【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 時代劇専門チャンネルで総集編やるんだな。
なんだ江で終わりかと思っていたら、チャンネル銀河の盛況に便乗したのか?追加された模様。
あれで面白味や醍醐味が伝わるかは別として、せっかくだから録画して久々見る。
ブームとなるような作品ではないけれど、DVDの売れ行きといい、ちょっとしたリバイバル現象が起こってないか?
酔っぱらって大先生たちのことを何か偉そうに書いたようだが(冷汗)、評価なんておこがましい。
A先生を読んでるときはナルホドナルホド、対立するB先生のを読んだらやっぱこっちだねー、そんなレベルだよw
なお、自問自答ではござらん>>794
通史的な政治史としては、「水仙は佐川急便で運んだとテロップだせー」と息巻かれたもう一人のM先生w
のミネルヴァの後白河が読みやすくて内容もしっくりくる(後白河の人物に迫る本としては物足りない)。
だいたいM総統の説に依拠しているので、俺もどちらかといえば憎っき!西の先生寄りなんではと思っている。
もう一人の西の巨頭、考証1先生による通史的概論に美しい写真とためになるコラムを添えた別冊太陽もオレ的必携。
東の五味先生の平清盛は今でも基準書。大河清盛は、この本のオーソドックスな記述を底本にしている節がある。
河内先生説は、ぶっちゃけドラマ化したらいままでの「常識」がひっくり返ってしまう(通史的には講談社・天皇の歴史4)。
大雑把に言うと清盛は、歴史的大事件の基本的な捉え方については、従来の通説から大きく外れることはせず、
その基本的な枠組みの中で、ドラマの設定とリクツにしたがった改変や付加によりオリジナリティを出しつつ(保元・平治の乱、
鹿ケ谷など)、何よりも歴史に生きる人間たちが織りなす分厚いドラマに力点が注がれた。、
一方、清盛像の刷新に関わる最重要部分、それと清盛の外交過程、六波羅(福原)幕府論などどちらかといえば地味な部分に、
考証1の研究成果が反映されていた。
また、今までまともに取り上げてこなかった院政期のあり様、絶頂期と没落過程ばかり描かれてきた平家の勃興過程(忠盛の役割、
とりわけ平治の乱後の政治過程)、歴史的には重要でありながら知られていない人物にスポットを当てる(家盛や八条院は最たる例)、
などの諸点において、地道な作業を丁寧に行っていた。
総じて、大向こうを狙って新説・珍説にいたずらに飛びつくことはしていないが、清盛に関する重要な部分を中心に、従来の大河の水準を超える
歴史描写を至る所に見出すことができる。歴史描写の質量において歴代大河屈指であったことは揺るがない(歴史学から見て充分を意味しない)。
さらには、随所になされた巧みなフィクションの挿入・融合は、この着実な歴史描写があって初めて機能する創作であって、その意味でも、
どこぞの「とっ散らかった」ババアの言い種とは真逆で、平清盛は「史実と創作との融合がもの凄っく上手、天才的に上手」な大河であった。
(歴史無視の)フィクションだらけの大河、(歴史から逃れた悪い意味での)ファンタジー大河の代表例に大河清盛を上げるほどフザケタ話はない。
(試みに、安徳の障子の穴開けエピから展開させた「そこからの眺め」を、嫁の嫉妬指数を示すだけの障子の穴あけと比較してみられたい)。 もう一つ、おかしな言い方となるが、「史実・エピとロジック・解釈との乖離」というのをあげたい。
格好の例が頼朝助命シーン。
ここは表面的に見るかぎり、〈「家盛に似ているから助けてあげて」との池禅尼からの嘆願に抗することができずに、
清盛は頼朝の命を助け伊豆へ流刑とした〉という、従来通りのある意味何の変哲もない展開にすぎなかった
(清盛をこのレベルで命題化していくとオーソドックスな通史ができてしまうくらい、いわゆる「年表大河」でもあった)。
しかし、このお馴染みの展開の背後には、最初から最後までドラマ全体を貫くロジックが支配していたことについて、もはや説明は不要だろう。
なにしろ、頼朝助命時に「眺めておれ、見ておれ」と突き放した清盛の真意は、「今度こそ正々堂々戦おう。伊豆で成長しろよ」であったのだから。
そして、闇落ちした清盛が頼朝挙兵によって救われ、武士の魂を再点火させたのは、源平合戦本戦ラウンド(武士長者決定戦)を渇望した
この助命シーンを思い出したからに違いないのだから。
以上を、「多彩な歴史展開の背後を貫通する一つの物語性」と言い換えてもよい。
こうしたところが、エピを並べていく大河には見られない大河清盛の一番難しかったところであり、大河としてこういうのアリ?
と批判されても仕方ない部分でもあった。 2ちゃんリーダーでもあられる2人の巨頭、L氏とNのおっちゃんによる真逆評価が実に興味深い。
核心部分への洞察を常に欠いたままご立派かつ頓珍漢な託宣に励む、知識自慢の自称権威らしい対照を見せた。
L曰く―清盛は心理劇に逃げ込んで歴史プロセスがすっぽりと抜け落ちていた。
N曰く―清盛は教科書的な歴史描写でいっぱいいっぱいで人間ドラマになっていなかった。
御両人の戯れを総合して正に転ずることで、清盛の真価を正しく捉えることができるこの皮肉・・・
多面体清盛の一面だけを切り取れば、御両人のような評価が生まれてくるのも不思議ではないが、
よりによって権威様たちがこれでは大河評論の沽券にかかわりますよ、LさんNさん。 『為義殿、斬り合いとならば源氏も平氏もここで終わりぞ。源氏と平氏どちらが強いか、それはまた先に取っておくことはできぬか。
その勝負は武士が朝廷に対し十分な力を得てからでも良いのではないか』 (平忠盛)
4話のパパ盛発言は、視聴者のほうで記憶して何度も反芻しなくてはならないセリフベスト3に間違いなく入る。
焦り逸る義朝に自重を求める清盛も、一騎討ちも助命も、頼朝挙兵による再生も、
貴族の世の終わりを告げにいった後白河との最後の双六も、歴史上の源平合戦も、決着ついたあとの「再会」も、
すべてこの忠盛発言に源流をもつ。 まだ西郷どんのキャラがどうなるかはっきりしていない。
男からも女からもモテる西郷さんはいいとしても、死ぬまでそれだけでは薄っぺらすぎる。
好き嫌いが酷くて嫌いな人間には極めて排他的で狭量。「何を考えているかわからない
茫洋とした大人物風イメージ」は計算づくの自己演出・・(←流人時代に猪突猛進した前半生を省察(家近)。
この見地からは転機となった流人時代を軽視することは許されない。奄美搾取の惨状を目の当たりした点でも)
このような対照的なキャラへと西郷を落とすことはない思われるが、生涯「イイ人オーラ全開の大人物」
だけではつまらない。
鈴木氏の演技やタイプを語ることはできないが、鈴木西郷が良い悪いの判断は、本作が思い描く
トータルな西郷どん像と離れてなされるべきではない(松ケン同様憑依型と聞く)。
清盛のキャラ(しかも高平太から闇落ち爺まで一人で演じきることを要求された)と離れて、
松ケンを評価することがナンセンスであるのと同じことが鈴木西郷にも当てはまる。
くどくてすまんが、清盛キャラは、考証1が唱えるそれを忠実にドラマ内での清盛に投影することを基本に、
落胤設定を最大限生かした「根本において不変、されど目まぐるしく転変する清盛」として造型された。
それゆえ、各ステージを個別に判断すればベストではなくとも、トータルな清盛像に照らしてみれば、
カメレオン型俳優そして齢30前後の松ケンは、代替できる役者を容易に見出すことのできない「適役」
だったのである。 >>797
おこがましいと謙遜されても、長文さんがどれだけ論文や著作を読み込んでおられるか、そのくらいは分かります。
わたくしは未熟者ですから、サジェッションを参考にしながら、源平合戦期の知識を深めて行くのみです。 >>798
> 清盛の真意は、「今度こそ正々堂々戦おう。伊豆で成長しろよ」であったのだから。
でも、ここのところは(ドラマではなく史実として)どうなんだろうと疑問符を付けます。
結果として寝返りましたが、いちおう北条氏は平氏のうちです。
しがない弱小勢力でしたが、頼朝の動向を監視させるには役に立つと思ったのだろう。
それに伊豆は長年流刑地とされてきた地。そして河内源氏の嫡流は京が拠点だった。
京と伊豆との情報格差は大きい。下放して田舎侍として草むしてしまえばよかろう、
と判断したのかもしれない。
しかしなぜ伊豆を清盛は選んだのか、わたしにはいまだよくわかりません。 >>799
うまいまとめだなあ。こういう人が会議でひとりいれば、実生活がもっと楽に効率的におくれるだろうなと。
無関係だが、崇徳院様と重盛様が現代劇で活躍しておられた。第1話だけ見たが、今後の展開に期待しよう。
金曜ドラマ アンナチュラル
http://www.tbs.co.jp/unnatural2018/ >>806
一見着実に進む史実の背後に隠されたドラマのロジック(フィクションに決まってる)を指摘しているのに、そんなこと言われても
私長文困ってしまいます。ちなみに自演じゃありませんw >>805
いやいや、紙の本で線引きながら書き込みしながらみたいな読みは込みしてませんよ。
だいたい電子化してiPadProに入れて持ち歩き、疑問やら関心やらが生じたらその都度調べる感じ。
それはそうと、再放送のツイを読むと、6年経っても新たな発見があり、またいろいろ教えられる。
そういう汲めども尽くせぬ大河が平清盛。
貴殿・貴女が何か疑問を呈してくれれば、いっそう大河清盛の深い理解につながる。
長文が拳を振り上げて、最低視聴率大河清盛の真価を必死の形相で世間に訴えかけている・・・
だけでは決してないのです。 読みは込み→読み込みは
すんません酩酊状態ですハイ。
高橋説の摂取については、承安の外交と六波羅幕府論を指摘した(後者は、歌舞伎の花道を颯爽と歩むがごとく
颯爽と登場した真打ち&ラスボス清盛のシーンに集約する形で象徴的に描かれた―京と福原との物理的・心理的・政治的距離の問題)。
もう一つ忘れてならないのが、何度も紹介した「王朝文化の体現者=統治の正当性保持者」という高橋テーゼ。
殿上闇討ち回→和歌もどき回を経て、このテーマを正面から掲げたのが、五十の宴回における摂関家エース兼実と忠度との歌合戦であった。
新説にチャレンジすることの意味は、歴史的事件についての通説を、エンタメ大河を使ってひっくり返すことではないだろう。
この点で、地味でマニアックであっても、平安末期とそこに生きた清盛及び同時代人たちに対する我々一般人の知識と認識を、
ささやかながら百尺竿頭一歩進めた大河清盛の貢献は非常に大きなものがある。
おやぬみなさい 長文センセとバーチャル弟子
文体が混在してバレバレだぞ
よくこんな恥ずかしいことするよなw >>812
であった
が特徴的だよね。
主述が分かりにくい文章であるのと。 岩波新書の新刊『義経伝説と為朝伝説』
読んだ人いる? おいおい俺の分身と名指しされた人、弁明してくだされ。
私をあんな長文基地と一緒にしないでって。。。
同じ人かどうか知らんが、八重の時もかなり文体似ていて、自演自演言われてなかったか?
清盛から大河に入った俺は、当時、八重のドラマ性の欠如が不満でアンチぽかった。
しかし、あれこれ大河逍遥をした今は高く評価している。
物凄く厳しい批判をしていた御仁(根拠をきちんと挙げてのもので中傷ではない)、
今はどうなのだろうか。
それにつけても「無知で無能な制作側がー」のババアたち、何かないの?
建設的な批判ならババアババア言わないでちゃんと答えるよハアト。
自演だーしかツッコミどころがないなんて、男無しで終わるおたくらの人生そのまんま東で寂しすぎるだろ? >>615
近日中に買います。
義経も為朝も伝説部分なしに人物を語ることはできず、ドラマでも伝説的な英雄一色
となってしまう典型的な人物たち。
大河清盛もこの2人に関しては、歴史上の人物を掘り下げて追求する気はほぼなかった。
せっかく大河の主人公に据えたのに、大河義経が俗説、伝説、オリキャラ創作だらけで
終わってしまったのは残念。今後「新しい義経」を制作する余地は残されている。
為朝は、地味な平安の戦いを盛大に盛る軍記物を一人で代表してくれた。
青春活劇パートに位置づけられた海賊討伐と並んで、数少ない大河清盛のエンタメ要素を
担ってくれたのが、保元の乱における強弓無双の超人為朝。
辛気臭い話ばかりのようで、見て楽しいエンタメ大河でもあったのですよ清盛は。 >>817
中公新書の「河内源氏」は読みましたか? 為朝ねぇ
まだ保元の乱まで到達していなかった頃
どうせ為朝なんか出すわけないファンタジー大河だろ
ってなレスが芸スポの視聴率スレで目についたな
本家遊人庵はそこまで迂闊ではないだろうけど
劣化遊人庵みたいなろくに見ない調べない昔は良かったさんは
今でも見かけるな 持っているが精読していない。
この本における河内批判は、正直あるまじき人格攻撃であり中傷だと思う。
このことがかなり影響している。内容的には(正確さを欠いて申し訳ない)
「武士は王家の犬ではなく朝廷からも尊崇された階層」
「信頼は有能な軍事貴族」
「極官を超えたことから推察して清盛は落胤である」(結論ではなく推論方法につき)
「義朝の左馬頭はその地位からすれば上等の成果であり不満はなかった」
「重盛は実質的な政権の主宰者成親に取り込まれて清盛=時子ラインから離脱していた」
などの御説は、素人考えでもなかなか受け入れがたい。 ただし、為朝の数少ない重要史実についてきちんと触れていたことに注目。
それが九州の鳥羽荘園を荒らして大顰蹙買ったアレ。
ただでさえ落ちぶれ真っ最中のダメ義さんは、息子の不祥事の責任を取らされ、
いよいよ鳥羽院から遠ざけられ、摂関家頼長へ従属するしか道はなくなった・・・
そういう流れだった。
初登場ガンダムに度肝抜かれた人も多いかもしれないが、実はちゃんと歴史やってたのですよ。 中公河内源氏というより、清盛で扱われた内容に関するM先生説のことね。
ただ、内容重複が多いので、河内源氏にも同内容が書かれているはず(未確認)。
華麗にスルーする河内先生に対してブチキレたのは、明確に河内源氏本。
清盛役者若すぎる批判とは真逆で、歳取りすぎと言われたのが話題の為朝と兼実。
しかし、年齢齟齬を知らないままキャスティングするような磯Pではない。
その男一人が敵方についたというだけで、平氏の面々を震え上がらせた無双の兵にして英雄為朝だ。
侍大将忠清が自信をもって送り出した伊勢一の強兵を、一瞬のうちに葬り去った源氏随一の弓使いは、
周囲を睥睨威圧し、劣勢をたった一人で挽回してしまう圧倒的な存在感を求められた。
このイメージの為朝に、血気にはやる10代の若者のイメージを当てはめることはできないだろう。
当時40半ばだった橋本さとし氏による無双感溢れかつ重みのある為朝は、完全にフィットしていた。
相島氏に託された兼実も納得のキャスティング。摂関家の凋落を受け止められないイケイケ基房に対して、
こちらは彼我の力関係の在りようを冷静沈着に受け止めてバランス感覚を保ち、冷静沈着な判断を下す「大人」。
だからといって、清盛平家に媚びへつらい屈服することはなく、シニカルで嫌味な最上級貴族ぶりを貫いた。
後に頼朝から重用する兼実は、若輩であってもたいそう大人びた人だったに違いない。
当時50歳ぐらいの相島一之氏が起用された所以である。 >>823
そうだ自演であることを自白するから、なんかまともなことを書けや >>808
自演してスレ伸ばさなきゃいけないほど清盛スレは過疎のスレだとは思わないぞ。
>>813
このコメントは苦笑しつつも光栄です。あの長文さんとわたしとで文体が似ているなんて!
>>816
またしても亀レスになってすいません。大河板は気分転換したいときしか開かないので・・・ >>815>>818
読みたい本がどんどん増えていく。しかし目の前に積んである6冊を片付けねば手を出せない。くやしい 頼朝から重用する→重用される
長文よ、自演の際は誤字脱字にくれぐれも注意せよw
ミスキャストへの反論もかなりしてきたが(清盛、後白河、祇園女御など)、
個人的にこれはどうかと違和感を覚えたのは伝兵衛経宗さん。
顔芸が面白いヘタレ公卿というのはやや貴族を戯画化しすぎだろう。
本当は政務にも故実にも通じた大物だったはずで、もうちょっと重厚感があっても良かった。
これはミスキャストというよりキャラ設定と演出の問題で、伝兵衛氏はそういう麿を見事に演じていた。
清盛平家と上級貴族との力関係が逆転したことを、オロオロする麿キャラで表現したかったのだろうが、
いくつかあったやり過ぎの一つ(白い粉巻き過ぎ。初期清盛汚し過ぎ。海賊船に金使い過ぎ)。 >>828
だから自演してない長文さんとは別人だと何度言えば信じてもらえるのだろうか。
指摘されて二条親政派の藤原経宗のことを思い出しました。
平治の乱で敗者の側に立った貴族たちは、従来の源平合戦で醜く描かれてきたのは事実。
大河平清盛であってもそれは共通する。概して、歴史とは敗者でなく勝者がつくるものだから。
しかし、醜く描かれ新体制の補強材料とされた敗者たちが、本当に無能で腐敗していたのか?
というと、たいていの場合それはちがう。ただ天に見放され時代精神が彼らを求めなかっただけ。 >>829
>>828
> 長文よ、自演の際は誤字脱字にくれぐれも注意せよw
自体が長文さんの自演というワケワカメのスレ乙 そうかー
マジレスが返ってくるとは
やっぱ不肖長文の下手っぴなお遊びは通用しないですわw
世の中こういう大真面目な人だらけなので
遊び心出して「海賊王がー」で戯れるのやめといたほうが良かったかもネ! >>832
いえいえ
「遊びをせんとや生まれけむ」人々が集うスレなので
どんどん遊んで下さいまし。
自分の中では
八重>>>(超えられない壁)>>>清盛
なのですが、いくら腐してもこたえない
馬鹿なことを言っても許される
このスレの空気は嫌いじゃないです。 生真面目男重盛もなー
たまには福原に遊びに行って
俺はソ◯プ王になるぞー
とはっちゃけてストレス解消してれば早死にしなかったものを・、。 そーいえばセンター入試の倫理で「遊びをせんとや」が出たというではないか!
そこから、カルヴァンにロックにニーチェに途中で切れてたので分からんがカイヨワ?
と繋ぎ、勤労と遊び、創造と自由との関係を問う?
しかし、近代の勤労倫理と平安の遊びを対比させるのはちょっと無理だよね。
一番近いのはおそらくニーチェで、ニーチェはヘラクレイトスの「時は遊び戯れる子供」を愛した人だから、
平安のエートスは古代ギリシアの哲人の境地に近かった!
つかお外で、なかなか面白い西郷どん始まってるのに見れない・・・ 今野敏の「為朝伝説殺人ファイル」ってなんだかそそるタイトルなんだけど
STシリーズって当たり外れがある印象なうえにレビューが低評価でちょっとためらう。
audible のラインナップに入ってるのでそのうち聴いてみるつもり。 >《今日の出来事 旧暦1月15日》
>[仁平三年/1153年]
>平忠盛死去。清盛、平家の棟梁となる。
>【台記】
>数国の吏を経て、富は巨万を塁さねたり。奴僕は国に満ち、武威は人に軼(すぐ)る。然れども人となり恭倹にして、未だ嘗て奢侈の行あらず。時人之を惜しむ。
>悪左府殿でさえこのように人柄を賛美された曽祖父上、和歌の嗜みもあり、決して粗野な武士ではありませんでした。
≪新院(崇徳上皇)の殿上にて、海路の月といふことをよめる ≫
ゆく人もあまのとわたる心ちして 雲の波路に月を見るかな
(詞花297)
>とまあ、数年前のアレを思い出して心がチクッとなる感じ
★ええええ???
まるで昭和の貧乏サラリーマン。平氏興隆に果たした業績と人となりを何一つ捉えていない新平家の忠盛を絶賛する、
お馴染みとなったこの京の金満ブルーインパルスウヨ婆さん。
大河清盛の中井パパ盛は、【粗野な武士】だったんだとさ・・・・・・・トホホ
あらためて、この「無知で無能な清盛制作側がー」のババアたちののオツムと目ん玉、いったいどうなってんの?謎謎謎。。
反日清盛に台無しにされたので、「溜息でるほど素晴らしい真田丸を作られたぜひ三谷さんにもう一度平家物語をやってもらいたい」
との願望を表明されているオババ様。。。
せめて>>728を読み返せや、2ちゃん清盛攻撃隊センターフォワードなんだからよ。本作は、件の悪左府の称賛まで考慮に入れた忠盛平氏だった。 ただの長文コピペなのか
どれが自分の意見なのかよくわからんレスやな 貴族化する平家以前の主であるパパ盛は、舞もばっちりマスターしており、その研鑽ぶりを
貴顕の面前で披露した。
ところが、新興平氏を警戒する摂関家忠実による盛大な嫌がらせを受けた。
通過儀礼の一種にしてはいささか度を越した洗礼にもかかわらず、忠盛はビクともせず、
甘んじて屈辱を受けることで貴族の反感を放出させつつ、内の昇殿という巨大な果実を得た。
「粗野な武士」では到底叶わぬ、忠盛の深謀遠慮に満ちた戦術と洗練された振る舞いを
映像化したのが「殿上闇討ち」回である。 重盛が現代にいたら、父清盛のゴリ押しで超名門エリート校に入学させられるも貴族たちからの嘲笑に耐えられず、
退学して普通の学校に行きたい旨を清盛に申し出て大喧嘩してそう。
そして結局、池禅尼、大叔父忠正、時子らのとりなしで普通の学校に転校させてもらえそう。
これをきっかけに大叔父忠正への敬慕の念をさらに深める重盛なのであった。(完) コツコツ漢籍と本朝の歴史と算木による計算を勉強してN中トップ合格!
その後順調にK大Hに進学し、実務官僚となるべく有職故実や朝廷作法、儒学等を日々学ぶ。
勉学一筋の超真面目な学生(ガクショウ)生活の傍ら、法王様の4号警護に備えて弓と剣も鍛えており身身体能力は高い。
他方、文武に打ち込むばかり彼女はできず作らず、見合い話も断って父から上手投げを食らったほどの
奥手であったが、夏に福原の別荘の近くを論語を口ずさみながら散歩中、悪所が立ち並ぶ地域へと迷い込んでしまい、
そこで誘われた妖艷な白拍子に導かれるまま晴れて一夏の思い出は成就した。その名はA子というらしい。
現在は糟糠の妻T子にゾッコンで他に女など作りたくはなかったが、小松家の子孫に平気棟梁を継がせるためにも、
別途維盛と資盛を拵えた。以下略 >>844
長文さんじゃないから未読です。
しかし、書き手は1968年生の准教授か。吉川弘文館で刊行したなら、読む価値ゼロってことはあるまい。 >>842
基盛「兄上、何をさように思いつめておいでです?友も多くできて私は学校は楽しゅうございますよ〜」
忠正「基盛は要領がよすぎる」 この作品で平重盛がその最期において後白河院と清盛との板挟みになって病気になった的な描写にされてるけど
そういう記述ご実際にあってもこのドラマで描いた重盛ってそんなに後白河院重用されたり慕ってた描写がなかったから違和感あるんだが
むしろドライな目で朝廷や院を見てた人物に描いてなかったか? それは当時から突っ込まれていた真面目な疑問。
明確な誤り、誤解、曲解、難癖と考えての反論ではないが、これに対しても長文した。
簡単に言うと、重盛が正当と考えてきた君臣の道に関する儒教的大義名分論に基づく。
重盛にとって政界の最大実力者である清盛は、あくまで偉大な父であって君とはなりえない。
君となりうるのは、体制によって正統性を付与された元天皇そして現治天の君である後白河をおいて他にいない。
臣重盛にとって後白河は、贔屓されたからとか優れた政治手腕に傾倒したからではなく、位階秩序の頂点に君臨する君
ーただそれだけで尊崇の対象と〈しなければならない〉至高の存在であった。
実際、後白河院の近臣といっても、重盛は西光や成親のように常に後白河の側に仕え、意思を体現し、
手足となって動くような存在ではない。あくまでも主軸は平家の棟梁の方にある。
そこに利害相反関係が生ずるのは不可避といえ、平家棟梁である以上、利害相反が両立不能なほど決定的になった場合は、
平家ファーストで行動するのが筋であり、当然、清盛は重盛に対してそのような行動を要求した。
ところが、どちらに対しても誠実に応えようとする重盛は、両者の板挟みとなり苦しみ衰弱していった。
痛々しかったのは、そのような重盛を「あいつは清すぎる」と見限ったのか、清盛が時忠を参謀として
頭ごなしに事を進め始める事態へ至ったこと。善解すれば、汚い謀略のために清き息子重盛の手と心を染めたくないとの親心か。
しかし、尊敬する父清盛による「重盛パッシング」は、いよいよ重盛を苦しめることとなってしまった(「とく死なばや・・・」)。
このような「父清盛と君後白河との板挟みに苦しむ重盛」という重盛像は、一朝一夕に出来上がったものではない。
行動力に優れ見知らぬ世界へと臆することなく飛び込んでいった清盛が、いわば外界の世界を教科書とする
経験主義的な人間であったのに対比させるかのように、父清盛を超えようと懸命に努力する真面目人間重盛にとっての学び舎は、
常に四書五経や歴史書など書物の世界にあった。
このような重盛が、頭でっかちで視野の狭い四角四面な観念論者へと成長し、あのゴッシーを「尊崇すべき君子」と見做して
あくまで忠義を尽くしたとしても、それほど奇異なことではないし、ドラマ上の描写不足とも思えない。 >>849
説明とこじつけの区別が付かない者が偉そうな説明を加えていますね。 追加
自ら博多に足を運び賑わう市を興味深々の様子で体験。
オウムに出会い宋銭にビックリ、大はしゃぎで「何というか生き生きしてるぜー」。
この清盛の成長描写が非常に効いていた(新しいモノ、珍しいモノはあやつの大好物ゆえbyパパ盛)。
一方、真面目な顔して本でお勉強する重盛の描写。これもちゃんと意味があったのだ。
それが清盛の「お勉強描写」と対になっていたことを見逃すべきではない。
清盛と重盛との対照的な人物描写は、大河清盛理解のための重要ポイントの一つ。
少なくとも教育パパから見た場合の清盛は、自らをスケールの大きな清濁併せ呑む男に育ててくれた忠盛の
足元にも及ばない。何しろ自分は体制を破壊した破天荒人間でありながら、息子たちには体制で上手に生きていく
教養と作法を仕込むことに一生懸命。これでは自分に越える、せめて匹敵する息子たちは現れようがなかった。 自分に越える→自分を越える
酔ってはないがすんませんwでわでは 一年放送しただけで大河視聴率が崩壊するとは、どんなクソ大河なんだよwwww >>849>>853
なんとなくわかったありがとう
なんとなく清盛の弟家盛にちょっと似た感じだね 少なくとも教育パパから見た場合の清盛は、自らをスケールの大きな清濁併せ呑む男に育ててくれた忠盛の
足元にも及ばない。何しろ自分は体制を破壊した破天荒人間でありながら、息子たちには体制で上手に生きていく
教養と作法を仕込むことに一生懸命。これでは自分に越える、せめて匹敵する息子たちは現れようがなかった。
これはその通りだな >>857
ドラマで一切触れられていない部分をドラマの一部であったかのようにとして捏造しているのは見苦しい信者としか言えません。汚盛は実にドラマ制作の素人が制作に荷担しているのですね。 3時のコーヒータイムに開いたら、例によってやってたので一筆書いた。修正の上再掲↓
出たよ、京都は湿地だからー。
紀元千年頃には既に左京は廃れ、羅城門は破れ門となり果て、朱雀大路も荒れ放題でぺんぺん草が生える状態。
賑やかなところでもインフラは未整備で、舗装道路なんぞあるはずもなく、側溝はろくに清掃をしないもんだから、
早くから詰まって使いものにならず、雨が降ればあっという間に賀茂川が氾濫し、庶民がおおらかに路上で垂れ流したウンチやゴミで
市中は満たされる。当然、衛生状態は最悪といってよく、たびたび疫病に襲われた京の町は貧者・病者・孤児で溢れた・・・
このような古代中世型の人工都市である京が、昔は湿地帯で周囲に水脈豊かな山麓を抱えるという自然環境ただそれだけで、
「埃一つ舞わない」綺麗で侮蔑する某国とは似ても似つかぬ衛生的な都市だったんだとさ。
本郷和人「ボクは昭和35年生まれですが、その当時は東京も舗装されてないところがいっぱいあって、
ちょっとしたことで埃が舞っていましたよ。犬の糞もたくさんありました。900年前の京がキレイなわけないじゃないですか」。
そういう京を表現するために白い粉を撒くのと「撒きすぎ」とは違うから。
撒きすぎに問題があったのならば、控えめに撒けば良いのであって、批判を受けたからいっさい撒かないヘタレぶりは、
NHKの退行現象と言わざるをえない。 >>858
経盛おじさんが一生懸命仕込んでおりましたがw 汚盛爺さんと呼んできたが、どうやら汚盛婆さんのようだ(大爆笑
おやぬみ もう一つ、お馴染みこちらへのレスもやっぱ読んでもらいたいので落とします↓でわ
平安の雅が一切なかった?
お前の目はどこについているのだ。ストーンウォッシュとやらで朝廷貴族まで汚しただの踏ん反り返る前に、
せめて4話殿上闇討ち回で映像化された豊明節会の超絶美しい幻想的なシーンを見返してみろ。
2005年の義経の「キレイ」な画面がいかに安っぽいものかわかるはずだ
(その間の映像技術の進歩を痛感する。ただし、技術革新上の優位にとどまり、義経が悪いというのではない)。
そもそも清盛は、王朝絵巻のような絢爛豪華な美的世界の再現を追求した大河ではなく、混迷を極めつつも
躍動的な体制変動期であった平安末期とそこに現れた荒々しい改革者=清盛をダイナミックに描くことを
コンセプトにした大河だ。
一部やりすぎもあって視聴率にダメージを与えたことは否定しないが、映像表現も作品のコンセプトと
世界観を反映すべきだとしたら、試行錯誤を重ねた大河清盛の挑戦は高く評価されるべきだろう。
現に多くのクリエイターたちから絶賛を浴びたが、当然の成り行きである。
西郷どんの映像テイストは、技術に無知な素人目にはどうも人工的な感じがする。それとやはり少しは
白い粉を撒いて欲しいw 和歌下手の清盛とは違って忠盛が和歌にも秀でたことは、家成の提案に対して
「そ、それだけは何卒!歌は不得手にて」と慌てる清盛に、家貞がしらっと
「先の殿は歌人としても一流にござりました」と突き放したセリフによって紹介されていた(描写は舞の方)。
そこで悄げる清盛に基盛が、「棟梁が歌は詠めず、妻は琵琶が弾けずではお話になりませぬな」とツッコミ。
平氏を明るくしてくれそうなこの面白い次男坊が早死にしてしまったのは、
「一蓮托生」のスローガンの下で葛藤と軋轢を抱える一門融和の観点からは痛い損失であった。
その基盛と重盛そして時子の長男清三郎が盛国から学問を学ぶシーンが、二度ほどあったはず(武の指南役は忠清〜
弓矢の練習を通じて清盛の兄弟たちや子供たちの性格や特性紹介が行われた)。
すぐ飽きる基盛に重盛が、「真面目にやれ。盛国は漁師の身から武士に取り立てられて学問に励みこんな立派な先生に
なったんだぞ」と説教。クソ真面目重盛の面目躍如であり、自らは幼い頃より盛国を師匠に懸命に学んできたことがわかる。
(他方、時忠から要らんことを吹き込まれてグレた清三郎は勉学ストライキ)。
そういう少年期の勉学描写を経て、重盛が夜遅くまで書物に取り組む姿を描いたのが、あの悲痛な殿下乗合事件回。
すっかり清盛から「除け者」にされ、一門から「笑い者」にされて苦悩する重盛が唯一の救いを書に求める姿、
そこにただ一人寄り添う経子の心痛むシーンを駄文で再現することは不可能ゆえ、是非映像で確認して欲しい
(窪田重盛圧巻の演技)。 このドラマを批判する人って王家問題もそうだけどいわゆる右の思想の人が多いのかな
自分は保守の方の考え方ではあるけど、だからと言って中世以前の絶対的な力を持っていた皇室や朝廷がどの帝も素晴らしい人格者だったとか当時の朝廷を批判したら許さんみたいな考え方は気持ち悪いんだが....
この作品の中でももちろん創作は多くあるけど、たとえば崇徳帝の出生は当時でも白河帝?という噂はあったわけで、もちろん今とは考え方はちがうにしてもそういう噂が立つほど当時でも不謹慎なことという認識はあったでしょ
そういう皇室の負の部分ももちろん光の部分も含めてざっくばらんに大河を作ってこそ素晴らしい作品が生まれると思うのだが.... >>862
澄み渡る南国の青い空に、その「白い粉」は似合わない。白い粉をまくのは、桜島のお仕事です。
>>859
> 紀元千年頃には既に左京は廃れ、
右京と左京を混同してませんか?左京は御所の南東に、右京は御所の南西に広がる町でした。
天子は南面するものなので、天皇陛下の視点を軸に、京の町はつくられた。 >>859
> 京が、昔は湿地帯で
複合扇状地の書き誤りでしょう。1000年前も現代も、京都盆地の地形は大差ないから。
http://www.hp1039.jishin.go.jp/kozo/KyotoCty3/figures/f2-2.jpg
扇状地だから表土は乾燥しやすい。でも扇状地だから、浅い井戸を掘れば簡単に地下水をくめる。
洪水も起きるが、逆にそのおかげで汚物は流される。冠水期間も扇状地だから短期で水は抜ける。
それが京が都に選ばれた理由。湿地帯だと疫病を媒介する動物が繁殖しやすく人が住みづらい。
だから、舗装も石畳もほとんどない平安末期の京都に「白い粉」が舞っているのは、ほぼ正しい。
平安末期の京都の洪水被災エリアは、おおよそ想定できる。京都市のハザードマップが参考になる。
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000089718.html
ほぼ正しいけど、あれはまきすぎだろう。平安末期の日本は、平均気温が高い時代だった。京都でも
熱帯のようなスコール(豪雨)と、熱帯のような雨の降らない乾期を繰り返していたはずだ。
ただし、京都は盆地だ。そして風向は西風が多い。湿り気を帯びた風が大阪湾から吹き込み、山に
ぶつかって雲がわき、よく驟雨がおそうのが現代京都の日常。平安末だって大差なかったはずだ。 要は、いつでもどこでも何にでも、見境なくモクモク撒く必要はなかったということだね。
ただ、埃だけではなく霧、靄といった自然現象(海賊船での洋上シーン)にも有効であったし、
また、荒れた京、貧者・病者が喘ぐ様、いかがわしい賭場・売春宿のような社会現象を
映像面から補完し、視聴者が下層民の置かれた状況を想像する助けにもなった(初回、2話)。
逆方向から、高貴な世界が醸し出す幽玄みたいなオーラを白い粉で表現することも悪くはない
(為義が義朝を北面にプッシュしあえなく撃沈したシーンで、院御所の庭が一面「純白の世界」
だったのには閉口したが)。
やはり蒔いたこと自体が悪なのではなく、バランスの問題だろう。 銀河で義経視聴。
ああー義高・・・日本歴史物語上、最大級の悲劇だね。義高と精神錯乱を来してしまった大姫の運命は。
ここで思い出したのが大河清盛における大蔵合戦。
本邦初の映像化であったのにもかかわらず、連中はその画期的な意義なんぞ理解する気もサラサラなければ、
理解できるオツムもない。
ひたすら義高の父である義仲を省略したと大騒ぎしたのであった。
やったことを正当に評価するのではなく、あれ省略したくだらねー、このバカめがーとドヤするのが連中のいつもの流儀だ。
為義vs義朝ののっぴきならぬ骨肉の争いという、保元の乱へ向けた源氏方最重要テーマに鋭く切り込んだのが
本作における大蔵合戦であり、ここでも源氏重代の太刀であり棟梁の証しである髭切の所在と行方が
物語を推進する上で決定的役割を果たした。
義平による義賢殺害=髭切奪取によって、源氏親子の対立は不可逆的なステージへと突入してしまった。
ここで初登場した「東国ヤクザ」義平は、同じく義朝の息子ながら、上西門院蔵人としてこれまた画期的な映像化がなされた
「京の青年貴族」頼朝(殿上始めで清盛と初対面、圧倒された)と鮮烈な対照をなす荒くれ武者である。
この生育環境、メンタリティ、振る舞いをまるで異にする異母兄弟2人を対比する意味でも、大蔵合戦は重要な意味をもった。
このように、何よりも保元の乱への道行きという本作の大テーマに即して、さらに平治の乱の見取り図を射程に入れるべく
取り上げられた大蔵合戦において、何らストーリーに影響を与えない赤子義仲の出る幕はない。
いなくても成立するシーンであり、おギャーして我こそは後の義仲であると主張されてはかえって邪魔になるシーンなのである。
もっとも、清盛死後の源平合戦を独立のパートとして扱い、したがって義仲を主要人物として取り上げる大河であったならば、
赤子義仲にご挨拶する意味はあっただろう。
しかし、大河清盛は正当にも源平合戦本戦ラウンドを平家主要人物を退場させる舞台装置と位置づけ、義仲を登場させることはなかった。
考え抜かれた義仲スルーは大河における人物整理のお手本であり、赤子義仲を出さなかった理由を推察することによって、
清盛の人生から離れて源平合戦それ自体を独立に取り上げることはないことを、その時点で高い確率のもとに予想できたほどである。 本日900歳になりました
このおめでたい日に夜10時から8ちゃんにて時子と妊活始めます
息災也と元気ですの夫婦パワーで必ず作ってみせます
応援よろしく キヨ:もうそなたで良い!
トキ:もーう台無し!!プンプン
近衛:見えぬ!見えぬ!
顕如:アッー! まだ全部見てないけど、結構面白いな。
目線を低い位置におきながら、マジメに夫婦像(同性含む)、家族像の多様化を考えるドラマっぽいし。
時子と近衛帝のかわいさと惟方の押されっぷりはいかにもだったが、
一時期老害エロ爺へと変わり果てた清盛までえらいかわいいのでびっくりしたよw
逆に言うと、こんなにかわいくて若々しい松ケンが、6年も前の時点で醜悪な糞じじいに化けたわけね。ほんとカメレオンだよ。
にしても相変わらず低視聴率のようでお気の毒。盛国が参加したキムタク4号警備の二分の一以下とはね。。。
数字なんてどうでも良い中身で勝負!は民放では通用しないので(公共放送の大河もリクツはともかく良いにこしたことはない)、
なんとか上がってほしいですわ。 うーん、Blu-rayの再販ないのかなあ。DVDの売上次第なんだろうか。 廉価版とはいえ他と比べれば高額商品の清盛DVDが1カ月以上もトップを走ってるぞ
>NHKスクエア
こんな超人気大河wを放っておいてはいかんぜよ
>再放送&Blu-ray >>871
松山ケンイチはデ・ニーロ・アプローチ(役柄に合わせて徹底的な役作りをする)を本当にできる
俳優さんだと思いますぞよ。まさにカメレオン。
しかし長文さんが誉めるなら『隣の家族は青く見える』これから見てみる。HULUで配信中だし。 夫婦や家族の問題が血縁と無関係ではないとしたら、コーポラティブハウスの実験は、
新たな地縁性=孤立化し原子化した個人&パートナーたちによる共同性の再模索という面からも興味深い。
清盛が掲げた「平氏は皆一蓮托生」なるスローガンは、清盛と血の繋がった愛する家族を基礎としつつも、
軍事・経済を統括した経営体としてのイエ=一門という意味をもったことに留意されたい。 日本人のおなまえっ!で出て来た船の映像はこのドラマかな?
画面の色合いでそんな気がしたんだけど 源義朝の紹介〜ウィキの記述をまとめてみた。
かつて都の武者として名を馳せた河内源氏は一族。
内紛によって凋落し、父為義も自身の問題行動によって白河院の信頼を失い、
官位は低迷して逼迫している状況にあった。そのような時勢の中、東国に下向した義朝は、在地豪族を組織して勢力を伸ばし(上総御曹司)、
再び都へ戻って下野守に任じられる。東国武士団を率いて保元の乱で戦功をあげ、左馬頭に任じられて名をあげるが、
3年後の平治の乱で藤原信頼方に与して敗北し、都を落ち延びる道中で家人に裏切られて謀殺された。
これを読んだだけで、清盛が主人公の大河であるのに、義朝についても相当なハイレベルでフォローされていたがわかるだろう。
ここで注目したいのは、義朝は自らの属性を後天的に身につけていったこと。
清和源氏の貴種といえども、当初は没落中の源氏棟梁の長男以上の存在ではない(ドラマでは北面就職をコネ清盛に奪われる)。
海賊追討使に任じられた平氏と清盛が西に行軍する晴れがましい姿を横目に、源氏再興を誓った義朝は東へ向かった。
そこで過酷なヒャッハー生活に耐えながらも、徐々に東国武士たちの土地紛争に介入するなどして主従関係を築くことに成功し、東国へ勢力を扶植するに至る。
都の貴種との縁故を求める在地豪族層との間に姻戚関係を形成し(波多野氏、三浦氏)子をなした。その一人が鎌倉悪源太義平で京とは縁もゆかりもない荒くれ男だ。
つまり、都人義朝は東国修行によって「東国武士性」を自ら獲得するとともに、東国豪族の血が濃厚な子どもたちを生み出したのである。
苦節10何年、鳥羽が求める水仙(たまこへの愛のシンボル)を新幹線で!都に運ぶべく義朝はついに京に凱旋帰国した。ただちに鳥羽から院の近臣に取り立てられ、
ここでようやく都の「貴族性」を手に入れる。
そして抜け目のない義朝は、一目ぼれして追っかけてきたツンデレ女房、熱田神宮の由良姫に「俺の子を産め」と命じてw一子をなした。それが頼朝。
頼朝は、新進貴族を父とし、上西門院とも繋がりのある由緒ある出自をもつ女性を母とする、生まれも育ちもれっきとした京貴族なのである(→上西門院蔵人)。
このように義朝が獲得した両面性(東国武士性、京の貴族性)は、義平と頼朝という2人の子どもたちの間でいったん分裂した。
時は移り、平治の乱で義朝は滅び義平も死に、残された頼朝は伊豆の僻地で流人としてゼロからの再出発を余儀なくされた。
流人生活に入った頼朝は、「京を懐かしみ笙を奏でる孤独で文弱な貴種にして貴族風」の人間であり、これが本作の流人頼朝像の原型だ。
以上の2つの属性論からすると、流人頼朝の「再生過程」とは、義朝が統合しながら子世代で分裂した結果、京のシティーボーイである自身にとっては無縁の
東国武士性を、北条親子や東国武士との交わりの中で再び獲得していく過程と言うことができるだろう(立ち上がれ源氏の御曹司!by伊豆のカントリーガール政子)。
この重要な流れとダイナミズムを、大河清盛は(たかが大河だっつーのに)見事に捕捉していた。 厳密に言うと生まれは熱田。実質京人であることに変わりない。 >>878
汚盛に関わってしまったのは彼等の不幸。あまりにも汚盛製作チームの質が悪すぎた。 清盛制作陣が貫いてこられた大河の清盛の一生、まばゆいばかりの美しさにござります 忠盛が食べていた唐果物をオンラインで注文してみた。
届くのが楽しみだ。 唐果物といえば、いつも食べてるからってどこがセレブやねん平家、と思ってました…
ググったらこれはセレブしか食べられませんわ… 「先々代の正盛様でござりました。初めて私に唐果物をお与えくださったは。かようにうまきものがこの世にあるとは、
それはもう驚き。毎日でも食べたいと思うたものです。それゆえでござりますよ。私が一門において、宋との交易をさかんに
進めてきましたは」
「え?そうなのか。ただ唐果物を毎日食いとうて?」
「はい!」
「あきれた奴じゃw」(今でこそ笑えるが、宋との取引には、かなり危ない橋を渡った日もあったのだ※)。
「されど殿。そんなものでござります。欲すること、欲しいと思うこと。すなわち【「欲」こそがおのこの力の源】。
亡き大殿。。忠正さま。家盛様―あるいは鳥羽の院。悪左府様。信西入道。源氏の棟梁義朝殿。
さまざまなお方が、おのおのの欲するものを求めて生き、そして死んでゆかれました。殿、お覚悟なされませ。
殿はこれより先、そうした方々すべての思いを背負うて生きてゆかれるのです」
「・・・もとよりその覚悟。それこそ我が欲じゃ」(家貞は後顧の憂いなしと微笑した)
「唐果物をいただきとうなりました」―家貞は心から幸せそうに唐果物を一口ずつ味わった。
≪三代にわたって棟梁を支え続けた平家の筆頭家人家貞は、やがてこの世を去った≫(ナレ朝)。
※博多密貿易を素知らぬ顔をして仕切ってきたのも、唐果物大好きなこの狸親父w
何気にしんみりとさせる深い言葉を残してくれた家貞のおっさんの最後でした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています