【第三十二回】太平記 part.32『藤夜叉死す』
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>>783
鈍臭い鉾の殺陣してた。何故か眉毛無しで一言二言台詞有り。
探すまでもなく出てきたら即分かるよ。 >>783
ブレイク前のトヨエツと常盤貴子と大杉漣が出てた >>786
DVDを持っているから何回も見ているが、豊川さんと常磐貴子はわかるが大杉漣さんの出演しているシーンがわからない。何話のどのシーンか教えてください。 >>784
>>786
サンクス
太平記はまだ見てないけど今見てる炎立つにメインキャラで出てる
愛くれで大ブレイクする少し前かな
顔よりも声に特徴がある
太平記ではモブな扱いだろうけど昔のドラマを見ていてクレジットでモブクレの中に
後の有名俳優の名前をみたことって全然ないのでやっぱりヒットするような俳優は
最初から何か持ってて抜擢されるんだろうなと思ってたけど例外もあるって事か 昔の大河って、後に大物になる人がチョイ役で出てくるケースは、注意して見ていれば
そこそこあるような気がするが。 >>790
基本1年間放送だから登場人物多いからね。売れないまま終わった人も塵芥の様に居るし、後に売れっ子になる人も居るだろう。 >>792
花夜叉一座も、終盤は不自然に出番が減ったな・・・。 >>795
というか、終盤になると完全に出番がなくなったのでは…? >>795
それでなくても駆け足の展開で落とした史実いっぱいなのに架空の人物に尺割かれたらたまらないよ 「兄上 いいかげん田楽に狂うのはおやめ下され
得宗殿は暇なときは禅僧と哲学談議などしておられると聞きますぞ」by 直義 無学祖元は頓智のような話を好まなかったようだ。
ただ禅の実践あるのみ、浮ついた言葉のやり取りを避けた。
吉川弘文館の「北条時宗」に記してあったような気がする。 >>793
楠木正行(成人後)の人もジャニで名前もそこそこ知られていた人だけど、その後さっぱりだったね
ググったら未だに芸能界を辞めていないんだな >>801
一回コッキリの出演で気の毒だったなあ〜「お、終わりかい!!」ってツッコミ入れそうになったw >>800
公案問答こそ臨済宗の醍醐味じゃないの? 2001こーふくよんでんなぁぁぁしゃべってくんなぁぁぁぁっぁ
てめーのせいで今世息肉気宇なったやろがぁぁぁぁぁぁぁちち死ねこっから自由失ったんこのあほが原因
2002ふくみーばばぁからんでくんなぁぁぁぁぁぁふくみーばばぁ死ねほとけさん失敗させんなぁぁぁぁぁちち死ね中島死ね
2007まるふじはたたいてくんなぁぁぁぁまるふじ死ねふくみーばばぁ死ね顔出すなぁぁぁぁけーよぶなぁぁぁぁおっさん死ね
かみおかべうざめがねからんでくんなぁぁぁあかみおかべうざめがね死ね
けーさつ豚箱いれたってもいいぞいうなぁぁぁぁ警察死ね
2008かみおかべうざめがね金髪矢ロー死ね
2014木を切り刻んでんの二よってくんなぁぁぁぁぁ父死ね大村前田死ね
2016帰ってからタイミングによってくんなぁぁぁぁxよってくんなあっぁぁぁぼけぁぁぁちち死ね高橋秀和氏ねまるふじ死ね場所しってんなぁぁぁ母死ね
ちち死ね >>797
キャストエピソード…。
新田弟にも触れてやってくれよ…。
当時の公式ガイドブックで、弟役三人衆の座談会があって、「この三人で打ち上げやりましょう」みたいなこと言ってた。 >>806
政伸と良純は実際も弟だが、赤井はどうなんだろう? >>809
中濃ソースは、美濃国(濃州)中部のソースだっけか? 27年前の作品だから新規のネタが無いのは仕方ないが >>837
そう思うなら、誰もが食い付く魅力的なネタをどうぞ! >>839
ID変わらないぶん多少はマシだが、もう少し面白いレスせぇ >>838
だからって一言かつ意味不明なレス連投はどうよ。 >>817
中の人が同じだから、しょうがないけど、
「毛利元就」初登場の際は、判官殿とどう違うんだ?と思ったな。。。 でも判官殿とは正反対と言ってもいいキャラだったよね >>853
女好きの印象しかない
切腹直前の「盤面をくずすな」の場面は印象深いけど
花夜叉が茶々だったw 三河国碧海荘は足利義兼の祖父が立券寄進したと考えられ、義兼が源氏雌伏時代に代官をしていたと言われる荘園だが
岡崎市史にある鳥羽院妾領ではなく、実は後白河院妾の高倉三位局領の可能性があるらしい
高倉三位局と言えば以仁王の生母だが、この荘園を通じて矢田判官代も三河で雌伏していた可能性が高いのが明らかになった
矢田判官代の子孫である細川氏に関する史跡や伝承が北関東に全く無く、後世、細川氏が北関東に全く執着しなかったのは
実は、細川氏が北関東から三河にやって来たのではなく、逆に足利義氏を三河で出迎えたのである 碧海荘は、後に尾張足利氏に伝領されたが、足利高経の気位の高さは、義兼所縁の碧海荘の地頭職保持によるものであると考えられる
三河国で義兼所縁の荘園は碧海荘しかないからな
清洲城の築城者は、元岡崎市民と西尾市民の娘の間の子供の斯波義重  
斯波義重  
・斯波氏(武衛家)6代当主  
・管領  
・越前・尾張・遠江・加賀・信濃守護  
・正三位  
父:斯波義将  
・斯波氏(武衛家)5代当主  
・管領  
・越前、越中、信濃守護  
・従三位  
母:吉良満貞の娘  
・西条吉良氏  
・父は三河国西条城主  
・父は引付頭人  
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」  
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」  
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした  
永源寺  
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。  
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。  
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。  補足説明
碧海荘が高倉三位局御領だとして、高倉三位局の母を藤原顕頼(三河守)の娘と仮定し、系図にまとめるとこうだ
顕頼の母は、足利義兼の祖父季範(系図上)の従兄弟
まとめると、すんなり収まったな
立券寄進者の足利義兼祖父は、自分のふたいとこに寄進したわけだ
三河の藤姓熱田大宮司家
・家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
☆源頼朝、★足利義兼
藤原実範
・藤原成季
・藤原季綱(三河守)→@へ
・藤原季重
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・藤原行綱
・興義
・実慶
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(八条院領目録にあり)領主)
@藤原季綱
・藤原友実→A
★藤原実兼→藤原通憲(信西)
・藤原悦子(鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→B藤原俊成(養子、三河守)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・他多数
A藤原友実
・藤原能兼→藤原範季(後白河院近臣、順徳天皇の外祖父、源範頼養父)
・女子→源頼政(上西門院に出仕、伊豆守、源三位)
・他多数
B葉室顕頼(三河守)
・藤原俊成(養子、三河守)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・女子(藤原季成室)→高倉三位局→以仁王 今回の三河屋は何の前触れもなく来たなw
特に三河屋を刺激するようなレスがあったわけでもないのに・・・。 一言レス見て燃えたんじゃね?「連投するならタメになる俺様!」とかw 弟を殺しながら、木切れの神も本当に神様だったのかもってセリフを配するセンス・・・
凄えわ >>865
全編通してあの木切れのエピソードは色々な意味に受け取れて良い演出だった 高時は禅談を論ずるのが好きな哲学青年だった。
唯一の乱暴な趣味が闘犬。
いっぽう尊氏は京で田楽に狂っていた時期がある。
ほんとによく将軍になれたね 最近立ち読みした本だと
足利氏は源氏の跡継ぎとしてでなく、北条の姻戚として繁栄してきた
鎌倉末の挙兵は、北条とともに沈まぬように
北条と手を切るべきと主張していた家臣のほうが主導
みたいな事が書かれてたな 長谷部信連の父は三河国の住人たる長馬新大夫(三河国額田郡長馬?)であるが、三河の藤姓熱田大宮司家との接点が見つかった
藤原季綱
・藤原友実
・藤原実兼→藤原通憲(信西)→@
・藤原悦子(藤原顕隆(夜の関白)室、鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→藤原俊成(養子、三河守)→定家→為家→冷泉為相(初代冷泉家)
・他多数
@藤原通憲(信西)
・成範→女→女(長谷部信連室)
・女→女→源義康→足利義兼(初代源姓足利氏)
・澄憲(三河国滝山寺にて由良御前49日の仏事を執り行う) >>876
もう一度行って確かめないと自信ないけど
呉座勇一氏の「陰謀の日本中世史」だったはず
他の本買うつもりで行ってたから、悩んだけど
その日は止めた
全編が太平記を扱ってる内容じゃないけどね このドラマ、「鎌倉炎上」の回で新田義貞が稲村ヶ崎を通る場面と、「湊川の決戦」の回で
尊氏軍が上陸する場面って、もしかして同じ岬を反対側から撮った感じ? >>872
足利が鎌倉前半期から源氏嫡流と見なされていたわけではないのは、その通りだと思うが、
北条に関しては、鎌倉末期の段階でも北条がまもなく沈み行く存在という世間的な認識は
そんなにあったのかね? >>881
武家社会ではあったんじゃね?
高時が無能(そうは思わないが)で長崎の縁者が台頭しているのは面白い事じゃないだろうし。 けど日本の半分の国の守護である北条一族だけを排除するなんて考えるかね御家人たちは。後醍醐の火遊びが時流に乗っただけだろ。あと悪党の跋扈 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています