ちょっとこの極端な善悪二元論はなー。斉興と斉彬。
客観的には幕府の命である以上、選択の余地はない隠居勧告。
嫌々強いられた感を強調するために、斉興の心情をクローズアップしたのが、今回のロシアンルーレットだろう。
意図はわかるのだが、ちと狙いすぎな創作。

突飛な創作エピといえば鳥羽エア矢。公卿会議で家成、信西といった親平氏のメンツ(の説明台詞)によって
的確に解説されたように、今や鳥羽の治世は平氏の経済的と武力なしには立ち行かない。
優柔不断なところがあった鳥羽は、祇園社事件の対応では果断な措置をとったという(罰金刑で済ます)。
この鳥羽の優柔不断面を踏襲しながらも、「より悩みなかなか決断を下せない」鳥羽へとアレンジするための
創作が鳥羽エア矢だ。自ら足を運んで「枕を射てみよ」と清盛に命じた鳥羽は、清盛が放ったエア矢を受け、
ようやく決断するに至った(何故か?について澎湃した解釈論争については略)。
ここでは、平氏大事から軽罪で済んだ清盛という身も蓋もない史実から、治天鳥羽の主体的決断面を掘り下げる
ドラマならではの作劇がなされたこと。そこで祇園社事件の核心は、清盛の涜神行為ー「あんなものはただの箱」
に止まらず、旧貴族体制のど真ん中で君臨する鳥羽そのものを「射た」行為により、鳥羽自身が述べたように
「そちこそ朕が乱したこの世に放たれた〈矢そのもの〉」にあった、とする脚本家のブリリアントな解釈が付加
されたことが何よりも重要である。
しかも、このエア矢は弁慶の記憶によって40年後、鎌倉まで飛んでいき、不信感に陥った頼朝の清盛に対する
リスペクトを新たにするという途方もない働きをしたのだった。
願わくば、弁慶久光殿、明治に入ってからこの父と兄との藩主交代劇を思い出して、重い意味を与えてやってくだされ丼。