【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
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師直が尊氏の屋敷を包囲する回の朝日新聞朝刊の番組紹介で
結構なネタバレをかましていたのが今でも印象的 アカヒの華麗な嫌がらせw
太平記位までは、お化け視聴率が当たり前だったもんねえ お茶やお花が武将の嗜みだったのをちゃんと意識したのも太平記だった >>11
あれほどわかりやすく
魅せてくれる人もいないからね
判官殿w というか茶寄合や立花なんかは、ちょうど太平記の時代が勃興期で、当時は流行に敏感な
人が飛び付くようなホットなトレンド。
それがもう少し後の時代(東山文化期)になると、いわゆる茶の湯や生け花という形になる。 たいがい片身替わりの服を着てたな判官殿。
バサラ大名は室町のファッションリーダーという表現か。 信長より200年以上前だからね
前衛的過ぎるw
片身替わり >>14
ただ道誉の重要な点は、彼が北条得宗家とも親戚関係にあるような名門御家人の生まれで、
古典的な教養のベースなんかもしっかり持った上で、新たな流行文化に関わっていること。
単なるミーハーな成り上がりとかではないことが、逆に深みを増す。 判官殿の肖像画と
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子孫である豊岡藩藩主家の現当主、京極高晴氏
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って似てね? 新・水戸黄門の武田鉄矢のキャラが楠木正成とまったく同じな件 >>20
吉川英治もあとがきに書いてた
肖像画と子孫がそっくりだって >>20
京極氏の嫡流って丸亀藩じゃなかったっけ? 太平記と同時代で映像化されてる作品て一切ないんですか? 「北条時宗」に尊氏と高時がちょっとだけ出ているね。 >>26>>27
ありがとうございます
戦前のは無声映画ですか? まあ「北条時宗」での尊氏と高時の登場は、本編ではないけどね。 しかし京極が近世まで大名で残ったことを考えると、六角は上手く残れなかったのかな? そういえば最近、三河屋を見ないけど、ついに諦めたのかな? 足利の分家の序列ってどんなかんじなの?
20話では吉良と今川が他よりも前にでてきてるけど DVD見てるけど、セリフの言葉が難しすぎるよ
このドラマ 二人称=御辺とか
すきだけどな
今の大河だとまず使われないけど >>40
本来は斯波と吉良が別格。
今川は吉良の分家という扱い。 >>44
このくらいの言葉使いの方が
歴史物らしくて良いと思うけどな
最近のなんて現代人の学芸会みたい >>47
完全現代語の風雲虹とかねえお姉さまの草燃えるとか
チロリンチロリンニャーゴの独眼竜とかは学芸会ということだな DVD見直してるけど、来るなと言ってるのにのこのこ近づいてきて
勝手に切られて死ぬ藤夜叉の馬鹿さ加減はどうにかならなかったのか・・・(´・ω・`) 言葉遣いを古風にするのも、時代劇をそれらしく見せ、臨場感を出す立派な演出だからな。
多少聞き慣れない言葉や言い回しがあっても、まともに日本語が出来る人なら、ちゃんと
見ていれば、何を言っているのかは、文脈や雰囲気で十二分に分かるレベルだし。 藤夜叉と石は第1回から子役使って描いてたほどの、ある意味裏主役
華やかな人生を歩む主役とは対照的な存在だった
苦労してようやく幸せな生活を手に入れたのに、切なかったな
藤夜叉は今回、石も次回あたりで退場して、その後はどんどん主要キャストが消えていく まあ「太平記」は後半になると、サブタイトルも登場人物の死を意味するものが増えるし。 >>23
(京極高次流)
出雲松江藩→播磨竜野藩→讃岐丸亀藩、讃岐多度津藩
(京極高知流)
丹後宮津藩、丹後田辺藩→但馬豊岡藩、丹後峰山藩、
「鬼平犯科帳」で、長谷川平蔵の上司として登場する京極備前守高久は、丹後峰山藩主。若年寄に任じられ、寛政の改革期の幕政に参与した。 2ちゃんは匿名の掲示板ではないです
■ 2ちゃん管理人ブサイク池沼男の仕事 ■
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1508516238/
http://hebi.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1508516195/
2ちゃん管理人ブサイクおっさん50歳と60歳のチビの仕事は目立つユーザーへのハッキング、特定するためのストーカーです
この二人は身長160センチほどのチビです
あとIDを変えて自作自演の書き込みです この時代の風習として
婚前交渉はありなの?
登子は結婚する前までに
高氏とやってたのかいな
それとも初夜権の風習とかがあったりして 当時、高一だった自分はこのドラマの台詞のおかげで
古典が高校の得意科目になったぞ。 >>52
結局、ましらの石が、なぜ足利家を仇と誤解していたのか、本編中で説明がないまま退場してしまったな 石がなぜ足利を敵と認識したのかは、第1話でしっかり描かれているじゃんw 自分、足利市民なんだけど、リアルタイムの放送当時12歳だったんで、よく憶えてなかった >>62
宮沢りえの胸に尊氏が手を突っ込んだとこは覚えてるだろw >>61
なぜ認識したか、ではなくなぜ誤解したか、だろ
本来は何らかの種明かしが用意されていたのだろう いや種明かしされなかったのは、それがそもそも誤解だったのかどうかということ。
そう認識した(あるいは誤解した)理由自体は、「三河国富永保」が足利の領地で
あるからということで、ドラマのなかで明示されている。 千種いつの間にか消えてたけど
討ち死にシーン撮り忘れたんかな? 判官殿の
「千種殿は露と消えた」
で終わりだったはず 古典太平記でもこの扱いの差よ
楠:出撃からその最期まで克明に描写
結城:尊氏暗殺の試みを描写。梅松論にも記事がある。
伯耆:決死の出撃の描写有り
千種:ナレ死 三木一草のはずが姿をほとんど見せないまま退場した結城殿もいるぞ
脇屋義助が「三木一草ことごとく滅んだ」みたいなこと言って全滅が確認できた 結城殿が死んだのは大逆転の回だから仕方ない
あの回2話に分ければ結城殿の感動の最期も多々良浜の合戦もやれた 石原良純が演じた脇屋義助も、いつのまにか劇中からドロップアウトしてたな >>74
多々良浜の戦いって、その回限りの登場人物も多くなるし、まともに描くのは正直難しかったと思う。 >>76
新政のどこかでちらりと顔を見せてるとは思うんだが詳しい人頼む >>79
尊氏が楠木正成に根回しした大塔宮排除会議にモブキャラで出ているよ
正成に「結城殿はいかが?」と問われ「げにも」と答えているが、その顔ははっきり映っていない >>72
小島法師も千種忠顕の増長ぶりには激おこプンプン丸 千種のフェードアウトはモックンの写真集が原因って説が、放送当時あったような・・・? 結婚式の衣装で直垂をきてみようかと思っているんですが
太平記で婚礼のしーんってありますか? 但しこのドラマの婚礼の場面での尊氏は、直垂ではなく、白い狩衣&立烏帽子だったな。 登子は昨日の月がどのような姿であった気にしませぬ
また知ろうとも思いませぬとか言ってたくせに
思いっきり気にしてるやんけ! 名前からして脇役の脇屋義助ごときいちいち退場シーン用意してたら、
面倒臭くて仕方ない。キリがない。
だいたい演じてた奴も三流役者だし。 モーニングの太平記漫画打ち切られちゃった (六波羅陥落まで) 残念 >>53
誰かの死がサブタイになっている回
32 37 39 40 41 42 49 突如TLにあふれる足利尊氏
わりとイケメンおじさんだった 新聞社のサイトのトップに名前が出てて朝から嬉しかったわw >>6
軍議など開いてどうする?判官殿とやり合うても始まるまい…
軍議など無用じゃ。それより、兵を半里ほど下げてくれ。 >>46
中学の歴史クラブレベルのレスか?
その言い方ただと分家=格下と勘違い
するだろ
斯波も吉良も分家扱いだが、何で別格なのかも説明せなあかんな
別格かそうでないかの違いは、鎌倉期に三河に広域の所領を持っていると別格だ
足利宗家 三河国額田郡、設楽郡
吉良氏 三河国幡豆郡吉良荘
斯波氏 三河国碧海郡碧海荘、八名郡
宗家に対抗心を燃やした斯波氏は、本当の本貫地、三河の所領を没収されて、家臣の家格に下げられた
今川氏は、吉良氏に今川荘を取り上げられて遠江に移り住み、一色氏は、初代が嫁のどーちゃんから一色の所領を貰ったが、その所領は吉良荘内にあった為に、結局は居づらくなって関東に移りんだ >>91
もし、義冬が継いでいたら南北朝からいきなり室町時代を通り越して、戦国時代になったかも?義詮だと南朝の後醍醐帝の血筋だから、南朝側にとっては良かったよね。 足利尊氏の顔決定? 肖像発見 | 2017/10/27(金) 7:39 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6258925
NHKでもやってた。紹介文に長寿寺殿と書いているらしい >>101
これはこれで、
真田広之をふっくらさせたら似てるような。 >>101
「世界一受けたい授業」で「足利尊氏と言われてる肖像が、実はただの騎馬武者だったらしい」
という話題の時
ゲスト解答者の西岡徳馬が
「僕足利尊氏主人公の大河ドラマ出てたんだけど、
真田くんずっとその肖像画を持ち歩いたなあ。
休憩中でもそれ見て役に成りきろうと集中してましたよ。
まあ今となったら、それは別人だったとかとても言えないけどねw」
と笑い転げてたw >>101
神護寺三像(源頼朝像・平重盛像・藤原光能像)が、それぞれ本当は、
直義像・尊氏像・義詮像だという説があるけど、この肖像画は、神護寺の伝平重盛像とは
似ているの? まああの終盤近くのヒゲ面姿は確かにあの肖像に似せてたよな。
つーか尊氏ってヒゲなんて生やしたことなかったのでは? >>104
ただの騎馬武者って説もあるの?
師直説は知ってましたが。 >>105
よく似てると思う
だとすると弟は伝頼朝像みたいな細面で決まりだな
弟は銀縁眼鏡を付けてクイッとしてほしい あれって最近は、“高師直説が有力な騎馬武者像”みたいな説明が一般的じゃね?
鎧に描かれた家紋が足利ではなく高のものであること、騎馬武者の頭の上に義詮の花押が
あることから、足利将軍家から見て家来筋に当たる高一族の誰かであることは確実だが。 >>103
間違えました。御指摘ありがとうございました。 >>104
俺足利市民だけど、初回放送前に入手した太平記主要キャストの顔写真付きのパンフで、‘円喜の息子’という短い説明文と一緒に「長崎高資 演:西岡徳馬」とだけ記載されてて、ただ一人顔写真が掲載されてなかった
放送開始直前まで、長崎高資役の俳優は決まってなかったのかな? 1991年の大河ドラマとは言っても、収録は1990年の夏か秋に始まる筈なので、笑ってはいけないシリーズの収録と被る可能性があり、忙しかったからではないのか?芸能界は、ダブルブッキングを嫌う傾向だと聞いた事がある。 ちなみに、笑ってはいけないシリーズが開始されたのは2003年から >>113
91年だと東京ラブストーリーの
赤名リカの上司の部長役で
初めて知ったころだ >>114
96年だったかダウンタウンの野球拳やってたな
幕張メッセ会場で乳首見せちゃった子がいたw 写楽って映画で真田広之、フランキー堺、片岡鶴太郎が共演してるらしいけど観たことある人いる?
面白そうなら借りて来ようかなと >>112
西岡徳馬は、前年放送の「翔ぶが如く」にも(序盤だけだが)出演していたから、
「太平記」への出演は急遽決まったものだったのかもな。 当然 内容は大昔、コント55号でやってたやつの焼き直しだそうだけど
結構な視聴率だったみたいだよ
それが日テレ大晦日の顔=ダウンタウンにつながる 太平記の公式ガイドブックには西岡徳馬載ってたように記憶してるんだが。
後半登場の高橋悦史と小松方正は確かに載ってなかった。 公式ガイドブックでは勾当内侍役の宮崎萬純が義貞が亡くなった後のことも書かれるそうで、楽しみにしています、
とコメントを寄せていて騙されてカワイソス、って思った 石も当初の脚本ならちゃんとした形で退場させていたんだろうな せごどんより、風雲児たちを大河ドラマにしてほしい。。
来週の昼の大河は足利パパが本格登場する回だね >>127
鎌倉倒幕パートに既に登場している小松方正を後半登場というのは如何なものか・・・。 最終回重要人物が尊氏に会いに来ては消えて(死んで)いくんだけど
あの中にましらの石も入ってたかもしれんなあ・・・ そもそも尊氏からすると石はカスみたいな存在だからどうでもいい。
太平記の視聴者からするとけっこう重要なキャラではあるが。 >>104
真田さんならありそうだなw
もう明治になってるのにチョンマゲ裃姿で東京を歩いて警官の首を斬り落とすというシーンにも
、あえて近代化西洋偏重に抗う頑固な侍もいたかも知れない、という表現の一部。」
と自分自身を納得させて真摯に取り組んだ。
トム・クルーズと「背があんまり高くないイケメン」というキャラが被ると警戒されて
ハリウッド側から出番が大幅カットにされてそのシーンも幻になったけど(T0T) 太平記全部見ちゃった
面白かったわ
これから何を楽しみにしたら… 9日20:00-BSプレミアム
英雄たちの選択
をチェック! ええい会議はいい
ギンシュを出せ!
ギンシュはまだか! 石と花夜叉一行は当時の風俗を知るのに欠かせない人物だった あれは大男と小男、デブ女がいたりして、
日本中世の旅芸人一座というより西洋のサーカス団みたいだったけどな。 >>144
風俗といえば、藤夜叉は最初尊氏の夜のお相手をしてたな
まさに風俗嬢、しかも一発命中 一応断っておくけど風俗ってそういう意味の風俗じゃないけどな 昔(昭和初期ぐらいまで?)は遊園って遊園地より主に赤線に使われる言葉だったそうだからな
(東京・亀戸の赤線なら亀戸遊園とか) DVD6巻まで観たけど「鎌倉炎上」の集団自決のシーンはきつかった…。そりゃあDVD冒頭で「現在では不適切な表現が〜」って出るわ…。て言うか当時でもよくあのシーンを作ったものだ >>150
「鎌倉炎上」リアタイで視聴したけど、まさに神回だったよな >>150
血がダラダラ流れているわけでもないしなぁ…
先週、東京MXでウルトラマンレオの再放送を見たら人間の胴体を真っ二つにして血塗られた遺体を晒していたいぞ
ちなみに殺された男性が連れていた息子・娘が駆けつけた先が太平記で上杉憲房を演じた藤木悠のところ >>150
番場の六波羅壊滅も映像化したらきついだろうな >>142
予告編を見た感じだと、ゲストは本郷さんっぽいな。
>>145
猿楽は、本来ああいう雑技団みたいなものだよ。 >>150
不適切な表現は、上半身裸の女性とかが出てくる件じゃないの? >>156
違う、鶴太郎の変質者演技が好きだったw >>159
鶴太郎の後半の柄本明の
変態ぶりは秀逸だったなw 増長した師直が尊氏にひっぱたかれて怯えるシーンがすごかった >>161
集団自決のトリを飾った円喜も、なかなか良かった。 >>162
立場利用して
わいろもらってた
息子高資をフルボッコにする
円喜もすごかった 扇子は痛いから、せめて、ハリセンにして欲しかった。 【日本史】「鎌倉」でなく「北条時代」が区切り 時代区分に新提案 明治以前を「古墳→大和→山城→北条→足利→織豊→徳川」★4
/test/read.cgi/newsplus/1510225144/ 「英雄たちの選択」の選択で観応の擾乱をやっても、このスレでは何も話題にならないんだな・・・。 直冬が本格的に出てくる頃になると
急に面白くなくなって観るのを止めてしまう
若き尊氏が色んな経験を経て成長して行く前半の方が圧倒的に好きだな、丁寧に描いてるし 今の大河みたらそれでもかなり面白いと思ったよ
筒井も素人演技だったけど
菅田の現代のチャラチャラな酷い演技よりは全然まし
まあ演出が酷すぎるのが諸悪の根元なんだけどもさ
大河ドラマも酷くなったもんだね >>174
ドラマのクライマックスである観応の擾乱を見ないなんて勿体なさすぎw このドラマのクライマックスって観応の擾乱か?
どう見てもクライマックスは鎌倉炎上、もしくは湊川の戦いと思うが 私本太平記が湊川のところでほぼ終わりだから
尊氏生存中でも武蔵野合戦とか神南合戦とか東寺合戦とか
真面目に描けば熱いシーンは多いのだが >>178
3回ほどはちゃんと通して観たよ
それから20回は観たけどあの辺で止めてしまう
まぁこればかりは好みだよな 直冬の出番ってそんなに多くないけどなぁ…
あの棒読み演技はむしろ重いドラマの中での息抜き
最終回の「おのれ、義父上を手にかけおったか」を繰り返し再生しては笑い転げている >>174
ひたすら内ゲバで悲惨な話ばかりだからね…
高揚感も達成感もないし >>179
私本太平記が云々はどうでもいいが、ドラマとしては、どう見ても高嶋弟が殺される
観応の擾乱がクライマックスだろw
木切れの伏線もここで回収されるわけだし。 >>182
直冬と楠木弟はロクヨンで共演してた
未だに赤井はボロクソ言われてたな 赤井は地のままの関西弁で粗野な感じでやればよかったのに
七生報国の人の役だから下品にさせられなかったのか
いや、その割には単純バカみたいな描き方をしていたな 問題なのはどの作品でも赤井は評価が悪いことなんだよな
ロクヨンでもそこまで悪くはなかった
田舎の果樹園の経営者という役ですら嫌われるんだからなあ 赤井と真田広之は、このドラマと同じ頃、「高校教師」で共演していたね。 前スレからしばらく大河板から離れてたが…
>>89
それと史実の脇屋義助は戦死や自刃じゃなく病死だったからな。
義貞が流れ矢で落命してから5、6年ぐらい年数空くが当作でその時期は尊氏母の老死(1343年)だけ描写されて一気に四条畷の合戦(1348年)あたりまでスリップした。
まぁ太平記オタとしては良純も無難に演じてくれたと言ってやりたい…
>>189
そこをワープするのほ仕方ないだろう。
あとドラマでも明示されているが、清子の没年は康永元年(1342年)だな。 ユリウス歴の1343年1月23日が命日だから陰暦だと前年12月没になってるな… >>169
録画してあったのを見た
新しい情報はなかったが、観応の擾乱を取り扱ってくれたのが嬉しいね いま本放送中の歴史シリーズか
オンエア済リスト確認したが
その時歴史が動いたとか旧シリーズではスルーだった元弘の変や建武新政の挫折も補完されてたんだな… >>193
「そのとき歴史が動いた」は、松平定知氏が昔ながらの南朝正統史観の人で、そのため
番組で取り上げるネタからも南北朝前後の時期を忌避する感じになったと聞く。 あぁそうか、松平以前の90年代のNHK歴史シリーズの記事もヒットしたから見に行ったら当時も千早城とか新政とか太平記テーマの放送リスト上がったわ… 赤井英和は一時標準語を喋る役柄にも挑戦していたが、
うまく行かず、結局関西弁オンリーの役者に落ち着いたようだw
國村準あたりとの差が出たな。 >>196
1990年代前半は、このドラマや「花の乱」とのタイアップで、逆にこの時代のネタは
その手の歴史教養番組にも多かったと思う。 >>200
國村隼は、大河だと藤原忠実役がなかなかの存在感だったな。 >>198
竹千代、梵天丸、しょうじゅ丸、元就、直虎しかわからん >>203
このスレ的には一番肝心なのに気付いていないのかw >>198
又太郎いた。その右は吉法師?
神木きゅん牛若、龍馬、八重、あとは浅利陽介の時宗もいるね。 意外にこのスレの人でも「花の乱」を見ていないんだな
完走しないまでも第一回だけは見ていると思っていたのに >>198は大体放送順に並んでいる感じかな?
「太平記」の又太郎の隣の隣に「花の乱」の椿が見える。 >>206
放送当時は途中で挫折したけど、最近全話観たよ
もちろんYouTubeで 日野家ではあるけど俊基よりけっこう昔の代で分かれている
もちろんトミ子のほうが格上ね 日野家の本流は、「資」と「光」の通字を一代おきに交互に使うからね。
どちらの字も使われていない俊基は、完全に傍流だな。 花の乱はトミ子と将軍様が若くて美形なとこまでは見た。
いきなり将軍様が顔テカテカのおっさんに変わってしまって萎えて見るのやめた 野村萬斎と
草刈正雄目当てで見てた
どっちも死にざまが凄いw オッサンにしか通じないネタだからナウなヤングはスルーが吉 そういや、このドラマは宮沢りえ、樋口可南子、モックンと、
篠山紀信に脱がされたのばっかり出てたな >>220
しかし当方が分からないとなると、オッサンというより高齢者にしか通じないんじゃね? >>223
40代のナウなヤングは引っ込んでいてくれませんかね これを国会図書館で読んできた
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/bmanga/yuguti.html >>229
ウチは地下鉄運賃、百数十円で行けるからね
今は寒すぎだけど季節が良ければママチャリ漕いで行くこともある >>231
国会図書館はコピー代が高いのがネック。
都内なら大学図書館とかもたくさんあるし、
あえて国会図書館に行くことは自分はあんまりないな。
他で探せない貴重書とかを見に行ったことなら、そこそこあるけど。 前に国会図書館行ったとき
ジャージで髭面のおっさんが
花とゆめのバックナンバー机に積み上げて読みふけってた
地方で憧れてた場所をナチュラルに普段使い方してる都会人すげーと思ったわ
都に上って間もない高氏の気分だったわ >>198
直江兼続がいたw
一番下の左から二番目不細工すぎねえか。誰かは分からないが >>232
外部利用者でも使える大学図書館がいくつもあるのって千代田区民だけだろ 後醍醐天皇のカリスマ性に較べると、現天皇はただのジイサン この大河で一番美化されていたのは主人公じゃなくて後醍醐帝だと思う 先週の氏真カッコ良かった。
磯田先生の番組もNHKソフトオンデマンドで遅ればせながら見ました。
我らが大御所が取り上げられるだけでもほんと嬉しい。 >>235
最近は、大学図書館とその大学が所在する自治体が連携して地域住民に開放しているケースは結構ないか? 田舎ならいざ知らず、23区やその周辺市なら、どの自治体も大学の一つや二つは
あるんじゃないか?
あとそれ以外に、自分自身の出身大学や仕事をしている大学の図書館を利用する方法もある。 >>242
しつこい
>>232は「たくさんある」って書いたよな 一つや二つがたくさんかよ >>243
都内にはたくさんある=都内なら各自治体単位で見ても一つや二つは確実にある
なにも論理矛盾はないのだが・・・。
というか、しつこいのはそっちじゃないか?
だいたい、しつこいと感じるなら、一々こちらに噛みついて何時までも話を蒸し返すの止めたら? 儂の犬は檻のなかにいるから可愛いのじゃ・・・。
噛みつく者は檻のなかがよいぞ、檻のなかが! 佐々木判官、申したき議あり。しばしお控えめされよ! 後醍醐天皇は(結局失敗に終わるが)利権をバラ撒けたからなぁ
阿野廉子と後醍醐の会話にもあったが功なく群がる連中いっぱいいたんだろうね
功無しが視点によって変わるのが難しさ
のう、赤松円心殿? バラ撒きは求心力の維持のためには必要だし、その後の室町幕府だって、南北朝期には
かなり露骨にバラ撒きをやっている。
赤松の冷遇の件は、廉子派と護良派の対立という背景があるから、これとは別次元の問題だろう。 最近は「英雄たちの選択」とかでも室町が時々取り上げられるけど、また大河でやることはないのかな? 大河ドラマ「明治天皇」
主演:仲代達矢
出来ないことはない 放送期間二か月かけて主人公の人生の1年を消費する感じで >>260
そこで挙げるなら室町ヲタ的には足利義勝だろw >>262
花の乱で義政に犬追物に誘われて
落馬して死んでたな
誘った義政が兄貴溺愛してた母親に
そなたが死ねばよかったのじゃって言われて
あのキャラクターにw 母親に「お前が死ねばよかったのに」とか言われたらああもなるわなw 「花の乱」で日野重子が最期に富子に向かって、“お前は本当の富子ではなくて鬼の子だ”というようなことを言った後、
義政に対しても“お前も本当の将軍じゃない。本当の将軍は義勝”って言ったのには、
笑ってしまったw 第1話で出てきた富子と鬼の子の入れ替わり設定は、「花の乱」が低迷した大きな要因だったような気がするな 「太平記」と「花の乱」の間の時期の作品が欲しいよな。 そういえば藤夜叉が死んだ時、ナレーションが藤夜叉は再び死んだみたいなこといってたけど、ということは以前も死んで生き返ったってことなの? >>268
義満を忘れているよ。
>>269
そんなナレ、記憶にないのだが・・・。 そもそも三河バカみたいな思考の人間って、どこでどう育てばああなるのか不思議だw 倉山満が陣内の佐々木道誉を絶賛してたけど、実は陣内の
俳優デビュー時の役名がコマンド佐々木なんだよな。
バサラだぜ。 陣内はこの大河でトメにもなってるが、最もキャリアの短いトメなんじゃないか? >>279
終盤で重鎮キャラが退場した後の頃かな? 太平記に出た後で大河の主演をやったのは千種本木だけ? 子供の頃、意味がわからないまま見てた(というよりOPの天狗が怖かったのでまともに見れなかったw)から今になってこの時代の面白さと足利尊氏の凄さを知ってレンタルで一から見てみたいと思う >>281
本木だけだな。
ところでモックン、柄本師直とは映画でもドラマでも結構共演してるね。
>>282
俺はようつべで1から見たわけだが。 鎌倉まで行って腹切やぐら見てきた。はるか山奥やな昼間でも薄君悪いじめじめしたところだった。
さすがに夜一人で行く気にはならんなあんなとこ。とりあえず今週の日曜日やったがあれ以来体調が
悪い。明日の仕事は休もうか… 北条時宗
見始めたけど
足利が長崎高資と阿野廉子の
夫婦とか
w
金沢の先祖とか赤橋の先祖とか
今見ると面白いな 【第三十二回】太平記 part.32『>>287死す』 義貞や高氏の言う 南無八幡って
豊岡八幡宮のことですか? やはりトメのクレジットは
「後醍醐天皇 片岡孝夫」
でなければ。 石清水八幡宮で元服した八幡太郎義家から南無八幡大菩薩だよな >>297
八幡宮の祭神は応神天皇だけど、実は河内源氏の本拠地が応神陵のすぐ近くなんだよな。 じゃあ頼信やその前から八幡信仰だったのか。頼朝が鎌倉殿になったから後家人全ての崇拝を受けたわけね 鎌倉の鶴岡八幡宮も、元を辿れば頼義が前九年合戦の際に建立したものらしいよね ちくま学芸文庫で
応仁の乱を描いた軍記もの「応仁記」の現代訳版が出てた
これは、以前出版されたものの文庫化らしいけど
今、応仁の乱がプチブームだから出たかな
太平記の方は、読もうと思ったら
手に入りやすいのは、私本太平記か岩波の現代語訳かな この前神戸のめんたいパークに行こうとしたら阪神高速で姫路と大阪の分岐点を車のナビがスルーして思わず姫路方面の分岐点に入ってしまって最初は何やねんこのナビ、アホかボケと思ってたんだけど
経路を修正したナビの通りに一旦阪神高速を出て下道を走ってたら湊川ICに辿り着いた…
なんで湊川…
太平記は好きだったけど太平記に関わりすぎると祟られるって思い出して背筋が少し寒くなった >>304
ただ正直「応仁記」程度の軍記だと、原文で読んでも大して難しくないし、現代語訳の
需要って、どんなものなんだろうね? 京都観光のついで・・・といっても京都駅からちと面倒な京阪本線に乗って
(注・特急は止まらない)八幡市駅で降りて
男山参道を歩くかまたは京阪のケーブルカーに乗るか、でちょっと手間だけど
岩清水八幡宮はほんとにいいよ
展望台からは大山崎や天王山が見渡せて、遠く愛宕山に比叡山がかすみ
宇治川、木津川、桂川が三川合流して淀川となる地点もちらと見え
ここが山背国と河内の国境であり古来からの要衝の地ということが良くわかる
岩清水って今はとても地味ーだけど(市も八幡市)祭は勅祭だし
都の逆鬼門を護る王城鎮護の大事なお社で
幕末の天皇行幸や和宮が降嫁する際に参拝したような由緒なんだよな //shirousagi.hatenablog.jp/entry/gyakusetsunonihonshi7/
日本史
・・・作家の井沢元彦さんは、「逆説の日本史7 中世王権編」で、これらとは違う独自の見解を述べています。井沢さんは、明治天皇が南朝を正統とした理由を怨霊信仰だと考えています。
日本は古来から怨霊信仰が盛んだったというのが、井沢さんの日本史全体の捉え方です。そして、明治天皇が南朝を正統としたのも、怨霊信仰が根底にあるからだと。
・・・■太平記の世界で怨霊となって暴れる後醍醐天皇
太平記は、前半は史実を描いていますが、後半は楠木正成や後醍醐天皇などが怨霊となって暴れる内容になっています。
これが、日本古来から続く怨霊信仰なのです。後醍醐天皇のように高貴な人が非業の死を遂げると世の中に災いをもたらす、古代から日本人はそう考えていたので、怨霊鎮魂のために様々な工夫をしてきました。神社の建設や祭りがそれです。
後醍醐天皇の怨霊も、敵方の足利尊氏が京都の嵐山に天龍寺を造営して鎮魂しようとしました。しかし、それでも乱世は続きます。
だから、物語の世界で怨霊に好きなだけ暴れまわってもらえば平和が訪れるに違いない、そう考えて太平記の世界で後醍醐天皇たち非業の死を遂げた人々を活躍させたのです。
怨霊をなだめる、というのは一体どうすればいいのか。一番わかりやすいのが、「暴れみこし」である。普段神殿の奥に封じ込められている御霊を、御輿に乗せ思う存分暴れ回らせることだ。それによって、怨霊のフラストレーションは発散されるのである。
日本人の怨霊信仰はいつまで続いたのでしょうか? 現在も続いているかもしれませんし、もう怨霊を信仰していない人の方が多いかもしれません。でも、明治時代には、まだ怨霊信仰が続いていたでしょう。
その証拠として考えられるのが、平安時代末期に起こった保元の乱で敗戦し讃岐に島流しとなった崇徳上皇の神霊を明治天皇が京都に戻したことです。崇徳上皇は讃岐で非業の死を遂げています。上皇が生存中でも京都で災害が起こると、その生霊の仕業だと人々は恐れました。
崇徳上皇は、最後まで京都に還りたいと言い続けましたが叶いませんでした。死の直前には大魔王になって呪い続けてやると言ったそうです。
その崇徳上皇の怨霊を鎮めるために明治天皇が神霊を京都に戻したのですから、近代になっても日本では怨霊を信仰していたのでしょう。
南北朝の騒乱は、最終的に北朝の勝利で終わり南朝は吉野の山奥で滅びました。北朝との徹底抗戦を望んでいた後醍醐天皇の遺志は叶わなかったのです。
以来、皇位は北朝系が続き、明治天皇の時代になった時、南朝と北朝のどちらが正統かという議論が持ち上がりました。勝者の北朝が正統だと言えば、後醍醐天皇の怨霊が暴れ出して再び南北朝時代のような乱世が訪れるかも知れません。
それを避けるため、すなわち怨霊を鎮魂するために明治天皇は南朝が正統だとおっしゃったのでしょう。
一番怖いのは後醍醐やその末裔の怨念がこもってる奈良吉野の奥の方だろ。 今の□□に男子がいなくなったら竹○には継承させず
熊沢家に禅譲すれば解決
―――
日本会議スポークスマン竹□□□ 安倍は無実と公言
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/emperor/1502566385/ 赤橋・常盤・普恩寺・塩田などは、すべて極楽寺重時の末裔だな。 原作の私本太平記では藤夜叉はロクに活用されないキャラでしたな。 >>301-302
この辺も面白いね、武士の勃興期あたり。太平記に連綿と続いている。
大河ドラマだと
炎立つ→義経→草燃える→北条時宗→太平記
この流れで見ると面白いよ >>325
確かに面白そう
>>322
極楽寺、金沢、大仏とかいろいろあるのに政村はないのは何で? 政村流は常磐でいいんでないの?生前か死後かはわからないが常磐院覚崇を名乗ってるし >>328
しかし極楽寺の庶流にも常磐という家系があるからややこしいんだよな。 首藤氏(山内首藤氏)まとめ(乳母父、乳母について)
■源為義乳母父:首藤資道
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))
■源義朝乳母:鎌田通清(初代鎌田氏)の嫁
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→政清(源義朝乳母兄弟)
■源頼朝乳母:山内首藤俊通(初代山内首藤氏)の嫁(山内尼)
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→親清→義通→山内首藤俊通(初代山内首藤氏)→経俊(源頼朝乳母兄弟)
鎌田氏補足説明
■真福寺(三河県岡崎市)僧(鎌田政清の兄弟):政清を含む遺体3体を引き取り、真福寺東谷に埋葬する
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→真福寺(三河県岡崎市)僧(鎌田政清の兄弟)
・真福寺(三河県最古の寺)
伝、法華堂は足利義兼、証菩提院は頼氏、持地院は尊氏の建立
真福寺町字薬師山6にある天台宗寺院。霊鷲山降剱院と号し、本尊は水体薬師如来。鎌倉前期成立の『聖徳太子伝古今目録抄』によれば、推古天皇のころ物部守屋の子息の真福が父のために建立、聖徳太子が敷地・田地を賜与したという。
所伝はそのままでは信じ難いが、物部氏の建立という伝承は重要で、物部氏の本宗家ないしその近縁の三河国造の系譜に連なる氏寺と考えることができる。室町後期成立の「真福寺元起」ではいっそう物部真福の創建を潤色している。
白鳳期の塑像仏頭が伝わり、東谷の発掘調査で白鳳期の軒丸瓦が出土しているから7世紀後半の創建は確実。碧海郡北野にあって火災に遭い(遺跡は北野廃寺)、寺基をここに移転したという説は成り立たない。
平安時代に天台宗寺院として再生したが、仁平元年(1151)2月24日に焼失したという。
鎌倉時代に守護・地頭の足利氏などの庇護のもとに盛期を迎えた。法華堂は足利義兼、証菩提院は頼氏、持地院は尊氏の建立という。寺外史料も比較的多く、滝山寺本堂三重塔・惣門などの落成供養に請僧として当寺の僧が招待されている(『滝山寺縁起』)。
山内首藤氏補足説明
■額田山内氏
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→親清→義通→山内首藤俊通(初代山内首藤氏)→経俊(源頼朝乳母兄弟)→山内国俊(初代額田山内氏(三河国額田郡桜形))
・山内国俊の実父は経俊の兄、俊綱か?実母が山内尼であるのなら源頼朝乳母兄弟になる たぶん鎌倉殿誕生までの苦難の前史である為義も義朝も必要ないのだろう
>>325によると まあ東国武士がみな「源氏累代の家人」だったなんていうのも、幕府成立後の後世に
作られた幻想らしいからな。 そりゃ昔は血統や系図なんて
きっちり調べや裏付けがあったとは思えないしな。 すまんすまん、清盛を忘れてたw
じゃあ源平もおさらいする意味でも
風と雲と虹と→炎立つ→平清盛→義経→草燃える→北条時宗→太平記
これでいこう 花の乱→毛利元就→国盗り物語→風林火山
となるわけですね 承平・天慶の乱は、中世というより古代だけどな・・・。 古代でも中世でもいい。坂東平氏がどうやって関東に根を張ったのか勉強になるじゃん。後の鎌倉御家人たちだぜ その段階では、河内源氏は関東に何の基盤も持っていないけどね >>326
江間っていうのもあるんだよな。
義時直系だったか。 BSの再放送、そろそろ「太平記」でもやらないかな? チャンネル銀河は1月から「翔ぶが如く」らしいが、「太平記」はやらないのかな? >>361
最近室町が少々流行っている感じだから、その絡みでどう? このスレ、最近過疎ってないか?
以前は延々と何かしらの話題が必ず続いていたのにw 今参勤交代リターンズで陣内が松平信祝に転生してるぞw >>366
「八代将軍吉宗」では長崎息子だった人か 大河「毛利元就」では、陶隆房時代のほうが遥かに長かったからなぁ。 シエのアレが印象強すぎるけど、何気に陣内の陶も年齢一桁の頃から出ているんだよなw 上にある足利式部大輔ってのは足利式部大夫の間違いじゃね?足利式部大輔が見当たらないんだが 【警察による国民監視衛星の悪用】
◎電磁波を使った国民に対する人体実験・虐待・拷問・性犯罪
『未分類 電磁波による拷問と性犯罪 Archive. is』の記事を御覧ください。
http://archive.fo/sFWAh
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【告発者】高添沼田(葛飾区青戸6)
◎日本全国にたくさんの被害者がいます。
@私、高添沼田のオヤジはこのような犯罪を絶対に認めないし絶対に許さない!!
A私、高添沼田のオヤジはこの犯罪の撲滅のために最後まで闘い抜くことを誓います!!
B私、高添沼田のオヤジは邪悪な警察権力に対して敢然と立ち向かうことを皆様にお約束します!!
C私、高添沼田のオヤジは被害者に代わり自らが電磁波による人体への攻撃を受ける覚悟でいます!!
D私、高添沼田のオヤジはたとえ孫が電磁波攻撃にさらされようとも闘い続けます!!
637長介「高添沼田の孫を犠牲にしてでもこの犯罪を撲滅してみせるっ!!」2017/12/31(日) 14:13:33.07ID:gpbqMfQq
高添沼田のオヤジ「孫への電磁波一斉射撃やれるもんならやってみさらせっ!!」
長木長介「高添沼田の孫への電磁波一斉射撃ぜひお願いしまふ」 >>382
で、それは大河「太平記」にどう関係するんだ? 質問したけりゃ質問すればいいし、答えたければ答えればいい
第3者がどうこういうことじゃない。 大河ドラマ太平記の質問じゃないから不可
最低のルールはある 意味不明w
ある程度この大河に関連する内容なら別に何を話題にしてもOK
需要があれば話題が続くし、なければその話題は自然消滅する。
あと、どこまでがドラマに関連すると考えるかの尺度は人それぞれだし、あまり厳密に話題を限定しても過疎っていくだけだよ 正月からそういがみ合わなくても。判官殿が県民ショーに出てるからそれ見て落ち着こう 判官殿も今年60歳か(年男)
晩年の道誉ならまだできるな
義満大河で、是非演じて欲しい 斯波高経との喧嘩
大花見大会とか映像化したら楽しそう >>391
何かどうしても波風が立つようなトゲトゲしいレスをせずにはいられぬ御仁がいるみたいね。
>>393
斯波高経は、このドラマには登場しないんだよな。
まあ尊氏のセリフのなかでは言及されているけどさ・・・。 来て欲しいのか?
そうでないなら、わざわざ呼び起こすようなこと書くんじゃねえよカスボケアホンダラ 後醍醐の切なるご催促に、楠木正成は重い腰をもち上げた。水分(みくまり)の館(たち)から一族500人の運命を賭けて――。すでに主上は笠置落ちの御身であった。また正成も、2万の大軍が取り囲む赤坂城に孤立し、早くも前途は多難。
一方、正成とはおよそ対照的なばさら大名・佐々木道誉は幽閉の後醍醐に近づき、美姫といばらの鞭で帝の御心を自由に操縦しようとする。かかる魔像こそ、本書の象徴といえよう。 >正成とはおよそ対照的なばさら大名
判官殿さすがっすw タイガドラマモオモシロイケドオススメノジョウホウ
グーグル検索⇒『立木のボボトイテテレ』
XYIN3 >>403
道誉も一時は本気で後醍醐天皇に心酔していたって話もあるが。 佐々木道誉は鎌倉政権が続いてたとしても
そこそこ良いポジションでいられたはずで
倒幕軍への寝返りがますますミステリアスな御人でです >>411
道誉主役の大河だったら飽きなさそう
直虎みたいなファンタジーに走らなくても
笑える人生だし >>411
足利幕府では六角より優遇されてるし、判断は正しかったのではないか 太平記は名作なだけあって
印象に残る台詞が多かったな
直虎なんか柴崎の「うむ」しか記憶に残らなかった かように致しておる間にも、
彼の地では我らの兄弟縁者が…
もはや酒でも飲んで南無阿弥陀仏と歌うておらねば、
はっはっはっはっ…やり切れませぬ! >>411
>佐々木道誉は鎌倉政権が続いてたとしても
そこそこ良いポジションでいられたはずで
それを言い出すと倒幕側への寝返りが一番ミステリアスなのは、尊氏だけどなw
もっとも尊氏にしても道誉にしても「倒幕」という意識はそもそもなかったとも言うが。 だから儂は足利を鎌倉から出すなと言うたんじゃ!
これでは翼の生えた虎だわえ 尊氏は実母が北条氏じゃないからなあ。嫁で薄まったとはいえ。母が北条氏の高義が足利を継いでたらどうなったかな でも高義生母の外祖父は安達泰盛だし、高義生母の父金沢顕時も、泰盛の婿という関係の
ために流罪になったりしているからなぁ。
仮に高義が生きていたとして、史実における尊氏よりも幕府内で微妙な立場に置かれた
可能性も考えられるよ。 倒幕の決意はしなかったんじゃない?母も嫁も北条じゃあがんじがらめよ >>421
史実の尊氏も倒幕の決意なんてしてないと思うけど >>421
それ以前に足利宗家は何世代にもわたって北条一族との婚姻を繰り返しているわけだし、
足利一門庶家のなかにも北条の血はかなり入っているわけだけどね。 新田宗家が世良田と岩松に分割相続されるあたり泣けるわ… 義重が鎌倉殿に色々不興を買って
嫁の実家北条にも疎まれたんだっけ >>433
それ以前に、足利荘を継承している時点で源義国系の嫡流は足利氏でしょう・・・。 義国の正室の子が足利義康、側室の子が新田義重。嫡流は足利ですぜ そもそも足利荘を鳥羽法皇(あるいは美福門院)に寄進して荘園化したのも義康だよな。
後世に足利荘が八条院領となり、足利氏と大覚寺統の間に接点が生じる背景 頼朝挙兵の折、足利義兼はいち早く頼朝の下に馳せ参じ、一方の新田義重は平家に加担する。頼朝の母と足利義兼の母は姉妹、なおかつ義兼の正室は北条政子の妹時子。頼朝と義兼は二重の姻戚関係である 足利氏と新田氏その5
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/toutushou/a_n05.html
幕府の安堵状があるのだが「新田孫太郎貞義」と誤記されている。 これも当時の新田の状況を現していると思う。 北条氏とって名前もろくに覚えてもらってないのだ。 (正しく書かれていれば「新田小太郎義貞」となる)
新田の没落っぷりに涙が出るぜ… >>438
義兼はいち早く頼朝に馳せ参じたと言えるのか?
最初の挙兵や石橋山の戦い、房総半島への逃避行なんかの段階では、義兼が頼朝の近辺に
いるわけではないし、実際は頼朝が鎌倉に入った後に馳せ参じているはず。
もっとも敵対行動をとったり大幅な遅参をしたわけでもないから、血縁の近さと父親同士が
盟友であった誼で、そこそこの厚遇はされているが。 新田は、頼朝が挙兵した頃は結構な勢力だったんじゃなかったかな
足利系の方が優遇されたのは、武田を分割したのと同じ理由かな
って思えなくもない 面白い話だが頼朝の時代まで遡っちゃうとスレ違いでは.....
と、言う事であの場面で石の前に出ていく藤夜叉を観て無理があると思ったのはオレだけでは無いはず >>423
難太平記読んだ事無いのか?
思いっきり決意しとるがな >>431
源義重は重鎮としてリスペクトされていたぞ
やらかしたのは政義だ >>434
足利荘は源氏の所領じゃないぞ
源氏累代の所領は八幡荘だ >>435
正室、側室の区別はついていないぞ
分かっているのは義康のかーちゃんは二号さんだけだ
あと、足利義康ではない源義康だ
義康を足利と書いた資料は一切ない(江戸期に書かれた資料はある)
気を付けろ >>436
義国と義康は寄進される院側の代理人で、寄進する秀郷流足利氏側の人間ではない
史実かどうかは知らんが、義康の母方の曽祖父さんは信西で、父方の曽祖父は美福門院と従兄弟だ
寄進云々、八条院云々で接点で糞もないわ >>438
頼朝の母と義兼の母が従兄弟は結構だが、カッコして但し書きをしっかりつけよ
事実は、義兼の母親は頼朝の母親の兄の娘だ >>438
平氏に加担なんかしてないぞ、新田荘でふんぞり返って、眺めていただけだ
以仁王の令旨を行家から、義兼は三河で、範頼は遠江、頼朝は伊豆で見せられたんだが、そりゃタイムラグはあるだろう >>436
追記だが
信西のダチが家成でその息子が、新田荘の領家の忠雅だ
また一つマニアックに賢くなったな でもなんか三河っちよりもすんなり読めるというか。
芸風変わったのか? 三河屋だろw張り切ってんなw今年の大河は絡み難いからなw >>444
北条を打倒する決意はしても、倒幕を決意したと言えるかな? なんだ三河屋だったのかw
まあ確かに三河も中世も関係ない今年の大河には絡みようがないな・・・。
しかし、だからといって暫く平穏だったこのスレで、また暴れられてもなぁ 戦国時代の三河に西郷氏がいたよね。菅沼新八郎と行動を共にした人 >>459
隆盛の家系は、三河西郷氏(一色氏が三河守護だった時代の守護代の家系)が三河に
移住してくる前の、肥前西郷氏だった時代に、頼母の家系とは分かれているんじゃないかな? >>446
(足利貞氏)
一兵たりとも、この足利荘から三河勢を生かして帰すな!! >>461
まあ西郷隆盛の先祖が三河にいるわけないってことだな。 頼朝も足利義兼も半分尾張人だからなw
尾張の底力は凄い! いや、これは文観の淫謀、もとい関東調伏の由縁だろう 新田は自前の新田荘に八幡荘まで持っててデカい勢力だったのに子孫は世渡り下手すぎるだろう 遥か後には、あの東照大権現が出るのだから、ヨシとしようじゃないかw 上野などどうでもよい!
それよりもまずこのスレに現れた三河屋をまず討つべきであろう
足元に火がついておるのじゃ〜 そろそろ足利殿が御出陣なされるころと思いましてな。ニヤニヤ 八条院領に感謝とか意味不明なんだがw
三河屋さんかな? 三十四話まで観たが面白いのう。全話観てないのに個人的に大河トップ3に入るわ
尊氏って割りと流されるタイプだなあと思うが、あんだけアンチが多いのもかわいそうではある 優柔不断に天下の政を任せてはいけないという典型例だな尊氏は >>486
湊川の戦後処理時に直義が実権持ってたら後醍醐の処遇が適切だっただろ(害し奉る) >>491
赤いミツ鱗を知ってるか〜
白い二つ引き両を知ってるか〜 >>478
長谷部信連を巡って 第2章 以仁王令旨
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/nob/nob-2.htm
八条院領を中心に以仁王の令旨が伝えられたから?
それだと河内源氏の棟梁っていうより、源平合戦時の源氏全体じゃないかな。 この大河はクレジット順がコロコロ変わるのが面白いな
鶴太郎の北条高時や楠木の武田鉄矢はトップ3番手やら中盤1番手にトメGまで行ったり来たり
宮沢りえは藤夜叉死すの回だけトメGに入ってた(10代女優でトメG入りは唯一?) 三河馬鹿ではないと思うけどな。あの馬鹿なら長文コピペを嬉々として張り付けるだろうし。
あと以仁王の令旨は「東国」の八条院領にばら蒔かれたが正解かな。 >>460
一色氏じゃないぞ、西郷は仁木義長の家来だ
一色氏の守護代は幡豆小笠原氏で、この幡豆小笠原氏は、霜月騒動の際、安達氏の本貫たる三河国小野田荘に逃げてきた伴野氏だ
口答えするわりに、知識が乏しいよな >>497
長谷部氏は、実は三河の古族、長谷部氏(三河国碧海郡長谷部)だろうか
長谷部信連の親父は、三河国長馬に住んでいて、長馬新大夫と名乗っていたらしいな
親父は北面武士だったから、同じく北面武士だった、三河の藤姓大宮司家、ま足利義兼の祖父、藤原範忠との縁故だろう 信連の子孫は姓を長氏に変えたんだが、三河国富永保に所領を持っていた
何故かと言うと、貞氏に能登の荘園を寄進して被官(地頭代)となり、貞氏からは三河の所領を貰ったらしい
寄進した能登の荘園は、元は賀茂社領で、三河の賀茂社領と言えば安達氏本貫たる小野田荘だ
色々繋がっているよね >>481
何が分かるかは知らんが
この3点だけ頭に入れておけばいい
最大の八条院領は三河国高橋荘高橋新荘
三河屋高橋荘高橋新荘を開発したのは、源頼朝、足利義兼(系図上)の曽祖父
三河国高橋新荘から松平家が発祥し、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる >>496
ttps://m.youtube.com/watch?v=1f-oASal95Y#
これ。
くそレスすまん 三河屋さあ、三河の藤姓熱田大宮司家はさすがに無理があるだろ。きっちり訂正しとけよ それをもし訂正したなら、三河屋が三河屋でなくなっちゃうよw 何故付けるか知りたいか?
答えは、ウザい名古屋が勘違いせんようにだわな
源頼朝の母親は熱田大宮司の娘
↓
源頼朝は名古屋生まれた
↓
武家政権の起源は名古屋だぎゃ〜
↓
宇宙の名古屋だぎゃ〜
最近の勘違いの具体的事例はコレだ
嘘だぎゃ〜(震え声)
トヨタは名古屋だぎゃ〜(震え声)
http://detail.chiebu..._detail/q12125423152
>何故東京の人達はトヨタ自動車というと三河にこじつけるのでしょうか?
>どうして東海銀行(三井銀行と同様にトヨタ自動車へ融資をしている)を三河銀行などとしたのか?
>またドラマの冒頭で佐藤浩市が乗っていた船の名前も「三河丸」という名前になっており、どうしてここまで三河にこだわるのかわかりません。 承久の乱で京方に付いた三河の熱田大宮司家の三河と尾張の所領は、幕府に殆ど没収された
つまり義氏は、三河と尾張のどちらの守護も選ぶ事が出来たが、義氏は三河を選択した
何故、三河だったのかは、これ見りゃ一目瞭然
源姓足利氏は、源頼朝が藤姓足利氏を滅ぼし足利荘を従兄弟の源義兼に安堵した事で初めて誕生した
京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出したわな
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源義兼(足利義兼)(初代源姓足利氏)
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍
鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む 承久の乱後に足利義氏が尾張守護になれた可能性は限りなく低かったと思うが。
尾張はもともと横山党小野氏が守護だったわけだから、乱後もその一族の中条氏が守護となったのは理の当然というべきだろう。 越前の雪やばいな。新田義貞も金ヶ崎城で雪に埋まってたのかな親王と共に 義氏が希望すりゃ譲るつーの、史実、安達氏は三河守護を足利氏に譲った
しかも中条氏にしてみりゃ、自分の所領である高橋荘は三河なんだからよ
願ったり叶ったりだ なんの説得力も無いから長文でごまかすわけか
いやそんな自覚はないか 日本三大炎上
・鎌倉炎上
・吉原炎上
・三河屋炎上 幕府の許可なく勝手に当事者間で守護職の譲渡なんて出来るのかね? もう馬鹿に構うな。俺たちにできることはただ一つ、徹底的にスルーするだけだ (桃井直常)
その方たち、今まで殿の側にいて何をしていたのじゃ?何故、あの三河の味噌侍ごときに遅れをとっておるのじゃ!!……ええぃ、儂がおらねばこの様よ……! >>523
誤魔化しているのはお前だろ
何も見えにゃ〜だぎゃ〜、何も聞こえにゃ〜だぎゃ〜
源頼朝は名古屋だぎゃ〜、とな >>526
誰が当事者同士と言った
現代社会においても、デカい組織なら、冗長化から前もって人事の打診があるだろうが
北条から足利に、お前の親戚の三河と尾張の所領を没収したが、二つは駄目だ、どっちか選べと打診するだろうな
仮に尾張を選べば、その調整も北条がやるわけだ そして、そもそも親戚がいない尾張を選ぶわけない
三河の王になればこその、この華麗な人脈だ
三河の藤姓熱田大宮司家
・家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
☆源頼朝、★足利義兼
藤原実範
・藤原成季
・藤原季綱(三河守)→@へ
・藤原季重
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→Cへ
・藤原行綱
・興義
・実慶
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(八条院領目録にあり)領主)
@藤原季綱
・藤原友実→Aへ
★藤原実兼→藤原通憲(信西)
・藤原悦子(鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→藤原俊成(養子、三河守)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・他多数
A藤原友実
・藤原能兼→藤原範季(後白河院近臣、順徳天皇の外祖父、源範頼養父)→Bへ
・女子→源頼政(上西門院に出仕、伊豆守、源三位)→C
・他多数 >>532
続き
B藤原範季
・源範頼(養子、三河守)→源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧)→吉見為頼(初代吉見氏)
・藤原範時(八条院蔵人)
・藤原範茂(子孫は高倉家(羽林家))
・藤原重子(修明門院、順徳天皇母)→順徳天皇
・藤原範光(養子(実父は藤原範兼)、後鳥羽院近臣)
:藤原範子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母、土御門天皇外祖母)→源在子→土御門天皇
・藤原兼子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母)
・他多数
C源頼政
・源仲綱(大内守護)→有綱(伊豆守)→女子(源義経室)
・源国政(初代山県氏)
・源兼綱(実父は頼政兄の頼行)→大河内顕綱(初代大河内氏(三河国額田郡大河内)か?)
・源頼兼(大内守護)
・源広綱(実兄の仲綱に養子入り、駿河守)
・二条院讃岐
D藤原季兼
・藤原季範(蔵人所雑色、初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→Eへ
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(九条院蔵人、玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女子→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当、初代二階堂氏) >>533
続き
E藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→Fへ
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→Gへ
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→Hへ
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)→任憲(三河国滝山寺)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
・女子(源師経(三河権守)室)→女子(崇徳院妾)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
F藤原範忠
・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司)
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺)
・任暁(仁和寺)
★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
G藤原範信
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫、頼朝右大将拝賀先駆)
・藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))→藤原範俊(左馬助、大学助、源実朝近習)
・藤原信綱(駿河守、尾張国海東郡地頭)
・藤原信雅(高松院蔵人)
・藤原憲行
・藤原実豪(延暦寺権僧正) 追記だが
女子(源師経(三河権守)室)→女子(崇徳院妾)
源頼朝の母親の姉妹の子供、頼朝の従兄弟が崇徳院の妾になっている
もう一人の妾、兵衛佐局も三河の藤姓熱田大宮司家出身説があるそうだが、その子供の重仁親王の乳母は池禅尼
そして吉良荘は崇徳院の正室、皇嘉門院領で、寄進したのは三河の藤姓熱田大宮司家ではないかと言われている
気が狂って尾張を選んでいたら、室町幕府は無い そもそも我らは帝のために戦ったのでございましょうか
我々が北条を倒したのは足利と、武士の行く末を
思ってのこと。かつげる帝であればどんな帝でも
よろしかったのではありますまいか。
例えば木の帝であれ、金の帝であれ。 桃井直常ってドラマでは狂暴だったよな。直義も少し遠慮する尊氏に猛然と喰ってかかってたし。 >>527
申し訳ありません。構ってしまいました。今後は自重します。 >>537
でも、あの直義が重用したんだし、それなりに政務能力はあったのでは?
少なくとも単なる筋肉バカとかではないと思う。 >>537
人を悪く言うことのないない尊氏が唯一Disってた相手だからな
「あれは己の栄達しか眼中にない男ぞ」 桃井直常は戦に強かったんじゃなかった?師直みたいに >>532
訂正
義康の曽祖父が信西とするなら、こうなる
安楽寿院が建てられた鳥羽殿は、季綱
が自身の別荘を寄進した
足利荘は、義康の先祖の別荘に建てられた寺に寄進されたわけだな
藤原実範(三河守)→藤原季綱(三河守)→藤原実兼→藤原通憲(信西)→女→女→源義康?→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏(足利氏として初めて三河守護)
義兼は実範の息子2人の血を引くわけだが、これでみると一世代ズレている
信西の娘と同年代の女が、養女として入ったんだろうか?
藤原実範→季綱→実兼→信西→女→女→源義康?→足利義兼(初代源姓足利氏)
藤原実範→季兼→季範→女→女→足利義兼(初代源姓足利氏) イジメられ馬鹿にされても必死にしがみつく、惨めな田舎者と言うしかない
パゴヤ君はよ
303 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/03/23(金) 09:35:38.83
尾張國造家は、単なる外戚の三河の藤原南家に「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われるも、神宮寺の愛染院(真言系)とスクラムを組んで対抗し、
藤原季範を締め上げた。季範の息子の代には、館を社僧に取り囲まれて外に出ることもできなくなり、頼朝に泣きつき、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる
>「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われる(笑)
>頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる(笑)
三河(源頼朝、三河の藤姓熱田大宮司一族、天台宗系神宮寺) vs 尾張(尾張氏(田島氏、馬場氏)、宗徒、真言宗系神宮寺)
当時、殺伐とした内部対立があった中、源頼朝が尾張で生まれるわけないだろうがw 昨晩のザ・プロファイラーで
武田鉄矢が楠木正成を熱く語っていた 正成尊氏義貞と有能な弟たちがいたのも太平記を彩ったよな。正季は違うとかいう野暮な反論はなしな。義詮直冬もいい味だしてる >>544
確かに勝ち戦もあるんだが、顕家との戦いのトラウマで以後粘りがなくなった
口先では最強硬派だけど、戦場では肝心所であっさり負けてあっさり逃げる人
桃井直常
「戦の時、どちらも退かなければ身をまっとうすることはできない。敵が先手を取ったらまず少し退いて、味方をまた立て直して攻めかかれば敵も退くものだ。」
今川範国
「桃井は、強そうな敵には何度も負け戦をするような人だ。人の天命は、そのように故実によって逃れることはできない。まず戦って、どうしようもなくなって力尽きた時に退くものである。」
・観応の擾乱で近江八相山の戦いで負けて直義優勢の空気が一変する。そのまま関東落ち。
・観応の擾乱で最初勝った宇都宮に次戦惨敗。そのまま関東は尊氏方優勢となって直義軍崩壊
・文和四年東寺合戦で主力が七条で奮戦したのに桃井が守る戒光寺をサクッと突破されて全軍敗退 >>554
本作の高兄弟に関しては、師直のほうが弟キャラだったな ??「敵は足利尊氏ただ一人!命を惜しむな!名こそ惜しめ!」 >>560
桃井はヤな奴だけど行家みたいな節操無しではなかったかと
あと「義経」で行家役だった大杉漣、端役で太平記にも出ているね
顔は全く写っていないけど声で丸わかりだった 桃井の名前の読みって、ドラマでは「なおつね」と言っているが、本当は「ただつね」だよな? 足利直義は「ただよし」なのに、登場人物のセリフで桃井直常は「なおつね」読みだったから放送当時、少し変な感じがしてた まじで大杉漣でてるな。昔の大河に若い頃の稲垣吾郎やくりぃむ上田がでてたな。
行家に似てるといったのは最初勝って後は連戦連敗ってのを言いたかったんだ
>>563
大杉漣→道誉の華麗な裏切り→坊門清忠→忍者右馬介で焼酎吹き出したわwwwwwwwwww 若殿はいかが…?
父上をお恨みいたすその一念はいかが…?
若殿の恨みが、この都を焼き払うておるのじゃ!!
これを鬼の執念と申しませぬか!? つべで久々に見たが、判官殿が足利殿の曖昧な態度が南北朝の動乱につながっているとはっきり言われているな。
サンキュー道誉 後醍醐帝が吉野にトンズラした後に尊氏が「なるようになる、何とかなるさ、Let it be〜♪」て言って、道誉直義師直が「なにいってだこいつ」って顔で呆れてるのが滑稽だったわ 鎌倉幕府が開かれてから130年、政治のひずみが到るところに噴出していた。正中ノ変はその典型的な例である。そして公武の亀裂はますます拡大し、乱世の微候が顕然となった。
「天皇御むほん」さえ囁かれるである。当時は両統迭立(てつりつ)の世、後醍醐天皇が英邁におわすほど、紛擾のもととなった。この間、足利高氏が権門の一翼として擡頭し、再度の叛乱に敗れた日野俊基とは明暗を大きく分ける。 >>579
(佐々木道誉)
ここに居並ぶ御歴々も御存知の如く、某は執権の君より内々の命を受け、長らく都の謀反に目を光らせてまいった。日野は、某の網に掛かった愚かな友でござる!! 原作では、狂言回し的な存在だった吉田兼好がキャスティングされなかったんだよな。
新平家は西行が蜷川幸雄だった。 >>581
(佐々木道誉)
円喜殿、勘違いをなされては困る。某は円喜殿と同心故、出たわけではない。
執権殿の命により出たまでの事。儂に指図が出来るのは…執権殿のみぞ…! 日野資朝の実弟賢俊が持明院統の光厳上皇の院宣を尊氏に届けるのはなんとも皮肉よな でも日野一族の大半は北朝方だし、そうじゃなければ室町期に日野家が足利将軍家の
外戚にはなれない。
それに仮に日野資朝・俊基が建武期まで生きていたとしても、史実における万里小路卿の
ように、やがて建武政権に失望して後醍醐から距離を置くようになったかも知れない。 資朝卿は後醍醐帝とウマが合うような変人だったらしいね 判官殿の家系って一度も他家から養子を取らずに版籍奉還まで大名として生き残ったんだな 凄いわ 伊達や島津だって普通に同一家系で続いているけど・・・? 大杉漣が急逝だとな…>>563は何かの暗示だったのだろうか。
ゴチとかどうすんだろうな >>593
どちらでもいいんだぞ。新しい政で新政でもあるし、天皇が自ら政治を摂った親政でもあるし 敵は、たれぞ
足利尊氏にござりまする!
このシーン音楽も良かったし記憶に残ってる
(この後判官…) >>596
陣内のニヤニヤ顔がホントにプラスに働いたドラマだよなw (佐々木道誉)
御辺の気が変わり、戦にお発ちの折には御一報を賜りたい。何処に居ようと、馳せ参じ…戻って参る。…御免! 尊氏が東国へ下る決断をしたら即判官殿が鎧を纏って駆けつける。ストーカーかよw >>600
逐一報告してくる草の者でも潜り込ませてる
って説明もないからやっぱりストーカーなのかねw尊氏大好き宣言してるしねw >>605>>606
(北条高時)
クックックックッ……!同じことだわ……! 三兄弟の鎌倉経営は功絶大だな。新田を追い出したのも完璧。 「観応の擾乱」を読んだけど直義は無気力で負けた
一方で子供がいてやる気になった尊氏が勝った
「横暴な師直」などというのは存在しなかった
とかいろいろ面白かった また室町やって 亀田さんは佐藤進一に反発してダダこねてる感があってw
でも直義無気力説はわかる
というか病気だと思ってる
きっと本当に病死だよ 「ウルトラマンが泣いている」っていう本を読むと、円谷一族の権力争いは観応の擾乱より酷かった 観応の擾乱は天下の大乱だぞ。昭和の生ぬるい一家系のお家騒動と比べること自体がナンセンス
あまり太平記を愚弄するなよ >>620
この時代の政治史をまともに研究するなら、佐藤さんに噛みつかないわけにはいかないだろう・・・。
まああまりに偉大すぎて乗り越えるのが大変なのは間違いないが でもその前に、無理やり人質を出させて
「異存あるまいの、足利殿」だからなぁw 北条殿が…人質を出せと言われれば人質を出し、戦に出よと言われれば戦に出る…今の我等に、それ以外の道がありましょうや…? このドラマにネプチューン原田泰造が死体役で出てたらしいけどわかる人いる? 死体はいっぱい出てたからDVDあるけど探す気になれないw 久しぶりに総集編を一気見したけど、やっぱり面白いね。
金剛山に登って千早城址も見てきた。
けど根津甚八さんロス(出演されてなかったけど、プラス渡瀬恒彦さんロス)は治らない。 >>631
そんな事言ったら他の出演者で鬼籍に入った俳優さん山程いるだろう
それに渡瀬さんはコッチじゃ無くて真田だろ、自分も好きな俳優さんだけど >>632
渡瀬恒彦は炎立つの御館の印象が強い。
ステレオタイプではない藤原秀衡を演じたから特に。 へえ、尊氏って鎮守府将軍にもなってたんだな。奥州に行ったことないのに何故なのか 源頼義と八幡太郎義家出てたな
佐藤慶の頼義のヒールっぷりと
佐藤浩市の義家が強調する振りをしながら裏で陸奥守就任阻んだ清衡に対しての罵詈雑言言った後に
あの男ならば〜って認める場面が良かった >>637
征夷大将軍に出来ない代わりの埋め合わせでしょう。
まあ歴代の征夷大将軍だって、東北地方に足を踏み入れたことのない人物が大半だけどな。
あと鎮守府将軍は、歴史的には陸奥守が兼帯することが比較的多い官職なので、尊氏を
鎮守府将軍、北畠顕家を陸奥守とすることで、建武政権下での2つの小幕府というべき
足利兄弟の鎌倉将軍府と北畠親子の陸奥将軍府を互いに牽制させるような意図が
あるようにも思える。 >>641
征夷大将軍の代わり(幕府開かれるからだろうけど)に鎮守府将軍てもう後醍醐むちゃくちゃやんか。公家に嫌われるのもわかるわ。先例もクソもない。頭ぶっ飛んでる。
南北朝期はぶっ飛んだ後醍醐と詰めが甘い尊氏のおかげで全国が滅茶苦茶になっちまったんだな ただ鎮守府将軍も「将軍」ではあるから、幕府を開けないかといえば、そこは微妙だな。
鎮守府将軍の在所を幕府を意味する「柳営」などと称している例はあるし、かつての
奥州藤原氏の柳之御所なんかも同じネーミング。(藤原秀衡は鎮守府将軍になっている)
ただ尊氏の鎮守府将軍は、鎌倉幕府成立以降は100年以上も任命例がなかったのを
突然復活させた感じなのがアレだが。 >>646
「幕府」「柳営」は、近衛大将に限らず、将軍系の官職全般の唐名として用いられるよ。
あと近衛大将の唐名というなら、一番一般的なのは、後世に公家の家格を表す言葉にもなる「羽林」だろう。 ちなみに「幕府」を武家政権という意味で使うようになるのは、実は江戸中期以降だな。
だから、太平記の時代に「鎌倉幕府」「室町幕府」なんて言い方は本当は存在しないが、
それを言い出すと凄く面倒なことになるので・・・w 頼朝さんは前右大将の肩書きで命令文ガンガン出してるんですが。幕府(鎌倉府)の体裁はできていると考えてよろしいでしょう。征夷大将軍は後付けの権威付け・箔付けって感じでしょうか。もちろん頼朝さん以降は征夷大将軍が必須ですがね 鎌倉幕府の組織そのものは、頼朝が右近衛大将どころか公卿になる以前に、実質的に
成立しているけどね。
頼朝の右大将家政所下文に関しては、元々は頼朝が公卿になる以前に袖判下文で出していた
ものを、頼朝の公卿昇進&右近衛大将任官に伴って、発給文書の様式を切り替えただけ。
これは文書様式自体は、朝廷の貴族たちや公卿に昇った平氏一族が出していた、例えば
大納言家政所下文のようなものと同様の公卿の政所(家政機関)の発給文書と基本同じ。 ちなみに、頼朝より後の歴代鎌倉将軍も、最初は発給文書が袖判下文で、その後に
将軍家政所下文のような形に切り替わるケースが多い。
しかし尊氏は、公卿身分であっても政所下文を一切用いず、ずっと袖判下文にこだわる。
そしてその後の室町将軍も、同様に政所下文は用いずに将軍の袖判下文(義満期の
途中からは袖判御教書)が、発給文書の基本となる。 足利将軍の御判御教書(袖判御教書)っていうのは、不思議な形式だよなぁ
御教書って本来は奉書なわけだけど、これは最早奉書ではない将軍の直状だし・・・
でも後の徳川将軍の判物なんかも、基本的には足利将軍の御判御教書の形式の踏襲だね。 >>649
新田義貞は左近衛中将(左中将)になった。
あとは言わなくてもわかるな? そういえば、頼朝が下文の形式を自らの御判から政所下文に切り替えた際に、
千葉・小山辺りの有力御家人が「政所下文は嫌だ、頼朝本人の花押が欲しい!」
とゴネた有名な話があったなw そもそも新たな武家政権の創始者となった人物なんて、歴史上に数えるほどしか
いないわけで。
頼朝の場合、事実上の武家政権を先に樹立した上で、たまたま右近衛大将→征夷大将軍
という官歴をたどった結果、彼の政権は遥か後世に「幕府」と通称されるようになった。
そして頼朝の政権と同じような体裁をとった尊氏や家康の政権も、後世同様に「幕府」と
言われるようになった。
歴史的事実としては、これがすべてであり、その他の歴史上に実例がないケースについて、
可能かどうかを論ずること自体が、ハッキリ言ってナンセンスだろう。 なにをいきなりキレてんだか?
>>658
なんでわかりきったことを聞くのん? 三位の中将ならば、政所を備えられ、侍所となるべき機関を置けば、実質的に幕府を設けることは可能。 >>662
幕府の組織は、由来としては公卿の家政機関としての政所だからな。
さらにいえば、公卿の家における政所の別当のことをもともと「執権」と称していた。
鎌倉幕府における政務担当者の肩書きを「執権」というのも、これに由来するわけだなw
もっとも将軍とかではない一般の公卿の家政機関を「幕府」とは、同時代史料においても、
後世から見た歴史用語としても、言わないが・・・。 >>657
小学館の「学習まんが少年少女日本の歴史」7巻にあったな。
千葉がくどいて北条への不満を表してあるシーン。 尊氏は征東将軍(征東大将軍?)なるものも受けてるな。これは木曽義仲もなったもの。普通ならこんな縁起の悪いものは受けないんだけどねえ。面白い男だね尊氏は >>665
うむ…儂もまた鎌倉殿の命でな、足利殿に万が一謀反の動きあれば…討てと言われておってな…こうして先に帰国して備えておったのじゃ。
いや、忙しかった!アッハッハッハッハッハッハッ…!! 尊氏を煽ったつもりが煽り返されて表情が一変する判官殿可愛い 道誉は古典太平記でも佐々木なの?一応目立たないけど、この時代にも嫡流の六角氏はいるよね。京極高氏ってのもなんか違和感あるが >>671
家督を継いだあたりから尊氏の精神的成長が見られる
打倒北条でイケイケになって、判官殿に対しても精神的優位に立ってる
逆に判官殿は、長崎親子が強いとわかると長崎親子に媚びる変わり身の早さはさすがだが
その長崎親子から先帝を討てと言われたら余裕が無くなって荒れてたな
判官殿ほどのバサラでも先帝は別格ということか >>672
古典太平記のころはどっちも佐々木呼びなんよ
京極道誉と呼ばれるようになるのは少し後から 六角氏も南北朝の荒波をモロにくらって没落してんな。
京極氏は道誉が亡くなってから落ちぶれていく一方だな。 >>665>>666
確か『吾妻鏡』では、千葉がゴネた話がのっているが、小山に関しても同様の話があったと
いわれ、その証拠として、小山朝政に対して同じ内容の政所下文と頼朝袖判下文が同日付で
出された実例がある。
その文書の実物が、前橋松平家(小山の分家である結城の名跡を継ぐ家)の子孫の家に
伝わって現存している。
まあ実際問題、将軍本人の花押がある文書のほうを武士たちが珍重するのは当たり前で、
だからこそ尊氏は鎌倉幕府のような政所下文を用いることをしないわけだな。
無論、南北朝の問題を抱えるなかで、少しでも多くの武士を味方に付けたい事情もあるが。 >>672
室町幕府の正式な発給文書の宛名表記では、戦国期に至るまで六角・京極いずれも
「佐々木○○殿」のような表記で、「六角」「京極」とは書かれない。
しかし通称としての「六角」「京極」は、太平記の時代に既に存在しているはずだし、
公家の日記なんかでは「佐々木六角」「佐々木京極」みたいな表記も結構普通に出てくる。
ちなみに朽木や尼子など他の佐々木一族庶家の場合は、幕府の発給文書においても、
「佐々木朽木○○殿」「佐々木尼子○○殿」みたいな表記が普通。 >>675
浅井の傀儡になりながら
復権してる京極のしぶとさ >>675
六角は戦国時代に名君高頼定頼が立て直したから 太平記っていいよね・・・
でもこっちのゲームももっといいぜぇ・・・
https://goo.gl/Z4BRFC それがしは信じることに致した。
神でも仏でもない。 もっと確かなものじゃ… >>677
尼子殿といい、朽木殿といい…。さすがは判官殿の末裔じゃ。 >>685
尼子はともかく朽木は道誉の末裔というわけではないよ。
六角と京極が分かれたのと同時期に分かれた高島の庶流が朽木。 >>686
足利貞氏と尼子経久、正反対の役柄なのにどちらも見事に演じていた緒形拳の凄さ >>688
鬼畜の情けない役だったり
藤枝梅安だったり たしかにこの時代に朽木いるなw律儀に尊氏の九州落ちについていってる。六角や京極に従うことなく独立した勢力だったとのこと >>688
彼には凄さよりも凄みを感じる
いい役者さんだったな >>690
六角や京極と主従関係はないが、近江守護としての六角には一応従ってはいるかな。
無論、朽木は後に室町幕府の奉公衆になるから、奉公衆になればその国の守護の
統制からは完全に離れるけど。 9話が最後とか思えない存在感
しかるにこの貞氏、悲しい哉徳なく才乏しく、わずかに家名を守って、この病だ… 高氏、父のように迷うな!神仏の許しあれば、天下を取れ!!
もし、それが道と思ったなら、弓を取れ!! 徳なく夢むなしく破れわずかに家名を保たんがため一命をなげうった御大がいましたね… >>697
六角承禎って何で義昭・信長の上洛に刃向かったのだろう? 名門近江源氏の嫡流が守護代の陪臣のそのまた陪臣の信長に従うのが耐えられなかったみたい >>702
しかしそれなら信長と大差ない身分の三好三人衆と結んで、義昭ではなく義栄を担ごうと
する理由にはならんな・・・。 西郷どんスレで橋本左内が桃井直常の子孫とあったが本当なのか?w 高橋悦史の子孫が篠井英介ということならわからん話でもないなw なんか南北朝前後の時代、鎌倉前期や戦国時代になるとレスが増えるなwどんだけこの時代人気ないんだよw 征夷大将軍って頼めばくれるんじゃなくて
実績がないともらえないんだな >>714
足利一門の桃井が祀られるかよw
皇国史観で南朝が祀られてるの戦前に 和製ゴッドファーザー「日本の首領(ドン)」で本家でいうところのアル・パチーノの役を演じた高橋悦史 >>713
昭和の小説家がこの時代を書かなかったのが悪いな。司馬とか。吉川英治氏はさすが >>718
北方健三の破軍の星とか道誉なり読んだけど
北方の顕家卿カッコいい 北方はワンパだけどキャラは好きなんよね
ヨイショ枠の顕家、道誉に加えて高師直・師泰、尊氏もいい
そしていつも踏みつけられる義貞公 >>718
司馬氏はリーダー不在の時代は嫌いらしいから仕方ないよ。 >>715
足利義勝とか徳川家継とかって、何か実績あったの? やっぱり院宣もらった以上新田さんの首取らないと申請出しづらいんでしょ
首が添付書類みたいなもんだよね 院宣(北朝)vs綸旨(南朝)なんて前代未聞だからね。
別に義貞生きてても将軍にはなれたでしょ。 本来なら、宣旨(院宣)>綸旨だと思うのだが、後醍醐帝は何故に綸旨を多用するのかね? 朕が新儀は未来の先例たるべし
の意気込みだったのよ尊治っちはw 延喜・天暦の御代に戻れというなら、法令は「格」とか「式」とかで出すべきでは? 尊治さんは常識や慣例にとらわれない御方なので先例を気にしても意味ないかとw
花夜叉と毛利輝元の婚姻が決定いたした >>737
結果として後世の朝廷からも、
「後醍醐帝の時代のことは先例としてはならない」と言われるわけだね。 まあそれでも意図は違うとはいえ八省の長官を大臣クラスに兼ねさせるのは
内閣制度の先駆と言えよう。
帝の目ははるか遠くを見ておられたのだ… サブタイトルを順番でスレタイにしているだけだからまあしゃーないw これから終盤にかけて、登場人物の死を意味するサブタイトルが続くなw >>740
いやいや、「太平記」での後醍醐さんも
「延喜・天暦の治世に帰す」とか言ってたから
結局懐古趣味じゃないの? 後醍醐という諡号を自ら決めたのだから
醍醐天皇を意識してないわけがない 延喜天暦に戻るわけないだろ。武士の世の中なのに。アホかっちゅうねん。新政もしょっぱなから挫折したし >>747
一応言っておくと、「後醍醐」は諡号じゃなくて追号な。
>>746
実際の延喜・天暦期は、後醍醐帝が理想と考えるような時代とはかけ離れているのだけどね。 応仁の乱がヒットしたから、また室町をやらないかな。
義満か、義教か。永享の乱や享徳の乱は解説書が出たけど >>749
武士だけでなく公家も実際バカバカしいと思っていただろうな。 >>749>>752
(????)
おのれ、腹立たしき物言いかなっ!
天子様を蔑ろにしておきながら、勅命に逆らわんとするは言語道断なり!
かくなる上は是非もなし!幕府の威信にかけて、駿府に引っ張ってこい!
刀っ!!儂が首をはねてやる!!八つ裂きにしても飽き足らぬわっ!!
よいか!押して…押して…押しまくれっ!!一歩も後に退いてはならんっ!! 公家的には、ピンハネ率が増えても都で暮らせて年貢納めてもらえるほうが気楽じゃない?
少なくとも自分が奥州やら九州やらに行って無法地帯で戦わせられるよりはさ 公家の発想の根本は、先例主義&現状維持だから、後醍醐みたいな面倒な帝に余計なことを
されると迷惑だと思っているはず。 中公新書だろ
英雄たちの選択でも2時間SPで扱った 応仁の乱は、北条早雲でもやれば久々に描かれるかな? 別に他の歴史上の人物はどーーーでもいい。太平記が好きなんで。
あんな規模でもう大河は出来ないんだろうな。 尊氏に>>755の心意気があったならば、世に無用な乱は起こらなかった。
その点、頼朝さんや家康さんはさすがですな。
武家の棟梁・征夷大将軍はこうじゃないとね。
義詮義満は初代を反面教師にしてよく頑張ってくれたよ。 頼朝なんて、自らはほとんど実戦経験もないのに武家の棟梁とは、笑わせてくれるw
実態は、東国武士たちに担がれた単なる御輿だろ? 清盛や秀吉は重商主義で貨幣経済を推し進めてたのに、
その後の天下をそれぞれ継いだ頼朝と家康は重農主義で米本位制経済が主体
民を押さえつけ、活気を失わせたな
彼らにとってはまずは泰平の世が一番だから
できれば民など愚かで従順なままの方がいい ぶっちゃけ清盛って結構いい人だよな。秀吉は違うけど 先日喧嘩両成敗の誕生という本を読んで
家康支持派に転向しました >>765
鎌倉幕府の経済政策は平氏政権の踏襲だし、江戸幕府の経済政策は豊臣政権の踏襲だよ。
鎌倉幕府は、平氏政権の大輪田泊に倣って鎌倉に和賀江島を整備しているし、日本が
本格的な貨幣経済の時代に入るのも鎌倉期。
江戸幕府は、豊臣政権が導入した石高制を引き継いでいるし、何より江戸前期は日本史上空前の高度成長の時代。
経済的に前時代より低迷したなんてことは、あり得ないよ。 >>767
喧嘩両成敗という言葉の初出は『今川仮名目録』だっけか? >>764
頼朝あっての足利氏の貴種性だけど?
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム) 
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したのさ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ 
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)  >>772は三河屋がID変えて自作自演かな?
タイミング的にw 他のスレでも三河殿をお見かけしましたぞ。相も変わらずの長々な蘊蓄ぶりでござりましたな。 だいたい同じ内容のコピペでしょ?
毎度毎度すべて新儀で書いているとは思えない。 読み飛ばすから内容なんて知らないなあ〜長過ぎて目が滑るんだよ このドラマ、ブレイク前のトヨエツが出てるんだな
伊賀者の吉次、どんな感じ? >>783
鈍臭い鉾の殺陣してた。何故か眉毛無しで一言二言台詞有り。
探すまでもなく出てきたら即分かるよ。 >>783
ブレイク前のトヨエツと常盤貴子と大杉漣が出てた >>786
DVDを持っているから何回も見ているが、豊川さんと常磐貴子はわかるが大杉漣さんの出演しているシーンがわからない。何話のどのシーンか教えてください。 >>784
>>786
サンクス
太平記はまだ見てないけど今見てる炎立つにメインキャラで出てる
愛くれで大ブレイクする少し前かな
顔よりも声に特徴がある
太平記ではモブな扱いだろうけど昔のドラマを見ていてクレジットでモブクレの中に
後の有名俳優の名前をみたことって全然ないのでやっぱりヒットするような俳優は
最初から何か持ってて抜擢されるんだろうなと思ってたけど例外もあるって事か 昔の大河って、後に大物になる人がチョイ役で出てくるケースは、注意して見ていれば
そこそこあるような気がするが。 >>790
基本1年間放送だから登場人物多いからね。売れないまま終わった人も塵芥の様に居るし、後に売れっ子になる人も居るだろう。 >>792
花夜叉一座も、終盤は不自然に出番が減ったな・・・。 >>795
というか、終盤になると完全に出番がなくなったのでは…? >>795
それでなくても駆け足の展開で落とした史実いっぱいなのに架空の人物に尺割かれたらたまらないよ 「兄上 いいかげん田楽に狂うのはおやめ下され
得宗殿は暇なときは禅僧と哲学談議などしておられると聞きますぞ」by 直義 無学祖元は頓智のような話を好まなかったようだ。
ただ禅の実践あるのみ、浮ついた言葉のやり取りを避けた。
吉川弘文館の「北条時宗」に記してあったような気がする。 >>793
楠木正行(成人後)の人もジャニで名前もそこそこ知られていた人だけど、その後さっぱりだったね
ググったら未だに芸能界を辞めていないんだな >>801
一回コッキリの出演で気の毒だったなあ〜「お、終わりかい!!」ってツッコミ入れそうになったw >>800
公案問答こそ臨済宗の醍醐味じゃないの? 2001こーふくよんでんなぁぁぁしゃべってくんなぁぁぁぁっぁ
てめーのせいで今世息肉気宇なったやろがぁぁぁぁぁぁぁちち死ねこっから自由失ったんこのあほが原因
2002ふくみーばばぁからんでくんなぁぁぁぁぁぁふくみーばばぁ死ねほとけさん失敗させんなぁぁぁぁぁちち死ね中島死ね
2007まるふじはたたいてくんなぁぁぁぁまるふじ死ねふくみーばばぁ死ね顔出すなぁぁぁぁけーよぶなぁぁぁぁおっさん死ね
かみおかべうざめがねからんでくんなぁぁぁあかみおかべうざめがね死ね
けーさつ豚箱いれたってもいいぞいうなぁぁぁぁ警察死ね
2008かみおかべうざめがね金髪矢ロー死ね
2014木を切り刻んでんの二よってくんなぁぁぁぁぁ父死ね大村前田死ね
2016帰ってからタイミングによってくんなぁぁぁぁxよってくんなあっぁぁぁぼけぁぁぁちち死ね高橋秀和氏ねまるふじ死ね場所しってんなぁぁぁ母死ね
ちち死ね >>797
キャストエピソード…。
新田弟にも触れてやってくれよ…。
当時の公式ガイドブックで、弟役三人衆の座談会があって、「この三人で打ち上げやりましょう」みたいなこと言ってた。 >>806
政伸と良純は実際も弟だが、赤井はどうなんだろう? >>809
中濃ソースは、美濃国(濃州)中部のソースだっけか? 27年前の作品だから新規のネタが無いのは仕方ないが >>837
そう思うなら、誰もが食い付く魅力的なネタをどうぞ! >>839
ID変わらないぶん多少はマシだが、もう少し面白いレスせぇ >>838
だからって一言かつ意味不明なレス連投はどうよ。 >>817
中の人が同じだから、しょうがないけど、
「毛利元就」初登場の際は、判官殿とどう違うんだ?と思ったな。。。 でも判官殿とは正反対と言ってもいいキャラだったよね >>853
女好きの印象しかない
切腹直前の「盤面をくずすな」の場面は印象深いけど
花夜叉が茶々だったw 三河国碧海荘は足利義兼の祖父が立券寄進したと考えられ、義兼が源氏雌伏時代に代官をしていたと言われる荘園だが
岡崎市史にある鳥羽院妾領ではなく、実は後白河院妾の高倉三位局領の可能性があるらしい
高倉三位局と言えば以仁王の生母だが、この荘園を通じて矢田判官代も三河で雌伏していた可能性が高いのが明らかになった
矢田判官代の子孫である細川氏に関する史跡や伝承が北関東に全く無く、後世、細川氏が北関東に全く執着しなかったのは
実は、細川氏が北関東から三河にやって来たのではなく、逆に足利義氏を三河で出迎えたのである 碧海荘は、後に尾張足利氏に伝領されたが、足利高経の気位の高さは、義兼所縁の碧海荘の地頭職保持によるものであると考えられる
三河国で義兼所縁の荘園は碧海荘しかないからな
清洲城の築城者は、元岡崎市民と西尾市民の娘の間の子供の斯波義重  
斯波義重  
・斯波氏(武衛家)6代当主  
・管領  
・越前・尾張・遠江・加賀・信濃守護  
・正三位  
父:斯波義将  
・斯波氏(武衛家)5代当主  
・管領  
・越前、越中、信濃守護  
・従三位  
母:吉良満貞の娘  
・西条吉良氏  
・父は三河国西条城主  
・父は引付頭人  
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」  
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」  
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした  
永源寺  
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。  
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。  
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。  補足説明
碧海荘が高倉三位局御領だとして、高倉三位局の母を藤原顕頼(三河守)の娘と仮定し、系図にまとめるとこうだ
顕頼の母は、足利義兼の祖父季範(系図上)の従兄弟
まとめると、すんなり収まったな
立券寄進者の足利義兼祖父は、自分のふたいとこに寄進したわけだ
三河の藤姓熱田大宮司家
・家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
☆源頼朝、★足利義兼
藤原実範
・藤原成季
・藤原季綱(三河守)→@へ
・藤原季重
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・藤原行綱
・興義
・実慶
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(八条院領目録にあり)領主)
@藤原季綱
・藤原友実→A
★藤原実兼→藤原通憲(信西)
・藤原悦子(鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→B藤原俊成(養子、三河守)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・他多数
A藤原友実
・藤原能兼→藤原範季(後白河院近臣、順徳天皇の外祖父、源範頼養父)
・女子→源頼政(上西門院に出仕、伊豆守、源三位)
・他多数
B葉室顕頼(三河守)
・藤原俊成(養子、三河守)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・女子(藤原季成室)→高倉三位局→以仁王 今回の三河屋は何の前触れもなく来たなw
特に三河屋を刺激するようなレスがあったわけでもないのに・・・。 一言レス見て燃えたんじゃね?「連投するならタメになる俺様!」とかw 弟を殺しながら、木切れの神も本当に神様だったのかもってセリフを配するセンス・・・
凄えわ >>865
全編通してあの木切れのエピソードは色々な意味に受け取れて良い演出だった 高時は禅談を論ずるのが好きな哲学青年だった。
唯一の乱暴な趣味が闘犬。
いっぽう尊氏は京で田楽に狂っていた時期がある。
ほんとによく将軍になれたね 最近立ち読みした本だと
足利氏は源氏の跡継ぎとしてでなく、北条の姻戚として繁栄してきた
鎌倉末の挙兵は、北条とともに沈まぬように
北条と手を切るべきと主張していた家臣のほうが主導
みたいな事が書かれてたな 長谷部信連の父は三河国の住人たる長馬新大夫(三河国額田郡長馬?)であるが、三河の藤姓熱田大宮司家との接点が見つかった
藤原季綱
・藤原友実
・藤原実兼→藤原通憲(信西)→@
・藤原悦子(藤原顕隆(夜の関白)室、鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→藤原俊成(養子、三河守)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・他多数
@藤原通憲(信西)
・成範→女→女(長谷部信連室)
・女→女→源義康→足利義兼(初代源姓足利氏)
・澄憲(三河国滝山寺にて由良御前49日の仏事を執り行う) >>876
もう一度行って確かめないと自信ないけど
呉座勇一氏の「陰謀の日本中世史」だったはず
他の本買うつもりで行ってたから、悩んだけど
その日は止めた
全編が太平記を扱ってる内容じゃないけどね このドラマ、「鎌倉炎上」の回で新田義貞が稲村ヶ崎を通る場面と、「湊川の決戦」の回で
尊氏軍が上陸する場面って、もしかして同じ岬を反対側から撮った感じ? >>872
足利が鎌倉前半期から源氏嫡流と見なされていたわけではないのは、その通りだと思うが、
北条に関しては、鎌倉末期の段階でも北条がまもなく沈み行く存在という世間的な認識は
そんなにあったのかね? >>881
武家社会ではあったんじゃね?
高時が無能(そうは思わないが)で長崎の縁者が台頭しているのは面白い事じゃないだろうし。 けど日本の半分の国の守護である北条一族だけを排除するなんて考えるかね御家人たちは。後醍醐の火遊びが時流に乗っただけだろ。あと悪党の跋扈 >>881
物語的には面白いが、結果論の後知恵だよね
実際には滅びる直前まで幕府が滅びるとは誰も考えてなかった ・先週に吉野で花見、如意輪寺でまったり
・一昨日の日曜日に金剛寺で国宝になった金堂三尊像の特別公開にでかけ
本坊で正成の書状を見学してしみじみ
・そして来週は観心寺の国宝如意輪観音の特別公開に行く予定
もちろん後村上の陵や伝阿野廉子の墓にも詣でるつもり
不本意な転勤だったけど大阪に越してきて楽しみが増えた >>884
そうそう。
鎌倉幕府は明確な衰退期がないまま、突然瓦解したって言うよね。
たぶん滅亡1ヶ月前でも、あと少しで幕府が終わると現実感を持って想像できた人は
ほとんどいなかっただろうね。 北条の領国で抵抗が起きなかった不思議
倫旨は偉大だな >>885
大阪で唯一の村、千早赤阪村に行くヨロシ
本気で何も無いけどなっ 北条の領国かつ足利領になったところは反乱てんこ盛りである とりあえず鎌倉時代に“領国”という概念はないだろう。
領国の概念は、守護が大名化して管国の一円支配が進展する室町以降。
ただ「北条残党の反乱は、足利に与えた北条の旧領で多く発生している」というドラマに
おける後醍醐帝のセリフは、佐藤進一氏が中公の『南北朝の動乱』なんかで指摘している
ことをそのまま持ってきたような感じだな。 後醍醐帝崩御の話まで観たけど、新田義貞の最後が悲惨だったな…。まあそこまでの魅力能力が無かったといえばそれまでだが >>894
小難しいことは日本史板でやったら?
君みたいなのを衒学というんだよ だからってドラマと無関係な話されてもなぁ〜三河屋みたいなのウザいっしょ >>896
あのさ、>>894は普通にドラマの話なんだが・・・。
アンカーをつけなかったからわかりにくかったかも知れないが、>>892を受けてのもの。
ドラマちゃんと見ていたなら分かると思うけど、>>892は後醍醐と義貞の会話のなかでの
後醍醐のセリフのことだと思われるので、ドラマのなかでは「領国」とは言ってないし、
時代考証的にもそうは言わないだろうことと、後醍醐のこのセリフに関する個人的な感想を
書いただけ。
というか、何でそんなに刺々しい言い方をするの? 『翔ぶが如く』スレに出されたものを転載します。これ、京都でもやってくんないかな・・・。
ゴクミが訪れたら、話題になったりしてなw
469日曜8時の名無しさん2018/04/12(木) 21:28:48.08ID:SPzi3V1v
戊辰戦争『錦の御旗』初公開! 北畠顕家生誕700年記念企画展
2018年04月08日 10時00分
南北朝時代の武将、北畠顕家(きたばたけあきいえ)の生誕700年を記念した企画展
「北畠顕家と霊山」が7日、伊達市の保原歴史文化資料館で始まった。同市の霊山神社に
保管され、戊辰戦争で新政府軍が使用したとされる「錦(にしき)の御旗(みはた)」も
初めて公開された。7月1日まで。
錦の御旗は天皇を主君とする「官軍」であることを示す旗。同神社が保管している2枚は、
明治政府の中枢を担った岩倉具視(ともみ)が、戊辰戦争時に息子2人が使ったものを奉納
したものと伝えられている。企画展では2枚のうち1枚を展示。岩倉の名前で、奉納の経緯を
記した奉納文も展示している。
企画展は来年1月まで3期にわたって開かれる。第1期は「戊辰戦争と伊達地方」がテーマで、
錦の御旗のほか、戊辰戦争時に棚倉藩士が現在の伊達市保原町に避難してきたことを示す文書
などを並べた。同館の担当者は「伊達市でも戊辰戦争があったということを伝えたい」と話して
いる。
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180408-259424.php そういえば「翔ぶが如く」のなかで、岩倉が大久保に錦の御旗の説明をしている場面では、
“学者に調べさせたところ、文献上は過去に承久の乱と建武の中興のときに出現している”
みたいなことを喋っていたな。 >>894
梅松論
将軍(尊氏)は師泰に、「まず三河国に下り、矢作川を前に当て、三河は分国(知行国)なので当国の軍勢をかり催して勢が集まるのを待て。決して川より西へ馬を越えてはいけない」と、命じた
思いっきり言っとるがな >>903
一応、手短に言っておくけど、「知行国」と「領国」は意味が違う。
あと「分国」の語は、中世前期では院政期以来の知行国制度における知行国主が権利を持つ
国の意味だが、中世後期になるといわゆる大名の領国の意味になる。
ここで長々やるとアレなんで、詳しくは自分で調べてね。 自分のレスを瞬殺されて、長々と必死のようだが
どー読んでも尊氏は三河を領国と言ってますなw >>903>>906
(北条高時)
クックックックッ…同じ事だわ…! >>907
うゎ、なんか日本語不自由そうな面倒臭い人だなぁ。
例えば鎌倉期の関東御分国の「分国」と戦国期の分国法の「分国」が意味違うなんて
日本史勉強している高校生でも当たり前に理解しているレベルのことで、専門的な話でも
何でもないんだが。
しかし何でそんなに「三河」に拘るのかなw ドクターXや医龍のスレで延々と医療談義しているようなものでしょ
ウザいとは思うけど一定数そういう奴はどうしても出てくるし、いちいち噛み付くよりはNG指定してスルーしたほうがいい 専門的な談義ならいいんだけど「葛根湯で何でも治るんだぞ!」って声高に叫んでいるだけみたいなもんだから困るw >>914
同意
もっと専門的な談義をすべきだな
俺も日本史板にいる中世史ヲタの知り合い数人に
このスレで専門的な中世史談義をするよう誘ってみるわ >>915
それが余計なことなんだっての
高尚な歴史談義がしたきゃ日本史板行ってるつーの 権威(網野、元木等)の盲信者で、その受け売りしか話さないんだよな
話は退屈だわ、権威と違う説は頭ごなしに否定するイメージ しかし元木氏はともかく網野氏に関しては、このドラマの時代考証自体が網野史学の影響をかなり受けているからなぁ・・・。 荒れてきたら判官殿ネタで和むに限る
判官殿は陣内のイメージが強いが、真実の彼は若くして法体姿だからな
ドラマのイメージだと文観や赤松円心が近いだろう、ハゲ頭のバサラw (佐々木道誉)
ここに居並ぶ御歴々も御存知の如く、それがしは執権の君より内々の命を受け、長らくこのスレの荒らしに目を光らせて参った!
三河屋は、それがしの網に掛かった愚かな御仁でござる! 道誉は本編終了後以降の人生も相当濃いんだよな・・・ 義満大河実現したら
いまの陣内やるのが一番なんだけど道誉 >>926
沢口靖子の義弟を2回、民放ドラマでは実弟までやっているね
もう沢口靖子の名誉弟認定してもいいレベル しかし、我らがこのスレを脈々と継いできたのは、ひとえに大河ドラマ「太平記」の礼賛と思い出を語り合わんがため。
人をいかに傷つけて己を偉く見せようなどとするような自説ゴリ押しレスの応酬が続くようならば、
いっそ次スレは「太平記」スレでなくともよいのではありませぬかな?
話せるスレならば、「金」のスレであれ、「木」のスレであれ…。 >>933
23回の護良親王が征夷大将軍任じられたこと知って
師直が「北条殿を倒すためなれば今の帝でなくても、担げる帝であれば〜」
この場面 そこまで確信があるなら
ここで質問する必要ないだろ >>885
観心寺には「KU-RI」 という精進料理カフェレストランが併設されています。
NHK「美の壺(#精進料理)」でも紹介されていました。友人が行ったのですが、ボリュームたっぷ
りで美味しかったと言ってました。
予約しないとダメなのかはわかりませんが、もしご飯どこかで食べる予定があるならHPなどで調べてみては?
寺の前に「阿修羅窟」といういい茶店があったけどまだあるのかナ・・
<元河内長野市民・今湊川神社に初詣にゆく者より> >>934
それって>>930が最後の方に書いてる「スレ」を「帝」にした台詞じゃねーの?木でも金でも何でも良い的な台詞はあったけど 木は木、金は金じゃはアブナガ様の台詞だろw
叡山攻めの問答で金柑キックした時のw はて、このスレに儂の許さぬ者が来ておる。
儂の命に背き、ドラマのセリフをいい加減に覚えた頼房、そなたじゃ! >>926>>929
当時の高嶋弟は、一部では「国民的弟」なんて言われていたからなぁw >>836
観心寺に行くと言ってた者です。情報ありがとう
その店は雑誌等でも紹介されてて有名な店ですよね。料理も雰囲気も良さげ
ただ年に二日間の国宝如意輪観音のご開帳の日はとにかくもの凄い人出で
駐車場は昼過ぎでも長蛇の列、はるばる関東からも団体客が押し寄せるような
静かな南河内にこんなに人が!という感じなんで人気店に入るのは無理かも・・・
違う機会のときに寄れたらいいなと思います >>939
あの逆ギレ啖呵シーンも名シーンだよなあ・・・ 以前に吉野神宮から後醍醐天皇陵まで歩いていったら、途中物凄い獣道みたいなところを通ったな。
足下で何かが動いたと思って見てみたら、蛇を踏んでいた・・・。
ただ蛇のほうも驚いたみたいで、一目散に逃げていったけどw 荒れぎみだから、話題変えにとして確かめずに書くけど
昔、京都旅行に行ったとき
「新田義貞の墓」があるという寺があった
北陸で戦死したのに京都に埋葬されているのかな? 新田義貞の墓とか首塚とかって、群馬だけでもたくさんあるわw
ちなみに俺が知ってる首塚は某被差別部落の中にある。 吉田経房(初代関東申次)
養和元年(1181年)に参議に昇進し、2年後に従三位に昇叙した頃から、一転して源頼朝の友人の一人として経房の名前が突然浮上する事になる。
今まで平氏政権の下で順調に出世し、反平氏の行動と全く無縁であった彼がなぜその地位を手に入れたのかは判然としない。
藤原俊忠
・忠成→女(以仁王妾)
・俊成(三河守、三河国竹谷荘・蒲形荘開発領主)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・女(藤原顕頼(三河守)室)
・女(藤原顕長(三河守)室)
・女→吉田経房(初代関東申次) 義貞の墓が各所に点在しているのは戦前の皇国史観の影響だろうな 義貞挙兵の地の生品神社だって、なんか右翼の聖地みたいにされていたな。 義貞を祭神とする神社だと、建武中興十五社の一つでもある藤島神社が有名だな。 ドラマ終盤、反旗を翻した尊氏と親房が秘密会談みたいなシーンが有ったけど、
この時点では両名ともに正二位権大納言なのかな(親房准后宣下はまだ先か?)
「東えびす」に官位で並ばれて親房は何を思ったかな >>954
同じ回あたりで、南朝で誰か「准后様」と呼ばれていなかったっけ?と思ったが、
よく考えるとそう呼ばれていたのは阿野廉子だったな。
ドラマ終盤の親房は「亜相殿」だったw
しかし登場人物を官職の唐名で呼ぶなんて、今の大河では、まず無理だろうな・・・。 阿野廉子−北畠親房は足利尊氏−赤松円心と並ぶ「昨日の敵は今日の友」 逆に建武政権期だと、北畠と赤松がどちらも大塔宮派で同じ陣営にいるわけだからなw 毎回使ってればなんとかついて行けるんじゃね?
真田丸でも唐名じゃないけどKnifeとかNikeとか呼んでたし。 つうか毎回じゃなくて1回きりであったとしても、それこそ文観が親房に
「亜相殿〜!」と言っている場面をみたら、その亜相殿が親房を指すことは普通分かるぞw
これが分からないとしたら、それは日本語不自由な三国人か、
コミュニケーション能力・文脈把握力が絶望的にない奴か、そのどっちかぐらいだな 花の乱よりは分かりやすいと思うけど
左衛門大夫殿とか尾張守殿とか
姓無しで呼んでる場面とかあるし >>957
「義経」でそれやったら誰のことなのかわからないってクレーム入って止めちゃったということがあった >>965
重盛を「小松殿」って呼んだら、それじゃ誰か分からんっていう、危痴害投書が来た件ね 結局、テレビ局は視聴者のレベルに合わせて番組をつくらざるを得ないんだよなぁ そりゃしょうがねえよ。マニアだけが見るんじゃないんだからさ ただ声高にイチャモンをつけてくるクレーマーの声が、世論の多数派とは必ずしも
言えないのだけどね・・・。
もっともネット黎明期の頃だと、それ以前と比べて誰もが急に物を言いやすくなった
こともあって、ネットでの投書が大量に来るようになったのにテレビ局側がビビって、
過剰反応してしまったのが、上に出ている「義経」のときの件だろう。
当時はNHK側のネット対応も未熟だったから、無視すりゃ良いものに、あたふたと
対応してしまったと。 ネットといえば、「天地人」のころがけっこう視聴者の声で、内容や設定に影響が出始めたような。
真田幸村の妹という設定だった長澤まさみが、「妹では無理がある」と姉に変更されたというのがあった。
あれも意外にけっこう官職呼びにして工夫してた大河だったんだけど。 官職・称号・領地名・住居名呼びって正に時代劇って感じするわ
花の乱で後花園が義政に「室町殿」っておごそかに語りかけるシーン良かったし
「中ノ丸殿」(鷹司孝子)とか「三の丸様」(桂昌院)とか使う80年代の大奥物とか見てたらぞくぞくするし わしは大のスレ立てぎらい。
スレ立てぎらいが、スレ立て好きに、勝てるわけがないわ…! >>970
でも秀吉から信長への書状の表書きに「織田殿」ってやらかしたのも天地人なんだよなぁw しかし一部の煩い視聴者に振り回されたとはいえ、10年以上も大河の迷走が続くと、
流石に制作スタッフの質も落ちれば、かつての熱心な視聴層の大河離れも進むという
感じで、もはや取り返しがつかなくなっているという気がするね。
失われた年月はあまりに重すぎる・・・。 楠木正成で大河を
の動きがあるようだが
今の大河にはご当地の経済効果以外はなにも期待できない
西郷も散々 「西郷どん」は、どうしても「翔ぶが如く」と比較されてしまうからな。
「真田太平記」⇔「真田丸」の場合と比べても、「翔ぶが如く」(「太平記」と並ぶ
大河黄金期の傑作)と一々比較される「西郷どん」は分が悪いでしょうw
しかも今年の1〜3月に銀河で「翔ぶが如く」の再放送をやっていたし、こっちを
見たから「西郷どん」はもういいや、という大河ファンも多そうw 楠木正成大河なら河内のクソ田舎が主な舞台になってしまうなw >>977
翔ぶが如くの二番煎じっぽいドラマかなと思ってたけど、予告編やダイジェストを見てみると、案の定予想通りだった。未だに本放送は見ていない。 >>981
(足利高氏)
それでは挨拶にならん!!(←この台詞の後に師直に向かって乗馬キックをかます)皆、下がって待っておれ!…ハイヤッ! 長谷川博己さんが明智光秀役! 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」
大河新時代――
記念すべき2回目の東京オリンピックが行われる2020年――
21世紀の日本にとって大きな節目を迎える年です。
そのメモリアル・イヤーに、大河ドラマで最も人気の高い「戦国時代」をはじめて4Kでフル撮影、
従来とはまったく異なる新しい解釈で英雄たちを描く、まさしく「大河新時代」の幕開けともいえる
作品が第59作「麒麟がくる」です。
「麒麟がくる」は、大河ドラマの原点に戻り、戦国初期の群雄割拠の戦乱のなか、各地の英傑たちが
天下を狙って、命をかけ愛をかけ戦う、戦国のビギニングにして「一大叙事詩」です。
脚本は、第29作「太平記」を手がけた池端俊策のオリジナル。
大河ドラマとしては初めて智将・明智光秀を主役とし、その謎めいた前半生に光があてられます。
物語は、1540年代、まだ多くの英傑たちが「英傑以前」であった時代から始まり、丹念にそれぞれの
誕生を描いていきます。
若き明智光秀、織田信長、斎藤道三、今川義元、そして秀吉が、家康が、所狭しと駆け巡る…
「麒麟がくる」―新たな時代の大河ドラマの始まりです。
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/295435.html >>985
どうせ朝ドラヒロインみたいな女性キャラが活躍する現代ホームドラマになるんだろ >>986
いや今回は本来の大河のあるべき姿を目指すらしいぞ 来年が東京オリンピックを扱った異色作になるから次は正統派で行くんだろうね >>992
麒麟って、この場合は余り良くない「獲麟」に近い意味で使っているんじゃないかな? 池端氏なら、まさかとは思うが、国盗り物語の二番煎じにならねばよいが・・・。 このスレッドは1000を超えました。
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