【2020年 大河ドラマ】麒麟がくるpart68
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【放送】2020年1月19日〜
【脚本】池端俊策 / 前川洋一 / 岩本真耶
【制作統括】落合将【プロデューサー】藤並英樹
【音楽】ジョン・グラム【題字】中塚翠涛
【時代考証】小和田哲男【衣装デザイン】黒澤和子【風俗考証】佐多芳彦【建築考証】三浦正幸
【医事考証】星野卓之【古文書考証】大石泰史【時代考証補】小和田泰経【所作指導】花柳寿楽
【芸能指導】友吉鶴心【殺陣武術指導】久世浩【馬術指導】田中光法
【演出】大原拓 / 一色隆司 / 佐々木善春 / 深川貴志
■公式サイト https://www.nhk.or.jp/kirin/
■Twitter @nhk_kirin
【出演者】
https://www.nhk.or.jp/kirin/cast/
※前スレ
【2020年 大河ドラマ】麒麟がくるpart67
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1584419296/ かくれんぼは奈良時代発祥。
人さらいから隠れる訓練として始まった。
戦国時代は人さらいがさらにひどくなったので季節ごとに村単位で実施されたことが記録に残っている。
あんなにキャハキャハするものではない。 民名書房落ちじゃなかったらかくれんぼ闇が深すぎだろ、今では子供の遊びでも昔は理由があってのことだってのは結構うんちくだけど
しかし家康も信長に親父殺されいいように使われひょっとしたら信康がらみも信長の影響のせいでもう本能寺は家康主犯でいいんじゃね?ってことになるのかも 秀吉は何で信長の死を疑わなかった?って夕べの本能寺の番組で言ってた
安土城は誰も信長の死を信じてなかったらしい また駒で無駄な時間を使ったな
まだブサ長パートのほうが見れる 駒と伊呂波大夫の感動の再開からのちょこっと京編を30分やっての
信長パートに戻って帰蝶と道山の絡みか 広忠が山道歩いてたとき、鬼が出るって話してただろ、それと後半の煕子のかわいい小鬼が対応してるわけ。
ほんとに恐ろしい鬼とたあいのない小鬼との落差がすごいだろ。 まぁ家臣からすれば「大殿が不意討ちの一つ二つで簡単にくたばるようなタマかよ」っていう信仰じみたものがあったのかもよ
一代であそこまでのし上がった男だしカリスマ的なものはあったんだろうし >>19
豆知識。本能寺の頃の信長は家臣や従属諸大名からは「上様」と呼ばれていた。たぶん庶民もそう。 前半と後半で対称的なものを出すパターンがあるように思う。
見送らなかった帰蝶との別れと遠くまで見送った駒との別れとか 鬼め命がいくらあっても足らんわ、竹千代がいずれ討つべきかと、ってどちらも道三のことだよなw 史実厨は手元に何の資料持ってんの?信長公記の現代語訳とか? >>23
それだけではあまり意味がない。
一般書を読んで、そこからだんだんと
細かくなっていく。
後は好みに応じて専門的な本を読むことになる。 >>12
安土では当日午前9時頃には「風の吹く様に」噂が広がり、「言葉に出して大事と存知」「騒立つこと大方ならず」。
そこに逃げてきた下男衆もやってきて「弥(いよいよ)必定」と認識されているね。逃げてきた時間は記されていないが、夜には留守居の一人が屋敷を焼いて居城に逃げている。
明け方に襲撃して午前7時には光秀が洛中の落人探しを命じている。
これが当日の時間軸。 >>23
現代語訳もいいけど翻刻文の方が味わい深いよ。原文読むのは骨が折れる上に、本当に正しいかはちょっと怪しい。 確かに、秀吉はあんな遠く居たのに100パー確実な情報掴んで、速攻帰ってきてるしな
一体どうやってそんな信頼のおける情報を手に入れたのか
しかも、「信長様は生きている」というガセ情報流して、近畿の武将を牽制している
信長の首が見つかっていないことをいいことに。
ってことは、本能寺の間近に居た大名たちより、より正確な情報を掴んでたってことだ
信長が殺されて、かつ首が見つかっていないってことまで。
どう考えても腑に落ちない この大河の本能寺は既に一大武器工場と化しているみたいだけど
後に光秀が不意打ちできるほど手薄になる事なんてあるのだろか。 爆笑問題の番組に長谷川を出すわけにはいかないから
顔が似てるモロ師岡がやってたな 交戦中に情報が入ったからってすぐ帰れるのなら、柴田も滝川も帰って来てるだろ。
丹羽や信孝なんかもっと近くにいたのに、何で秀吉の方が早いんや? >>30
ごめんね。いまは便利な時代なんだから確認するクセも大事だよ。上から目線で二重にごめんね。 毛利とすぐ和睦。二百キロを10日で。こんなのその場の判断だけでできたと思ってる人って幸せもんや。 >>35
確認はしたよ!
でも読んだ瞬間にはダマされたんだよ!
この嘘つき!小説家になれ! >>34
丹羽の子孫の人は「先祖様はすぐ近くに居たのになんで秀吉が帰ってくるまで待ってたのか分からない。自分で光秀討てば良かったのに・・」
って後悔(?)してたな。
やっぱ判断力の差かな? >>34
戦線の状況が違うよ。信孝と丹羽の四国遠征軍は確かに大坂にいたが、風聞が伝わるのも早すぎ、しかも各地からの寄せ集めだったから兵が逃げた。
ついでに千貫櫓にいた津田信澄(光秀の娘婿)を疑って殺したりしている。
信孝自身は小祿で、心配した兄から金銭なんかを贈られるくらい。
それでも山崎の合戦では名目上の大将をやっている。
滝川は関東で遠い上に新支配地が不安定。柴田も似たようなもの。
秀吉だけが講和できたのは大きい。その後も毛利氏は重用されている。 今なら備中から大返しして来ても大阪府知事の命令で尼崎で止められてしまうな >>38
森長可の信濃からの逃避行とかなかなか興味深いよ。その後の蛮行も。
どこまで史実かどうかは知らない。とくに逃避行のところは。 秀吉や官兵衛は三国志を読んでたんだろな。
曹操の天才軍師の郭嘉が「兵は神速を尊びます」って言ったのを知ってたんだろな。
勉強してたのが出たわけだ。 >>36
姫路城が途中にあったのが大きい。ここで秀吉は貯めてあった米も金銀も全部、兵に配ったりしている。
フロイスの記録だったか、「秀吉の兵隊は疲れてみえた」なんて記述もある。
真偽は眉唾だが、秀吉本人も疲れていて馬から何度も転げ落ちたなんて記録もあるらしい。
山崎では疲れていない摂津衆が活躍している。
高松城については落城寸前、毛利本隊もまったく手が出せない状況だった。比較的有利な講和条件が示されれば乗るだろう。
秀吉は毛利本隊が帰るまで待ち、ついでに堤を切って水浸しにして追撃が困難な状態もつくっている。時間が惜しいはずなんだけどね。 秀吉の中国大返しは官兵衞とか三成とか優秀な家臣のおかげだな。 >>43
センスいいね。
速度だけならたいしたことないんだけど
どうして、姫路からも出陣したか、とかが不思議なんだ。 郭嘉は史上最強の武将呂布を倒すために水攻めをすでにやってるしな。官兵衛なんか子供の頃からそんな本読んでたんだろし。 秀吉からすれば本来、必要ない援軍を信長に要請したために信長が死んだようなもの。
光秀軍の動きも誘発している。
陰謀論なら「秀吉主犯」みたいになるが、実際は必死だったんだと思うよ。
その一年後には「信長の時代のように甘くない」と呼び捨てする秀吉ですが。 姫路城は元々は官兵衛の城。やっぱり中国大返しは官兵衛の存在が大きそう。中国は官兵衛の地元や。 丹羽が光秀を獲ってもいずれは秀吉の台頭を許すだろう >>52
四国遠征軍は事実上、崩壊しているので無理です。そもそも烏合の衆 サル 中国攻め
柴田勝家 北陸方面軍
丹羽長秀 四国攻め
暇なのは? 誰 >>27
>>29
一般歴史書と専門書を何冊持ってるの? >>57
図書館行ってコピーしてくるんですよ。
愛知県史がいくらすると思ってる? >>56
阿波には三好勢もいるし長曽我部も追い込まれていた。烏合の衆でも勝ち戦なら問題はない。 >>58
愛知県史ねえ
そういうの読んでるんだ
まあ歴史学者が書いたような単行本だと
トンデモ本を読んでしまう可能性あるから
県史みたいのが良いかもね >>60
単行本でも良著はいくらでもある。
こないだ出た信長本なんか13000円も
するんだぞぃ。 官兵衛「殿、光秀が本能寺を攻めて上様は亡くなられました」
猿「なに〜」
官兵衛「…」
猿「おいたわしや、おいたわしや、うえさま〜(泣く)わしは、わしは〜(泣く)」
官兵衛「殿、ご運が開けましたな」
猿「たわけが〜!壁に耳あり障子に目ありだらー!」 >>62
「だら〜」は三河で家康の使う言葉。
サルなら「だがや」 >>61
そうなんだ。
それ13000円の本は中身それなりに新しい事や詳しい事書いてるんかな >>64
最新解釈と言うかね。
その評価はこれから。
残念だがこの大河には反映されないだろう。 柴田勝家って、亡くなったのを知るのは後ろ
徳川家康が一番、早いはずなのに…他の合戦に言ってるし、和解してる >>66
「気にせんでちょぉ。いつでも訳したるがや」 >>65
その最新解釈が正しいかわからんもんな
正しいかわからん本に13000円は払える勇気ないわ
ありがとう >>23
信公を用意できたら
次のステージはフロイス日本史だな >>68
使者はそんなにいないよ。
というか誰が最初に伝えたかもはっきりしない。
長谷川だろうけど。
そのお手紙だけでどうして信じたか?
ということをこないだのサミットでは言ってたわけさ。
専門家はそういう基本の上に述べている。 しかしこのドラマだと竹千代君は自分の父親をノリと勢いで殺した男とずっと協力体制を取るわけか
いつかそのことを知る日が来て、それでもこらえて従い続けるのかと思うとちょっと心が痛いというか
信長が墓までもっていけばいいんだろうけどあのサイコっぷりじゃそんな気づかいできなそうだしなぁ >>58
インチキ雑誌の歴史群像ではあるが、昨年末号に桶狭間の新解釈が載ったらしいね。読んでないけど、信長公記の天理本を底本にしているらしい。
そのプロデュースした人のサイトいわく、今川勢は大高城救援の戦略的勝利をおさめ、撤退中に襲われたとか。
天理本は古態を示す説と甫庵信長記からの引用あり説があり、判断が難しいが興味深いものだ。 >>70
今日はみんな良い人が多いから
少しサービスすると「室町幕府と信長の関係」
について詳細ってぐらい検討している。
今はこういったアクセスが主流なんだよね。 >>67
家康は一応、帰ったあとに光秀征伐の軍を起こすが討たれたことを知り、撤兵している。その後に甲信侵攻。
徳川史観が混ざっているはずだから真偽のほどは分からない。 >>75
かぎやね。
天理本の解釈も難しいが
地元郷土史系の人たちだから
通ったであろう道、とかそういうのは参考になる。
やっぱり公記読んでるだけじゃわからないからね。 >>72
あーそれな
>>76
ちなみにさっきの13000円のタイトル教えて >>77
史実でいいでしょ。
ただ「征伐軍」かは確定できないね。
このあたりは論文のネタには使えるかもよ。
武田攻めは秀吉に「甲信せめていい?」と聞いてから
侵攻してる。このあたりはみんな仲良くやってるんだよね。 >>79
宣伝したくないから
去年出た本、ということで勘弁してもらえないかな。
ググれば出てくると思う。 >>78
ほかの本にない砦(付け城か)が2つでてくるあたり、天理本はおもしろいね。天理本の評価はそのうち定まるんだろう。 >>74
さすがに信長自身からはばらさないだろうが、
水野や菊丸は織田がやったと見てるから
いずれは分かっちゃいそうだ >>82
あれ、そんなのあった?
砦は他の公記と同じと思ったけど。
それより義元の行軍に関してが
面白かったね。 >>80
そこらへんはあまり知らないので助かります。
あのあとの仲良し具合(清洲会議の最近の評価含め)は草狩り場を荒らす後ろめたさがある、気がする。あくまで気がするだけ。 >>87
そこからの3年は面白いよね。
ただスレチになるから光秀の話にしよっか。
本当に越後に10年もいたのかなぁ。 >>88
越前かな?
年数は分からないけど永青文庫の新史料でいたのは間違いないでしょう。
怪しい史料や伝承とも符号する。
全国行脚したのはさすがに史実ではないだろうが、あっちこっち遍歴があった人物ということは伝えられていたんじゃないかな。
私は近江出身、越前から幕臣へ、そして信長配下と考えるが >>89
永青文庫じゃないんじゃないかな。
お坊さんの記録の方。
ドラマ的に道三死後から朝倉のところにいた
とすると、どうやって戦の事や京のことを
知ったのだろう。このあたりがねぇ。
近江出身だとドラマとは合わなくなるね。
どうして美濃なんかに・・とか。 >>74
まあ竹千代くんも後に自分の嫁と息子殺すような奴に成長するわけだし
ノブが親父殺したと知っても意外にノーダメかも知れん >>90
調べたらもともと永青文庫所蔵じゃなくて調査しただけだったが。
米田貞能が記した「針薬方」という史料に近江田中城に籠城したとき、明智十兵衛から朝倉氏秘伝の薬を教わったという記録があるよ。
現状では光秀初見の史料。 >>92
そのあたりはわかる。
米田文書も永禄九年かは疑問の声も多い。
今の最新の論点ではあるけどね。
だから光秀初見かは意見の分かれるところ。
ちな、その「セイソ散」が大河に出てくるかどうか
どうだろう。作り方は細かく書いてあるんだよね。 >>93
まあドラマの話をするなら駒が絡んでくるんじゃないかな、とーあんと。
ドラマは美濃説だから長良川のあとに光秀は没落。駒なんかを頼って越前で医術を学ぶ。
幕府にも顔が利くから大活躍。義昭上洛に非協力的な義景を見放し、義昭と信長も光秀がくっつける。
スーパーマンだけどねえ。 >>94
そうか・・もう幕府に顔がきくんだったな・・
藤孝はまだ15歳ぐらいだし、あんまり武将って
感じじゃないよね。
その後も和歌や能とかそちらで活躍してるし。
あの襲撃事件はやりすぎだよなぁ。 >>95
きっと桶狭間にも光秀はいると思うよ。どうこじつけるかは知らないけど。
藤孝はなんでもできる人だから、光秀以上のスーパーマン。剣の達人だけでなく牛も投げ飛ばせる怪力。城が落ちそうになると主上が助命の勅使を送る。
後者は史実ですが。 >>96
藤孝親子って長生きしてるんだよね。
細川の祖だけあってさすがではあるな。
じゃ、また会おう。 >>96
まさか と思いつつあるかも
正直、無理矢理絡めすぎできつい
道三がイベントに参加させ師と化している 歴史の事実は変わらないから正直何のためにいるの な感じ >>96
本来の大河ドラマは群像劇だから、主人公がほとんど出てこない回もある。
前回はまさにそれで、信長の話に時間を取って、光秀の時間は短かった。
シエが歴史上有名な事件の現場にテレポーテーションしたのは、
ドラマはつねに主人公を中心に描かねばならないという考えがあったから。
池端氏にはそんな考えはないから、光秀を有名な事件に無理に
立ち会わせることはしないだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています