【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179(c)2ch.net
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1500223754/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ DVD再販されたから、Blu-rayの再版もちかいと思ってたのになあ。 「平清盛 ゆかりの地を行く」の空撮がシャイニングみたいでかっこよかったわ。 朧月さんは怖ろしそうな映画にいま出ておるぞ。単館系配給作品で見れない人多そうだけど。
映画「私は絶対許さない」公式サイト
http://watashihazettaiyurusanai.com/
それと、基房さんは事務所を辞めて(辞めさせられて)、かえってのびのびしてるみたい。
朝日新聞にも連載もったし、彼のインスタグラム短歌もなんちゅうか謎の世界しとるよ。
繚乱の夜桜我に降り注ぐ生ある限り心咲かせる だそうだ。
https://www.instagram.com/p/BhRM3WuAX8D/?taken-by=shigeki_hosokawa 皇室絡みでは、「女院が顔を出すとは何事ぞ。無知な制作側がー」と元気な婆が吠えてたのを思い出す。
顔を出さない大河なんて過去にあるの?と何度聞いても答えてくれなかったが・・・
(清盛に限らずーただし、昔は良かったーや礼賛すると決めた作品については問題とならないー
何かアレンジするや、作り手の「無知」を罵倒冷笑し始める偉そーな態度がたいそう痛い。
アレンジにせよ果てはトンデモと言われる改竄にせよ、作り手は「分かってやっている」のだから)。
ところで、新平家総集編では確か待賢門院は出てこなかったような。
美福門院は出てきたが、そこで見られる女院はモブ以上の存在ではなかった。
それでも、彼女が顔を見せずに常に御簾越しに会話していたかと言うと、そんなことはドラマである以上あり得ない。
まして、平清盛における女院たちは、>>364が指摘するように、保元の乱へと連なる縺れ爛れた人間模様が
展開された宮廷ドラマの主要アクターであり、姿の見えない人形のような存在ではない。
実際上も、公式の場面ではともかく、プライベートな空間では女の激しい情念を戦わせただろうし、鳥羽との愛憎も
あったに違いない。すなわち、彼女たちは歴史劇からも人間ドラマからも、生々しい感情をもつ「生きた人間」
でなければならず、それは単に顔を見せないとドラマにならない、といった便宜上の問題に止まるものではなかった。
もっとも、逆に「常に顔を出して話した」かと言えばそうではなく、改まった場面では何度も御簾越しでの会話が
行われた(鳥羽、崇徳、後白河についても同じ)。
これらは官職読みやつけ眉、古語ーex「とく死なばや。早う死にたいござります」などにも通ずる折衷的手法といえる。
作り手は「無知」どころか、<当時の有り様>とそれを<ドラマという媒体>を使って<現代の視聴者>に見せ理解させる
という両立困難な課題の数々に対して、行き届いた熟慮とセンスを披露したと評価できる。 死ぬじゃと?長文様がか?さような事には断じてならぬ、
長文様はこのスレにて、とこしえに生き続ける、このスレの有り様は
昨日が今日でも
今日が明日でも
明日が昨日でも
まるで変わらぬ
変わることなど、とこしえに訪れぬのだとこしえに・・・ >>361
埃っぽくて汚らしかったし松ケンの演技は下手くそだったし
「朕を射てみよ」とか「みな我が子なり」みたいなキテレツなシーンも少なからずあったけど
面白いよな カメレオン型憑依俳優松ケン以外に、「あの清盛」を「最初から最後まで」やれる俳優を挙げてくれやー、
こうお願いし続けて早6年。まともな回答は未だにない。
ちなみに、遊びをせんとやを美声で歌えない松ケンは後白河NGで、演技の幅の狭い松田は清盛NG。
他の入れ替えも同様で、要するに、当初言われたらしい4人の主役級(清盛、後白河、義朝(頼朝?)、西行)は皆、
適材適所だった。長瀬という人の演技は良く知らないけど、カメレオン型には見えない。
可能性があったとしたら、妖精万吉も強面後藤も出来て、目下マザコン・ブラコンから国父様へと
イメチェン中の青木ぐらいだろう。こちらも当時はまだ(今も?)大河主役という柄ではないし、
弁慶が素晴らしかったので、想像するのは野暮というものだろう。
エア矢や和歌もどきは、「キテレツ」でもたいそう意味のある創作だったことは、もはや多言を要しない。
というか、今はコピペできないw
前者のキーワードは、祇園社事件の核心とは?〜清盛ピンチ、合理的精神、公卿会議紛糾→平氏処遇への態度から
朝廷は二つの勢力に分かれていく(byナレ朝)→保元の乱へ。及び【治天鳥羽が有した「罪刑専断性」=院政の恣意性】
と鳥羽が発した【「そちこそが朝廷のど真ん中(にいる私)に放たれた一本の矢じゃ」】→三十数年後に
弁慶の記憶に運ばれて頼朝in鎌倉に突き刺さる→朝廷という岩盤に対するドリル=清盛を再確認しリスペクトを
新たにする→自ら京へ向けてエア矢を放つ。遂に源平合戦本戦ラウンド最終タイマン対決の時が来た・・・が熱病に倒れる。
後者は、「和歌下手」(史実)、歌会の政治性、逆転の発想で歌会を異化して所信表明の場へ〜ピンチをチャンスに変える
逆転の清盛の誕生→平治の乱 松山は今じゃホリタレのバーター
草加でなけりゃ廃業レベル もうじきテレビショッピングに出てくる。
食レポも上手そうだ。 高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)ゲト。
大日本帝国の崩壊までを武士の観点から通史的に考究するユニークな一書で、今後の必読書となりそうだ。
新書といえ準研究書レベルなので、寝っ転がって気楽には読めそうもない。
パラパラ眺めていたら、院政の開始という項目のところで荘園公領制の成立を述べた上で、次のような記述が。
この時期政治の面では、外戚である藤原道長直系(御堂流)の親族関係に包摂されていた天皇家族が、
そこから自立してイエ(王家)の形成を進め、それと連動しながら院政が始まっている。
すなわち退位した天皇(上皇、出家して法皇、院ともいう)で王家の家長である治天の君が、国政に強力な発言権を
有する政治の形である。
王家が分離独立していったため、御堂流のイエは臣下のイエに純化し、院権力に追随を余儀なくされてゆく。
このイエは摂関・関白を恒常的に出すイエという意味で、摂関家と呼ばれるようになった。
★王権の独立とイエの成立から発生論的に院政を特徴づける学問用語が「王家」であることがわかるだろう。
それまでの「天皇家族」とは外に対しても内においても存在形態と機能を異にする、一つの「王のイエ」が誕生した〜
この歴史事実を捉えるためのコトバである。 イエは「家業」をもち、社会的分業の中で位置を占める。
摂関家が摂関と関白を家業とするイエとすれば、王家は王=天皇を再生産するのを家業とするイエ。
このイエを主宰するのが家長たる院。その院が国政上、事実上の最高権力者となった政体が院政
というわけね。
天皇家では、摂関家に包摂されたそれまでの「天皇ファミリー」との差異を捉えられないのに加えて、
「天皇が主宰するイエ」となってしまい、核心部分を表現できない。
王家に代わるより適切な用語はあるのかもしれないが(専門家に任せます)、少なくとも一つの学問用語
としては十分成り立つことがはっきりした(ドラマで採用する用語として適切かはまた別問題)。
王家がーの方々、そろそろおわかり?中国皇帝様の家来なんかじゃないからさw >>387
王家ガーを相手にしたいなら、他スレに打ってでないと。
清盛スレは「王家」なんて端から乗り越えている住人ばかりでしょ。 清盛は銅山開発に興味なかったのかな?大陸や半島から技術者を呼べなかったものか。
鋳銭原料を探し出すより、銭を輸入する方が遥かに安上がりだったのかも知れんが、後代、大陸に棹銅を大量に輸出する一大鉱業国だったのに勿体ない。
いちいち作り出すより運んでくる、その辺りが彼の限界か。 >>389
王家がーが始まればちゃんと打って出てるから。おたくも頼むよ。
まあ最近は大人しくなっちゃって芸スポとかで喚く。俺の行動範囲はそこまでで、
あそこも見たくないのでできれば大河板でやってもらいたい(清盛攻撃はどさくさ紛れに
あっちでやるのが主流なので覗かざるを得ない)。
包摂された御堂流からの分離・独立→イエ=王家、摂関家の成立という視点が鮮やかだったため、
紹介した次第。 >>390
日本の銅山開発はせいぜい近世になってからでしょう。
いくら清盛が時代に先んじた男でも、資本・技術・組織・品質・コストその他の面で、
銅銭輸入に取って代わる大量の国産銭を鋳造普及させる条件はまだなく、困難だったのでは。
前代までの皇朝十二銭も結局流通しなかったし。 942 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2018/05/30(水) 01:52:46.47 ID:BT0XFNIu0 [2/2]
ただ怒鳴るだけのプロポーズとか酷いのあったよな
今年はそれよりは随分とマシだよ
954 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2018/05/30(水) 09:00:07.12 ID:FqCm2qGW0
へえー、お前らあの「お笑い系プロポーズ」が「唾まき散らして喚く主人公」というババアどもの定番攻撃で、
真っ先にあげるべきシーンなんだ?どこまで阿呆なの?
たまこの荘重な死から一転して「二組のろくでもない求婚」のシーン。コミカル風味はこれと鮮やかなコントラストをなした。
義朝&由良は「俺の子を産め」。この単刀直入な求婚で、上西門院との繋がりをもつ名門熱田大宮司の娘を娶る
メリットを計算した義朝の手前勝手な思惑が伝わった。露骨な政略結婚であり、一途な由良が気の毒であったが、
その後由良は武士の妻の鑑=頼朝の母へと変貌していった。最後は、荘重な最後「と父が・・・(これもコミカルをシリアスに転位)」
で両者は永久に結ばれる。
一方、清盛の「ろくでもないあっさりプロポーズ」は、最愛明子へのメロメロぶりと熱心なプロポーズとの対比が鮮やか。
時子とは恋愛ではなく、「後妻をもたなければ周囲が納得しない」立場におかれた清盛の苦し紛れの責任の履行であった〜
「もうそなたで良い」。
もっとも、その後時子は控えめながらも清盛に寄り添い、彼を支え、両者は愛情を育んだ。時子もまた賢妻へと成長していった。
こちらは清盛最愛の妻と言われる明子との対比が重要で、尺をとって描いた明子への求婚との対比は、後々、時子&宗盛vs重盛の
水面下での確執と葛藤描写に大きな意味をもった。麗しい恋とは無縁のババアどもが通常の恋バナを見たいのはやまやま
だろうけど、あそこでまた明子なみの尺とラブをやったら、作劇上は台無しとなっていただろう
(もう2組〈歴史上〉重要な恋愛がある。紹介するまでもなく、平治の乱後に清盛と後白河との仲を取り持った滋子。そして駆け落ち頼朝と政子。
大河清盛は、清盛&明子とこの2組、計3組についてのみ、歴史劇という観点からその重要性を認めて恋バナを主題化した)。
まとめ:たまこの荘重な死に続けて延々と恋バナをやるような野暮とは無縁であり、シリアスとコミカルのコントラストが鮮やか。
その上で、2組の求婚の本質とドラマ上の意義(清盛については明子との対比)がクリアに示されたーそれがあのシーンである。
956 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2018/05/30(水) 09:08:34.46 ID:FqCm2qGW0 [2/2]
>私は女性だけどこの手の愛だの恋だのの大河ドラマは好きじゃないな
なんだババア。お前が大好きな昔は良かった―大河にマストの本筋と関係ない恋バナなんぞには見向きもせず、
また女子会トークなんぞにもまるで無縁だった稀有な大河である清盛の愛好家じゃないのかよ(爆
えっ?呪詛し毒を吐きまくりました?ああそうでっか(爆 >>390 >>392
宋銭に関しては、高橋・本郷両先生(後、さおだけ屋のイケメン会計士)が
清盛を扱った番組でも語っていたな
治承・寿永の内乱の頃は養和の飢饉で価値暴落、平家滅亡直後は異国の貨幣に対する抵抗で禁止されるも、
鎌倉政権が安定期に入ると盛んに使われるようになったってのは、
清盛個人には皮肉な結末だが、日本にとって決して無駄じゃない大仕事だったのがわかるね 平家滅亡後も親平家だった近衛、西園寺らへんは近現代に至るまでリベラル・商業重視なのに対して、
反平家の源氏や九条、鷹司は今も右派・保守で農業重視なんだよな
源氏が土着の武士たちのための政策をとってきたんだからしょうがないんだけど 宋銭絡みで印象に残った場面に、白山鵜川寺で師経(西光の息子。同じく息子である加賀守師高の目代)
が引き起こしたイザコザのシーンがある。
風呂を要求した師経は、対価として宋銭を差し出した(「礼なら遣わすぞ。そなたたちは
知るまいが、これで馬1頭の値打ちがあるたいそう便利なものじゃ」)。
信西の使徒を自認する西光は、同じく信西の国造りから影響を受けた清盛の宋銭普及構想に
関心をもち協力を約束したものの、その後決定的に対立し清盛を激しく憎悪する間柄となってしまった。
ところが、今まさに鹿ケ谷の破局が訪れようとしているその時(ドラマ上は、この事件は清盛の挑発
がまずあり、既に鹿ケ谷事件の一コマをなしている)、西光は私怨を乗り越えて息子たちを通じて
宋銭の地方への普及に努めていたのである。トリビアかもしれないが、清盛の構想力には及ばずとも、
西光もまた(頼長と同じく)立派な国士であったことに感銘を受けた。
それにしても、清盛の謀略には謀略をもって返す後白河との息詰まる鹿ケ谷へのプロセスは素晴らしく、
新説・珍説に飛びつかなくとも、誰もが知っている大事件はかくも斬新なものになりうることを証明した
(後白河の陰謀という通説的見解に、清盛が仕組んだ出来レース説をアレンジ。これに、中期的には
蝶番滋子の重要性と死の痛手が描かれ、さらに遥か昔の家成死去のシーン「成親に師光よ、今後も
しっかり平氏を支えろ」まで遡及するロングスパン〜「我ら親不幸者でござりますな」と成親は自嘲)。 「翔ぶが如く」があるのに、何故今再び「西郷どん」なのか?
この切実な問いに答える「新しい西郷」が生成しつつあるとは、残念ながら思えない。
島編に新機軸を見いだすしかないのが、現時点での到達点だ。
清盛はまったく逆。歴史劇としての限界を露呈している「新平家」を一気に更新して、
「今何故平清盛か?」に対する見事な回答を与えることに成功した。
豊富な歴史情報と資料を駆使して創造性豊かに論理的に構築された精緻な脚本。
シンボル操作やメタファーも多用され、時空間も頻繁に行き交うハイテク脚本ゆえ、
伝統的な大河層からはろくに理解もされないまま罵倒を浴びた(ウヨからの攻撃とは別に〜
>>735のような阿呆には永遠に手は届かない)。
しかしその結果、歴史劇の深度、人間ドラマの熱量において歴代屈指のクオリティーを誇る
大河が、挑戦的な演出に斬新な映像・・・等々と相まって誕生したのである。
なお、斜め上とはどういうことだ?革新的で新しい大河を創造したという意味ならイエス。
しかし、王道から外れて「歴代を描かない」という意味で使ったのならばナンセンスだ。
「新平家」と比べ物にならないほど、歴史とそこに生きた人物たちをきちんと描いている。 ちょっとさ、目下都内の酔っ払いでこれから帰らなきゃ怒られるんだけど
断りなく俺の恥ずかしいやつコピペしないでお父さん! 酔っ払ったついでに、最終行を肉付けすると
「混迷を深めながらも躍動感溢れる体制変動期であった平安末期の諸相について、
王朝文化の静的な美的世界に矮小化することなく、それがもった動的なダイナミズムを捉え、
併せて主人公清盛始め、そこに生きた人々の激しくも清冽なしかし矛盾に満ちた生き様に肉薄した」
となる。酩酊一歩前ゆえ文責なしwおやすみーー ふむ。
「何故今平清盛か」が分からん。
なぜ2010年に制作発表し、2012年に放映したか。企画自体は2010年より前であった筈。
やるなら生誕900周年の2017年とかが安直な現代的考えか。
薨去何周年だと、2012年は切りが悪い。
稀に見る名作大河であったのは疑いない。
しかし、なぜ2012年だったかというと、企画が残ったからとしか言いようがない。分からん。 如何なる根拠で何をやるか?
いくつかやれそうなものから何を選択するか?
いずれにおいても制作局のNHKは自由な判断の余地(裁量)をもつ。
そこで「時代を切り拓いた清盛を今新たな視点でやるのが相応しい」と判断された。
残るは「いつどのタイミングでやるか」である。
この「時」という点についてもNHKは様々な事情を斟酌して判断している。
それが2012年だったということだろう。
タイミングについて考慮された事情は聞いてみないと分からない(戦国、幕末ループ
の狭間期なんかもかなり重要のはず)が、少なくとも「相応しい年ではなかった」
と外野が判断するのは困難だろう(何を取り上げるかの根本問題で不透明な選択経緯が
疑われたりすると、外野からあれこれ言われてしまうー某おんな長州ものとか)。
ぶっちゃけ西郷どんは、「如何なる根拠で何を目的として」の部分が弱いと思う。 そもそも清盛を書ける人がいないと話にならないよね。
ちりとてちんで「人を動かす群像劇が得意」(当時のP、現在ドラマ部長。高橋教授に
こう紹介したという)であることを証明し、長丁場にも耐えうるというか長ければ長いほど
驚異的な俯瞰力を発揮する藤本女史を見出したのも大きいだろう(この人と森下女史は、
おそらく書き始めた時点でラストまでのプロットが大方出来上がっていた)。
それが2007年。大河清盛の企画は2008、9年ぐらいから動き出したんだろう。
NHKの二大看板である「朝ドラ評価→大河起用」の流れは、今では脚本家にとって、
「主計局長」→「事務次官」みたいなエリートコースとなっている(たまに外れが出るw)。 「今何故平清盛か?」については>>399眉雪の講釈を待ちたい。
「見事な回答を与え」云々と言うからには、理由が分かっているんだろう。
残念ながら、昨夜のレスには何らそれが書いてないけれど。 お前がまず何か書けよ。
Pのコンセプト、抱負、脚本家の意気込み、そしてそれがどう作品に投影されていたか。
それは新平家(これも単なる悪人清盛ではもちろんない)と違うのか違わないのか。
新平家のままで清盛の真価は十分伝わっておりこれ以上付け加えるのは冒涜だ、などなど。
ぜんぜんなってないとまず書いてからにしろ。何でいつも俺が長文駄文で面倒みてやらんとならんのだ。
待っとるでー >>408
まずは>>399が書いてくれるのを待つよ。
見事な回答というからには、分かっているだろう。
こちらは分からないので。 >「混迷を深めながらも躍動感溢れる体制変動期であった平安末期の諸相について、
>王朝文化の静的な美的世界に矮小化することなく、それがもった動的なダイナミズムを捉え、
>併せて主人公清盛始め、そこに生き(運命に翻弄された)人々の激しくも清冽なしかし矛盾に満ちた生き様に肉薄した」
簡単にまとめると酔っぱらって書いたコレに集約されるんじゃない?
じゃまたねー だから何がわからないか書けよババア
せめて、Pが打ち出したコンセプトとか、大好きな新平家が最高ーな点を、ここ読んでいる人に紹介しろ。
そんぐらいできるだろ。 具体的内容抜きで問いを立てれば実に簡単な話
これまでの源平大河、ドラマ映画等では、清盛の真価や平安末期の時代相は十分伝わってこなかった。
また、基本的な史実すら明らかな間違いが多々あり、誤解を与える人物解釈も多い。
しかも、時代考証、映像や美術、芸能考証面でも格段に進歩して、平安末期をよりリアルに再現できる
ようになった(「このドラマほど、平安末期の儀式やあらゆる階層の公私の生活を詳細に映像化
したものはかつてなかった」「このドラマ自体が歴史的価値がある」by儀式儀礼考証&芸能指導」)
→「だから今再び平清盛にチャレンジする意義がある」
簡単だろ?翔ぶが如くの西郷はあれこれ間違ってる、幕末維新描写も物足りない。
「だから?違う方向で?誰からも好かれたモテモテの西郷さんで改めてエンタメしたい」
とはまるっきり出発点が異なるのね。 >>413
「何故今平清盛か」という問い自体、そもそも無かったんだよね? ハイハイそろそろ5行ぐらいで良いから何か書いてねお嬢さんw
国士西光の話をしたついで。
悪態つかれても余裕かましてた清盛だったのに、「負け犬の復讐じゃー」の一言で俄かにブチ切れ、
院の近臣西光を凄絶なリンチの末、葬った。
重盛が必死で止めたその場に落ちていたのが、国家のために徹夜で精勤した信西の証しであるあの算木だ。
見つけた清盛は自ら算木をへし折り、忌々しそうに「燃やせ」と命じた後、立ち去った。
師の遺品を肌身離さず精進してきた西光に、我こそは信西の遺志を継いで豊かな国を建設しているのだ
と自負する清盛・・・
平家物語の著名な西光被斬のシーンは、ドラマにより、我こそは信西の衣鉢を継ぐと自負する2人の弟子間の
妥協を許さない自己主張がぶつかり合う修羅場へとその意味が拡張された(突如出てきて舌を抜かれるだけの西光
とは比べ物にならない、厚みのある人物造型が西光にも施された)。
しかし、そういった激烈なコトバのやりとりと暴力以上に(不屈の闘志西光<by石母田正>は決して負けていない)、
この算木の顛末は、2人の弟子たちのどちらが正義の体現者であり、また信西の真の弟子であるのか
判定することは困難である所以を、無言のうちにしかし雄弁この上なく我々に訴えかけたのである。
「清盛はその場限りの思いつきによる直情的な描写しかなーい」「何でもペラペラ喋らせて余白がなーい」
数ある頓珍漢の中でも目が点・級の頓珍漢であるこの難癖に対して、驚くべき息の長い線的描写を
成し遂げた鹿ケ谷事件、さらに最期となったモノ言わぬ算木の顛末は、格好の反証となるだろう。
清盛は自在な台詞、饒舌なコトバと共に、シンボリックな描写、暗喩にも満ち満ちていた。 ほんっと描かれてすらいなかったことを
描かれていたって書く間抜けだなこの糞長文w
馬鹿じゃないの? ただいま、今日は早い。しかし早く寝るからアベのようなご飯論法すんなよw
>>417
問いがない?なぜ清盛かの問いなくしてなぜ清盛をやったのだ?
>>404のプロセスには必ず制作目的があり、それは動機でありやる理由であり、
明示されていようとなかろうと、それらへの問いかけがまずもって存在する。
>>418
西光のことで実際は描かれてないこととは? >>419
自分が発した問いだろう。
2012年にやったことに回答できたの?できていないよね。 オマエが擁護すればするほど誰も見なくなるわこんな糞大河w
馬鹿じゃないの?こんなくっそ軽いセリフの応酬で最初から最後まで終始させてよ
昔ながらの大河ファンすら逃げ出させたようなこんなゴミ大河
擁護する価値もない ババアさ、ご飯論法やるなといったばかりだろ。
あらゆる大河には、
「松陰の妹で長州大河ができるのか?」→彼女をいわば狂言回しに松陰と若者をめぐる群像劇がやれそうだ
「真田太平記があるところ、真田信繁で大河をやる意味はあるのか?」→忍者ものでない真田物語を新たに作るべきだ
「翔ぶが如くとは異なる西郷大河の存在意義は如何?」→あちらとは異なる人間西郷を現代の視聴者の好みに
合わせてやってみようではないか
このような問いかけと回答がかならずある。俺が発した問いではなく自明の問いだ。問題意識のない大河はない。
清盛についても、
「新平家から40年、清盛像も平安末期の姿もずいぶん研究の進展があって変わってきているようだ。この辺りで新たな源平物を
清盛主人公でやってみる価値があるのではないか?」→先見性と躍動感あふれる清盛、リアルな京といったキャッチフレーズ
こうした問いかけと回答があったことは、磯氏の発言からも明らかだ。
お前は何故平清盛をテーマとしたと考えているのだ?Pの閃きか?有名人を数名並べてくじでもやって選んだのか?
>>421
それが答え?ゴミゴミ喚いたところで、清盛の美味は失われないってばw 清盛の美味は親父が強うなれ!っていう
安っぽいセリフを発する前の一話だけ
一話目だけは本当に良かった・・・ そりゃ黙れ小童!とか、あんたちそれでいいのぉーとか、チロリンチロリンニャーゴとかいうのは清盛にはないよ。
しかしなあ、アホウヨ運営始め2ちゃん与党たち、すなわち自称歴史系ブロガー&ツイッタラーたちさ。
毎年毎日仲良く集団バッシングに集団礼賛に大変お忙しいようで何よりですがね
(中にはツイ方面では現実逃避してしまったババアもいてすまぬが・・・)。
反日漫画駄作大河とケリをつけ葬り去ったつもりが、そうはなっていないのは明らかなのだから、
も一度、ちゃんと大河清盛を批判し直したらどう?ダンマリ決め込んでないでさ。
結局今回もなーに一つ問題となってる中身を語れない。そーゆーのを批判とは言わないし、この間の党首討論を
「論戦」といえないのと同じで、本日の展開は「議論」ではない。
おやぬみ >>424
後白河の糞みたいなセリフは阿呆ほど記憶に残ってるけどなw 清盛と義朝のくだらぬ言い争いに思わず失笑する常磐であった 暦の数字だけだと、今日は本能寺の変。
平氏つながりということで。 長文さんって、アンチ安倍なの?
文章の端々に感じる。
書いていることも北朝鮮の平壌放送みたいな修飾語ばかりの礼讃、しかも後付けだし。 ネオリベ&極右日本会議の複合パペット=アベをどうやって擁護するんだ教えてケロ。俺には無理w
で、鹿ケ谷のオーソドックスでありながら捻りを入れた息の長い線的描写の非凡さや、
主要人物とまでは言えない西光レベルに対しても分厚いキャラ造りがなされていたことを、
実際のシーンを挙げながら具体的に語った。
しかしそれらは、同じく擁護しようがないキタとキムの体制を支える国営御用放送並みの提灯レスだと言う。
ならば、上び書いたことがただのプロパガンダにすぎない所以を、おたくの方も具体的に語るべきだろう。 豊富な歴史情報と資料を駆使して創造性豊かに論理的に構築された精緻な脚本。
シンボル操作やメタファーも多用され、時空間も頻繁に行き交うハイテク脚本
これ、「脚本」の前に「偉大なる首領様の」って入れてみたらいいかも。 ババアお前さ、問われたことに何故答えないのだ?またご飯論法でトンズラかよ。
お前が語るべきは、俺が具体的に語った西光と鹿ケ谷についてだ。他でも良いが。
鹿ケ谷については、さらに具体的に長々と書いたこともある。
そして、今まで山ほど具体的に語ってきたことをまとめて評すれば、そのような抽象的な言い方となる。
それともあれか、長文基地とか嫌悪しながら、抽象的に短く纏めるのはダメで、俺については常に
それを十倍ぐらいの例証で埋め尽くせとでも要求するのか?
逆立ちしても藤本女史のオツムに届かないと、いつまでもイジケて憎悪の炎を滾らせてないで、
いいから西光と鹿ケ谷が何故平凡だったか、今度はお前の方で長文してみな。 そうそう思い出した
「最低の忠盛と忠実を嫌々やらされた中井さんと國村さん。無能な脚本家からコケにされたお二人は、
見事雲霧で見事リベンジされました」
と、全力で演じた俳優に対して、およそこれ以上ない侮辱を吐いた超絶勘違いマッチョババアによると
(史上最低の駄作平清盛に対して、「こんなもんしか書けない無能が起用されるとはNHKの深い闇を感じざるをえません」
と1年間「毒を吐き続け罵り倒した」アタシが誇りなのだそうだ)、
鹿ケ谷の陰謀は「何が新しい清盛よ、何の変哲もない平板で下らないテンプレ展開にアタシ言葉もありません」
なのだそうです。 というか、鹿ケ谷は何の前触れもなく突如勃発するのがデフォ(大河アルアルパターン)。
「その時密かに陰謀の企てが進行していたのでございます」とかいうナレで。
では、「何の変哲もない鹿ケ谷の陰謀」はどうだったか?また書きましょう。
「清盛と後白河との提携は滋子の死をきっかけとして崩壊した。以降、時代は雪崩を打ったかのように
鹿ケ谷の破局へと突き進んでいく」
この核心命題を捉えた鹿ケ谷を清盛以外に見たことはない。ましてや、平治の乱後の地味だが重要な
平家の上昇過程と清盛の権力奪取への階梯そのものを、政治ドラマとしてテーマ化したのも初めてだろう。
上の命題は、この部分(とりわけ滋子を媒介とする清盛と後白河(院の近臣)の関係)をきちんと描いて
初めて説得力をもつものだ。
平家凋落の最初の徴候である鹿ケ谷事件をきちんと描くとは、かくも周到なプロセス描写が必要なのである。
このもっとも重要なマクロな枠組みを描いた上で、直接の勃発過程と事件そのもの、そして顛末についても
史実と複数ある解釈を巧みにアレンジしつつ非凡な描写がなされたことも述べた。
さらに、「親平氏を代表する院(鳥羽)の近臣であった家成の子息たちが、後白河院の近臣となり
二重権力状態となった平家清盛と激しく対立した結果引き起こしたのが鹿ケ谷事件である」
〜歴史がもつこの皮肉なパラドックスを、家成死去のシーンとリンクさせることで想起させた。
繰り返すが、このような長大な射程で描かれる鹿ケ谷事件は、平清盛をもって最初で最後となるだろう。
「歴史に無知で能無し、[こんなものしか書けない]女脚本家」・・・大したものですね! 大河ドラマの評価はネットの意見ではなく視聴率で決まります。
いくら工作しても無駄ですよ、残念でしたね。 >>362
楠木正成を大河でやってもらいたいけど、この時代も両統迭立、建武の親政といった
皇室のgdgdっぷりを描かないといけないからアウトかな?
真実から目を背けて耳障りの良い妄想に陶酔する。
ネトウヨが日頃揶揄する朝鮮人の姿ってネトウヨそのものだよな。 厳島へ経典を納めに行く船の中で最後まで立っていたのが、清盛、盛国、西行なのが印象深い
この3人は清盛が壊れた時、頼朝挙兵の報せを受けた時にも一緒にいたんだよなあと思うと感慨深い 怨霊と化して荒れ狂う崇徳の呪詛が、いよいよ激しく平家納経を厳島へ運ぶ船上の清盛一行を襲う。
弱気になる一門。西行は無心の境地で読経を続け、崇徳のパワーを鎮めようと必死だ。
あわや壇ノ浦に先んじて平家一門は海の藻屑となってしまうのか?
そこに清盛の声が鳴り響いた「鱸丸、お前が頼りぞ行けーー」
盛国はハッとなり海に生きる者の矜持が呼び起こされた。「お任せあれ!」
装束を投げ捨てた鱸丸は、もう一人の海の男ー兎丸らと力を合わせ、嵐に煽られる船を操り危機を救った。
沈着冷静な頭脳と気配りで清盛をサポートする盛国が、屈強な元漁師鱸丸に戻った瞬間である。
ここで重要だったのが、キーワードの一つでありシンボル操作の一つでもある「体の軸と心の軸」。
1話で忠盛は、舟の揺れにフラつく平太に、鍛え抜いた鱸丸の体の軸と心の軸、両者の相補関係を説いた。
その鱸丸は、海賊討伐の軍議の場で、舐めてかかる忠清に思わず口を挟んで海の怖さを説いたものだから、
激怒した忠清から「胸ドン」を喰らってしまう。しかし、鍛えた鱸丸はビクともしない。
これらの前史を踏まえて、筆頭家人となった盛国が、再び持ち前の「体と心の軸」を船上で発揮して
平家の危機を救ったのがこの場面である。
しかも軸問題はこれで終わらない。かつて脳筋の力持ちだった忠清は、上昇平家が貴族化するにつれ次第に
居場所を失っていく。veteranの悲哀を若い世代の知盛や重衡から実感させられた以降、老いの色を一層
深めた白髪だらけの忠清が、死を賭して発した諌言こそ、あの「殿はもはや武士にあらず」である。
そして、立場が逆転した盛国が今度は忠清を「逆胸ドン」する場面がやってくる。「お前が殿を支えずに何とする。
これまで通り武により殿をお支えせよ」ー叱正する盛国から胸ドンされた忠清は、ビクともしなかった・・・
かくも驚きのスパンで俯瞰された人間ドラマを見せられると、伏線回収!などと軽々しく言うことはできなくなる。
清盛は、即席一過性のお涙頂戴的感動からはおよそ遠いドラマであった。逆胸ドンはしっかり見てきた者のそれこそ
胸を強く打ち、さらにさらに、最終回では「盛国、いいや鱸丸」にダメ押しされる展開が待っている・・・ 平家納経回は、苦心を重ねて作った渾身の作品だったのに、ファイナルパーティーでとったアンケート
だかで人気上位に入らなかったということで、人物デザイン柘植氏が残念がっていた。
この回は、
・崇徳怨霊伝説を崇徳没年が平家納経時と合致することに着目して(1164)、生霊崇徳へモデファイした
発想がまず傑出していた※
その上で
・国芳の著名な画に学んで、リアルで怖ーい怨霊を再現した美術班、演出班の尽力
・崇徳に入れ込んだ井浦新畢生の名演
・精密な作業で再現した平家納経がもつ複製とは思えない美ープロ中のプロの仕事だろう
・難産だった平家納経制作(ここでは収納)を崇徳の呪詛に絡めた船上での熱い人間ドラマ
などが見応え十分の秀作回。
※既出だが
崇徳が怨霊とならざるをえなかった所以、怨霊の現象形態、怨霊を慰撫して鎮め人間化するプロセスが、
きちんと捕捉されていた。
崇徳が怨霊となって「出現」したのは、鹿ケ谷事件の前後。怨霊は社会心理的な現象だから(社会が作り出し
沈静化させ不安と動揺を鎮める)、社会不安が高まったその時代に「実在化」したのだろう。
しかし、ドラマ上、鹿ケ谷への怒涛の歴史展開が始まった時に、怨霊崇徳をテーマ化する余地はもはやない。
そこで、息子の死と怨みマックスとなった写経ビリビリ事件を直接の契機として、「生霊崇徳」となったのだろう。
一晩中暴れ狂った挙句、民の声と差し込む曙光、そして西行の祈りによって人間に戻って最後を迎えた崇徳の、
穏やかな表情が忘れがたい。 しばらく見てないものの平家納経、殿下乗合、鹿ヶ谷は録画残してるが、人気無いのか、残念
前進と感謝の写経、破滅と怨念の写経の対比に最後に差し込む希望の光(解釈あってんのか?
写経制作は一時停止して見入ったよ
圧倒される感動回だった
意図はわかるが西行はうざかった 清盛では若い頃から登場するので単純比較はできないが
平泉は世の転変から無縁であらねば…だったか
じーんと来た
あってんのか知らないがまさしくイメージ通りの西行
ただただ柳生翁に合掌…と思いつつ念のため調べたら
ご存命であらせられた…
しかも大和柳生家の末裔におわすとは…
ただただご健康を念じ奉るのみ >>449
うぉ。
一瞬びっくりした。本当に柳生博が死んだかと思った。
息子の柳生真吾氏に先立たれたのは残念だが、ご本人は存命だよね。
あの西行、心優しいがなかなかの辣腕イメージがあったよ。 驚かせて申し訳ございもはん
柳生翁の西行には聖俗いずれの境地も極めたオーラを感じたことおぼろげながら覚えておりもす
(以上今年に敬意を表して怪しげな薩摩弁
お体が許すならば
来年なら西園寺公望公として強引に登場し主人公たちに日本の将来を託すとか
再来年なら光秀に天命を悟らしむる高僧とか
とにかく柳生翁を今一度拝見したい auの高杉くんと細杉くん上手すぎる
やはり地頭と演技の才能だな
彼らの半分でも清盛の人にあればよかったのに 西行がウザいと感じた人に噛みつきはしない。実際ウザかったから
(「西行を海に投げ込め」と一斉に揶揄する清盛おばさんたちは好かん、スンマセン)。
ただ、天才歌人にして崇高な宗教者・・・この一般的に流布されたイメージとは異なる、もう一つの顔を持つ西行。
すなわち、聖俗の境界線上で暗躍する「生臭坊主」の側面に本作が果敢に踏み込んだことは、大いに評価されるべきだ
(伊勢で庵を結んだのは、戦乱回避の面もあるが、彼の地が「インフォメーションセンター」であったからby五味。
清盛の最晩年に至るまで、西行は時代を観想するだけでなく、政治にコミットする出家者であり続けた)。
文武両道無双のイケメン義清時代から謎の出家。出家後もいざという時には清盛の前に現れて的確親身なアドバイス
をするコンサルタント西行(歴史上、最初の大仕事となった高野山造塔事業を完遂するには、ドラマ上、
一門内で孤立してやる気を失った清盛を、高所から励まし導く西行の存在が不可欠だった。
その後も仏事に絡む行事に同道したー平家納経回はコレ。さらに、脱線した清盛を唯一正せる友人して現れもした
ーその西行がドン引きしてしまったのが「ここはわしの世じゃー」)。
このように出家後も出し入れ自由に動かされた西行は、最終盤ではキーマンの重責を担ってドラマを締めた
(最終回の「平清盛の一生まばゆいばかりの美しさでござります」と死にゆく清盛を慰撫したシーン、
及び勝敗が決まったのち、ユーレイ清盛と頼朝との「会見」をセッティングをしたシーンがその白眉
〜これ無くして無念の死を迎えた清盛は成仏できず、また頼朝への「志の承継」(←頼朝助命シーン)
もなされず、したがって大河平清盛は完結できなかった)。
そしてこの西行に藤木氏はドンピシャであった。何故、西行と藤木氏が評判を取らないどころか批判されたのか、
小生未だに謎なのである。 >>451
今や名脇役の中原丈雄演ずる藤原基顕が、西行に出家の思いを熱く語るが、柳生西行が「俗世を離脱するのは難しいものじゃ。この世の現実をいかに嫌悪しておってもな。」と、溜息と共に聖俗双方への諦念混じりに篤と諫めるシーン。
これには柳生博でないと出せない人生の味わい深さがあった。
出家せずとも極楽さながらの平泉を守り住むことで往生できると諭すが、結局基顕は庵を結び出家。
食を減らして、最後は彼が都で見た死体と同じく餓死。
一本気の熱情で極端に走っても、所詮は俗を生きるしかないことが経験でわかり切っていて、かつ平泉の置かれた微妙な立場に危うさを予感していたんだろう。
藤原基成の子をみすみす出家させるよりは、秀衡、泰衡と結束させて奥州の基盤を固めるのが先々の為と考えてもいたか。 藤木みたいな大根ですら褒めなきゃならんのかこのスレは だからさ
あの清盛を演じた松ケン
あの時子を演じた深キョン
あの西行を演じた藤木
について、ボロクソ貶してみろよ。お前が捉えた当該キャラを語った上で、役者の特性を述べろ。
藤木が上手いとか下手とかの一般論はいらない。
寝るから書いとけやー ついでにこんな感じで、でわ
高貴な雰囲気を湛え、エロチックな美声により今様を歌えないと雅仁は務まらない。
よって後白河に松ケンは論外。
他方、めくるめく変貌していった清盛はカメレオン型でないと務まらない。
よっていい意味で棒系、演技の幅のない松田弟は論外。松ケンぐらいしか若手に適任者はいない。
久光は後藤系なので青木は適任。一方、弁慶、万吉など「むさ苦しい妖精」枠も青木の大得意とするところ。
演技の幅の広さからは清盛をやれたかもしれないが、今さら松ケンとの適性比較をしてみたところで意味がない。 50代の演じ方が分からないとか情けないこと書いてた松ケンがカメレオン型www 盛国と忠清が生涯、太くて硬い体と心の軸をいささかも失わなかったというのに、
肝心の主人清盛が見失ってしまった(もっとも、頼朝挙兵によってようやく清盛は目を覚ました。
忠清が諫言した清盛は、正確には本来の武士性を取り戻そうと再生中の清盛。宋剣はいまだ錆びたままで、
古風な老兵忠清との距離は埋まっていない〜維盛を大将とするなど戦を見くびっている)。
覚悟を決めた忠清に錆びた宋剣を振り上げたは良いが、その重さにフラついて尻餅をついてしまった清盛。
「(軸を鍛えて)強くなれと父上から授かったこいつを、俺は鍛錬により自在に操られるようになった」
こう自負した精悍な清盛の姿はそこにはない。肉体の衰えだけではなく、忠清を斬れる武士の身体と精神が
定まってなかったのである。
このように「体の軸、心の軸」は、2人の忠臣の変わらぬ忠義を伝える一方で、時々の清盛の武士性
(ゼロ→鍛錬→獲得→喪失→蘇生)を測る物差しの役割をもたせられた。 >>459
本人がどう「失敗商法」でダメだったーと反省しても、老人清盛に対する高い評価は揺るがない。 だいたい評価とは他人が下すものであり、「自己評価」をしたいのならば、
即刻出した便乗本なんかで「告白」するのではなく、自分の「ココロ」の内でやっとけ、ということ。 もうお手上げで固まってたら偶然老衰っぽくなっただけだろ
>ジジイ清盛
子作り以後は経験ないからマンガの顔真似したとか言ってなかったか? 成海璃子ですら自分のホンの読み方についてインタビューで語ってたのに
ホンの読み方が今だに分かりません・・・って
山本耕史に聞きに行ってびっくりされた松ケンw 何度か話題になったように
・自ら資料にあたるなど周辺情報収集に熱心、「研究ノート」まで作って役作りする杏タイプ。
・外からの情報を遮断、テクスト=台本だけに集中して読み込み、そこから立ち上がってくる
物語世界とキャライメージを大切にする松ケンタイプ。
この2つの接近方法に優劣はつけられない。論理的に順を追って構築された清盛像に対しては、
杏アプローチの方が向いてそうだが、松ケンの動物的?ともいえる直感的なアプローチは、
清盛の基底的部分と変貌していった部分をちゃんと捉えていた。
本人がなんと言おうと、迷いが生じて誰かに相談しようと(そういうエピが大袈裟に伝えられようと)、
そんなことは完成作品及び役者の演技に対する評価とは何の関係もないことだ。 丹波哲郎みたく、そこら中にカンペ貼ってたんじゃないかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています