【2018年大河ドラマ】 西郷どん part102
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>>91
ID:we1MVpZhは刀でなんでも斬れると妄想してるゲームヲタなんだろw >>92
>もう米軍は銃剣訓練すら廃止しているし、自衛隊は精神的鍛錬として続けてるだけ
訓練されて武器持った相手と素人犯罪者相手にする警官を一緒にしちゃいかん
いやだから今と当時をごっちゃにするなよwww
>長槍のぶっ叩き戦術が槍の用法の全てではありませんよ、
じゃあ具体的に合戦名なに?集団平地戦で教えてくれ >>92
どさくさに紛れて現代と戦国を混ぜんじゃねーよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>95
例えばマケドニアのファランクスは突いてますよ(突くってより、密集して突きだした槍に突撃してくる相手が刺さりに来る感じだけど)
あとファランクスの手前でひるむ相手には投げつけたりもしてます。 >>93
刀は打撃系武器であって、そもそも、あんなスパっと斬るもんじゃないですよ まだ見ぬ戦闘描写でそこまで話していられるなんて、
大した仲良しさん達だなw なんかイメージがどんどん崩れていく
やっぱり戦争なんてしないほうがいいな >>97
>例えばマケドニアのファランクスは突いてますよ
今度はちゃっかり外国かよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 横からで申し訳ないがマケドニアのファランクスってサリッサの事かな。紀元前の古代史合戦を持ち出すのはどうか?と思うよ。後マケドニアは日本と同じく山岳丘陵地域だから集団槍戦は不向きの地域なのでそれに該当するとも思えないんですが 桐野って脳筋のイメージだけど、陸軍じゃ元々山県と同格の幹部だったんだよな。実際はもう少し知性的なキャラだったんだろうか。 >>85
>戦車の性能に差があり過ぎたからな。
それって司馬史観かも?
たしかにWOTではBT7にチハタンで戦うのはしんどいけどT26だったらそんなにしんどくない
装甲はチハのが上だけど速度がBTは早い
このゲームだと航続距離のアドバンテージはないからね高速はでかい
でもそんなに大差ないぞチハタンはヂーゼルじゃから燃えないのじゃ萌えるけど
BTなんかすぐ炎上するからな お前ら詳しいなあ
全然知らんかったわ
でも戦で槍は叩く攻撃してたのはテレビで見たな >>107
クレヨンしんちゃんでもやってたよん
あっぱれ戦国〜w >>106
といってチハはBTシリーズにワンサイドゲームで負けたやん。バルバロッサ作戦でドイツ戦車に一方的に負けたBTシリーズにさ 徳川幕府=任天堂のファミコン
黒船=マイクロソフトのXBOX
土佐=PCエンジン
長州=セガのメガドライブ
薩摩=ソニーのプレステ >>110
たったいま
チハタンでT28の試作後継機のT29を撃破してBT7に63のダメージを与えてきたぞw
マップは崖だ試合は負けたw
ウィキのノモンハン読んでみ戦車戦でそんな大敗をきっしてないよ
当たり前だけど現実はゲームと違っていろんな要素からなってるけどね
ピアノ線とか
ちなみにチハタンは三号戦車初期型と変わらん性能だぜ
伸びしろは・・・だけど 明治天皇は今回の行幸を後に何度も語るほど楽しんでたからドラマ演出楽しみしてたんだけどなあ
桐野が陛下のタンスが開かないから蹴飛ばして開けるとか船でスイカ割りとか面白い話いっぱいあるのに ノーモアギガ泥棒のCM何回見ても笑ってしまう
おっとスレチ >>87
この辺は翔ぶが如く通りだな
翔ぶが如くでは
天皇行幸時に久光スルー
久光激怒
俊斎が西郷に久光に詫び入れるように説得
お詫びのために久光訪問。久光西郷を叱責
って流れだった >>113
そのウィキで初の戦車戦となるハルハ河東岸両軍戦車隊の戦いをググると日本側が劣勢で結局安岡戦車支隊は解散してますが? >>94
町田啓太(小松帯刀)のこと?
残念ながら小松はもう亡くなってる。 >>117
>日ソの戦車戦が戦われたのは7月2日から6日までのハルハ河付近の戦いであった。
ここで日本軍が投入した戦車・装甲車は戦車第3連隊と戦車第4連隊の2個連隊92輌に対して
ソ連・モンゴル軍は452輌と5倍の数であった
これで日本戦車弱いと思える?
カタログスペックではチハはBTと遜色ないのは数字出てるからわかるよね
もともとは戦車の性能差のはなしだよね >>118
そのシーン斉彬の霊が久光に降りてきたみたいだった >>122
ドズル中将が言っていた「兄貴、戦争は数だぜ」の通りですね。 >>117
すまん、その面白い討論は日本近代史板の「ノモンハンを語る」スレでヨロ >>113
>ウィキのノモンハン読んでみ戦車戦でそんな大敗をきっしてないよ
大敗する前に引き上げただけですよ 青木はいい役者だわね
てかこのドラマは子役菊次郎や二階堂ふみ小松さあに北川景子玉鉄と再評価せざるを得ない役者天国だわ >>122
戦車砲比べではチハの短砲身57mmとBTの長砲身45mm砲とでは、こと対戦車戦ではハッキリと遜色あります。
しかも歩兵直協が主任務の当時のチハたんは対戦車専用の徹甲弾(AP)を持ってませんでしたから(AP-HEです)
余計に差が付いてます
機動力でも馬力差でBTが有利です、「攻防速」の攻速でBT、防でディーゼルのチハがやや有利ってのが実情です >>122
いーからお前はハルハ河東岸両軍戦車隊の戦いをぐぐやw
総被害は戦車戦じゃねーしチハ有能説って世界中探してもお前だけだぞwww >>129
そもそも機動力有利とは言ってもロスケは鉄道網しっかりしてるから平原戦じゃ割と意味ないんだよね >>118
あんなドラマのキメになるセリフがアドリブとか
脚本家にとってこんな屈辱はないね >CP1BZjun
おまえがバカなのがわかった
そもそもお前が
>>85で
>戦車の性能に差があり過ぎたからな
っていったから差はないよってはなしだな
バ〜カ
いろいろぐぐやwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>132
言ってる事が良く分からん
鉄道網がしっかりしているのは戦略機動に有利なんであって、戦術機動の面では平原戦であれば戦車単体の機動力が高い方が有利な筈だが >>139
差はあるよ、上でも指摘されてるけど、もっとちゃんと調べなさい >>139
ごめんね間違えちゃったよチハたん
でハルハ河東岸両軍戦車隊の戦いはググったかな?w >>140
まさか戦車自体の移動は自力で大陸横断とか考えてないよね?w ノモンハンの日ソ戦車戦については
「ノモンハンの真実−日ソ戦車戦の実相−」 古是 三春 (著)
これが決定版でしょう、この話に興味があるなら、まずこの本を読む事をお薦めします。
(公立図書館にも割りと置いてあります)
で、スレ違いだから、もう黙ろうな チハたんググればたいていは>>129の内容なんだな。それに口尖らせる人はくっさい連中なんだろ ダンパー問題ソノ他急速ヴェノム物件・銀行問題業界ゴト潰レル?利凍ル公害重イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ災熱湯強烈薬害毒死多繋ガル看後死
1000件以上介護保険税金ムダ泥棒マダ今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
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https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1442312377/ 戦車の性能で言えば「BTvsチハたん」は後の「M4vsチハたん」程の大きな差は無いです
両者の性能差は歩兵直協を主任務に考えられた「歩兵戦車」であるチハたんと、機動力を生かした
前線突破や追撃が目的の巡航戦車の思想で作られたBTの差です。
ただしノモンハンでの日本戦車の主役はチハではありません(投入されたチハ車はたった4両です)
主力は鉄牛(鉄獅子)と呼ばれた八九式中戦車であり、軽戦車の九五式軽戦車が主体です。
チハを主体にノモンハンでの戦車戦を語るのは不適切です。 それにノモンハンでソ連戦車を多数撃破したのは歩兵の持つ唯一無二の対戦車火力である94式37mm速射砲です
弾薬に余裕があるうちは「BT戦車狩りを歩兵は楽しんだ」と言われる程でしたから、序盤ではソ連戦車にさほど押しまくられた
わけではありません
日ソ戦車戦が不本意な結果に終わったのは、序盤の損害に驚いて、遮二無二機甲戦力を注ぎ込んで不退転の決意で
突っ込ませたソ連側上層部と、虎の子の機甲部隊を失うのを恐れて早期に引き揚げさせたへっぴり腰な日本側上層部の差です。 鶴瓶がテレビでエンケンに言ってたけど鈴木亮平が鶴瓶に「グダグダじゃないですか、大河ですよ、大河!」と言ったらしいね。
やっぱり突っかかるだけのワンパターンな芝居に怒ってたんだな。 >>148
はいはい安岡支隊の残存兵力はどれくらいでしたっけ?
つまり弱いチハたんvs弱いBTシリーズの最弱対決はチハたんの最弱に軍配が上がりましたとハインツグーテリアン言われそうだって話だろw そもそも西郷ってなにをやりたかったのかさっぱりわからんな
民のためとか言いながら民が一揆起こしてるし
士族をなくした結果、士族が一揆起こすし
いままで藩や藩主の財産だったものを、中央の役人がぶんどっただけというw 釣瓶に岩倉とか歴史上の人物の役なんか無理
あんなのはただの下品でアホナ大阪芸人に過ぎない
チンチン出して徘徊してるボケ老人の役とかが最適 やっせんぼがアドリブだったって
自由度が高いと言うべきなのか
役者の力量にかかっているドラマと言うべきなのか 要するに偉人として取り上げる人物ではないと言ってるんだよ 確かに維新に関わったが偉業成し遂げたとは思えない。 >>154
大河は結構アドリブ多いよ
NHKのバラエティは全部セリフだけどww >>157
この人何言ってるんだ?
好き嫌いは置いといて間違いなく偉人だよ
こういう奴を製造するドラマも罪は重いね >>138
中園ミホは青木をとても買ってるからあれでいいんだよ 西郷はよくわからんが
大久保は鹿賀が近いんじゃね?
西洋趣味、寡黙、威厳、丁寧とか伝わってる事とぴったり >>160
それをドラマでできてないからいわれるんじゃ?
なんかねらいどころがまちがっているんだと思う。
むしろブレブレになりつつも、他人の困窮に耳を貸してしまう弱さみたいなとこに、西郷の良さとワルサがあるのに
そういう面は避けてるから、同時に偉人性もでない 「やっせんぼ!」はアドリブとかNHKも視聴率テコ入れの為に みっともない話題づくりするんだな じぇじぇ、とか、ふぎょぎょとか、このこわっぱとか、流行らしたいって言うのがミエミエで返ってひく >>168
ほんとに偉人だったの?という疑問はもう誰でももっているでしょう。
自分も、これ見るまでは漠然と偉人のような気がしていたけど、今はどこが偉人なのか正直わかんない。
そのブレブレになりながらも云々てのも、自分が勝手にそうなんじゃないかと無理に言ってるだけで。
だから、その偉人性をドラマで感じさせてくれて納得させてくれるのが大河なのに、それができてないから残念なのよ >>170
全く反論になってないw
>>157は要はドラマにする必要はないと言ってる >>170
翔ぶが如く観たら偉人だったってわかるよ 「中村半次郎改め桐野利秋です」と申し上げた次の瞬間に「半次郎は…」と飲み込みの悪い西郷どん
そう言えば大久保にも未だに「一蔵どん」と呼ぶ飲み込みの悪い西郷どん
まぁ大村益次郎を未だに「こぶ平」と呼ぶ飲み込みの悪い我々と同じだが、 >>170
30代の男性を、東インド会社が「偉人」であるかのように操っていたと考えるのが通常である。 ドラマになる必要がない偉人じゃない
という奴にいや西郷は偉人ですよと申し上げただけの話です >>149
西宮在住の鶴瓶と西宮出身の鈴木は普段から仲が良い
関西人のノリツッコミと思われる
>>175
西郷だって吉之助と呼ばれてるし、海江田だって久光以外からは
いまだに俊斎呼び 西郷は人を見る目があった。
自分が優秀だと思った人間は広く活躍できるよう
献身的に働いた。
特に大久保の能力を誰よりも認めていた。
優秀ゆえに大久保はリーダーとなったが、
それが人望にはつながらなかった。
大久保は東郷平八郎の洋行に反対したが、西郷
の口利きで実現した。
村田新八は西郷の懐刀だったが、大久保からも
その優秀さを認められていて使節団に選ばれた。
征韓論で二人が袂を分けた時、村田は辞任して
西郷についた。
これは大久保もかなりショックだったようで、
「翔ぶが如く」の鹿賀の狼狽ぶりがとても印象的だった。
だが西田西郷は大久保から最も尊敬、信頼、期待され
ていたし、西南戦争でもそれは変わらなかった。
敵対しても人望を失わない。
これが西郷が偉人たる所以ではないかと思う。 歴史群像の12月号が出たけど、あの雑誌は完全に大河とコラボしてるな >>181
東郷は俗説じゃなかったっけ
山本権兵衛が勝を紹介してもらって
海軍へ進んだのは知ってるが >>182
おれも愛読してる
時々ポカもするけどそうじて面白い記事が多いよね
生粋の歴オタにはバカにされるけど
明日買いに行くナウシカが気になってしかたない 留学してなかったら東郷も兄弟と一緒に西郷軍に加わってた可能性高かったんだっけ? >>170
西郷の個人能力とか別にして
血統のカリスマである天皇とは別に、叩き上げのカリスマになった事が
幕末明治の歴史的存在価値であったと思う
黒船から桜田門外までの幕末前半、桜田門外から明治維新までの幕末後半
前半も後半も登場するのは慶喜や春嶽など諸侯はいるが、家来で両方登場する人は西郷ぐらいしか思いつかない
蛤御門から鳥羽伏見など西郷がいる軍は必ず勝つ常勝将軍
性格やら色んな面で明治では大西郷と言われる
南北朝において個人能力が有るか無いかよく分からん足利尊氏が
失敗も多々あったけど、やたら周りから持ち上げられ時代の中心人物となった
何でこんなに彼に人が集まるのか?時代の波に乗ったのか?
具体的な説明の難しい天下取りな面が西郷と似てる気がする >>181>>183
大久保が東郷の留学に反対したってのは昭和になってからの創作
東郷本人の思い出話には西郷も大久保も出てこない 人は信じたい話を信じる。特にファンとか。
明治の世の中になると海軍士官として明治4年(1871年)から同11年(1878年)
まで、イギリスのポーツマスに官費留学する。
東郷は当初、鉄道技師になることを希望していた。イギリスに官費留学する際、
最初は大久保利通に「留学をさせてください」と頼み込んだが色よい返事は
もらえなかった。
後で東郷は大久保が自分に対して「平八郎はおしゃべりだから駄目だ」とする
感想を他者に漏らしたことを伝え聞いて、自省してその後は寡黙に努めた。
それが長じて、後年は「沈黙の提督」との評価を得るまでになった。
大久保の次に西郷隆盛に頼み込んだところ、「任せなさい」と快諾、
ほどなく東郷のイギリス留学が決定したという風説があるが、
小笠原長生が東郷から直接聞いた思い出話には西郷や大久保の名前は無く、
選抜の成否がわからなかったので易者に占ってもらったと述べている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています