【2020年 大河ドラマ】麒麟がくる part4
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そんで、こう締めくくれば更に上出来
「歴史は流れ近代、金天海は日本共産党、朝鮮総連で活躍、日本の社会に大きな影響を残した・・・」 そして現在、光秀は今も生きている
金光秀さん、朴光秀さん、文光秀さん、徐光秀さん、鄭光秀さん
一人一人に取材しに行って近況を話してる映像ざっと流すともっとええやん
頑張れNHK 李光秀さん 梁光秀さん も追加で
まあ出るわ出るわ
光秀ってホントに朝鮮人に多いんやね >>766
天海説はハセヒロさんも知ってたけど
けっこう有名なのかね
歴ヲタぐらいしか知らないと思ってた >>765
>でも「光秀が先祖代々の有力幕臣で豪邸を維持」ってことは自分も無いと思う
答えはやっぱこれでしょ↓
21:人間七七四年[sage]
俺、俺だよ俺俺
ちょっとやんごとなき身分なんだけど1件家屋敷都合してくれないかな?
今でいうところのオレオレ詐欺 天海を出したら、負けだと思う
光秀と別人でということならまだ許せるけどw 信長を討つ話
秀吉+落ち武者狩りで討たれる話
これがドラマのクライマックスなのに何十年も後に天海になって活躍する話なんかやっても面白くなるとは思えない
それよりも中国大返しのカラクリをちゃんと描くのか
それとも単に そういうことがありました、で流すのか
伝わるとおりのタイムラインでは、地図と地形を精密に把握した上でのベストルートで望んだ最新装備の米兵の行軍速度でも無理、だとされているが・・・ >>772
鮮人は 〜〇〇と名を変えて生き続ける〜
っていうストーリー好きみたいだから、負けだろうがなんだろうがやりたいんじゃないの?
日本名に名を変え日本に居座り続けるとか、自分たちの実体験だし >>773
中国大返しは状況的に十分可能だから秀吉黒幕は有り得ないらしいが
むしろ賤ヶ岳前の美濃大返しの方が凄いとか >>765
言継卿記で、光秀の屋敷が描写され、その近所の屋敷主名も書かれているから
光秀の屋敷は実在していた
>>775
中国大返しは途中のインターバルがあるので可能ということになるが
備中高松城から姫路城区間の秀吉のスピードは説明できないようだ >>770
長谷川はアングラ系の映画ヲタだから知ってそう >>776
二条城造営時に光秀も信長に上洛時の宿泊所も兼ねた屋敷を建ててもらったんだろうな >>766
明智平は絶対に出るはず
光秀=天海じゃないにしてもね >>778
明智家は室町幕府の奉公衆で、京に屋敷を持っていた。光秀の屋敷はこの屋敷と思われる。
永禄の変で破壊されたのは花の御所のみであり、他には影響は及んでいないと考えられる。 信長は永禄12年2月から二条城再建と同時に奉公衆屋敷を新造
義昭と不和になって出奔した近衛屋敷を潰して
二条城東出丸の東に幕府奉公衆の屋敷を建てている
二条城が今で言う武衛陣町の平安女学院 四方三町の外郭
奉公衆の屋敷が直ぐ東の京都御苑近衛邸跡
京に屋敷が無い幕臣用の官舎みたいなもんだろう
なお山科言継の屋敷が烏丸通に面した龍前町から土御門内裏の辺り >>781
近衛邸跡だとちょっと言い方が不味かった
今の近衛邸跡ではなく近衛敷地を没収して
東出丸の東一帯に幕臣屋敷を新造 >>781
>信長は永禄12年2月から二条城再建と同時に奉公衆屋敷を新造
>義昭と不和になって出奔した近衛屋敷を潰して
>二条城東出丸の東に幕府奉公衆の屋敷を建てている
この根拠は? >>784
奉公衆は京に屋敷を持っていた。←「室町幕府と国人一揆」吉川弘文館
永禄の変で破壊されたのは花の御所のみ←公家の日記に火災や大規模破壊の記述がない
>信長は永禄12年2月から二条城再建と同時に奉公衆屋敷を新造
>義昭と不和になって出奔した近衛屋敷を潰して
>二条城東出丸の東に幕府奉公衆の屋敷を建てている
この根拠は? このスレに限らないけど、根拠の史料なり解説本なりも、一緒に書けばいいのにね
光秀の都での屋敷とかは知らないけど、足利義昭と一緒に上洛した直後は、細川藤孝の中間だと言われてたんだよね
それ自体は、勘違いだとしてもそんなふうに見られてる人が、自分の屋敷なんかかまえてたんだろうか
あったとしたら、秀吉たち信長の家臣たちと共同で京都の庶政を担当してた、ごく短期間では
信長の配下になって京都代官みたいな立場になってからだと、京都に常駐しなかったからか、自分の屋敷は無くて、
施薬院とかいう人の家を宿舎にしてたと本に書いてあって、丹波攻めの最中に体調を崩して京に戻ってきた時も、曲直瀬という人の
家で療養したりしたそうで、この頃にはもう都に自分の家は明智家の出張所的なものも含めて、持ってなかったんだろうね 奈良の住人に、光秀は細川の中間と書かれているけど
1568年に、光秀は京のセレブと連歌会をやっている
中間クラスからいきなりセレブと連歌ということは考えにくいので
細川家の中間の可能性は低いと思う 奈良の住人って、大寺院の高僧やろ、細川本人と会話する機会もある人やな
そこで知りたいのが、1568年京のセレブと連歌会ってのはどの史料にあるのかなと >>789
連歌目録
>>789は>>781なら、信長が奉公衆の屋敷を建てた資料を出してほしい >>788じゃないけど
連歌会は記録するから残ってたみたいだよ
永禄11年11月15日信長の側近だった明院良政の連歌会だそうです
細川藤孝・聖護院道澄(近衛前久の弟)・里村紹巴などと共に光秀も出席してるそうだ 953 日曜8時の名無しさん sage 2018/04/22(日) 02:01:31.13 ID:mlIx1kRr
>>948
なんで男言葉使ってんのおばさん >>790
たぶん言継卿記の1569年4月に書いてあることだと思う
近衛家の敷地に奉公衆の屋敷を建築とある
また言継卿記の1570年1月に
奉公衆が集住する屋敷の中に光秀の名前があるので
上記の件と合わせて上洛後に建築された屋敷と自分も思うかな >>788-789
「京のセレブ」?
セレブって著名人とか名士ってのが本来の意味だけど?
間違って「成金」とか「大金持ち」と思ってる人も多いけど。 >>794
池端脚本の「そろばん侍」第一部、面白かった >>793
言継卿記には、信長は禁裏と御城を普請したと書かれているね
近衛家の屋敷地は奉公衆の屋敷になったとも書かれている
信長は天皇と公方の屋敷は建てたが、幕臣屋敷まで建てたとは考えにくい
近衛敷地には、力のある幕臣が屋敷を建てたと考える
また、仮に、信長が奉公衆の屋敷を建てたとして、光秀がその屋敷に住んだとしても
光秀は細川家の中間ではなく奉公衆ということになるね >>790-791
おおーとってもサンクス
ちなみに789は781じゃないよって793が出してくれてるからもう解決やね 個人的には、せっかく残ってる一級史料は全て切り捨てたくないよなぁ
とすると光秀は、細川の中間、石ころ同然(本人談)、将軍側近、己を偽装することに抜け目がない
これらを総合すると、ある時から明智を名乗り始めた偽物とするのが一番近い気がする
現代でも有栖川家を名乗って金集めてた人いたでしょ、あれも長いこと多くの人が気付かなかったんだし >>791
連歌のこと全く分からんけど、
この面々から見ると、信長が企画した代理人たちの連歌会って感じ?
(光秀は義昭代理) >>789
お前の言ってること鵜呑みにすると日本史に名を残してる有名人の半分くらいは朝鮮人ってことになりそうだな
ネトウヨほど朝鮮半島の人材を評価してる奴らはいないとはよく言ったものだ 京都で甲冑着て写真撮影出来るとこあるが、明智光秀プランを用意するそうだ
「光秀の甲冑」と聞いてみんながイメージするわかりやすい甲冑が無いので、前立てを桔梗紋にするくらいみたいだが >>798
>>793は「近衛家の敷地に奉公衆の屋敷を建築とある」と書いているが
言継卿記に書かれているのは禁裏と義昭御所の普請のこと
信長が奉公衆の屋敷を建築したとは書かれていない 【満14歳から、受信″】 耳栓しても、聞こえてしまう、マイトLーヤの世界演説、名づけて『大宣言』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529807166/l50
準備は整った、あとは革命起こすだけ、世界をひっくり返す、18億人のサヨクたち! >>797
修正ありがとう
文は「近衛の敷地が奉公衆の屋敷に成った」なので
誰が建築したのか
それとも敷地の建物を接収したのか
自分じゃよくわからん >>801
調べてみたら、李頼朝、李信長、李秀吉はいるのなw (金はいなかった)
で光秀は金光秀、李光秀、朴光秀、文光秀、徐光秀、鄭光秀、梁光秀 趙光秀 許光秀 崔光秀・・・
>今年8月に「オレオレ詐欺」で逮捕されたのは、京都府の宮本こと、張光秀容疑者です。
なんてのもあった >>796
池端氏は体力が心配
確か太平記の時は体調崩されて
後半一部を別の方が書いてた >>799
濃姫やら生駒氏やら明智氏に近しい人物が多い織田氏に明智を偽称するのは難しいだろうね 何故 信長が近衛前久の敷地を接収出来たのか
それは近衛前久が出奔して闕所にされたから
近衛が足利義昭の命に違え出奔と云う理由で関白解任
闕所を簡単に言うと没収して無主地にする
その無主地を武家普請で使ったという事
二条城の近くの近衛敷地を接収して
奉公衆の屋敷を建てたのかは殿中御掟を見れば解る
端的に幕府機構と機能の建て直し 省庁の近くに官舎無いと面倒
パナマ大虐殺 >>809
よく知らんけど、明智って美濃と京の二つに分かれてたイメージ
光秀が濃姫らに「私は京の明智です」と言えば結構誤魔化せちゃいそうなんだが >>814
そしてさっさと後家人から織田家に鞍替えして大出世
ってのは難しいんじゃないだろうか? >>799
山田風太郎の短編「忍者 明智十兵衛」だと、ある人物が途中から明智光秀になってたな
入れ替わり方法は大河じゃ無理だがw にっぽん!歴史鑑定『光秀VS秀吉 信長はどちらを評価?』
2018年7月2日(月)22時00分〜22時54分
本能寺の変により、評価が対照的な明智光秀と羽柴秀吉。
2人は、織田信長の家臣の中では、外様だったが、信長に評価され、家臣ナンバー1の座を争うほどだった。
2人の出世争い、能力を徹底検証!信長の家臣の中で一番早く「一国一城の主」となったのは光秀だった!
信長の大ピンチで活躍した2人。ところが、手柄は秀吉が独り占めした?その真相は?
信長が評価していたのは、光秀と秀吉、果たしてどちらだったのか。本能寺の変の謎にも迫る!
http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kantei/ 本能寺の変に謎なんかない
殺せるタイミングだから殺してみただけ
それよりも中国大返しのほうが謎が大きい
前人未到のウルトラマラソンで後先考えず全力疾走(背後の毛利から追撃されたら終わり)
睡眠時間もメシ食う時間もまともにない (そもそも野営地を設営する暇もない)
行軍中はどこで合戦になるかも未定 まともにシミュレーションする暇もない
気温が30度を超え蒸し暑い新暦の7月、その移動するだけでも大変なウルトラマラソンの末、疲労のピークで戦闘突入
普通に考えたら インパール作戦の陸軍しかりもはや戦闘できる状況ではないし
そのありとあらゆる面で不利な状況なのになぜか特に危機なく平易に大勝したことになっている
実際は山崎の戦いは両軍ともにもっと数は少なかったか(光秀は西部戦線だけに大軍を割けないのでその可能性あるが)
秀吉軍は実際はもっと辛勝で 武勇を脚色するために損害を過少に大本営発表したのか
秀吉時代から江戸年間の間に色々 事実改変されたのか >>821
この見出しの感じだとまあだいたい聞いたことある話だろうなあ 953 日曜8時の名無しさん sage 2018/04/22(日) 02:01:31.13 ID:mlIx1kRr
>>948
なんで男言葉使ってんのおばさん >>823
中国大返しの謎は解る。
秀吉の援軍に光秀が向かう事になっていて道中の準備が成されていた。
恐らく光秀が準備していた兵糧馬舟その他の物資を利用して秀吉は戻ってきた。 >>826
秀吉の援軍には主君の信長・信忠親子が直々で向かうことになっており
(おそらく中国平定を秀吉の手柄にはさせたくないため)
その準備をしたのは秀吉自身じゃない?
光秀は信長・信忠が京でお茶会している間
信長・信忠の大軍を預かっていただけで総大将ではない >>827
信長、信忠の分もあったやろうけど
まずは光秀の分からやろうな
前線の秀吉が、何万人くるか不明な光秀や信長たちの兵站までやってたとは考えにくい そもそも信長、信忠の本軍が京都で準備されていたら光秀に討たれていない 秀吉が信長に頼んで援軍に来てもらう予定だったんだから
姫路から備中までの道中の準備は当然秀吉がしてるだろうし
粗相のないように、それはそれは気を付けて準備してたんじゃないか >>830
確かに姫路は秀吉の城だしな
まあ信長の指令を持って先入りした明智家臣が姫路にやって来て
姫路の目附と秀吉の家臣が現地に差配をしたって感じかな 企画意図
王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。
応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは、誰なのか・・・
そして、麒麟はいつ、来るのか?
↑
十二国記か >>834
明智光秀主役でこのタイトルって
明智光秀が天海ならわかるけど… 十二国記がまだ完結してなくて驚いた
というか作者が体調不良なのか >企画意図
>王(家康)が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟(天海=光秀)。
こういう気がしてくるね 光秀=天海→生まれ変わって金天海(共産党、朝鮮総連)
NHKが光秀やりたい理由はこれだろう 光秀が天海説は確たる証拠のない伝説でしかないけど
さらっとわかる人にだけわかる感じでいいから
匂わせてもらえたら満足だなぁ
明智光秀がヒーローになるもんね
しかも、そうなると前に出ないヒーローというところが日本人好みかなと 明智憲三郎氏のお祖父さんが唱えた説なんだよな>光秀=天海説 >>837
明智憲三郎が原作協力した漫画の「信長を殺した男」では
作中のナレーションで信長が「麒麟」と書かれてあった
多分本能寺から山崎の合戦で終わるから、
麒麟は信長から一瞬光秀のところに来るけど、
最後は秀吉のところに行ってしまうのだろう >>842
明智憲三郎氏のお祖父さんが唱えたというより、別の人が採取した伝説を、自分が調べたいろんな話と一緒に
本に書いて世間に広めたんだそうだよ
>>844
藤本正行氏の本によると、信長も一時期、麒麟の「麟」の字を花押に使っていたことがあるそうなので、
本人も意識はしてたのかもしれないね >>842
ウィキペディアで
「明治時代の作家、須藤光暉が唱えだしたもので、明智光秀の子孫と称する明智滝朗が流布したことから広く知られるようになった。」となっているが
須藤光輝も著作の「大僧正天海」(1916年)を読んでみると
「輓近(最近)一部の考証家において、天海は明智光秀の後身なり」と唱えている者がいるが、天海は喜多院の前は不動院にて随風と名乗っていたのが日記にあるから違うと論じていたよ
須藤光輝「大僧正天海」(1916年)
明智滝朗「光秀行状記」(1966年)
2人とも天海と光秀の著作でそういう説がある事を紹介してるだけだ
光秀天海説はもっと前からあったみたい
確かでは無いが、江戸時代の初期からあったという説も見たことあるけど出典がどこなのかわからない
江戸時代でも都市伝説だったのかもね 大河のCGはだいたいガッカリさせられた記憶しかない
本能寺や最終回でそんなん見せられても萎える
ドラマ中の麒麟は概念的なものだけにして
CGはオープニングのみにとどめてほしい 本能寺炎上と共に飛び出す麒麟..
義経か何かでそんなシーンがあったような >>848
そういうのが1番イヤだけど
やりそうで困る 953 日曜8時の名無しさん sage 2018/04/22(日) 02:01:31.13 ID:mlIx1kRr
>>948
なんで男言葉使ってんのおばさん 最終回は
「これより33年後。天下を盗った秀吉の豊臣も滅び、麒麟は家康の上に来た。
家康は幕府を開き、260年の間、泰平の世は続いた。
そして幕末。明智秀満の末裔を名乗る、
その名に麒麟の徴しである『龍』と『馬』とが入った男が歴史の表舞台に躍り出で、
ついに倒幕を果たすのであるが、それはまだ遠い先の話である。」
というナレで終了 >>851
花の乱の最後が
信長上洛は72年後の事であるで終わり 最終回は、炎上する大坂城を見ながらビールを飲む僧の描写で完 王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。
最初信長のところにいて、次に光秀
のところにいた。
なるほど、麒麟とは秀満の事と。 そういや福知山で秀満書状が公開されてる
残ってるんだな
天海の字と似てる気もしないでもないが筆跡鑑定やってくれないかな 鑑定は前テレ東がやってた、天海と光秀でだけど。
光秀ではないけど近親者の可能性が高いという結果だったから
秀満とやったら何か進展あるかもな おれの地元は昔からテレ東系が映らないので、多分違う番組だとは思うが、おれが以前見た番組での
光秀と天海の筆跡鑑定では、「別人であることは間違いないが、筆跡に影響を受けていたフシが見られるので
知り合いだった可能性はある」みたいな結論だったな 近親者で似るなら、秀吉と秀長も専門家が見たら共通点があるのか
いつか人工知能に古今東西の文書読み込ませて一致率測定できる日が来ないかなw >>861
番組内に出ていた筆跡学の先生が言うには近親者は字がよく似るんだと
あとテレ東ではなくTBSでも筆跡鑑定をしていてこっちも親子ではないけど
近親者の可能性が高いみたいな結論で元警察の鑑識が解説してたけどやはり
近親者は似るって言ってたよ >>862
それは近親者だからじゃなくて、手習いの手本が同じようなものだからじゃないの?
だいたい地方の有力国人子弟とかになると京の名刹で修行した坊主に教育されるからな。
似たような字の書き方を習う。 親子ならまだ字を教えたとかで似るのは分かるんだが
単なる親戚でも似るというのは不思議な話だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています