【最終回】太平記part.49『尊氏の死』
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つか義貞は会合の時にいっつも弟を連れてくるなよ。トラブルメーカーじゃないかw >>598
馬鹿な弟を連れてくるかどうかだけでも
実力の差がわかるよな
尊氏も正成も弟を連れてきたら揉めるのが目に見えてるから連れてきてないと 北条一族で生き残ったのって、覚海尼と足利登子くらいか。 >>553
あれは崇徳怨霊の話になるきっかけだから話づらいし、後白河は妖怪だしで
戦よりその後の話の方が目立っちゃってw >>590
そもそも鰻と穴子の区別がついていたかどうかも怪しい
のりょのりょと長くてヌメヌメしていたら鰻って判断ではないかな 100歳近い超高齢で生き残り所領安堵されたけどすぐに病死した長門探題金沢時直とその息子とか
ここも息子が反乱起こして終わるんだよな >>159
北九州の糸田何とかとかも数年命が延びただけだったな
北条一族で生き残るのはかなり至難
北条の名を捨てるぐらいか >>601
登子を北条一族というのなら覚海尼は安達一族だしw
>>603
そこは多目に見てあげよう
このドラマも初回と第二回では藤村志保の役名が「足利清子」だったし
というか公家に嫁いだ登子の姉妹とかもそうだが
北条一族出身でも他家に嫁いだ女性は基本的に元弘の乱では死んでいないのでは? 今川がうんだ名越の息子は生き残ってる
兄の方は中先代で死んだが弟は生存 >>604
それは流石に中世日本人をバカにしすぎじゃないか?
ウナギ・アナゴ・ハモ・ウツボあたりは生物としての種類は近いが
見た目にも違いは十分認識できる
>>605
守時の未亡人も確か所領安堵されてたはず >>609
織田信秀に那古野城を追われた今川氏豊の先祖か? >>611
そもそも、ちゃんとそれぞれに名前が付いているんだから
昔の人がちゃんと区別してた証拠だよね 日本人は縄文の昔から大量の魚介類を消費してるわけで
一般的に魚の種類を見分ける目は肥えてると思うよな 円喜って死んだとき何歳だったのだろう?
烏帽子親は時宗っぽいから貞氏や貞顕より年上だろうけど 今、見ました。
ギバちゃんとりえちゃん。いい場面だったね。
ギバちゃんの怒り、りえちゃんのせつなさ。よかったな。
脚本、演出、役者の演技、そろっていい場面になるな。
尊氏の演技も良かった。 石の使い方は麒麟が来るの駒よりはうまいと思う
なんだかんだで絡んでくるけどね
オリジナルキャラで好かれたのって人形劇三国志ぐらいのロンロンとしんしんぐらいかな 江戸時代の横井や高倉健も北条が先祖っていってんだからそれなりに生き残ってんじゃないの? >>618
個人的な見解ですが
いなくてはならないオリキャラ
・太平記 右馬之助、石、藤夜叉
・草燃える 伊東十郎
・真田太平記 お江
・人形劇三国志 シンロン
・新平家物語、人形劇平家物語 麻鳥 シンロンって最後どうなるんだっけ?
いらないから途中から消えたんじゃないの。 右馬介と藤夜叉は大河オリジナルじゃないし
それ以前にも右馬介は名前の元ネタあるし藤夜叉は生い立ち自体はオリジナルでも直冬の母だからいないと話にならないし >>622
名前の元ネタが実在するのか
真田の樋口角兵衛みたいな感じか >>623
実は三国時代の英雄の殆どに会った事があるという凄いキャラだった。
ましらの石も結構色んな人と会ってるな。 >>608
あ、そうですね。覚海尼は安達の人か。
そういや鎌倉脱出に失敗した尊氏の子って、側室の子だからどさくさまぎれに登子に消されたり、まで行かなくても積極的に守ってもらえなかったりしたのかなぁ、なんて。 >>582
藤夜叉が死んだあとに、イザヤ丸に「よう来た」と言って頭をなででいたような>花夜叉 歴史上の偉人をよく絡めてきてるね
観阿弥と世阿弥、覚一法師、夢窓疎石etc. 藤村志保素晴らしいね
同じ尼でビジュアル的に同じだけど
優しく情愛のある清子と
生真面目な女丈夫の陰謀家の寿桂尼様で
全く別の人格に見える >>611
それで思い出したんだけど
北条時代の鎌倉ではアサリを食わなかったらしい
アワビはご馳走として文献に出てくるし
ハマグリなんかの貝殻は当時のゴミ捨て場から大量に出てくるけど
アサリだけはでてこないんだそうな
少なくともアサリとハマグリの区別はついていたってことだね バブル真っ盛りのこの時期 石は日野様からもらった土地を担保に土地ころがしをしようとしたに違いない あり、鎮守府将軍は尊氏だろ?
奥州に下った顕家の官職は何、陸奥守? 北畠の奥州下向の段階で鎮守府将軍は尊氏から顕家に交代したということだろう
あと一般的に鎮守府将軍は陸奥守が兼ねることが多い
陸奥守は鎮守府将軍を兼ねていればこそ陸奥だけでなく出羽にも影響力を持てる >>634
どうせ日野家の土地のままだったとして石の立場は単なる下司職とかでしょう? あの場にいた人々は尊氏と魚売り母子・侍がただならぬ関係にある事を何となく察してたんだろうか
あんな立ち上がって面と向かって会話するとか帰りに闇討ちされそう 調べたら顕家は鎮守府将軍に任命されてるけど
それは建武2年の11月12日の奥州下向時
尊氏から交代というか、その頃には尊氏は征東将軍
尊氏討伐令が出るのが建武2年11月19日だから建武の乱の直前
日付を見ると結構面白いね
鎮守府将軍にしたのは恐らく恩賞認定権を付与したから
京都合戦で尊氏を破ったのはこれが大きかったんだろう
のちに死ぬ1週間前に後醍醐天皇に出してる有名な
北畠顕家上奏文では、恩賞認定権を与えるよう上奏してるから
恩賞認定権は一時的な措置で奪われて、それが原因で負けるって事
後醍醐天皇は負けるべくして負けてるなあ 一般的に恩賞の給付は軍事指揮権とセットであるはずのものだから
軍事指揮権があるなら恩賞を与える権限もあるのが普通じゃないか? 上司に査定権無かったら、部下が言うこと聞かないわなあ。 まあこの場合の軍事指揮権は本来的には自分の家臣ではない者を動員する権限だけどね
ただこの権限は一国の守護でも当然のように持つものだし
後々守護が国内の武士を被官化していく背景としても重要 >>641
俺も詳しくないんだけど、この時代は一般的ではなかったって事かねえ
高師直がこの時代で天才とされるのは
その辺の仕組みを簡略化したからだって話をなんかで読んだことがあるけど
それが直義派との対立の直接原因とか
命令と恩賞を書面にしてセットでガンガン発給
そりゃ効率的だけど、鎌倉幕府の訴訟制度とは相入れないから 新恩給与(恩賞地の給付)と所務沙汰(土地紛争に関する訴訟)は普通に両立するのでは?
鎌倉幕府や二頭体制期の室町幕府では棲み分けてるし
新恩給与→主従制的支配権、将軍の権限
所務裁判→統治権的支配権、執権の権限
まあ二つの支配権が一元化される義詮期以降になると訴訟手続きの大幅な簡略化が起こるが
ドラマ終盤で直義が「無能な義詮殿」と発言してるのも
そうした訴訟の取り扱いなど従来の政務のやり方を義詮が顧みないことへの発言だろう 恩賞つうても正確には土地を貰えるんではなくて
荘園の年貢の一部の権利と年貢の代わりに人夫の徴発の権利を貰えるだけだし
当時のことだから実際の権利関係なんてどうなってるかカオスになってるだろし
内乱状態で誰が出しても空手形同然だよね 直義が中先代の乱を鎮圧できてたらどうなっていたかな?
遅かれ早かれ建武新政は破綻したのだろうけど >>646
下司職や領家職は普通に在地領主としての領主権だと思うが?
上級領主の取り分はちゃんと納入してねというかことにはなるけどさ
まあ戦争の際に先々の恩賞で武士を味方に引き入れる場合は
あくまで当人が実力で切り取ればその土地の支配を認めるから味方として頑張ってね
ということではあるけど >>644
軍勢催促状と恩賞をセットで出して軍忠状出して認められたらその恩賞が貰える仕組み?
事後に細かい調整する直義ら文官派がブチ切れるの分かるわ
何度もあーにーうーえーの声が鳴り響いたに違いないw >>649
直義存命中はそこまで露骨にはやっているケースは少ないんじゃないかな?
まあ義詮とかはとりあえずバンバン恩賞として与えてしまって
その後に別の誰かから訴えがあった場合はそこで調整すりゃいいという感じが
相当露骨になる感じがするが 藤村志保といえば、ドラマ「温泉へ行こう」の大女将だな
この太平記もいいが >>651
この時代に生きてた人達は何を信じたらいいか困ってたろうなあ。
権力者たちも暗中模索だったのか。 >>649
ドラマでは
「お前らは師直達の武功にあぐらを書いて、日々事たれりとしているように見える」
みたいな怒り方して嗜めてたな
師直にはやりすぎたら扇子でバシバシ直接お仕置きしてたけどw
どっちの言い分もわかるから、もうちょっと空気読めって言いたかったんだろうけど
直義はそう言うことができる人間じゃなかったんだよなあ >>654
初期室町幕府の二頭政治はありし日の鎌倉幕府の体制を武家政治の理想と見なしたけど
それが時代に合わないことが徐々に表面化していった結果が観応の擾乱
でその後の混乱と暗中模索の結果導きだした答えは得宗専制を遥かに凌駕するような
義満〜義教期の将軍個人への極端な権力集中と独裁独裁体制
しかしこの独裁体制は将軍がそこそこ政治的に有能な人物じゃないとまともに機能せず
最終的に破綻するのが応仁の乱とその後の混乱で明応の政変以降は最早目も当てられないと >>656
結局のところ、その時代に合わない部分って
「経済」だよね
南北朝だの戦国時代だのと混乱の時代にも関わらず
日本の経済は成長し続け、人口は増え続けた
それは後の政権も統制しきれてなくて
豊臣は唐入りせざるを得なかったし、
江戸幕府はそもそも経済成長を否定するような愚民化政策
日中戦争や太平洋戦争も結局は経済が原因かな 徐々に徐々に、尊氏が理想主義者からマキャベリストに移行しているのがおもしろい >>658
ゆっくりすぎなんだよ
もうちょっと長崎円喜なり直義みたいに
後醍醐天皇捕まえたわ、まとめて粛清しとこ
って、割り切りが出来てたら
南北朝は数年で終わってた >>657
中世段階での経済発展は貨幣経済がそこそこ浸透すれば起こるべくして起こる程度のもの
しかし戦乱が多く世の中が安定しないためその結果できる経済システムも不安定な状態
例えば南北朝・室町期には年貢の金納化なんかもかなり進んでいたのに
戦国期になると土倉の発行する為替手形による遠隔地間の送金システムが崩壊したため
結局戦国末〜近世になると再び米などの現物納が一般的になる
そうしたこともあって太閤検地も貫高制ではなく石高制を採用することになるし >>657
あと江戸幕府の政策の根本が経済成長の否定とは思わない
むしろ戦乱のほとんどない平和な社会になったことで経済規模は飛躍的に大きくなるが
そうした変化に結局政権側が対応できていないのが実状だろう
まあ社会の変化に対応しきれずに武家政権が右往左往するのは中世も近世も似た感じか 結局日本人って、それまでの仕組みが派手に壊れて、新しいものを一から作らなければ
ならないときには、かなり柔軟な対応ができるけど、一度ある程度完成した形に
なってしまった仕組みを臨機応変に微修正していくのは、苦手ってことだな。 後醍醐がやろうとしたことはその先例踏襲主義の弊害打破
ただやり方がアレだったから・・・ >>664
後醍醐死後の尊氏は意識的にか無意識にか後醍醐のやり方を踏襲してたりする
結局、自前の武力も無しに強権的なことをやろうとしても上手くいくわけも無し >>620
紳助竜介が問題起こしたから
再放送できない 要は変革の必要性が社会に広く共有されたときの変化は早い
だが一部の人が叫んでいるだけで大多数にそれが響いていない状況では何も変わらない ここで5択クイズ!
この中であなたが最も頼りに出来る弟はだれ?
1北条泰家
2足利直義
3楠木正季
4脇屋義助
5高師泰
こうみると直義ってまともな方だなw 義貞が呆れた顔して席を立っていたけど
真っ先に暴れたのあんたの弟だぞ >>654
北条政権の鎌倉幕府=麻生太郎首相の自民党政権
後醍醐天皇の建武の新政=鳩山由紀夫首相の民主党政権
みたいなもんだ 武家の棟梁なら鍛錬とかしてるだろうし
ドラマだから一騎打ちのシーンとかあるけど
大将の個人としての戦闘力高いのって戦場でいみあるの? 師泰は兄説と弟説が両方あるが少なくとも庶子であった(嫡子でなかった)ことは事実
嫡子でない人物に兄説と弟説が両方ある場合だと真実は庶兄である可能性が極めて濃厚
なぜなら庶子であり実際の出生順も弟であったのなら兄説が生まれる余地はないから
しかし庶子だが実際の出生順が兄であった場合は庶子なので弟扱いされて弟説が生まれる余地がある
よって師泰は実際は師直より歳上と見てまず間違いない
ドラマの作者もその辺を踏まえているから師泰を兄としているのだろう >>659
足利方が後醍醐を捕らえた時点だと
仮に毒でも盛って後醍醐を抹殺したとしても
その場合はそれこそ北陸の恒良が即位宣言して宮方がそっちに結集すると思うから
結局一筋縄ではいかないと思うが? >>675
この時代はまだギリギリね
尊氏と義貞の一騎討ちもフィクションだよ
でも、ギリギリありえた時代
実際にそれなりの立場の大将が一騎討ちやってたわけで >>677
>頼りになる弟は光明天皇だな
自分が一代限りの帝で子孫に皇位を継承させることができないことがわかっていても、
後醍醐のようにごねずに、おとなしく兄の光厳の息子(崇光)に皇位を譲り渡したからな。
逆に崇光は弟の後光厳にごねられて、皇統を乗っ取られてしまい、いろいろ苦労するはめになったが。 >>675
この時代の一騎打ちは、なんか遊戯めいてる
細川清氏と桃井直常(偽)の一騎打ちとか
今川の大将格の範国が敵の武者の兜割ったりとか >>547
何で?部外者か?
負けるとは思わなかった本拠地の矢作川の戦いで負けて、単純に戦意を喪失しただけだろうが
お前だけじゃないが、矢作川がどういう所か分かっていないから、間抜けなレスをする
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 来週のEテレの「知恵泉」で後醍醐天皇が取り上げられるぞ >>678
部外者か?
何でそんな嘘を簡単につけるんだ
高氏嫡流の累代の所領、三河国菅生郷は師泰が相伝した
何で嫡子じゃねーんだよ 大久保佳代子とかいうブスでバカで下品なBBAをEテレにだすな >>657
結局はエネルギー:ジュールという事。
エネルギー量:食糧暖房はもちろん、建材や武具 情報も少ないと人口は直ぐに飽和して、間引きや殺しが多くなり隣国に攻め行って‥を繰り返すね、全世界で起こってる。
昨今の人口爆発もジュールが使えるからなんだぜ >>683
それをいうなら花園天皇なんて系図上は自分の子供になってる皇子が
本当は光厳の子であることを承知で養育していたわけで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています