【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ ついでに駄作でも傑作でも良いから、上に箇条書きした連中がやってきた批判についてのご意見はどう?
それらは、ほとんどがとんでもない誹謗中傷を除いたもので(ほんとは読むに耐えないたぐいのもたくさんあった)、
内容面についてのものだから論評に値する。 中でも2人のリーダーによる大傑作
2ちゃん大河軍司令官でもあられる北の将軍様が自らの大発見を太字赤書で記した
・なぜ清盛は変わっていったのか、そのプロセスがすっぽりと抜け落ちていた
2ちゃん情報担当取締役として日々優雅に研究しておられるザ・執念のおじさん作
・和歌もどきは平安文化に対する脚本家の教養の無さを露呈した
こちらは即刻2ちゃんへ投下され愉快な仲間たちに共有されました
あまりの傑作ゆえ、御本人さまからも是非コメント欲しいなー、頼んますよ
おばさんたちのマッタリ楽しいお話始まらないし・・・ >・真田丸は真摯に歴史と向き合ったギリギリの緊張感があったが
今日一番笑ったギャグだわw
お前センスあるよwww ツイ見たら、非常にこの時代に詳しそうな女性清盛ファンが義経への違和感を。一番のそれは女君の髪ということ。
自分はこの手のことには不案内なので気にならない、というか気がつかない。
人によって見る視角が異なるなーと感心した。
むしろ、美術・映像面では、内容的に心理ドラマの色合いを深めつつも、決して歴史劇からは離れていなかったのに、
映像面で福原と大輪田泊のイメージを表現することをほぼ放棄してしまい、狭苦しい「四畳半大河」となってしまったことが、
予算上の制約があったとはいえ残念だった(もちろん厳島ロケなどは頑張った).。
このことを、義経のロケを多用した拡がりのある映像から再認識した。大河清盛の大きな弱点を一つあげろと言われれば、
自分は開放感と拡がりに欠け、海が出てこない福原・大輪田泊の描写をあげる(始まったばかりの義経はここに金を投入できた)。
違和感といえば、義経が目指す「新しい世」」とは清盛が夢描いたそれを継承するもので、憧れの福原を見学に訪れ、辞去の際には
清盛と面談に及ぶ。平家一同、12、3歳で超人ぶりを発揮するガキ義経の動向にピリピリ。うつぼ他オリキャラ大集合・・・
みたいなファンタジーには目を瞑っても、何年に何があったという基本中の基本がどうにも大雑把なこと。
徳子入内とほぼ同時に3年後の義経出奔が出来したり、、鹿ケ谷の事件の頃結ばれた頼朝と政子のラブアフェアが既に始まっていたり
(清盛はまさに鹿ケ谷回で結ばれた)、時政がずいぶん前に大番役であったり、70年代初頭から清盛の福原構想がすでに現実化して
都建設が始まっており、貴族たちが不満を抱いていたり、時系列どうなってんだろうとイライラしてしまう。 「義経」のラスト、弁慶に防ぎ矢を頼むシーンはBGMと相俟って、冷徹な俺でも泣きそうになる。
松平健の顔合成のハリネズミはちゃちなんであれだが。 >>1
義経千本桜で、弁慶が義経をそのまま撲殺したのと同じ程度の演出だった大河ですな。 平清盛vs真田丸w
平治の乱>>>関ヶ原の戦いw
保元の乱>>>>>大阪の陣wwwww >>559
貴殿が清盛と無関係な指揮者などひけらかすような物知りなので愚管抄ぐらい読んだのかと思っただけ
誰にでもきくわけではないよ
愚管抄はあれ見てて原文も読んでみたいと思わなかったの?
伊豆の頼朝と都の遮那王が組めばことは剣呑、にはあっけにとられたな
さすが伊勢の平氏は心も過敏て思ったよ いつまでもヨタってんなよ
指揮者の名まで出してやるのはNGだから挙げずに
しかし原典に集中するか社会的文化的歴史的文脈を重視するかのアプローチの違いは
いろいろな分野で見てとれる広がりをもつ問題であることを指摘した
おたくが絡んで来たのでしょうがないので出して説明しただけ
あと言っとくけど俺は歴史素人で原文を精読するほど熱心な学習者ではない
だから愚管抄にしても長崎浩の政治哲学的読解本(平凡社新書)持ち歩いており
こちらを見ることの方が多い
歴史に詳しくないと愚管抄を原文で全文読んでないと清盛を語ってはならないのか
でいつになったら自分の意見を言うのだ?ハンス・フォン・ビューローさんよ そうそう、昼間視聴率スレで汚盛がーが、今注目の最終回延長なしネタに絡めて、
ザ定番「清盛最終回ジャンプの打ち切り説」をご開陳していたので一筆差し上げた。
地下鉄内でコピペできないので、拙文読んで「私の清盛最終回」を語ってくれ。 この問題は、役作りに関するマツケンvs杏の対照から派生したものだ。
なぜそこから提起されたアプローチ論について語らず(マツケン不勉強の証拠というレスがあったので、一般化して問題提起した)、
愚管抄を原文で読めなんて話にもっていくのだ。それこそスレチではないか。全文原文で精読していない以上読んだことにならない
というのなら、読んでない。
頼朝挙兵は清盛にとって青天の霹靂であったことがキモだと思うのだが、10年も前から頼朝のみならず少年義経の動向にまで
ピリピリして常時監視、圧力を加えていた大河義経は、そうなりそうもない設定。
実際どうだったか忘れてしまったので、この機会に確認したい。 清盛と花燃ゆは、ふつうの不評ではない、最低評価を下す視聴者が圧倒的に多かったため延長なしとなった・・・
なる珍妙なご意見を直虎スレで読んだので、昨日レスした↓(一部修正)。
NHKは延長あるなしを視聴者のアンケート調査とやらから判断してるのか?
何年も準備して総力を結集した渾身の作品。NHKの事後の総括でも高評価を受け(素晴らしかったが時代の先を行きすぎた)、
将来Pは記念すべき100作目の朝ドラを担当することになる作品について、
ドラマ部門自身の評価ではなく、またドラマの質だけの力学からは決まらない編成の都合でもなく(最低視聴率では冷遇されても仕方ない)、
王家がー海賊王がー汚盛がーで大騒ぎした声のデカいお前らのような特殊ネット人種や、昔は良かったーから一歩も抜け出ない
これまたお前らのような大河保守層たちが、クレーマーよろしく皆さまのNHKに寄せた「圧倒的低評価=とても不満」の声により、
延長なしかを決めるのか?そうではないだろう。
ちなみに花燃ゆの内部評価は知らんが、おそらく高くない。また、関心をもたない層、失った層は分厚くても、
(それでも後半の鹿鳴館ダンスへ向けたセレブ物語は直虎より視聴率は高い)、冷笑記事は多数あっても、
とても不満だとする熱心なアンチ層は、清盛の特大アンチ層と比べれば一桁少ないだろう。
だから、花燃ゆについては、単純に「とても不満だ」とか、終盤大失速したので早く閉じたい、とかいった理由では説明できない面がある。
そこで個人的な印象論にすぎないが、年末押し迫った編成の圧力が一番の要素であるような気がしている(著しく低視聴率の場合は、
この圧力に抗して枠延長を勝ち取ることが困難)。
もちろん、延長なしと最終回のクオリティとはまったく別問題であるし、そもそもすべての作品が延長するに相応しいかと
いえばそんなことはない。作品の特性ごとに判断すべき問題だ(清盛は延長に値するが、結果的に無くても良かった)。 ビューローのファーストネーム紹介してくれてありがとう
この場にふさわしくないわかりにくい表現で書いておきながら
絡まれたらもっとわかりにくいこと書いて相手を威圧するのが貴殿のやり方か
そういう衒学で相手を黙らせるのが常套手段か
貴殿は虻やゴキブリなんてかわいげのあるものじゃなくてスカンクだな >拡大ではなくても【主役の死後を適当にまとめて】最終回1ケタなんてダサい最後もあったからな
清盛物語を締めるべくギリギリまで厳選された素材〜
挽歌となった後白河最後の「遊びをせんとや」、清盛無念の熱病死、宗教者西行からの慰撫と餞の言葉
(お点前が生きてこられた《面白き※》平清盛の一生、眩いばかりの《美しさ》にござります)、
一門との感動の別れ、壇ノ浦までのダイジェスト(平家メンバーの退場させるための舞台装置、
見せ場は碇知盛と時子&安徳入水に特化)、武士の世造りは頼朝へ襷渡し〜志の承継と髭切を手にした
頼朝の力強い決意表明(23話為義→義朝のリフレインでもある)、
頼朝覇権確立のため避けて通れなかった義経抹殺、武家政権を樹立した頼朝は久々の上洛と後白河謁見、
交易への志は同志兎丸の遺児小兎丸に受け継がれ、民間の手によって連綿と担われたことが示唆され、
他方、国家間貿易再開は義満を待たねばならない旨解説された。
こうして波乱の人生を「面白く」駆け抜けて(遊びをせんとや生まれけん)、武士の世と交易国家の礎を築いた
高平太清盛は、一門が待つ海の底の都へ降りて行く・・・
45分の尺で、これらの素材を軽重考え抜かれた一分の隙もない構成とハイテクで配し(西行が肝)、
ロングパスとパラドックス、アイロニーを駆使して一つ一つのシーンの意味を充填させ
(助命時の「見ておれ、眺めてろ」から敗者となった「継承式」での「見せて見よ」。さらに
母池禅尼の願い通り平家の血脈を継いだ、平家内離反分子頼盛が認めた「一連托生」を凝視しつつ、
弟義経討伐を決意する頼朝。)、
最後は、哀れ盲人の琵琶法師に身をやつした禿のリーダーが語る諸行無常・盛者必衰の族滅物語から、
一気に希望の物語へとトーンを転調させて(サバサバとした表情で頼朝へバトン、大海に漕ぎ出す小兎丸、
そして笑顔の一門との再会)、ついに清盛物語は大団円を迎え、そして冒頭へと回帰した
〜平清盛なくして武士の世はなかった〜
以上、御影石のような硬質な密度と構成、驚異的な完成度を誇る最終回が、アホウヨたちや漫画脳たちには
ジャンプの打ち切り!に見えたのだそうだ。 清盛見て少しでもググったらいろいろ文献踏まえているのがわかるはずだし
より理解を深めようと原典にあたるのも十分あり得る話だ
実際俺は清盛見てから愚管抄が気になって初めて読んだよ
古文そのものは難しくないから(別の意味で難解だったが)苦労しながらなんとか読めた
貴殿は真摯に清盛に挑むのではなく
稚拙な長文に衒学趣味をちらすというなんとも臭い屁を放つ
相手が逃げ出すのは当然だな
あらためて言うがもちろん清盛論に愚管抄は必須ではない
貴殿の衒学に一言いいたくなっただけ
大河はほとんど見たことないが義経は見たのか
どういう人物設定かよくわからん 最終回にはただただ圧倒された
兎丸のオリキャラとしての意義もよく理解できた
しかしドラマの最終回として面白いとは感じられなかった
清盛は総じてそういうドラマだったな ※≪面白き≫は付加したもの。しかし、直前の西行の賛辞は、遊びをせんとやの歌に関する「母舞子自身による解説」(1話)を
ほぼそのまま援用したものであり、これこそが「面白き人生」の中身である。これもまた得意のリフレイン。
【舞子】
「子どもが遊ぶときは、時のたつのも忘れて、目の前のことに無心になっておりまする。生きるとは、ほんとうはそういうことに
ござりましょう。うれしいとき、楽しいときも。また、つらいとき、苦しいときさえも。子どもが遊ぶみたいに夢中になって生きたい。
そういう歌だと思って、私は歌うておりまする」
【西行】
「うれしいとき、楽しいときも。つらいとき、苦しいときさえも―いついなかるときも、子どもが遊ぶようにお手前は生きた。
生き尽した。お手前の生きてこられた平清盛の一生。まばゆいばかりの美しさにござります」
また、23話義朝に対する為義の「それがお前の選んだ道。源氏の栄華へと続く道じゃ」を受けたフレーズが、頼朝の
「これが私の選んだ道。武士の栄華へと続く道じゃ」。これもまたスーパーロングパス。
零落から武士の頂点へ上り詰めた源氏三代の帰し方を、たったこれだけで総括してみせた。 だから何で中身を語らないの?少なくともおれは中身に即して具体的に論じてるんだけどさ。
面白いとかつまらないとかそんなの勝手だし文句ないし興味ないよ。 またぞろオッチャンが流して話題となってる長瀬清盛流産咄し
しかし清盛よりスケボーに夢中のジャニーズさんが片手間でやれる役ではありません
役の幅がどんだけある人なのかは知りませんがそれ以前の姿勢の問題として
ただ当時30代前半であったスター長瀬に白羽の矢が立ったことはありうる(清盛役最適齢)
しかし長瀬だったら清盛息子たちが若手だらけとなる「弊害」は免れたとする批判は
彼が不惑を超えた中堅役者であって初めて成り立つもので単なる思い込みにすぎない 歴史鑑定ゴッシー録画し忘れたΣ(-᷅_-᷄๑) 最後頼朝との双六では、わざわざナレ朝から「やる気なし」と言われてしまうほど
精気を失ってしまったゴッシー。
双六の相手はあくまでも清盛でないと、「ゾクゾクするぜー」とならないのだろう。
ライバル清盛が生きているうちはさして歳を取らなかったゴッシーだが、清盛死後は
急速に老けていったのだろう。最後の老醜は単なる加齢によるものではない。
このように清盛役者陣の老けメイクは、自然のエイジングよりもその時の精神状況を
反映させる場合が多かった(公達から時代遅れの老兵となったことを告げられて以降
一気に老けた忠清、壇ノ浦船上で早生ける屍状態の清盛股肱の臣盛国など。幽霊聖子は
特殊。時子など女性陣は大河のお約束通り最後ちょこっとだけ老けメイク)。
もっとも、このゴッシー像はあくまで大河清盛が設定した「40年に渡る宿命のライバル」
によるものであり、歴史上の後白河が大天狗の本領を発揮するのは清盛死後のことだから、
後白河を主人公としてトータルに描く別の大河は十分成り立つ。
しかし、若き雅仁から綿密に人物造型された清盛の後白河を超えるのは至難の技だろう。 なんと言ってもトップモデルだったという堀河リョウさんが大敢闘賞
完全老婆姿で再登場した西行とのシーンのおかげで
黄昏れ感を深めていった雅な平安の世がいよいよ終焉を迎えることを
視聴者はひしひしと実感することができ、堀河さんと共に去り逝く平安に
オマージュを捧げたのだった スッキリしたわーと丸めた頭を照れ臭そうに撫でた入道に、老いの陰はまだない。
それが闇落ちして祇王祇女、仏御前を嬲る辺りになると、沁みだらけの老醜を無残にも晒す
清盛へと変わり果ててしまった。表情もだらしなく弛緩していく。
清盛については、自然のエイジングも頑張ったが、ここでも外貌の変化は清盛の内面を写す鏡
の役割をもたされていた(出家後は非情・冷酷、そして精神の荒廃。立ち直った後は再び引き締まる)。 ググれ何とかとは言わないけど、ふつうわかるでしょ。
オマージュの意味ではなく、何へ向けてのオマージュということかな?
それだったら、王朝文化ないし王朝文化を花咲かせた平安という時代また時代精神
と言ったところ。
堀河「西行殿。こうして恋の歌など読み交わす世は、もう長くは続かぬかも
しれませぬな。雅の花開いた平安の都はもはや・・・」
そして、この御歳うん十歳の貴婦人を生臭坊主西行が口説くw
言うまでもなく、堀河局は王朝文化を代表する女性歌人だ。
王朝文化を体現したその人とともに去り逝く平安を感慨を込めて愛惜する
そのようなシーンがアレ。 日本語にピッタリ移せる語彙がないのでふつうそのまま使うので
どう化けて出そうな堀河さんの再登場? 清盛は、個別でみるといいとこたくさんあるけど、ドラマ全体でみると、バランスがいびつな作品なんだよね。
帝と女官のハナシに尺さき過ぎたり、源氏に比重おいて、後半戦の平家の公達が稀薄だったり。開き直った群像劇かと言われるとそこまで舵を切ってないっツーか
源平モノの大河なんて、次作ってもらえるのが、何年先かわかんねえし、むりくり、あれもこれも、ぶっこみすぎた感は否めないし、
作り手も上からそういう指示がくりゃ、そのオーダーに合わせなきゃいけないし、色々、苦しい部分はあったんだろうと、推察はする。
恐らく後半戦で回収するつもりだったんだろうなって伏線が、広げ過ぎた大風呂敷みたいになってしまい、竜頭蛇尾なチッポケな収め方にとどまっちゃったのは、
アイツも出せコイツも出せって、上からの要請に抗いきれず、尺使っちゃったからなのかなと邪推してる。
「平清盛」って、タイトルにしてんだし、いっそのこと、源氏サイドは、ほとんど出さないぐらいの思い切った英断をしてほしかったよな。
ただただ、純粋に平家とそのファミリーとプリンスに焦点を当ててほしかったよ。藤原とか源氏とか諸勢力がわちゃわちゃいるのは、よくわかるんだけど。
戦国ものなら知名度高いから、本筋とかかわりの薄い秀吉一切出さない!とか許されるけど、源平じゃ、そうもいかねえんだろうな
脇役に魅力的なヤツ多すぎて、中盤以降、主人公の清盛のキャラが薄くなってったし、タイトル的にもまずいんじゃねえか?とは思った。
「平清盛」って、タイトルにしてんだし、いっそのこと、源氏サイドは、ほとんど出さないぐらいの思い切った英断をしてほしかった
恐らく後半戦で回収するつもりだったんだろうなって伏線が、広げ過ぎた大風呂敷みたいになってしまい、竜頭蛇尾なチッポケな収め方にとどまっちゃったのは、
アイツも出せコイツも出せって、上からの要請に抗いきれず、尺使っちゃったからなのかなと邪推してる。
壇ノ浦とか、清盛死後の出来事こそ、最終回初登場の琵琶法師が語っておしまい。ぐらいの唐突さの方が、諸行無常感あるし。
源氏の御曹司が来るぞ来るぞって台詞の中で出てきても、その姿は出さないほうが、怖さが引き立ったと思うんだよ。
「驕る平家」やカムロの話だけでも、じっくり話数使って、描いてほしかったなあと思うし、惜しい気がしてならない
親、妻、子供、部下、ライバルから見た、それぞれの清盛像のズレみたいなところから、人間の評価っていったいなんだろうね。見たいなのをやってほしかった気もする。
清盛も、番組発表のときは「平安のゴッドファーザーやるで!」ってぶち上げてた割りには、ファミリー間の相克やグダグダ愛憎劇とかじゃなかったしな。
フタあけてみたら、やっぱ、できませんでした。って感じが、したんだよ。
★いやはやいやはや、タグまでつけて突如発狂してやした。たぶん、とりあげてもらいたいのでしょう。2ちゃんでたらふく見たことがあるものばかりですがww
かわいそうなので、ご紹介だけに止めます。しかしこんな眩暈がしそうなバカでも凄いフォロワー数がいるのね。。。 見えぬ!見えぬ!
860年の昔に哀れを誘った近衛帝が大がつきそうなブレイクの気配
今度
子作り方面では夫婦憂い無し、なかなか授からない娘徳子の方に頭を痛めてた
清盛と時子の妊活ドラマに出るんだな
しかもミカドが妻帯坊主(官兵衛の顕如)と今世はゲイで同性カップルとか
全然関係ないのにどちらも変テコな因縁を感じる 若かりし頃、日がな一日歌いまくって帝王教育すらろくすっぽ受けていなかった方とはぜんぜん違いますよw
平和を愛し人権尊重の理念を貫く責任感の強い今上陛下は、政敵に謀略を仕掛けたり、その息子を虐待したり、
都合悪くなると臣下に罪をなすりつけてトンずらしたり、アハハハハハと悪魔的に咆哮したり、双六盤ひっくり返したり、
ダダ捏ねたり、鐘太鼓鳴らして息子の葬儀に現れたり・・・そんな無茶なこと間違ってもしませんよ。。。
しかしそんなゴッシーであっても、芸道精進に関しては真摯かつ粘り強かった。大河清盛の功績の一つに、天皇をかくも
(歴史上の後白河に近づけて・・・)エキソントリックな人物とすることに躊躇なかった一方で、後白河の真摯と偏執が生み出した
+の価値創造をきちんとフォローしていたこと。それが、執念でやり遂げた梁塵秘抄編纂のシーン。
何度か紹介したが、「わしは清盛のような(形をもつ有益で後世に残る)泊は作れない。だが、わしは(無益な流行歌)今様が好きじゃ」と、
やや自虐的となって滋子にしんみり語りかけるシーンは、マイ・フェイバリットの一つ(「はかなき歌」回)。
今日まで伝わる貴重な文化財産である今様の編纂は、我々が敬意をもって語り継がなければならない、後白河畢生の文化事業である。 あ、書き込んでよく見たら白河院化か??!
これはいよいよ難しい論点だ!w ああ、もしかして「院政」の弊害というか懸念「ここはわしの世じゃ」化のことね(現役天皇であったゴッシーは、鳥羽に対して
「法皇よここは私の世じゃ」と冷酷に言い放ち鳥羽を葬り去った〜いったん統治意欲を成人となった天皇が示すと「院政」は危うくなる。
そして、ドラマでもっとも強烈かつ重要だったのが、言うまでもなく、闇討ち清盛が発した「ここはわしの世じゃーーー」(白河の再帰)である)。
賢明なお方なので、平城太政天皇の変を教訓に、賢慮に満ちた振る舞いをされた嵯峨太政天皇のように
「存在感を発揮しつつも国政上(今でいえば「象徴」)の邪魔はしない」上皇様となられるだろうから、大丈夫だと思うぞ。
ただし、個人の意思や振る舞いだけではどうにもならない事態も生じうる(権力による政治利用など)。
民主主義の世にそんなことがありうるのか疑問であっても、制度的措置をきちんと整える必要がある。
偉い人たちが加わって政府が今やってることは、「二所朝廷」が生じないような制度設計だろうね。 「平清盛」って、タイトルにしてんだし
「平清盛」って、タイトルにしてんだし
言いたいことはわかりました(藁) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 40話「はかなき歌」(ノベでは「儚き歌声」)
このサブタイは、もちろん『梁塵秘抄』からとったもの。
・梁に積もる塵の如し〜取るに足らない、吹けば飛ぶ、役に立たない、後世に遺らないby後白河
これを
・清盛の偉業である大輪田泊建設〜今に伝わる有形固定公共インフラ〜と対比し、
さらに
・まもなく訪れる滋子の死がもった喪失感、空洞感〜清盛と後白河との間を取り持った滋子の存在は大きく、
したがって、滋子の死は直ちに両者の決裂をもたらした。時代は雪崩をうったように鹿ケ谷の破局へと
突き進んでいく〜
を込めたものだ。
オーソドックスにして含蓄に富むセンス溢れるサブタイ んー・・・今様は最初から流れていたでそ
♪遊びをせんと生まれけむ
聖子ちゃんに歌って欲しかったがあのダミ声では興醒めだな んん何のこと?
以下、「遊びをせんとや」を歌った人(opの少女除く)
・舞子→忠盛に歌の極意を語り生き方を教え、さらに海賊船のピンチから清盛を救った。
(乙前=舞子師匠から伝授された雅仁が超美声で歌うそれを聴いた清盛は、
「あの時、母が歌うこの歌が聞こえてこなんだったら俺は生きてなかった」とシミジミと述懐)
・女御=乙前→白拍子界のスーパースターにして白河寵姫の歌姫。舞子に伝授。青墓では美声で歌う
この歌により要らぬ皇子雅仁はボーンアゲイン、帝位を手繰り寄せた。
さらに、生死の境を彷徨う清盛の枕元で歌って生還を誘った。出番は少なくても決定的な役割を
果たし続けた聖子ちゃん。清盛と後白河双方を等距離で見守り続けた集大成が、
あの忘れがたいリフレイン「いかがでござりますかそこからの眺めは」であったというのは悲しい。
・パパ盛→想い出アイテムである鹿爪露見と同時にこれを歌う場を押さえられ、正妻宗子を苦しめた。
忠盛にとっても舞子が語る極意は人生の指針となったが、最終段階で迷いを生じてしまった
(舞子はあの歌に関してああ言ったけど俺は何をしてきたのだろう)。迷える自分に変わって平氏がなすべき
決断を下した清盛によって太刀を振るう目的を諭され(武士の世を目指す)、名実共に平氏の棟梁は
清盛に引き継がれることとなった(「さらば父上」回)。
・ゴッシー→即位直前で歌った言わば決意表面〜生まれたこと自体既にバクチだ、面白く生きてやろう!
その後もしばしば口ずさみ、返歌のように歌う滋子とフォーリンラブ。乙前から免許皆伝。
最後となった朗唱は、「生命の歌」でありながら、あたかも死にゆく宿命のライバル清盛に対する
エレジーのように響いた。
・清盛→実はほとんど歌ってない。和歌下手同様、清盛はあくまでもガサツなところがある
散文的な男だった(私は和歌も舞もダメだが、その代わり息子たち、孫たちには仕込んでおるゆえ
ご披露いたします、とのスタンス)。保元か平治の乱後の宴席で確か一度、洗練されてないそれを
披露しただけのような。
しかしながら、最後西行が慰撫したように、志半ばで死なざるを得ない清盛の人生を突き動かし、
西行をして「生き尽くした」と評価させた(美しい!)のは、まさに母舞子から受け継いだ「遊びをせんとや」
の精神と生き様ゆえであった。
清盛が貫いた「面白き人生」は、明確に意識されていたというよりも(したがって積極的に歌うことはない)、
いわば母舞子からのDNAとして清盛に深く刻印されたものだろう(父白河の血の支配に相当する)。 こうやって見ると、少なくとも祇園女御=乙前と雅仁=後白河の2人については、
歌手か歌手並みの力量をもつ俳優が必須であったと改めて痛感する。
白拍子という芸能民から専制君主の寵姫まで上り詰めた女性に、
現代の代表的なセレブ芸能人であり歌姫である聖子は、これ以上ない適性をもっていた。
どんなに上手い女優でも歌で魅せることが出来なければ、この祇園女御=乙前は務まらない。
また、マツケンと松田翔太はチェンジした方が良かったという意見を読んだことがある。
しかし、ほろ酔い気分で下手な「遊びをせんとや」を歌うのがせいぜいっぽいマツケンが、
「誕生後白河帝」回において、高貴でエロチックな表情と歌手さながらの歌唱力と美声により、
視聴者のみならず清盛をも魅了した翔太後白河に取って代わる姿を想像することは、
ほとんど不可能に近い。マツケンの顔、表情、声に置き換えてあのシーンを再現してみてね・・
つまるところ、マツケンはゴッシー無理だし、役の幅が広くない翔太も清盛の一生をやるのは無理。
結局、キャスティングに関する磯Pの並々ならぬ鑑識能力と選択眼に感服してしまうのだった。 最終回何で清盛は幽体離脱してワープしたの?
理由は至ってシンプル
・ここで死ぬわけにはいかないと死を拒む清盛に、運命を受け入れさせきちんと成仏させなければならなかった。
・その役目を担える人間は、北面以来の友人であり宗教者である西行をおいて他にいない。
しかし
・源平争乱が始まり西行は高野山から伊勢に移っていたため、京の清盛を訪ねる時間的余裕はもはやなかった
(清盛は熱病で急死)。
そこで
・(無意識で救いを求める)清盛の方から、伊勢で庵を結ぶ西行を「訪問」する必要があった。
こうして、厳しい審美眼を誇る、当代一の歌人にして宗教者西行による気高くも優しい餞の言葉〜
「平清盛の一生まばゆいばかりの美しさでござります」が、伊勢の地で生まれた。
大河清盛は、誰がいつ何処にあったかといった基本的な史実を安易に取り扱ったりはしなかった。
伊勢にいる〈人間〉西行が京にやってくるのではなく、京にいる人間清盛から幽体離脱した〈霊魂〉が
伊勢の西行のもとにやってくる形をとったのは、大方の見方(あり得ないファンタジー)に反して、
そちらの方が「史実に反しない」からだろう。
1181年のその時、西行の肉体が京にあったとしたら、明確に史実に反することとなってしまうのに対して、
その時、清盛の霊魂が肉体から離れ伊勢へ飛んでいったとしても、清盛の肉体は京にちゃんとあったのである。
西行を最終回のキーマンに据えたドラマならではの優れた設定であった(もう一つの「超常現象」は、
イタコとなって清盛を召喚して頼朝との対面をセッティングしたこと。このシーン無くして清盛物語は
完結しないと断言できるほど重要なミッションを、東大寺勧進僧西行〜鎌倉入りは史実〜は最後の最後で遂行した)。 よく◯◯のムダ遣いと言われ方をする。
モノとカネに関しては、どうしても費用対効果の点で疑問符がついた海賊船を挙げざるをえない。
しかし、この高くついた船はその後、おんな城主に精霊にと大活躍するレガシーとなっている。
昔の大河の合戦は凄かったーなる嘘っぱちにあって、『葵三代』が関ヶ原に異例とも言える
資金を集中的に投下したのは、この合戦シーンをその後「使い回し」する意図があったからだ。
清盛の海賊船も、当初から「使い回し」を前提とする物的インフラ造りだったのだろう。
人的に良い意味で「ムダ遣い」されたのは、相撲節会に駆り出された長門こと豊真将。
当時現役力士だった豊真将が、信西による古儀復興政策の主要イベントに参加してくれたのは
大変有り難いことだ。
ただ、『清盛の大一番』で最も重要だったのは、和歌よりも今様、古典よりも流行歌が好きな後白河が、
清盛の狙い通り、途中から関心を相撲=古典ではなく、宋伝来の高級茶器(新しいモノ、珍しいモノ)
に向けてしまったことにあった。
途中から相撲はどうでもよくなってしまったゴッシーは、信頼の「勝者にお言葉を」をガン無視して、
このパーフォーマーは誰かを訪ね、待ってましたとばかりに清盛をプッシュした信西に応えるかのように、
清盛を念願の太宰大弐に任命した。
「組まずにゴシラに勝ちおった(by信西)」清盛の作戦勝ち。保元の乱後の政治の有り様を見る場合に
重要となる信西の新政策と、西国並びに博多交易支配を目論む清盛にとって決定的な意味をもった
太宰大弐職ゲットという重要史実が、驚くべき精度でドラマ化された回こそ、神回『叔父を斬る』
に続く「箸休め回」ならぬ相撲節会回であった。
かくも意味で充満した相撲節会において、ゴッシーからシカトされる役回りでありながら、渾身の
取り組みを披露されたお相撲さんたちに、心からのお詫びと敬意を表したいと思います。 市川海老蔵による清盛が見たい。
今やっている信長はなかなかよい。セリフが少ないからだろうけれども。
相撲好き、美丈夫好き。冷徹。
こんな清盛がみたい。 良い胸毛の平清盛
1167年 平清盛が太政大臣となる 海老蔵信長は、歴代でも屈指の所作だけで周囲を圧する怖ーーーい存在感と、
指摘されているセリフの(失礼ながら)棒読み感のギャップに困惑してしまう。
一つ言えるのは、清盛は怖いところ(少年頼朝を圧倒し、原田を黙らせ、祐親をビビらせた)
もあったけれど、また晩年激しく逸脱堕落した権力者の面も見せたけれど、
根本的には生涯情感豊かで人懐こく優しい人だった(高橋先生の指摘する人物像にほぼ添う)。
この「活動的で情感豊かそして人懐こい」清盛を海老蔵でイメージするのは甚だ困難です。
スンマセン。 そう言えば本郷先生も
「清盛が悪人のわけないじゃないですか。あの頼朝を助命しちゃった人ですよ」
言うてはった。 バルトが俳優でNHKデビューだと!
豊真将さんも大人しくしてないでゴッシーに
「あんたのために汗流したのにその態度はなんだ!
一言勝者にお祝いの言葉をくれよ、あんた主催したミカドなんだろ!!!」
と激オコしてもらって異議なーーーしでしたw 思えば
・「侮辱」された悔しさで面を上げたその先にあったのは、ニッコリ微笑む清盛さん
・原田恫喝は品行方正であるはずの盛国と本領発揮兎丸と共に演じたまさにヤクザ「芝居」
・祐親は親しげに声をかけた清盛に勝手にビビったうえ、今流行りの「忖度」を
伊豆に持ち込んで千鶴丸を殺めてしまった。清盛のせいでも何でもない
ほんと出家以前の清盛殿はイイ人オーラに満ち溢れていた 大晦日の朝って、朝ドラの総集編を流すのが通例だったような。
ところが今年は、新枠土曜時代ドラマ第1作の光栄に浴した『みを尽くし料理帖』。
たぶん、時間帯から推測するに視聴率は5、6%。いつもの藤本作品同様、はなはだ
芳しくない視聴率だっただろうに、この優遇措置。
どれだけこの作品に対する内部評価が高いかがわかるだろう(原作の世界観を崩さず、
短い尺に切り詰めて再構成する方面でも半端でない力量をもつことを、
このオリジナル得意の天才は証明した)。
ここから先はただの妄想ながら、引き続き清盛BS再放送、みを尽くし続編、
そして大本命たる朝ドラ、大河再登板という流れを期待してしまう。 しかしいつも通り、アホウヨとババアたちが押しかけて
・テレ朝版に遥かに劣る
・愛する草刈昌幸さんが出てる武士メシを見習え
・ただの江戸料理バラエティへと原作を貶めた
大変お元気で何よりでした。。。 同じ歴史場面を源平正反対の立場から描いたシーンの比較は興味深い。
富士川の戦いなんかもそう。
どちらも「大軍が対峙した状況」描写はたいしたことなく、とくに清盛はスタジオ感満載で終わってしまった。
しかし、たとえ予算的に余裕が残っていたとしても、清盛不在かつ寄せ集めの軍隊らしく脱走兵が相次いで寡兵と相成り、
ついには合戦を回避して逃げ帰ったことが核心であった「富士川の戦い」を、誇張された軍記物よろしく
壮大な合戦絵巻へとでっち上げることはなかっただろう。
この富士川を「ショボかった」と貶すことはそもそもナンセンスなのである。 【義経】
・黄瀬川で頼朝との対面。頼朝たちから疑心暗鬼に晒された主人公義経は、早くも軍才を見せつけ
存在感を示した(戦後の対面が戦前に、居なかったはずの義経が情報戦大活躍というファンタジーだったが、
兄弟間のその後を暗示するようなビミョーな対面シーンは見応えあり)。
・危機感無しの平家は飲めや歌えやで浮かれまくっており、水鳥の羽音に呆気なく逃散。
・京から連れてこられた白拍子静と再会。
・維盛叱責。何と鬼界ヶ島送りを清盛が宣告。アレアレとなったところに経子(母ではないのだが・・・)が時子に嘆願。
ゴッドマザー時子「あいわかった」。入道に掛け合うのかと思いきや、ナレ「かくしてこのお沙汰は取りやめに」でオシマイ。
【清盛】
・維盛と忠清との日柄論争〜吉凶を占う忠清は軍配者としての性格も。合理的思考をもつ維盛は兵の士気を問題にする。
・混乱する指揮系統ゆえ一体感を欠き、兵士の士気は低下し弛緩する一方の平家軍(舐めてるのではなくやる気がない)。
・遊び女を現地調達し陣へ招き入れようと提案する維盛に、とんでもないと激しく諌める忠清。ここでも維盛は
油断して浮かれ遊んでいたのでは決してなく、戦意維持という切実な課題に対処していたのであり、歴戦のveteran忠清が
正しいとばかりは言えないところが非常に面白かった。
・結果的になすすべなく逃げ帰った維盛に清盛は大激怒、折檻に及びボコボコにする。
・そして忠清による死を賭した諫言「平家はもはや武家ではなく殿はもはや武士ではない」の悲痛なシーンがやってくる
(海賊退治の際、胸をど突かれてビクともしなかった(軸の定まった)盛国から、立場変わって「これまで通り武にて殿をお支えせよ」
と胸ドンされた忠清がビクともしなかったシーンが素晴らしい)。 朝ドラで落語崇徳院がかかったのは懐かしかった
清盛では後の近衛天皇誕生祝いで西行になる前の義清があの歌を披露して
一気に場が不穏化したんだよな 富士川の戦いという著名エピも、清盛ー維盛―忠清の分厚い人間ドラマへと昇華されていたことに、
とりわけ侍大将忠清の悲哀にスポットを当てたことに、あらためて感銘を受けた(富士川合戦は忠清がキーマンであったことに
疑いはない)。
怒られれるが、大河における藤本隆宏氏のベストは、軍神として直ちに政治利用された広瀬中佐でも、信繁に殉ずるだけの
関係描写に欠けた堀田作兵衛でもなく、脳筋マッチョから時代に取り残された老兵の悲哀まで味わった、しかし最後まで
平家に殉じた侍大将伊藤忠清だろう。 重盛が経子じゃなかったお初と堂々デート
しかも同じかわいそキャラの家盛くんから掠奪しただと!
そんぐらい図太く生きてりゃ現世では早死にしないわ 現時点で話題を集めている大河は、当然現役おんな城主。
ただ当然そうなるわけではなく、12月の今頃、関心が次に移ってしまうような大河もある。
この点、直虎は立派。
次に真田丸。直虎と話題が被ることもあり、SNS上の高い人気をなお維持している。
そして3番手の位置を占めているのは、信じがたいことに数年前の作品であるこの清盛ではないだろうか。
今なお、清盛以上の話題を提供している過去作が、直近の真田除いてあるだろうか?
実感からはどうもありそうにない(ツイの盛り上がり、CS再放送での熱狂、待望されたDVD再発売等)。
>>634はこのような「現実」を認めずに、需要なんかあるはずないと主張したいのか? 本日銀河は殿下乗合事件
清盛の意を忖度した時忠主犯説には何度見ても唸りまくる 直虎はいろいろひどいと思うけどな
完走できそうな分、江よりマシだが、骨太のところがまるでない
知らない話だったから、粗が見えにくく完走できたとも言える
遠江の田舎の情報の疎いところからだと、あんな風に見えるのかもしれんが
突然武田が降って湧いて、突然滅んでた、みたいな感じ 義経は、清盛には出てこなかったジュニア達の嫁達が良いね。 女たちの平家という視点は否定しないが、「清盛とその時代」という「王道大河」清盛の視座から見ると、
時子、滋子以外は正直のところどうでも良い存在。
しかも、既に出来上がったゴッドマザー時子は平板。キーウーマン滋子は、女たちをたくさん出したことが
災いしたのか、見逃すことのできない歴史的意味を担うことはなく、ワノブゼムで終わってしまった。
清盛では深キョン時子の小一代記が成立していたこと、清盛と後白河を仲立ちした滋子がいかに政治的に
重要な存在であったかその所以を鮮やかに切り取って見せたこと、については既述。
清盛でもクローズアップされた経子は、出さないと歴史を描けないというほどの重要な女性ではない。
しかし、政略結婚でありながら(「清盛の大一番」回で、ゴネる重盛は清盛から豪快に放り投げられた)、
疎外された夫の苦しみを誰よりも理解し、重盛と比翼連理の睦じい夫婦仲を築いた糟糠の妻経子は、
一服の清涼剤のような存在であり、沈鬱な物語の中で大きなアクセントとなっていた。
舞子、宗子、祇園女御、明子、時子、滋子、たまこ、得子、堀河、由良、常盤、政子・・・
白拍子、儚き女、嫉妬で苦しむ賢妻、夢見る乙女からしっかり者の棟梁の妻へ、あっかんべーから国母へ、
ファムファタール、九尾の狐、ツンデレ娘から武士の妻の鑑、野駆けする未来の尼将軍・・・
ノーマルとは言いがたい異能異色な女性陣の中にあって、一貫して良き娘、良き妻であり続けたことが、
かえって経子をユニークな女性へと引き立てていた。 男大河だっつーのに、「良妻賢母」型含めて、大河清盛が見せた女性たちの性格類型の多彩な表現を、
他の大河で見いだすことができない。
今年は、さすがに傑出した女性脚本家らしく、女性(と男)の心理を深く掘り下げる大河であったが、
直虎始め3、4の女性キャラに集中しており、清盛のような「様々なタイプの女の品評会」とは言えなかった。
まして去年は以下ry(嫉妬指数を示すにすぎない嫁による障子の穴開けを、安徳の穴開けエピから展開させた
「そこからの眺め」に比肩した清盛オバさんたちにはビックリした。深度も広がりもまるで次元が異なる)。
にもかかわらず、「清盛のオンナはおざなりで皆ステレオタイプ。魅力ない女ばかりで愛するミタニンとは大違い!」
なる超目が・級のババアたちの大合唱が澎湃したのである。現世はやっぱ不条理劇ですのぉ・・・ さすが2ch世論をリードする長文殿のご明察には頭が下がりまする 2ちゃん与党たちによる「ネット世論形成」に異を唱え、少数意見を反映させるべく
対抗言論を提示しているだけだ。勘違いしないようお頼みもうす。 重盛と経子って政略結婚でありながらも理想的な夫婦像で
もうあんた達プライベートっでも一緒になっちゃいなよ
なんて思ってたこともあったけど経子はお笑い芸人と結婚して
重盛はこの度年上女優との同棲報道。
まぁお似合いと思ってた共演俳優の結婚離婚というのはよくあること
なのでお互い今が幸せであるなら良いことなのでありましょう。 常に斜め上をいく上司の振る舞いに胃に穴を開けながら仕える
クールビューティー堀河女房局長 榊原康政の中の人の演技に魅せられた
維綱は家盛を追って髷切って去った印象しかない
もっと大役に相応しかったかも 榊原康政格好いいよね。
中の人はあまちゃんパパのくせに。
鬼平じゃうさぎのくせに。 重要オリキャラは退場のさせ方も難しい。
歴代の中にはいつのまにか消えてしまったのもいるし、何かと議論の的となっている龍雲丸も、
最後まで引っ張っただけにいっそう苦労しそうだ。
この点で兎丸は、グッドタイミングかつ無理なくスムーズに退場できたと思う。
元海賊兎丸の属性を京の盗賊(義賊)朧月の遺児そして孤児としたことが、終盤大きく効いていた。
大輪田泊完成を急ぐ清盛はブラック企業主と化し、民の命と安全を顧みないそうした清盛の非人道的な姿勢に
激しく反発した兎丸は、持ち前の庶民的正義に訴えることでついに主人と決別した。
一方、清盛を邪魔立てする者たちを取り締まるべく、恐怖政治の走狗として組織され訓練された孤児たちが
赤いカムロであった。ここに至り、兎丸はカムロのターゲットとなったのである。
しかし、屈強な元海賊兎丸は、襲いかかる子どもたちに警戒心を持たず、無抵抗のままやられてしまった。
なぜ油断してしまったのか?
それは、自身孤児の境涯から這い上がってきた兎丸にとって、カムロたちは「ゲシュタポ」ではあり得ず、
出自を同じくし仲間意識で結ばれる「ミウチ」だったからだ。人間性を奪われ殺人マシーンと化した
子どもたちが不幸な孤児集団であることを知っており、彼らがこの不幸な境遇から抜け出て更生することを
心から願った故の油断であった。
こうして、大輪田泊建設現場責任者兎丸が反清盛に転じ、秘密警察カムロによって殺されるプロセスが
完璧にストーリー化され、最後はその名を石に刻んだ経文を人柱に代えて沈めることで、海の先に広がる
広い世界を共に夢見た同志兎丸の志は、大輪田の地に永遠のものとなった(人柱エピとの見事な接合)。
ホントに素晴らしい有意で生きたオリキャラであり、惜しまれるしかし完璧な退場物語でありました。 「始末せよ」の意味を巡って勃発した解釈論争は、ひどく懐かしい記憶だ。
その場限りの解釈としては、清盛「全員抹殺し痕跡の残らぬよう処分せよ」→時忠実行、赤い衣装を焼却
とするのが今でも魅力的。
しかし、最終回、羅刹が盲の琵琶法師と変わり果てて再登場し、平家物語冒頭の諸行無常の響きを奏でたことが、
陰惨な族滅物語を未来へ開かれた希望の物語へとメタモルフォーゼする上で決定的な演劇的作用(暗から明へ)をもった
ことに鑑みると、単体ではやや拍子抜けながら、「カムロを解散せよ」と解釈することで納得するしかない。 何度も言うが若年から老年までやる作品と
老年しかやらんでいい作品の差だ 当時71,2歳の平幹二朗氏が、まだ32,3歳の後白河を平治の乱直後から担当。
遊び惚けていた青年雅仁時代を経て、ちょっとした偶然が働き即位してしまったものの、
信西から「比類なきボンクラ」と揶揄されたそのお方は、最初からまるで天下を操るかの大天狗のごとく登場しました。
ほんとピッタリの年相応感ですね。。。
とはいえ、松田翔太演ずる若き雅仁&後白河が発するエキセントリックな魅力とは異なる、大天狗後白河の魅力において、
平幹二朗さんは歴代屈指の演者であったことに異論はございません。しかし、それは「歳相応」となってからの後白河像
なのです。
そして渡清盛。当時64,5歳の御大は、清盛40ちょっとの時に起こった平治の乱において、大河のお約束通り
前線でチャンバラして奮戦する姿から入りました。ちょっと痛々しかったです(大河清盛は、大将のチャンバラを断固排して、
後衛にて双六を進めながら戦況をコントロール清盛に集中。そこをちゃんとやってからの一騎討ち)。
そして、晩稲の政治家清盛は平治の乱後、まだまだいくつも相貌を変えつつ上昇、下降、衰退、滅亡していったことが重要であって、
登場当初から入道然として老成している渡清盛は、決して歴史上の清盛を投影するものではないことを強調しました。
もし、歳相応感をもったとしたら、それはたかだか入道となった以降、死ぬまでの10年程度に限られます。
というか、「若すぎた」批判にいろんな角度から弁明してきたのに、それにまったく答えることなく、なぜこの爺様は
同じことを100万回繰り返すのでしょうか?認知症を発症されていないことをご祈念いたします。 たった2行で端的にご説明いただいておりました。すんません。 しかもマツケン清盛は上の方に書いたように入道になってからも変わっていったところがキモ
これが「年寄りすぎる壮年清盛」と「年相応の入道」どちらも同じ一つの清盛を演じた渡との違い 現世で日本一美しい顔に選ばれた時子さんに
「もうそなたで良い!」
なんてロマンもへったくれもないプロポーズを870年前にしちゃったもんだから、
今になってどこぞの八幡様が祟りじゃーとお怒りなんだよたぶん。
キヨモリ「見よ、やはり厳島の社の効果はてきめんじゃ。時子が他所で百日祈ってもご懐妊
されなかったものを、わしが月詣を始めたところ、わずか六十日でこの喜ばしい報せドヤーーー」
深キョン「まあ殿ったらニコッ」
こうなったら835年前の徳子懐妊の験を担いで、八幡宮へのお参りから始めませふ。
時忠「科学にあらずんば妊活にあらず。しかしながら、正しすぎるのはもはや誤りでござります。」 族滅物語(暗)から希望物語(明)へ。
この鮮やかな転調を音楽面から演出したのが、前者については琵琶法師となった羅刹が奏でるj平家物語の調べ、
後者についてはかのタルカス噴火ということだろう。
タルカスの力強い躍動的な調べに合わせて、小兎丸は海へ向かって咆哮=噴火したのであった。
世界のタルカスが、日本の平安大河にこれほど効果的にフィットするとは予想だにしなかった。 さっき週刊文春立ち読みしたら、
生命保険の偉いおじさんが連載してる日本史講座・ザ保元の乱編で、ふつうに「王家」使ってたわ。
ネタ元が大河清盛に「激怒」されたw両M先生のホンなので、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
しかし、2ページ読んだだけでも、実にキチンと上手にしかも面白く保元の乱への道行きをドラマ化
していたことを改めて痛感した。これだけ分厚く保元の乱を扱ったドラマなんぞどこにもないのに、
ホント何がご不満だったのでしょうか?東への怨念はさておいて・・・オレの最新研究によればーなんて
野暮なことを大先生が血相変えて言い募るのは大人気ない上に、ドラマ批評としては誤っているし、
それでいて基本となる史実すら無茶苦茶な改変をやって憚らない新平家を、この先生たちは、さらに
客観的であるべき教科書検証本において、場違いのエンタメ大河をしかも清盛たった一つだけを
差別的かつ侮蔑的に取り上げ、「最新の史実」の観点から〜落胤説は論証抜きで俗説と切り捨てる〜
(ドラマ批評ではなく)しかも曲解に基づいて憎しみも露わに腐しまくった、例の「国家教科書検閲官」殿は、
賞賛しまくるのである。
播磨守の妄言は、調子に乗ったド素人のタチの悪いリップサービスぐらいで済ませたいのだが、
なんつーか狭い世界でいがみ合う日本中世史学者たちの拗けた反応は、ホント怪奇現象だわねこうなると。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています