【2018年大河ドラマ】 西郷どん part90
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◆前スレ
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part89
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1536634414/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>413
誰がやったかよりも現場証拠で状況の詳細分かる方が易しい 何で龍馬ばかり人気なんだか
清河ハチロー先生の方が見た目が良いのに 腹いせ君はもう相手にする価値がないからいいとして、
桐野作人の説も微妙に変なんだよね。
大政奉還の実現で西郷・大久保と小松の路線に疎隔が生じたことは間違いないし、
11月に再上洛した時点では関山・吉井・伊地知らも対幕姿勢を融和させている
西郷にとっては建白の採用は普通に打撃だったと見ざるを得ない。 >>460
ほこりたかき戦闘民族ですからねぇ……(´・ω・`; ) どちら側もソースはきちんと出さないと説得力無いな
こういう議論でなんだかんだ理由付けて出さないのはナンセンスだと思うよ
出せないんだなと見えてしまう 町田 明広@machi82175302
それでは、四侯会議後の中央政局の流れを確認しておこう。
四侯会議以降、薩摩藩・島津久光は長州藩と協同した武力発動も視野に入れ始めたが、鹿児島からの出兵がなかなか進まず、一転して大政奉還建白(将軍辞職・王政復古・議会政治を含む)を骨子とした薩土盟約に舵を切った。
#西郷どん
薩土盟約は土佐藩の出兵を期待したものであったが、その実現が叶わないことが分ると、またしても方向転換し、西郷らは「江戸・大坂・京都での三都挙兵計画」に代表される挙兵計画を立てた。
薩摩藩の政治戦略には、振り子のような柔軟性があり、リアリズムに貫かれていた。。
#西郷どん
>>464 >>450
「腹いせ」という言葉に語弊があると思う
大政奉還前は見廻組は京の警察であった、しかし大政奉還によって有耶無耶な存在になってしまった
いきなり職場放棄はできんし職務継続はしてるが、それは上司らも同じ
こんな状態の時はそれぞれが色んな思惑が混ざり統制が乱れる
怒りの矛先が慶喜には向けられない、後藤象二郎だったら向けられる
しかし後藤当人は警護や大物過ぎるので、下っ端で指名手配されてる龍馬に向けられた
こういう事を言いたいんだと思うが、腹いせとはちょっと違うが
適当な簡単な言葉は見つからんが >>450
後藤象二郎を殺すのはたやすくない
藩邸にいるし護衛もいるし
感情的な腹いせならやりやすい相手を狙う 暗殺の犯人は 龍馬の死で得をしたやつなんだろうな 徳川を含めた新政府で日本を運営しようとした龍馬を殺すのはやっぱ長州では
戦争したら諸外国の餌食になってしまうから徳川側に犯人がいるとは考えにくい 徳川を一番にくんでいるのが長州だから 慶喜の顔もみたくないだろう >>458
伝聞である上に、直接聞いたとされる家族がその内容を知らないと言ったら
普通は創作を疑うんじゃない?
>>461
建白を受け入れるように説いたのは後藤象二郎以下なのに、
なぜ顔も見たことない坂本龍馬にとばっちりが飛んでくるの?
それに幕閣や会津藩は9月から10月にかけて入説を受けてるじゃん。
それを聞いて怒り狂ったなら後藤は京を留守にしてた龍馬より先に襲われてるはず。
なぜ越前から帰国したという報告を受けて討伐隊が行動起こしてるの?
どう見ても龍馬だけがターゲットでしょ。
だいいち実行者の今井や渡辺が龍馬を討った理由を問われて
「不軌」と2人とも言ってるわけなんだから、政治的背景説は成り立たないんだ。
今井は「彼かつて伏見において同心三名を銃撃し逸走したる問罪のためなり」
と回答書を送ってるんだからそれ以外に理由がありようはずがない。 >>464
>>444
慶応3年10月2日 土佐藩 大政奉還へ着々と準備
https://blogs.mbc.co.jp/bakumatsu/819
きょうは慶応3(1867)年10月2日です。
薩摩の島津久光は藩内の武力倒幕反対派を鎮めることに苦労していますが、土佐藩は大政奉還へ着々と準備を進めています。
薩摩藩内の武力倒幕反対派を鎮めようと鹿児島に戻った久光。
きょう、藩内に広く意見を求める通達を出しました。反対派から意見を募り、事態の沈静化を図ろうとしています。
一方、大政奉還にも動きがありました。
京都にいる薩摩藩幹部は、土佐藩から大政奉還の建白書提出を容認するよう求められていますが、国許の状況もあって強く反対を押し出せない中、小松帯刀と大久保利通は建白書を認める方針へ舵を切ったようです。
また、土佐藩関係筋によりますと、きょう土佐の後藤象二郎が、幕府若年寄格の永井尚志を訪れたところ、“大政奉還の建白書を早々に提出するように”との指示があったということです。
建白書は、あすにも後藤から幕府側へ提出される見込みです。 >>471
磯田道史のこの人、その言葉
手代木勝任(1826〜1904)
《坂本を殺したるは実弟只三郎なり。》
先日『龍馬史』(文芸春秋)という本を出した。龍馬の生涯から幕末史を学ぶ本だ。本を書くうち龍馬斬殺事件の参考人として手代木勝任(てしろぎかつとう)が浮かんだ。
会津藩公用人。驚くほどの忠義者で幕末の京都政局を実質的に動かした。坂本龍馬を斬ったとされる会津藩配下の京都見廻組組頭佐々木只三郎の実兄である。
死の直前、坂本龍馬斬殺について告白。〈当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり、
此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率ゐ、蛸薬師(通り)なる坂本の隠家を襲ひ之を斬殺したり〉。
遺族が出版した『手代木直右衛門伝』にそうある。
龍馬殺害は大政奉還直後の政局がからんでいる。はじめ土佐藩は会津藩と親しかった。
ところが突然、土佐藩の後藤象二郎がきて手代木らにこういった。「この際、大政奉還をしてはどうか。貴藩とは懇親の仲。ねがわくば協力して将軍家に言上を」。
手代木らは納得できなかった。大政奉還なされてもあきらめず幕府復権に動いた。〈徳川氏三百年の覇業を一朝にして失墜するは情に於て忍ざる所なれば如何様にもして今一たび挽回の策を〉と考えた。
ところが土佐は薩摩と結束。11月中旬以降、土佐の後藤象二郎は薩摩の小松帯刀(こまつたてわき)と「大綱領」を発表し新政府樹立に動くとの情報があった(「丁卯日記」)。
手代木らは土佐の藩論を「討幕」に変えたのは龍馬だとみていた。そして手代木の弟が龍馬を斬った。
手代木は維新後、旧藩主家に給料の半分を20年間送り続けた。主家の没落に責任を感じていたからだといわれる。
(歴史学者・茨城大准教授) >>470
無理っしょ
お龍は長州で匿ってもらってるし人質に取るか龍馬を招いた方が早い
あと長州はもう権力に興味無いよ。そうせい候や木戸がそうだったように。鳥羽伏見の時なんか大久保が長州兵の士気上がらないから木戸さんが陣頭指揮とって下さい、駄目なら僕も辞めますとか頼みに来てるし
長州政治家の云々は明治に入ってから そもそも龍馬は永井尚志の所に堂々と遊説しに行って見廻組にもバレバレだった
龍馬本人は永井と同心なので狙われる事はないと思っていたが >>468
>大政奉還前は見廻組は京の警察であった、
>しかし大政奉還によって有耶無耶な存在になってしまった
いやとんでもないよ。
大政奉還の上表に対して朝廷は諸侯上洛まで暫時庶務取り扱いを命じている
つまり従来通りの機関が市中警備を担当してる
守護職以下が権限を失うのは王政復古クーデタで廃止されてから。
でなければ刑部省が公務と認定しない。
何度も言うようだが、見廻組は「大政奉還そのもの」ではなく、
龍馬が「建白不採用の際に将軍を急襲する」と述べたことが10月下旬に漏れ伝わり、
これに驚愕して捜査を開始してるのだよ。
だから龍馬が越前から帰った11月になってから起動してるの。 >>470
龍馬暗殺時は12月10日
前日の12月9日の小御所会議で、ようやく長州は朝敵解除(数日前だったか?)で上京
11月の終わりぐらいに兵庫に出兵しているけど
こんな状況なので龍馬暗殺で長州の名を出す人はいないですわ 三吉家には龍馬直筆の手紙いっぱい残ってたんだよね
寺田屋で生死を共にして以降は生涯の友になった
二人とも筆まめだったんだろうな >>470
幕府だろ幕府とグラバーさんとの仲介して武器流してくれてたのに
長州に武器売ってた龍馬は邪魔だろ、見廻組でいいんだよ だから龍馬殺したのは千葉さな子だって
動機は有り余ってる 龍馬が暗殺される夜に
軍鶏鍋を食べようとしていたっていうのは
司馬遼太郎の創作?
それとも史実でそんな記録が残ってるのかな? >>392
ワシの個人的食べ比べでは、以下、上から順にうまかった。
文明堂東京 希翔
福砂屋 特製五三焼カステラ
文明堂東京 天下文明
松翁軒 五三焼カステラ
福砂屋 カステラ
松翁軒 カステラ
烏鶏庵 烏骨鶏かすていら
文明堂東京 特撰五三カステラ
カステラ銀装 青箱
文明堂東京 特撰ハニーかすてら吟匠
カステラ銀装 赤箱
文明堂東京 カステラ
…
成城石井 五三焼カステラ・・・コンビニによくある
文明堂希翔はびっくりするくらい美味。
色つや香り、食感喉越しが素晴らしい。
オレが作ってるんじゃないが、是非一度食べてみて。高いけど。
福砂屋の五三は卵の香り、粘りが強いので好みが分かれると思うが、西郷だったら好むかも知れない。
天下文明より手に入れやすい価格。
銀装は関西で有名。香りが独特。紅茶に合うと思う。 >>474
戊辰戦争の頃の長州で兵を統制取れるの、大村と山田くらいだろ。
山縣とか前原とか下手すぎる。
木戸は兵糧関連で前原に誤解を受けたので、北陸の前線に向かうと言ったら
周りから全力で止められたらしいが。
そこで木戸を止めた岩倉が息子のピンチに前線に向かうと言い出して、
こちらも止められたとか。 >>473
また磯田の仮説か。ほんとにいいかげんな人だね。
11月中旬っていうけど、それ以前から見廻組が龍馬討伐に向けて動いてたことを
どう説明するのさ。 >>476
正式がどうのこうの書いてるんじゃなく
大政奉還になってしまって、これから我々らどうなるんだ?
と思ったであろう隊の動揺を述べてるのよ
それ重箱の隅返答だし、自分の言いたい事はなにか?を軸に書いてない >>485
実際、会津は任を解かれて御所を守ったのは薩摩藩だからな >>485
申し訳ないんだけど、
磯田>>473にしても>>468にしても何ら根拠がないでしょ。
私はそう思うと言われてもどう反応しろと。
当事者が沈黙してればともかく、2人も語っていて、裁判史料もあり、
新聞の取材にも答え、幕臣の同窓会誌でも取り上げられ、しかも一致して
「不軌」とか「彼かつて伏見において同心三名を銃撃し逸走したる問罪のためなり」
と言ってるんだから、これと矛盾するような仮説は採りようがない。
そいつらの言ってることはウソだ、俺の想像のほうが正しいんだと言われてもね。 >>487
見廻組与頭佐々木只三郎は11月初めに龍馬が越前から帰国したのを知って登営し、
幕吏と協議してるんだけど、
磯田説だと時間的な辻褄が合わないじゃん。 >>488
ドラマの時系列にすら反してるんだが
龍馬が死んでから王政復古クーデターで会津桑名が御所追放と言う流れですので
それまでは暫時徳川家による統治が継続してる
もちろん見廻組、新選組も 誰が指示したか謎だが大政奉還で佐幕派が激怒していたのは確か
岩倉書簡で
「会狂気の如く憤然、是非薩邸を討つなど段々申し候由、万事畢竟は西、小、大の三人これあるゆえ也、土には云云、芸云云、
これらを斃すべしと種々議論ある由」
とある >>484
アップされてる英雄たちの選択での磯田しか知らないが
色んな人の立場意見を、自分の中に入れ考え、右と左あ上も下も白から黒
色んな事を想定し知識に思考を取り入れた模索し、真相に近づくよう努力する
さっき書いた裁判官視点を強く意識した人だと思う
磯田を簡単に否定する前に、彼を反対の肯定し見つめ直し
否定していた部分と、肯定し気づいた部分
両方の意見を意識すれば、また視界が広がると思う >>468
幕臣や守護職・所司代は事前にほとんど相談の余裕もなく土佐藩の建白を採用したから、
もちろん不満な人間もいただろうけど、
直接の動機は前年の同心殺しと将軍急襲計画の判明という事実なんだからしょうがないよ。
今だって警官は犯人を逮捕するときにこんちくしょうめと思ってるかもしれないけど
それは逮捕の理由にならないでしょ。それと同じ。 >>492
は?王政復古の後の話をしたんだが?
任を解かれてるだろ >>490
>>489
磯田の言ってることはウソだ、俺の想像のほうが正しいんだと言われてもね。 >>496
それは、慶喜側の実質的な交渉役だった越前松平の記録でも
大政奉還後や王政復古で手代木勝任が凄まじい勢いで談じ込んでるのが記録されてる >>493,494
自分の意見を述べてる人を否定するでない!
そういう事言う人って、自分の意見持ってない人だ
意見が違えば討論するが、意見持ってない人ってそれ以前の段階だから >>498
別に動機はひとつである必要はない
むしろ沢山あったほうがいい
あんたの書いてることのどちらも動機 >>497
裁判官視点もなにも、
11月中旬の薩土提携が手代木的に暗殺の理由になるんだとしたら、
なぜ見廻組は10月下旬から捜査を始めて
11月初めに龍馬が帰国したら幕吏と協議してるのさ。
時系列が合わない。
磯田説のソースになってる手代木伝そのものがあまり信用が置けないのは前述の通り 薩摩はなるべく自軍の兵を損ないたくない
まるで慶喜を伐つ好機に備えてるようだな >>496
>>501
そんなこと言ったら大久保一蔵も越前の記録では超強硬派で奸臣だの佞臣だの言われてるけど
だから大久保が殺したなんて証拠にはならないじゃん。
背景はあくまで背景であって、実際に当事者を裁判して得た結果が「捕縛にまかりこし討ちはたし」
なんだからこれと矛盾する推測は無意味だよ。 >>504
手代木の話を伝聞だからダメと言ってる時点で話が噛み合うわけないわな 龍馬みたいな小者の暗殺話なぞどうでもいいからその辺にしてよ >>504
磯田の一つの説について書いたんでなく
磯田を完全否定するような書き方してるから述べた 王政復古したのに大政奉還する理由←これ説明してみろよ
誰もできないんだよなクズが。できないからスルー >>503
1、坂本龍馬が殺人で指名手配されていた
2、坂本龍馬は将軍襲撃を計画しそれを理由に追討された
3、だから坂本龍馬は憎まれていた
この3つの事実があるとして、3は1と2から生じたものでしょ。
動機とは言えない。 >>512
黒幕説にもいろいろあると思うけど、
少なくとも磯田説は完全否定でいいんじゃない?
だって見廻組が龍馬討伐に向けて動き始めたのは11月中旬のずっと前だから。 少し引いて考えると、今井が名前を上げてる小笠原河内守は
旗本出身で中奥小姓から目付を経て慶応3年に京都見廻役に就いている
つまり家茂時代は「江戸城の人間」でもあった
小栗上野みたいに直接対立していた人間はもちろんだけど、
元々江戸城と会津との関係は決して良くはない。
京都見廻役→京都見廻組は、旗本が旗本を指揮していた関係
京都守護職→新選組は本来の幕府秩序から言っても異端の、本来は緊急組織
京都所司代は従来の幕府方組織だけど、
就任していたのが松平容保の実弟の松平定敬だから会津、桑名はほぼ一体
つまり、会津・桑名・新選組と
目付、旗本側の二つのラインが存在していた事になる。
だから、当初今井もどちらのラインからの差図だったかは分からない、と供述していた >>496
会津は慶喜に散々利用された挙句谷底に突き落とされてかわいそうだな
孝明天皇が死んだとき慶喜なんかほっといて帰国すればよかったのにな 坂本龍馬は日本初のプロパガンダでありマスコミが作り上げたヒーロー。 >>517
もし手代木直右衛門のからみだとしたら、わざわざ仲の悪い見廻役を通すことは考えられない。
今井が見廻役を挙げてる時点で通常の命令系統つまり幕府内部を考えればいい。
もっとも、龍馬を討ったのが業務の一端なら、命令者の存在は意味をなさないけどね。
将軍様を暗殺する計画がありましたと言われたら、
普通は肝をつぶして早くひっとらえろと言うだろうから。 >>515
いやいやw
そもそも龍馬は倒幕派じゃんw
それだけでもターゲットw
思考の仕方がおかしいだろw >>521
龍馬を見廻組が討とうとした理由は、
「彼かつて伏見において同心三名を銃撃し逸走したる問罪のためなり」 。
これ以上でもこれ以下でもない。
もっとも反体制派でなければ長州藩邸に出入りなどせず、
出入りしてなければ寺田屋で捕縛もされず、同心も撃ち殺してないだろうけど >>511
メンタルは安定してないよ。安定してる奴は自殺未遂なんかしねえもんw
明治になっても自分の意見が通らないと嫌気がさして帰国しちゃうでしょ 大河ドラマで、主人公を悪人にしたのは、今回は初めてかな? >>516
自分は黒幕というより「グレー幕」が関与したと思うんだけどね
ある人間による強い意思が働いたのでなく
組織の歯車が狂いだし、それが龍馬暗殺に
事件後誰が指示したか?人によって意見が食い違い
「アンタ言ったでしょ!いや俺は言ってない」
「俺が言ったような気がするが、あんな独り言で普通実行するか?」
真相究明しても結局黒というよりグレーな人が何人も出てくるような >>524
いや、今井や渡辺が言ってること。
伏見の同心殺し+不軌つまり将軍襲撃の策謀。
で、明治政府の判決文でも「捕縛にまかりこし討ちはたし」と認定された。
謎は何もありません。 >>528
手代木の話を伝聞だからダメと言ってる時点で仮説 龍馬絡みで本人もそれなりに大物の中岡慎太郎はともかく、三吉慎蔵の大河登場率が高くなってるね。 >>366
食べ物を分かち合う、というのは友情の古典的な表現の一つだと思うけどなぁ
カステラを半分こしない、もう友情は切れた、という風にしかおれは見えなかったけど
例えば、以前読んだ本では「刑事コロンボ」では、酒を飲んだり食べモノを食べたりするシーンがよくあるけど
「コロンボは、犯人とにらんだ相手から勧められたものは、絶対に口にしない。相手に心を心を分かち合わない、
ということを表現している」と書いてあったことを覚えてる
おれ自身は全作品を確認したわけじゃないけど >>525
越前藩は大久保一蔵のことを奸臣だの佞臣だの言って持て余してるけど、
だからって大久保が殺したことにはならないでしょ。
だいたい、手代木直右衛門の弟が佐々木只三郎だから手代木が命じたんだろう、
という発想がおかしい。
佐々木は手代木の弟かもしれないけどそれ以前に見廻組という組織の隊長だし、
実際に討伐を行う部下は会津藩と何ら接点がない江戸から来た旗本や同心。
彼らが目付ならともかく、他藩の公用人程度の指図で討ち入るわけがない。 >>527
なくはないね
だけど狙いは龍馬だけではないというのがポイントだと思う
むしろ一番のターゲットは薩摩組だった>>496 >>482
ありがとう。文明堂でもいろいろランクがあるんだね。参考にします。 >>529
じゃあ
手代木 → 家族 → 大泉荘客(執筆者) → 連載
という話だったのに、
なぜその後で本を監修した家族はこの話を知らないの? ずっと懐に入ってたカステラは、正直食べたくないかな >>523
冷静に考えたら大政奉還だって徳川と薩長の両方を助けた名案なのにね
たしかに徳川の政治も無策だったけど大久保や西郷だけで政治やれるわけはないし下準備からしていろいろ足りてないわけで 西郷隆盛を神様扱いしている、鹿児島人は、どう思っているかな? >>540
なら何でこの話を手代木から直に聞いたという設定にされた良策は
監修するときにここを真偽不明扱いにしてるの?
そんなの聞いてないからでしょw 柏原崇の弟があんな悪代官顔になってたのに驚いた。昔の西田健のようだ 暗殺説 坂本龍馬は無実なのに政治的理由で殺された
真相 坂本龍馬さんは前科のためにあえなく討たれた >>542
意味不明w
聞いたけど真偽不明って意味だろ
当たり前の話 >>514
大政奉還からの王政復古だから
そもそもの質問が間違っていることに気づけや! >>518
せっかく京都でうまいもん食って女抱いてんのに
今さらクソ田舎に帰りたくなかったんだろ >>544
無実はないべ。さすがにそれは暗殺層でも考えないメルヘン論だぞ
龍馬本人が自分のような男はいつどこで誰から恨みを買っても仕方ないと言ってるし
それでこその『我を何とも言わば言え』なわけだから >>496
小御所会議で今まで守ってた御所を薩摩にとられ、徳川領土没収
↓
(会津激怒)今にも戦いそうなので大阪城へ無理矢理
↓
薩摩による江戸界隈による襲撃
↓
(会津大大激怒)もう止められない激怒!鳥羽伏見へ
この前の大政奉還時で会津は薩摩に激怒してたの?理由は何だ? >>548
そのお金は会津領民から搾り取った年貢です >>551
大政奉還成立あとにみんなすぐに京から鹿児島にかえったよ
薩摩軍と新撰組メンバーが戦うのは鳥羽伏見の戦い >>549
幕末の大物で命狙われてない人って誰かいるかな?
名声が高くなればなるほど危険性も高まった時代っぽいし
大名や将軍でさえも反対派に消され、違う人を擁立の危険性はあったはずだし >>555
大物+命の危険はほぼセットだからねえ
命狙われずに地位も高かった人なんてそうせい候くらいしかいないんじゃないか 江戸藩邸の浪士数百人が蜂起し始めたのが10月下旬
そこから12月にかけて蜂起を抑えるどころか盛んになる一方
実際は浪人を集めた段階で引き返せないところまで来ていた
戦争は、兵をかき集めた段階で事実上始まってしまいます >>548
>>552
会津の国許では
割とガチでそう思われてたからな会津の公用方
その性質上、京都の治安、政局に対応するために
京都で殿様の直轄下の中央集権組織やってたから
門閥家老層からその意味でも敵視されてたし
朝廷方のカウンターパートの中川宮からも盛大にタカられて
その領収書国許に回されて
丸で自分らが徳川を背負ってる気分で都会でいい思いして
支払いは全部国許持ちでマジで財政破綻させる気かいい加減にしろ、と、
それが国許から見た公用方だった
公用方が殿様、更には孝明帝がバックにいたから何とか保ってたけど
素朴忠義の田舎侍藩じゃなければ間違いなく血を見る内紛になってた >>556
朝敵になっても藩主交代しなかった"そうせい"がおったな
毛利って輝元も関ヶ原で交代しなかったし、お家騒動ってあったのかな?
関ヶ原後に吉川と秀元の対立があったみたいだが、これは家来同士だし
三本の矢の意思は守られたんかな 敬親は禁門の変後に自らの意思で山口を捨て萩を選んでいる
元治内戦にあたっても一度は追討軍を差し向けたため
祖廟に自らの不明を謝罪する事態に陥っている
この時期、家中のいろんな派閥抗争の調停に悩まなかった諸侯はいない
王政復古を必ずしも望んでいなかった島津久光も慶応3年に上洛した際、
明確な意思表明をしていないが
これも強硬派、穏健派双方の藩士たちのバランスに苦慮したため ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています