【2018年大河ドラマ】 西郷どん part102
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>>1乙
村田桐野川路の人柄をセリフだけで終わらせたのは残念という意見が前スレにあったけど、
本当にこの作品は、脇役をえがくのがへただねぇ。
たとえば翔ぶでは、桐野は幕臣の生き残りである女姉妹の兄を斬ったという事で仇討ちの相手とされる
エピソードによって、桐野らしさが良く出ていた。川路はまじめ一方で、ポリスの使命をはたすためなら
同郷の仲間にも嫌われても原則をつらぬく原理主義者ぶりがよくでていた。村田新八どんについても、
優秀さと哀愁さをもった知的なキャラとして印象が深い。
それを単にみんな寄せ集めた場で、西郷のセリフだけですませちゃうんだからなぁw 今回、山縣有朋と山城屋の関係もセリフだけですませてたけど、翔ぶでは、山城屋のお妾さんが、
桐野をカタキと思っている女の姉、ということになっているだね。その妹も敵討ちはあきらめて、
薩摩出身のジャーナリストの手伝いをするようになるとか、いろんな話が展開していく。
ところが、こちらは西郷以外だれも存在しないかのような、存在感の無さというかね 青木国父様のアドリブ「やっせんぼ」があったから
こそドラマとしてのカタルシスがあった。
やっと久光の面目が立って、さすが薩摩の殿様(国父様)
という顔芸が映えるシーンになった。
この「やっせんぼ」という鹿児島言葉をわざわざタイトル
にまでしたのに、中園本人の脚本にはなかったのか?
脇役の青木によって見いだされた「やっせんぼ」がなければ、
久光の偉大さは視聴者の心に届かなかっただろう。
つまり中園には青木ほどの才能やセンスがなかったということになる。
まあ素人以下の脚本家に大河は絶対無理だった。 今さらながら一つ前の回、西郷が諸侯を引き留めるシーンで
めちゃくちゃ泣ける 斉彬の簡単に命をかけるなだったかとか寺田屋で大山が血まみれの懐紙を
大久保の懐にねじこむとか印象強い演技は役者のアドリブだったというの結構あるドラマだな >>10
中身の無い原作を中身の無い脚本がより中身の無いものにした残骸を必死に演者達はアドリブまでかましながら最後までなんとか血の通うものにしようとしてたんだろうな大河ドラマ西郷どんは なんだか主役の成長がブレた、久光のキャラが変わって整合性のないアドリブだったと感じたな。
やっせんぼは西郷の口から言わせて、成長を表現するのにとっておいて欲しかった。 >>5
ライバルを育てられないゴミ商品だわな
アムロが出てこなくてシャア無双みたいな >>6
跳ぶはみなキャラが立ってて緊張感があって面白かったねえ
一方どんは桐野や川路は誰が言っても大差ないなような台詞しか言わせてもらってない
それは板垣や江藤などの留守政府の連中や長州の伊藤も同様
みんな空気なんだけど、だからといって西郷や大久保が目立っているかといえばそんなことない
惰性で史実を所々つまんでいるだけの薄っぺらい脚本にみな埋没してしまっている 前々回の久光への勅書、「源久光」「三条実美」「岩倉具視」は変だな
新字体も気になるが 直虎も酷い作品だったが前振りや登場人物の成り行きはこの作品に比べると割としっかり描いてたな 役者が、なんとかこの不出来な面白くないストーリーを盛り上げようとがんばっているのが伝わるだけに
お気の毒。脚本家は役者さんたちに感謝しないと その手のレスは
西郷どんは質のいいドラマだと公言してるよね >>5
記憶に残る脇役が今回少ないわな、特に薩摩藩士のキャラが乏しく誰が誰だかようわからん
翔ぶが如くのキャストと対戦させたら、今回はかなり負けてると思う
勝ってるの二階堂ふみと小柳ルミ子ぐらいか
鈴木亮平 vs西田敏行
瑛太 vs鹿賀丈史
黒木華 vs田中裕子
錦戸亮 vs緒形直人
二階堂ふみvs石田えり
北川景子 vs富司純子
笑福亭鶴瓶vs小林稔侍
小柳ルミ子vs草笛光子
渡辺謙 vs加山雄三
青木崇高 vs高橋英樹 >>18
直虎は少なくとも、直虎パート、小野正次パート、万千代パート、今川家パートが大きくわかれていて、物語の立体感はあった。
西郷どんは、西郷パートのみといっても過言じゃないからね
今回を思い出しても、留守政府まかされて、山縣の不正を叱って、薩摩に行幸でもどって、菊次郎と話して…
45分間、西郷のでてないシーン無かった気がするw >>18
直虎は闇のジュケー二の魔手から光に生還する政次を始めとして
海老長、信玄、家康といった現世の王達やら
背景に古典的な神話構造があるんだよなあ
物語の骨格がよくできてる 西郷視点ばかりだと、どうしても独善的になるからね
西郷さぁはいい人だ、民のためを思っている、西郷さぁに任せておけば大丈夫、
新政府がうまくいかないのは西郷の足をひっぱる志の低い連中がいるからだ、
と終始そんな調子だからねぇ 明治編は登場人物一人一人が伝記や小説の主人公になりうる傑物ばかりだから、
45分では描き切れてないよね
つくづくヒー様や島編で時間を無駄にしたのが悔やまれる なんでこんなに面白いのに視聴率は低いままんだろう? 3月ぐらいからチラ見してはやっぱりやめ、だったが
前回から視聴を再開
下手な青春群像劇みたいなのをやってた頃よりは
今の方が見られるようだ 年表大河になりつつあるからなw
変な味付けが消えて視聴しやすくはなった
まあ、年表をなぞるだけなら年表を眺めているのと大差無いのだけれど… >>28
今時ではそこまで低くないぞ
BSもあるし
実は高齢者はBS見てる人が多い
だからwowowとかBSで時代劇やってる
最新
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13.3|下町ロケット2
11.8|西郷どん
11.2|科捜研の女18
*9.6|大恋愛〜僕を忘れる君と
*9.1|今日から俺は!!
*8.9|SUITS/スーツ
*8.4|ドロ刑-警視庁捜査三課-
*8.1|駐在刑事 (wait)
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*6.7|獣になれない私たち
*6.5|黄昏流星群
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*5.4|中学聖日記
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*4.8|ハラスメントゲーム
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*3.0|昭和元禄落語心中 (wait)
*2.8|結婚相手は抽選で
*2.4|忘却のサチコ (wait)
*2.4|部活、好きじゃなきゃダメですか?
*1.0|PRINCE OF LEGEND
*0.9|プリティが多すぎる
*0.5|文学処女 (終) 脚本家は歴史嫌いだぞぉ
歴史わからないって中園が発言してた
女脚本家に大河ドラマを書かせるな! 『西郷どん』渡辺謙のお株を奪う青木崇高のアドリブに鳥肌!終盤へ向けて期待高まる
https://biz-journal.jp/i/amp/2018/11/post_25404.html
鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第41回「新しき国へ」が4日に放送され、平均視聴率は前回から0.1ポイント増の11.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。
廃藩置県が断行され、島津久光(青木崇高)は鹿児島の空に盛大な花火を打ち上げてうっぷんを晴らしていた。一方、明治政府は欧米に使節団を派遣することを決断。
西郷隆盛(鈴木)は大久保利通(瑛太)から留守を預かるようにと頼まれ、有力者不在の間に政府の主導権を握ろうとする旧佐賀藩・旧土佐藩出身者らと激しく対立していた。
そんななか、西郷は宮中改革にも着手し、天皇が地方を行脚する「行幸」を提案。明治天皇はさっそく西郷らをお供として西日本の巡幸に旅立つ。
その頃、鹿児島の西郷家は、隆盛が天皇のお供として帰京するとの知らせに騒然となっていた――という展開だった。
明治編になってからの『西郷どん』は、それまでとは見違えるようなしっかりとした脚本になっており、今回も視聴者からの反響はおおむね好意的だ。
グタグダ感満載の明治政府の中で、留守を預かる身として苦悩しながら役割を果たしていく西郷の姿がわかりやすくクローズアップされていたからだ。
何よりも今回は、青木崇高演じる島津久光が抜群に良かった。
明治編はこれまで以上に大久保と西郷との関係性に焦点を当てた脚本になっているが、今回は大久保が途中で旅立ってしまう展開だったため、この構図は成立しない。
代わりに描かれたのが、西郷と久光の関係性だった。
久光は、偉大な兄・斉彬(渡辺謙)の死後もずっとその後を追ってきたが、自らの技量が兄には到底及ばないことも十分理解しており、複雑なコンプレックスを抱いている。
一方、西郷は斉彬を信奉するあまり、久光を心の底で軽んじていた部分があり、それが久光の劣等感を刺激してしまう。
こうして不幸な対立が起き、西郷は2度にわたって久光から島流しを命じられることになった――というのが、かつての出来事だ。
その後、久光は必要に迫られて渋々西郷を薩摩に呼び戻して重職に就けるが、微妙な関係は続いていた。
軍人や政治家としての西郷の技量は大いに認めるものの、個人的には好きではない、というのが久光の態度であった。 西郷も表向きは久光を立てていたが、その本心は「大義を成すために、薩摩の最高権力者をどう利用するか」にあったように思われる。
結局、久光は「新政府で主導権を握れるから」と、西郷にそそのかされて戊辰戦争に多くの軍事力を割くが、その見返りは何もなく、ただ廃藩置県で藩主の座を追われただけだった。
これで久光がおもしろいはずもない。家臣に利用されたあげく、時代が変わったらお役御免にされる久光がかわいそうでならないし、どう考えても中立的な視点から見れば西郷のほうが悪役である。
政府に表立って反抗するわけでもなく、花火を打ち上げるくらいでモヤモヤ感を発散しようとする久光の、なんとけなげなことか。
第40回の終盤で久光は、明治天皇のお供として帰郷した西郷に、「これがお前が斉彬と共につくりたかった新しい国か?」と尋ねた。
明らかに非難のニュアンスがこもっている。これに対して西郷は、「それとはかけ離れている。
このままでは国父様(久光)にも、死んでいった者たちにも申しわけが立たない」と弱音を吐く。その時、「こんやっせんぼが!」という斉彬の口癖が辺りに響き渡った。
発したのは、久光。懐かしいフレーズに驚く西郷に、志を持ってやり始めたからには最後までやり抜け、それでも倒れたら若い者に後を任せて薩摩に帰ってこい、と激励の言葉を贈ったのだった。
久光と西郷の和解を描く重要な場面に、斉彬の台詞を持ってくるとは心憎い。この一言だけで、久光が斉彬と同じ志を持っており、亡き斉彬の代わりに西郷を見守るつもりであることがひしひしと伝わってくる。
弱気になっていた西郷も、亡き殿が久光の口を通して叱咤してくれたように感じたのではないだろうか。
放送後にドラマ公式サイトに掲載された青木崇高のメッセージによれば、「こんやっせんぼが!」の台詞は、本番だけ青木が発したアドリブだったという。
なんと素晴らしい判断だろうか。「こんやっせんぼが!」の一言がなければ、この場面での久光の真意はおそらく視聴者には伝わらなかったことだろう。
屈折した部分を持ちながら、自分なりに必死に薩摩と日本の行く末を案じた島津久光という人物を、全身全霊で演じてくれた青木崇高に賛辞を贈りたい。
本当ならここで、「逆に役者にアドリブを入れてもらわなければ真意の伝わらない脚本ってどうなんだ」と文句を言いたいところではあるが、もう撮影も全編終了していることだし、今さら言っても仕方がない。
次回からはいよいよ、明治編になってからのオープニング映像で暗示されている西郷と大久保の対立が描かれるようだ。
基本的に中園ミホ氏の脚本は、多くの人間や出来事が互いに影響を及ぼし合って物事が動いていく「歴史の流れ」は全然描けていないが、ごく少数の人々をクローズアップした時の人間関係の描き方は非常におもしろい。
この法則によれば、ここから終盤にかけての『西郷どん』は大いに期待できそうだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています