【史実】おんな城主 直虎【検証】part4©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の史実検証などについて語り合うスレです。
ドラマの出来不出来、俳優へのエールまたは罵声または演技論、視聴率の高低の話は該当スレへ。
荒らしは無視で。
■公式サイト
http://www.nhk.or.jp/naotora/index.html
※前スレ
【史実】おんな城主 直虎【検証】part3
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492826966/
「あらゆる歴史は、それが当代の証拠によって支持されない限りロマンスである。」
サミュエル・ジョンソン 「著作集」 1乙。
前スレ終わり頃の下りは気の毒でしたな。
本スレならともあれ、検証スレだから
ああいう話題は全然ありだと思う。
興味深く読まさせて貰いましたわ。 いや、あくまでドラマに出てきた話の検証スレなんだから、ドラマと全然関係ない話をだらだら続けるのは単なるアラシだろ >>5
いやはや。お褒めの言葉を頂き、恐悦至極に存じます。
では史実検証などという無粋を、皆様と共に、一層極めたく存じます。 殿が自分で処刑するのはおかしいとか、変なこと言い出すから
難癖と間違われるんやぞ(´・ω・`)
あの処刑場での「殿」って近藤康用やろ 次郎が記憶喪失して幻覚見えてたのは史実なのか?
わざわざ創作でこんな気持ち悪い演出入れる必要あるのか。 >>9
あの演出はアリだとは思うが、全員が直虎に優しかったのが気持ち悪かったな
一人くらい喝を入れる人物が欲しかった
そういうのが万人にウケる脚本ってもんじゃね? 精神的に多大なショックを受けたときの症状としてはおかしくないし
治療の手順としても和尚たちのやり方は正しい
気合いを入れると称して鬱病患者をぶん殴って
自殺に追い込んでた時代の爺さんたちにはわからんだろうけど >>12
そういう話をしてるんじゃなくて
いろんな考えの人が感情移入できる脚本にはなってない
って話 >>13
万人にうける脚本なんて夢想にすぎない
単に自分好みでないのが気に食わないって言えばいいよ ここはアンチスレとは違うよ
テレビの話についていけないくらいだから、スレタイも読めないのだろうけど 作中の堀川城のように近隣の住民を無理矢理徴発して籠城戦に参加されるなんてことが実際にあったのかどうか、皆様の見解はいかがでしょうか?
作中の様子を見る限りでは、そういうのはただ物資を消耗するだけの足手まといにしかならないように見えるのだけど。 忍者が全然出てこないのな
信長の時代には忍者が沢山いて
忍者が嫌いな信長は伊賀忍者を抹殺しまくったのに 多分忍者出るよ
家康の寝所に忍び込んだ忍者を直政が討ち取ったエピソードはやるでしょ >>17
その辺は専門家の間でもまだ議論の余地が大いにあるらしいと聞いた
領民と一緒に篭城する系では鳥取城にしろ八王子城にしろ
悲惨な逸話しか残ってないよな >>21
領民と一緒に籠城した例には吉田郡山城のようなのもあるね。
つまり、籠城したがっていないような内応予備軍みたいなのをわざわざ連れてきて、あまつさえ飯を与えてやる必然性がどこにあるのだろうかと思ったので。 >>18
>忍者が嫌いな信長は伊賀忍者を抹殺しまくったのに
信長も伊賀には手を付けないで後回しにしたのに信雄が勝手にやらかして
信長としてもメンツが潰されて伊賀を放置できなくなったからでしょ。 城に逃げるのは「城上り」
取るもの取りあへず、上をしたへとなつて城中に逃入る
「信長公記」 ほらよ
「村人の城・戦国大名の城」北条氏照の領国支配と城郭 中田正光著
村人と戦国大名の知られざる世界
著者の中田さんは地味ながら首都圏の武田、北条の城郭研究の名著を記し
あの名城址滝山城址の研究と保護活動で
戦国好きな人の間では知る人ぞ知る人 >>25
まあ普通に考えたらこうなるわな。
近隣の農民を無理矢理連れてきて防戦に参加させるとか、ちと考えにくい。 ID切り替えている内に、どこに何を書いてるのか分からなくなった阿呆な御仁が居るな 36話だけで2年半経った
仏坂合戦は元亀3年10月なので武田が来るまであと1年切った
永禄12年(1569年)
5月17日 掛川城開城 、氏真は小田原へ
8月24日 武田、北条領へ侵攻
10月1日 武田小田原攻撃
10月6〜8日 三増峠の戦い
永禄13年/元亀元年(1570年)
1月 家康浜松に移り本拠とする
7月 松平信康元服
元亀2年(1571年)
10月3日 北条氏康死亡
12月27日 北条・武田和睦
12月 氏真は相模を離れ家康の下に 虎松が鳳来寺からこのタイミングで戻ってきてしまったのが本当に残念だ
鳳来寺で療養したと伝わる信玄との遭遇イベントが実現されないのも惜しいし
何より、故郷を離れ親族家臣からも離れ、鳳来寺で僧として高い教養を身につけ
孤独に修行を積んだ経験が、
井伊直政という人の人格形成に大きく影響しただろうと思ってるから
子供の頃から松下家で優しい父母と優しい六左に見守られながら
武家の子としてすくすく育ってしまっては
なんかそれはもう井伊直政ではないのではないかと
まぁこっちの勝手なイメージでしかないのはわかっているけど
残念だなー >>31
このドラマにそんな史実に即したウィツトに富んだ演出は期待しちゃだめだよ 37話の中で3ヶ月くらい経った
仏坂は無かったことになってたけど
元亀3年(1572年)
9月29日山県昌景と秋山虎繁が三河国へ侵攻
10月3日武田信玄が遠江国へ侵攻
10月14日一言坂の戦い、二俣城攻囲
10月22日仏坂の戦い
11月14日岩村城陥落
12月19日二俣城陥落
12月22日三方ヶ原の戦い 38話で2年くらい経った
第一次高天神はスルー、まぁしょうがないけど
寿桂尼命日は3月14日、うまいこと使ったね
元亀4年/天正元年(1573年)
1月 武田軍井伊谷へ乱入、龍潭寺炎上
4月12日 信玄死亡
8月頃 武田、三河遠江から撤退
天正2年(1574年)
5月 第一次高天神城の戦い
12月 虎松井伊谷へ帰還 天正2年になったシーンで文鳥が出てきたけど
文鳥が日本に入ってきたのは江戸時代初期とされてるらしいな
30年以上先取りしてるが、この時期でも入手機会はあったのだろうか
というかなんでわざわざ文鳥なんだという気がするんだが >>36
本当になんでわざわざ文鳥出したんだろう
しかも江戸時代でも高価な愛玩鳥だったらしいよ
なんで潰れたような家の後家が珍鳥を飼っているのかな
オーパーツを出さないで欲しい
余計な事が気になってしまう 当時の日本固有種を用意しにくい馬とかならしょうがないんだけど
飼える小鳥なら文鳥以外に居るだろうからね >>37
そんなこと考えて脚本も演出も行動してないからな では「ジゴクノソコカラミテオルゾ」が口癖のオウムでよろしいか オウムも高いんだろうなぁ
龍潭寺ああ見えてそこそこ金持ちなのかもしれんけど
中村屋に居た小鳥って何だったっけ >>38
ぶっちゃけいないよ。
鶯とか目白とか、飼うと犯罪。
日本の土着の鳥で一般人が愛玩用に飼育できるのは鳩か雀ぐらい。
どちらもあまり愛玩用という感じがしない。
動物キャストの派遣会社も、飼育禁止な鳥は雇用してないだろう。 中村屋のところに居たやつはスズメとかじゃなかったような気がしたが
どっちにしろなんで今更小鳥が登場したのかわからないな
これから語られるのかね 39話、またしばらく時間経過が緩やかになりそう
天正2年(1574年)
12月 虎松井伊谷へ帰還
天正3年(1575年)
2月 虎松仕官 https://rekijin.com/?p=23616
小和田泰経氏も直政元服15歳説支持か
というか研究者間ではもうそれが主流なのかも 直政って
家康が直臣を与力ではなく井伊家の家臣に押し込んだり、
息子がぼんくらでも分家を作らせたり
御三家並みの待遇なんだけど
実は家康の隠し子とかないんか? 40話中で1ヶ月ほど経過
氏真の動線をみごとに使いこなしてるのがいいよなこのドラマ
天正3年(1575年)
2月15日 虎松仕官
3月20日 相国寺で今川氏真が織田信長に蹴鞠を披露 天正3年
武田軍が東三河の城を次々落としてたのは4月下旬
ドラマ中で井伊・近藤・徳川の間に交わされてた書状の日付は5月上旬だった
近藤の本拠地は東三河の宇利で、おそらく息子の秀用が居るんだろうが
武田に落とされた野田にも近く、位置的にはやばかったはずだけど
近藤家は普段通りの様子だったな 以前はやってた
綿花栽培で人集めするとき、三河の吉田で人買いの市が立ったと噂で話していたが
明らかに徳川の吉田城攻めの後のことだったし
もうすぐ美濃で戦があるという話も織田の美濃攻めのことで
そうやって背景を匂わせて、歴史年表の裏で起こっている出来事を
描き出してるところが結構好きだったんだけど
大河は終盤になるとスタッフがどんどん抜けていくというのがいつものことらしいから
直虎もスタッフの余裕が無くなっていってて描写が雑になったのだろうか 草履投げ、個人的には無礼じゃね?
と思ってたのだが、そうでは無かったのね、、
勉強になりましたわ、、 >>57
礼儀は時代によって変わるからね。今の基準で無礼に感じられても、江戸時代以前には作法通りというのは当然ある。 でも投げ草履でググると出て来るソースが三田村鳶魚の「江戸の生活」の幕末の広島藩の浅野長勲の話ばかりじゃない?
幕末の江戸城では行われていたかもしれないけど、他では行われていなかったように読める
浅野長勲も面白い事があるものだと思ったから江戸城の作法について三田村に語ったんじゃないのかな >>58
もっとも、江戸時代には作法通りだったといても、あの当時の徳川家ではどうだったかという まぁでも当時の作法なんて記録に残ってないんだからそこは想像するしかないだろ
そもそも時代劇の所作は大概江戸時代以降の記録とか、
歌舞伎なんかの伝統芸能から持ってきてそれ用に作ったもので
別に史実通り正確にやってるわけじゃないから
わかりやすいところで言えば、戦国時代の女性は座るとき
片膝を立てているのが史実的には正確だけど、
戦国時代のドラマではみんな正座しちゃってるだろ
江戸時代以降の作法であっても、時代劇的にはそれで正解なんだよ 江戸末期の風習を戦国時代に持ち出すと馬鹿っぽくはあるが、まあこのドラマの場合今更感があるので別に気にしない。 >>61
だって戦国モノで立膝で座っている女性が出てくると、みんな「朝鮮人かよ」って騒ぐもん
なんでかつての日本の習慣は知らないのに朝鮮半島の習慣は知っているんだよって、あれ不思議なんだけど >>63
昔の習慣は知らないが今の習慣は知ってる、ということでは?
俺も韓国に旅行に行った時、みんな立膝でひじついて食ってるのを見てゲンナリした 日本で女が昔片膝立てだった事もあまり一般に知られてはいないかもしれないけど
朝鮮が今でも?そうなのかだって一般の人たちはほとんど知らないんじゃないのかな
一部の朝鮮マニアだけが騒ぐんじゃね?
それとも韓国ドラマとかではよく出て来てそれなりに一般にも浸透してたりすんの?
ヒストリアで日本の座り方の移り変わりをやるとか
大河でもナレーションや字幕で説明するとかすればどうかな
それでも朝鮮マニアは騒ぐだろうか >>65
>それとも韓国ドラマとかではよく出て来てそれなりに一般にも浸透してたりすんの?
韓流の時代劇では立て膝だからそれを見てる人かなぁ。 >>66
んー
俺は個人的には韓流ドラマは時代劇も現代劇も観た事がないんだけど
時代劇でも現代劇であっても片膝立てが普通に出てくるなら
それなりに知られてる事なんかなーとか
現代劇では片膝立てとかはないん? 片膝立てて座るのってあれ疲れないのかね?
正座も足しびれるだろって言われりゃそうだが 色々肖像画見ると、しっかり片膝立ててる人も居るけど
勝頼の妻の北条夫人は割とくつろいで足崩し気味に座ってるように見える
正座とどっちがラクかは個人差あるだろうが 天正3年(1575年)
5月21日 長篠設楽原合戦
6月 光明城攻略
8月 諏訪原城攻略
42話
万千代万福が武具の修繕を始めて1ヶ月と言った頃がおそらく6月で
家康が浜松に戻ってきたとき蝉が鳴いてたから多分8月だったんだろう 徳川は6月に二俣城も攻めてるけど籠城されて12月にやっと開城
8月に小山城も包囲したけど勝頼が来たので撤退 >>63
66の言うように朝鮮の風俗としての女性の立膝座りは
韓流の時代モノや宮廷ドラマで見て知った人も多いんじゃないか
[チャングムの誓い」なんて人気あったし再放送の回数も多いもん
で、それが拡散されていろんな輩の知ったかにもなってるパターンもあるだろ
日本女性の 「立膝座り」 を説明したいのなら戦国期〜江戸初期の
夫人・姫、尼僧等々の女性肖像画でも見せて説明すりゃいいじゃん
>>69
高野山持明院にある勝頼、信勝、北条夫人の画像?
あの北条夫人は片立膝でそこに手をかけてるように見えるけどね
ちょうど先日に奈良県立美術館に行ってきて
「伝 淀殿画像」(今の時期に展示されているのでは無い)の絵葉書を買ってきたのだけど
これはどうやら胡坐に見えるな 天正3年を長々やってたと思ったらいきなり天正6年に飛んでしまった
上杉謙信はもう死んだのかどうか
天正4年の万千代が手柄を立てた逸話は採用しなかったわけね
っていうか時期をずらすのかな
天正3年(1575年)
11月岩村城陥落
12月24日二俣城攻略
天正4年(1576年)
(2月芝原の戦い 万千代手柄を立てる)
3月今川氏真が遠江牧野城に入る
天正4〜5年、徳川はずっと武田と小競り合いの繰り返し 44話、最後に蝉が落ちてたから多分8月頃までいったと思うが
天正6年(1578年)
3月3日 田中城攻め
3月13日 上杉謙信死亡
7月15日 祐椿尼死亡
8月22日 田中城攻め 【 ついに出陣 】「おんな城主 直虎」関係者が語る、井伊直政の初陣と「赤備え」の継承
https://rekijin.com/?p=24213 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています