【第四十五回】太平記part.45『政変』
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流石の判官も円喜にはたじたじだったな
生涯で政敵に仁木義長や細川清氏や斯波高経とかいたけどやはり円喜に比べれば楽な相手だっただろうな >>94
源頼朝の嫡子で北条時政の外孫に当たる子供に「頼家」と名付けたのは、
源頼義の嫡子で平直方の外孫に当たる子供の名前が「義家」であったのを意識している
という話もあるな。 もともと将軍の補佐役の北条当主が権力あってそれが執権という職を整備していったんだよ
今のように評定の主催者を執権として文書に署名するスタイルにしたのは泰時の代
だから得宗が執権より上になるのは自然というか
得宗は幕府の書類だと御後見と書かれたりしてる古典太平記もそうだな
天下の副将軍と呼ばれたりもした
得宗=執権の時が幕府が強くて蒙古から文がきたらそれまで連署だった
時宗を執権にあげて体制を強化してた
ちなみに将軍3代御後見6代と貞時の時に描かれてて御後見を元久以来
としてるからやはり義時が得宗初代という認識だね >>93
レスサンクス>>46です
これはサントラ2枚目に入っている後半の語りですね
勘助役の内野が半沢直樹の伊佐山に合わせている内に練っとりした言い回しになってしまった方 >>102
頼朝はなにかっつーと頼義の故事持ち出してるからな
後で阿野時元が自分の父は頼朝の弟で母は政子の妹だから
将軍になる資格ある言ってたから頼朝政子の組み合わせが重要だったかも
その阿野氏の子孫が廉子様だ
活躍が楽しみw >>103
一言で言うと、将軍権力に巣食うダニ寄生虫北条
末路は焼身自殺ショーがお似合いだ >>106
藤原家に乗っ取られてるけどな
阿野家と日野家は色々複雑 後醍醐暗殺は後で西園寺公宗がやろうとするが
佐々木道誉より公家のがずっと度胸あるなw
西園寺家は承久の乱の時も度胸満点だった 麒麟が再開するのが8/30で22話から
太平記もその日は22話の鎌倉炎上
どちらも折り返しになるのか 将軍権力には依拠してないのが得宗
御後見も天の下の御後見と太平記に書かれてるように天下の主というレベル
承久の乱での勝利が権力の源泉でだから北条本家の得宗が
官位低くても幕府の役につかなくても力持ったりした
それが家人の長崎に移ってフランキー堺になる
西岡徳馬もだいぶ貫禄出たな
佐々木道誉を問い詰めた高資の言葉はもっともなんだが
なぜか悪役ぽく見えるのが演技のうまさだ >>106
それいうと足利も、頼朝の従兄弟と政子の妹の子孫だから・・・。 >>113
なんだかんだ言ってあちこちに血脈を残している時政 18回
高氏が帰宅すると、守時が訪ねて来ていた。幕府として足利家に出陣を要請することを伝えに来たのだった。
「この守時は行かせとうないのだが…こたびの戦はそれがしには不吉に思える」と言い出した守時は「ゆうべ、
らちもない夢を見ましてな…それがしが足利殿と戦をいたす夢なのじゃ」 と口にする。高氏が笑顔をとりつくろ
いながら、例え夢の中の話であっても守時は味方にしたいものと言うと、守時は答えた。「お気持ちは有り難い。
じゃがこれだけは申しておこう。北条は腐り果てたとは言え、我が一族…それがし、これに弓を引くことはできん。
愚かな守時よ…」と。そして「西国の乱に気が動転した」と言って苦笑するのだった。守時が去った後、高氏は
家臣らに命じる。諸国の足利一門に使者を送り「足利が総力を挙げて戦をいたす。馳せ参じられよ!」と告げよ、
と。そして恐らく千早城攻めに参加している新田義貞のもとに右馬介を遣わすよう手配させる。 千種が「岩松水軍は河内の楠木と・・・」みたいなことを言っていたが、
なんか関わりあったかな? 今日の放送で尊氏と佐々木が酒飲んでたが、皿が複数置いてあって酒の肴というか食事と言っても良い感じだった
何を食べてたんだ?あいつら。 今週は昼ドラみたいな引きで終わったんだがこれ大河ドラマで間違いないよね? 冒頭の三人は政宗における「おつむ足りないせいで周りに迷惑かける三羽がらす」
忠輝、秀次、淀だった >>112
太平記というフィクションを持ち出す時点で馬鹿確定アンド説得力ゼロ 敵とも味方とも分からん判官にペラペラ本心を伝えるのは如何なものか >>127
打ち明けられた判官が「面白い、だが黙って見ておれとは何事か」って返したように記憶してたんだが何か違ったようだ >>129
それは決起してから
道誉の屋敷でのこと
わしも京へ連れていかれよ、わしにも二、三千の兵はある
尊氏の扇子道誉にバシッ
それもよかろう、苦しかるまい >>111
公望公「そんな600年前の先祖のこと言われてもワシ知らんやん・・・」 先代だったか忘れたがの足利当主が
戦前学習院で教師に授業でつるし上げられるわ
生徒にいろいろ嫌がらせされたり苦痛だったらしいな
妹は耐えかねて登校拒否になったとか言ってたし なぜ足利って賊扱いなのか
後醍醐天皇と争ったから?
平家、鎌倉幕府(北条氏)とかは滅んだけど
室町幕府が滅んでも子孫が残っているからか?
江戸幕府の徳川氏、会津松平氏とかは?
今の皇室は北朝系の系譜ならば
(建前は?)北朝擁立の功臣なのでは? >>136
水戸黄門様が
「大日本史」だかで南朝正統、楠木大忠臣なんてもちあげたのが
常識化したってこと? 光圀に南朝正統論を吹き込んだのは朱舜水あたりらしいね。 高師直てずーーっと悪役イメージないか?
歌舞伎とかさ
なんで? 明治国家の正確な建前として14世紀当時は南朝が正統だったが後小松天皇の在位が名実伴った時点からは持明院の正統性も担保されたという立場。
この大正あたりまでの公的史観が巷には十分認知されんまま南朝正閏論だけ誇大化されて皇国史観化した 後醍醐天皇てドラマでは優れた素晴らしい天皇と言われているけど実際そうだったの? >>134
ああ、喜連川さん所の逸話だな。
華族さんですら皇国史観の災難から逃れられなかった悲しいエピソードだ。
でも南朝忠臣の楠、菊池など自称末裔が散々華族指定を申請したけど
結局総スルーで華族制度廃止というウツクシイ流れ。 北朝擁立の功臣て言えるんかねアレ
南朝に売り渡したりしてなかったか >>106
皮肉な事に原田美枝子は北条時政の娘の血統なのよね。 >>135
南北合一後の北朝は南朝から禅譲されたから、
南朝が正統で現行の皇室が北朝の子孫でもセーフという風潮じゃない? >>143
仮にも国営放送で天皇陛下がボコボコにされて敗れる姿を見せないといけないんだから、
立派で素晴らしい人だったかのようにデコレートしないと各方面からクレームつくから 湊川の戦いを取り上げた番組で悪党・楠木散るとか最期の戦いみたいなサブタイにしたら
とある筋から苦情が来たんだっけ? 今日の後醍醐天皇の情事の現場を取り押さえられた風の演技に萌えた >>143
気力と体力が漲って知性もある人間だと思うよ
だけど後鳥羽上皇もだけど、それが良い結果をもたらすとは限らない
意志の強さと行動力は歴代天皇の中でもトップクラスだろう 建武の新政は公家一統とはいわれてるけど、実は武家にもかなり配慮してるんだよな >>143
後醍醐自体は無能ではなかった。
建武新政の諸制度は尊氏が結局採用しているので、建武新政の全てがダメだった訳ではない。
が、理想が平安中期の延喜の治で天皇主導・公家優位の当時としては時勢と乖離していたし
なんといっても我の強さが色々災いした。
大覚寺統で傍系でしかない自分の血統を事実上の皇統の嫡流としようとしたので持明院統はおろかほかの大覚寺統からも公家の多くから離反されたりと我の強さから人心を得られなかった。
それ故同時代人から非難をされた人だったが、何故か同時代人で彼を最もリスペクトしてたのが彼が逆徒呼ばわりし嫌った尊氏だったという皮肉。 赤松円心に与える恩賞を確保出来んかった…
葵の家康はよくあすこまで遣り繰り出来たわw >>153
廉子よりもっと若い相手かと思ったら、結構な歳だった。 >>156
今で言うと先見の明が有って人望がある天皇が政治改革して大日本帝国の仕組みの復活を計るようなもんか 会議室にサッカーボール放り込むJC
そしてボール持って途中退出するトップ >>144
肥後菊池氏の末裔は、普通に華族に列しているよ。
岡田内閣のときに、天皇機関説を執拗に攻撃して、政府に国体明徴声明を出させた
貴族院議員の菊池武夫男爵は有名。
>>155
武家にも配慮というか、後醍醐や廉子にすり寄る奴なら、公家・武家ともに配慮するが、
疎まれていた護良に近い奴には公家・武家ともに冷遇(例、北畠や赤松)というのが、
建武政権の本質。
公家一統というのは、あくまで後醍醐自身が朝廷(公家)のすべてを統べるとい意味で、
朝廷に使える廷臣としての公家階級全般を優遇するという意味ではそもそもないし。 >>128
実は花夜叉は後二条天皇の生母・西華門院の雑仕女で美女として都では有名
千種忠顕の弟からも言い寄られていたが、烏丸家の侍・服部正成と恋に落ちた。
正成は花夜叉と一緒にしてやる条件に、中原章房の暗殺をけしかけられたが、
土壇場で花夜叉と二人で武士を捨てて逃亡した。その道中で花夜叉は子を産むがこれを亡くす悲劇に見舞われた。
私本の花夜叉はそんなで、判官殿はまったくお呼びでない感じ。
楠木正成が花夜叉を絶縁しているのも、西花門院に迷惑をかけたことを気にしているからで。 >>152
それ湊川神社からのクレームじゃなかったっけ?
最近はくまモンを呼んで「味方してくれてありがとう」とやっているから、今なら問題なさそうだけど。
・・・ぐんまちゃんが訪問した時はどうなるか一抹の不安があるが。 >>160
大日本帝国の仕組みって、表向きは広範な天皇大権が憲法に規定されているが、それらは
完全に名目上のもので、天皇は実際の政治権力からは切り離されていたわけだけど・・・。
しかし天皇の名前だけは、ときの為政者に都合の良いように使われ、彼らの失策が原因で
破滅的な敗戦を迎えた瞬間、建前上のトップにいたというだけで、あたかも天皇に
全責任があるかのようにサヨクから執拗に槍玉に挙げられる。
そんな地位に天皇自身が再び戻りたいと思うかね? 後醍醐の聖帝扱いが始まると毎回ドラマ観てる集中力が落ちてく >>164
まず私本太平記では卯木は花夜叉じゃないことを説明しないと 前半きれいな後醍醐天皇だからこそ
北条滅亡聞いて大爆笑からの俗物臭の演出が効く その「美しい国」は幻想だよ
でも夢見てしまう気持ちがわかって苦しい 顕子は前回は着物の上から胸触られたり
今回は尻を触られたりか高時の当てられたり
結構身体張ってたのね 美しいものに焦がれて北条を倒したのはいいが、後醍醐も結局は俗物であり、自らも俗物となって近しい者たちを倒していく羽目になると。
権力の座についた最終回の高氏が疲れ切って全く幸せに見えないよなあ。 >>143
皆が色々書いてるけど
才気ある方ではあった
反幕運動の理由の一つは、自分の系統で皇位を独占すること
朝廷の古式復活ではなく、後醍醐帝の御代を作りたかった
ニラ食ったり、密教に凝って倒幕の祈祷をしたり
ドラマに描かれているより
生臭さを感じさせる方だったみたい 楠木正成は好かれてるけどそれ以外あまり好かれてる人が
この時代にはいないような
直義好きは時々いるか 前スレのスレタイ 43回「下剋上」は片岡孝太郎の義詮初登場回だったが、
前スレでは義詮はほとんど話題にならなかったな (´・ω・`) 単純にスレ番なだけで、44回だけを語る訳ではないからな >>169
>>169
『私本太平記』呼んだのが随分と昔でしてね。あと手元にない。
花夜叉は伊吹の館で登場するが、その後で目立って出番なかったか?
実在の人物で実は・・・・まあ、いいかw
卯木とはまったくの別人で、ドラマはこの2人を合成している。
卯木は後二条天皇の生母・西華門院の雑仕女で美女として都では有名
千種忠顕の弟からも言い寄られていたが、烏丸家の侍・服部元成と恋に落ちた。
元成は卯木と一緒にしてやる条件に、中原章房の暗殺をけしかけられたが、
土壇場で卯木と二人で武士を捨てて逃亡した。その道中で卯木は子を産むがこれを亡くす悲劇に見舞われた。
私本の卯木はそんなで、判官殿はまったくお呼びでない感じ。 あと、樋口さんよりだいぶ若い設定だっけ?
途中で兼好法師に助けられたり、なんだかんだと。
楠木正成が卯木を絶縁しているのも、西花門院に迷惑をかけたことを気にしているからで。
訂正して誤字も直したが、大体こんなんだったろうか? と言うかその時代の天皇・皇族で幕府つまり北条を倒そうと言う天皇・皇族は
後醍醐とその皇子以外居なかったよな?
やはり足利尊氏は北条を倒そうと言う点で
後醍醐を好きになってしまったのかね?
なんで尊氏は後醍醐の事ばかち気にして光厳天皇の事を無視するのかと思ってさ >>173
わざわざそんなところに注目してドラマ見てんの? 「やはりよう似ておりますな。卯木殿と我が殿は。」
「どちらも武門に向かぬお方じゃ。」
「戦嫌いが・・・戦をしておりまする。」
これこれ。大河ドラマとは。 >>177
直義好きは、日本中世史の研究者に多いイメージ。
>>184
当時の朝廷は、まだ承久の乱のトラウマもあるから、幕府とコトを構えようなんていう
発想は、後醍醐とその取り巻き以外からは出てこなかっただろう。
実際、正中の変も元弘の変も公家側から幕府に情報が漏れているし、多くの公家にとって
倒幕なんて朝廷全体を窮地に陥れかねない極めてハイリスクな危険な博打でしかない。 朝廷や公家は別に北条政権で特に困ってなかったろ
二統に分かれて張り合うのには忙しかったが待てば順番来るし
後醍醐は自分が傍系だったから立つ必要が出たけど
足利は純粋に野心だろうし後醍醐とそこが通じる
二人して結果的に護良殺すのももっともだ >>188
先日再放送していたねこねこ日本史の観阿弥世阿弥や尊氏直義が可愛い
尊氏に征夷大将軍の任命をする頭の後に絆創膏を貼っている光明天皇が特に可愛いw やはり当時としては
行動力の有るやり手の天皇だったんだろうな後醍醐天皇
しかも苦労して北条を倒したと思いきや
尊氏が北朝と室町幕府を作ったら
それに対抗して吉野に南朝を作るとは
もはや天皇と言うより武士かよと言うぐらいの行動力だな
当時の天皇でも学問や芸術やってる程度の天皇が多かった中で
ここまで政治や軍事に手を出すとは凄い天皇だ >>190
観応の擾乱回の冒頭で尊氏が征夷大将軍になるまでの経緯を説明するのに
高時と後醍醐天皇と光明天皇を一列に並べて片っ端から引っかいていったのがとても分かりやすかった >>123
得宗が将軍権力には依拠してない理屈は簡単でね
北条は承久の乱で天下をとったがこの時は将軍不在で
軍勢催促に将軍の名使ってないんだよ
だから義時朝臣天下を併呑すと言われて義時とその後継が天下人とみなされたわけ
征夷大将軍は御家人のボスだが天下人ではない
だから護良親王が征夷大将軍になってもほんとに将軍という意味しかなかった >>189
結果的に言えば、鎌倉段階での天皇や公家は、黙っていても地方の荘園・公領から莫大な
収入を得ることが可能だったわけだけど、後醍醐が倒幕なんて余計なことをしたせいで、
長期に及ぶ南北朝の内乱が起こり、荘園・公領に対する天皇や公家の権利は有名無実化。
内乱終息後は、一応は室町幕府のお膳立ての上で、改めて天皇や公家の収入は確保される
ものの、結局南北朝の内乱期にバラ撒かれた戦乱の火種を完全に積んでしまうことが
できなかったことで、戦国に突入してすべてがお仕舞い。
そう考えると、多くの公家にとって後醍醐は、トンデモないことをしてくれた恨んでも
恨みきれない相手だろう。 >>197
京が関東を討とうとしてるので泰時や朝時を大将に軍を派遣する
みんな加わるようにてな内容だったらしい
後鳥羽は義時追討の大将任じてないからそういう文面に 軍事督促状の名目と繋がるかどうかは微妙だが、軍事催促はやはり政子の演説内容やろな
現代語訳
従二位の北条政子は、家人たちを簾の下に招き、安達景盛に示し含めて言うことに、「皆心を一つにしてお聞きなさい。これが私の最後の言葉である。
故右大将軍(源頼朝公)が朝敵(平家)を征伐し、関東(鎌倉幕府)を草創してから、官位といい、俸禄といい、その恩はすでに山よりも高く海よりらも深いのだ。
恩に報いようという志が浅くはありませんか。
しかるに今回、逆臣の讒言によって、道義に反した綸旨(天子の命令)が下された。名を惜しむ者は、早く藤原秀康・三浦胤義(上皇方の首謀者)らを討ち取り、三代将軍の眠る、この鎌倉の地を守りなさい。
ただし院方に参ろうとする者は、ただ今申し出るとよい」
つまり、北条氏に従うというより、御家人たちに頼朝以来の御恩に奉公で幕府に忠義を示せ、でなければ院方へ行けという内容 >>166
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/179/yousi/yo1790305.htm
?
第179回国会 請願の要旨
新件番号 305件名 日本国憲法(占領憲法)に関する請願要旨 (一)日本国憲法であると詐称し続けている占領憲法は、GHQの軍事占領下で我が国の独立が奪われた時期に制定され、独立国の憲法として認めることはできない。
占領憲法第九条第二項後段の交戦権とは、アメリカ合衆国憲法にいう戦争権限と同義であり、宣戦、統帥、停戦、講和という一連の戦争行為を行うことができる権限のことである。
交戦権がないことから戦争状態を終了させる講和行為を行い得ない占領憲法が仮に憲法であれば、我が国はサンフランシスコ講和条約によって戦争状態を終結させ独立することができず、
大日本帝国憲法第十三条の講和大権によって戦争状態を終了させて独立を回復したことになり、大日本帝国憲法は現存している。
(二)つまり、占領憲法は、無効規範の転換理論を定めた大日本帝国憲法第七十六条第一項により、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印からサンフランシスコ講和条約に至るまでの一連の講和条約群の一つとして評価され、大日本帝国憲法の下位規範としては認められる。
(三)昭和四四年八月に岡山県奈義町議会が「大日本帝国憲法復原決議」を可決したように、国家にとって他国による干渉行為がなされたときは、まずは原状回復をすることが国際的にも普遍の条理である。
(四)北朝鮮に拉致された被害者、ソ連(ロシア)に奪われた北方領土、韓国に奪われた竹島について、全て完全な原状回復を実現することが我が国の基本方針とすれば、国法体系についても同様でなければならない。
(五)まして、皇室の家法である明治二二年に制定された正統な皇室典範は大日本帝国憲法などと同列の国家の最高規範であるにもかかわらず、これを廃止させた上、占領憲法下で同じ名称を付けた昭和二二年の法律である皇室典範(占領典範)は、
法令偽装の典型であって、国民主権の占領憲法により、国民を主人とし天皇を家来とする不敬不遜の極みである皇室弾圧法にほかならない。
(六)国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄して、速やかに占領典範と占領憲法の無効確認を行って正統典範と正統憲法の現存確認をして原状回復を成し遂げる必要がある。
これによって、拉致問題、領土問題、教育問題、原発問題などについても原状回復による解決が図られ、祖国の再生が実現し得る。
ついては、次の事項について実現を図られたい。
一、憲法問題、典範問題、拉致問題、領土問題、教育問題、原発問題などの解決のために必要な国家再生の基軸は、原状回復論でなければならないことを国会議員全員が自覚すること。
二、占領憲法が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存することの国会決議をすること。
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