸惑う。
今見てるところは、もうまさに平家絶頂期の宴のように煌びやかな美女たちの宴(といってもやはり映像的には
古くさくて、汚いと叩かれた清盛の映像美とは天地の差。これも技術の進歩からいって仕方ない)。 ああそういえば、早くも早くも大輪田泊構想を披歴して「新しき国」を宣言するのね。。。
平治の乱後の政界動向とゴシラとの息詰まる心理戦、提携と破綻はとりあえずなしです。
と感心してたら、重盛さんが「父上、まさか福原へ都へとお考えなのでは???」と。
ほんと???となってしまいました。今何年なのでしょうか? ちょっと意地悪しちゃいましたが、
どうして2ちゃん与党やってる自称「歴史系ブロガー&ツイッタらー」の皆さんは、
デタラメのかぎりを尽した清盛なんか見るのやめて、平家については義経を見よう!
なんてお笑いプロパガンダで一致団結して清盛を攻撃したんですか(一致団結してミタニン丸すげーもやってましたが)?
ちゃんと答えてくださいよ、おやぬみ。
なお、「おんなたちの平家」を原作とする「義経物語」を否定するものではありません。 ああ、2話にして時代は一挙に飛んで、清盛は内大臣、太政大臣になってる頃かもう。
泊修復に取り掛かり、、福原に別荘を持ち、福原京構想も清盛の頭の中にはあったかもしれない頃なので(その前に
京での地盤固めの様子を少しはやってもらいたいところ)、宋人と密かに京で謁見という無茶なところもあるが史実の枠に収まっている
(大河清盛は、嘉応の宋人謁見と承安の外交をドラマ化した〜上級貴族の猛反発を後白河の支援を得て跳ね返し、
「タブーを恐れない好奇心」で清盛と意気投合した後白河は堂々福原で宋人と謁見。しかし、それは平相国入道となってからのこと)。
しかし、この間の歴史の動き、政界の動き、パワーバランス、何よりも清盛平家の旭日昇天の上昇過程をほぼすべてカットしてしまっている。
今のところ常盤、牛若、清盛、時子のホームドラマ中心で、歴史は雰囲気だけで良いということかね。牛若のキャラ立て期間。 義経ー平家納経奉納は1164年であったことはナイショ
大河清盛はこの年が崇徳没年であることに着眼して怨霊伝説をリンクさせた
ヲタの間で今や伝説となった30話「平家納経」回である 夢見心地なほんわか少女深キョン時子が、ガミガミ嫉妬深い松坂時子に成長するとは思えない。
ここは、源氏物語絵巻から出てきたような美女常盤と清盛に微かに嫉妬しつつもポーカーフェイスの
いつもの時子さんで正解。
そもそも本作の清盛は、従来のように常盤に惚れたのではなく、裸で放り出された常盤親子の生存を
敵方棟梁の義務感から確保し妾としたにすぎないしね。
しっかりと背後から清盛を支え、いざという時にだけ前面に出て手綱を締め、一門にテキパキと指示を与える深キョン時子さん。
お花畑系少女から未来のゴッドマザー一歩手前まで、この「成長する」時子キャラも見事だった。
義経は五条大橋が近づいてきたが、清盛は鬼若時代から始めた弁慶がユニークで、「出会い」の意味が全然異なるものとなった。
「出会い」と「再会」の違いがキーワード。
総じて、清盛は清盛死後が薄い反面、ほとんどの主要人物の「前史」が分厚く描かれたため、若い頃からのパーソナルヒストリーを
辿ることができる。盛国、時忠、後白河、頼盛、重盛、宗盛なんかもそう。 そもそも若年から老年までをやる役と
老年しかやらない役と一緒すんなよ ん?一緒にしてないが
一緒にして清盛役者は若すぎる、渡や松坂の風格に及ばない、清盛息子たちがショボい
やってたのはお前らなのだが もっとも平治の乱時まだ清盛は40ぐらいで老年ではないのだけどね
義経でも60半ばの渡が前線に出っ張ってチャンバラやってるシーンがあったけどちとキツい あと深キョン時子で一番好きなシーンは、殿下乗合事件で無表情で琵琶を弾くところ
あれだけ重盛を立ててきたというのに、やはり腹を痛めた子可愛さから逃れることは
出来なかったのだろうか?
重盛孤立化を招いた時忠主導の事件処理に時子も一枚噛んでいたことを想像させる
ミステリアスなシーンだった
歴史的にも時子及び時子腹と重盛との水面下の確執は「一連托生」で仲の良い平家にあって
見逃せないテーマだろう 政治の枢機に参画する政治家清盛が誕生したのは、平治の乱を乗り切り公卿に昇進してからのことで、
清盛は実に晩稲の人だった。そこから清盛は、我々の良く知る清盛の姿へとなおも変貌していくのである。
なので、そこからの清盛を大家が演ずる完成され老成した一つの清盛のイメージで捉えることはできないし、
相応しくない。
大河清盛は概ね
1 太政大臣にまで上り詰め、年来温めてきた事業を精力的に開始した時期(タフ、精悍)
2 大病・出家で自己を見つめ直し、残された時間を自覚してマキャベリスト化していった時期(冷酷、焦り)
3 国の頂きに立ち自らの新王朝を樹立した途端に闇落ちしてしまった時期(老醜)
4 頼朝挙兵によって逆説的に再生し、静かなファイトを燃やして自己の使命を全うしようとした最晩年(透徹)
の4つのステージを設定して、壮年期以降の「根底において不変でありながら目まぐるしく変貌していった」
清盛を追跡していった。
清盛の変化は、無頼の高平太から「強うなった(by忠盛)青年清盛、未熟な棟梁から原田への「棍棒外交」を経て
ついに知略を爆発させた平治の乱の清盛で終わるものではなかった。
どんだけこの清盛を一人で演じきることが大変かわかるだろう。「一人」「一つのキャラ」をきちんと立派に
演ずるだけでは到底合格点に達しないのだから。 銀河義経4−平家関係は清盛があっさり出家。義経周りは相当なファンタジー回。
山門、寺門の対立はどの時点のことかはさておき、都合よく罪をなすりつけられた弁慶が(それで解決するような大物だったの?)
比叡山を去り、いよいよ五条大橋で義経と運命の出会いを果たす。
坊主たちの手打ちに従った対応をしただけの平家をなぜそんなに憎むのか、いささか疑問となるが、伝統的な弁慶が誕生した。
他方、源氏サイドから見た平安末期の証言者の役割をもたされた清盛の弁慶は、なにしろこの時点で亡きダメ義さんファンクラブ会長。
常盤の庇護者であり義経誕生にも立ち会い、両者は既に因縁の間柄にある。弁慶の平家嫌いは、一つは源氏贔屓の裏返し、もう一つは
禿を使った平家の強圧政治に怒りを募らせたことに起因しており、より具体的で説得力をもつ。
清盛の大病・出家を扱った回が、現在と過去、記憶と無意識とが往還する、全話中もっとも難解で芸術的香気漂う「白河院の伝言」回。
ドラマ上、ここで死にかけたことが清盛の人生を前後に二分する一大画期となった重要回で、よくある中間的な回想回ではない
(「あなた様を超えてみせまする」と改めて白河に宣言し、残りの人生を突っ走り始める)。
既出以外では、もはや清盛抜きには物事が決まらなくなった京の政界の面子、遠く伊豆で平家の隆盛に脅える頼朝以下の面子たちに、
清盛危篤の衝撃がグラデーションのように伝わり、それぞれの思惑と複雑な感情を抱えた人々が、各人各様のリアクションを示すあたりも面白い
(後白河が駆けつけたのは史実。宿敵でも清盛なしには高倉庇護が叶わなくなってしまう。一門の動揺を抑え結束を訴えるしっかり者時子.。
早くも万一の場合に備えて宗盛を誑し込む時忠。ざまあみろの西光。諦めモードで「昨日も今日も明日も同じ」と自嘲する頼朝。
恩がありながら源氏の魂を忘れられない頼政は隙ができたのではと複雑な表情。) プライド捨てて頑張る落ち目の為義に入れ込んだ弁慶が
巡り巡って九郎義経股肱の臣となる
元祖判官贔屓ってことだね 帰って今日やった31話を久々確認したら、音戸の瀬戸構想は清盛自身の口から出ていた(五十の宴での兼実に先んじて)。
京の近くに博多をもってくるヒントを与えた兎丸が、本気の清盛に「どこにそんな港あるんや」→「作ればよい」。
「あのなーこの辺の瀬戸めっちゃ狭いねん。唐船みたいなもん通れるか」→「広げれば良い」→「おもろい、ええやないか、やれやれ」。
また、蓮華王院献上もちゃんと画像つきでやっていた。ナレ朝「清盛は千体の千手観音像を奉安する御堂を献上した。蓮華王院と呼ばれる
その御堂はそれは華麗なもので、後白河院は狂喜乱舞なさった」。
この挿入がまた恐ろしく巧みで、清盛と兎丸のイケイケドンドンに例によって困難な現実を訴える四角四面重盛→清盛「わかってるよ、まあ見てろ」
→息子二条帝から疎外されてムシャクシャのゴッシーに、緩衝役滋子を通じて面会→御堂をプレゼント→そのバーターが重盛参議昇進
という流れ。
つまり、万事先例の公卿方が許すわけないでしょ、と冷や水をかけた重盛を、じゃあお前が公卿になって働いてこいと送り出すために
後白河を篭絡すべく用いられた手練手管が、このドラマにおける蓮華王院献上であった(ムシャクシャして後白河は仏門に帰依していたと直前にナレ)。
ホント、誰もまともに扱ったことのない平治の乱後の地味な政治過程を、ただ史実を並べてお勉強大河とするのではなく(この辺りお勉強にも最適)、
このようにスラスラと因果が流れる巧みなストーリーラインに整えていく様には唖然としてしまう。 そんで寝る前に視聴率調べてみたら、アララ世界に冠たる7・8%!!!
伊豆の話もむちゃおもろかったのにさ。
ああ無常、ああ無情、おやぬみなさいませ。、::: 「仏の御心により少しでも上皇様が心安くなられますよう」
鳥羽院は崩れるように膝まずき、縋るように観音像を拝んだ(忠盛からの得長寿院献上を受けて)。
「治天の君と崇められてもなお鳥羽院は白河院の呪縛から逃れられずにいる。
忠盛はそんな鳥羽院の心の隙に入り込み、しっかりと支えることで活躍の場を広げた」(ナレ朝→殿上人へ)。
清盛の蓮華王院献上は父忠盛の戦術を踏襲したもので、作劇上も対となっているのがわかる
(前者のロケ映像は実は三十三間堂の観音様たち)。
祖父白河の呪縛に苛まされた鳥羽は仏に縋り、鳥羽の子後白河はその子二条から疎外されて仏に縋り、
平氏忠盛の子清盛は父に学んでそうした治天後白河の心の隙を突き、狙い通りの具体的な対価(重盛公卿)を獲た。
かくして歴史は繰り返しそして進んでゆく。
対比、アナロジー、リフレイン、暗喩、パラドックス、アイロニー・・・なくして大河平清盛はなかった。。。 蔑ろにした「子」崇徳に詫びるため、鳥羽は長者窮子「説是我子」を心を込めて写経して和解を求めたものの、
崇徳は無表情でビリビリとこれを破り捨ててしまう。
しかし、憎き(「謀りおったななりこぉー」)美福門院の真摯で心を込めた勧めにほだされたのか、崇徳は最後の最後の段階で
危篤の鳥羽のもとへ参上し面会を求めた。
ところが時すでに遅し。面会を拒絶された崇徳は、最後に年長の「甥」に対し「チチウエ」と呼びかけてその場を去り、悪左府と合流した。
保元の乱の勃発である。
時は移り、長者窮子を読む仏道に帰依したゴッシー。しかし、「説是我子」のくだりでプッツンして経典を叩き落としてしてしまった。
「おもしろうない。経典を読めば読むほど、あのような親不幸者が国の頂に立ち、政をおこなっておるなど許しがたい!」
これもリフレインとなっている場面だが、それぞれの親子のあり様はずいぶん異なり、後者の親子は最後までいっさい心を通わせないまま
終わってしまった。
後白河は息子の「親不孝」に腹を立てたけれども、ならば自分は少しでも父親らしいことを息子にしてあげただろうか?
まして、統治者意識が旺盛で真摯に政治に向かった「末代の賢帝」二条からすれば、「上皇様に政をとらせてはならぬ」と
退けられても仕方ない自分勝手なゴッシーなのであった。我が子を想う仏教説話を読みながら、自分を棚にあげて親不幸を詰るなど
とんでもない父親だw
大河清盛は、親子の愛憎もテーマの一つとして掘り下げていたが、現代の価値観では理解できないような親子関係の「希薄さ」
についても考えさせられる作品であった。その代表例が後白河×二条の異常な父子関係で、清盛×重盛も、正直のところ
清盛が重盛のことを親としてどう考えてどう遇しようとしていたのかよくわからないところがあった(重盛を重用し頼みにした一方で、
頭ごなしに事を進め傷つけるつれない父親)。
どうも歴史上の清盛もドラマの清盛も、最愛明子腹重盛と主流時子腹の息子たちとの間で日和っていたように見える。 余命を悟った二条天皇の遺言、つまり一番言い遺しておきたい事が
悲壮感漂わせて放った「父後白河を政治から排除せよ」だったことには心が痛む
生まれたばかりの六条に急ぎ譲位することで二条は後白河の院政復活を阻止しようとした
しかもそれは父への怨みや皇統承継以上に、信西が評したところの「比類なきボンクラ」
に政治を委ねてはならないとする為政者二条最後の使命感から発したものだった
歴史にifを持ち込むと、この賢帝が長生きして親政が続いていたらその後の歴史は
随分異なった展開となったに違いない。清盛の政権奪取戦略も変わって行っただろう
それにしても、早死にした息子の弔問に鉦・太鼓を乱打する悪僧どもを引き連れて
現れるとはゴッシーさんよあなた様は一体・・・流石にこの部分は創作だが
ホントにやりかねないところが酷薄さで鳴らした変人後白河の真骨頂でもある そしてこのトンデモパーフォマンスのアナロジーを探せば、誰もが雅仁元服式のときの
白拍子ダンサーズを引き連れてセルフコーディネートした平安パンクロックコンサート
を直ちに思い出す
ただしこれらもはただ漠然と変わった奴ゴッシーを面白おかしく映像化したのではなく
高橋教授が引用し(棚橋)強調する後白河の一大特徴を描写するためのものである
超重要ゆえ再度紹介する(以下で言うとバロック的パーフォマンス)
「政争の修羅場において酷薄と謀略、行動において遍歴と漂泊、神出鬼没。
気質において癇症と躁性。芸道精進において真摯と偏執、美意識において
新奇とバロックを本領とした」
ゴッシー描写のあれこれを思い出せば、これらの本領を活写したシーンが画面から
飛び出してきそうな錯覚を覚える視聴者も多いことだろう どう見ても地でエキセントリックな松田翔太はまんま適役だった
立派威厳を尽くした滝澤御大はあくまでも滝澤後白河として敬意を払うべき
平幹二朗後白河はとっても良かったが翔太後白河を引き継いだ「日本一の大天狗」
と位置づけるのが相応しい 上の感想にあるようにみんな良い人的世界は苦手のはずなんだけど
そして一つ一つのピースは都合よく上手く出来すぎてチョイ臭いのだけれども
ツッコミしようと探せばかなりあるのだけれど
全部合わせると築山事件が家康周りのみならず直虎が井伊谷で積み重ねてきた人間模様
さらに駿河今川館での出来事まで総括した到達点となっていたところが凄い
抵抗感覚えつつも森下さんの統合能力にねじ伏せられてしまい、素直じゃない?感動体験
をいたしやした わ誤爆すんません。ついでに藤本天才、森下秀才と俺は呼んでる。
オツムが素晴らしく切れる女性はステキ ハアト よくよくめでたく舞ふものは 巫 小楢葉 車の筒とかや
やちくま 侏儒舞 手傀儡 花の園には蝶 小鳥 〜〜〜
雅仁・・・・・・!!! >>509
カタカナ語のセンスがダサい。
院がお嘆きだわ。 朝ドラ100作記念のPに磯p!
大河清盛で証明し高い評価を受けた辣腕を発揮して
侃侃諤諤の論争を巻き起こす挑戦作を作ってくれ!
白い粉は朝ドラにはいらないけどw 名前しか知らんw売れっ子なんだな。今の朝ドラに出てた派手な外人顔の美人が姉ちゃんか。
しかし100作目のメモリアル朝ドラを仕切るとは磯P出世したもんだ。
NHK内部での清盛の評価は最高だったから、サプライズでも何でもないがね。
反日磯がーチョン磯がー王家磯がーやってた連中は、終了後も左遷だ何だ中傷していたが
その後もバリバリ仕事してた(チーフ柴田、現大河チーフ渡辺などの演出家も)。
藤本はその後もNHKが最も信頼し重要作品に起用し続けるエースの一人(専属エース)
俳優もマツケン除いて大半がその後ステップ、ジャンプ。特に当時駆け出しだった若手俳優の
活躍ぶりには目を見張る。そのマツケンも映画や舞台で高い評価を受けており、来期は
民放の深キョンドラマにダブル主演が決まっている。落ちぶれてなんかまったくない
(あの難役清盛をやり遂げて干されたままという不条理はさすがになかった)。
さらにCS再放送の盛り上がりを見ても「平清盛は失敗作で評価が低く人気もない」
との言い種はもはや通用しない。
何が言いたいかというと、磯Pとすずちゃん応援するためNHKさま再放送お願いします頼んます、
ちゃんと受信料払ってますからw >>518
名作昼ドラ「明日の光をつかめ」を見ろ。
広瀬アリスの良さが分かる。 いやわろてんか最初のほう何話か見て今でもたまに夜ドラ見る
おてんちゃんより美人やなーって見惚れてたよ。しかも結構お上手でしょ。
ちなみに朝ドラにマジになることはないので陳腐だ何だボロクソらしいが
見た時はおもろいじゃんといつも思うぞw
対するすずちゃんは顔と名前がまだ一致しないすんません
磯&すずちゃん朝ドラはおばちゃんたち並みに眦吊り上げて見るぞ!w 義経ツイッターを覗くと中身の話よりも
おばさまたちのタッキータッキーステキ!
一方マツケンステキなんて聞いたことがないw
マツケン良くやったが客を呼び込む主演力はタッキーに敵わないかも・・
しかしタッキーの「新しい国」って、どういう人生経験からそんな遠大な構想が
生まれたんだろ
耽美的な五条大橋の決闘はよりリアルな神木青木と甲乙つけがたい
あと前回鳥羽を白河の「子」と言ったような
また女たちの平家にしては滋子がやはり弱すぎる
偽髭切の件は流人頼朝の描き方を正反対のものとした。初めから虎視眈々
清盛平家への報復を狙っていた頼朝に、長く無気力なスローライフを送る頼朝。
どちらが史実よりかと言えば清盛の方だが、義経の頼朝も十分成り立つ >>522
そう思っているのはおまえだけお前だけ!(笑) ん?
忠盛パパの前世というか後世というか頼朝さんダメ?
孤独なスローライフの中で支援者たちと交わり、徐々にネットワークを広げることで
後の頼朝の人間形成がなされていったのだと思う。
清盛への復讐心を常に心に秘めた頼朝というのは、流人頼朝を反映したものとはいえず、
挙兵は流人生活最終段階での各種情勢に動かされたものだろう。
もっとも岡田マ頼朝は、千鶴丸の悲劇に遭遇したこともあり、孤独をさらに進めて
人生を諦めた廃人のような有り様となってしまい、この点はドラマが誇張したものだろう
(ただ当初は、心穏やかに父母たちを弔い京を懐かしむ京のシティボーイにして貴種頼朝
であり、蝕まれていたわけではない)。
また、頼朝を囲む支援者とのネットワーク形成については、三浦佐々木など登場させて
狭い範囲におけるサークルを描いていたものの、頼朝がそこに入っていくことはなく、
彼らはあくまでも義朝を懐かしむ東国武者止まりであった。
頼朝大河をやるならば、この辺りをさらに充実させて描く必要がある。 滝沢と松ケンに共通するのは
頭がバカで使い道がないってことだよな うむ、まず役の難度が桁違いであった。
義経は、ピュアに演ずる若手はタッキーしかいないということで選ばれたようだ。
基本的に一つの義経をキレイに演じていた。上手くなくても、制作側からの期待はああいう義経なんでないの?
マツケンはクドくなるので略。
確かに言えることは、清盛は、憑依型カメレオン型俳優にしか演ずることのできない役であった。
マツケンは直感派で、杏のようにあれこれ勉強して役作りするタイプではない。本人が述べたように
台本だけに集中したとのこと。今年の浅丘ルリ子や尾野真千子もそういうタイプのようだ。
どちらが優れているとかはない。 >>474
それは不勉強の言い訳のようにも聞こえるな。
演じる人物や時代背景に興味を持って掘り下げていく
杏ちゃんタイプの方が長い目で見たら大成すると思いたい。
朝ドラは黒田家三人衆がワチャワチャやってるだけでも楽しい。 ごめん。レス番間違えた。>>528 は >>527へ。 いわば原典主義だね。美術批評におけるイコノロジー分析の賛否。スコア聖書主義の指揮者に行間を読みアレンジまでしてしまう指揮者。
作者の意図を離れてテクストをモノと見做して構造分析すべしとする文学批評の方法論争等々、いろんな場面で顔を出す対立だ。
社会的・文化的背景まで踏み込んで台本というテクストを解釈するか否かと、役者が勉強家かそうではないかとは別次元の話だろう。
外部からの余計な情報を遮断して、台本を徹底的に読み込むことで、内側から人物イメージやストーリーの構成、流れを掴んでいく。
こちらも立派な役作りに対する姿勢となりうるよ。台本もろくすっぽ読まずに適当に演ずるのとはまったく異なる。
まあ、二者択一の問題ではないと思うが、余計な外部情報が台本の内部構造に対する整合的な理解を歪めるということもありうるだろうし、
歴史的文脈に対する理解があって初めて台本の真意を掴めることもあるだろう。このような意味で優劣はつけられないと述べた。 都市伝説っぽい話ながら
セリフ覚えずに現れカンペ見ながら圧巻の演技をしてしまう
丹波哲郎のような人もいる 勝新太郎のようなのめり込み方をする松ケンも見たかったな。
彼のドラマづくりで特に目立つのが、特異なカット割り。 ストーリー同様、キャラもギチギチに組み立てられているので、俳優の自由度は少ないよ。
勝新なら、その場で好き勝手変えてアドリブしまくっても、誰も文句言えなかったかもしれないけどw >>530
スコア聖書主義がなんなんか知らないけど
単純な中身をこれだけわかりにくく長く書ける才能には脱帽 大河板でトスカニーニvsフルトヴェングラー とか書くのはNGでしょ。ドイツ後期ロマン主義のプリズムを通さない原ベートーベン
(もっともトスカニーニがよりベートーベンのスコアと様式に忠実だというのは、古楽器勢の台頭によりとっくの昔に過去のもの)。
ちょうど500年前ということで盛り上がっている、ルターさんの「聖書へ帰れ」を念頭に入れたものだ(教会の教えを媒介としない)。
また荻生徂徠は、朱子学という「粉飾」を取り去って、古の聖典に書かれた中国の聖人の教えに直接立ち戻れと説いた。
つまりここでは、役者が役作りするにあたって、さまざまなコンテクストよりもオリジナルな原典=台本を何よりも重視して
解釈根拠とすべしとする姿勢の比喩。長いどころか長く書けないので舌足らずとなってしまった。
で、おたくはこの「単純な問題」をどう考えてるの?俺は日和見ぎみに正解はないと書いた。
すまんが寝るのでよかったら書いといて。役者のタイプ論として結構興味深い問題でしょ。 >>533
勝新太郎は好き勝手というより、作り込んだ上で、完全に役に入り込んで区別がつかなくなる(狭い意味での役者バカ)という流れでドラマを組む。
そして、役者バカの自身を、これまた監督バカの勝新が観てやっている。
役の上で必然的に出てくるものを細かく淡々となして、決して無茶なことはしない。 松ケンは単に頭わるいボンクラ
勝新のような芸もないしな
台本読んで分からなかったんで
マンガの顔真似したとか言ってたな マツケンは初期の外見(太り気味、極端な汚しーこれは演出)が問題ありだったのと、
もう一つ発声がイマイチだった気がする。
しかし何度も言うように、トータルでこの清盛を演じきれる俳優は、おそらく彼以外にほとんどいない。
のめり込んだ、なり切ったといった表現は自分にはよくわからないけど(演ずる役を客観的に
突き放して眺めることも必要だろうし)、変わらぬ清盛と変わっていった清盛に対する理解は
高い水準に達していたと思う。この清盛像に対してマツケンは、時代背景や人物像について
資料を博捜して学ぶよりも、台本読み一本から直感的に掴んでいくアプローチをとったようだ、
というのが直近の話題。
勝新と比べるのは畏れ多いが、天才棋士役でも言われたように、マツケンは「のめり込む」
タイプではないだろうか。
一方、パパ盛が担当する青年頼朝の入りは、サラ飯のナレみたいな声とノリで楽しい。
しかし、都人にして孤独な貴種という流人頼朝像からは、好評とは言えなかった岡田マは
自分にはよりらしく見える。もっとも、その後挙兵し鎌倉殿となっていくにつれ、パパ盛の方が
よりらしい頼朝となっていく。野生児政子によって生命力を注入された以降、どんどん精悍さを
増していった岡田マであったが(逆に杏政子はグッと落ち着きを増していく)、線の細さは否めなかった。
でも最後まで良くやったと思う。 サラメシって、女経営者、女社長って出てくるかな?
俺が見た限りない。
たまに極端に偏食の男サラリーマンがいるくらい。 でアホウヨ運営にスカスカババアども、中には双方を兼務する成れの果てもいらっしゃいますが(爆
いじけて泣きべそ、恨み辛みばかり晒してないで、たまには再び、大河の清盛でわろてんか!
お笑い振り撒いてくれよ!
・時代考証デタラメ、歴史無視の捏造ファンタジーー他大河のトンデモは目に入らなくても、
歴史と人物の核心に迫り、あるいはストーリーの論理展開上に現れたエア矢、ホモ、歌もどき、一騎討ち
怨霊、巻き毛は許せない
・無意味で下らない史上最低オリキャラ兎丸ー海賊討伐すら捏造と言い出す始末なので、海賊家人化が
その後の平家にもたらした意味の理解なんぞ夢のまた夢
・(かと思えば)史実を並べることで精一杯の年表大河ー確かに昔は良かったーは俗説を並べて因果連関を
欠く場合が多いが・・
・海賊王がーの漫画パクリ大河ー海賊王の2秒でオツムがパンク。以来オウムのように鳴き続けるのみ
・王家がー、汚盛がー、さらに塵一つ落ちてない王朝絵巻さながらの平安京を行き倒れの病者貧者と埃で汚して
貶めた反日大河ーいやいや古の日本の歴史と文化とそれらを担った人々への愛に満ちていました
・季節感一切無しー平治の乱での雪、鹿ケ谷での蝉・・・
・合戦がショボいー平安の戦いは戦国のそれでもましてや近代戦ではないんですけどぉ
・歴史に無知なためどうでも良い小ネタのシークエンスで誤魔化したーこんなに質量共に歴史情報豊かで
論理的に構造化された大河が他にどこにあるねん?
・真の歴史好きとコアな大河ヲタを激怒させた虚仮威しのサブカル大河ークオリティ高すぎる「王道大河」
ですんませんでした
・清盛と平氏に関心ないので???朝廷昼ドラに逃げたー確かに鳥羽たまなり劇場には魅力されましたけどさ
・線で歴史を繋げることが出来ずすべてが点のチマチマ大河???ー一言で言えばタテヨコ「リンクの鬼大河」ですた
・主人公良い人ヨイショで小さくまとめた小河???ーお点前が生きた平清盛の一生眩いばかりのダイナミックレンジ
でござりますby西行
・登場人物がたちが感情だけで動く女脚本???ードラマを動かしたのは歴史の動態そのものでした
・奇を衒った清盛と頼朝で大失敗ー無頼ではなくお行儀の良い清盛、孤独なシティボーイではなく、
娘御とイチャイチャしつつ復讐心満々の頼朝が「正統」なんだって!
・とってつけた常盤側室話ー脱線恋バナしかオツムにないため、本質のみをむんずと掴み出した描写を腐す一方で、
同じ口でルソン助左衛門と真田十勇士の凄まじくとってつけた顔見世出演なんかを礼賛
・時代劇なのに身分の違いを完全無視ー「身分外」兎丸のタメ口は許せないが、武家の娘きりのタメ口は「斬新」
・女のくせして女性描写がなってない特に時子ーミタニンのきり梅松稲春スゲーには分かるまい
・真田丸は真摯に歴史と向き合ったギリギリの緊張感があったが、清盛はそんな緊張感はゼロー痛快真逆言説!
・役者が若すぎる。学芸会ー役者が年寄りすぎるとたまには他大河に物申してくらはい
まだまだあったヨロシク!さすがにスイーツ、戦は嫌じゃ、主人公美化といった「昨今の大河はー」
に不可欠のお気楽批判はなかったと言いたいところが、結構あったんですよこれが(苦笑。 義経でそれこそとってつけたように経ケ島人柱拒絶伝説が出てきた(「工事遅れてます。人柱立てますか?
バカヤロウそんなもんいらん」)
義経大河なので悪くはないが、清盛では、長年に及ぶ盟友兎丸との交流、決別と兎丸の無残な死、
そして功労者兎丸への供養ーこうした息の長いドラマ展開の終点にこの著名エピが巧みに摂取されていた
(「人柱を立てずとも兎丸の名を刻んだ経文を書いた石を沈めれば良い。兎丸の志と共に」)。
偽髭切創作エピも悪くない。ただ、頼朝は初めから心の奥底で復讐を誓っていたというのでは、池禅尼が浮かばれない
(上西門院殿上始めの際に、目の前の清盛に圧倒された中川頼朝のような経験をもたない池松頼朝が、
渡頼朝を恐れなかったことは理解できるが)。
さらに、仮に頼朝の心に期するものがあったとしても、それは清盛平家への一方通行にすぎず、
絶頂期にあった平家の公達たちが、清盛を騙した事実を知って挙兵の10年以上も前から強い警戒心を抱き、
加えて存在すら忘れていそうな都の義経の動向にもピリピリし始めたという創作は、義経主人公ならではの
「あり得ない平家物語」だろう。
そういう無理はあっても、どうしても必要な清盛平家ー頼朝ー義経の関係性を導くためのエピとして、
偽髭切の創作は理解できる。 劇場には魅力→劇場には魅惑
渡頼朝→渡清盛
他に
・終盤迷走してやる気をなくして回想を垂れ流すだけとなったーうむ49話は回想で清盛の人生を
振り返ることでドラマは起承転結の結に入った(「清盛物語」は清盛の肉体的死では終わらない。
それが最終回)。しかも、後白河との「最後の双六」はいよいよ平安の終わりが近づいたことを告げ、
しかも、そのことは頼朝との決戦の時がついに訪れたことを意味した点で、助命回いや殿上闇討ち回
にまで因果をもつ源平物語をさらに先に進める回想だった(回顧即展望)。
・ペース配分をしくじり、因果応報、輪廻転生の世界観を打ち出せないまま終わったー躍動する平安、
未来への礎を築いた清盛をコンセプトとする清盛でやりたかったのは、平家物語的仏教思想だったのか???
・とっちらかった挙句、最終回はジャンプの打ち切りpgr(おんなネトウヨ)ー○○先生助けてえー
・自分探しがないと話し作れないのは二流。武士の世?何をトンチキな目標をpgrー冬眠した清盛が
起きたらそこには武士の世の世界が広がっていたのだそうです
・情念のドラマ?昔の信玄を見習ったらpgrー別に義信を殺したように重盛を殺してませんがね >>536
役者論としては興味深いが
いちいち知識ふりかざして長々書かなきゃ気が済まんのかね
クラシック好きの高校生程度の知識はあるらしいが知性は感じられん
例えはわかりやすくするためのものなのに
誤用かも知れんが引喩失義の典型 >> 548
まあまあわたしゃクラヲタ高校生ですので、高校生に噛んで含めるようなご見識をご教授くださいよ。
もしかしてルター派の主張も古文辞学派もフルヴェンも知らない大先生。
ずーっと不思議に思ってるんだけど何で自分の意見を述べないのかねこの連中。
俺みたいな闖入者を呼び込んでしまい、平清盛は駄作ということで決着つけたところがそうはなってない状況に
怒り心頭なのはご愁傷様なんだけど、「長文(の)批評」しかないなんて寂し過ぎないかおたく? 普通にまったりと清盛について語りたいだけなのに
なんでこのスレはこうも荒れるのか >>550
高校生というか小五くらいに見える
指揮者ならビューローくらいの名前は知ってるし
徂徠先生なら思想大系で政談読んだよ
関係ないからいちいち言わないだけ
それほど博識の大先生なら愚管抄ぐらいは読んだのかね 大先生、わかったから高校生の僕に役者のアプローチ論おせえて
清盛が駄作たる所以をもう一度ご教授いただければなお幸いです >> 549
マッタリ会話が成立しているところにシャシャリ出ることはございませんので
大いにやってくださいませ この展開も歴史は繰り返すなのだけど
おばさん、2ちゃん大河板しかも過去最大級で激しい誹謗中傷に晒された
清盛関連スレで、同人誌のようにファンたちの麗しい交流が成り立つことを
見せてください
幸い連中は俺を忌み嫌ったのかもはやほとんどダンマリを決め込んでますから
僕はそのための露払いで結構です。 >>553
貴殿が高校生とは思えんがこちらの質問に答えてくれるか
愚管抄は読んだのかね
なぜ私が清盛駄作と判断したのかね
なぜダンマリ決め込んでる連中に露払いが必要なのかね ただいま
大河をほとんど見たことがなかった、他のドラマに至っては今でも滅多にみない俺。
何しろ、次やる大河が清盛と知ったのは年が明けてからのこと。役者で知っていたのは深キョンほか2,3人。
そんな俺がなんでこうなってしまったかといえば、2ちゃん大河スレを見て唖然としたから。
トンデモない卑劣な誹謗中傷と根拠を欠く言いがかりが支配する世界に愕然としてしてしまった。
しかもそれらは組織的に行われており、おまけにこいつらがリードする「ネット世論」にマスコミが飛びつく結果、
あたかも一般世論のように高められ、かくして作品の評価が定められていく。
マスコミのバッシングもそれはそれは酷かったが、ネタ元が2ちゃんであることが何と多いことか。
しかも2ちゃん与党たちは、ツイやらブログでも「活躍」する連中だ。
こう頭に血が昇り防戦しているうちに、すっかり清盛に魅せられてしまった。
そういう次第で、義憤にかられて闖入した何もかも素人の俺は、連中にとって鬱陶しい虻、薄汚いゴキブリとなった。
そーゆーことだ。 なんで俺が愚管抄読んだかどうかこだわるの?んなこと何の関係があるんだ。
大隅先生の解説つきのやつを電子書籍化して持ち歩き、必要に応じて参照しているが?
よろしい?では答えてね。聞いているのは役者のアプローチ論。 ついでに駄作でも傑作でも良いから、上に箇条書きした連中がやってきた批判についてのご意見はどう?
それらは、ほとんどがとんでもない誹謗中傷を除いたもので(ほんとは読むに耐えないたぐいのもたくさんあった)、
内容面についてのものだから論評に値する。 中でも2人のリーダーによる大傑作
2ちゃん大河軍司令官でもあられる北の将軍様が自らの大発見を太字赤書で記した
・なぜ清盛は変わっていったのか、そのプロセスがすっぽりと抜け落ちていた
2ちゃん情報担当取締役として日々優雅に研究しておられるザ・執念のおじさん作
・和歌もどきは平安文化に対する脚本家の教養の無さを露呈した
こちらは即刻2ちゃんへ投下され愉快な仲間たちに共有されました
あまりの傑作ゆえ、御本人さまからも是非コメント欲しいなー、頼んますよ
おばさんたちのマッタリ楽しいお話始まらないし・・・ >・真田丸は真摯に歴史と向き合ったギリギリの緊張感があったが
今日一番笑ったギャグだわw
お前センスあるよwww ツイ見たら、非常にこの時代に詳しそうな女性清盛ファンが義経への違和感を。一番のそれは女君の髪ということ。
自分はこの手のことには不案内なので気にならない、というか気がつかない。
人によって見る視角が異なるなーと感心した。
むしろ、美術・映像面では、内容的に心理ドラマの色合いを深めつつも、決して歴史劇からは離れていなかったのに、
映像面で福原と大輪田泊のイメージを表現することをほぼ放棄してしまい、狭苦しい「四畳半大河」となってしまったことが、
予算上の制約があったとはいえ残念だった(もちろん厳島ロケなどは頑張った).。
このことを、義経のロケを多用した拡がりのある映像から再認識した。大河清盛の大きな弱点を一つあげろと言われれば、
自分は開放感と拡がりに欠け、海が出てこない福原・大輪田泊の描写をあげる(始まったばかりの義経はここに金を投入できた)。
違和感といえば、義経が目指す「新しい世」」とは清盛が夢描いたそれを継承するもので、憧れの福原を見学に訪れ、辞去の際には
清盛と面談に及ぶ。平家一同、12、3歳で超人ぶりを発揮するガキ義経の動向にピリピリ。うつぼ他オリキャラ大集合・・・
みたいなファンタジーには目を瞑っても、何年に何があったという基本中の基本がどうにも大雑把なこと。
徳子入内とほぼ同時に3年後の義経出奔が出来したり、、鹿ケ谷の事件の頃結ばれた頼朝と政子のラブアフェアが既に始まっていたり
(清盛はまさに鹿ケ谷回で結ばれた)、時政がずいぶん前に大番役であったり、70年代初頭から清盛の福原構想がすでに現実化して
都建設が始まっており、貴族たちが不満を抱いていたり、時系列どうなってんだろうとイライラしてしまう。 「義経」のラスト、弁慶に防ぎ矢を頼むシーンはBGMと相俟って、冷徹な俺でも泣きそうになる。
松平健の顔合成のハリネズミはちゃちなんであれだが。 >>1
義経千本桜で、弁慶が義経をそのまま撲殺したのと同じ程度の演出だった大河ですな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています