【2018年大河ドラマ】 西郷どん part107
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>>606
まあ農業を美化しすぎて、現実の百姓の実態を知らない人間が陥りやすいところだな
実際の百姓ももっとしたたか
金を稼げてれば、うちは儲かってないという
ちょっと金がたまれば、高利貸しをはじめる(実家がど田舎なんで、そういう話をいくつも聞いた)
商業へのルサンチマンと差別意識が激しい(今は大分薄れてきたけど)
実は不倫、浮気が大好き等々 金も地位も名誉もいらないというコンセプトにも色々あって、純粋に欲しないひともいれば、
欲しかったけど得られなかったというあきらめちゃった的な人もいるわけで。
西郷の場合は、朝鮮行きを阻まれ、留守政府の仕事をことごとく否定されて失意の果てに下野したわけで、
そうした結果から「もう金も地位も名誉もくだらん。そんなものより百姓のほうがどんなにせいせいするか」
という心境になったんだろう。しかし、そういう、西郷の人生の諦念の果てにたどりついた心境を、
これから新しいことに挑戦したい、エネルギーあふれる若者におしつけようったって、どだい無理な話で。
上の方で西郷自身が私学校の教壇に立つべきだったと書いてた人がいるが、他人任せにしないのと同時に、
農業やれとかジジムサイ話ではなくて、もっと若者のハートをわしづかみするような方向性をうちださなくてはならなかったと思う >>682
不平士族の武力決起が頻発する中で、その不平士族を集め軍事教練を続ける私学校が危険視される
官憲から監視対象とされるのは当時の情勢では当然の事だし、その様子を探る為に薩摩出身者を
に送り込む事はなんら不条理な行動では無い、むしろ道理にかなった行動だ
また、陸軍省砲兵属廠にあった武器弾薬類を大阪に移すことは、あれは政府(陸軍省)の管轄のもの
であって私学校の私物では無い、彼等がとやかく言う筋合いは無し、それを弾薬庫襲撃で人身まで殺傷
する事のどこに道理があるのか、その時点で政府に弓を引いたも同然であろう >>678
だったら鹿児島県にちゃんと言ってから堂々と持っていけばいいだろw
てか>>667の話はどこに行った?w >>678
私学校が暴発した時に大久保から伊藤博文への手紙
「この節事端をこのことに発きしは、まことに朝廷不幸中の幸と、ひそかに心中に笑を生じ候くらいにこれあり候」 >>603
>>606
>>676
西郷が薩摩に戻ってから狩猟や農業に勤しんでいたのは、いわは中央でバリバリとエリートやっていた人間が
引退後は田舎に引っ越して、家庭菜園やったり趣味道楽しながらのんびり引退生活を過ごしてる様なもんであって
農業こそ国の宝とか、士族はみんな農業すればいいとか、そんな考えでやっていた訳ではないんだが、何を誤解しているのか。 >>680
極秘にやったのは無用な衝突を避ける為だろ >>682
そうなの?
ソースは?
私学校の一環で吉野開墾社も作ってるが? >>683
え?
私学校が暴発した時に大久保から伊藤博文への手紙
「この節事端をこのことに発きしは、まことに朝廷不幸中の幸と、ひそかに心中に笑を生じ候くらいにこれあり候」 繰り返すが先に暴発したのは私学校の方であって政府では無いぞ
いつからこの国ではテロリスト共が正義扱いされる様になったんだ
お前らの論は「IS(イスラム国)は正しい」と言ってるのと同じだぞ
ISの支配が及ぶ地域から軍施設の武器弾薬を彼等に奪われない様に
秘密裏に政府が回収したら、それは不条理なのか? >>687
え?意味わかる?
私学校が暴発した時に大久保から伊藤博文への手紙
「この節事端をこのことに発きしは、まことに朝廷不幸中の幸と、ひそかに心中に笑を生じ候くらいにこれあり候」 >>675
>奇兵隊も薩軍も江藤も用済みになったから潰しただけ
そうなんだよ
だから「士族の反乱」とか婉曲な表現は使わないで
薩長成り上がりは共に戦った仲間をゴミのように始末したのですよ
下級はほんとに卑しいですよね
と学校で教えないといけないんだよ 町田 明広@machi82175302
こうして、外交問題の直近の憂いを払拭した政府は、明治9年(1876)3月に廃刀令、8月に金禄公債証書発行条例を公布するなど、士族の特権廃止・縮小に踏み切った。
こうした政府の弾圧政策に対し、不平士族の反乱が頻発する。#西郷どん
明治9年(1876)10月24日、太田黒伴雄を首領とする神風連の乱が熊本で起こった。政府の欧化政策・廃刀今に反発して百数十名が蹶起して県庁・熊本鎮台を襲撃した。
これに呼応して26日に秋月の乱、27日に萩の乱が立て続けに起こった。#西郷どん
特に萩の乱は、西郷と同様に下野した元参議前原一誠が首謀者で、木戸孝允の御膝元の山口県で勃発したため、少なからぬ動揺を政府に与えた。
しかし、各反乱は連携もなく計画性にも乏しかったため、いずれの乱も短期間で鎮圧され、前原も捕縛されて刑死した
また、10月31日には思案橋事件があり、関東での士族蜂起が未然に防がれている。こうした情勢は、私学校関係者にも大きな刺激を与え、政府打倒の挙兵をすべきであるとの暴論が頻りに唱えられ、西郷や幹部がかろうじて暴発を押さえている有様となった。#西郷どん
村田新八はこの様子を、四斗樽に水を盛り腐った縄で括っているようなものと、一触即発の状況を語っている。
かくいう村田も、機会が来れば間髪入れずに蹶起して政府を改造し、西郷を首班とする内閣を作ることが使命であると述べている。#西郷どん
幹部の中で最も冷静沈着で、ポスト大久保利通と言われた村田新八であっても、この程度のプランは持ち合わせていたのだ。
こうした中で、大久保は一戦に持ち込んでも西郷と雌雄を決する段階に至ったと判断し、鹿児島の探索、そして西郷党の離間策や挙兵を促す行為に出る。#西郷どん
>>687
>>688
>こうした中で、大久保は一戦に持ち込んでも西郷と雌雄を決する段階に至ったと判断し、鹿児島の探索、そして西郷党の離間策や挙兵を促す行為に出る。 町田 明広@machi82175302
大久保利通は大警視川路利良にこれら命じ、明治9年12月下旬には中原尚雄ら鹿児島出身の警部・巡査ら20人余りを休暇帰省として潜入させた。
私学校生徒は彼らの動きを逐次監視し、火薬庫襲撃後に相次いで捕え、激しい拷問を加えた。#西郷どん
そして、中原が西郷暗殺の密命を川路利良から受けていたと自白したため、私学校生徒の怒りは沸点に到達し、もはや幹部でも手の施しようがなかった。
なお、西郷を「視察」するためだったのか、「刺殺」するためだったのか、中原は後年、「視察」のためと述べている。
西郷は「刺殺」に傾いていた感があるが、果たして真相はいかがであろうか。
さて、明治10年(1877)1月、いよいよ政府は三菱の汽船赤龍丸を鹿児島に派遣して、備蓄されている火薬・銃弾の搬出を図った。#西郷どん
そもそも、鹿児島には海軍鹿児島造船所や滝之上・敷根火薬製造所など日本最大級で最新鋭の武器・火薬工場があった。
海軍が使用する弾薬はすべて鹿児島製であり、大量の武器弾薬が生産・備蓄されていて、以前から政府の頭痛の種であった。#西郷どん
政府は、その武器弾薬が西郷党の手に渡るのを恐れ、早期の引き上げを以前から画策していたが、この段階での実行となった。
大久保利通はもう我慢できずに、強硬手段に打って出たのだ。このあたりはドラマでは中原の言葉の中にあっただけで、描写はなかった。#西郷どん
大久保利通が鹿児島県との取り決めを無視し、夜間にこっそり搬出させたことを知った私学校生徒の血気にはやる一部は、西郷暗殺を企図する密偵問題と絡めて激昂し、とうとう一線を越えてしまった。#西郷どん >>689
慶喜は大阪に家臣を騙しておいてきぼりにしてさっさと逃げたけどなw >>692
天下の公方様にゴミ扱いされるならまだ納得がいくだろう
成り上がりのゴミ同士でお前はゴミだ、なんてやってるから紛争になる ■ 中原 尚雄(弘化2年10月6日(1845年11月5日) - 大正3年(1914年)1月15日)
結構長生きしたんだなw
あの「シサツ」のシーンに「紙」出しちゃダメでしょww あほ台本で台無しw
さんざん拷問され、たったひとこと「シサツじゃぁ!」でないと
当時から、視察なのか刺殺なのか議論があったくらいだし しかも慶喜は新政府のメンバーに加えてもらうことを条件して王政復古のクーデターを黙認して参加したからなw
もちろん会津と桑名には黙ったままでまた裏切ってるw しっかし、もう西南戦争もおっぱじまってあと2回なにやんだよ?
ホームドラマか??? >>658
農民出身の豊臣秀吉が天下を牛耳ったのはムチャクチャだったなw >>695
でもこの久光は最初から割とお間抜けないい奴じゃないかw
英樹版より可愛い >>698
真面目に西南戦争を描こうとすれば2話でも短すぎると思う >>702
たった2話では警視庁抜刀隊の一員として奮戦する元新撰組、藤田五郎の
出番はなさそうだな あと何話?
次回いきなり除幕式であとは回想とナレで済ますとかないよね? 西郷札は桐野のアイデアで発行されてあまり信用は無かった。
強奪に近い感じで無価値の札を与えたが
現在5円は12万位する。
終戦と同時政府は全て焼き払ったがもしタンスにお宝として有る可能性も無いとは
言えない。
5円が現在の金でいくらか?諸事情で難しいけど10万じゃないか?と言われてる。
10万札なんて思い切った事をするが、追い詰められ仕方のない方便。
最後は強盗団に成り下がった感じだな。
旗揚げ時3万と言われ、鹿児島に戻ったのは400人弱
殆ど逃散してしまったと思われる。 >>705
あんなもん最初から終わっとる
>>707
こんな華のないバトンタッチは初めてだ >>645
一応公家語
だが限りなく大阪語に寄っている
菊次郎は京都市長として出てた西田は東京語で話していた。
今の大久保だって不気味な東京語モードと薩摩語モードを使い分けるだろ 大久保「勃つなぁ〜、勃たんでくれ〜吉之助さぁ〜」
西郷「・・・・無理でごわす」 >>650
江戸弁以外にもあるし江戸弁が東京語ではない。
江戸弁は西郷や熊吉が暮らしていた長屋の人々が使ってて新鮮だったな。
勝海舟もそうだし、ひー様も江戸弁寄りだったな。
明治維新で東京基準にした新しく出来た言葉を東京語と呼んでいる。あの後"標準語"などとして推し進めただろうが、あの段階ではまだそうでもないかも 西郷がたたなくても
不平士族は西郷抜きでやってただろうな
そのかわりに西郷は生き残ってただろう とりあえず次は熊本城攻めと田原坂戦闘で30分使って鹿児島帰還でよかどかい
最終回は城山洞窟最後の宴と岩崎谷特攻、西郷切腹を早回しで20分
残りは大久保号泣と斬殺、糸どん上野銅像放心、奄美で歌いながら畑を耕す愛加奈、西田菊次郎回想「もうここらでよかどかい」でテーマソング流れて終了 斉彬に限らず死ぬ前に西郷の周りにいろんな亡霊が立つんじゃないの? 最後シーンは慶喜が縁側から薩摩の方角をながめながら
「牛男」とつぶやいて笑うのだった。
あの脚本家は冗談抜きこういうのやりかねんわ >>720
城山洞窟最後の夜でみんな亡霊たちが一言挨拶しにくる お願いだから糸さん、余計なことを言わないでくれ
西郷どより上からものを言わんでくれ >>721
慶喜はある意味では勝ち組だったな
新政府に入ってたら天寿を全う出来なかっただろう 書店で、「戦況図解 西南戦争」という本が売ってたので買ってきたが、西南戦争直前の鹿児島って、
県下の警察幹部や18区あるうちの10区の区長、副区長が私学校の幹部に占められていたとか
廃刀令はともかく、俸禄を打ち切られても、私学校の生徒全員じゃないだろうけど、ちゃんと就職してたってことじゃないの
政府から、県の幹部に他県のものも入れろ、といわれても県令の大山サァが拒否してたとか
ドラマじゃ、私学校って不平分子どもがたむろしてる不良の巣窟みたいになってたけど、いやどうしてどうして、
明治政府に警戒されて当然だよなぁ アーネストサトウが「西南戦争の形の上のトップは西郷だが、実際は篠原が積極的な推進者と言われてる」と日記に書いている
外国人でもそう認識してたんだから、当時はみんないつ西郷が担がれるか予想できてたんだろうな >>626
美術刀扱いで表面がピカピカに磨かれすぎて、三島の肩に当たらなくとも斬れにくかったかも。
肉を切る刃物は、ある程度ザラザラしている方がスパッと割ける。
(今、一部で包丁の鏡面仕上げが流行っているが、切れるのかは不明。) >>729
スレチだけど、刀もさることながら
介錯人も下手だったのだろうね。
三島はノーマイクで30分演説する
つもりだったけど、やじと罵声で
10分でやめ自決してしまい、気の毒
とも言える。 >>717
菊次郎負傷の延岡戦の方が田原坂よりメインになりそう
明治編は西郷大久保の対決と親子の愛がメインテーマだからな 三島は刃物で腹を深く切りすぎて
筋肉まで切ってしまい姿勢が崩れてしまい
介錯がうまくいかなかったとか ふきどんはもう登場しないのか?
明治編でも何らかの役割があると思ったがそうじゃなかった
もし慶喜が出るのなら、その傍らに居させてほしい
よりを戻したということで
どうせなら洋装の麗人とかで >>735
お芳は開陽丸で一緒に帰ってきた後で離縁するのが史実 斉彬時代やヒー様引っ張り過ぎだったな
維新最大の功労者なのになぜ賊軍になったか
明治編をもっと長くやって貰いたかった >>734
三島由紀夫の自殺って戦後でしょ?
そんなときに介錯がうまいやつなんていてたまるかい 鹿児島県本土出身者は大都会へ出ると標準語に苦戦する
他の地域の方言も厳しいと思うけど語尾が必ず下がるのが薩摩方言、津軽弁も関西弁も沖縄弁も語尾は上がるだろ
方言を封印して標準語っぽく喋ってるつもりでも語尾下がりで田舎者とバレる
もっとも年配者の苦労で若い県民はネイティブな標準語が比較的上手くなってきたけど 結局西郷さんらも自由民権運動すべきだった
ただ武力の伴わない言論を通じないって考えだったから武装してしまった
武人として最高級なのにあっさり軍事を捨てた板垣と伊地知辺りは凄いね >>739
そうなのかね サッカーの鹿児島出身の選手普通に標準語だが 前園 城 遠藤 大迫辺りも鹿児島の高校だろう 大河の前例で言うと、
宋剣、笛、と死に際にワープしてるから
今度は斉彬様の短刀だろうか、まあ、あれで普通に腹切りそうだけど
ワープは大概坊主が持ち返って来てるけど、
今回該当するのは一応髪下ろした御台様ぐらいしか >>729
だから、実戦だと、むしろ研ぎたての時は
ざっと地面を斬って切れ味を落として実戦向きにする事もあるとか スレチ2だが、富岡八幡宮や徳島の
日本刀事件を読むと恐ろしいほどの
切れ味なんだが、、、戦国時代では
槍が主流だったみたいね。 薩軍が敗北したから板垣は民権運動に投じたんではないのか >>745
民権運動は明治6年に下野した後すぐだよ
西南戦争の時に呼応して挙兵しなかった
薩軍の敗北を早々に予見して西郷兵を知らずと嘆いてた >>739
鹿児島宮崎と青森はイントネーション似てるところあるんだよね >>749
ロッテの黒木は最初青森出身だと思ったからねぇ で、熊本以北の九州は元々はそれなりに訛り強かったんだろうけど、(少なくとも県庁所在地限定では)かなり標準語化してる。
宮崎と鹿児島だけ若い世代でもかなり訛り残ってると感じるね
特に福岡と熊本は関東からの転勤族多すぎるから方言消えた コテコテの大阪弁
辻本清美、宮根誠司
コテコテの博多弁
武田鉄矢、博多華丸、大吉
この人たちは、いつまでたっても標準語をしゃべることが出来ない >>739
下がる?上がるとじゃなかとけ。
関西弁は下がるさかいのう。 >>751
青森は無アクセントでは無いんだがな
福島とかの南東北が無アクセント >>738
三島を介錯した男を介錯した男は、一太刀でスパッと斬った。
三島→下手な介錯で苦しんだ。
二人目→三島を苦しませたが自分はスパッとしんだ。
三人目→二人目を楽にしなせたが、自分は誰も介錯してくれず、苦しんだ。 >>752
鹿児島は語彙の衰退で共通語化が著しい。
アクセント訛りのみが最後の砦となっているわけだから、それが無くなったら終わりだよ。
>>753
ネタっぽい書き込みだしネタなんか?
宮根はいつまでたってもワザとエセ関西弁喋り続ける
いい加減に島根弁で喋ればいいのに一切しゃべらん >>756
三人が三角形に立って、同時に隣の人を介錯すれば、誰も苦しまなかったのに >>729
でも鎧も着けてない人の首を斬ってS字に曲がるのはまがい物でしょう 余所の地域は知らないけど鹿児島に帰って来て標準語で喋ると嫌われる 首の皮一枚残して切るのが手慣れだそうだがそんなこと実際にできるのだろうか? 熊本出張行ったけど、ある年齢より下はほぼ標準語。女子高生とかほとんど関東。
福岡はかなり前からそう。ここて言われてる通り、訛り残ってるのは九州の都市部では鹿児島宮崎だけかも
東北も青森以外ではほとんど消えてるかな。都市部は。仙台、盛岡、秋田、郡山あたりは高校生とかほとんど訛りない >>759
刀の刃が上手く立たないと、恐らく肉と骨で変な方向に滑るので、両手剣みたく身幅が広いとか重ねが厚いとかじゃないと、いかな名刀だろうと曲がるでしょう。
日本刀の側面はどうしても弱いので、これは仕方ないかも。
三島を介錯した森田必勝は剣道経験がほとんどないが、卓球、柔道、空手をやっており腕力はあったかも知れず、そういう人は得てして力が強すぎて道具を壊す(オレも同じ)。
かたや、森田必勝を介錯した古賀浩靖(小賀正義と区別するためフルコガと呼ばれたとか)は神奈川大学で剣道部に所属。棒を振る心得はあったかも。
「西郷どん」でもお馴染みの新撰組隊士の刀も、池田屋事件で相当数曲がったり折れたりしたようです。
(余りスレチにならないよう無理やり付け加え。) >>763
相手を尊重してのことらしいけど
日本的だよね。尾上一刀なら・・・ >>763
人間の練度ってすげえよw 俺はマジだと思う。誰でも出来るとは言わんけど
一定以上の腕の奴は行けるだろう >>765
西郷どんの新選組って池田屋回にチラッと映っただけやん >>738
居合やってれば行けるよ。要は刃筋がブレないで振り抜ければいい。
よく斬れると、充分な巻き藁切りの稽古してる有段者なら行ける 南京で百人斬り競争やった2人って
鹿児島県出身と山口県出身だったんだな >>771
斬首なら振り抜けばいいが首の皮一枚残そうとすると引いて止めなくては
ならず、普段の練習の想定では切腹者の姿勢は保っているのが
実際は前傾に倒れるだろうし、その時の状況では必要以上に力が入る
だろうから介錯に失敗したからといって未熟だったと責める気にはならない。 俺が残念なのは、何も知らない視聴者が大久保利通を誤解することなんだよな
こんなドラマで日本史の英雄を嫌いになられては困るわ >>753
華丸、大吉のは古いタイプの博多弁
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