【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179(c)2ch.net
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1500223754/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 周りをdisって主人公を持ち上げ、結局は善人に小さく綺麗にまとめてジエンド・・・
ババアたちがちかえもん の実況にまで押しかけて、清盛恨めしやーをやってたのを思い出す。
昨今の大河はーとネガキャンに狂奔する連中(の有力部分)は、何と清盛についてもこう「総括」したのだった。
こうなると、もはやお互いパラレルワールドの住人ゆえ、対話可能性なんぞ絶望的に思えてくる。
願わくば、本当にこの清盛は、よくあるような小さくまとまった善人主人公に過ぎなかったのか?
仲代清盛や渡清盛とは比べものにならないほどスケールの小さな平板な清盛であったのか?
もう一度、世間の人々に触れ回って説得してもらいたい。 言われないなーw
男無しで終わるシコメが体位がー破水がーと一日中夢物語に熱中してるのを見ると、
もしかしてとご同情申し上げることはあるけどさw
ついでに逆方向で、主人公を悪く描きさえすれば、あるいは登場人物が悪人だらけだったら、
ただそれだけで歓喜して名作呼ばわりする単細胞たちからも無縁でありたい(コインの裏表)。
清盛は偉い人、良い人、魅力ある人だったから、大河の主人公に選ばれたのだ。
842 日曜8時の名無しさん[] 2018/04/22(日) 07:26:01.19 ID:yAM0BZuF
はっ?平清盛は
堅牢な貴族体制に果敢な戦いを挑んで武士の世を切り開いた偉人。
政策体系としては、日本で初めて今に通ずる交易国家の礎を築いた偉人に描かれましたが?
逆に言えば、志半ばのところで退場せざるを得なかった、政体論的にも朝廷機構の内部に食い込む
旧套の手法に留まったため、中途半端な達成点で終わった男に(率直な形で盛らずに)描かれましたが?
(他方、<朝廷との距離>というテーマにも取り組み〜「六波羅幕府論」〜志と共に頼朝に承継された)
晩年の「老人特有の頑迷さ」「精神の硬直」(高橋)をよりドラマチックに展開させましたが、
それは若き日から綿密に描いてきた「躍動的で柔軟で粘り強い精神の持ち主」であった清盛からすれば、
一時の逸脱にすぎません。悪人、謀略家にさえ描けば歓喜するような単細胞たちに阿ったわけではないのです※
平清盛は1年を通じて、作品のキーコンセプト=「平清盛無くして武士の世はなかった」(by頼朝)
を執拗に追い求め、この命題に見事な回答を与えることに成功した大河なのです。
なお、崇徳怨霊伝説と接合させて伝説となった「平家納経」回では、美術班によるプロフェッショナル中の
プロフェッショナルな仕事〜平家納経制作過程〜が見られました。
美しい厳島ロケ、また若き日の安芸守時代の旧厳島神社エピと合わせて、広島の人々も喜んだことでしょう。
※考証高橋先生が捉える清盛像を再度確認すると、合理的(迷信嫌い)、激情の主(感情過多)、下々にも優しい、
先見性、常識に縛られない、新し物好き、果断な決断力・行動力、外向的、包容力など。
これらすべての特性が、各種エピによって描出された。
おやぬみ >>550
>周りをdisって主人公を持ち上げ、結局は善人に小さく綺麗にまとめてジエンド・・・
これに清盛が該当せんのか
オマエの脳内ってのは本当にどうなってんだw ほーら、実に本気なんだよねこのババア・、。そして捨て台詞にて終了の無限ループ。
他所では
悪役に徹しきれない無能な作り手、武田信玄を見習え!みたいなお笑い振りまいていたけどね。
実際は「さすがは清盛」とは程遠かったから、叩くにしても「主人公上げがー」とか
「スイーツがー」やってたのは、さすがにババア一人二人限定だった。 ちなみに552のコピペは
「清盛をただの悪人に描きおって広島人は許さん」なるレスへの応答。
ホント「主人公美化」「主人公下げ」どっちなのよ皆様方?
も一つ
「史実を並べるだけで精一杯」(執念の人)
「歴史がすっぽり抜けて心理ドラマに終始した」(北の将軍)
こちらもどっちなのよ?・・・ >>552
多分、ASD的こだわりの強さがあるね。繰り返しが頻繁なのと、粗暴な書き込みが目立つし。
一度受診を。 周到なダンドリの裏面で、唐突感を出すべき場面についての判断がしっかりしていたことも特筆される。
典型的には次の3つ。
1 西行出家の際の娘キック
2 突然思い立った後白河青墓巡礼
3 滋子の死
1→醜い濁世が嫌になった。ややこしい人間関係に疲れた。待賢門院との道ならぬ恋に敗れた。反面で仏道に帰依する情熱が高まった。
など、背景事情についてあれこれ挙げることはできる。しかし、これらと家族を棄てる出家との間にはなお断絶がある。
ドラマでは、然るべき準備を経て各方面への挨拶を済ませた西行ではなく、西行の内面における「突然の閃き」が強調された。
この強調ポイントから見ると、
「本人以外、いや本人も説明できない」いきなりの娘キックは(伝統的な「未練を断ち切るため」といった解釈をとってない)、
動機を説明しきらず余白を与えることで、俗世からの離脱を求める西行の〈跳躍した決断〉をいっそう謎めいたものとするのに効果抜群だった。
2→後白河の真骨頂である〈神出鬼没性〉&庶民が生きる世界に対する〈好奇心〉。
そこで雅仁は、乙前の歌う「遊びをせんとや」によって生き返った。
あたかも乙前との出会いを求めていたかのように、「近衛帝の容態芳しからず」となったその時、雅仁は青墓巡礼を「閃いた」
(行く前:私には関係のないことだ=要らぬ皇子→帰った後:生まれたこと自体バクチじゃ=帝位への意欲満々)。
これまた雅仁を特徴づける〈鋭い勘〉が、後白河帝を爆誕させ、崇徳をローリング卒倒へと押しやったと言って間違いない。
3→実際は突然死ではないが、両巨頭の間を取り持った滋子の死が人々に与えた喪失感及び危機感は大きなものがあった。
政治的には、滋子の不在によって生じた空洞が、清盛と後白河との間に辛うじて保たれていたパワーバランスを一挙に崩壊させ、
ここに風雲急を告げた時代は、アクセルを踏み込んだかのように鹿ケ谷のカタストロフへと雪崩れ込んでいく。
この相対的安定期から、抑えられていた危機がいっぺんに顕在化する時代への劇的変化を強調する上で、すなわち、
バランサー滋子の死が意味した〈政治的損失〉、及び人々の意識レベルにおける〈喪失感や空虚感〉といった危機感情を明らかにするために、
滋子を「突然死」とした演出はたいそう効果的だった。 タマキン木南晴夏をゲト
単刀直入波多野娘方式かロクでもないプロポーズ方式かは不明 1について
※ドラマでは相性最悪だった悪左府(スカした奴が大嫌い)は、「公私何も憂いがないのに何で?でも偉いやっちゃ」と惜しんだという。
当時の人々にとっても、リア充に見えた義清の出家は意外だったようだ。
この点、仏道と歌道への抑えがたい帰依を読み取ることも可能だが、外からは窺い知れない秘密を内面に抱えていた義清
と解釈しても、両者は矛盾しない。出家に至る義清の動機をあえて特定しなかった「西行出家物語」は優れものだろう。
2について
※※棚ぼたではなく、乙前から命を吹き込まれた雅仁の意志が帝位を手繰り寄せた。このドラマ的アレンジが秀逸。
3について
※※※後白河畢生の事業となった梁塵秘抄編纂のシーンは、とことんエキセントリックな君主であった後白河と滋子との、
夫婦水入らずで睦じい、大河清盛屈指の情感溢れるシーンでもあった。
その次のシーンが、滋子「いきなりの死」。以下、ノベを引用する。
「突然の悲劇が後白河院を襲ったのは、〈この日から数ヶ月が過ぎた〉7月だった」→そして頼朝による解説ナレ
「安元2年(1176)7月8日、建春門院滋子様が35歳の若さで〈突如〉この世を去られた」
←ここで分かるのは、「突然死」と言っても、時系列を歪めて滋子の死を前倒ししたのではないということ。
清盛と後白河との決裂という劇的な歴史的展開を演出するために、「死までのプロセス」を省略した作劇であった。
何ヶ月もすっ飛ばすやり方を、とりわけ後半取らなかった「年表大河・逐条大河清盛」において、数ヶ月を省略した効果は
すこぶる大きいものがある。 バランサーって、そんな描写やナレーションあったかな? 何故NHKは、誰も見なくなるヒドイ内容の大河を制作放送したの? マクドナルドのハンバーガー食ってコカ・コーラ飲んで糞して寝ろ 整理して再掲する。
周到なダンドリの裏面で、唐突感を出すべき場面についての判断がしっかりしていたことも特筆される。
典型的には次の3つ。
1 西行出家の際の娘キック
2 突然思い立った後白河青墓巡礼
3 滋子の死
1→醜い濁世が嫌になった。ややこしい人間関係に疲れた。待賢門院との道ならぬ恋に敗れた。反面で仏道に帰依する情熱が高まった・・・
背景事情についてあれこれ挙げることはできる。しかし、これらと家族を棄てる出家との間にはなお断絶※がある。
ドラマでは、然るべき準備を経て各方面への挨拶を済ませた西行ではなく、西行の内面における「突然の閃き」が強調された。
この強調ポイントから見ると、
「本人以外、いや本人も説明できない」いきなりの娘キックは(伝統的な「未練を断ち切るため」といった解釈をとってない)、
動機を説明し尽くさず余白を与えることで、俗世からの離脱を求める西行の〈跳躍した決断〉を
いっそう謎めいたものとするのに抜群の効果があった。
※
ドラマでは相性最悪だった悪左府(スカした奴が大嫌い)は、「公私何も憂いがないのに何で?でも偉いやっちゃ」と惜しんだという。
当時の人々にとっても、リア充に見えた義清の出家は意外だったようだ。
この点、仏道と歌道への抑えがたい帰依を読み取ることも可能だが、外からは窺い知れない秘密を内面に抱えていた義清
と解釈しても両者は矛盾しない。出家に至る義清の動機をあえて特定しなかった「西行出家物語」は優れものだろう。
2→後白河の真骨頂である〈神出鬼没性〉&庶民が生きる世界に対する〈好奇心〉。
そこで孤独な皇子雅仁は、乙前の歌う「遊びをせんとや」によって生き返った。
あたかも乙前との出会いを求めていたかのように、「近衛帝の容態芳しからず」となったその時、雅仁は青墓巡礼を「閃いた」。
(行く前:私には関係のないことだ=要らぬ皇子→帰った後:生まれたこと自体バクチじゃ=帝位への意欲満々)
こちらも雅仁を特徴づける〈鋭い勘〉が、後白河帝を爆誕させ※※、崇徳をローリング卒倒へ押しやったと言って間違いない。
※※
棚ぼたではなく、乙前から命を吹き込まれた雅仁の意志が帝位を手繰り寄せた。このドラマ的アレンジが秀逸。
さらに、「何でござりますかその歌は。私も海賊船上で(母が歌う)この歌が聞こえてこなんだら生きていなかった」・・・
こう告白した清盛との会話(「ほー其方もかー」)も、キーコンセプト=「遊びをせんとや」=生への意志の核心に迫った場面である。
3→実際は突然死ではないが、両巨頭の間を取り持った滋子の死が人々に与えた喪失感及び危機感は大きなものがあった。
政治的には、滋子の不在によって生じた空洞が、清盛と後白河との間に辛うじて保たれていたパワーバランスを一挙に崩壊させ、
ここに風雲急を告げた時代は、アクセルを踏み込んだかのように鹿ケ谷のカタストロフへと雪崩れ込んでいく。
この相対的安定期から、抑え込まれていた危機がいっぺんに顕在化する時代への劇的変化を強調する上で、すなわち、
バランサー滋子の死が意味した〈政治的損失〉、及び人々の意識レベルにおける〈喪失感や空虚感〉といった危機感情を明らかにするために、
滋子を「突然死」とした演出はたいそう効果的だった。※※※
※※※
後白河畢生の事業となった梁塵秘抄編纂のシーンは、とことんエキセントリックな君主であった後白河と滋子の、
夫婦水入らずで睦じい、大河清盛屈指の情感溢れるシーンでもあった。
その次のシーンが、滋子「いきなりの死」。以下、ノベを引用する。
「突然の悲劇が後白河院を襲ったのは、〈この日から数ヶ月が過ぎた〉7月だった」→そして頼朝による解説ナレ
「安元2年(1176)7月8日、建春門院滋子様が35歳の若さで〈突如〉この世を去られた」
←ここで分かるのは、「突然死」と言っても、時系列を歪めて滋子の死を前倒ししたのではないということ。
直前の幸福なシーンとの落差を際立たせ、ここから生ずる清盛と後白河との決裂という劇的な歴史展開を演出するために、
「死までのプロセス」を省略したのだろう。
事象を逐一追っていった(しかし、出来事をただ並べていく昔ながらの大河とは似ても似つかぬ)「年表大河清盛」において、
バッサリと数ヶ月を省略した効果はすこぶる大きなものがある。 >>560
「滋子は後白河と清盛との間を取り持つ蝶番の役割を務めました」
みたいな、ナレで説明していっちょ上がりの手法を清盛は採らない。
滋子のポジとその重要性は、あくまでもストーリーと映像の説得力によって訴えかけられた。
そんな場面あったっけ?と言われても、滋子はほとんどバランサー描写のために出てきました、
と答えるしかない。
例えば、平家と王家の「合作」である憲仁(高倉)立太子のために、弟であり清盛の腹心である時忠を
巻き込んだ場面。あるいは、清盛に反感を抱く院の近親=成親と西光を接待したシーン、
などを思い出して欲しい。 >>564
あーっと、ナレーションや説明はちゃんとあったね。
40話のアバンでは、「清盛と後白河院のかけ橋」という視聴者に大変親切で分かりやすいテロップが初っ端から最後まで出ていた。
目に優しく「かけ橋」を赤で強調してる。
同じく井上あさひアナが、「(滋子が)平家一門の為に立ち回る一方で、平家の財を王家にもたらし、双方を支えてきました。」、「清盛と後白河院、二人の権力者の均衡は滋子によって辛うじて保たれていたのです。」とナレーションで言い切っているね。
さすがはNHKの大河。
ストーリーと映像の説得力に、製作者自ら不安を覚えちうのを隠さんのは潔かこんで、こいは慶喜公にも通ずるように思いもす。
何もかんもドラマだけで描くち、元来が無理難題じゃ。そげなもんは作り手の約束にはならん。 そっか、覚えてないw
ありがとん。
ただ、ずばりの説明ナレはないに越したことはない。
なくても滋子のポジションは伝わった。
リコ太夫は頑張ったが、まあ難役すぎた。
こんなところでゴワス。 やっぱりさ、壮年から晩年は渡辺謙がやればよかったんじゃないか?
で、時子は始め深キョン、後から寺島しのぶ。 >>567
渡辺謙は通販タレントがお似合い
すごいぜ!ハズキルーペ >>567
松ケン交代をお望みの方は、「いつ、どのタイミングで交代させるべきか。それは可能か」
について、統一感を破壊するデメリットにも言及しながら述べないと(晩年は年食ったナベケンのが
相応しい、というだけでは理由にならない)。つかこの話、果てしなく秋田わw
深キョンはいっそう必要性を感じない。
壇ノ浦ダイビング除いて、ゴッドマザー一歩手前の時子で終了なんだから。
(一門を差配するほど前面に出るのは清盛死後。後家権力の行使=ゴッドマザー) 海賊船でのピンチから清盛を救ったのが、嬰児記憶に刷り込まれていた母舞子の歌う「あそびをせんとや生まれけん」。
舞子が歌う遊びの歌は、忠盛の人生にも大きな影響を与えた(どうしょうもなく気楽で呑気な歌だな→舞子自らが真髄を語る(→なんとこの舞子による「解説」が、
最終回で清盛を讃え慰撫する西行によってリフレインされる〜清盛は母が理想とする〈面白き〉人生を全うしたのだった―「お点前の〈面白き〉人生、何と〈美しい〉!」)
→その後、遊びの歌の精神を密かに自らの指針としてきた忠盛であったが、これを口ずさむところを宗子に聞かれてしまい(鹿爪も見つかって・・・)夫婦の危機。。。
→さらに、どんなに頑張っても越えられない貴族の厚い壁。そこに追い打ちをかけるかのように鬼畜頼長から愛息家盛への凌辱をぶっちゃけられて
(「おたくの息子とはすべてにおいてしかと結ばれたのさ」)、人生の最後で酷く弱気になってしまった忠盛のセリフがコレ
〜「家貞。近ごろしきりに思い出すのじゃ。舞子に言われたことを。【夢中で生きていればいつかわかる】。なんのために太刀を振るっているのか。
なにゆえ武士が今の世に生きているのか。【わしは夢中で生きてきた】。だが未だわからぬ・・・」
このように、舞子が歌う「遊びをせんとや」は、清盛と忠盛に重大な作用を及ぼした。そして、この歌を舞子に仕込んだのが、白拍子界の大先輩にしてスーパースター
祇園女御=乙前であった。彼女が歌う「遊びをせんとや」もまた、、とんでもなく大きな意味を担った。
まずもって、雅仁ボーンアゲインは、まさに乙前@青墓が歌う「遊びをせんとや」が齎した。どちらに転ぶかわからない緊迫した王者議定の実況中継(史実にほぼ忠実)は、
非常にエキサイティングなシーンであったけれど、本作の雅仁は「なるべくして帝位に就いた」王者なのである(史実と創作との「虚実皮膜」を示す好例)。
それだけではない。母舞子が歌う「遊びをせんとや」に救われた清盛は、生死の境を彷徨った「白河院の伝言回」において、駆けつけた乙前が枕元で歌う「遊びをせんとや」
の歌によって励まされることで生への意志を高め、遠い昔の嬰児(胎児、幼児)記憶へと遡及していき、、そこで母舞子と出会い、父白河と対峙した
(あなた様を超えて見せますると宣言したところで蘇生)。その意味で清盛も雅仁同様、、乙前が歌う「遊びをせんとや」によって再度生を得て帰還したと言うことができる。
こうして振り返ると、「遊びをせんとや生まれけん」が、どんだけ重要なキーコンセプトであったことか、今さらながら痛感するしかない。
この歌の「総元締め」祇園女御=乙前の重要性もわかるだろう。そして祇園女御=乙前の重要性は、何よりもこの「生命の歌」を美声で歌うことにあるのだから、
セリフ回しその他の演技力よりも歌唱力が求められる役柄であったことが明らかである。
昭和の歌姫にしてセレブな聖子を、平安の芸能民のトップにして白河の寵姫、セレブな祇園女御=乙前に抜擢した磯Pの慧眼に恐れ入った。 転生ゴッシーが変態的政才を発揮し始めたようで何より 一応どっちでも良いんでなかったっけ?>お点前とお手前
しかし今回の弁慶久光はやり過ぎだなー。
デフォルメするにも戯画化手前まで行くのは好きでない。
清盛で言えば、経宗さんの顔芸キャラは面白かったが、やり過ぎ感があって好みではなかった。
どちらもキャラ設定と演出の問題で、青木氏と有薗氏の演技は要求されたことに応えたものだ。 ゴッシーの変態ぶりは別にデフォルメではない
というところが何とも・・・ 弁慶久光と正に「幕末の後白河」慶喜、最初からあんな仲が悪いわけないべ。
というか、当初は良好なはず。
政事総裁職を拝して何故か喜んでいる津田寛治、相変わらず軽く見えるな〜。 >>567
晩年の「助けてくれい」の演技が好きなんで途中交代なんてありえんわ ・石清水八幡臨時祭で荒らしいダイナミックな舞を奉納。〈白河を〉睨みつけた、巨人に挑みかかる青年清盛
・意識と無意識、夢と現実の狭間で再度〈白河と〉対決。「あなた様を超えてみせまする」と睨みつけた、瀕死の壮年清盛
挙げ句の果て
・「ここはわしの世じゃー」と〈白河その人〉に成り果てた、狂える老人清盛
これら「三者「は「別人」であってはならない。
人格の同一性が保たれないようでは、「1人の人間の内なる変貌」を目の当たりにしたことで
我々視聴者が受けた「驚き」の大半は、減殺されてしまったに違いない。 後白河も同様。
1 清盛との初めての双六勝負で、清盛を追い詰めながらも、幼児清太のせいで逆転負けを食らってマジ切れした雅仁
2 衰弱して死期が近づいた重盛を嬲り殺すかのように、双六勝負を強要し虐待した後白河
この「2人」は「同一人格」でなければならなかった。
「この先、清太に害をなしたら命はないと思え!」
双六盤を投げつけようとする雅仁に、清盛は剣を抜いて雅仁に釘を刺した。
その30年後、偏執狂であり、また驚異的な記憶力の持ち主(by信西)でもあった後白河は、「せっかくの楽しみを邪魔した」
この重盛を決して忘れていなかった。
一方で、鹿ケ谷事件で近臣西光、成親を失い窮地の後白河は、次なる反撃の駒を重盛に見出した。
和歌もどきによって、清盛の弱点が家族愛にあることを雅仁は見抜いていたからだ(多くが呆れた中、
真剣な表情で清盛の意図を読み取ろうとし、平氏の新棟梁清盛を見定めようとしていた)。
このような背景の下、サディストの本性も露わに双六で重盛をいたぶったシーンが、あの痛ましい2の場面。
ここで執念深い後白河は往年のお返しを果たし、併せて「重盛愛」で判断が鈍るであろう清盛を再び強烈に挑発した。
程なくして重盛は死んだ。待ってましたとばかりに、間髪入れず越前国没収の挙に及ぶ後白河。
しかし、今度ばかりは暴走する後白河に清盛の堪忍袋がプッツン切れた。大咆哮を上げた清盛は、大軍を率いて上洛し、
後白河一党を一網打尽とする。治承クーデターの勃発である。
以上を踏まえて、清盛ー後白河ー重盛の関係性から治承クーデターの勃発要因を探れば、
【客観的要因】
・重盛死に先立つ盛子(基実妻)の死→横領した摂関家領を後白河の管理下に置く(摂関家領横領と共に描いた)
・重盛死→越前国没収
→清盛平家の経済的基盤に対する重大な挑戦であるこの2つの歴史的要因をきちんとフォローした上で、さらに、
【主観的要因】
=30年前に後白河に忠告した約束を反古にされた
ことが、ドラマ上はいっそう重要な意味をもった。すなわち、
「あれだけ重盛に手を出したらタダでは済まん、と忠告したではないか。俺を舐めんなよ」と下した〈鉄槌〉(←30年前に剣で予告)
こそ、大河清盛における治承クーデターの核心部分である(究極の「虚実皮膜)。
である以上、1の雅仁と2の後白河は不可分一体の関係にあった。
この「マジ基地後白河」を、松田翔太を超えて演じられる役者がいるのやら存じ上げぬが、仮に唐沢氏ならもっと凄いと想像できたとしても、
雅仁を演じていない以上、そのような仮定の話は只々虚しいとしか言いようがない。 ・悪魔的な哄笑で仰け反らせる
・流行歌=今様を歌う美声のシンガー
この2つがゴッシー役に不可欠な必要条件。
唐沢氏は?知らんw >>583
哄笑はもちろんだが、唐沢寿明は歌唱力が高いことで知られている。音楽活動をしているし。
ダンスも上手い。
しかし、松ケンに比べたらキャリアも貫禄もずっと上だから、後白河として出てしまったらば清盛が位負けして翳むから無理だろう。 >>583
哄笑はもちろんだが、唐沢寿明は歌唱力が高いことで知られている。音楽活動をしているし。
ダンスも上手い。
しかし、松ケンに比べたらキャリアも貫禄もずっと上だから、後白河として出てしまったらば清盛が位負けして翳むから無理だろう。 >>583
哄笑はもちろんだが、唐沢寿明は歌唱力が高いことで知られている。音楽活動をしているし。
ダンスも上手い。
しかし、松ケンに比べたらキャリアも貫禄もずっと上だから、後白河として出てしまったらば清盛が位負けして翳むから無理だろう。 あらら、Mateの調子が悪くて三連投になった。
許されよ。 ハイハイ、おばさまの唐沢ラブはよーうわかりました
次の源平大河の折は是非、みずらの雅仁君になって日がな一日歌い狂い踊り狂ってくださいね、唐沢殿。
なお、清盛より10歳若い雅仁君に、当時50近い唐沢氏が起用される可能性は限りなく低かったと
言わざるを得ず、「一番の適任は唐沢氏だが、彼が後白河をやると松ケンが霞む」云々説かれても、
それは「心配ご無用」とお答えするしかありません。
もし、途中交代した後の唐沢氏の優位性を主張したいのなら、毎度のお願い飽きましたけど、
清盛同様、「いついかなるタイミング」でそれは可能なのか、>>581を踏まえて論じていただかないと。
もっとも、清盛は代わらないのに後白河は交代。あるいはその逆とかありなんでしょうか?
もし両者代わるのならば、唐沢氏と比較して「位負け」してしまう清盛役は、誰かもっと中年の
貫禄タップリの著名俳優ということになリませんかね?
さらに言えば、滝沢御大のように「貫禄ありすぎ」の後白河は、今ではもう通用しないでしょう。
唐沢氏が「立派すぎても」それはそれで問題です。
以上、昼間からネチネチ意地悪スンマセンでした。 私が視聴した中で、平清盛に最も近いというか、前駆大河として「信長」があると思う。
40話の浅井長政ドクロの話と信長、ロレンソとの対話、夢の安土城プロットなど、革新者が併せ持つまるで違う側面を深く掘り下げている。
キャストは派手だが、抑揚を抑え、時間の経過をしっかり辿る非常に稠密な脚本。
清盛にも通じるものがある。 >>589
同じく私も!緒形直人さんのですよね?の、織田信長思い出しました。子供の時に観たきりだから脚本がどうとかまでは覚えてないですが、抑えた演技でも信長の狂気や孤独が滲み出てて凄みがあったのを覚えています。清盛と似てると感じました。
清盛も信長も、パイオニアはみな孤独なのかな?しかも武士だと文化や技術のパイオニアと違ってバッサバッサ敵を倒していかないといけないから、より孤独だったのかな >>591
そうです。緒形直人主演の「信長」です。
同じ感覚を持った人がいたとは。
普段は概ねまともだけど、孤独でエキセントリックなところがあるゆえに言動の振幅が大きく、宗教の保護者であると同時に破壊者でもあるところなど、清盛で描かれた人物像と通底していると思いました。 孤独でエキセントリック?
本来の人間性という面からはちょっと違うような。後白河ならわかるけど。
しかし、時代に先駆けて修羅の道を歩む、孤独な権力者清盛の姿が確かに見られた。
清盛像に関しては、1落胤=初期設定、2無頼エピ、3考証高橋の学説、によって基本形が与えられ、
この基本形が本質的部分で不変であり続けながらも、大きく変貌していった。
当初はウジウジ出自に悩む孤独な青年でもあったが、同時にヤンチャで荒々しく開放的で人なつこい清盛でもあった。
自我危機は早々に脱してしまったこともあり、どちらかといえば、好奇心溢れ行動的なツッパリ青年
のイメージの方が印象に残った(武士とはどうあるべきか、忠盛に反抗しながら模索した部分含めて)。
精力的な壮年清盛はタフガイであり、規格外であっても、人間性や行動に異常さを伺わせるところがほとんどない。
出家後の冷酷なマキャベリスト清盛は、残された時間とやるべき仕事とを計算した上でのことで、
狂気ではなく清盛の合理性がもたらした変貌だろう。この時期の清盛が「修羅の道を一人行く」孤独な清盛※。
そうすると最晩年、狂気の闇に閉ざされた清盛は、「白河化」による一時的な逸脱と考えた方が良い。
現に最後は、静かなファイトを燃やす透徹した武士清盛へ戻っていった。
ということで、トータルで眺めた場合の清盛は、「孤独」「変」「狂気」といったキーワードよりも、
「豊かな発想をもち行動力も伴う、スケールの大きな常識人にしてタフな政治家」と評するのが相応しいと思っている。
粘り強い精神と努力の人清盛は(文武双方特記事項なし)、決して天才型ではなく、白河落胤説に立っても、
清盛の出世と栄達そして業績は、あくまでも人間力含めた本人の実力によって勝ち取り、
成し遂げたものであることに注意したい(忠盛が遺した大きな遺産=軍事力&財力を活用する才能も重要)。
※人間性の次元というより、巨大なものを背負った権力者に通有する姿だろう。 >>593
西郷どんスレからお戻りですか。
翔ぶが如くや太平記、花の乱スレとか、いろいろとボヤージュされてはいかが。 松ケンはうどんのCMみたいな頭のネジの足りない兄ちゃんが合ってるよ >>594
無内容な長文評論家やってないでたまには何か反論しないと、「清盛を見てみたい」と思い立った奇特なご新規さんが、
昨日も5人ぐらい生まれてしまったかもしれないぞ。
せっかく、一致団結して「反日駄作大河」「漫画大河」「ネタ大河」で2ちゃん世論を「確立」させたつもりだったのにさ。
「わたくしが悪ぅーございました」タマコ >>596
「どこまでも福々しげで憎らしいお方じゃ」ナリコ 長文様がカムロの職務に精励されているおかげで大河板の秩序が
たもたれているようやね乙 >>598
やはり碌な大人にならなかったですね。
長文さんは。 7月1日といえば「平治の乱」
ひとつの合戦を三週間にわたって取り上げるなんて
もう二度とないのかなぁと思った超高速生麦事件&ナレ薩英戦争 >>593
長文さんが元気でなによりです。このスレ立てたかいがあったなと。
しかし、麻生太郎によると、総理大臣とは「どす黒い孤独」に包まれてすごす生活なのだそうで、
最高権力者としての清盛が孤独だったという説には一理あるのではと思いますよ。 >>589-591
キンジパはあのOP曲が素晴らしいんだよな〜。
宣教師たちがどんな気持ちでジパングにやってきたのかというのを
現わしててさ。
戦闘シーンの凄さは流石にバブルw >>605
あんまり戦闘シーンには拘らない方だが、信長のは地味だが広さを感じて秀逸。 「ここから先は一本も通さん!」
一門じゃなかったイレブンが粘ってPK戦に持ち込み、
宗盛じゃなくって川島がドヤ顏で敵を睨みつけて弁慶の立往生してたら、
赤い源氏じゃなかった赤い悪魔ベルギーに絶対勝ってたよ。
残念無念
お疲れ様 誰が良かったか?清盛、後白河については、この議論はエンドレス。
もう2人挙げるとしたら、まさに頼朝と滋子だろう。
頼朝は、明らかに「京貴族のシティボーイ頼朝」をイメージした岡田マ起用であり、結果的に大正解。
反面で、覚醒後の頼朝には不向きとなってきそうだけれども、最後のほうの岡田マは日増しに逞しさを増して、
眼光鋭い武将頼朝へ成長していった(さらに続けて老獪な政治家頼朝となると、中井頼朝に軍配が上がるだろう)。
あっかんべーするお転婆少女から、政治に首を突っ込む強い国母までやらなければならなかった滋子役。
おそらく清盛と並ぶ難役であった。璃子ちゃんは頑張った、それで吉(雨に打たれながらの舞などは、納得いくまで
続けたという)。誰か適任の女優がいたら教えてほしい。
あさひ太夫は良かったのに、ブーイングばっかりで気の毒だった。シコメたちによるブス攻撃は論外として、
誰々と比べて妖艶さが足りないとか的外れの言いがかりに晒されて腹たったのでw、擁護した
(店の顔である妖艶で熟れた花魁ではなく、めったに顔を見せない幻の花魁であり、実像は20にいかない硬さの残る少女)。
まあ、恥ずかしながらその作品は初めて知ったw。2人とも頑張ってちょんまげ。 以前、滋子役の成海璃子にはもうちょっと頑張って欲しかったと
ボソッっとつぶやいていた長文さんが認識を改めてくれたようでなにより 棒読みもあれだが
そもそも声がダメ
あの優美さのかけらも色艶皆無のガラガラ声では
姫とか格式高い設定のキャラは無理
素がタバコすっぱすぱの下品なねーちゃん丸出し
見た目で言うと狭い額も貧乏臭そうで頭も悪そう ウェディングドレス姿の璃子ちゃん美しかったでー
西洋式がーのババアさまたち、諦めないで! byエア矢ミキ 義経で常盤、八重で照姫やった稲森いづみのもう少し若い頃が似合ってたかもとふとオモタ。
絶世の美女、気品、強い母、一面で策略家・・・
ただ、あっかんべーと豪放磊落な大酒飲み滋子はチト似合わないかな。
となると尾野真千子。しかし、庶民的ながらっぱちとはこれまたチト違う。
やっぱ理想の滋子役を探し出すのはたいそうむずい。 お馴染みババア連合に暇なオッチャンから成る愉快な仲間たちって、朝ドラの趣味まで一枚岩で団結するのね。
ある時は凄絶なバッシング、ある時はひたすらヨイショ。
半分青いは1秒も見てないので何も言えないが、みんなが絶賛する奇妙な光景に、八重前半と真田丸の既視感ありあり。
それで、どさくさ紛れでちりとてを「構成力がなってない」「カタルシスを得られない終結」と腐すスケートババアと来た。
平清盛とは一桁違うフリークを生んだちりとて、朝ドラらしからぬ緻密な作りが評判を呼んだちりとて対して大した度胸、
えらい頼もしいではないの。
しかし、俺は別にフリークではないが、「お母ちゃんのようになりたくない」と故郷を飛び出したB子が、
落語家の一生を断念して平凡な主婦に収まるであろうことは(密かに憧れる母ちゃんのようになりたい)
藤本ワールドからは至ってナチュラルな帰結だ。朝ドラは、カタルシスを齎して終わらなければならないのか?
実際賛否両論だったらしく、不満をもった視聴者が出て当然だけれども、「構成力がないので落とし前をつけられなかった」
などという難癖はまるで成り立たない。もちろん、フェミ的見地から怪しからんどうのこうのやるのはナンセンス。
そして平清盛もまた、「ジャンプの打ち切り」どころか、完全解に近い終結=落とし前をつけるフィナーレが用意されていた。
新平家の相当ショボい源平合戦を持ち出したり(一ノ谷の忠度を省略するなんてありえません。どこぞの駄作とは違いますドヤ!)、
あるいは、最終回合戦で死ぬ主人公を、しかもダラダラ引き延ばした大河を持ち出したりして、
清盛死後を清盛物語の完結という一点から隙なく纏め上げた清盛最終回を「ジャンプの打ち切り」と腐す光景は、
実に片腹痛かった(大河清盛は、その肉体的死では終わらない。しかし、清盛物語と離れて死後の出来事は意味をもたない)。
内容面からも、中途半端な達成度で終わった清盛の人生にカタルシスを求めるのは、本来筋違いであるのにもかかわらず、
哀れ盲目の琵琶法師に身をやつした羅刹が奏でる「祇園精舎の鐘の声」から、一気に「族滅の悲劇」を「希望の物語」
へと転調させて、海の底での喜ばしい一門の再会で閉じられた大団円は、本物のカタルシスを我々に齎したのだった。 おい長文。そんなにB子が好きならミスシャーロックも見たれや。
真田の淀様と一緒に事件解決頑張ってるぞ。
しかしA子はどこに行ったんだろ。美人なのに 長文様他スレの名文コピさせていただきます。どうか堪忍してくりしゃり
龍・平治の乱後の地味な政治時過程をフォローしつつ、昇竜の如き京の清盛と低徊する伊豆の頼朝を鮮やかな対比構造で連結した
【伊豆の流人(7.8%)、五十の宴(9..3%)】
・史上屈指の有意なオリキャラ兎丸の退場を、考え抜いた設定によりスムーズに成し遂げ、併せて時忠が発したミステリアスな
「平家にあらずんば」によって魅せた【兎丸無念(9.7%)】
・直接の事件描写のみならず、中期的な背景構造、長期的な因縁まで、長大なスパンで描かれた鹿ヶ谷事件。このような鹿ヶ谷描写は
最初で最後となるだろう【はかない歌(9.6%)、賽の目の行方(7.9%)、鹿ヶ谷の陰謀(8.9%)】
・治承クーデターによって頂点に立った「そこからの眺め」は漆黒の闇であった。内乱勃発の狼煙をあげた【以仁王の令旨(7/3%)】
・長大な清盛物語を一分の隙もなく締めるにふさわしいフィナーレとなった【双六が終わるとき(9.2%)、遊びをせんとや生まれけん(9.5&)】
なんとまあ素晴らしい一桁回のオンパレーだったのでしょうか?お前ら残念でしたw コラコラ、5分で書き殴った迷文コピペはダメ!
ついでに誤字恥ずかしいから訂正ね
・政治時過程→政治過程
・以仁王の令旨7/3%→7.3%
・生まれけん9.5&→9.5%
というか何で一桁だったんだ?これらの回。オリンピックとかは除いて。
何やっても20%いく朝ドラ。ブーブー言われた回でも何とか10%はキープできるその後の大河。
清盛だけ何でああ無情なんよ?謎謎謎
お父さん、オババ様たちおせえて! 尾崎豊みたく、ファンがこっ恥ずかしく、気持ち悪くて敬遠された大河ドラマ。
平清盛。 戦国や幕末だと「その時代だから見る」というベース視聴者層があるのが強いわな
昔は忠臣蔵や平家物語も基礎教養だったから戦国幕末のサイクルに混ざれたけど
今や平家物語は序文と那須与一の名前くらい知ってればいい方だし
忠臣蔵に至っては史実厨によって物語自体が破壊されてしまう始末
そんなわけで「忠と孝」の回は戦前戦中教育世代からとても反響が大きかったらしい
もし平清盛が10年前に製作されていたら数字はもっと底上げされていたかもしれないね プラスして戦国や幕末は漫画やゲームなんかのメディア展開も多いから
にわか層が入ってきやすいからな
天地人や真田丸ではあまりに無知なやつが多くてワラタわ 酔っ払って帰宅中、割と重要かなと思って書いたので再掲
>史実に忠実に作った平清盛は散々だったが
まーたそうやってオモチャの剣がーやるんか?
もう秋田よその臭っせーやり口。大河板に限らない煽りのための常套手段だけどな。
清盛は史実部分も創作部分も「同時に」分厚いんだよ。
これらがハイレベルで融合されている。
なので情報量が半端なく、史実部分を繋ぎ合せていけば、日本史上屈指の体制変動期であり、
時代相の目まぐるしい転変が観察される平安末期についての、立派な「お勉強大河」が出来上がる。
しかしそ一方で、その背後では、完全オリジナルと言って良い、極めて作家性の強い
フィクションとしての「一つの清盛物語」によって貫かれていた。
歴史を一生懸命再現しました止まりでもなければ、歴史はさて置いて人間ドラマを分厚くやりました
でもない。主客融合による虚実皮膜の物語。これこそが他に何処にも見られない大河平清盛の個性である。 銅銭を輸入した清盛、撰銭で通貨を統一しようとした信長。 「四女だな」
「グフッ」
不謹慎をお詫びした上で、どうにもこうにも思い出してしまった。
信西から忠正死刑の宣告を受けて言葉がでない清盛が発した「コトバらしきもの」がコレ。
人間茫然となった時に出てくるヴォキャというか発生音なのか。。。 >そういう層や頭弱、更には特亜に媚びることしか考えてないなら、もうNHKに用は無い
>「海賊王に俺はなる!」呆れ
>若年層を掘り起こしたいんだけど、ずっと駄々滑りなんだよね
>覗き屋シエでさえ良作に思えてくる
>日本とは思えないような乾燥した空気感と
特亜とか平気で使うババアどもが、海賊王がーって喚き続ける正体なわけね。
何ともわかりやすいでしょ。王家がー、反日がーも同じ連中ってこと。もうこちらではダンマリこいてるけどさ。
情けないババアども、正々堂々とこちらでやれ!
ちなみにラディヲ体操第2ヨーイのツイ婆さんも、常々「京を乾燥地帯に描いた無能がー」が口癖ですw
「今から2年前、中世研究の先生方にさまざまなお話をうかがいました。たとえば、平安京は当時、都としての耐用年数を過ぎ、内裏や焼け落ち、
都の西半分は水没、【日照りが続くと砂埃が舞って大変だった】とか、
清盛は自家用の宋船を持ち、福原と築島神社の間を乗り回していました。当時の貴族は中国語も話せた超エリート集団だったなど、
お話はどれも新鮮なものばかりで、遠い平安時代を身近に感じるようになりました。」
ドラマストーリーで、磯Pはこう述べている。つまり、白い粉による砂埃描写は、作り手が自分勝手に創作したものでもなんでもなく、
専門家の助言に基づいたものだ。もしそんなにデタラメだと主張したいのならば、平氏研究の権威である高橋教授始め、「中世研究の先生方」
に論争を挑んでこい。もっとも、その前提として、砂埃が舞ったからといって京を「乾燥地帯」に描いたことになるはずもなく、
アホらしい飛躍を改めてからにしたほうが良い。伏流水だかなんだかが豊富であろうと、巨大人工都市京は砂埃が舞う世界なのだ。 【参照】
まーた始まった。
京は湿地帯だからアスファルトの舗装があろうとなかろうと埃なんて舞わないーキリッ
万世一系のお上が住まわれる神聖な都が隣の国のように汚いわけないーキリッ
右京の湿地帯はとうの昔に宅地化されたが早くから衰退した、朱雀大路はペンペン草が生えていた、
羅城門はとっくの昔に破門となっており貧民の根城と化していた、インフラ未整備のため糞尿垂れ流し状態、
飢饉となれば疫病が猖獗し生き地獄、街は貧者・病者・孤児で溢れかえった・・・
しかし、このような有り様は反日制作陣のでっち上げにすぎず、本当の京は王朝絵巻から飛び出してきたかのような
綺麗で衛生的な都市だった・・・
そんなに出鱈目と否定するのならば、「真実の京の姿」を紹介してよ。
「アタシのキレイな平安どーしてくれるのヨォ」の婆さんさ。 >>629
いったい誰に対してわめいているのだろう。 >>631
毎度ながらわけわからんわな。このスレ以外の話題なら対象を示してくれんと
いきなり発狂して吼えてるようにしか見えん
>もうこちらではダンマリこいてるけどさ。
と書くならちゃんとダンマリこけよ
清盛ファンとしては迷惑以外の何ものでもない
本人意識では清盛護持する白馬の騎士なんだろうけど >>620
平清盛は現時点でNHKがつくった最後の大河らしい大河だった。
大河とはどんなドラマなのか、評者の定義によって解釈が異なるかもしれないが、
日本の歴史の表舞台の中心に一度は立った人を描くドラマだ、と定義すれば、
平清盛は充分有資格者だと思う。
ところが、とても悲しいことにこの大河は視聴率をとれなかった。それは御指摘の通り。
なぜ視聴率がとれなかったのか、NHK大河制作部門の混迷と原因究明の模索期、
(または空白期)が5年続き、試行錯誤の果てにつくったのがいまの「西郷どん」だろう。
現時点では、西郷が維新政府の中心人物に登り詰めるまではまだ時間が掛かる。
留守政府の事実上の首相として頂点に立ったあとが西郷どんの勝負所だろうね。
歴史上の人物としての西郷にしても、大河ドラマ西郷どんの後世の評価にしてもだ。 >>624
> 忠臣蔵に至っては史実厨によって物語自体が破壊されてしまう始末
この感覚にはある程度共感するけれど、しかし現代日本は様々な意味で移行期であります。
だから、昭和の前半までに確立した「物語」から、大河だけを聖域化できるかどうかは疑問。
第二次世界大戦以降の新史料発掘や網野史観など新しい歴史解釈を取り入れた史実オンリー
でもなく、だからといってオールファンタジーでない、例えば近松門左衛門提唱の「虚実皮膜」を
自由に行き来する「おとなのための、おとぎばなし」のような傑作大河ドラマがぞくぞく生まれる
ことを期待はするが、それは今はないものねだり、または時期尚早なのかもしれませんね。 >>629-630
> 伏流水だかなんだかが豊富であろうと、巨大人工都市京は砂埃が舞う世界なのだ。
> そんなに出鱈目と否定するのならば、「真実の京の姿」を紹介してよ。
長文さんがまた吠えてるけど、それでもおじいちゃん・おばあちゃんにとって「花の都」の京が
土埃の舞う荒んだ町として清盛で描かれたのは、おそらくものすごいショックだったのだろう。
すこしは彼らの心境を分かってあげなよ。
歴史学的に見て正しい再現が、演劇として受け容れられない者が続出したのは事実だから。
長文さんに燃料投下するようになって申し訳ないけど、地球の気温の長期的変動については
世界各国で研究が進んでいる。オーストラリアの研究チームがはじきだした過去2000年分の
地球の平均気温のグラフは、以下のようになっている。清盛が生きていた頃(1118年-1181年)
の平均気温は、実は現代よりも高い。
http://jennifermarohasy.com/wp-content/uploads/2017/08/Fig12.png
過去2000年間の気温変動曲線(青)とAIが出力した曲線(オレンジ)。
from
http://jennifermarohasy.com/2017/08/recent-warming-natural/
Most of the Recent Warming Could be Natural|Jennifer Marohasy
だから当時の日本の京も、ものすごい干魃とものすごい豪雨が繰り返す準ヒプシサーマル期
(=高温期)だったはずだ。そういう天候なら埃が舞っていなければ(歴史学的には)おかしい。
そんな気象条件の京を含む西国は、飢饉と疫病の蔓延に苦しめられた。
そして、この高温期は、京の都の支配者である貴族たちや通称・西国国家にとっても凶と出た。
平安時代中期以降、より北方の関東や東北南部への移民と開墾が加速的に進み、平泉には
黄金の寺が建ち、力をつけた坂東武者が鎌倉幕府を樹立して、西国国家から権力を奪取した。
大河平清盛には、そのペアとなる坂東武者の物語を、制作部門でおそらく準備していたはずだ。
でないと、源平合戦にならないし、大河平清盛という物語が、真の意味で完結しないからね。
いまは叶わぬ願いだろうけど、たとえば『草燃える』のリメイクとか、焦点を絞って「尼将軍政子」
(この人は賊軍の朝敵にされたにもかかわらず、逆に朝廷の官軍を打倒してしまう日本史上初の
快挙を達成したドラゴンレディーでしょう。女主人公が大好きなNHKがなぜ北条政子を主人公に
できないのか、私には理解しかねる)とか、いつか制作してくれないかな・・・
クーラーが故障して寝付きが悪く、長文さんに匹敵するくらいの長話をついつい書いてしまった。
いやはや。 >>636
あら、夜中に寝付きの悪い人がもうひとりいてますな。こんな時間に怒ったら駄目よ。
羊さんの数を数えながらでいいから、ちゃんと寝なさい >犬や猫、おもちゃの刀等で視聴者を釣るような姑息なドラマは悉く失敗に終わる。
>馬鹿な視聴者にも見透かされることをする大河はアホ。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
一生海賊王がー、王家がーと喚き続けて終わる、オツムすっからかんのアタシ
善男善女を「馬鹿な視聴者」と馬鹿にする、100万倍ど阿呆のババアのアタシは
「オモチャの宋剣」と戯れせんとや生まれけん♪ (大笑い)
しかし、オウムちゃんの働きは偉大やった。。
>しょーもない伏線に頼ることもないし
>一桁連発はないやろ
そりゃ、伏線を支える時空間構造が非常な強固な上に、その伏線たるや予測可能性ゼロ、
おまけに異なるシチュエーションで新たな意味を付与される難易度Aランクのものが目白押し。
なもんで、お前の足りない脳ミソはショートしてヒューズが飛んでパッパラパー・・・ご愁傷様でしたw
あれだ、100%信之が倍返しするだろうとみんなが予想し、実際その通りになった「黙れ小童!」あたりで、
ミタニン伏線すげーやってるのがお似合いかと。。。
>清盛は精霊と同じでファンタジー大河枠だから仕方ない
>あまり悪口言うとまたあいつが来てしまう
呼んだー?
えっ?アホウヨ&=ババアたちさアー
清盛は「本格王道歴史大河」枠なんだなコレがーヽ(*´∀`*)ノ.+゚
稀代のファンタジスタでもあるけんどよーウソ━━Σ( `Д´; )━━ン!!!
フィクションは他のすべての大河同様あっても
お前の好きな大河のように「インチキ」ではなく、
歴史と人物の核心へと向けられているんだよナーm(・ω・m)ソーリィ
>その海賊王を作ったスタッフが作ったのが 綾瀬主演のファンタジー大河
>あれは 東映の仮面ライダーや戦隊シリーズを作っているスタッフに作らせれば
>まだマシなモノになってた
つまりだ
「海賊王がつまらなすぎた」とする(たった2秒の青春活劇パートから全体を決めつける)
漫画脳1が現れて、「中味がつまらない」と述べたのに対して(おにぎりと並置したことからも
内容面であることは明らか)、
「海賊討伐は国政上の重大案件であり、その後の平氏と清盛の興隆にとって大きな意味をもった」
ーこの基本的な史実すら知らない漫画脳2が、「海賊王と同じスタッフがー」と喚いて、
ファンタジー大河精霊の「つまらなさ」は「清盛スタッフが作ったから」とその原因を解説した。
そこで非漫画脳が「スタッフは同じとは言えない」と指摘したところ(114)、
「人は見かけで90%で決まる」から「デザイナーが同一であれば同じスタッフ」
と漫画のような回答を寄せ、「大河がつまらないという場合、それは中味ではなくて外見のことだ」
なる画期的な漫画理論を打ち出した。イマココ。 >>640
暑さで病が昂じたか知らんが、荒らしに等しくなってきた。 >>637
長文でも読みやすさ、わかりやすさが格段に違う
長文さんも少しは見習えよ 文章力だけで相手を理解させないで
いろいろと各方面に煽る頭悪さだからな無理だろ
多分このレスにも噛み付いてくる こににちわ
オホホ、久々押しかけてきたかと思いきや、まーた長文恨めしやーでっか?
そんなビクビクしないでも良いっすよ、特亜がーのババアさまとか武将ナンチャラさまとかw
いつもいつも下手な長文を、腹わた煮えくる思いでお読みいただきすんませんです。
拙者、寸鉄人を刺す短文の才能ゼロゆえ勘弁してくれなんしょ、と100万回お願いしてあります。
こんな長文を我慢して読んでいただいた奇特な皆さまの中から、今なお中傷含めた激しい攻撃に晒され続ける
大河清盛に対して、新たに関心をもち、あるいは再見の意欲をもつ人がちょこっとでも現れれば・・・
そんな願いでやっております(逆効果がーのレスは省略されたし)。
このように、長文の名宛人は世間の人々であって、今さらババアどもに訴えかけるものではありません。
ところが、このババアたちときたら、無内容だと決めつけた長文に付き合うほどムダな時間はなさそうなものを、
わざわざ読んで下さっては怒りで身を震わせ、すっからかんのオツムの血管ははち切れんばかり。
さすが暇で暇で暇な遊び人が揃う愉快な仲間たちだけあります。
他方拙者、作品のみならず長文に対しても、憎悪の炎を滾らせ目を吊り上げたババアさまたちの
滑稽なお姿を想像するや、怒りならぬお笑いでお腹が千切れそうになってしまいもす。
改めて、大河清盛の魅力をネガから発信し続ける皆さまの弛まぬご尽力に対して、感謝申し上げる次第です。
それはともかく、今回もまーたまーた
【漫画、ネタ、反日大河清盛に「毒を吐き」「罵り倒して」、この史上最低の駄作を葬り去ったツモリ・・・
でいたのに、コアな歴史通で大河批評をリードしてきたアタシたち()のシコメ姿を晒す長文が憎ーーーい】
これだけっすか?
ババアさ、お前のオツムじゃ、たとえ「論理的かつ美文」を書いたとしても、精緻な清盛の内容を前にしては
パッパラパーとなるのは必定であっても、なんか中味ある反論なり意見なりないの?
(同じ女のくせに)かっ飛んだ怜悧な藤本女史のオツムに、パブロフの犬並みのお前らが嫉妬するのはわかりますがねハイ。
何が書いてあることぐらい、「お前の文章力ではアタシのオツムでは理解不能」でもわかるでしょ?汚盛がーよ。 今日のヒー様の吉之助への笑顔は、
平治の乱に負けて逃げてきた熊吉もとい信頼に初めに見せていた笑顔や
死に賭けの重盛に「清盛と協力してやろう」っていったときの笑顔だったな
おかげで、吉之助に長恨歌を聞かせるか双六をやろうと言い出す妄想をしてしまったw 本日AM10:35よりスカパー日本映画専門CHにて雷蔵の新平家物語を放送 凱旋場面でのとっ捕まった汚い海賊とか出自に悩む清盛とか、
雷蔵版新平家を参考にしたかもと思わせるところがあるね。
あとエキストラを大量動員した強訴の迫力は映画ならでは。
(そのノリで祇園社事件が江戸のチャンバラ活劇みたいだったのには参った)
まあ内容的には平板とトンデモの組み合わせでしたけど。 大河清盛以外では、86年NHK武蔵坊弁慶の平家パートが一番かな、
清盛、知盛などイメージピッタリだった。
https://www.youtube.com/watch?v=RKdYoUYnBow ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています