【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
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>>403
道誉も一時は本気で後醍醐天皇に心酔していたって話もあるが。 佐々木道誉は鎌倉政権が続いてたとしても
そこそこ良いポジションでいられたはずで
倒幕軍への寝返りがますますミステリアスな御人でです >>411
道誉主役の大河だったら飽きなさそう
直虎みたいなファンタジーに走らなくても
笑える人生だし >>411
足利幕府では六角より優遇されてるし、判断は正しかったのではないか 太平記は名作なだけあって
印象に残る台詞が多かったな
直虎なんか柴崎の「うむ」しか記憶に残らなかった かように致しておる間にも、
彼の地では我らの兄弟縁者が…
もはや酒でも飲んで南無阿弥陀仏と歌うておらねば、
はっはっはっはっ…やり切れませぬ! >>411
>佐々木道誉は鎌倉政権が続いてたとしても
そこそこ良いポジションでいられたはずで
それを言い出すと倒幕側への寝返りが一番ミステリアスなのは、尊氏だけどなw
もっとも尊氏にしても道誉にしても「倒幕」という意識はそもそもなかったとも言うが。 だから儂は足利を鎌倉から出すなと言うたんじゃ!
これでは翼の生えた虎だわえ 尊氏は実母が北条氏じゃないからなあ。嫁で薄まったとはいえ。母が北条氏の高義が足利を継いでたらどうなったかな でも高義生母の外祖父は安達泰盛だし、高義生母の父金沢顕時も、泰盛の婿という関係の
ために流罪になったりしているからなぁ。
仮に高義が生きていたとして、史実における尊氏よりも幕府内で微妙な立場に置かれた
可能性も考えられるよ。 倒幕の決意はしなかったんじゃない?母も嫁も北条じゃあがんじがらめよ >>421
史実の尊氏も倒幕の決意なんてしてないと思うけど >>421
それ以前に足利宗家は何世代にもわたって北条一族との婚姻を繰り返しているわけだし、
足利一門庶家のなかにも北条の血はかなり入っているわけだけどね。 新田宗家が世良田と岩松に分割相続されるあたり泣けるわ… 義重が鎌倉殿に色々不興を買って
嫁の実家北条にも疎まれたんだっけ >>433
それ以前に、足利荘を継承している時点で源義国系の嫡流は足利氏でしょう・・・。 義国の正室の子が足利義康、側室の子が新田義重。嫡流は足利ですぜ そもそも足利荘を鳥羽法皇(あるいは美福門院)に寄進して荘園化したのも義康だよな。
後世に足利荘が八条院領となり、足利氏と大覚寺統の間に接点が生じる背景 頼朝挙兵の折、足利義兼はいち早く頼朝の下に馳せ参じ、一方の新田義重は平家に加担する。頼朝の母と足利義兼の母は姉妹、なおかつ義兼の正室は北条政子の妹時子。頼朝と義兼は二重の姻戚関係である 足利氏と新田氏その5
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/toutushou/a_n05.html
幕府の安堵状があるのだが「新田孫太郎貞義」と誤記されている。 これも当時の新田の状況を現していると思う。 北条氏とって名前もろくに覚えてもらってないのだ。 (正しく書かれていれば「新田小太郎義貞」となる)
新田の没落っぷりに涙が出るぜ… >>438
義兼はいち早く頼朝に馳せ参じたと言えるのか?
最初の挙兵や石橋山の戦い、房総半島への逃避行なんかの段階では、義兼が頼朝の近辺に
いるわけではないし、実際は頼朝が鎌倉に入った後に馳せ参じているはず。
もっとも敵対行動をとったり大幅な遅参をしたわけでもないから、血縁の近さと父親同士が
盟友であった誼で、そこそこの厚遇はされているが。 新田は、頼朝が挙兵した頃は結構な勢力だったんじゃなかったかな
足利系の方が優遇されたのは、武田を分割したのと同じ理由かな
って思えなくもない 面白い話だが頼朝の時代まで遡っちゃうとスレ違いでは.....
と、言う事であの場面で石の前に出ていく藤夜叉を観て無理があると思ったのはオレだけでは無いはず >>423
難太平記読んだ事無いのか?
思いっきり決意しとるがな >>431
源義重は重鎮としてリスペクトされていたぞ
やらかしたのは政義だ >>434
足利荘は源氏の所領じゃないぞ
源氏累代の所領は八幡荘だ >>435
正室、側室の区別はついていないぞ
分かっているのは義康のかーちゃんは二号さんだけだ
あと、足利義康ではない源義康だ
義康を足利と書いた資料は一切ない(江戸期に書かれた資料はある)
気を付けろ >>436
義国と義康は寄進される院側の代理人で、寄進する秀郷流足利氏側の人間ではない
史実かどうかは知らんが、義康の母方の曽祖父さんは信西で、父方の曽祖父は美福門院と従兄弟だ
寄進云々、八条院云々で接点で糞もないわ >>438
頼朝の母と義兼の母が従兄弟は結構だが、カッコして但し書きをしっかりつけよ
事実は、義兼の母親は頼朝の母親の兄の娘だ >>438
平氏に加担なんかしてないぞ、新田荘でふんぞり返って、眺めていただけだ
以仁王の令旨を行家から、義兼は三河で、範頼は遠江、頼朝は伊豆で見せられたんだが、そりゃタイムラグはあるだろう >>436
追記だが
信西のダチが家成でその息子が、新田荘の領家の忠雅だ
また一つマニアックに賢くなったな でもなんか三河っちよりもすんなり読めるというか。
芸風変わったのか? 三河屋だろw張り切ってんなw今年の大河は絡み難いからなw >>444
北条を打倒する決意はしても、倒幕を決意したと言えるかな? なんだ三河屋だったのかw
まあ確かに三河も中世も関係ない今年の大河には絡みようがないな・・・。
しかし、だからといって暫く平穏だったこのスレで、また暴れられてもなぁ 戦国時代の三河に西郷氏がいたよね。菅沼新八郎と行動を共にした人 >>459
隆盛の家系は、三河西郷氏(一色氏が三河守護だった時代の守護代の家系)が三河に
移住してくる前の、肥前西郷氏だった時代に、頼母の家系とは分かれているんじゃないかな? >>446
(足利貞氏)
一兵たりとも、この足利荘から三河勢を生かして帰すな!! >>461
まあ西郷隆盛の先祖が三河にいるわけないってことだな。 頼朝も足利義兼も半分尾張人だからなw
尾張の底力は凄い! いや、これは文観の淫謀、もとい関東調伏の由縁だろう 新田は自前の新田荘に八幡荘まで持っててデカい勢力だったのに子孫は世渡り下手すぎるだろう 遥か後には、あの東照大権現が出るのだから、ヨシとしようじゃないかw 上野などどうでもよい!
それよりもまずこのスレに現れた三河屋をまず討つべきであろう
足元に火がついておるのじゃ〜 そろそろ足利殿が御出陣なされるころと思いましてな。ニヤニヤ 八条院領に感謝とか意味不明なんだがw
三河屋さんかな? 三十四話まで観たが面白いのう。全話観てないのに個人的に大河トップ3に入るわ
尊氏って割りと流されるタイプだなあと思うが、あんだけアンチが多いのもかわいそうではある 優柔不断に天下の政を任せてはいけないという典型例だな尊氏は >>486
湊川の戦後処理時に直義が実権持ってたら後醍醐の処遇が適切だっただろ(害し奉る) >>491
赤いミツ鱗を知ってるか〜
白い二つ引き両を知ってるか〜 >>478
長谷部信連を巡って 第2章 以仁王令旨
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/nob/nob-2.htm
八条院領を中心に以仁王の令旨が伝えられたから?
それだと河内源氏の棟梁っていうより、源平合戦時の源氏全体じゃないかな。 この大河はクレジット順がコロコロ変わるのが面白いな
鶴太郎の北条高時や楠木の武田鉄矢はトップ3番手やら中盤1番手にトメGまで行ったり来たり
宮沢りえは藤夜叉死すの回だけトメGに入ってた(10代女優でトメG入りは唯一?) 三河馬鹿ではないと思うけどな。あの馬鹿なら長文コピペを嬉々として張り付けるだろうし。
あと以仁王の令旨は「東国」の八条院領にばら蒔かれたが正解かな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています