【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
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後醍醐という諡号を自ら決めたのだから
醍醐天皇を意識してないわけがない 延喜天暦に戻るわけないだろ。武士の世の中なのに。アホかっちゅうねん。新政もしょっぱなから挫折したし >>747
一応言っておくと、「後醍醐」は諡号じゃなくて追号な。
>>746
実際の延喜・天暦期は、後醍醐帝が理想と考えるような時代とはかけ離れているのだけどね。 応仁の乱がヒットしたから、また室町をやらないかな。
義満か、義教か。永享の乱や享徳の乱は解説書が出たけど >>749
武士だけでなく公家も実際バカバカしいと思っていただろうな。 >>749>>752
(????)
おのれ、腹立たしき物言いかなっ!
天子様を蔑ろにしておきながら、勅命に逆らわんとするは言語道断なり!
かくなる上は是非もなし!幕府の威信にかけて、駿府に引っ張ってこい!
刀っ!!儂が首をはねてやる!!八つ裂きにしても飽き足らぬわっ!!
よいか!押して…押して…押しまくれっ!!一歩も後に退いてはならんっ!! 公家的には、ピンハネ率が増えても都で暮らせて年貢納めてもらえるほうが気楽じゃない?
少なくとも自分が奥州やら九州やらに行って無法地帯で戦わせられるよりはさ 公家の発想の根本は、先例主義&現状維持だから、後醍醐みたいな面倒な帝に余計なことを
されると迷惑だと思っているはず。 中公新書だろ
英雄たちの選択でも2時間SPで扱った 応仁の乱は、北条早雲でもやれば久々に描かれるかな? 別に他の歴史上の人物はどーーーでもいい。太平記が好きなんで。
あんな規模でもう大河は出来ないんだろうな。 尊氏に>>755の心意気があったならば、世に無用な乱は起こらなかった。
その点、頼朝さんや家康さんはさすがですな。
武家の棟梁・征夷大将軍はこうじゃないとね。
義詮義満は初代を反面教師にしてよく頑張ってくれたよ。 頼朝なんて、自らはほとんど実戦経験もないのに武家の棟梁とは、笑わせてくれるw
実態は、東国武士たちに担がれた単なる御輿だろ? 清盛や秀吉は重商主義で貨幣経済を推し進めてたのに、
その後の天下をそれぞれ継いだ頼朝と家康は重農主義で米本位制経済が主体
民を押さえつけ、活気を失わせたな
彼らにとってはまずは泰平の世が一番だから
できれば民など愚かで従順なままの方がいい ぶっちゃけ清盛って結構いい人だよな。秀吉は違うけど 先日喧嘩両成敗の誕生という本を読んで
家康支持派に転向しました >>765
鎌倉幕府の経済政策は平氏政権の踏襲だし、江戸幕府の経済政策は豊臣政権の踏襲だよ。
鎌倉幕府は、平氏政権の大輪田泊に倣って鎌倉に和賀江島を整備しているし、日本が
本格的な貨幣経済の時代に入るのも鎌倉期。
江戸幕府は、豊臣政権が導入した石高制を引き継いでいるし、何より江戸前期は日本史上空前の高度成長の時代。
経済的に前時代より低迷したなんてことは、あり得ないよ。 >>767
喧嘩両成敗という言葉の初出は『今川仮名目録』だっけか? >>764
頼朝あっての足利氏の貴種性だけど?
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム) 
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したのさ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ 
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)  >>772は三河屋がID変えて自作自演かな?
タイミング的にw 他のスレでも三河殿をお見かけしましたぞ。相も変わらずの長々な蘊蓄ぶりでござりましたな。 だいたい同じ内容のコピペでしょ?
毎度毎度すべて新儀で書いているとは思えない。 読み飛ばすから内容なんて知らないなあ〜長過ぎて目が滑るんだよ このドラマ、ブレイク前のトヨエツが出てるんだな
伊賀者の吉次、どんな感じ? >>783
鈍臭い鉾の殺陣してた。何故か眉毛無しで一言二言台詞有り。
探すまでもなく出てきたら即分かるよ。 >>783
ブレイク前のトヨエツと常盤貴子と大杉漣が出てた >>786
DVDを持っているから何回も見ているが、豊川さんと常磐貴子はわかるが大杉漣さんの出演しているシーンがわからない。何話のどのシーンか教えてください。 >>784
>>786
サンクス
太平記はまだ見てないけど今見てる炎立つにメインキャラで出てる
愛くれで大ブレイクする少し前かな
顔よりも声に特徴がある
太平記ではモブな扱いだろうけど昔のドラマを見ていてクレジットでモブクレの中に
後の有名俳優の名前をみたことって全然ないのでやっぱりヒットするような俳優は
最初から何か持ってて抜擢されるんだろうなと思ってたけど例外もあるって事か 昔の大河って、後に大物になる人がチョイ役で出てくるケースは、注意して見ていれば
そこそこあるような気がするが。 >>790
基本1年間放送だから登場人物多いからね。売れないまま終わった人も塵芥の様に居るし、後に売れっ子になる人も居るだろう。 >>792
花夜叉一座も、終盤は不自然に出番が減ったな・・・。 >>795
というか、終盤になると完全に出番がなくなったのでは…? >>795
それでなくても駆け足の展開で落とした史実いっぱいなのに架空の人物に尺割かれたらたまらないよ 「兄上 いいかげん田楽に狂うのはおやめ下され
得宗殿は暇なときは禅僧と哲学談議などしておられると聞きますぞ」by 直義 無学祖元は頓智のような話を好まなかったようだ。
ただ禅の実践あるのみ、浮ついた言葉のやり取りを避けた。
吉川弘文館の「北条時宗」に記してあったような気がする。 >>793
楠木正行(成人後)の人もジャニで名前もそこそこ知られていた人だけど、その後さっぱりだったね
ググったら未だに芸能界を辞めていないんだな >>801
一回コッキリの出演で気の毒だったなあ〜「お、終わりかい!!」ってツッコミ入れそうになったw >>800
公案問答こそ臨済宗の醍醐味じゃないの? 2001こーふくよんでんなぁぁぁしゃべってくんなぁぁぁぁっぁ
てめーのせいで今世息肉気宇なったやろがぁぁぁぁぁぁぁちち死ねこっから自由失ったんこのあほが原因
2002ふくみーばばぁからんでくんなぁぁぁぁぁぁふくみーばばぁ死ねほとけさん失敗させんなぁぁぁぁぁちち死ね中島死ね
2007まるふじはたたいてくんなぁぁぁぁまるふじ死ねふくみーばばぁ死ね顔出すなぁぁぁぁけーよぶなぁぁぁぁおっさん死ね
かみおかべうざめがねからんでくんなぁぁぁあかみおかべうざめがね死ね
けーさつ豚箱いれたってもいいぞいうなぁぁぁぁ警察死ね
2008かみおかべうざめがね金髪矢ロー死ね
2014木を切り刻んでんの二よってくんなぁぁぁぁぁ父死ね大村前田死ね
2016帰ってからタイミングによってくんなぁぁぁぁxよってくんなあっぁぁぁぼけぁぁぁちち死ね高橋秀和氏ねまるふじ死ね場所しってんなぁぁぁ母死ね
ちち死ね >>797
キャストエピソード…。
新田弟にも触れてやってくれよ…。
当時の公式ガイドブックで、弟役三人衆の座談会があって、「この三人で打ち上げやりましょう」みたいなこと言ってた。 >>806
政伸と良純は実際も弟だが、赤井はどうなんだろう? >>809
中濃ソースは、美濃国(濃州)中部のソースだっけか? 27年前の作品だから新規のネタが無いのは仕方ないが >>837
そう思うなら、誰もが食い付く魅力的なネタをどうぞ! >>839
ID変わらないぶん多少はマシだが、もう少し面白いレスせぇ >>838
だからって一言かつ意味不明なレス連投はどうよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています