【2012年大河ドラマ】平清盛 Part182
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part181
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1540394472/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 元々崇徳に関心を寄せていた井浦であるが、磯Pはそのことを知る由もない。でありながら、
井浦に崇徳のイメージを被らせた磯Pがオファーして実現したのが、この奇跡のキャスティング。
こういうのを一期一会とよぶ。
そして井浦崇徳は最高レベルでNHKに評価された。
美術ヲタであることも重なり、白羽の矢が立った次の大仕事が日曜美術館司会ということだ。
崇徳と司会との間にバーター(事務所絡みの思惑、ごり押し)の関係はない。 >>896
んなきれいごとじゃないよ。
テレビの仕事は。 「セイワ系」とやらは清盛流「武士の世」並みに意味が分からないな。 「平清盛」を超えるとなると、緒形直人の「信長」だな。 >本当に評価されるようなものなら劇的な回復はないにせよジワジワ上げて
>二桁取る回がでるとかにはなっていくぞ
>まあ、いだてんはないやろうけどな
>さんざん言われてた清盛のほうが若干ではあるが再評価されるような始末
さんざん言われたという「批判」の頓珍漢とフェイクと卑劣と中身の無さに、
今となってはビックリさせられる。
それらが暴かれて、クオリティ大河清盛の真価が徐々に浸透しつつあることは、
CS再放送での異例な扱いと盛り上がり、廉価版DVDの好調なセールス、
ツタヤ宅配の奮闘ぶりからも明らかだろう(元々熱いSNSの領域に止まらない)。
ボコボコ状態に陥ったオンエアー時の再評価が、本放送時に同時並行に進むことは基本ない。
少し時間を経て冷静に振り返りつつ再見した場合に生まれるのが再評価であり、その作品の
真価だろう。
(もっとも、いだてんへの川に落ちた犬を殴るほどのネガキャンがなされているようには見えない。
むしろ、文春始めメジャーマスコミからは厚く「保護」され続けている。
この点が、大手から蹂躙され続けた清盛と異なる)。 清盛の「武士の世」が見えなーい。
おたくらの疑問は連中の与太とはぜんぜん違う、ある意味ごもっともなわけ。
なので怒らないでね。
なかなか時間取れなくて、続くはまた後ほど。
もちろん歴史学的に完璧だったはずもなく、大河というフォーマットの制約下で
頑張りましたということ。 >少なくとも、諸行無常を虚しく描くとか、滅びの美学だとか、
>そういう甘っちょろい物語なんかではなかったとは思う。
>むしろ、願いとか夢を真摯に受け継いでいくことを讃える物語では、と。
大変重要な視点。主人公ムリくり上げ上げ大河は格好の餌食とされる一方で、
主人公をワルに描けば名作とする単純な見方に抗してきた。
清盛が武士の世のモデルを作り出し頼朝に引き継がせたこと。及び、今に至る交易国家の礎を築いたこと。
本作が描き出した清盛は、突き詰めればこの2点に集約される。
そしてこの課題に答えるべく、平安の世に同時代人の水準を遥かに超える構想と実行力を持ちえた
清盛の原点を探り、彼の破天荒で躍動的な人生を追跡していった。
清盛が稀にみる歴史上の偉人である所以を、その正の事績に即して描くこと〜
これらの課題に驚くべき水準で答えた大河が清盛だ。
他方で、清盛のブラック化についても綿密な造型がなされた。
第一段階のマキャベリスト清盛については(白河の血が噴出した第二段階での暴君清盛とは異なり)、
清盛の本性を穿つものですらあった。
そうは言っても、大河清盛を今ココでやった意味は、歴史上の清盛が「歴史を推し進めた偉大な男」
であったことを、今に生きる日本人に伝えることにあった。
そこに重点を置くや、よくある主人公上げ美化大河とはならないのが清盛である。 まだ震災後の日程消化大河を擁護するヤツがいるのかよ。いくら史学界の大家の著作を
出してハッタリ効かそうとしても、どこにも俺は海賊王になるなんてないからなw なんでセイワ系はわざわざどうでもいいことをこのスレまで書きに来るのかねえ
本当に頭が悪いな >小兎丸と時政さんと弁慶と白河院が出る #平清盛 #サギデカ 小兎丸成長したなぁ
いかんサギデカ録画し忘れた、凹む。直接の関心は清盛組が多数出演することにあるけれど、
それ以上に題材の今日的リアリティー、そして透明なゆりかごの人のオリジナル作品であることに
そそられる。
原作なしがーたちをギャフンと言わせるオリジナルドラマを、大河に限定せず見たい。
(奇想天外なオリジナル作品、ちかえもんの凄さはその場で即座に理解されたが、
「真価が伝わりにくい」オリジナル清盛はやっと緒についた程度なのです〜なのでまだ頑張らにゃいかん)。
民放でヒット作を連発するスターとは異なる流れから、NHKでの実績を評価されて起用される脚本家は、
重責に応える潜在能力については折り紙つきと言ってよい。
もちろん、実際成功するかは別問題だ。それだけこの2つのハードルは高く、大河の場合は、
多くが視聴率的には討ち死にして罵倒される因果な商売なわけね。 酔ったついでに放言すると、「長編歴史ドラマをまともに書ける脚本家が絶滅してことが
昨今の大河が低迷し続ける最大要因!と断罪する、昔は良かったーたちには恐れ入る。
長大な大河に必要な構成力のような要素を持ち出したら、例外はあれど「昨今の駄作群」の方に
分があり、中でも清盛に匹敵するものは管見の限りない。
また、登場人物たちが発する異常なまでのパトスが清盛の特徴だとする意見に接し、その通りだ、
しかし、ガチガチ理詰めで構成されたこの作品のロゴスにも目を向けてもらいたいと願った次第。 この2つとは、朝ドラと大河のこと。蛇足すぎますけど。 まあ、脚本が脚本がって言い出す奴って脚本家の名前を知らないからな
いまだに持ち出すのがジェームス三木と橋田壽賀子で止まってるし こんな所でクダ巻いてても、純と愛の評価は変わらないぞ遊川w 「サギデカ」より、「これは経費で落ちません」を推しますな。 2話ほど見たが面白かった。
ただよくある話でどうしても見たいドラマまではいかない。 239 日曜8時の名無しさん[] 2019/09/01(日) 20:39:37.02 ID:WyLKnFSE
平成以降の大河の主演俳優を見ると、
・原則、主演俳優が初登場でなく(概ね、重要キャストで大河出演経験あり)、
・例外的に、主演俳優が初登場なら、後の作品でクレジットがトメ又はそれに準じるクラスでキャスティング
となっていた。
このパターンが崩れたのは、キャストを全体的に若くしたとされる「北条時宗」(2001年)で、崩れて以降は、「功名が辻」、「風林火山」、「真田丸」以外、基本的に軽薄な作風。「真田丸」はコメディタッチもありつつも、見せ場は重厚だったかと。
ただ、「いだてん」は中村勘九郎と阿部サダヲがどちらも大河経験ありなのに軽薄で、今後はどうなるのか。
2020年の「麒麟がくる」は、主演が「八重の桜」に出演しているから、初大河ではないので、ちょっと期待してるが…。
★真田丸が重厚なのならば清盛は重すぎて海に沈むよ。
何しろコメディタッチもありつつも、見せ場が重厚ならば軽薄な作風とならないらしい。
青年清盛が調子に乗って海賊王がーと一言叫んだけれど、見せ場は超重厚だらけじゃんか!
このババアの言い草によれば、軽薄大河は一つもないし、実際そうだ。
(花燃ゆなんてニコリとする場面一つない真面目大河)
こういう「昔は良かったーただし風林火山と八重前半と真田丸はー」たちの軽薄ぶりはもう通用しない。 こういうオフィスものー仕事ここでは経理から見たいろんなトラブルや人間関係とかー
ってよくあるドラマじゃないの?
いや滅多に見ないので間違いだったらごめんね。面白かったよ。 >>882
武者って清盛ヲタって聞いてたけど違うのか? 848 ですが、ようやく全話、視聴終了。
スゲー。
何が「スゴい」のかといえば、1話で表現しようとする感情の量とその密度。端的に言えば、世に言う感動映画を、毎回、大河ドラマ枠で見せられてる感じです。
心がグワングワン動かされ、精神的体力が削られるので、観続けるのがキツい時もあり、結構、休み休みの視聴になりました。
なので、アン.チが執拗に批判する理由も想像できるかな、と。第1話なんか、短編映画として単独で上映できるくらいのクオリティがあるので、精神的体力の無い人が観るのは、非常にツライと思われます。
ライト層に対する目配りは、ほとんどなく、テーマ性も強烈なので、非常に敷居が高い。作品から拒否されたと感じる人が、強烈に反発するのは、よく分かる気がします。
まさに、オンリーワン大河で、現代の視聴者、特に働き盛り世代や学生に、どうしても訴えたいものがあるというメッセージ性を感じました。こんな大河、見たことない。(もしかしたら、『獅子の時代』や『黄金の日々』には、あったのかもしれませんが)
続きます。 清盛ってライト寄りじゃない?
歴史知識なくても楽しめるし ≫923 の続きです。
全ての物語作品は、@テーマA筋立てB演出、という欠かせない3つの要素で構成されています。
AとBがハイレベルであれば、とりあえず、面白くはなりますが、@が確固たるものでないと、人の心は動かせません。
『平清盛』が大河ドラマの中で、屹立している所以は、@のメッセージ性が1話から最終話までブレることなく、中心軸としてしっかりあったことです。
「与えられた人生を夢中で生きる」。そうすれば、成功するか、失敗するかはともかくとして、「面白く生きられる」「精一杯生きられる」。これがメインテーマです。
清盛の一見、乱暴に見える性格設定や、繰り返される「遊び〜」のフレーズなど、メインテーマを表現するためには、欠かせないものでした。
清盛のみならず、登場人物のほぼ全ての(あの待賢門院まで)、「生ききった様を表現できたことは、奇跡に近いかもしれません。
言葉にすると、非常に陳腐に見えますが、平安末期と同じように、先が見通せず、途方に暮れている我々にとって、大変、重要なメッセージでもあります。
「夢中で生きる」ことが、社会を変える力にもなるのです。
しかも、『平清盛』は、Aの「筋立て」においても、途中に貼った伏線を、全て無理なく、キレイに回収するという離れ業を行っています。
一例を挙げれば、「無頼の高平太」でなければ、後半の「相国入道」の苦しみは表現でませんでした。
Bの演出に関しても、禿の表現や動物の使い方、何よりも陰影と色(特に赤)を効果的に使った美しい画面作りなど、ため息が漏れるほどの出来に仕上がってます。
真価を知ってもらうには、毎回、解説が必要ですよね。
ほかにも、書きたいことは多々あります(「武士の世」の物語的解釈など)が、疲れたので、この辺で。
それにしても、スゴかった! ≫925 文字化けしたので、修正箇所のみ再投稿。
⒈テーマ2.筋立て3.演出
2.と3.がハイレベルであれば、とりあえず、面白くはなりますが、⒈が確固たるものでないと、人の心は動かせません。
『平清盛』が大河ドラマの中で屹立している所以は、⒈のメッセージ性が、1話から最終話までブレることなく、中心軸としてしっかりあったことです。
こんなところですかね。 ≫926 また、化けた。まあ、文意は伝わるので、いいです…。 まぁ清盛の方が頼朝とか義経より面白いわな
保元・平治があるからさ
だが忠臣蔵みたいに何回もリメイクしたほうがいいわ
取り敢えず松山ケンイチ版は明らかに駄作
歴史秘話ヒストリアのレベル >>924
ふつう反対のことを言われるね。前提知識がないと苦しいとか、あらゆる方面でとんがっていたとか。
馴染みのない院政期が対象だった上に情報量が多かったから、あの時代の知識があればいっそう楽しめるし、
アレンジや創作部分の脚本・演出の意図も理解しやすい。このことは確か。
とはいえ、象徴表現を多用する各部分を解釈し、多元的な構成と伏線により時空間を連結させた意味の全体構造を鳥瞰し、
それらを通じた(フィクションとしての)一つの物語を把握する作業は、一筋縄ではいかない難しさを伴った。
他方で、出来事を断片化せずストーリー的には一つ一つ丁寧に進行していったため、何をやってるか迷子になる
ような話ではなかった(大河頻出のいきなりは基本ない)。
だから「ライト」な視聴者だって頑張って集中して見続ければ、面白いと思ってもらえるだけの「分かりやすさ」も
実は兼ね備えていた。
つまり、ながら見以上のちょっとした努力を惜しまない(勉強しながら見ろなんて要求できない)ライトにもフレンドリーな、
しかしガチヲタ向け大河だったってこと。 >>928
明らかと啖呵切った以上、明らかにしろよ!
何も明らかになってないw そんで爺さんだか婆さんだか、40年以上も前の新平家をリアタイしたんか?
大好きな保元の乱、平治の乱がズズッと清盛より優れていた所以を熱く語ってくれ!
総集編でしか知らないけど、祇園社事件にしろ徳子入内にしろ、歴史上の大事件がもった
歴史的意味をまるで捉え損なった「お涙頂戴」ドラマに終始していた。
さらに言いたくないが、「女たちの平家」原作の義経の平家パートのがよっぽど充実してたー
だから平治の乱後の展開は大河義経でお口直ししてねー
こんな途方もない与太が、自称歴ヲタブロガー&ツイッタラーたちが牛耳る2ちゃんの「通説」だったの。
いやはやいやはや・・・ >>921
経理メインは、連続ものとしては寡聞にして知らない。
宗尊親王が経理部長で出演。3話以降で重職らしい活躍ぶりを見せるので、なかなか。 >>929
ガチオタ向けであり、時空間を超えたガチホモ向け大河でもあった。 >>930
まずドラマになってないな
歴史絵巻の群像劇
年表を漫然と映像化しただけだからタイトルは平清盛じゃなくて方丈記
心理描写が不充分で歴史上のイベントを追随しているだけ
如何に脚本家が無能かわかる
こんなもん誰も興味持たないわ 完全に清盛個人の成長と栄枯盛衰を描いた作品なのに、それが群像劇に見えるって事は他の人物描写も完璧に上手くいってたって事だな 他の人物描写も清盛同様にしつこく描いたから散漫なんだろアホ
普通の時代劇なら割愛していい奴まで出番多い
全員登場シーン増やして何やってんだかな 濃いキャラがいっぱいいると散漫劇になる・・・
自分の散漫脳を嘆いた方がよろしいかと。。。 >まずドラマになってないな
清盛の画期となった出来事に関しては、ダイジェストで済ましたり、ましてナレでサラッと
あしらうことはせずに、そこから分厚いドラマを引き出す姿勢で一貫していた。
たとえば、大宰大弐就任、滋子入内、大病出家。
「清盛の大一番」「滋子の婚礼」「白河院伝言」回は、箸休めどころではない重要性を担った。
これらの歴史的意義をきちんと捉えて人間ドラマへと昇華した作り手のセンスに脱帽した。
(平凡な中休み回は清盛には無縁)
>心理描写が不十分
そういえば、この過剰なまでに心理劇風歴史ドラマであった清盛に対して、歴史そっちのけで
心理劇やってたと総括したどっかの先生のコメントが週刊新潮に載ってた。
真相はといえば、清盛が発した強烈なパトスは〔歴史劇そのもの〕から生じる不可分一体のものであった。
南極に、清盛は歴史を捨象した心理ドラマという連中がいて(リテラシーナンチャラ)、
北極に、清盛は史実をなぞるで精一杯の年表ドラマという連中がおり(のぐちナンチャラ)、
この興味深い対照が示すことは、つまるところ清盛は分厚い心理劇風歴史ドラマであったこと
の証左に他ならないと、かつて述べた。
物事の一断面しか見ないと、このような真逆のリアクションが生じうる。
>歴史絵巻の群像劇
その通りです。
>年表を漫然と映像化しただけ
漫然とではなく「時空間を往還する年表ドラマ」とした結果、出来事時系列で置いていく
昔は良かったーとは似ても似つかぬオリジナリティに充ちた「物語性」を獲得したのでした。 なつぞらを見て思った。
天陽くんのように、ジャガイモ畑は無理でも、海で仰向けに倒れて死ねばよかったね。
清盛は。熱病だし。 >>938
濃いキャラじゃねえだろ
知ったか(笑)
濃いキャスティングにしたのがおかしいんだよ
本当に頭悪いドラマだな
NHKがなくなる日まで叩かれたらいいww シニアが選ぶトップ何選とかが発表されて、芸スポで連中が大騒ぎしている。
善男善女が選ぶ大河に清盛が来ないのは合点がいくし、篤姫、真田丸、独眼竜が
ベスト3というのもまあ予定調和の世界だろう。
そこに連中が「昔は良かったー、ただし以下ry」となるのもお約束の通常運転。
もちろん清盛は罵倒、冷笑の対象でしかない。他方でトンデモなねつ造も荒唐無稽も、
昔は良かったーのただ一点で無罪放免しつつ、江さんなんかを決して許さない。
よく飽きないねおたくら。 >>944
清盛周りが薄いキャラであったことをお前が語れ! 平家なら忠盛、清盛、時忠以外は押し並べて小物の描かれぶり。 小物を小物として、また欠点弱点を隠さず描いたことを言ってるのではなく、
「周りを下げて清盛を上げ上げしたー」と言いたいのだろう。
ちゃんと名前を上げて、その人物の真価が不当に下げられて小物化されたことを述べろ。
正盛、忠正、家盛、頼盛、経盛、教盛、宗子、時子、重盛、宗盛、知盛、重衡、徳子
盛国、家貞、忠清、兎丸、西行、
白河、祇園女御、鳥羽、崇徳、後白河、信西、家成、西光、成親、信頼
忠実、忠通、頼長、基房、たまこ、なりこ、八条院、以仁
為義、義朝、由良、常盤、頼朝、政子、時政、義経、弁慶、頼政 ああ成親→重盛の「この小物めがー」を思い出してしまった。
成親の口を借りたこの政治家(×人間性)重盛への辛辣な評価は、本作のキモの一つ。
(重盛フリークのおばさんたちは激怒するだろうけれど)
清濁併せ呑む、しかし文武双方特記事項なしの清盛と対比された、
ひたすら清き「正しすぎる」by時忠文武両道重盛の限界性。。
これもまた、「賢人重盛が生きていたらー」の平家物語史観に対して、大河清盛が異論を唱えた
果敢な反逆の一つである。 家盛→頼長とのアレで急上昇するも棟梁の器にあらず。悲劇のナイスガイ。
頼盛→不満タラタラで歯向かうも清盛の雄大な福原構想に最終的に屈服。史実。
経教→二人合わせて一丁前by時忠←壇ノ浦一緒に入水した史実。
鳥羽→優柔不断。
西光→信西門下生でありながら信西のエピゴーネンに止まり、清盛が示した応用力に欠けた。
成親→コバンザメ蝙蝠男。自覚していたところが何とも。
後白河→ラスボス。しかし政治家としては信西が評した通りボンクラであった(清盛の輸入品の中で、
君主必携本のみあいつには関係ないからといって自分のものとする信西w)
頼長→天下の大秀才でありながら頭コチコチの法家で、現実対処能力に欠けた(鸚鵡を手放さず右往左往する滑稽さ!)。
基房→やや戯画的に下げられた嫌いがあるけれど、初回の威張りようから忠通が一身で表現した摂関家の
凋落を受けて登場し、摂関家領横領事件や治承クーデターでのやられようからすれば、理に適った造型であった。
為義→ご存知愛すべきダメ義さん。しかし、源氏の矜持を失わず最後まで頑張った姿に打たれる。
義朝→強き人生を標榜した男は脆かった。。。
ざっとこんな感じ。こうういのを「清盛上げのために(彼自身、物語的には初期も晩年もかなーり下げられたんですけどね)
不当に小物化し貶めた」というのだろうか? 信頼も伝統的な「武にも文にもあらず。ただあさましきご寵愛にて」に依拠してた。
実は優秀だったーとはとても思えないこの人物について、西の先生は異議を唱えるのだが、
やっぱり無能であったと強調する本郷初め東の弟子筋に靡く者はいない。
こういう学説状況のもと、清盛大河が信頼の人物像を更新する必要などどこにもない。
小物信頼描写のために、さらにデブだった由を投影させるために塚地氏を起用した
センスも特筆ものだろう。塚地さんホントすんません。 >>948は文盲
小物を小物として、また欠点弱点を隠さず描いたことを言ってるのではなく、
「周りを下げて清盛を上げ上げしたー」と言いたいのだろう。
どのレスをどう読んだらこういう解釈になるのか同じぐらい長文書いて説明してみやがれ。
病室からレスしてんじゃねぇかって思うぐらいのアホ… 家人との主従関係についてもタイプの異なる様々なヴァリエーションを用意した清盛にあって
(盛国、兎丸、時忠、忠清)、
盛国はその冷静沈着な判断と行動によって、筆頭家人に相応しい存在感を示した。
一方で、ただでさえ寡黙な彼は、清盛の変貌ぶりを憂慮しつつも、漁師から武士の身分に
引き立ててくれた清盛への心酔から
(土地を媒介とする即物的なそれとは異なる情誼的主従関係)グッと堪え続け、
ややもするとイエスマン化して的確なストッパー役を務められないジレンマに陥ってしまった。
そんな彼が兎丸の離反を受けて、白河の庶民いじめ政策の犠牲となった父を持ち出して、
人道を顧みないブラック企業主清盛への婉曲的な諫言に及んだシーンは痛々しかった。
それでも、修羅の道を歩む清盛の決意に接して改めて清盛に殉ずる決意を固めるなど、
清盛に対する忠義は終生些かも揺らぐことはなかった。
こういう盛国だからこそ、あのヤメヨーが強烈な効果を持ったのであり、
最終回の「盛国、いいや鱸丸」に多くの人間が涙腺を決壊させたのである。
ところが、この盛国に対して「盛国をただの置物にしたー、アタシの上川さんどーしてくれるよのー()」
とババアが大騒ぎしたのだから世も末、目が・
さすがに盛国は、おしなべて小物に描いたという一人ではないよな?
ともかく、ぐじゃぐじゃ言わず、そちらがそれぞれの小物ぶりを語れば良いだけ>>956 この大河って源平合戦は小物同士でイチャついてただけという史観だろ。 【コピペ】小物ですか?
鱸丸=盛国のキモは、一介の漁師を武士に引き立ててくれ、あまつさえ筆頭家人へととりたててくれた清盛への生涯変わらぬ感謝の念と、
二人の一心同体ともいえる強い絆にあった。
・破格の待遇に応えようと立派な武士になるべく刻苦精励、さっそく学問をマスターし子供たちの師匠となる。
・さらりと藤原氏の歴史を講釈して「お前なんでそんなこと知ってるんだ」と清盛を驚かす。
・沈着冷静、謙虚な姿勢で清盛を精神的にサポート(でしゃばらない)。要所で的確な判断を下す他、一門の調整役でもある。
・崇徳の怨霊パワーで荒れ狂う海、沈没寸前の船を屈強な「鱸丸」に立ち戻り操舵して危機を脱する。
・寸白で瀕死の清盛の枕元に寄り添い、周囲が止めるのも聞かずに看病。殿の死は自分の死であると。
・修羅の道を歩み始めた清盛に婉曲話法で諫言しつつも(非人道的な大輪田普請)、覚悟を決めた清盛との運命共同体の生き方を選ぶ。
・反面イエスマンの危険性〜清盛との強い一体性ゆえ(情誼的主従関係)迷走し始めた清盛のストッパー役
としてはあまり機能せず(cf直言する重盛、西行)。
・それゆえこそ効果満点だった大音声ヤメヨーのど迫力。これは清盛自身に突き刺さったのである。
・同じ忠臣ながらタイプの異なる侍大将忠清との対比(時を隔てて胸ドンしあった両者は共にビクともせず、変わらぬ忠臣ぶりを披露)。
・清盛に殉じた最後〜壇ノ浦の段階で生ける屍となり戦闘意欲ゼロ、鎌倉移送後食をたって自害。
・積み上げられた清盛との関係描写ゆえ、清盛の遺言(「いいや鱸丸」)と盛国の応答はすこぶる感動的なものとなった。 源平については、史実を投影することを基本に、デフォルメを加えつつ世代間の力関係の推移を
反比例の関係に寄せたシンメトリックな幾何学文様で描いたことが特徴的。
(向こうが落ち目となるとこちらは上がり目。忠盛vs為義、清盛vs義朝、清盛vs頼朝すべてがそう)
忠盛が鳥羽院との癒着を深めて躍進した時、うだつの上がらない源氏の棟梁為義は、
地を這ってまでも源氏再興のために泥臭く生きようと決意し、摂関家頼長への従属を深めた。
海賊討伐のために西へ向かって意気揚々の清盛を横目に、期するところのある義朝は
東へと下向し、ヒャッハー生活を経て源氏の勢力を東国に扶殖することに成功、
ついに京に凱旋し鳥羽の近臣となり貴族社会の仲間入りを果たした。
上昇気流に乗り保元の乱で勝利した義朝であったが、恩賞等への不満と焦りを起因と
する拙速かつ軽はずみなクーデターによって身をほろぼした(平治の乱)。
助命されたとはいえ頼朝はすべてを失い、グランドゼロの地平から再起を余儀なくされた
青白い孤独な流人であった。
そして八重姫との子を失った時、彼はゼロどころではなく地獄の苦しみに落ちた(マイナスポイント)。
そしてその時、清盛平家は絶頂を迎えていたのだ。
しかし、平家が傾き始めた鹿ヶ谷のその頃、契った政子から生命力を注入された頼朝は、
にわかに東国武士の逞しさを身につけていき、遂には平家を滅ぼした。
★平家が小物で源氏も小物???そういうくだらない二元論自体に与することはなかった清盛にあって、
あえていえば、源平は宿命のライバルであり、弱点を抱えたという点ではいずれも小物、
高い志を掲げてもがいて歴史を切り拓いた点ではどちらも大物である。
弱点がない人間などいないことに鑑みれば、清盛は見方にも敵にも同様のリスペクトを払った大河
といえるだろう。 で、清盛自身は結局何がしたかったんだ?
そして、何をなし得たのか。 たまにはお前が10行ぐらい解説しろ。
清盛はなーんも考えてない甘ちゃんで何も成し遂げてないと。
歴史とドラマ双方に目配りして。
なーんも碌なこと言いもしないでただ難癖をワンフレーズするだけ。
惨めなんだよお前、おやぬみ 敗北した>>963の独り言でした
てめぇのブログでやれ
スレを埋めるな
おまえのゴミ捨て場じゃないんだぞ おいおい何発狂してるんだw
俺はブログもツイッターもやってないしやらない。
渋沢栄一が来るとは思わなんだが、大森美香氏は絶対来ると予想していた。
朝ドラ「あさが来た」で好評を博し力量を評価され、「北斎の娘」は
いわば大河に耐えられるかどうかのテスト作。
見事合格したということだろう。
資本家嫌いのサヨクな小生としては、今の資本制社会の惨状に反省を迫る
明治大資本家渋沢翁の巨大な人間像に迫って欲しい。 吉沢君って天陽くんか。。
ぜんぜん知らないまま番宣で横顔見て、すずちゃんより美女を出して良いの?
ってピンボケてたw
国宝級イケメンさんガンガッて ああ、しかしこれも新札発行のタイミングに阿る国策大河かもね。
花も湯、西郷、いだてん、そして青天・・・
中身はそんなことないにせよ、大河選出過程の胡散臭さは否定しようもなくなってきた。
こんな疑念を生じる題材選びはやるべきではないし、いよいよN国のような末人たちの
跋扈跳梁を許してしまう。
でも応援すっから ラジオのニュースで聞いたんで、一瞬吉沢悠が主演だと勘違いした >>965
発狂してんのはおまえだキチガイ
このスレに長文で何連投したんだよゴミ >生きるということ→心の軸・体の軸について第1話でレクチャー。
>かるーく聞き流してたけど、これが終盤の重要な場面に繋がってるとはね。
>2周目だとこの時点で涙なしには見れないっす。もぉムリ。
「もはや平家にあらず、武士にあらず」と決死の諫言に及んだ忠清に宋剣を振り上げたものの、
その重みに耐えられず清盛はヘナヘナと尻もちをついた
(頼朝挙兵によって目を覚ましたステージであるが、心の軸、体軸ともまだ戻っていない
〜いわばリハビリ途中の清盛)。振り返るに、
死にたくなければ強くなれ!と忠盛に尻を叩かれた清盛は、宋剣を自家薬籠とすべく必死で鍛錬した。
この場面が2度3度挿入されたことを想起すべき。その延長線上に忠盛死去回で清盛は、
軽々と宋剣を自在に操ることができるようになったと自負し、しかもこれは武士の世を実現するためだと
力強く宣言したのだった(強うなったな清盛〜右紆余曲折を経た棟梁交代劇がここで決着)。
こうした「清盛と宋剣」描写を記憶している者にとっては、この尻もち場面はたいそう衝撃的であった。
さらに軸問題といえば、
・小舟を操った鱸丸が出世して、怨霊崇徳によって荒れ狂う海に浮かんだ大船を、変わらぬ体の軸を
発揮して操舵、清盛を助けたこと
・海賊を甘く見た忠清に、海の怖さを訴えて胸ドンされた鱸丸が、立場を逆転させて忠清に
「これまで通り殿にお仕えせよ」と胸ドンしたシーン(いずれもビクともせず)
も見逃せない。
1話で提起された心の軸、体の軸の射程は、終盤のみならずとんでもなく広かった。。。 清盛がひたすらに目指したのは、家門の繁栄に尽きる。
即ち私利私欲。
決して「武士の世」を構想していた訳ではない。
武士とは己が領分を固く守り、あわよくば勢力を拡大したいと考えるものであるから、逆説的には武士らしいとも言えるが。 成親の中の人が大河主演やったって驚かないよ。あるはずないが力量において遜色ないので。
演技力だけでは決まらない世界とはいえ、マスコミからヨイショされた大河主演者は引っ張りダコ、
反面どんなに素晴らしい演技で応えても、マスコミ的には低視聴率=駄作大河だったばかりに
キャリアを失う、あるいはホップステップのチャンスを逃す、といった事態は好ましくない
(朝ドラも同じ)。
幸い低視聴率の代名詞だった清盛は、松ケンがそれなりの「制裁」を受けたものの、
中堅若手にとっては今の飛躍に繋がる最高の一里塚となった。
忘れてしまいたい黒歴史どころか、クオリティ大河清盛に出演したことは彼らの勲章なのだ。
そんな中で若干残念なのが、見事な院の近臣演技を披露した西光、成親の中の人、そして
南都焼き討ちでKYした重衡お兄さん。もっともっと売れて欲しい。 セイワ系はなんで毎日わざわざこんなところまで荒らしに来るわけ? 松ケンって清盛の後も普通に映画やドラマの主役演ってたぞ 「炎立つ」で、河内源氏源頼義、義家親子が魅了された陸奥国。
黄金だけでなく、馬や漆、練絹、アザラシの皮、豊富な海産物を邦内外に商い、富裕を極めており、それを我が手にすることで更なる武力を養う野望を夢見た。
陸奥の広大さや物産、文物の豊かさから、彼らは陸奥国を全国の縮図に見立て、これを経略することに腐心しただろう。
しかし、前九年の役勝利の代償として出羽仙北三郡に蟠踞する清原氏に屈辱を味わわされ、第一部最後では二人とも陸奥からは離されてしまう。
第二部となり、義家は清原真衡やその眷属、夫婦養子の海道成衡らを謀略で見事に葬る。
二部その最終話で、義家が清原清衡との会話でぶちまけたように、腐敗した都と公卿は荘園の上がりにしがみつき、自身は何ら手を汚してはいない。
実際に土地に根を張り、開墾し、武力をもってこれを守る武士こそが公家どもを荘園から断ち切り、追い払い、実際に全国を運営していける力を持つ。
この時点で、義家は武士の世を構想し、その到来を確信していたが、それを信じなかった清衡に危険視され、朝廷工作の果てにまたも陸奥を追われてしまう。
しかも、後三年の役での官符発給を得ず、かつ後々まで年貢を催促されるお負け付きだが、これはまあ置く。
詳細はさておき、昔の大河「炎立つ」では明確に「武士の世」プロットが示された。
それに引き換え、「平清盛」でやったのは王家や摂関家、落魄した源氏との権力争いじゃないかな。
清盛はそれに勝利し、確かに知行国は増えて、一門からは公卿がたくさん輩出された。
しかし、これ自体は権力闘争の果てに辿り着いた終着地であり、院や摂関家の看板が武家出身者に変わりましたというだけのもの。
いわゆる「武士の世」と直接にはつながらないと考える。 ほお、前9年の時代、奥州の騒乱から義家は武士の世を展望してたんだ。
一族相食む野蛮な河内源氏が、その頃からそんな雄大な展望をもってたなんて知らなんだ。
画期的な大発見だから論文でも発表してくれ。 >>975
今でも芸スポなんかでは消えたことにされてるが、実際はその通り。
俺はディミヌエンドと表現した。
本来はさらに突っ走ることができたのに、多少足踏みを余儀なくされたということね。 起業家スティーブ・ジョッブズこと清盛が描いたグランドデザインを執行した
大企業の執行役員頼朝。
しかし、武士の世を構想し地ならしをしたのは、何代も前のご先祖様義家だったー!
「歴史の真実」とは別に、炎立つはそんな社会経済史をテーマとしたドラマだったかなー。
だいぶ忘れてしまったので見直さないとね! 清盛が、藤本がと何でもかんでも持ち上げりゃいいってものではない。
男芸者じゃあるまいし。
だいたい、興行的には痛い失敗。
あと、昔の大河でも、手の込んでいる名作はちゃんとある。 >>977
平氏でも流派によっては身内の争いが絶えない。
板東平氏やその流れを組む北条氏がよい例。
伊勢平氏だとて、弱小な忠正は、巨富を築いた忠盛、清盛らとは早い段階で不和であったとされる。
あと、でかい蓋になった清盛がくたばったら、清盛の子孫らは戦線離脱するなど、まとまらなかった。 >>981
昔は良かったーのジジイやらババアがちゃんとドラマの場面を引用して、
歴史との接合やらアレンジやら全体の中での位置づけを語れば良いじゃん。
お前らは一切それをしない。できないのか? 義家の武家政権構想とか、貴族旧体制をどのようにどの程度弱めていったのかについて、
炎立つに即して教えてくれよ。 亀だけど9月7日に放送したブラタモリ#142「京都御所」は清盛ファンにも興味深い内容だった。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1081/2009139/index.html
同番組によると、平安時代の中期から以降、平安京には地形の大きな変化が起きたのだそうだ。
右京を流れる川は河床が上がり天井川化して、洪水時の冠水期間が長くなった。逆に左京では
鴨川の河床が下がり、つまり川底がえぐられ「河岸段丘」ができ、洪水時の冠水期間が短くなる。
かくして右京では住民が消え荒廃し、逆に左京へ集住が進み中世都市京都の原型ができあがる。
保元の乱の時、高松殿(=後白河天皇が暮らしてた里内裏、平清盛や源義朝が集結した場所)は
なぜ左京三条三坊三町にあったのか、やっと合理的な説明を見つけたように感じた。 >>985
右京が住み辛くて寂れたのは、小学館のまんが日本の歴史にも記述があるな。 >>986
もっと正確に書き直せば、左京はなかなか洪水が起きない地帯に変身した。
最新の研究が小学館まんが日本の歴史に反映してるかどうかは知らない。
ついでに、今日放送のヒストリアは「ここがスゴイ!承久の乱」であります。
これもまた清盛後日談としてとても重要な史実。
武家政権が存続するか終わるかの天下分け目の戦いだったので。
https://www4.nhk.or.jp/historia/x/2019-09-11/21/22654/1458393/ 次スレは
重複スレのpart177を
実質part183として再利用するってことで
ええんかのう
新スレ立てなくてよくなるし
リサイクル精神で >>988
テンプレもなく、1行アラシがいっぱい書きこんでる。あそこはいかんよ。
そんな荒廃したスレを再利用するぐらいなら、新スレを立てたほうがよっぽどまし。 渋沢の晩年がもつ重みについては正直知らない。
功なり名遂げた後の名誉職がやるような民間外交や慈善事業だったのか、
歴史的にも特筆すべき業績なのか。
吉沢くんが誰かにバトンタッチする可能性は、清盛他と同様考えにくい一方で、
90歳近くまで演じるとも思えないし無理。どこで切り上げるか興味深い。
反対に、清盛物語は肉体の死によっては完結しなかった。最終回はすべて完結へ向けた
アンサーなのである。逆に、清盛とは無関係な事後譚ー源平合戦を垂れ流すことを峻拒した。
稀に見る密度を誇る最終回は、この絶妙なバランスがもたらした成果である。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。