【最終回】太平記part.49『尊氏の死』
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>>657
あと江戸幕府の政策の根本が経済成長の否定とは思わない
むしろ戦乱のほとんどない平和な社会になったことで経済規模は飛躍的に大きくなるが
そうした変化に結局政権側が対応できていないのが実状だろう
まあ社会の変化に対応しきれずに武家政権が右往左往するのは中世も近世も似た感じか 結局日本人って、それまでの仕組みが派手に壊れて、新しいものを一から作らなければ
ならないときには、かなり柔軟な対応ができるけど、一度ある程度完成した形に
なってしまった仕組みを臨機応変に微修正していくのは、苦手ってことだな。 後醍醐がやろうとしたことはその先例踏襲主義の弊害打破
ただやり方がアレだったから・・・ >>664
後醍醐死後の尊氏は意識的にか無意識にか後醍醐のやり方を踏襲してたりする
結局、自前の武力も無しに強権的なことをやろうとしても上手くいくわけも無し >>620
紳助竜介が問題起こしたから
再放送できない 要は変革の必要性が社会に広く共有されたときの変化は早い
だが一部の人が叫んでいるだけで大多数にそれが響いていない状況では何も変わらない ここで5択クイズ!
この中であなたが最も頼りに出来る弟はだれ?
1北条泰家
2足利直義
3楠木正季
4脇屋義助
5高師泰
こうみると直義ってまともな方だなw 義貞が呆れた顔して席を立っていたけど
真っ先に暴れたのあんたの弟だぞ >>654
北条政権の鎌倉幕府=麻生太郎首相の自民党政権
後醍醐天皇の建武の新政=鳩山由紀夫首相の民主党政権
みたいなもんだ 武家の棟梁なら鍛錬とかしてるだろうし
ドラマだから一騎打ちのシーンとかあるけど
大将の個人としての戦闘力高いのって戦場でいみあるの? 師泰は兄説と弟説が両方あるが少なくとも庶子であった(嫡子でなかった)ことは事実
嫡子でない人物に兄説と弟説が両方ある場合だと真実は庶兄である可能性が極めて濃厚
なぜなら庶子であり実際の出生順も弟であったのなら兄説が生まれる余地はないから
しかし庶子だが実際の出生順が兄であった場合は庶子なので弟扱いされて弟説が生まれる余地がある
よって師泰は実際は師直より歳上と見てまず間違いない
ドラマの作者もその辺を踏まえているから師泰を兄としているのだろう >>659
足利方が後醍醐を捕らえた時点だと
仮に毒でも盛って後醍醐を抹殺したとしても
その場合はそれこそ北陸の恒良が即位宣言して宮方がそっちに結集すると思うから
結局一筋縄ではいかないと思うが? >>675
この時代はまだギリギリね
尊氏と義貞の一騎討ちもフィクションだよ
でも、ギリギリありえた時代
実際にそれなりの立場の大将が一騎討ちやってたわけで >>677
>頼りになる弟は光明天皇だな
自分が一代限りの帝で子孫に皇位を継承させることができないことがわかっていても、
後醍醐のようにごねずに、おとなしく兄の光厳の息子(崇光)に皇位を譲り渡したからな。
逆に崇光は弟の後光厳にごねられて、皇統を乗っ取られてしまい、いろいろ苦労するはめになったが。 >>675
この時代の一騎打ちは、なんか遊戯めいてる
細川清氏と桃井直常(偽)の一騎打ちとか
今川の大将格の範国が敵の武者の兜割ったりとか >>547
何で?部外者か?
負けるとは思わなかった本拠地の矢作川の戦いで負けて、単純に戦意を喪失しただけだろうが
お前だけじゃないが、矢作川がどういう所か分かっていないから、間抜けなレスをする
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 来週のEテレの「知恵泉」で後醍醐天皇が取り上げられるぞ >>678
部外者か?
何でそんな嘘を簡単につけるんだ
高氏嫡流の累代の所領、三河国菅生郷は師泰が相伝した
何で嫡子じゃねーんだよ 大久保佳代子とかいうブスでバカで下品なBBAをEテレにだすな >>657
結局はエネルギー:ジュールという事。
エネルギー量:食糧暖房はもちろん、建材や武具 情報も少ないと人口は直ぐに飽和して、間引きや殺しが多くなり隣国に攻め行って‥を繰り返すね、全世界で起こってる。
昨今の人口爆発もジュールが使えるからなんだぜ >>683
それをいうなら花園天皇なんて系図上は自分の子供になってる皇子が
本当は光厳の子であることを承知で養育していたわけで >>683
後花園で元に戻ったからいいじゃないか♪ 廉子が尊氏にまた明日来いって言ったのに無視して帝に拝謁したのは廉子の面目を大いに潰したよねw 経済が調子いいとホワイトハウスでエロい事が出来るとクリントンは教えてくれた 蜂起した北条はみな南朝だよね
登子の関係を考えれば親戚だし足利と組んだ方がよかったのに
なんかよく分からん利害関係があったのか 土壇場で寝返った足利に対する憎悪が強い
あとは足利幕府に帰順したところで居場所がない 生き延びる為なら足利に付くのもありだろうと思うんだけど
その辺北条一族はよほど足利憎しで結束していたんだろうかね。
新田一族にだって大館氏みたいな家もあったのに。 旧北条領で新しく足利領になったとこが暴動が激しかったんだろ そもそも赤橋家が裏切り者扱いされて鎌倉の外で死んだやん
守時は墓もないんだぜ 赤橋家の男性で生き残った人はいないし
得宗家の生き残りは足利憎し、登子には分家の分際でだろうし 守時の子供は他の北条残党と一緒に活動してなかったか? ググったら守時の末裔を称する人たちが備前にいるって出てきた。
明治になって苗字を守時にしたらしい。 赤松に討たれた名越高家の嫁が今川の女で
息子が名児耶氏かなんかで生き延びてるな
やはり嫁の実家は大切 >>706
父・守時と同じ日に死んだ息子ならいるけれども他にもいるのかしらね >>706
それは仲時の子供じゃないかな
六波羅勢は集団自殺しても寺の坊さんが名前を残してくれた?んで
名簿が残ってるし墓もある
最後の執権は何もないからな 気になって調べたら守時が戦死した場所に石碑と
「泣塔」と呼ばれる供養塔があるのね 今思うと 源頼朝は北条氏にかつがれていたんだなと 幼子を旗印にして坂東武者を束ねていたのかもしれぬ 幼子の力は新田殿ならようご存知のはず…(/ω・\)チラッ >>709
>>710
反室町幕府で活動していた北条残党のなかに守時の子も仲時の子もどちらもいたような気がする
あと仲時は六波羅に妻子は連れてきていないんじゃないかな
父親の基時も鎌倉の東勝寺で死んでいるわけだし >>715
確か原作の方の太平記では、六波羅が落ちる前に仲時が妻子に
最後の別れを告げる場面があったと思った そういえば光厳は六波羅陥落後、北条勢と一緒に近江に逃げる途中、落ち武者狩りの野伏に襲われ、
矢で肘を負傷している。実在したことがはっきりしている天皇で戦場で負傷したのは光厳だけ。 例えば、尊氏の正室が赤橋じゃなくて得宗の姫ならどうなってただろうな。離縁したかな? >>718
鎌倉滅亡後に北条一族出身の女性を離縁した例なんて公家・武家を問わず他にも例はなさそうだけど >>719
高時と登子は血縁近いから似てておかしくないんだけどな
大河では何の血縁もない鶴太郎と沢口靖子だったからだが >>723
登子は母方の祖父が北条宗頼(時宗の弟)だから高時とは6親等になるけど
この程度の血縁だとそこまで似てるほどの見た目にはならないんじゃないか? >>721
俺は足利を見逃したりしてねえって激怒してると思うがw >>725
なるほどw
でもドラマ的には登子・千寿王が脱出できたのは
守時が黙認した、の方が面白いよね >>726
そのおかげで足利には北条の血が流れている
将軍家も関東公方も。
直冬は排除しているので足利はすべて北条の子孫 >>727
足利は代々北条の嫁貰ってるから
直冬にも北条の血が流れてるんだけどね >>728
義兼の時点で政子の妹北条時子が正室だしね >>730
逆に北条の嫁が正室でない人の方が珍しい
貞氏さんも金沢さんの所から貰ったアレな嫁が正室 >>727
堀越公方政知とか伊豆の北条氏発祥の地を拠点としているし
室町期の将軍家には鎌倉北条氏との繋がりを忌避する意識も特にないよね >>731
足利宗家は義兼から尊氏までの歴代すべて正室は北条一族出身 >>733
あ、そうか
勘違いしてたわ
北条の母を持つ当主が高氏含めて珍しいんだったわ
確か2人かな >>734
家時と尊氏は生母が北条一族出身じゃない
ただこの2人もそれぞれ父親である頼氏と貞氏の正室は北条一族出身 千寿王は前執権赤橋守時の甥と考えると鎌倉幕府滅亡直後に鎌倉に置いておく意義有るんだよな
元北条被官の生き残りが従う大義名分を与えるし
>>734
家時と尊氏って所に北条を裏切った背景が見えてくるのかも
貞氏は北条に気を使って高義の嫡男に家督を譲ろうとしてたかもって話があるから母親の出身は大事だよね 鎌倉が滅亡した後だと得宗の嫁は政治的に差し障りがありそうな気がする 兄の足利義高が生きていて当主になれば
高氏より斯波高経が格上だった可能性もあるのかな
新しい分家が生まれたのかも 戦国時代とかみると武将で嫁にべたぼれというパターンは多いよな 真田幸村とか関ヶ原で嫁さんの違いからお兄さんと別行動とるし
武田信玄の息子の義信は嫁さんと別れたくないから信玄に謀反を起こすし 細川ガラシャは夫に異常に愛されていたし 尊氏もきっとそんな感じだったのではと思っている 惚れた惚れてないよりも嫁さんの実家の影響力はそれだけ強大だということ
登子が庶子に厳しかったのも実家の後ろ盾が無いので自分が頑張らなければという考えもあったろう 登子と結婚したのに北条残党が味方しなかったのは痛かったね
尊氏なら度量もあるし所領を与えたはず
母方の上杉氏は巨大化したのに >>725-726
じつさい守時にその気がなけりゃ逃げられなかったでしょ
たぶん妹に泣きつかれたんだろうけど 竹若が脱出に失敗しているのに千寿王かまんまと成功しているのは大きいね >>739
確実にそうなってたと思うよ
北条以外の母から生まれた庶弟なんてゴミ扱いだし 草燃えるの総集編だけ見た人が頼朝が
大姫と高義がどーのこーのと言ってるシーンを見て
高義?義高の間違いじゃねーの
てレスしてたの思い出したw
本編見てないとそう思っても仕方ないな 足利将軍家で「義高」という名前なら義澄が一時期これを名乗ってるな 貞氏は高義が早世した時絶望しただろうな
尊氏が親父と同じ運命を辿ると
死ぬまで家督を譲らなかったのは、北条が斃れるのに賭けてたのかもしれない
全国の反北条の機運を感じとっていただろうから >>751
だってあの人は
将軍じゃなかったら殺されてた
ってのを人生で何度も経験しとるからw >>742
ドラマや小説的な解釈だと
足利が裏切ったから北条が倒れたになるからなあ
関ヶ原で
大領もってる家康と、小領の三成とでは
信用度の重さが違うとか言われるみたいなもん(?) 前スレあたりで話題になったけど
政略結婚してても、対立すれば戦う
直系の子孫のために外孫滅ぼしたりするのが武士だけど
政略結婚していれば
嫁(母)や濃い親戚に遠慮が生じるとか
嫁についてきた家臣団が
両家の仲裁をするから(スパイするから)戦いがおこりにくいのかな >>742
政所関係の御家人なんかはそのまま鎌倉幕府滅亡以降も協力してるから北条一族以外は結構柔軟に対応してたんじゃないかと 北条一族とその根本被官を除けば北条と一緒に滅んだ武士のほうが少ないでしょう
だいたい尊氏と一緒に寝返った御家人たちの大多数の認識では
元弘3年のあの戦いは幕府打倒ではなく北条氏打倒であったわけだし >>753
ドラマ的にはね
史実では普通に有能だし
そりゃ足利尊氏って天下人だもん
あの時代で一番のお人なんだから、比較したら誰だって問題アリになってしまう 尊氏はいつもニコニコしてたみたいなエピソードは多いな
しかも謝れば大抵の事は許す
そういうところが愛された部分でもあり裏切られたりする理由でもあるんだろうな 二階堂道蘊は殺されちゃうけどあーゆーのは他にもいたん?
かわいそう >>757
どうかなあ
幕府打倒でなくて北条氏打倒なら自分らで普通に反乱してたと思う
実際は後醍醐が隠岐脱出して粘って西国の反乱の後追いだから
幕府打倒認識だったと思うな
建武新政が下手打たなきゃな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています