【第四十八回】太平記part.48『果てしなき戦い』
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>>635
室町期だって大半の守護は一円支配とは程遠い状況だよ
「守護領国制」なんてたいそうな言葉が教科書とかには書かれてるが
専門家の間ではこんな言葉を重要用語として教えることには懐疑的な声も多いよ >>641
>>648
幕末期なら全国的にかなり尊王思想が蔓延しているから
当時の武士階級なら実物を見たことなくてもそういうものが存在したこと自体は
知識として知ってるのが普通
そこに菊の御紋の入った旗が恭しく出てくれば錦の御旗が出たと認識するのは自然な流れ
この件はそこまで読んでた岩倉の作戦勝ちということだよ >>630
うち平家の落人の子孫と言われているけど
本籍地の番地が2455(西GoGo)
まあ落人だから東にGoしたわけだがw >>651
真田広之はアクションや武芸(流鏑馬も出来る)
は勿論、踊りも達者なのは確か日本舞踊も名取だからだと思う 後醍醐vs尊氏では権威の上で分が悪い
後醍醐vs光厳、尊氏vs義貞ならおk >>658
葉月里緒奈「でもセックスは下手だったわ」 身体能力より内面表現の方が大事ではないの?
この人の表情、基本ずっとワンパターンで引き出しが少ないと思った。 >>658
あと、身長だけあればなあ
そんな下らない事であれだけの才能が大成しない
無情だわ 尊氏と正成の関係が良かったのに
弟の正季が急に尊氏討つべきと敵視してるのに驚いたw 後醍醐天皇って子供が100人くらいいた説もあるらしい 尊氏って三国志でいうところの劉備みたいな感じ?
正成と義貞と右馬助の対応みて思った
それにしても29歳であの地位ってすごいね 都のお歴々は大根もいればスパイシーで味付け濃すぎる人もいて
北条始め東夷のほうが洗練されて見えるという >>637
政権の正統性みたいなもんか?
あっちはキリスト教があるからね
神に選ばれたとか言えちゃうw 官軍の正当性なんて江戸期の水戸黄門が起こした水戸学の影響が大きいからな
南北朝時代も含めてそれ以前は利用する側にとっては便利に使う道具扱い 親房卿「不吉な未来を暗示していそうで、この演目はいかがなものかと・・」 純粋な足利さんのお話に
恩賞目当てに護良さんの上京のお誘いにのった新田さん
少し胸が痛そうやね。 >>682
鬼丸でないか?
求女塚の戦いは正成大活躍偽史観で抹消されて久しい。 勾当内侍が最初から義貞に好印象を持っているのが
今朝の回からちゃんと描写されてたんだな。 頼朝なんて以仁王掲げてだからな
誰だよそれみたいな 顕家が蘭陵王の舞とか似合ってるな
戦強くて最後悲劇の武将でもあるところとか 最後悲劇の武将??
新田と連携するの嫌がって勝手に自滅しただけにしか・・・ 法印さんシバキが強すぎィ!
殴られてる人マジで痛がってるやんw >>656
656だけど自分も元々ニンニキニキニキのgo westの方を連想していたw >>637
個人的に思うのは
日本は島国だから
日本人という単一民族で生活している
万世一系の王家が統治している
海に隔てられて、あまり海外勢力がチョッカイだしてこなかったから
王家を滅ぼすなんて恐ろしい事
成り上がった権力者は、先祖は同格だったと舐められたくないから
王家の政務を代行しているって形で権威づけする
だから家としての天皇家は滅びなかったのかなあ
なんて、かなり曲解ぎみに思う >>676
わかる
北条も足利も
都側も近藤を擁しているけど ↑
実際の日本が単一民族の国だったかどうか
は無視して >>666
今回、正成が尊氏の危機を救いに来たけど
将来的には危機を救わないほうが良かったのかな
過去スレでみた気もするけど
馬で来たのに徒歩で帰るのか? って思ったんだが
後ろの足利の従者が馬をひいてた この間映像の世紀の女性回を見て思ったけど
イギリスやアメリカあるいは日本も野蛮なこともしてきたけど
それでも、ロシア、フランス、中国の
左翼カラーと相俟っての陰惨さはまた違うものがある気がかりする
フランス革命や、ナチス協力者への報復なんて文化革命そっくりだし
モーパッサンの短編にもこの手の陰惨さを感じさせる作品がいっぱいある
海洋国家のが緩いのかな
そして島国国家度はイギリスより日本のが高い 今回も護良親王や赤松が、恩賞云々言ってたが
もう少ししたら
赤松が「もうやってられん!」って泣いて国に帰るんだな
北畠やってるゴクミを久しぶりにみたけど
美少女が美少年役って騒がれてた気がするけど
本放送時も「表情硬いなあ」なんて思った事を思い出したな ゴクミの演技力はアレだが
不遜さは合っている気がするw
演技力があったらもっと魅力的になったかもしれないけどね
まあ十代半ばまでのゴクミの美貌の威力は凄いから >>699
ルイ17世の最期とか
知らなきゃよかったと思った >>702
わかる
また劉少奇の受けた仕打ちと被る所もあるし
人間の尊厳を貶めるためにここまでやるかもみたいな
リアルで会う中国の人はいい人立派な人も多いんだけどな 福島正則も甥っ子に似たようなことやってるだろ
>>702>>703 季節と地形考えると、顕家の越前ルートはそもそも不可能
青野原の激戦の直後に、無傷の足利本隊しかも黒地川の既設陣地を突破して
1月の湖北の峠超えて合流とか狂気の沙汰で、南方の南朝勢力に向かうしかない
エル・アラメインだよあれは 北畠顕家の剣舞を見て、義経のOPを思い出したぞよ
次なる再放送は義経を所望致す いくら軍神だ神童だといわれても、真面目な顕家は、ミドルティーンの若さで重いものを背負わされ、
いっぱいいっぱいの緊張感で、一つ一つこなしていったんだろうな。
ゴクミの堅い無表情は、状況をよく表してるように見える。
だから、終盤の涙ぽろぽろ流して父に対面するところは泣ける。 ミドルティーンの若さで重いものを背負わされたのは尊氏も同じ。 >>703
実際に話してみると
中韓の人は明らかに日本人とメンタリティが一番近いからな
そりゃ場所が近いから当然なんだけど
次に近いのは他のアジア諸国の人よりはアメリカ人な感じ
東南アジアの人とはあんまり付き合いないんだけど
インド人とか中東の人はメンタリティが遠すぎて付き合うのがなかなかつらい
仕事上ですらそうなんだから、個人的な付き合いは更にギャップがあるだろうなあ 坊門参議が身罷られましたか
おいたわしゅうごじゃりまする >>717
出番少ないのに印象強い役だよな
舞台ばんばんやってた頃、よく観たわ 坊門さん去年脳ベルSHOW出て元気そうだったのに、、
意外と気さくで優しそうな人だったわ 80なんてそのうち老衰で楽に死ねそうな年齢だっていうのになんでまた >>645
てか、前半はに容保と、現場で情報将校兼砲兵指揮官という
図抜けた立場だった覚馬が事実上の主人公だったから無問題。 >>733
見ていて若い時の自分と今のギャップに悩んでとかなら嫌だな このスレにすっ飛んできました
さらば坊門
安らかに なんの事かと思ったら、亡くなられたのか
再放送はこれからが彼の見せ場なのに >>696
足利もって
なら徳川家康も東夷か?
三河は東国であり、西国でもある
足利尊氏と徳川家康の生誕地は、直線距離で約1,5キロしか離れていない
おそらく足利尊氏直義は、足利氏の大門屋敷(三河県岡崎市)の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷(三河県岡崎市)で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 ◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>677
中国も易姓革命の思想があるから天命が変わったと言えばどうにでもなるw 尊氏が北条の残党引き入れてるらしいが、
足利・北条連合対新田
という構図だったんやな >>695
日本の皇室にとって最後の危機は承平・天慶の乱だったように思う
東アジア世界の各地で易姓革命の嵐が吹き荒れた10世紀を無事切り抜けたことで
日本の皇室は古来から一つの系統で続く特別な存在になった >>705
そもそも足利方が青野ヶ原で顕家軍を迎え撃ったのも
越前の義貞が大挙して援軍に来るのは現実的に難しいという読みがあったのだろうね
だから個別の戦闘で一度や二度負けることがあっても途中の守りをしっかり固めておけば
東山道(近江路)のルートで顕家が京都まで来るのはまず無理と >>744
北条一門ではなく幕府方についた武士の帰順でしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています