【最終回】太平記part.49『尊氏の死』
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播磨守護職なら、すでに将軍からいただいておるわ!
ガハハハハハハハハハハハハハ!
おのれ、円心め…!ギリギリ >>295
後に判官殿が義貞には心の奥底に尊氏への妬みがあるって看破してたけど
この妬みって根本的には家柄とかではなく
自分と違って政治的な事もこなす能力についてなんだよね
自分は無骨で不器用な坂東武者としか振る舞えない事を実は卑下してる
ところが尊氏は義貞のそう言う所に憧れてたりする所が切ない
鎌倉は任せてたのにって嘆く所は、都での下らない権力争いとかに関わって欲しくなかったんだろうし
一騎討ちを受けるところも本心から嬉しくて仕方がない >>287
そんなこともないぞ
建武政権下では中央政府から地方の各国への指令は国司宛と守護宛の2通作成されるし
現実問題として恩賞方や雑訴決断所による所領の宛行・安堵も
守護の軍事力に頼らなければ実効性を伴わない 録画視聴
後半の北畠、新田、尊氏が揃って北畠が話してた意味がさっぱり分からなかった
まー空気みたいなのは感じ取ったが >>299
娘婿兼妹婿のパッションを守りたい、その一念 高師直の人
顔付き自体が腹黒そうな人だな
高師直にぴったりな顔だなと思いきや
29年経っても同じ様な腹黒そうな幹事長の役やってるんだな >>301
勘違いでなかったら
相棒や半沢直樹で与党の大物政治家やってる
師直としては風呂覗いたりしてたのになあ 師直さんは太平記と同じ年の「ふぞろいの林檎たち」のストーカー男の方が怖かった >>303
時間ですよで
河合美智子にストーカーしてる
元ボクサーとか
キモイ役ばかりのイメージ フランキー堺ばかり言われるけど近藤正臣のヒールぶりもなかなかお見事だよな >>299
北畠の奥州赴任は中央政界からの護良派排除の一貫という要素がある
「島流しにでも遭った気分」とはそういう意味だろう
あとの会話は鎌倉に拠点を持つ尊氏への牽制とアッサリ鎌倉を捨てた義貞への嫌み 武士は嫌いとかドラマでは言ったけど、東北や関東で散々苦労した後は
北畠親房くらい武士について熟知していた公家はいなかったろうね 北畠親房は神皇正統記があるから
この時代の人で一番現実に近い筈なんだよね
あれ歴史書って言うより、親房本人の思想書みたいな感じだから
延々と個人の見解のみで歴史を語ってると言う >>305
前半のヒール円喜、後半のヒール親房
前半のアイドル高時、後半のアイドル護良親王 >>307
サンクス。なんか難しい言い回ししてるなぁと思った
義貞は上洛の命が来たからだし別におかしくないのになぁ 伊勢北畠氏は最終的には信長の養子(織田信雄)を受け入れて
信長死亡と共に跡継ぎ不在で滅亡しちゃうんだよな
南北朝騒乱で起こり、室町幕府を滅ぼした信長と一緒に滅ぶ
数奇な運命だな >>282
まあ、そこらへんは赤松さんも理解していて
「播磨は無理でも備中美作あたりでも」と言ってなかったか? >>278
アハハハハハハハハって登場でもよかったw >>307
尊氏への牽制なら、なぜあえて義貞に嫌味を言ったのかがわからない。
牽制するくらいなら義貞は味方にしといたほうがええやん。 >>314
たしか「播磨一国どころかさらに備中、美作を貰ってもいいくらいだ」みたいなニュアンスじゃなかった? >>317
見直したら確かにそうだった。
しかし、それはかなり欲張りすぎだと思うぞ。 見直しついでに思ったけど
楠木正成も護良派じゃなかったけ?
楠木さんは優遇されたのか。なんだかなあ。 >>319
楠木と言ってもどついたるねん(正季)の方。>大塔宮派 >>320
正成さんも、護良さんが鎌倉に出された後に役職をほぼ辞めてるやん。 今回の栗食べながら親房尊氏義貞がトークする所は全話の中でも屈指の名場面だと個人的に思う 亜相殿は理想は高いけど、それはそれとして現実主義的な政策も出来るんだよな
だとすれば尊氏を何とか抱き込んで安定させる方向に持っていけなかったのかな >>310
北畠は戦国末期でも堂上公卿なみの官位と格式で遇されているから
一介の武士や大名に成り下がったわけでは決してないよ
>>313
織田信雄は一応北畠の名跡を継いだ形になっているから
信雄の子孫の家系は北畠の祭祀も継承しているよ
>>324
つまるところ奥州にいては遠すぎるということだろう >>327
心に留め置いたやん
あれが一番大事な仕事、
次が苦い酒を飲む事 >>314
>>317
それ備中じゃなくて備前な
赤松の佐用荘は播磨のなかでも西の端のような場所で
ちょっと行けばすぐ備前や美作に入るような場所だが備中は少々遠い
>>318
最終的に室町幕府のもとでの赤松の守護としての分国は播磨・美作・備前の3ヵ国になる
>>319
後醍醐天皇としても正成の功績は流石に無視できなかったということだろう
ただ後の大塔宮逮捕はちょうど正成が京都を留守にしているタイミングで行われており
正成が大塔宮の有力与党として見なされていたことは事実かと >>323
そんな名シーンなのか
個人的には尊氏と正成が最初に会ったシーン
尊氏が正成を逃がす所が心に残った
原作にはないらしいが >>330
そこがある意味最低ラインだったように思う
まあ播磨守護は鎌倉末期には六波羅探題の兼務で世襲の有力守護家がいたわけでもない
赤松に守護職を渡しておけば万事丸く収まったのは事実
>>331
そのシーンはただの勧進帳のパクリ >>332
史実では一度貰った後に取り上げられたんでしょ?
そりゃ怒るわ ドラマで赤松が絶対南朝殺すマンになった理由が雌鳥鳴くと国滅ぶそのままになってるけど史実の理由はなんだったんだろう これだけドラマの題材になりそうな人が一杯おる時代なのに
「太平記」から29年経っても一度も映像化されんとは残念
手垢まみれの戦国物とかはしばらくお休みしておくれな 一つ一つのペピソードは面白いけどドラマとして収集をつけるのは難しいからじゃないかな
古典太平記自体が脱線しまくりで収集がついてないんだから 赤松はあまりに大塔宮に近すぎたのが災いしたな
ただ建武政権から過分な恩賞を貰わなかったことは長い目で見れば幸いだったか >>329
まあ、室町幕府というか尊氏にとっては
赤松にはその3国を与えても惜しくないくらいの非常に多大な貢献をしたからな。 >>337
それはわからん。
赤松が多大な恩賞を建武からいただいて、そのまま後醍醐天皇側にいたら
尊氏は西国で死んでた可能性が高いからな。 >>333
そりゃバックの護良さん鎌倉にポイ捨てされたから
後ろ盾のなくなった赤松さんや楠木さんはポイやろ。
むしろ楠木さんがその後も南朝側で戦っていたことが謎すぎる。 楠木に河内、和泉の二カ国なら最低でも播磨一国と思うのは無理も無い
しかし冷遇するにしても中途半端な処遇だったな
あんな戦略的な要衝に置くなら遠くの大国でも与えてやれば良かった >>335
また尊氏主役でやるなら佐藤健がいいなア 河内、和泉の二カ国よりも播磨一国のほうが地位が高いからな。 北畠親房、黒い涙は覚えてたけど、片眉毛もあったんだw たしかに赤松円心はあの風貌なら、相当根深い恨み抱きそうだからな。
いいキャスティングだったわい。 畠山さんが栗の食べ方を知らなかったとか
芸が細かいのう。 まぁ結果的には戦いに勝ち、足利も赤松も傍系とはいえ終戦まで華族で通せた >>332
では、護良親王に守護の任命権を認め、赤松は護良親王から播磨守護に任じてもらえばよかったの? まんが日本史の動画、削除されちゃったな
尊氏と円心の密談で光厳上皇擁立を決めていたが、
発案者は尊氏になっていた
とにかくこのアニメの尊氏は無双すぎて笑える 子供に「呪術性」があるって言ってた?
聞き間違いかもしれないけど、変な日本語に思えて。 派閥ってのは難しい。当事者だから分かる
別に意志をもってそこの派閥に入社して入ったとかじゃないが
たまたま配属されて仕事してそこの人間になってて
3つ派閥があるが3番手になった時、いつの間にか
後ろにいたみんなが庶務的なところに配置転換だからな
守護だ領地、血を流して冷遇されたらチンケな現代より発狂もんだ >>351
子供に見せるアニメだから、原作の歴史まんがから登場人物も整理されて、主人公が活躍する
よりわかりやすい演出になってるね
まあ漫画のほうも子供向けではあるんだけど… 江戸時代の時代劇なら武士はみんな
頭を剃って髷を結ってるのに
太平記は何故かみんな烏帽子をかぶってるな
この違いは一体どんな理由? 小学館の漫画日本の歴史では
鎌倉幕府滅亡の時
北条高時が出家して頭が丸坊主だったのに
ドラマ太平記では出家してない様子だったが
どっちが正しいんだろか?
あと足利高氏が倒幕の出陣する時
小学館の漫画日本の歴史では下野国から出陣してる様子だったが
ドラマ太平記では鎌倉から出陣してたなこれも
どっちが正しいんだろか? >>355
中世、14世紀位までは庶民でも成人男子は被り物を付けてる様子が絵巻などでも見られるね。被り物で身分や職業が判別できるようになってる。
江戸時代まで下ると、髷の結い方がそういうものに取って代わるみたい。 >>352
それであってる。
字幕もそうなっていたよ。 >>341
>>343
令制下の国の等級では河内も大国だよ
>>348
建武政権では守護の任免権も帝なんじゃないのか?
>>350
小寺も別所も赤松の庶流だな 江戸時代には有馬氏が旗本の赤松氏から養子をもらったりしてるから
その頃でもそれなりの仲間意識があったんだな 後醍醐は自分の側近(千種など)、自分が味方に引き入れた者(楠など)
自分の目の前で活躍した者(名和など)には恩賞を与えて
接点の無かった赤松は冷遇したんだろうな
怒って播磨に帰る赤松に尊氏が声をかけるシーンは好きだ 天才といわれた洞院公賢に偉そうに講釈を垂れる後醍醐さんw >>361
則祐は最初の挙兵のとき笠置に駆けつけてるけどな 赤松則村はすでに円心の法名を名乗っているし出家の身なんだろう? >>360
江戸時代の旗本(高家)の武田氏は大名の柳沢氏から養子を貰ってるな ちゃんと儀式用の装束を着て帝に対峙していたら、心象が変わっていたかもしれないな赤松はw 片岡孝夫を配役しているから風格ある後醍醐となっているが、どうみても頭が固く融通の利かないおっさんでしょ
実は一番先例に固執しているんだから >>368
天皇の力なんかとうの昔になくなってたあの時代に
あれだからやっぱり怪物だよ
千数百年の歴史で他に例がない だからこそ、湊川の後にきちんと処遇しておかなければならなかった。まあ新院として害し奉ることなんだけど >>368
延喜・天暦の御代に戻れというのはハッキリ言って単に後醍醐自身が権力を握るための方便
実際には延喜・天暦の治を模倣する気がさほどあるわけでもないよ >>361
あれは大塔宮派の最大の軍事勢力を削ぐために蓮子が奏上して仕組んだんでしょ そーいや北朝は歴代に数えられてないけど
天武系とか持統系の天智系からの違う系統だけ
菩提寺からハブられてるよな。歴代天皇には数えられてるが
ふと思い出した上にスレ違いだが・・南北朝みたいなもんで
藤原氏はずーっと自分の血は保険かけながら天智系復活とか目指しとったんかね >>357
大衆層も髷の形は15世紀以降もしばらく中世スタイルかな。
武家でも新右衛門は日常被り物なしで髷晒しだった
――
一休さん 其の三
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranime/1558854689/
51 名前:名無しか・・・何もかも皆懐かしい[sage] 投稿日:2019/06/21(金) 17:49:00.63 ID:???
桔梗屋、庶民、男児の髪型が江戸時代だよな
中世の男子はみな烏帽子スタイルじゃないか?
桔梗屋さんって確か子供の頃南北朝の戦乱で両親を失った戦災孤児という
なかなかにハードボイルドな生い立ちだったよな >>356
史実高時は幕府滅亡数年前に出家しているので坊主頭で亡くなった
尊氏が出陣した時の出発地は知らない
大河で太平記の頃の史実を全て拾うのは困難と思うのである程度は仕方ないと思う >>371
延喜・天暦の治は天皇親政という意味で嘉例なのでしょう 延喜・天暦の治が天皇親政の理想的な治世とかよくわからない
実質は藤原時平・忠平兄弟や実頼・師輔兄弟が政治を動かしてたし 個人的には持明院統や大覚寺統の嫡流である邦良親王流への対抗意識から
生まれは諸王の一人でありながら、聖代と後世に讃えられた醍醐天皇を
掲げたのかもねと思う
後醍醐天皇の親政は空回りな感だけど >>374-376
一休さんの義満も北山第が完成していたのに出家していなかったなあ。 >>372
大塔宮派の最大の軍事勢力は楠木じゃないの? 阿野廉子みたいな女が絡んでくると
政治がゆがむんだな 凛々しい武闘派公家だったモックン千種が、急に俗物になっていて驚いた 苦しい中今まで必死に後醍醐天皇のことを支えてきた畠山が
あっさり奥州へ親子ともども島流しにあったのに吹いたw >>385
後藤久美子は奥州に行って伊達政宗の嫁に 今井宗久は近江源氏佐々木氏の末裔なのな
まさか道誉の系統じゃないよな?Wikiでは高島郡とあるから違うと思うけどw >>368-369
吉野に逃げている以上、怪物でもな何でもない
時世を読めなかっただけ >>382
楠木は親大塔宮とは言われるが赤松ほど大塔宮にベッタリというわけではない
赤松則村は息子の則祐をずっと大塔宮に近侍させている >>389
中世〜近世の有力な商家は大体みんな近江源氏(佐々木氏)に自らの系図を繋げるものだよ
商人=近江商人のイメージが強いからだろうけどね
三井・住友・鴻池のような近代まで続く豪商もみんなそう わずかばかりの土地を貰えなかった石はかわいそうじゃの 鎌倉武士のくせに万葉集にくわしい尊氏と師直はなかなかのシティーボーイだなと 山上憶良は常識なんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています