太平記part.50
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前スレ
【最終回】太平記part.49『尊氏の死』
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1600757533/ >>262
最早どんなだったか全く思い出せないのだが >>263
信繁が戦場で二丁火縄銃持って家康と一対一で立ち向かってた記憶がある >>241
篤姫とか八重とかも幕府側から描いた幕末物では? >>264
それ関ヶ原じゃなくて大坂の陣では?
信繁は関ヶ原の戦場にはいなかったはず >>264
それは大坂の陣。関ヶ原は佐助の報告で終了。 鬼滅の刃のブレイクぶりからして
鎌倉の次は大正じゃないかなと >>266 >>267
間違えた、関ヶ原は秀忠の足留めに成功して浮かれた昌幸に報告入って一転する奴だった 今回の「麒麟がくる」の展開を「太平記」でたとえると、北条を追放し、鎌倉を無血開城させて、宮将軍体制を復活させるも、その宮将軍のリクエストで円喜を要職に復帰させるようなものだろうか >>241
日テレ時代劇の五稜郭のほうが面白いんだよな
榎本武揚 >>262
独眼竜も関ヶ原は報告のみで終わりだったような・・・?
>>271
何が言いたいのかよく分からん >>272
というか今さら南北朝正潤論争なんて議論自体が無意味 勘違いしている人が多いが、南北朝正潤論が問題にしているのはあくまで南北朝時代の皇統の正統性だけ。
南朝が正統という結論も、南北朝時代の皇統は、北朝(光厳→後円融)ではなく南朝(後醍醐→後亀山)が正統というだけで、
南朝の後亀山が北朝の後小松に三種の神器を渡し、譲位するという正当な皇位継承の手続きを経て成立した
南北朝合一後の今に続く北朝系の皇統の正統性を否定するものではない。 ドラマ板だからどうでもいいんだよ
歴史バカの勘違いは痛い >>281
一応念のために書いた。これまでの書き込みを見ていると、
南北朝正潤論では南朝が正統とみなされている
=現在の北朝系の皇室は正統性がない(あるいは正統性が疑わしい)
と勘違いしている人がいるようだったので。 今の皇室を否定する人はいないだろ
皇室典範という法律で厳格に定められてるんだから >>283
そんな書き込みあったかね?
どっちにしても今となっては南北朝正潤論争なんてどうでもよい論争 あまり行きすぎると、どこどこ屋みたいに扱われるよ… ここはドラマ板だからTwitterのなんとかbotのように分かってて馬鹿なことも書いたりして遊ぶところだと思ってたが 名和が縄をかけろってなんでこんなシリアスシーンで妙なギャグぶっこんできたんだっておもったけど
原作にもあるセリフなんだな 控えおろう、
この菊の御紋が目に入らぬか!
恐れ多くも征夷大将軍護良親王で有るぞ
皆の者、頭が高い控えおろう!
いや、主上の命なので・・・
あっサーセンw
こんな流れだったよな >>293
あー、不覚にもそれで気がついた
堤だけ歴史ドラマじゃなくて「時代劇」の演技だわ
それこそ水戸黄門の里見浩太朗とか 堤は単調なんだよ
最後の尊氏と2人で話すシーンは抑えた良い演技してたんだから
もうちょっとハイテンションな場面とメリハリ付ければ良かったのに
これは本人よりも演出の問題なのかもしれないけど もし当時5chがあり各回MVPスレッドがあったら今回のMVPは護良だと思った
が今は各回MVPスレッドで集計とかしてないのか >>301
その二人が僅差で競って守時が3位かな
鎌倉炎上回はほんと一気に主要人物退場しすぎで最後の出番なのに貞顕・高資・顕子らに票が集まらなさそう 「神器を持っているほうが正統」というルール
これに尽きる 日本史上類を見ない高福祉政権だったのが鎌倉幕府(北条氏政権)なのに
忍性 NHKの知恵泉で後醍醐天皇の特集をしてたが
皇帝ネロに近いとか普通に自由に語られてた >>306
壇ノ浦で沈んだから3種そろって即位できた帝はいないので
以後、正統はいないでOK? 三種の神器の所持で正統が決まるなら何も今まで揉めてないっつーのw >>311
沈んだ剣はレプリカでしたという設定で乗り切るので問題無し 鎌倉炎上後も十分すぎる以上に面白いね
新政が最初から権力闘争始めててだめだこりゃ 途中送信してしまった
鎌倉陥落のところで尊氏達は武家の都が焼けたこと(自分達がやったこととはいえ)に無常を感じてたのに後醍醐帝はざまあみろな馬鹿笑い
ここで先行きが怪しいのを暗に現してたのとか本当上手い演出だわ >>315
後醍醐帝と袂を分かつことになる赤松とかも鎌倉陥落の段階では後醍醐と同じような感じだったな 高福祉ってなんだろうね
江戸時代だって賤民には特権があって食いっぱぐれることは無いけど
これを持って高福祉とは言わんだろうしね 三種の神器の所持で決まるって
エクスカリバー抜いたらイギリス王みたいなノリだな >>315
23話の後醍醐高笑いは過去スレでもよく話題になっていたけれど
言葉で言わなくても、建武の新政の先行きを暗示するという意味では
実に優れた演出だよね。
高時の笑いは自分たちの先に待っている破滅を予期したようなシニカルなものだったが
後醍醐の笑いは、自分たちもまた北条と同じ権力者のステージに立ってこれから
世の中の汚い事も皆抱え込まねば行けない事がまるで分っていないという感じ。 鎌倉炎上こそ序章に過ぎず、それ以降の怒濤の展開に圧倒されるからね。
高笑いしてた後醍醐帝はこれから先、ひたすらテンション下がって眉間にシワ寄せてくようになるから、凄く暗示的なシーンではある。 重時が乞食に施せとか色々言い残してるから極楽寺流は福祉の概念持ってたかもしれないけどその他は持って無さそうな感じがする 南北朝時代は京にステイしてることが正統の重要なファクターだと思う 昼にCSでニューヨーク恋物語見てたら 尊氏の横に石がいて仲良く焼き肉食ってた。太平記の3年前くらいかな >>322
結局建武政権は打倒北条氏という一点のみで一致したいろんな勢力の呉越同舟なんだよな
公家か武家かという問題もあるがさらに言えば公家も武家もそれぞれ全然一枚岩じゃない
公家側では隠岐配流同行グループと畿内残留奮闘グループの対立があり
武家側では鎌倉御家人系名門武士グループと畿内近国悪党系新興武士グループの対立がある
これは遅かれ早かれ崩壊するのは当時の人にとっても目に見えていたことだと思うよ >>329
負けた者=鎌倉幕府が悪く書かれるのは仕方ないだろうけど
トップの高時が愚かな人物だとしても、鎌倉幕府の運営に支障は無かった。
これはある意味政治的成熟があって、トップの能力の有無に左右されない
システムが出来上がっていたとも思えるんだけどね。 あの当時に鎌倉から畿内や西日本の商売をやるような新興勢力を掌握することは不可能だったんじゃないかな 良純に配慮しなきゃいけなかったのか
義助なんか古典太平記でも見せ場ないだろw 重時は熱心な念仏衆徒で60歳定年退職して存分に仏事に勤しんでたから
仏教の教えに通じてれば福祉の発想あるんでね
時宗が敵の蒙古兵の供養してたが熱心な禅宗信徒だったからなあれも なるほど、、、、、
って足利直義は鎌倉にいて、会議には居らんやんけ! >>330
しかし結果的に見れば執権と得宗の分離は幕府の実質的な意思決定の権力が
執権主催の評定から得宗被官の寄合に移ってしまい
御家人たちの北条氏への反感を強めることになったわけだけどな
ただそれを克服しようとした室町幕府は将軍への権力集中を図った結果
かえってトップが有能じゃないと機能しない不安定な体制になってしまうわけだから
中世は難しい 鎌倉幕府てもともと評定はそんな重きなしてないよ
泰時の一時期に機能しただけでさ
基本鎌倉殿とその後見役の執権の独裁だよ 義時泰時が超絶優秀過ぎた
どっちも嫡子でもないのに北条本家を実力で相続してるし
政治力満点 >>341
むしろ逆に鎌倉殿に実際の政治権力なんてなかったよ
そして鎌倉幕府は北条氏による権力掌握の正統性が脆弱なこともあって
あくまで政所別当である執権が評定を主催して
御家人の声を汲み取っている
という形にしておくことが何より重要だったわけで
得宗専制はせっかく泰時が作ったこの仕組みを歪めてしまったのはやはりマズい >>343
義時は朝廷を武力で打ち倒したから
めちゃめちゃ名分があったやろ
泰時は庶子だったから、叔父さんを連署にしたり合議制で
自分の権力基盤を安定化させた 金田龍之介に始まり、松平健、渡辺謙、和泉元彌らが築いた北条氏の栄光
最後は鶴ちゃんで幕引きか 見届け人はフランキー堺 時期によって違う話をまとめて語ろうとするからダメなんじゃね?
幕府の最高意思決定機関は
十三人の合議制から始まり、時期により
評定衆(有力御家人の集まりによる合議)
寄合衆(御家人の得宗派閥や身内人による合議)
だったのが基本なんだけど、
特定の時期にはそれらを
執権や得宗や内管領が独裁的に統制してたって話
太平記で幕府の連中が会議してたのが、評定衆による評定なのか
寄合衆による評定なのかはいまいちよくわからんけど
赤橋どのが、俺のいない所で(長崎円喜宅で)全部決めてしまう
って愚痴ってたのはその辺の差の表現だったのかね? 室町幕府は真田広之に始まり滝藤賢一に終わるのか
室町幕府の滅亡って鎌倉幕府のようにはっきりしてないよね
逃亡先の鞆の浦でも幕府っぽいことをやってたりするし 義昭は信長が出てくるドラマには必ず出てくるから色んな人が演じてるけど
尊氏は真田広之だけ。もっと色んな役者に演じて欲しいね。 鎌倉幕府だって北条時行あたりは
俺がいる所が鎌倉幕府だ!くらいに思ってたと思うよ
評定みたいな事も死ぬまでやってたんじゃないかね
亡命政権が新しい政権になるケースって世界史的にもちょくちょくある話
後ウマイヤ朝とかムガル帝国とか
世間的には元朝は中原を失った時に滅びたとか思ってる人多そうだけど
実際には本拠地に撤退しただけでその後数百年続いてるし
公的に認められる認められないは置いといたら、結構、政権はしぶとい >>343
初期は鎌倉殿の独裁だろ
実朝死後は義時の独裁だが後を継いだ泰時は父親ほどのカリスマがなく
合議制を入れてきた
でも得宗の実力があるんで結局独裁に近い
唯一逆らえたのが三浦氏だが時頼が滅ぼして以降は普通に得宗専制
皇族将軍決めるのも何もかも全部一人で決めてる!て大河で伊東四朗が
ブーブー文句言ってたなw
得宗でなく内管領がでかい顔しはじめてからおかしくなる感じだ >>351
高師氏がものすごい長生きだったな時宗w 義昭京都追放後も将軍職と権大納言をはく奪されてないからね。
案外信長優しい?秀吉が関白になってからも2年ほどは将軍家も
存続してるし。 >>351
子役とは言え、すっかりそれは忘れてました。
師直はのんきでございまする >>350
俺が幕府だ!、って何かキャッチフレーズに使えそう。
後醍醐天皇なんかは朕が日本だ!って思ってたかな。 後醍醐はまさにそういう認識だろう
時行は幕府の再興よりも祖先の地の奪還と北条氏の再興だろう 時行は高時の朝敵を解除しただけでも活動した価値あるよな >>359
そう言えば音楽の人はガンダムの音楽もやってたな >>311
神としての天皇は海に帰ってこの後の天皇は仏にも神にも見放されたただの人間という解釈されてたような
よって修羅の王の源氏による力の統治が始まる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています