【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
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そういえば、頼朝が下文の形式を自らの御判から政所下文に切り替えた際に、
千葉・小山辺りの有力御家人が「政所下文は嫌だ、頼朝本人の花押が欲しい!」
とゴネた有名な話があったなw そもそも新たな武家政権の創始者となった人物なんて、歴史上に数えるほどしか
いないわけで。
頼朝の場合、事実上の武家政権を先に樹立した上で、たまたま右近衛大将→征夷大将軍
という官歴をたどった結果、彼の政権は遥か後世に「幕府」と通称されるようになった。
そして頼朝の政権と同じような体裁をとった尊氏や家康の政権も、後世同様に「幕府」と
言われるようになった。
歴史的事実としては、これがすべてであり、その他の歴史上に実例がないケースについて、
可能かどうかを論ずること自体が、ハッキリ言ってナンセンスだろう。 なにをいきなりキレてんだか?
>>658
なんでわかりきったことを聞くのん? 三位の中将ならば、政所を備えられ、侍所となるべき機関を置けば、実質的に幕府を設けることは可能。 >>662
幕府の組織は、由来としては公卿の家政機関としての政所だからな。
さらにいえば、公卿の家における政所の別当のことをもともと「執権」と称していた。
鎌倉幕府における政務担当者の肩書きを「執権」というのも、これに由来するわけだなw
もっとも将軍とかではない一般の公卿の家政機関を「幕府」とは、同時代史料においても、
後世から見た歴史用語としても、言わないが・・・。 >>657
小学館の「学習まんが少年少女日本の歴史」7巻にあったな。
千葉がくどいて北条への不満を表してあるシーン。 尊氏は征東将軍(征東大将軍?)なるものも受けてるな。これは木曽義仲もなったもの。普通ならこんな縁起の悪いものは受けないんだけどねえ。面白い男だね尊氏は >>665
うむ…儂もまた鎌倉殿の命でな、足利殿に万が一謀反の動きあれば…討てと言われておってな…こうして先に帰国して備えておったのじゃ。
いや、忙しかった!アッハッハッハッハッハッハッ…!! 尊氏を煽ったつもりが煽り返されて表情が一変する判官殿可愛い 道誉は古典太平記でも佐々木なの?一応目立たないけど、この時代にも嫡流の六角氏はいるよね。京極高氏ってのもなんか違和感あるが >>671
家督を継いだあたりから尊氏の精神的成長が見られる
打倒北条でイケイケになって、判官殿に対しても精神的優位に立ってる
逆に判官殿は、長崎親子が強いとわかると長崎親子に媚びる変わり身の早さはさすがだが
その長崎親子から先帝を討てと言われたら余裕が無くなって荒れてたな
判官殿ほどのバサラでも先帝は別格ということか >>672
古典太平記のころはどっちも佐々木呼びなんよ
京極道誉と呼ばれるようになるのは少し後から 六角氏も南北朝の荒波をモロにくらって没落してんな。
京極氏は道誉が亡くなってから落ちぶれていく一方だな。 >>665>>666
確か『吾妻鏡』では、千葉がゴネた話がのっているが、小山に関しても同様の話があったと
いわれ、その証拠として、小山朝政に対して同じ内容の政所下文と頼朝袖判下文が同日付で
出された実例がある。
その文書の実物が、前橋松平家(小山の分家である結城の名跡を継ぐ家)の子孫の家に
伝わって現存している。
まあ実際問題、将軍本人の花押がある文書のほうを武士たちが珍重するのは当たり前で、
だからこそ尊氏は鎌倉幕府のような政所下文を用いることをしないわけだな。
無論、南北朝の問題を抱えるなかで、少しでも多くの武士を味方に付けたい事情もあるが。 >>672
室町幕府の正式な発給文書の宛名表記では、戦国期に至るまで六角・京極いずれも
「佐々木○○殿」のような表記で、「六角」「京極」とは書かれない。
しかし通称としての「六角」「京極」は、太平記の時代に既に存在しているはずだし、
公家の日記なんかでは「佐々木六角」「佐々木京極」みたいな表記も結構普通に出てくる。
ちなみに朽木や尼子など他の佐々木一族庶家の場合は、幕府の発給文書においても、
「佐々木朽木○○殿」「佐々木尼子○○殿」みたいな表記が普通。 >>675
浅井の傀儡になりながら
復権してる京極のしぶとさ >>675
六角は戦国時代に名君高頼定頼が立て直したから 太平記っていいよね・・・
でもこっちのゲームももっといいぜぇ・・・
https://goo.gl/Z4BRFC それがしは信じることに致した。
神でも仏でもない。 もっと確かなものじゃ… >>677
尼子殿といい、朽木殿といい…。さすがは判官殿の末裔じゃ。 >>685
尼子はともかく朽木は道誉の末裔というわけではないよ。
六角と京極が分かれたのと同時期に分かれた高島の庶流が朽木。 >>686
足利貞氏と尼子経久、正反対の役柄なのにどちらも見事に演じていた緒形拳の凄さ >>688
鬼畜の情けない役だったり
藤枝梅安だったり たしかにこの時代に朽木いるなw律儀に尊氏の九州落ちについていってる。六角や京極に従うことなく独立した勢力だったとのこと >>688
彼には凄さよりも凄みを感じる
いい役者さんだったな >>690
六角や京極と主従関係はないが、近江守護としての六角には一応従ってはいるかな。
無論、朽木は後に室町幕府の奉公衆になるから、奉公衆になればその国の守護の
統制からは完全に離れるけど。 9話が最後とか思えない存在感
しかるにこの貞氏、悲しい哉徳なく才乏しく、わずかに家名を守って、この病だ… 高氏、父のように迷うな!神仏の許しあれば、天下を取れ!!
もし、それが道と思ったなら、弓を取れ!! 徳なく夢むなしく破れわずかに家名を保たんがため一命をなげうった御大がいましたね… >>697
六角承禎って何で義昭・信長の上洛に刃向かったのだろう? 名門近江源氏の嫡流が守護代の陪臣のそのまた陪臣の信長に従うのが耐えられなかったみたい >>702
しかしそれなら信長と大差ない身分の三好三人衆と結んで、義昭ではなく義栄を担ごうと
する理由にはならんな・・・。 西郷どんスレで橋本左内が桃井直常の子孫とあったが本当なのか?w 高橋悦史の子孫が篠井英介ということならわからん話でもないなw なんか南北朝前後の時代、鎌倉前期や戦国時代になるとレスが増えるなwどんだけこの時代人気ないんだよw 征夷大将軍って頼めばくれるんじゃなくて
実績がないともらえないんだな >>714
足利一門の桃井が祀られるかよw
皇国史観で南朝が祀られてるの戦前に 和製ゴッドファーザー「日本の首領(ドン)」で本家でいうところのアル・パチーノの役を演じた高橋悦史 >>713
昭和の小説家がこの時代を書かなかったのが悪いな。司馬とか。吉川英治氏はさすが >>718
北方健三の破軍の星とか道誉なり読んだけど
北方の顕家卿カッコいい 北方はワンパだけどキャラは好きなんよね
ヨイショ枠の顕家、道誉に加えて高師直・師泰、尊氏もいい
そしていつも踏みつけられる義貞公 >>718
司馬氏はリーダー不在の時代は嫌いらしいから仕方ないよ。 >>715
足利義勝とか徳川家継とかって、何か実績あったの? やっぱり院宣もらった以上新田さんの首取らないと申請出しづらいんでしょ
首が添付書類みたいなもんだよね 院宣(北朝)vs綸旨(南朝)なんて前代未聞だからね。
別に義貞生きてても将軍にはなれたでしょ。 本来なら、宣旨(院宣)>綸旨だと思うのだが、後醍醐帝は何故に綸旨を多用するのかね? 朕が新儀は未来の先例たるべし
の意気込みだったのよ尊治っちはw 延喜・天暦の御代に戻れというなら、法令は「格」とか「式」とかで出すべきでは? 尊治さんは常識や慣例にとらわれない御方なので先例を気にしても意味ないかとw
花夜叉と毛利輝元の婚姻が決定いたした >>737
結果として後世の朝廷からも、
「後醍醐帝の時代のことは先例としてはならない」と言われるわけだね。 まあそれでも意図は違うとはいえ八省の長官を大臣クラスに兼ねさせるのは
内閣制度の先駆と言えよう。
帝の目ははるか遠くを見ておられたのだ… サブタイトルを順番でスレタイにしているだけだからまあしゃーないw これから終盤にかけて、登場人物の死を意味するサブタイトルが続くなw >>740
いやいや、「太平記」での後醍醐さんも
「延喜・天暦の治世に帰す」とか言ってたから
結局懐古趣味じゃないの? 後醍醐という諡号を自ら決めたのだから
醍醐天皇を意識してないわけがない 延喜天暦に戻るわけないだろ。武士の世の中なのに。アホかっちゅうねん。新政もしょっぱなから挫折したし >>747
一応言っておくと、「後醍醐」は諡号じゃなくて追号な。
>>746
実際の延喜・天暦期は、後醍醐帝が理想と考えるような時代とはかけ離れているのだけどね。 応仁の乱がヒットしたから、また室町をやらないかな。
義満か、義教か。永享の乱や享徳の乱は解説書が出たけど >>749
武士だけでなく公家も実際バカバカしいと思っていただろうな。 >>749>>752
(????)
おのれ、腹立たしき物言いかなっ!
天子様を蔑ろにしておきながら、勅命に逆らわんとするは言語道断なり!
かくなる上は是非もなし!幕府の威信にかけて、駿府に引っ張ってこい!
刀っ!!儂が首をはねてやる!!八つ裂きにしても飽き足らぬわっ!!
よいか!押して…押して…押しまくれっ!!一歩も後に退いてはならんっ!! 公家的には、ピンハネ率が増えても都で暮らせて年貢納めてもらえるほうが気楽じゃない?
少なくとも自分が奥州やら九州やらに行って無法地帯で戦わせられるよりはさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています