【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
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B藤原範季
・源範頼(養子、三河守)→源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧)→吉見為頼(初代吉見氏)
・藤原範時(八条院蔵人)
・藤原範茂(子孫は高倉家(羽林家))
・藤原重子(修明門院、順徳天皇母)→順徳天皇
・藤原範光(養子(実父は藤原範兼)、後鳥羽院近臣)
:藤原範子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母、土御門天皇外祖母)→源在子→土御門天皇
・藤原兼子(養女(実父は藤原範兼)、後鳥羽天皇乳母)
・他多数
C源頼政
・源仲綱(大内守護)→有綱(伊豆守)→女子(源義経室)
・源国政(初代山県氏)
・源兼綱(実父は頼政兄の頼行)→大河内顕綱(初代大河内氏(三河国額田郡大河内)か?)
・源頼兼(大内守護)
・源広綱(実兄の仲綱に養子入り、駿河守)
・二条院讃岐
D藤原季兼
・藤原季範(蔵人所雑色、初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→Eへ
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(九条院蔵人、玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女子→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当、初代二階堂氏) >>533
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E藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→Fへ
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→Gへ
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→Hへ
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三位局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)→任憲(三河国滝山寺)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
・女子(源師経(三河権守)室)→女子(崇徳院妾)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
F藤原範忠
・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司)
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺)
・任暁(仁和寺)
★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
G藤原範信
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫、頼朝右大将拝賀先駆)
・藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))→藤原範俊(左馬助、大学助、源実朝近習)
・藤原信綱(駿河守、尾張国海東郡地頭)
・藤原信雅(高松院蔵人)
・藤原憲行
・藤原実豪(延暦寺権僧正) 追記だが
女子(源師経(三河権守)室)→女子(崇徳院妾)
源頼朝の母親の姉妹の子供、頼朝の従兄弟が崇徳院の妾になっている
もう一人の妾、兵衛佐局も三河の藤姓熱田大宮司家出身説があるそうだが、その子供の重仁親王の乳母は池禅尼
そして吉良荘は崇徳院の正室、皇嘉門院領で、寄進したのは三河の藤姓熱田大宮司家ではないかと言われている
気が狂って尾張を選んでいたら、室町幕府は無い そもそも我らは帝のために戦ったのでございましょうか
我々が北条を倒したのは足利と、武士の行く末を
思ってのこと。かつげる帝であればどんな帝でも
よろしかったのではありますまいか。
例えば木の帝であれ、金の帝であれ。 桃井直常ってドラマでは狂暴だったよな。直義も少し遠慮する尊氏に猛然と喰ってかかってたし。 >>527
申し訳ありません。構ってしまいました。今後は自重します。 >>537
でも、あの直義が重用したんだし、それなりに政務能力はあったのでは?
少なくとも単なる筋肉バカとかではないと思う。 >>537
人を悪く言うことのないない尊氏が唯一Disってた相手だからな
「あれは己の栄達しか眼中にない男ぞ」 桃井直常は戦に強かったんじゃなかった?師直みたいに >>532
訂正
義康の曽祖父が信西とするなら、こうなる
安楽寿院が建てられた鳥羽殿は、季綱
が自身の別荘を寄進した
足利荘は、義康の先祖の別荘に建てられた寺に寄進されたわけだな
藤原実範(三河守)→藤原季綱(三河守)→藤原実兼→藤原通憲(信西)→女→女→源義康?→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏(足利氏として初めて三河守護)
義兼は実範の息子2人の血を引くわけだが、これでみると一世代ズレている
信西の娘と同年代の女が、養女として入ったんだろうか?
藤原実範→季綱→実兼→信西→女→女→源義康?→足利義兼(初代源姓足利氏)
藤原実範→季兼→季範→女→女→足利義兼(初代源姓足利氏) イジメられ馬鹿にされても必死にしがみつく、惨めな田舎者と言うしかない
パゴヤ君はよ
303 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/03/23(金) 09:35:38.83
尾張國造家は、単なる外戚の三河の藤原南家に「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われるも、神宮寺の愛染院(真言系)とスクラムを組んで対抗し、
藤原季範を締め上げた。季範の息子の代には、館を社僧に取り囲まれて外に出ることもできなくなり、頼朝に泣きつき、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる
>「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われる(笑)
>頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる(笑)
三河(源頼朝、三河の藤姓熱田大宮司一族、天台宗系神宮寺) vs 尾張(尾張氏(田島氏、馬場氏)、宗徒、真言宗系神宮寺)
当時、殺伐とした内部対立があった中、源頼朝が尾張で生まれるわけないだろうがw 昨晩のザ・プロファイラーで
武田鉄矢が楠木正成を熱く語っていた 正成尊氏義貞と有能な弟たちがいたのも太平記を彩ったよな。正季は違うとかいう野暮な反論はなしな。義詮直冬もいい味だしてる >>544
確かに勝ち戦もあるんだが、顕家との戦いのトラウマで以後粘りがなくなった
口先では最強硬派だけど、戦場では肝心所であっさり負けてあっさり逃げる人
桃井直常
「戦の時、どちらも退かなければ身をまっとうすることはできない。敵が先手を取ったらまず少し退いて、味方をまた立て直して攻めかかれば敵も退くものだ。」
今川範国
「桃井は、強そうな敵には何度も負け戦をするような人だ。人の天命は、そのように故実によって逃れることはできない。まず戦って、どうしようもなくなって力尽きた時に退くものである。」
・観応の擾乱で近江八相山の戦いで負けて直義優勢の空気が一変する。そのまま関東落ち。
・観応の擾乱で最初勝った宇都宮に次戦惨敗。そのまま関東は尊氏方優勢となって直義軍崩壊
・文和四年東寺合戦で主力が七条で奮戦したのに桃井が守る戒光寺をサクッと突破されて全軍敗退 >>554
本作の高兄弟に関しては、師直のほうが弟キャラだったな ??「敵は足利尊氏ただ一人!命を惜しむな!名こそ惜しめ!」 >>560
桃井はヤな奴だけど行家みたいな節操無しではなかったかと
あと「義経」で行家役だった大杉漣、端役で太平記にも出ているね
顔は全く写っていないけど声で丸わかりだった 桃井の名前の読みって、ドラマでは「なおつね」と言っているが、本当は「ただつね」だよな? 足利直義は「ただよし」なのに、登場人物のセリフで桃井直常は「なおつね」読みだったから放送当時、少し変な感じがしてた まじで大杉漣でてるな。昔の大河に若い頃の稲垣吾郎やくりぃむ上田がでてたな。
行家に似てるといったのは最初勝って後は連戦連敗ってのを言いたかったんだ
>>563
大杉漣→道誉の華麗な裏切り→坊門清忠→忍者右馬介で焼酎吹き出したわwwwwwwwwww 若殿はいかが…?
父上をお恨みいたすその一念はいかが…?
若殿の恨みが、この都を焼き払うておるのじゃ!!
これを鬼の執念と申しませぬか!? つべで久々に見たが、判官殿が足利殿の曖昧な態度が南北朝の動乱につながっているとはっきり言われているな。
サンキュー道誉 後醍醐帝が吉野にトンズラした後に尊氏が「なるようになる、何とかなるさ、Let it be〜♪」て言って、道誉直義師直が「なにいってだこいつ」って顔で呆れてるのが滑稽だったわ 鎌倉幕府が開かれてから130年、政治のひずみが到るところに噴出していた。正中ノ変はその典型的な例である。そして公武の亀裂はますます拡大し、乱世の微候が顕然となった。
「天皇御むほん」さえ囁かれるである。当時は両統迭立(てつりつ)の世、後醍醐天皇が英邁におわすほど、紛擾のもととなった。この間、足利高氏が権門の一翼として擡頭し、再度の叛乱に敗れた日野俊基とは明暗を大きく分ける。 >>579
(佐々木道誉)
ここに居並ぶ御歴々も御存知の如く、某は執権の君より内々の命を受け、長らく都の謀反に目を光らせてまいった。日野は、某の網に掛かった愚かな友でござる!! 原作では、狂言回し的な存在だった吉田兼好がキャスティングされなかったんだよな。
新平家は西行が蜷川幸雄だった。 >>581
(佐々木道誉)
円喜殿、勘違いをなされては困る。某は円喜殿と同心故、出たわけではない。
執権殿の命により出たまでの事。儂に指図が出来るのは…執権殿のみぞ…! 日野資朝の実弟賢俊が持明院統の光厳上皇の院宣を尊氏に届けるのはなんとも皮肉よな でも日野一族の大半は北朝方だし、そうじゃなければ室町期に日野家が足利将軍家の
外戚にはなれない。
それに仮に日野資朝・俊基が建武期まで生きていたとしても、史実における万里小路卿の
ように、やがて建武政権に失望して後醍醐から距離を置くようになったかも知れない。 資朝卿は後醍醐帝とウマが合うような変人だったらしいね 判官殿の家系って一度も他家から養子を取らずに版籍奉還まで大名として生き残ったんだな 凄いわ 伊達や島津だって普通に同一家系で続いているけど・・・? 大杉漣が急逝だとな…>>563は何かの暗示だったのだろうか。
ゴチとかどうすんだろうな >>593
どちらでもいいんだぞ。新しい政で新政でもあるし、天皇が自ら政治を摂った親政でもあるし 敵は、たれぞ
足利尊氏にござりまする!
このシーン音楽も良かったし記憶に残ってる
(この後判官…) >>596
陣内のニヤニヤ顔がホントにプラスに働いたドラマだよなw (佐々木道誉)
御辺の気が変わり、戦にお発ちの折には御一報を賜りたい。何処に居ようと、馳せ参じ…戻って参る。…御免! 尊氏が東国へ下る決断をしたら即判官殿が鎧を纏って駆けつける。ストーカーかよw >>600
逐一報告してくる草の者でも潜り込ませてる
って説明もないからやっぱりストーカーなのかねw尊氏大好き宣言してるしねw >>605>>606
(北条高時)
クックックックッ……!同じことだわ……! 三兄弟の鎌倉経営は功絶大だな。新田を追い出したのも完璧。 「観応の擾乱」を読んだけど直義は無気力で負けた
一方で子供がいてやる気になった尊氏が勝った
「横暴な師直」などというのは存在しなかった
とかいろいろ面白かった また室町やって 亀田さんは佐藤進一に反発してダダこねてる感があってw
でも直義無気力説はわかる
というか病気だと思ってる
きっと本当に病死だよ 「ウルトラマンが泣いている」っていう本を読むと、円谷一族の権力争いは観応の擾乱より酷かった 観応の擾乱は天下の大乱だぞ。昭和の生ぬるい一家系のお家騒動と比べること自体がナンセンス
あまり太平記を愚弄するなよ >>620
この時代の政治史をまともに研究するなら、佐藤さんに噛みつかないわけにはいかないだろう・・・。
まああまりに偉大すぎて乗り越えるのが大変なのは間違いないが でもその前に、無理やり人質を出させて
「異存あるまいの、足利殿」だからなぁw 北条殿が…人質を出せと言われれば人質を出し、戦に出よと言われれば戦に出る…今の我等に、それ以外の道がありましょうや…? このドラマにネプチューン原田泰造が死体役で出てたらしいけどわかる人いる? 死体はいっぱい出てたからDVDあるけど探す気になれないw 久しぶりに総集編を一気見したけど、やっぱり面白いね。
金剛山に登って千早城址も見てきた。
けど根津甚八さんロス(出演されてなかったけど、プラス渡瀬恒彦さんロス)は治らない。 >>631
そんな事言ったら他の出演者で鬼籍に入った俳優さん山程いるだろう
それに渡瀬さんはコッチじゃ無くて真田だろ、自分も好きな俳優さんだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています