【2018年大河ドラマ】 西郷どん part72
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
◎新スレを立てる時はE-mail欄にsageteoffもしくはageteoffと入れればタイトルに[無断転載禁止]はつきません
◎>>950を踏んだ人が次スレを立てる 放送前後と、状況次第では早めの準備を
◎スレ立て宣言と誘導は『必ず』行い 無理な場合はすぐに申告すること
◎>>950以降は次スレ誘導があるまで、次スレ立てに関する連絡以外は原則レスせずスレ消費を減速する
◎荒らしと思われるレスには各自スルーまたはNGで対応 荒らしに構う人も荒らし
◎ドラマの"あらすじ"に関するネタバレは厳禁(ネットの番組表のコピペ等を含む) 史実は除く
◎ドラマ内容と離れて単に史実や視聴率を論じたい場合には、「歴史観スレ」又は「視聴率スレ」への書き込みをお願いします
◎実況絶対禁止! 実況は 実況ch・番組chへ
◆西郷どん公式サイト
https://www.nhk.or.jp/segodon/
◆西郷どん公式SNS
Twitter http://twitter.com/nhk_segodon/
Instagram http://www.instagram.com/nhk_segodon/
Facebook http://www.facebook.com/NHKsegodon/
◆テンプレ保管庫(コピペの際は「編集」をクリックした画面から行ってください。みんなで管理してね!)
http://seesaawiki.jp/w/amamasa/d/2018%c7%af%c2%e7%b2%cf%a5%c9%a5%e9%a5%de%a1%a1%c0%be%b6%bf%a4%c9%a4%f3%a4%ce%cb%dc%a5%b9%a5%ec?wiki_id=46790
◆前スレ
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part71
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1531301426/ >>710
西南戦争の下地はあったのかもな
武士に教養があって商いのいろはを身につけていれば身分廃止されても生きていけたのに 薩摩は統率者が短期間に代わる代わる。久光がボスなのか西郷どんなのか大久保なのか
なんとなく斉彬の崇拝者も辛抱の限界だったんじゃないかと思う >>707
だから倒幕だけじゃ維新じゃないんだよなあ
西南戦争までが維新だと思う
維新=士族リストラ >>704
持ち直しているって?
15%台に乗らなきゃ、持ち直しているとは言えんでしょ。
「斉彬のいた頃が一番良かった」に反論できない。
斉彬のいt頃には、15%台を4回出しているんだから。 >>665
しかしインフレは新陳代謝ではあるんだよね
インフレだと資本を回さないとどんどん毀損してゆくからな >>689
森鴎外が白米推奨したんでしたっけ?
何かの本で読んだ覚えあります
本当かどうかわかりませんが 江戸患いにはそばっていうのは幕末では周知されてたはずなのにな >>719
日本の銀貨とメキシコ銀貨、銀の含有量が 3:1 なのに等価で取引され
日本から大量の金銀が流出したために海外の金銀市場が暴落するほど。
良識ある当時の日本の知識人階級が問題視してたのに幕府の対応は
後手にまわるばかりで生活苦は庶民に押し寄せるばかり。
これをやむなしとはとても言えない。 >>721
井伊直弼が茶菓子食わせてたんだけど効果なかったか。 しかし久光をイモとか馬鹿にしてたけど、薩摩藩で西郷だって薩摩芋食べてた芋侍だよな 久光には、「イモじゃない、らっきょうだ」と言い返してほしいw らっきょう連呼してる上に罪人あての手紙にまで書いてるあいつが野放しになってるのが謎
チクらない大久保はその点ではいい奴だな >>727
英国人殺害の有村俊斎は死んだことにして、
海江田という別人です。 >>722
酷すぎるな…
不平等条約
物価も高騰するわけだ >>711
龍馬のほうがよくわかってる。久坂ごときに聞く必要はない。
あのドラマは、いろいろと龍馬のことをアホに描いているので好きでない。
たとえば、開国のせいで日本国内は物価が上がったことを
久坂の説明を聞いていたけど、
龍馬の実家は土佐で有数の商家で金持ちだから、
経済のことを、儒教ごりごりの久坂に聞く必要はない。
また、勝塾で、アルファベットをほかの塾生と一緒に学んでいたけど、
龍馬は土佐の徳弘考蔵に入門して西洋式砲術の免許皆伝だから
化学でも物理でもオランダ語でも、教えるほうのレベル。 >>729
その分、舶来品が大量輸入されるから生活向上が飛躍的に上がるってたてまて 久光には、あのキャラのままで最後まで突き抜けて欲しいw
もう無理、無理、無理、無理、帰るー!w
春菜ちゃん、「私というモノがありながら(怒」って、
西郷は春菜と契したっけ? >>730
アホに描かれていたのはむしろ久坂のほうだと思うが
江頭みたいなむさ苦しいおっさんがぎゃーぎゃーわめいていた印象 ミニエー銃さえ調達できれば幕府残党も新政府軍に負けなかったのにね
不平等条約のツケが効いたか… 拳銃を護衛全員に持たせていれば井伊直弼も無傷で生き残ったかもな
まあそんな金は無いんだけども >>712
今の大河で自分の好きな作品やって欲しくない 大久保「国父様、どうかもう一度一橋様と会ってたもっせ!!西郷が段取りをばつけ申した」
久光「会わん!!あの男と会っても無駄じゃ!!おいはもう薩摩に帰る!!!」
大久保「何卒、一橋様と懐を開いて、話し合ってくりゃい!!何卒!!」
久光「もう決めたことじゃ!!(慶喜と話し合えだと?ここ最近は頻繁に会って話し合ってきたわ!!むしろ、自分の嫁以上に慶喜と会って話している程だわ!!!) ガンダム乗っててザクやアッガイに負けるようなものだな
幕府軍 なさけないぜ ガンダムはともかく
実際に幕府の軍事サポーターのおフランスは
後年シャールB1に乗ってU・V号初期型に負けてるからね
実際に実際に そりゃ当時、日の沈まぬ大英帝国が後ろ盾の方が勝つのは当たり前 幕府は物を見る目が無い
最新作イコール最良品だと思い込んでいたんだろうな
鉄血のオルフェンズオタクと同じ >>735
蒸気機関に耐えられる製鉄技術とかね。まあ物価上昇率から来るナショナリズムは古今東西変わらんな >>743
シャスポー銃の長所は装填速度の短さぐらいなので
スナイパーが物陰に隠れて士官を狙い撃ちする戦術であれば
エンフィールド銃三丁を助手に装填させながら使いまわした方がいい 射程距離が伸びれば自ずと破壊力も命中力も上がるからね
ミニエー銃はライフルの基本を理解して量産された
特に旧来の合戦スタイルで固まってる歩兵団などはただのでかい的 >>749
シャスポー1丁兵一人に対して
スナイパー1丁兵一人だが遮蔽物が必要というポジション的デメリットが付帯する
エンフィールドに至っては3丁必要で兵は2人以上必要 南北戦争であぶれた銃日本にばら撒いて
日本人から金巻き上げ血を流させたと 賊軍は手投げ弾とか調達できなかったのか
もしくは自作で炮烙玉を改造するとか ようやく録画みた。
桂は来週が初登場ぽいけどチラと映った物乞いの中の人は玉鉄?
代役なのかな。 >>753
カタログ見ただけの議論でなく鳥羽伏見での戦術の話
もちろん事前に自軍に有利な場所を確保しとくのもセットw >>753
>>758
詳しいな
結局鳥羽伏見の勝敗をわけたのは? >>760
やはりか
NHKの検証特番でもそれだった 四境戦争と同じく幕府兵の大半は最初からやる気なかった+しかも今度は長州より強い薩摩まで相手じゃ無理ゲー。ぶっちゃけ慶喜ごときのために死にたくない説
旧来の戦法と旧来の武器しか持っておらず雨天に火縄銃で参戦する始末(ドラマ白虎隊での頼母からの鳥羽伏見報告)
戦闘力の差 説
錦の御旗に込められし神秘のパワーが辺りにほとばしる。兵士達にかかっているすべてのまやかしが解けた。もう争いは止めにしよう説 でも
一部士気の高い局面もあったっしょ(幕府側)
歴群の記事かなんかで
幕府軍の銃器に対する戦術ドクトリンがナポレオンボナー時代の
古い銃器に対応するそれだったためにいいようにヤラレタともあったような
実際戦闘行軍も取らないフロントラインで馬上の指揮官とか出鱈目だったらしいけど
そいつを任命したヒーさまも併せて無能なのか?任命は組織のシステムなのか? >>624
実際はどうなんだろうな。道場繋がりって話だけど近藤の方が全然格は下なのかね >>759
旧幕府軍は組織がダメだったと思う
大阪城から進軍し、京の都は東西南北複数の街道があるにも関わらず
鳥羽・伏見の南側ルートしか進軍しなかった
理由は薩長は逃げると思ったから、バカとしか思えない理由で
現在の国道171の西国街道にも進軍してれば、西からの攻めもでき薩長は劣勢になったであろう
実は東側ルートの進軍も計画していた、伊勢方面から大津への進軍
多分これは関東から遅れてきた兵が、桑名を経由して進軍ではなかろうか?
船による都への物資ルートは淀川経由を旧幕府軍に抑えられ、東の琵琶湖ルートを抑えようと
朝廷は大津を守るよう諸大名に命じたが、大村藩の20人ぐらいしか集まらなかった
伊勢からの進軍隊はそのわずか20人を大軍だと思い、大津へ向かわず大阪城へ進軍した
やる気あるの?
しばらくして岡山藩徳島藩彦根藩ら合流し、それなりの軍にはなった
戦闘始まり総司令官というべき竹中半兵衛の子孫は逃げ出すし
西洋銃は薩長以上に装備してたと言われるが、旧幕府軍は指揮が高いのと低いのが極端で
会津新選組など高いのは装備が低く、高松藩は装備を捨てて逃げてしまったり
関ヶ原の西軍以上のバラバラだったのであろう
薩長は戦闘中弾薬の不足に悩まされ、裏切った淀藩から借りたり、参戦した鳥取藩が最終日は戦闘に加わらず装備だけ貸した
最終日の男山橋本の戦いにおいて、旧幕府軍は陣形において有利な体制を取れたが川向うの天王山に津藩がいた
津藩は鳥羽伏見が始まる前から天王山に陣取っていた
両軍から催促受けるもずっと傍観しており、こんな洞ヶ峠な藩が
朝敵となり連戦連敗の旧幕府軍に味方するはずないのに
勝手に味方と思い込んでの陣形、当然横から砲撃され壊滅
旧幕府軍の組織のダメさを書いてたら、サッカーWCを思い出してしまった
個人能力が高いのに組織がダメで負けたチームや、対照的に日本は個々の力は劣るが組織力で善戦した しかしまぁ今も昔も発展途上国に先進国が武器を与えて内乱を起こすやり方はかわりませんな
幕末は長州視点、篤姫視点、新選組視点、龍馬視点、薩摩視点
とやってるんだから今度はイギリスとかフランスの諸外国視点で見たら面白いかも >>768
それやると欧米列強の圧力に四苦八苦してる幕府が哀れに見えて来るかも
外圧に苦しんでる時に好き勝手暴れた幕末の志士達や外人嫌いの皇室が道化に見えるかもな そもそも外国に操られたーとかいうのが小説的想像で
当時の史料を丁寧に検証して得た結論じゃないからなw 自分たちが外圧を与えたことを無かったことにしようと……
サイコパスかな 反日パヨクは明治から現代までの法治国家日本を嫌ってるからな
オウムもまた封建主義の独裁宗教だった 五輪大河は大丈夫かな…
なんかボロッカスなオチで纏められそうな予感 >>767
下準備が全くできてないように思える
幕府軍は薩長の挑発に乗っちゃって戦に持ちこまれた感じ? ショーペンハウエル
これに反して誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである。
なぜかと言うに、民族的な誇りのこびりついた人間には誇るに足る個人としての特性が不足しているのだということが、
問わず語りに暴露されているからである。
すなわち個人としての特性が不足していなければ、何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがないからである。
立派な個人的長所を具えた人は、自国民の欠点を常日ごろ見せつけられているのだから、この欠点をこそ最もよく認識するわけであろう。
ところが何一つ誇りとすべきもののない憐れむべき愚者は、たまたま自分の属する民族を誇りとするという最後の手段を命の綱と頼むのである。
これによって息を吹き返し、随喜感激して、自国民に具わる欠点や愚かさを何から何まで力のかぎり根かぎり弁護しようとする。 >>777
おまえのうんちくなど求めてない。
長々しく語るな。 そうかもしれんな
俺なんか何も自慢できることないわ
まあでも日本人でよかったと思うし
日本人であることが誇りだわうん
半島人でなくてほんとよかったよ
おとうちゃんおかあちゃんありがと >>759
旧幕府軍が攻め上がる構図だけど、古来京都は攻めるに易く守るに難き地域なので攻めるのであればとにかく京の七口を抑え糧秣を断つのがセオリー。
しかし旧幕軍はその兵力石高等の威光で新政府軍は一先ず戦いを避けるだろうとタカを括って遮二無二集団形成して進軍するだけ
結果は新政府軍の射撃の的状態。それでも戦い2日目は幾分盛り返したが淀、津の両藩裏切りでワンサイドゲーム状態。これは錦の御旗の影響もある。そしてやる気ない総大将徳川慶喜の一方的戦線離脱逃亡でトドメ。
結論
・全体における戦術眼の差
・現場指揮官の能力差
・総大将のヤル気の差(統率力、共有力の差)
因みに旧幕府軍伏見方面軍の現場指揮官はあの竹中半兵衛の末裔らしい 7月19日発売の週刊新潮では、サングラスを外した“変装”姿で中園氏の自宅へ通うタモリの写真とともに、詳しく報じている。
お相手はNHK大河「西郷どん」を担当する脚本家・中園ミホ氏(59)である。
東京・品川のある日の昼下がり。タモリの姿は、さる高級マンションにあった。
エントランスを出たタモリは、建物の周辺を行き来し、ときにあたりを見回している。
尋常ではない警戒の様子だが、それもそのはず、このマンションは中園氏の自宅なのだ 鈴木って30年後は松方弘樹や梅宮辰夫の様な老害になってそう 何キロメートルも遠くに揚がった旗キレ1枚みて戦意喪失
幕府軍メンタル弱すぎだろ… >>769
これ見たら薩摩すげえとなった
運が大分あるけど
イギリスから見た薩英戦争
http://youtu.be/OKOOcKBPjX8 >>785
鈴木がどうなるかどうでもいいけど
松方や梅宮を老害と思った事がない 松方も梅宮も、年取ればとるほど、腰がひくくなったような感じ
年とるほどえらそうになるやつほど癌なやつはいない >>767
>旧幕府軍の組織のダメさを書いてたら、サッカーWCを思い出してしまった
今の日本・・・ではないなw 今回優勝したフランスが南アフリカWCの時はそんな感じだったね。幾ら優秀な製品やスキルがあってもそれを使いこなせる組織や人材がいないとあかんのは今の会社組織にも通じるものがある
伏見方面の指揮官は竹中重固だね。この人は相手の退路を断つという基本中の基本が出来てなかったから単純に戦音痴だったんだろう。重固は明治以降も生き続けるんだよな 劇中の時代に、慶喜と久光は、どちらが格が上なの?
島津は鎌倉時代からの根拠も明白な源氏で、
徳川は家康がゴリ押しして偽装した偽源氏、
慶喜は偽源氏の八代吉宗から発生した御三共の末裔だし >>707
ここまでの行き掛りで「西国雄藩」同士だったからこそ
抜き差しならなかった長州を、朝敵になったからこの際完全にぶっ叩こうと
禁門の後は薩摩の西郷どんも普通にそう考えてた筈なんだけどな
だから、その筈で長州征討の参謀になった訳だけど、
どういう訳か途中で宗旨替えして(その理由も割と有名だけど)
参謀の西郷が元々公議政体寄りの尾張慶勝総督を口説き落として
家老の首で第一次を終わらせてる >>790
小御所会議による幕臣会津らの暴発を抑えるため、慶喜は二条城から大阪城へ
京にいる薩長は地元から、瀬戸内海から淀川ルートであるが
大阪城を抑える事で薩長は補給路を絶たれ、なかなか見事な戦略であったと思うが
デメリットは天皇を手放してしまった事
この状況で戦闘は絶対してはいけない、政治的に薩長に対抗しなければいけない
旧幕府軍にとって機内は領土もあり、味方した西国譜代も幾つかある
大阪城には姫路高松伊予松山備中松山などが在陣
しかし大阪城へ赴いてわずか1ヶ月も経たない状況で、自ら戦闘してしまった
理由が遥か遠い江戸で薩摩が暴れた、そんな理由で
せっかく有利な立場になりそうだったのに、自ら瓦解させてしまった
錦の御旗が偽物とかそんな事どうでもよく、戦闘したら天皇を神輿にされるのは当然の状況だったのに
越前や尾張は大阪城へ行かず京に残ったが、慶喜を擁護してくれ
使者として大阪城へ赴いた松平春嶽は、裏切り者と会津や幕臣らに罵られ殺されるのでは?と逃げていった
旧幕府軍の暴走は中立派をも敵にしてしまい、どんどん孤立してしまった
大阪の陣においても暴走する開戦派に片桐且元などが追いやられ、ますます暴走し孤立し滅びた
徳川と豊臣の滅亡は類似点が結構あったりし、暴走し孤立し連戦連敗ってとこは類似してると思う >>793
775もそうか
自分からいわせればスレチ。どうでもいい話なんですけどね >>792
バカか?
慶喜に決まってるだろ
つか島津の源氏は明白ではない怪しい説なんだぞw >>722
>>729
もっと根本的な事情があった
当時の一分銀硬貨は権現様の刻印を押す事で金一分(小判四分の一両)との交換を
徳川家が保証すると言う形式の貨幣で、金銀の含有量が釣り合っていた訳ではなかった
だから、徳川家発行の銀貨幣に相場よりも大量の金の価値を保証する事で、
実質的な中央政府である徳川家はいわゆる「出目稼ぎ」をしていた
にも関わらず、一分銀四枚と同じ重量のドル銀貨と金一両を交換せよ、と言うハリスの要求を
当時の幕閣が飲んだために理の当然として相場よりも少ない銀と交換された金小判が海外に大量流出
幕府外交官の海防掛でも勘定所出身の川路、水野は事態を予期して反対してたけど、
目付出身の岩瀬忠震、その上で外交方針の素地を作った堀田正睦は、ここで内輪からも条約調印がこじれたら
水戸斉昭辺りが出て来て収拾がつかなくなると強行方針をとった。
これに対抗するために、小判の金含有量自体を落として小判とドルとの重量的な交換レートを調整したために
金含有量の少ない粗悪な小判が流通、貨幣価値の下落で物価暴騰のインフレーションが庶民生活を直言、
それが開国の異人のせいだと言う事で、幕府外交と異人を忌避する攘夷勢力への支持が庶民レベルまで広がる事に ちなみに島津の先祖は渡来人の秦氏から連なる惟宗氏と言われている >>798
岩倉はれっきとした源氏。 具視の実家は藤原北家堀河家だけど。 明治政府では源氏長者となったのは岩倉具視。 だいたい、薩摩に根付いたのなんて朝鮮渡来に決まってるわw 796を追記すると
大阪城にいる旧幕府軍はゆっくりと時間かけて薩長と対陣すれば勝てたはず
焦る事は全くなく、ただ大阪城で何もせず引き篭もっていればいいだけ
しかし慶喜とその家来達は考えが違っていた
@倒幕派(薩長ら)
A公議政体論(慶喜や容堂や春嶽などの諸侯)
B大政奉還反対もう一度幕府復活派(会津桑名や幕臣ら)
当時この3派に分かれていたといえ
Aは不戦@は戦闘したいBは激怒し暴走
戦闘は@とBによる戦いであるが
大阪城はA慶喜の家来がBの会津幕臣ら
京は@とAの意見が分かれていた状態 鳥羽伏見の戦後、大阪城のA慶喜はBから逃げてしまった
京のAはBに転向し、Aは消滅
その後の戊辰戦争は@とBによる戦い 面白いと言ってはなんだが、幕末末期の政局を見た場合、
家康から徳川三代の配置が見事に図に当たってるんだよな
大政奉還後の大政再委任派閥の核になったのは言う迄もなく会津、
幕末京都守護職で矢面に立たされて今更幕府って梯子外されたら会津自体が身の破滅だと
徳川家光が徳川の未来を託した会津と、その会津松平の実弟で
京都所司代を務めていた桑名松平がまず中心になった
譜代筆頭彦根井伊、御三家の紀州、水戸、初めとして、
越前、尾張を除いた近畿、中部圏の御三家、親藩、譜代、
津や大垣の準譜代に至る迄が会津に同調してるから、
京都の木戸、大久保西郷の勢力は正に家康が要所と見込んで配置した
近畿、中部圏の巨大勢力を敵に回してた事になる
只、問題なのは、その面子から言っても、
はっきり言って徳川家臣が幕府であった事の既得権益が大きな動機となるから、
慶喜が短絡的に、さっさとこのウェーブに乗って在京薩摩をひと捻りなんてしてた日には、
結局こいつらに一生頭が上がらないまま諸外国に対抗出来る統一政府の樹立なんて出来る状況ではなくなる >>804
平氏政権も鎌倉幕府も崩壊した時はそうだった
倶利伽羅峠の戦いで10万もの大軍を投入しながら、木曽義仲に大敗して京都を失った平氏政権
たった150騎で上州で挙兵した新田義貞にとどめをさされて滅亡した鎌倉幕府 >>807
日本の歴史では天下人が変わるときは、
旧勢力の大軍が新興勢力の少数軍に敗れるという事例がよく起こるという不思議
倶利伽羅峠の戦い、千早城の戦い、桶狭間の戦い、鳥羽伏見の戦い >>804
関ヶ原は石田らの官僚派と、加藤福島らの武断派による豊臣内の対立がよく言われるが
幕末の徳川も安政の大獄で、井伊らの譜代と水戸らの親藩を中心とした内部対立があった
関ヶ原において徳川は片方を応援する事で漁夫の利を得たが
幕末において島津も片方を応援し漁夫の利を得た
徳川と違い、島津は安政の大獄においては負け組に味方したが
ほとんど被害は被っておらず
関ヶ原で石田らは全滅し、加藤福島らは残ったが
幕末水戸と井伊は両者手痛い被害を受けた違いがある >>809
島津は戊午の密勅や不時登城に関わっていなくて幕府にも従順だったからな 戊辰戦争は西郷のせいなんだろ
じゃあ軽く流すしかないよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています