【2012年大河ドラマ】平清盛 Part182
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part181
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1540394472/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 違うよ。清盛で笑わせてもらったただの一視聴者だよw オレはピンボケ爺さんにさんざ笑笑させてもらったよアリガトン 歴史への切り口と言ったら、最終回源平合戦の扱いを忘れるわけにはいかない。
清盛死後に生き残った登場人物たちを退場させるための舞台装置〜
それが清盛における源平合戦の位置づけだ。死せる清盛との関連づけなし
後日譚を延々とやるような野暮と無理解に清盛は無縁であった。
要するに、「清盛物語」を終結させることへ向けてすべての要素が吟味され、
組み立てられていた〜これが最終回なのである(切り口は頼盛、キーマンは西行)。
ところが 、この最終回に対しても、ジャンプの打ち切りー なるアホ丸出しの難癖が
殺到したのであった。嗚呼アホラシ屋。。。 セイワ系の皆さんってお盆休みないの?それともバイトだから副業感覚でやってるの? >>772
あー、どう見ても義朝より義平が年上にみえたからバーバリアンと言っているんだね。 >>780
清盛1話の「平家滅亡のよしにございます」これ持ってくれば綺麗だった チビ平太と家盛の場面わろた。
「スポーツで発散できないモヤモヤだってあるんでスゥー」
コンドーム配布とかが毎回話題になるくらい、選手のセイヨク発散は結構重大な裏テーマ。
いだてん真面目だなーーw 最終回あんなのしか出来ないんだったら、無理せず平家物語に準拠したものやればよかったんだよなw あんなのしかできない?
武将遊人庵先生の口癖でしたね。
ジャンプの打ち切りで終わるぐらいなら新平家のリメイクやれよぉーー
こちらははおんなネトウヨ!
何でこんなにそつくりなのでしょうか?w
是非、「あんなの」の中身を明らかにした上で、アタシの考えた「平清盛の終わり方」()
を世間の皆様に披露してくださいませ。
笑い死にする方が出ても長文は責任もてませんけど... 何しろ
八重が八重となった明治編の同志社がらみの話なんて、ただのくだらないホームドラマ。
全部カットして11月いっぱい戊辰戦争その後を函館五稜郭まで追っていけば、
稀代の名作となったのに惜しいィーー
これですもん。
那須与一をやれー、徳子&後白河@寂光院で終えろーとかキャンキャン吠えそ。。。 松ケンは良かったけど松田が惜しいな
頑張ってはいるけど物足りないというか…
しかし後に徳川慶喜やってるし評価されてんだな ま、あのセミみたく喧しいあそびをせんとやのBGMを大幅にカット。
あまりにもくどくどワンパターンで、いい加減うるせーんだよ。
言いたいことがあれば、天地人で長澤まさみと妻夫木聡がやった戯曲形式で進めてもよかった。 これ何百万回目?
探すの面倒でコピペするのもかったるいw 清盛スレのすべてがこれに費やされても十八万ニ千回に満たないのに
何百万回目とはオーバーな マツコに粘着し始めた立花某のようなしつこい難癖を500万回繰り返す前に、
ワンパターンにしか聞こえなかったお耳のお掃除をしてくれなんしょ。 というか、アタシの「平清盛の終わり方」教えてー
もうすぐお家 伊東中井サダオ井浦三上山本國村上川
この大河の面子いいわあー
段々ひとが居なくなっていったけど
窪田正孝はこれで知ったけど緒方洪庵とどっちが先? サンクス
緒方洪庵主演のあと平清盛出演かあ
なかなかいい雰囲気を出してたな
全般的にいい役者が揃ってたね 【週間朝日】
NHK朝ドラ100 本誌が独自調査
視聴率&人気トップ20発表
断トツは「あまちゃん」「ちりとてちん」「カーネーション」
低視聴率で叩かれたちりとてちん。
10年以上も前の朝ドラというのに、人気投票をやれば常に最上位に来る。
それだけ人々の記憶に刻まれ、語られ続け、新規を呼び込む力をもった作品なのだろう。
大河平清盛も同じような軌道に乗ってるよね! >>790
ま、ワンパターンだと言われるのが、湯水のように制作費を投じた側に一番キツいからね。
事実そうだった。
「極上の舞を献上せよ」と重盛が命じながらも上手くいかず、いつの間にかあそびをせんとやオバンに助けられるとか、都合良すぎる展開もあったな。 大河平清盛の失敗をきちんと分析しないから、今のいだてんみたいな惨状になる。 西郷どんはOPはかなり良いが劇伴がイマイチだな。
その点、吉松&タルカスは音楽面からも作品を強烈にバックアップした。
平安にフィットするか不安だったタルカスは、ここぞという時に威力を発揮し、
吉松が提供した音楽は、様々なパターンごとに最適なチョイスを可能とするだけの質と
多彩なヴァリエーションをもっていた。
そして、これらの名曲群を各シーンで縦横に使い切った作り手のセンスが光った。
しかし、中にはちょっとうるさい、ここは違うのではという感想を個々人が抱いても変ではないし、
少女が歌う「遊びをせんとや」の頻繁な挿入はややクドイと自分も思った
(ただ、キーコンセプトゆえ執拗低音のように鳴り響き続けたこと自体は正解。
一方、主要人物たち〜舞子、乙前、忠盛、後白河、清盛〜が歌う「遊びをせんとや」がもった意味と作用を、
それぞれの文脈から読み解くことは、大河清盛理解に欠かせないハードワーク)。
いずれにせよ、清盛で「大活躍」した音楽の位置づけは、単に劇伴(主である台詞に添えられた従たる役割)
に止まるものではなく、脚本、演出、演技、映像、美術が渾然一体となって作品を生み出す上で、
欠かすことのできない主たる要素であり続けた(歌姫のアリアを引き立てる伴奏ではなく、
歌手と対等に渡り合う雄弁なオーケストラのようなもの)。
端的に言って音楽の位置づけが往年の大河とは異なる。
近作大河のすべてがその「範疇」なのか否かはさておき、「鳴り物」が物を言う大河であったことは確かだ
(「浮世の画家」も音楽無しにイシグロの世界観の描出は困難)。
しかしながら、吉松&タルカスによる強力で多彩な音楽は、「貧弱な内容を派手な音楽で誤魔化す」ためではなく
(これも中身をろくすっぽ理解しようとしない連中が盛んに持ち出した定番の難癖)、
「脚本=コトバの持つポテンシャルをさらに音響面からも引き出して作品を立体化する」ために存在したのである
(映像面からは凝った映像、美術)。 今様が時間を食う?
そもそも少女が歌うそれは、場面に被せただけで遊びの歌によって何かが犠牲にされたわけではない。
他方、登場人物たちの歌うそれは物語上、非常に重要な意味を担った。
これらは、同じ歌でも文脈によって意味と作用が異なる。すなわち単純な繰り返し、反復ではなかった。
さらに、蝸牛の歌や鬼になれの歌も挿入されたが、これらは「孤独な要らぬ皇子」雅仁の心象風景にぴったり
と寄り沿うもので、無駄どころかたいそう効果的であった。
すなわち、今様は清盛の世界観を表現するための必須なアイテムであり、しかも、今様に尺を取られて
本来描くべきことが犠牲にされた〜このようなトレードオフの関係にはなかった。 ・初出は、忠盛のもとに匿われていた舞子が歌ったもので、清盛は赤子ないし嬰児であった。
・海賊船でのピンチから清盛を救ったのは、嬰児記憶に刷り込まれていた母舞子の歌うこの「あそびをせんとや生まれけん」だ。
通憲が世の儚さを歌う李白を詠んだ時、どこからか聞こえてきたこの生の歌が、少女のそれではなく舞子自身の肉声であったことに注意したい。
母の歌によって清盛はanimaを吹きかけられ、生きる意志を取り戻した。
・舞子が歌う遊びの歌は、忠盛の人生にも大きな影響を与えた。何とも気楽で呑気な歌だなと呆れる忠盛に、舞子自らが真髄を語った。
(この舞子による「解説」を、最終回で死に行く清盛を讃え慰撫する西行がリフレイン。
清盛は母が理想とする夢中で生きる〈面白き〉人生を駆け抜けたのだった〜「お点前が夢中で生きた〈面白き〉人生、何と〈美しい〉!」)
→その後、遊びの歌の精神を密かに自らの指針としてきた忠盛であったが、これを口ずさむところを宗子に聞かれてしまい
(鹿爪も見つかって・・・)夫婦の危機到来。
→さらに、どんなに頑張っても越えられない貴族の厚い壁(結局、公卿になれず)に阻まれ、
そこに追い打ちをかけるかのように鬼畜頼長から
愛息家盛への凌辱をぶっちゃけられて(「おたくの息子とはすべてにおいてしかと結ばれたのさ」)、
人生の最後で酷く弱気になってしまった忠盛が発したセリフがコレ:「家貞。近ごろしきりに思い出すのじゃ。舞子に言われたことを。
【夢中で生きていればいつかわかる】。なんのために太刀を振るっているのか。なにゆえ武士が今の世に生きているのか。
【わしは夢中で生きてきた】。だが未だわからぬ・・・」→行く手を力強く指し示した迷いのない清盛に平氏を託す(強うなったな清盛)。
このように、舞子が歌う「遊びをせんとや」は、清盛と忠盛の人生の節目に対して重大な作用を及ぼした。そして、この歌を舞子に仕込んだのが、
白拍子界の大先輩にしてスーパースター祇園女御=乙前であった。彼女が歌う「遊びをせんとや」もまた、とんでもなく大きな意味を担った。
まずもって、孤独な要らぬ皇子雅仁のボーンアゲインは、まさに乙前@青墓が歌う「遊びをせんとや」が齎したものだ。
どちらに転ぶかわからない緊迫した王者議定の実況中継(史実にほぼ忠実)は、非常にエキサイティングなシーンであったけれど、
本作の雅仁は「自ら手繰り寄せて帝位に就いた」王者なのである。生=帝位への意欲を高め遊びをせんとやを歌う雅仁と清盛の会話が興味深い。
(歌い終わって雑念を取り払った雅仁→いつか海賊船で聞いたよ。あれが聞こえた来なかったら俺死んでた→ほおそなたもか)
それだけではない。母舞子が歌う「遊びをせんとや」に救われた清盛は、生死の境を彷徨った「白河院の伝言回」において、
今度は駆けつけた乙前が枕元で歌う「遊びをせんとや」の歌によって励まされながら〈生への意志〉を高め、
遠い昔の嬰児(胎児)記憶へと遡及していき、そこで母舞子と出会い、父白河と対峙した
(あなた様を超えて見せますると宣言したところで蘇生)。
その意味で清盛も雅仁同様、乙前が歌う「遊びをせんとや」によって再度生を得て帰還したと言うことができる。
他に、後白河と滋子との関係では恋歌であり、後白河最後の歌唱となった清盛の死のシーンで歌われたそれは、あたかも宿命のライバルへの万感込めた挽歌
のように鳴り響いたのだった。
こうして振り返ると、「生の歌」=「遊びをせんとや生まれけん」が、どんだけ重要なキーコンセプトであったことか、今さらながら痛感する。
この歌の「総元締め」祇園女御=乙前の重要性もわかるだろう。そして祇園女御=乙前の重要性は、
何よりもこの「生への意志の歌」を美声で歌うことにあるのだから、セリフ回しその他の演技力よりも歌唱力が求められる
役柄であったことが明らかである。
昭和の歌姫にしてセレブな聖子を、平安の芸能民のトップにして白河の寵姫、セレブな祇園女御=乙前に抜擢した磯Pの慧眼に恐れ入った。 2013年度 NHK会長、副会長、経営委員長等の給料(年)
NHK会長 3800万円/手当込
副会長 3370万円/手当込
常務理事 3020万円/手当込
理事 2856万円/手当込
経営委員長(常勤)3792万円/手当込
NHK社員 1780万円/手当込 ←大河ドラマでも視聴率1桁代
(社員全員高額所得者)
※総理大臣、国会議員の給料
総理大臣 2727万円
国会議員 1842万円
【予算規模の比較】
海上保安庁 2177億5345万7000円
警察庁 3420億8472万9000円
環境省 3459億4527万4000円
NHK 7547億7700万円
2016年【平均年収】
英国 BBC職員 £42,500(675万円)公共放送
米国 CNN社員 $51,000(576万円)
豪州 ABC職員 $40,000(452万円)公共放送
日本 NHK職員 1780万円 公共放送
【参考:世界の建設費ランキング 】
1位 アブラージュ・アル・ベイト・タワーズ 1兆5000億円
2位 マリーナベイ・サンズ 5500億円
3位 アップル・パーク 約5000億円
4位 リゾート・ワールド・セントーサ 4930億円
5位 ザ・コスモポリタン・オブ・ラスベガス 3900億円
6位 ワールドトレードセンター 3800億円
★NHK新社屋 3400億円(予定)★
i;oooo >極上の舞を献上せよ」と重盛が命じながらも上手くいかず、いつの間にかあそびをせんとやオバンに助けられるとか、
>都合良すぎる展開もあったな。
へえー、朝ドラほどではないにせよ、大河もまた御都合主義無くして大河無しだが※、こんなことで
清盛は御都合主義でーとは恐れ入る。
※あわや危機一髪のところでサスケが参上!なんかはまだ可愛い部類だ。
祇園女御が代役を勤めたのは「いつの間にか」ではなく、危機管理能力に長けた盛国の咄嗟の機転によるものだ。
清盛後白河双方の「母」として、祇園女御=乙前は双方に肩入れしどちらかを贔屓することはしなかった
(治承クーデターで清盛が後白河を押し込め得意絶頂となった時、かのリフレインを最後に悲しみと共に
フェイドアウトした。真逆の展開でも同様だっただろう)。
そのような彼女が、太政大臣をめぐる両者の鍔迫り合いを前に政治の舞台に近ずき、盛国が捕まえることができる
範囲内に待機していたとしても不思議じゃない。
出し物はもちろん十八番の遊びをせんとやだ。しかし、この場面のこの歌は別段意味あるものではない。
こんなことでいちいち絡んで、いちいち答えるのもう勘弁してよ。 >>806
いやならば、くどくど長文を重ねるなよ。
長ーんだよ。あんたは。 「天子に父母無し」とまで言い切った二条帝(賢王だが孝行者ではないと当時の評)が長生きしていたら、
信西を失っている後白河の院政は全く封じられ、
たとい天皇親政派の清盛が二条帝の武力的背景だろうとも、その勢いはある程度削がれただろうな。
彼の帝がどのような政治を目指したのか気になるところではある。 7年も前だからしょうがないんだけど、サントラCD売り切れてるんだよなあ
もちろん配信でもいいんだけど、其の一と其の二は重複が多いし、完全版は曲が多すぎる
もっとコンパクトにまとまったのはないのかねえ 八条院璋子様は生涯生娘、結婚はNGのはずだったのだが・ >>812
それはまあ、若い燕をとっかえひっかえ、魔性…、いえ恋多き女院様であらしゃいました。 30代前半で押しの強い女ボス猿感ー失礼!ーを出せる女優ってそんなにいないよね。
ライザップとかやらでスリムになっちゃって、これから需要あるのだろうか?
(余計なお世話) >時間経過が謎過ぎると言われている本作だが、思い返せば磯Pは『平清盛』の時も大概だった…
>玉木宏・六歳の一方で、子役のまま17〜18歳を疑問に思わない奴だったからな〜。
>なちゅぞら 『続「平清盛」年齢不詳の王座は玉木!『』。
今回ばかりは完走しようと身構えた朝ドラだったが、やっぱ挫折してしまった。
おばさんたちが主力の猛烈なアンチの凄さと言ったら大河どころではない。
あちこちほじくり返して突っ込んでいきり立って見なきゃいかんのかな朝ドラってと思わんでもないけれど、
個人的にはただつまんないで終わってしまった、すんません。
なので、清盛で示された磯氏の大力量が滑ったのかどうか判断できない。
ところで、役年齢と実年齢の齟齬は、人の一生を追う大河で必ず生ずる「普遍的問題」ゆえ、
過去作のほとんどが苦し紛れの工夫で乗り切ってきた、いや誤魔化してきた課題だ。
だというのに、何故義朝6歳だけをクローズアップして磯Pがダメな証拠とするのだろうか?
年齢問題を清盛のいい加減な点に結びつける、言い換えれば清盛固有の欠点と見做す連中が
今でも跋扈しているのは遺憾だ。
なお、玉木義朝6歳の止むに止まれぬ事情についてはさんざ既述した。 時間経過が謎すぎるというのは、
小学3年生ぐらいであった元服前の幼名弁丸を、子役を使いたくないからなのか
シカトして、本役堺氏に信繁として演じさせるようなインチキのことを言う。
翻って、石清水八幡での晴れがましい清盛の剣舞を羨ましそうに眺める源氏の嫡男は、
元服前の幼名武者丸だった。大河清盛はこの点を誤魔化すことはしなかった。
たかだか1分程度の尺で強行した玉木6歳のムリは、この史実に忠実だったゆえの
ムリなのだ。 忠正の首を躊躇いなくスッパリ刎ねる清盛と、しばらく時を置いて為義の首を嫌々ながらやむを得ず打つ義朝ってのも、もっと薄ら寒くてよかったのではないかな?
とりわけ信西への義朝の恨みはいや増す。
同時に首を打たされて、既に別流をなした義朝が、為義の前でアヘアヘ情けなく泣く必要はなかったかも知れぬ。 >忠正の首を躊躇いなくスッパリ刎ねる清盛
史実や各史料に忠実にストーリーを構成するなら不可能ではないと思うけど、本作では厳しいのでは >>822
平氏における忠正の位置づけについては、ドラマを成立させるために必須の修正がなされた。
この設定変更も、自分たちが奉ずる大河を棚に上げた「清盛は史実無視でー」
の標的とされたので、何度も応答した。
史実上では、かなり前から平氏の外に出て疎遠(摂関家に近い←薄っすら反映させていた)の関係
→保元の乱の戦場で初顔合わせではドラマにならない→平氏内野党、正統な血統を重んじる
保守派の立場から清盛を疎んじる「敵」、しかし誰よりも平氏の結束と繁栄を願う責任感強き男、
一方で、清盛の息子たちには「親が誰なんて関係ない」と諭す優しい叔父さん→最終局面において、
崇徳方に就こうとする離反分子頼盛に入れ替わる形で外に出た(宗子の命により頼盛は清盛陣営に
止まったとする史実をここで反映させて史実との平仄を合わせる荒技を披露)→忠正の平氏内野党
あるいは離反分子のポジションは、頼盛に継承された(こちらは史実そのもの)。
このような愛憎入り乱れる忠正との関係性をみっちり構築してきた清盛が、躊躇うことなしに
叔父の首を撥ねることはあり得ない。
なお、泣く泣く斬った清盛に対して、義朝は結局自分の手で為義を斬れなかった。
この源平対比にも意味を見出す論評が多数出た。 重要なのは、忠正の行動には常に強度の一貫性があったこと。
清盛平氏に反逆したのは、家貞がフォローしたように「平氏の血を絶やさない」ためだ。
すべては平氏の存続に向けられていたからこそ、宗子の懇請を受けてというか忖度して
自らが正嫡と見做す頼盛の身代わりとなったのだった(リスク分散と血統維持)。
この点の説得力がなければ、「史実を捏造してー」たちの攻撃を跳ね返せなかった。
忠正が言ってきたこと、やってきたことを振り返れば、「離反することで一門を守る」
トリッキーな入れ替わりは、忠正のポリシーの見事な発現としか言い様がない。
そしてこの忠正を継いだのが、一連托生の平家における不満分子頼盛。
彼もまた都落ちに道々せず離反し、頼朝に頼ることで平家の血統を守ろうとした。
最終回のキーマンに頼盛を据えて、一連托生を確証させるところから始めた清盛最終回の
凄さを改めて強調したい。 とくにその辺の小細工は要らなかったんじゃないかな?
完全に、誰その人?顔知らんわ〜っていう忠正と、それなりに手厚くは遇されていた頼盛とは立場がまるで違うから、そもそも比べるのはおかしい。
離反もなにも、異なる立場にある者をややこしく型にはめる必要はない。
脚本家の貧しさ、独善性を露呈するだけ。
忠正を斬ったところで、もとから関係ないので痛くも痒くもない清盛とその一流。
軍事では清盛含めて並べてボンクラなのに、その富を目当てに過剰な恩賞を得る。
かたや、別の道を歩んで既に嫡子の座からも外れていたが、
実父らを斬らされ、そんでやっとこさ左馬頭になって大した旨味もない義朝。
恐らく軍事的才能は清盛より遥かに上で、自負もある。
清盛との差は、もう少し詰まってもよかった筈。
ワザと露骨な片手落ちな仕打ちをした信西政権に対する、義朝の骨の髄に達する恨みつらみ。
やがては清盛とその手法にも波及し、別の真の「武士の世」の種が育つ。
それでよかったんではないか? 小細工ではない。忠正の設定はアレンジである、設定改変には理があると述べているのに、
忠正は赤の他人だーと繰り返しても反論にはならない。
保元の乱が日本史上際立って悲惨な戦とされているのは、戦いそのものの凄惨さ
ではなく(これ自体は小規模であっけなくかたがついた。清盛はこの「平安の戦い」を再現)。
各家が真っ二つに分かれて争い、信西によって死刑が復活し身内を自ら処刑するという
戦前のプロセスの異様さ、及び過酷な戦後処理にある。
この部分からDramaturgieを引き出さず、平氏内の軋轢を全く描かないまま、
初めて忠正と戦場で会いました。どうでもいい人間を処刑しました・・・
そんなもんはドラマではない。歴史の再現そのもののではなく、虚構も塗しつつ
(ウソのない大河はない)人間ドラマを追求するのが大河ドラマだ。
清盛の保元の乱は最高の人間ドラマであった。 結局、従来俗説として日本社会に定着してきた源氏正統・平家悪玉史観からどれだけ距離をとれるかの問題 >>827
清盛流には、乱で端から何の損もなかったんだし、そんな忠正みたいな他流を無理矢理持ち出し、平家があたかも真っ二つなんて誇張をしなくてよいんだよ。
無い損失をあったことにして何とする?
それはドラマではない。
清盛流には天皇側に味方しただけで勝ちを呼び寄せる力があり、事実そうなって、更に肥えた。
それでないと、河内源氏義朝流と更に絶望的な差が付いた理由と、信西の酷薄さ、義朝流がそれからどう違いを出して勢力を根付かせるかをクローズアップできない。 一生そうやって因縁つけてろ。まったく答えになっていない。次は何だ?
なお、清盛が最終局面まで局外中立のスタンスで洞が峠を装い、
平氏を高く売ろうと画策したことは、まさに本作がしつこく強調したところだ
(信西はとっくにお見通しで、恫喝込みで清盛に決断を迫った)。
したがって、清盛流云々から先の言い草はまるで成り立たない。
忠正をドラマ上クローズアップしたからといって、保元の乱における
清盛の立ち位置が蔑ろにされたわけではまったくない。
実際の戦いは日和見清盛が後白河方についたことで、事実上趨勢は決した。
とはいえ、大河である以上、本戦はやはり見どころ〜合戦がー。
本作の保元の乱本戦は、軍記物の誇張を退けつつ平安の一対一の戦いを再現する一方で、
伝説の弓使いー為朝をいわばエンタメ要員として用いてド迫力を出したこと。
夜討ちの可否につき、孫氏の同一命題を巡る当代きっての2人の碩学、すなわち
信西vs頼長間の真逆の解釈論争が別陣営で同時並行的に戦わされ、
結果、目の前の現実に合わせた強引な解釈によって夜討ちを良しとした信西が
勝利したこと(すなわち保元の乱は、切れ者2人による「頭脳戦」でもあった)。
以上の2点により、きわめてユニークな保元の乱が演出された。 ところでおたくの大好きな大河って何?
昔は良かったーや、近年では評判の良かった篤姫や龍馬、真田に対して
こんなツッコミやったことあるの?
この調子で因縁つけられたら、新平家や花乱なんかとてもじゃないが耐えられない。 >>831
ポクちゃんの好きなのは、葵徳川三代たよ。
戦シーンはとうでもよいけと、板の間や畳の上てやる、胃が痛くなるような話が好きなんたよ。
篤姫は少女マンガ大河の走りでかっかりちたよ。
真田丸は思い切り滑ったんたな。
しかし、大坂の陣の戦術解釈はよかったと思うんたな。 >>833
葵好きな人には清盛って合わない気がする
大河の多くは人物の成長物語だけど葵は関ヶ原、大阪の陣と事件を追う物語
エピソードの取り上げ方も断片的でストーリー上でのロングパスもあまりない
どちらがいいという訳ではないんだけど嗜好は分かれる 義朝が清盛と対等だったことなど一度としてない。
すべては頼朝が政権を取った事から、後世に逆算
されて軍記に記載されただけ。 >>834
葵が好きな人は清盛の事をホームドラマってバカにするんだけど、葵も戦国ホームドラマなのにね >>835
清盛は官途についてはちゃんと差つけてたけど。それこそ対等であったことは一度もない
(ライバル設定という部分が変更部分ーライバル源平の御曹司の間柄ということで、
俺ーお前の口をきく仲とした。これについて既述したが、要するにそうしないと
こちらもドラマにならない)。
保元の乱は事前の清盛の動向が帰趨を決めたが、本戦で一番活躍したのは義朝。
夜討ちに火攻め、どちらも義朝が進言し実行したものだ。
となれば、勲功第一と評価されても良かったはずだが、信西はそう考えなかった
(ドラマでは平氏との連携を選んだ信西の思惑を付加)。
保元の乱の勝敗は、最大武門である平氏清盛が後白河院方についたことが決定的な要因と捉えれば、
平氏にたらふく恩賞が与えられた一方で、現場で奮闘した義朝が冷遇されたとしても
公平さを欠く処遇とは言えない。
もともとあった清盛との差を詰め、源氏躍進のチャンスとばかりに頑張った義朝が
落胆し不満を募らせていったとしてもこれまた不思議ではないだろう(呉座)。 珍西為朝くんが出演したのって2話限りだっけ?
1話かな? >>836
どう見てもホームドラマはジェームスの方。
延々と恐妻ネタやるような清盛ではない。
なお、>>290
清盛は言うところの単純なホームドラマとはかけ離れている。 >>290読んで自分で解決してくれ
もっとも、「いわゆるホームドラマ」が悪いとは言っていない。
戦国武将だって家族があり、家族愛があり葛藤があったに違いないからね。
官兵衛に夢中になることはなかったが、昔は良かったーとさして変わらぬ
ホームドラマパートに対して、当の昔は良かったーたちが口汚く罵る光景に接して、
擁護したのを思い出す。
しかも官兵衛は、嫁さん一筋であったことにユニークな歴史的個性があるというのに。
昨今の大河はホームドラマでーたちを真に受けてはいけない。 ふむ。
ホームドラマがどうのとは清盛では思わなかったし、ジェームスの政宗、吉宗、葵でもさして気にはならなかった。
風と雲と虹とや炎立つ、花の乱など、名作にも付き物だ。
ジェームス作品では、子らの成長と対立に深刻な影響を及ぼす夫婦(妻が正妻か側室かは作により違う)やその周辺の描写という意味で、それぞれ重要な部分をになっていた。
(例えば葵だと、崇源院が嫉妬深い面があったという資料はなくはない。秀忠より大分年上であり、史実でも、秀忠に嫁した時点で並大抵の苦労人ではない。秀忠が尻に敷かれることもあろう。)
政宗、吉宗、葵のいずれでも、主人公やその子ら兄弟仲は決定的な破滅を迎える。
ホームドラマパートあってこそ、家庭の破局的終末がより悲惨なもの、因果の果てに行きついた光景に見える。
これもまた大河の醍醐味。 中川大志のプロフィール紹介にいつも平清盛がないのが不満 リアタイ以来、久々に「スゲー作品だな!」と思いながら、DVDで一気見中。
『平清盛』の最大の凄さは、近・現代の文学作品(もちろん、映像にも)に通底する「人間存在に対する不安」や「人間が存在することの意味」を描き切ったこと。
そこから派生する「組織の意思と個人の意思との軋轢」などの様々なテーマも、しっかり描けている。
ドラマとしてだけでなく、歴史叙述の中にすら、破綻なくテーマを練り込み、丹念にエピソードを紡いで行く様に、毎回、「スゲー!」以外の感想が出てこない。
ここまで、個人的な心の深い部分を描いた大河は、『太平記』『独眼竜政宗』など、過去のどの傑作にもなかった(そもそも、テーマにしていないという話も)。
で、そのための二大虚構が、「根拠の薄い白川上皇落胤説の採用」と「平忠正を一門の支柱として描いた」こと。
ただ、この虚構無くして、現代の我々が直面している上記のテーマは描けず、作品に深みも出ない。
別の側面から見れば、ドラマで描こうとしているテーマを、ほとんど、この二大虚構に紐付けてしまっているのが、『平清盛』最大の弱点かもしれない。
あと、長文氏のレス、一々、タメになります。
ここまで、的確な作品分析は、なかなか、無いかと。 >>848
恐れいります。
捻くれ者なもんで一つ異議を唱えれば、落胤説は根拠を欠く虚構とまではいえない。
何しろ考証高橋に元木といった権威が唱えているのだから(学説がもつ権威というのは、
直接証拠がない場合に頼るべき信頼の根拠の一つ)。
DNA鑑定のような科学的手法を用いることができない以上、推論の域を出ないが、
このことは否定説にも当てはまる。
俗説と退ける本郷先生も、「それじゃ清盛の力量が霞んでしまうでしょ」というのが
理由で、ぶっちゃっけ否定する証拠を何も出していない。
ただし強調しておきたいのは、清盛は落胤説に立ったが、清盛の上昇は「親の七光り」
だったのでは断じてなく、清盛自身の弛まぬ向上心と努力がなせる業であったこと。
それとは異なる落胤説の活かし方については何度も書いた。
(もっとも重要なのは、治承クーデターで遮るものがなくなった途端に噴出した白河の血
〜ここはわしの世じゃー=専制君主性すなわち暴君、エロ爺→白河に反逆して上り詰めた先は
白河そのものの姿であったというパラドックス)。 頼朝の新国家構想の基盤、新恩給与には触れてなかったよね。
このドラマ。 おいおい
御恩奉公という支配の根幹となる社会経済的関係について(これが頼朝が創設した
鎌倉幕府を成り立たせる下部構造)、出頭した梶原景時に対し、頼朝譜代安達藤九郎が
端的な説明セリフで解説した場面を忘れてしまったのかお主? そういうツッコミは源氏主題の源平大河に向けてやってもらいたいね。
草燃えるとか義経とか。
まして新平家にそうした社会経済的視座を求めるのはお門違い。
個人的には不満だが、大衆歴史小説準拠の大河にそういうのを求めるのは筋違い。
清盛はオリジナルだからこそ、平家大河でありながら、ささやかとはいえ御恩奉公
にも言及できた。原作ありがーも独善に過ぎない。 いま出せないが、藤九郎のセリフをおたくが紹介してくれ。
本領安堵と新恩給与との使い分けはしなかったものの、つまりは
お前たちの所領は俺が保証するから、奉公に励めという内容だった。
繰り返すが、これは平家清盛のお話なのである。 「平清盛」をより深く理解するための本を挙げてほしい。
中公新書の
源頼朝
河内源氏
は既出かな? ずばりタイトルが平清盛の次の3冊は基本でしょ
1 五味文彦『平清盛』(吉川弘文館)
2 元木泰雄『平清盛の戦い』(角川ソフィア文庫)
3 高橋昌明『平清盛 王朝への挑戦』(平凡社別冊太陽)
1はオーソドックスな見方と叙述。大河清盛がベースとした本かもしれない。
(いわばこれが原作)
2はいわば東の1に対する西からの挑戦の書。多くの点で通説を覆す。
しかし、東の弟子筋はほとんど同意していない。
3は考証が編者。美しい写真や図版が多数。挿入されたコラムも役立つ。
高橋説のエッセンスを編集部がまとめた概説部分は、量的にも最適な上、
清盛が反映させた新しい知見部分を掴むことができる。
歴史の進行についてはオーソドックスで、新説には安易に飛びつかない。
しかし、清盛周りに関しては新しい知見を盛り込むことを躊躇しない。
そんな大河清盛の特徴を踏まえたチョイスです。 【大河ドラマ単回視聴率ワースト20】
第01位 5.0% いだてん 2019年08月25日 第32回「独裁者」 ←New!
第02位 5.9% いだてん 2019年08月11日 第30回「黄金狂時代」
第03位 6.7% いだてん 2019年06月09日 第22回「ヴィーナスの誕生」
第04位 6.9% いだてん 2019年06月16日 第23回「大地」
第05位 7.1% いだてん 2019年04月28日 第16回「ベルリンの壁」
第06位 7.2% いだてん 2019年08月18日 第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」
第07位 7.3% 平清盛 2012年11月18日 第45回「以仁王の令旨」
第08位 7.6% いだてん 2019年07月14日 第27回「替り目」
第09位 7.7% いだてん 2019年05月05日 第17回「いつも2人で」
第10位 7.8% 平清盛 2012年08月05日 第31回「伊豆の流人」
第10位 7.8% いだてん 2019年06月23日 第24回「種まく人」
第10位 7.8% いだてん 2019年07月28日 第28回「走れ大地を」
第10位 7.8% いだてん 2019年08月04日 第29回「夢のカリフォルニア」
第14位 7.9% 平清盛 2012年10月21日 第41回「賽の目の行方」
第14位 7.9% いだてん 2019年07月07日 第26回「明日なき暴走」
第16位 8.5% いだてん 2019年03月31日 第13回「復活」
第16位 8.5% いだてん 2019年06月02日 第21回「櫻の園」
第18位 8.6% いだてん 2019年05月26日 第20回「恋の片道切符」
第18位 8.6% いだてん 2019年06月30日 第25回「時代は変る」
第20位 8.7% いだてん 2019年03月10日 第10回「真夏の夜の夢」
第20位 8.7% いだてん 2019年03月17日 第11回「百年の孤独」
第20位 8.7% いだてん 2019年04月21日 第15回「あゝ結婚」
第20位 8.7% いだてん 2019年05月12日 第18回「愛の夢」
第20位 8.7% いだてん 2019年05月19日 第19回「箱根駅伝」 清盛も言いたい放題叩かれたが、白い粉の量を少なくしたぐらいかな大きな修正点は。
後半、平家の上昇に比例して衣裳等が豪華に綺麗になっていくのは当然のことで、
汚い批判を受けたものではない。
内容的には基本やりたいことを最後まで貫いた。一桁を頻発するようになってからは、
既にテコ入れしようがなかった(すべてが収斂して「一つの物語」が完成していく後半を、
他の誰かが書くなんてできるわけない)。
作家性の強い技巧派であるクドカンいだてんも修正が難しい大河のタイプで、
クドカンの交代はあり得ないし、NHKとしてもそのつもりは毛頭ないだろう。
ただ、批判を受けて不評の落語パートを減らしたというのは本当だろうか。
それでシンプルになって不自然さが解消するならば、元々いらなかったと言われても仕方ない。
こちらも最後まで初志貫徹して、落語パートの存在意義を証明して欲しいところだ。
批判されたので落語パートは控えめにしましたでは、一貫性を放棄することとなり、
低視聴率に落胆する現在のファンが期待する数年後の再評価は覚束ない。
>>861 そです 驚愕の最低視聴率更新ともなれば、連中が芸スポで騒ぐに決まってる。
ついでに、「先駆者」であられる清盛disりが再燃するパターンは如何ともしがたい。
どうしても気になって見てしまって、その都度防衛するのは消耗で情け無い。
可もなし不可もなしで、騒動を封印するに足るそこそこの数字で行って欲しいよいだてん。
結果、7.3を叩きだした以仁王が永遠の伝説であり続けても構わない。
そんな中で、清盛嫌いの人の投稿でないのに反応してしまったのが↓ スンマセン
>後半、スケール小さくなって会話劇が増えたら
>役者陣の演技が良くなったみたいな意見は一致してたと思う
勝手に一致させるな。
平治の乱後、以仁の乱まで合戦がなくなったからといって、スケールが小さくなったことはない。
vs後白河、vs頼朝@鎌倉の2つの軸(落ち目の摂関家パートも健在)を明確に打ち出し、
しかも時空間を緊密に連結し構造化したことで(時間軸ではいわゆる伏線回収、空間軸では
京と鎌倉のシンメトリーと相互作用)、その辺の畳大河とはまるで違う立体感と
ダイナミズムを生み出した(それ自体がスケールの小さな話ではない大事件である
殿下乗合事件や鹿ヶ谷事件や治承クーデターも、前半、中盤からの息の長い線的描写の集大成)。
しかも、治承クーデター後は、ヲタがシェークスピア劇場と呼んだ劇的展開を生みだした。
このどこがチマチマした会話劇なのだ?
また
後半は若手中心となったが、松ケンは老人演技の方が評価は高いし、他にも窪田始め
下手な若手などほとんどいなかった(滋子に問題があったぐらい)。 滋子さんスンマセン
アレを完璧に演じられる女優は世の中にいません 成海璃子は成海璃子しか演じられませんので、悪しからず。 「しらけた」というのはどの点かといいますと、もうずーっと平家の「わが世の春」みたいなのをやってるわけですよね。
それは間違ってないですし、このあと殿下乗合事件があって、鹿ケ谷の陰謀があって、以仁王の乱があって…と、定番の源平ものの流れにのって「驕れる平家は久しからず」という方向で流れていくのはいいんですけど、
じゃあこういうのが、キヨモリがさんざん言ってた「面白く世を生きてえ〜」とか「新しき政をやるゾ〜」とか、そのあたりの夢の実現なのか?
結局、新しき世とかなんとか、口三味線だったんですよね。新しいったって何が?そこ、なにも説明してないし。
日宋貿易とか遣宋使の話も、口で言うだけで具体的な話としてはひとつも出てこない。ウサギ丸(加藤浩次)が三回に一回くらい出てきて、「お前はすげえー、とてつもないやっちゃでえ〜」とかいうだけで、そのあたりをフォローしているわけですか、もしかして。
どこが新しいんだよ、そんな話の。 シゲコノココロハシゲコノモノソシテシゲコノココロハイツモホウオウサマノソバニ(成海チック棒) >>867
もうちょっと中身のあることを整理して書いてよ。
武士の世は、尊氏の美しい世、義経の新しい世(清盛じゃないから)よりずーっと具体的だったよw
面白いは生き方についてね。
面白いとか美しいとかそういう抽象的な言葉は、すべてを具体的に説明したら興ざめで、
主人公の生き様そのものから各人が読み取るべき事柄だ(面白いについては、初回の舞子が
遊びをせんとやについて「解説」した内容が核心だろう。しかしそれも抽象的)。
しっかし、ババアによれば、清盛は「何もしてないのに周りが褒める主人公上げ上げ美化大河」
の典型だというのだから、この世に平行世界なるものが存在すると思わざるを得ない。
もしかして、ブラック企業主さながらの姿勢が兎丸との決別を招いた大輪田泊への執念、
さらに承安の外交なんて超マニアックな過程をやっても、実際に日宋貿易で賑わう現場を
大金かけてロケで再現したりしない限り、日宋貿易の描写はなかったことになるのか?
宿敵西光の息子が宋銭普及に励む姿を描いても(鹿ヶ谷における陰謀合戦の一内容)、
全国の市場で使われてる様子を取材しない限り、口だけで何も描いてないことになるのか?
だいたい遣宋使なんて清盛は派遣してないのだが...(目にクマ作って精勤する徹夜明けの信西が、
清盛に「行けるぞ宋へ」と欣喜雀躍して語る名シーンあり)。 主人公上げ上げの典型は、天地人とかさすがは官兵衛とかもあるけど、
言っちゃ悪いが「真田信繁ー、お主は日ノ本一のツワモノなりー」by景勝
ずーっと秀吉の一付き人してお世話して「文官」やってた信繁殿が、
どういう経緯を辿り日本一の兵に成長したのかさっぱりわからないまま、
大名が最高の武人だって大絶賛してくれたんだからさ。 >>869
だから、清盛のいう「武士の世」って何だったのだ?
大河ではっきり明示したかねえ?
清盛一門は旧態依然とした知行国や荘園獲得競争に明け暮れて、家人らとはしっかりした紐帯を結べず、
官符や院宣なく、己が意思に基づいて動かせる軍勢は僅か。
絹を代表とする布帛や農産物、その他小物成、馬匹で動く経済に、宋銭を入れだしたもんだから、結果的には自らの基盤すら困窮、混乱させた。
これが清盛のいう武士の世か? >時空間を緊密に連結し構造化した
>その辺の畳大河とはまるで違う立体感と
>ダイナミズムを生み出した
ま、こんな歯の浮くような文句、恥ずかしくて書けないわ。
ちと違う見解を示したら、まるで角を出すが如く怒りのレスを書いてくるし。
いくらか握らされてるのかな?
ほんま、ノーベル文学賞に選ばれることを願うよ。 >>872=>>873
しつけーんだよ。自己解決しろや(872)。
お前もたまには抽象化作業しな。具体的にそれはどういうことかについて
裏づけとなることを山ほど書いてきた(873)。 ところでお前は、清盛後半はせせこましくてダイナミズムを欠く平板な畳会話劇
と考えるのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています