【第三十八回】太平記part.38『一天両帝』
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今日の「徹子の部屋」は後藤久美子
太平記の話は出ないだろうな
というより、出演したこと忘れてそう >>264
さっさと質問に答えろよ
石塔氏の由来はやく、やくめでしょ >>259
正行が四條畷で戦没する直前に出たかもと思ったが親房と廉子だけだったかな… >>268
いや、出ていない
中村繁之の正行になってからは、藤真利子出てない 正行って総集編では成人後のシーン全カットなんだよな 勾当内侍役の宮崎萬純
勾当内侍は、むしろ義貞が亡くなってから、じっくり描かれるみたいですね
ストーリーブックにはそうあるけど、実際 途中送信してしまった
実際は義貞の死後は、出てこなかった 正行は顕家を亡くした親房の嫉妬で死地に向かったような感じにもなってたな 親房は、お前も討ち死にせえやと言わんばかりにネットリと絡んでた でもまあ後醍醐帝なき後の南朝が親房で持っていたことはよく分かる感じになっていたな 逆に親房をもっと早く排除できていたら一天平安だった 親房は護良親王派
最初は、廉子と仲が悪かったが、後醍醐の死後は「ジュコウさま」と呼ぶなど、すっかり仲良くなっていた >>279
北朝方で観応の擾乱の原因となる対立が顕在化するより前の時点でそれが出来たら・・・という条件付きだろうけどね ドラマは別として、
親房は南朝の中において主戦派という訳でもないんじゃないかな 親房は奥州時代から自らが推戴していた後村上(義良)との個人的な結び付きで南朝陣営にいるんじゃないかな? 32回「藤夜叉死す」を見た
ドラマではこうなってるが、史実では尊氏と直冬の母の関係ってどうなってるんだろうと
ふと思った >>286
身分の低い女(遊女とか)と遊びで寝たら、妊娠した、子供を認知しろとしつこく迫られて、
尊氏のほうがげんなりして逃げ回っていた、といったところではないかな。
「本当に俺の子か?」という疑念が最後まであったんでしょう。 >>288
ありがとう 話は変わるけど、
34回「尊氏追討」
師直「殿、お通しいたしませんぞ」
この中に大高重成もいるのだが、大高は尊氏と直義が戦って直義が勝った時に、
直義の肩を持って尊氏をこき下ろしていた 愚管抄に感化されたのかな親房は。南朝の正統性を主張しないと自分のやってきたことが否定されてしまうし。北朝にいても西園寺や五摂家を超えることはできないし。南朝にいたら源氏の長者にもなれるしね 正行の弟の正儀が進めていた北朝との和議をぶち壊したのは親房卿ら公家でないの? 楠木の一族でも講和派は少なくて、正儀は支持基盤弱かったから
もともと無理な話だったのではないかな >>293
親房の『神皇正統記』は、院政を批判する一方で、摂関家中心の公家の家格秩序には
基本的にプラス評価だから、摂関家や清華家を自らが乗り越える気はないよ
南朝に身を投じた後もずっと大納言(亜相)のままだし 記録を見ると南朝の関白もしっかり近衛と二条が務めているね。摂関家の力おそるべし。 そりゃあんた、それだけが五摂家のレーゾンデートルなんだから
五摂家以外で関白になったのって秀吉と秀次だけだろ >>290
勾当内侍は義貞の死後は登場していない
高師直との接点もない 師直が手を出したのは塩谷貞の妻 赤橋守時役の勝野洋は、「信長 キングオブジパング」には細川藤孝役で出演
2年連続で、大河に出たんだな 大河の常連だね
最近だと村上新悟の4年連続ってのもあるけど >>300
大河の太平記に塩谷貞の妻は登場しない
大河「太平記」で高師直が高貴な姫をさらってきて犯し
自分の愛人にしていたのは二条の君
関白二条道平の妹という設定の架空人物
二条の君は実は南朝方で師直と尊氏を仲違いさせようとした >>307
いや、登場してる
師直の讒言で塩谷が討伐され、妻も後を追って自害 × 塩谷
○ 塩冶
塩谷(しおや)は、初回に登場した吉見の残党の塩谷宗春。
塩冶(えんや)は、終盤に登場して師直とトラブる佐々木一族の塩冶高貞。
このドラマには佐々木(塩冶)高貞本人もその妻もしっかり登場しているし、師直が高貞の妻の入浴を覗いているようなシーンもある。 楠木正成がゲームキャラになっててワロタw
楠木の役やったことあるのは鉄矢以外にいる? 義詮が上洛と入れ替わりに、基氏が鎌倉に下っているが、
ナレーションでもそのことに触れていないのが残念
基氏自体は、1回だけとはいえ登場してるのに 塩冶に恋文をバラされて周囲の人にプークスクスされて何がおかしい!とぶち切れてたな 入間川殿か
義詮基氏と兄弟そろって早死にだったんだよな
もし基氏が義詮より長生きしていたら、その子孫みたいに将軍の座を狙ったりしたのかな 基氏の「基」の字はやっぱり清和源氏の先祖の源経基からとったのかな? Henkipediaの出番だな
経基王はさすがに遡りすぎ、かつ義経は河内源氏には不吉だからないだろう
当時どこかの摂関家から一字貰ったと考えるのが自然な流れかと でも義満の「満」も本当は源満仲の名前からでしょう?
あと基氏の名前に義経は関係ないのでは? >>305
あれはかつて大河で主役演じた光秀役のオマージュ出演だね >>318
この「太平記」では尊氏が名付けていたな、義満 摂関家の当主の諱も、奈良〜平安期の藤原北家の歴代の名前から一字拝借してくること多いよね 来月、吉川弘文館の人物叢書で「二条良基」出るけど、
二条って、この時代の人物なんだ
ドラマには出なかったけど >>324
足利基氏が?
そうか、関白からの偏諱か 田辺久子著「関東公方足利氏四代」という本では、
今川基氏という人物の名をあげてる
先祖ゆかりの「氏」の字を基氏に授けた、と書いてる
基氏の「氏」の字は父尊氏の「氏」なのは間違いなかろう >>307
おお!
都で拾ってきた!→師直愕然
あれ、二条の君か、次の登場ではすっかり奥方に収まってたからわからなかった
モヤモヤがひとつ消えた、ありがとう >>327
>>307は、塩冶貞が「太平記」に登場していないというポカやってるけどな >>322
摂関家の先祖で「基」といえば藤原基経だろ
>>324
そもそも偏諱を与えるって武家の風習なので、摂関家当主が尊氏の子供に偏諱を与えるというのは意味不明 >>326
あの今川了俊も、自分の祖父である今川基氏と、鎌倉公方の基氏が同名なのは、家門の誉れみたいなことをいってるよね
確か細川頼元の初名も「頼基」だったはずだし、足利一門に割りと使われる字なんだよな >>328
さらにいえば二条道平の妹で、師直に盗み出された女性って、
>>307のいうような完全に架空の人物というわけでもないけどな
師直の子供で美男子として尊氏に愛されたことでも有名な師夏の生母は、実際に二条関白の妹とされるわけで >>332
本名が疑問な人物よね
当初の諱は直宣であったが[1]、尊氏より偏諱を受けて尊宣を名乗る[2]。『園太暦』では氏直としている[2]。
後醍醐帝からもらった字を人にやるのはセーフなの?
前に誰か書いてたけど なんで家臣の、しかも吉良の分家の今川から偏諱受けなきゃいけないのよ、逆でしょうよ。斯波なら前例があるけどさ、これはまた別の話。事実上天下人の尊氏の息子だよ。直冬のように他に養子にやったわけでもないし。
二条良基ならなんか納得するけどな〜。当時は公家から武家への偏諱はなかったのかな?義満から公家へはあったけど。 そもそも公家に偏諱授受の慣習を持ち込んだのは義満
それ以前の公家社会にはその慣習はない
後醍醐から尊氏への偏諱は新儀を平気でやる後醍醐だからこその例外
あと偏諱は立場の上の者から下の者という意識が広まるのも義満以降
それ以前の武家社会では偏諱は単に烏帽子親と烏帽子子の連帯を示すものに過ぎない
但し今川基氏と鎌倉公方基氏が同名なのは単なる偶然
今川基氏は足利基氏が元服する遥か以前に没している 容貌当代無双の児って公式史書に書かれるって
どんだけイケメンだったんだよという そういえば、義詮の「詮」の字は、祇園社(現八坂神社)の神職である
宝寿院顕詮(『祇園執行日記』の記主として有名)の名前から来ているという説もあるよな。 人物叢書「足利直冬」読んだ
直冬の幼名は「新熊野」だそうだが、太平記では不知哉丸だったな
不知哉丸というのは作者の創作なのかな? 完全版DVD順番に見てる
鎌倉幕府滅亡後に、登子が義貞と会っているシーンがあるが、
登子にとって義貞は、実家の北条氏を滅ぼした人物
実際にそんな場面があったとしたら、登子の胸中は複雑だったろうな 字幕付きでBlu-rayBOX出れば買うんだがなー
ほんとはBSで再放送やってほしい この「太平記」では尊氏と正成は面識があるけど、実際はどうだったのかな?
湊川の戦いの前に正成は、後醍醐に尊氏と和睦するよう進言してるから、
面識あってもおかしくないが 義貞「鎌倉を攻めるぞ。我に続けぇ!」
関東御家人「………。」
千寿王「かまくらをちぇめるじょ。われにちゅぢゅけぇ!」
関東御家人「うおおおおおおおおおおおおおお千寿王さまーーーーっ!!!」
なぜなのか 毛利元就の南北朝時代の祖先毛利時親は、楠木正成の兵法の師匠という噂があり
この時代に河内に住んでたか?所領があって
幕末明治に長州閥が創作したのかもしれんが
吉川英治の原作でも登場してた記憶があり、師匠というよりペテン師みたいな存在だった
毛利時親は大河でも登場してたのかな?出てた記憶がない >>344
建武政権の時期に朝廷内で顔を合わせたことくらいは実際にあるだろ ミネルヴァ書房では、
護良親王、足利直義 発売中
後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏、足利義詮 刊行予定
「人物叢書」では、上記の内、刊行予定は尊氏、直義のみ
南北朝時代では、ミネルヴァ書房の方が充実しているな >>348
ミネルヴァ書房の日本評伝選からは南北朝関係では光厳天皇、新田義貞も出ている。
特に光厳天皇は一般向けの本で取り上げられることが少ないので貴重。 >>346
なんでこんなにつまらん文書けるの?
「毛利時親って出てた?」
10文字で収まるのに >>349
「新田義貞」は人物叢書も出ているね
2冊読み比べるのも面白い 連投スマン
光厳天皇の本としては、吉川弘文館から「地獄を二度も見た天皇 光厳院」が出ている 人物叢書とミネルヴァはほとんど同じタイミングで同じ人物の本を出してくること多いよね 47回「将軍の敗北」
佐々木道誉が出ていないんだが、この戦には加わってなかったのかな?
戦後に所領安堵された中に道誉もいたから、加わっていたと思うんだが 持明院の上皇・後伏見院におかせられては、これにて鎌倉殿も目を覚まし、我ら持明院の正統に帝の座を還さんかと、狂喜乱舞のお喜びとか…。
吉田定房ちゃんと出てんじゃん。 >>358
吉田定房が出ているから何だと言うのだ? ,この「太平記」には、「峠の群像」から3人出ているな
大石内蔵助役 緒形拳 足利貞氏役
大野九郎兵衛役 山内明 吉良貞義役
藤井又左衛門役 藤木悠 上杉憲房役 >>356
打出浜の戦い自体に道誉いたのか?
てっきり近江方面で防衛してて戦いには参加してなかったと思ってた
それかいつもの如く戦況が悪くなって直義方にいったん降ってたのかと
まあこの辺りは妄想だけど
ドラマ的には尊氏と師直のやり取りがメインだからあえて出さなかったか
陣内のスケジュールによるものかと 征夷大将軍は頼朝公以来、源氏の棟梁の受け継ぐべき職でござりましょうぞ >>362
でも頼朝以降に摂家将軍やら宮将軍やら、源氏の棟梁でない者が何人も征夷大将軍になっているけどな。
(と直義にまじレスしてみる) >>362
「職」を「ショク」と言わずに「シキ」と言っているのが気になるシーンだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています