【2018年大河ドラマ】 西郷どん part87
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◆前スレ
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part86
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1535707244/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 幕閣はこんなこと話せないからな
知ってても隠蔽もみ消し八角親方だから >>208
慶喜に利用されてトカゲの尻尾切りになったんじゃないの? >>197
おめでたいね。明治維新とはやんわりとした植民地化だよ。
欧米のために中国に進出して、欧米のためにロシアの力を
削ぐ片棒を担がされて、多くの優秀な人材を失った。鍬の
代わりに銃を持たせて農民を戦場に追いやった。そいつら
をありがたく救世主と仰いでいる。 >>214
幣原喜重郎だな
四カ国条約なんて何の役にも立たない方向にもっていった イギリスと縁切れた時点で独立したようなもんだと思うんだわ
旧ドイツやイタリアが良いか悪いかはともかく >>216
はなっから日英同盟を更新させないようにすることがアメリカやフランスの狙いだったのかのう
自分らが開いて定めたヴェルサイユ条約で同じ一次先勝国の日本の海外進出に顔をしかめるってのもおかしな話だし
人種差別なのかな。やっぱ
かつては侵略対象だった島国が自分らと対等って顔するのが許せんみたいな >>218
いや単純に
幕府の政治総裁職になった慶喜は私的にとはいえ帝の権威を振りかざし過剰な弾圧や殺戮や破壊行為を会津に課して、会津は家名のため宗家への忠誠のため自我を捨ててそれを行ってきたけれど
薩長の力が幕府の力を明確に上回り慶喜が不利に追い込まれたあげく責任逃れしたことで新政府は旧幕府残党狩りに注意を向けることになり
同時に、会津はそうした事柄から意図的にハブられて、放置された。
諸外国への関心や各藩との交流を持たないよう閉鎖思想で盲目的に幕府に奉公する田舎組織ほど、状況もつかめず成す術もなく、慶喜の責任を擦り付けられるのはある意味自然なのかもしれない
ただ無知とはいえやっぱり慶喜に騙されたことには違いないので被害者かなと >>220
これは何を言ってるの?
>権威を振りかざし過剰な弾圧や殺戮や破壊行為を会津に課して >>220
殿様が馬鹿でも家臣に優秀な奴が居ればどうにか難局を切り抜けれたはずなのに
家臣までがダメダメだったのが会津の悲劇
ならぬことはならぬものです原理主義の単純バカ揃い
長州は原理主義の巣窟で滅びかけたけど、高杉や桂他優秀な人材がいたから
盛り返せた
土方みたいな討幕勢力の恨みをかってた人殺し集団の代表みたいなのを引き入れてるミスも犯してる 新選組の伊東や山南でさえ公儀の名のもとに惨殺されてしまったからな
穏健派が正しいってわけでもないけど長州を倒すのに薩摩を幕府に従わねば逆賊だと脅してみたり都に放火したりは逆効果だったと思う >>224
せめて神保修理みたいな人があと100人いたら運命も変わってただろうにね >>222
会津が大政奉還の成立に激怒して要人暗殺を計画して龍馬が殺されたことは知ってるけどね
桐野作人@kirinosakujin
承前)小松帯刀が主導する大政奉還から王政復古の道筋は、幕権維持を図りたい会桑勢力にとって許しがたい事態。
そのため、会桑勢力は小松・西郷・大久保へのテロリズムや薩摩藩邸集積、さらに土佐・芸州の要人襲撃も画策。会桑勢力のクーデタ計画はまず知られていない。
近江屋事件もその構図のうち。
2018-02-22 08:27:09 >>217
今だって日本人は、
戦争では敗けたけど日本は独立国でアメリカとは対等な国だ!という「夢」を見させられてるのかもな
そりゃ表向きはそうだけど、実はアメリカの植民地みたいなもんだからな >>232
政権しだいでしょう
日本は軍事力のある国々に囲まれた軍事力のあまり無い国
単独では外交もくそもない
アメリカを「利用して」行かねば立ち行かない
そもそも国家予算の多くが年金制度などの固定費だから軍事費につぎこめるお金には限界があるしね
政権によっては本当にイエスマンになってしまう
外交にコネも無い、アメリカに従う77フリ」の出来ない政党に政権は任せちゃいかん >>220
まず、政事総裁職は松平春嶽で一橋慶喜は将軍後見職
幕府の将軍後見職に就いていたけど、後にそれを退き禁裏御守衛総督に任じられて、
幕府ではなく朝廷から直接禁裏の守護を任じられてる
当初の段階では、一橋と長州の関係は意外と悪くない。
一橋の家臣には水戸からの出向組がいて天狗党との関りもあったから
政治的には、むしろ決定的な対立は避けてた状態
八一八の段階から孝明帝が偽勅を濫発して幕府との関係をかき回した長州を滅茶苦茶に嫌っていて、
八一八と禁門は、孝明帝がパイプ役の中川宮を通じて
個人的に信任していた会津松平を半ば直臣扱いして都から長州を叩き出せと
再三再四矢の催促と激励を繰り返した事に会津松平が従った結果と言うので大体合ってる。
上に言った理由で一橋慶喜は長州に対してどちらかと言うと煮え切らない政治的スタンスをとってたけど、
将軍後見職以来の江戸城老中との政治的冷戦の末に朝廷直属の禁裏御守衛総督に就任していて、
帝と会津からせっつかれてギリギリの所で重い腰を上げた一橋慶喜は、
蓋を開けてみると禁門の変で人生最初で最後の軍事的大活躍を展開する
そういう訳でいわば政治的配慮抜きのトップダウンで長州排斥を命じる激烈な要請を受けて
実際に禁門の変で長州を撃退した会津だけど、その時点では追撃追討の勅命を得られなかった事もあって、
元々の民衆の攘夷・長州びいきも相まって会津の、特に京都での評判は戦争火災と苛烈な残党狩りでむしろガタ落ち
これは勝海舟の記録やこれ以上深入りするなと言う尾張慶喜から会津への警告にも表れてる >>234
田中角栄のロッキード事件は、独自で日中外交を推し進めた田中に対するペナルティーって話だしな
アメリカの意向に逆らうことは難しい
今でも東京の管制権は米軍にあって羽田への飛行ルートは制限されてる
まぁ、一種のアメリカのソフト統治に近いw 正直今アベどんを変えるべきじゃない
逆に言えばアベどんはうまいこと変えるべきじゃないタイミングをブッ込んでくる
アベどんを全面的に推してる訳ではなく 世界中の独立国家で首都の制空権を持たないのは日本ぐらいだろ 篠原国幹は維新後の活躍が桐野より優れていたのかな?
賞典禄6石と200石の差があったが、同じ陸軍少将に。 ドイツの国立軍事文書館に関連文書が3通発見され、プロイセン駐日代理公使フォン・ブラントが「会津、庄内両藩から北海道などの領地売却の打診があった」と手紙を出していたことが明らかになっています。
会津藩と庄内藩は北方警備も任されており、幕府から北海道の根室や留萌などに領地を拝領していました。
ヘンリー・スネルはプロイセンの書記官で、会津藩の軍事顧問を勤めていました。
スネルがプロイセンのビスマルクに、北海道の領地と引き換えに戊辰戦争への介入を頼んでいました。
ビスマルクは北海道の領有に魅力を感じましたが、ロシアを刺激してしまうことを憂慮して、この申し出を断っています。 『維新期の会津・庄内藩、外交に活路 ドイツの文書館で確認』
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201102070075.html
東大史料編纂(へんさん)所の箱石大准教授らが、会津、庄内両藩が戊辰戦争を前にプロイセン(ドイツ)との提携を模索したことを物語る文書をドイツの文書館で確認した。
日本にはまったく記録がないが、薩摩、長州を中心とした新政府軍に追いつめられた両藩が、外交に活路を求めていたことが明らかになった。
ドイツの国立軍事文書館に関連文書が3通あった。1868年7月31日、プロイセン駐日代理公使フォン・ブラントは「会津、庄内両藩から北海道などの領地売却の打診があった」として、本国に判断を仰ぐ手紙を出した。
両藩は当時、北方警備のため、幕府から根室や留萌などに領地を得ていた。手紙には「交渉は長引かせることができる。どの当事者も困窮した状況で、優位な条件を引き出せる」と記されていた。
船便なので届くのに2カ月ほどかかったようだ。「軍港の候補になるが、断るつもりだ」と宰相ビスマルクは10月8日に海相に通知。
この日は、新政府軍が会津若松の城下に突入した日に当たる。ほぼ1カ月後に会津、庄内は降伏。戦争がこれほど早く展開するとは、プロイセン側は予想していなかったのだろう。 顧みなかったビスマルク
ビスマルクは欧米列強間の協調と戦争への中立という視点から、両藩の提案を退けた。それに対して海相は「日本が引き続き混迷の一途をたどった場合は、他の強力な海軍国と同様に領地の確保を考慮すべきだ」と10月18日に返信していた。
箱石さんらは当時の政治状況や人間関係も調査、研究した。新政府の背後には英国がいて、新式の武器や弾薬は英国商人が供給していた。幕府が頼りにしてきた仏国は中立に転じていた。
「会津、庄内両藩は新政府軍の最大の標的であり、懸命に活路を見いだそうとしてブラントの意向と合致したのだろう」と箱石さんは見る。
ドイツの公文書と同時に東大には貴重な資料がもたらされた。スイス在住のユリコ・ビルト・カワラさん(86)が長年調査したシュネル兄弟の記録だ。会津藩の奉行で戊辰戦争で戦死したカワラさんの曽祖父と親交があった。
国学院大栃木短大の田中正弘教授によると、新潟港を拠点に東北諸藩に武器をあっせんしたシュネル兄弟は会津藩の軍事顧問をつとめたが、国籍不明で謎の人物とされてきた。兄が政治面を、弟がビジネス面を、分担したという。
カワラさんの調査で兄弟の出自が判明。プロイセンの生まれで、父の仕事の都合でオランダの植民地だったインドネシアで育ち、開港直後に横浜にやってきていた。
オランダ語ができたことが兄弟の強みだったようだ。プロイセンの外交文書は、ドイツ語の原文をオランダ語に訳し、2通そろえて幕府に出した。
そうした文書が東大史料編纂所に残っており、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授が調べて、オランダ語への翻訳に兄のサインを見つけた。
武器商人に転じるまで兄はプロイセン外交団の一員だったことが確認された。「会津、庄内両藩とプロイセンを結びつけたのはシュネル兄弟でしょう」と田中さん。
一連の研究は明治維新に新たな視点をもたらした。「英―仏の対抗図式に目を奪われるあまり、維新や戊辰戦争をより広い世界の中に位置づけることや、東北諸藩が武器、弾薬をどのように調達したのか分析する視点が不足していた」と東大の保谷徹教授は話している。(渡辺延志) ■1868年の動き
(●は確認された文書。日付は新暦)
1月27日 鳥羽・伏見の戦い
5月3日 江戸城開城
6月22日 奥羽越列藩同盟発足
7月4日 新政府軍、上野の彰義隊攻撃
7月31日 ●駐日代理公使がプロイセン宰相に書簡。「会津、庄内両藩から北海道の領地を売却したいとの相談を受けた」
10月8日 新政府軍、会津若松城の攻撃開始
●宰相が海相に通知。「軍港の候補になるが断るつもりだ」
10月18日 ●海相が宰相に返信。「日本の混迷が続けば領地獲得を考慮すべきだ」
11月6日 会津藩降伏
11月10日 庄内藩降伏 後に大久保と会うけど
まず出さないだろうなビスマルク >>228
鹿児島出身の桐野作人は必死にツイで薩長擁護してる
町田よりもフォロアーが少ないのが難点だな 糸が出産したら、「おじいやん(川口雪蓬)」が面倒見たりするのか…?
教育上極めて宜しくないような気がしてしょうがない。 水川あさみはカズオイシグロドラマでの役があまりにもクズ過ぎて、もうまともに見れない ビスマルクといえば戦艦だってばよ
フットを真っ二つに粉砕し
プリンスofウェールズをビビらせ
ヴィクトリアスもアークロイヤルも何するものぞ
キングジョージ5世およびロドニーとがっぷり激闘し
ブレスト西方沖に永眠した
敬礼 >>250
武内宿爾と応神帝みたいだな。
八幡大菩薩の奉納額みたい。 >>250
ドラマはともかく、史実ではせっぽーさぁは西郷家の子供達の教育係なんでしょ >>249
史実にフォロワー数が関係するの?
馬鹿? やっぱ新政府が正しいんだよな
旧幕府は朝廷の命令を無視して京に攻め上がった為戊辰戦争が始まった
西郷大久保は徳川の処分に強硬派だったが戦争など仕掛けていない
旧幕府の戦争始めた勢力が江戸に存在してるのだから、西郷がすぐに追撃し江戸に向かったのは当然ちゃ当然 西郷は戦が大好物だよ
誰かが何か起こすのを待ってる
仕掛ける事もある
という見方もある
正しい正しくないはわからない
諸外国に対しては幕府より正しい対応かも知れない
しかし維新の延長線上に戦争がある訳で
そんな白黒ハッキリ出来るものじゃない >>256
江戸で火付けなどして嫌がらせしてたのが薩摩じゃないの?
単純バカな幕府側の人間が挑発に乗ってしまったw >>252
ビスマルクと言えば、スーパーロボしか思い浮かばない >>257
根拠がなくて印象論で語るからそういう嘘をつくことになる
史実をちゃんと見れば西郷はなるべく戦をしない方法をとることを考えてる 鉄血宰相 ビスマルク
鉄の女 サッチャー元首相
向こうの人は鉄が好きだな >>260
そうかな?
それは長州討伐に関してでしょ?
あれはドラマの様な美談ではない
という「見方もある」
見方もある論と言ってほしいもんだ 幕府を挑発する為には強盗もいとわない西郷
という見方もあるな 知らんのかい
突っかかりたいだけだな
挑発好きかこの人も 戊辰戦争は西郷はやりたかったと思いますよ
きっかけ作る為なら何でもするくらいに
そういう見方も間違いではない >>258
あれは関東の志士が勝手に暴れてただけだろう
薩摩藩邸焼討ちして恨みを晴らした
その上に大軍で京に攻め込んでよいなんて朝廷の命令は出ていない >>272
見方の根拠?
西郷の人物像として不特定多数のそういった意見も存在するよという話ですよ?
根拠ってなんすか?
〜と言ってる人もいますよ、という話です >>274
討幕の密勅
大政奉還
中止命令
これすら知らないんだよ >>274
そんな根拠の無い話も、そういう見方もあるってだけですよ >>276
だからそれは根拠がなくて印象論で語るからそうなると言ってる 鳥羽伏見の戦い何て西郷ら薩摩側が起こすはずないんだよ
普通に考えれば薩摩に勝ち目が無いんだから
逆に旧幕府側は勝ち目あるから早く戦をしろと薩摩藩邸焼討ちを口実にノリノリで攻めてったんだし >>278
違う
討幕の密勅が薩長に下ったがすぐに大政奉還が成立したので武力倒幕の必要性がなくなってしまい江戸攻撃に対して中止命令が出てる 司馬龍馬信者と同じ匂いがするよ
歴史上の出来事や人物像は美談にも取れるし逆にも取れるよな?
まー君の言う通り印象の話な
起こった出来事は史実でいいけどどういう意図だったかは想像力で話すしかないんだが >>280
庇ってるんじゃなくて史実だから言ってるだけ
ただその言ってる史実が違うというなら反論すればいい 長州藩も禁門の変で朝廷の命令無視して京に進軍し朝敵になったし
旧幕府も同じ事を起こしてるんだよね、朝敵になったのは何らおかしな所はない >>285
西郷と会った事あるんか?
バカらしい
西郷がどういう性格だったのかは誰にもわからんでしょ >>284
西郷の戦好きがむしろ司馬史観やん
戊辰戦争がやり足りなかったもっと激しく戦火を起こすべきとか言わせてるし
西郷はそんな事言ってないが >>281
それすら知らないんだよ世の中のほとんどは
薩摩西郷は戦争したくて幕府を煽ったと信じてる
史実は鳥羽伏見のときも何もかもうまくいかなくて暇を頂きたいと逃げ腰だったのが西郷 >>288
わかる部分わからない部分あるんじゃないの?
わからないことをわかるというのはおかしいけどさ 善意の行いも悪く取る見方もあるし逆もある
史実にまつわる意図や人物の性格をどう取るかは人によって違う
「そういう見方もある」ってのは「世の中にはそういう意見も少なからずあるよ」という意味だ
そういう意見があるのは事実なのに何故突っかかってくるんだ?
そういう意見があるという事実が間違っているかの様に
あるのは事実だ 新政府の延長線上に戦争があるってのは俺は同意だね
永い目で見ると ま だ あ い づ に ん て い し て ん の か >>286
禁門に関しては孝明帝が完全に激怒してて
八一八で上(孝明帝)からクーデターやった後も
長州は許さんと再三言ってるのに何時まで京都に居座ってんだゴラと
孝明帝から守護職の会津松平に矢の催促があって
それで煮え切らない一橋もようやく腰を上げて正面衝突に至ってるからな
鳥羽伏見の場合は、よく言われてるけど
半ばデモンストレーションに大軍を差し向けた所が警備兵の薩摩と口論になって
幕府軍側の開戦権限が不明瞭なままに開戦から猛反撃されたと言うのが実際だから どっちが正しいかなんて誰にも決められないというのが俺の意見だわ てか西郷どんに関係なく鹿児島ジジイをオモチャにしてんだろ? >>297
そういう見方してる奴全員に言って来いw
俺にからむなよw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています