太平記part.51
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ハハハハハ…前ズレがどんどん遠くなる。>>1が選んだ道だがのう そろそろ>>1殿がスレ立てをなさる頃かと思いましての >>1
そちには新スレを立てる器量がある。それゆえ、乙しておきたかった 藤夜叉が斬られる前の石の身の避け方は何度見ても笑える
あんなシーンでドリフみたいな笑は必要ないのにw 藤夜叉から尊氏への一途な想いという設定のために、石はあくまでも兄弟という設定で
あれだけあいつら母子のために骨を折り事実上の父親であっても藤夜叉にはヤらせてもらえない
このドラマを貫く一大悲劇の一つだわ 藤夜叉が尊氏に抱き着いて馬で逃げる回想シーンは この当時にはやった駅弁を連想させる >>8
それがしが前スレに抗し奉り新スレを立てるなど思いもよらぬこと >>12
わしが>>11殿の立場なら同じことをしたやも知れぬ >>10
中は無理にしても何回か抜いてもらってるんじゃないかな? >>10
しかも終盤にはその藤夜叉の子が尊氏の強敵になるとw
直冬は西国へ参りまする!
西国へ行き独立独歩思うように生きまする! >>11
あれは鼻たれ小僧の頃このわしが駅弁を教えた奴じゃ! >>10
しかも周りからは夫婦だと思われてる
生殺しもいいところの悲惨な状態 おい、足利は中田氏させて、俺は手コキ祐也か!
いい気なもんだ! 藤夜叉も石も石が不知哉丸の父親みたいなものって言ってたけどどうかな
せいぜい大きいお兄ちゃんみたいなもんじゃないかな 直義が護良親王を殺したのは短慮だったけど
お蔭で後醍醐天皇に引きずられない方向に舵を切れたって感じなの?
バサラさんが都っぽいものが本来好きでも
関東武士の気持ちが理解できるのはいいね こないだオープンした関ヶ原記念館、三連休の安土城〜岐阜城巡り旅行のついでに行こうと思ったら満員だった
これはしたり…
https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/
麒麟効果かのう 下ネタのような醜きものは、>>11にお任せ下さい! >>29
道誉は都に近い近江が拠点で検非違使でもあったから伝統的な公家文化に理解がある
また鎌倉幕府の有力御家人でもあったから関東武士の意識も分かる
さらに阿野廉子や後醍醐の側近たちとも人脈的な繋がりがある
ただ本家筋の佐々木六角氏とは微妙で地元では畿内新興武士のメンタリティに近い立場
まあどの陣営ともそれなりの親和性があって大きな違和感がないのが道誉のキャラ >>33
これはしたり!
ハーハッハッハッ
吉良の爺がブチ切れまでセット しかし全体的には、気楽な感じとナレーションだけで
あっという間に鎌倉まで到達してしもうたな
敗退し続けた直義、影響力とか政治力皆無だな 日和見武士だらけで負けそうになったら逃げるか勝つ方に裏切ったら戦は終わり
その点、楠木正成の散り際は華がある 大河ではすんなり東国入りだが青空文庫にある原作私本太平記でいうと風花帖
相模川の合戦で道誉は必死な目にあって尊氏に働かされている 得宗諸子(8歳)vs源氏棟梁嫡子(5歳)
幕府滅亡しなければ守時の館で登子と二位局が見守りながら楽しく双六とかして遊んでたであろう二人が殺しあうのは歴史の悲劇 ドラマだと判官殿は余裕っぽいが実際には鎌倉では息子が戦死するような激戦をしてるからな
まあ生死の感覚も今とは全く違うから判官殿の心境はわからないけど 宮を害し奉った件だけど、あれ実際は尊氏の指示だったんじゃないかな? >>30
いいなあ
コロナ収まったら行きたいわ
大和ミュージアムみたいにしっかりした内容の物だったら人気スポットになると思う >>55
クチコミも高いし楽しめそう
しかし最近の戦国、歴史ブームは凄いな
20年前ならマニアしか興味なかったで 太平記 右馬介
麒麟 左馬助
これは偶然ではないはず 主君(嫡流) 十兵衛(仮名)
家臣(庶流) 左馬助(官途成) 左大臣 右大臣
左府 右府
左近 右近
左兵衛 右兵衛
偶然ではないな! >>55
>>56
関ヶ原ウォーランドもぜひ行って欲しい! 大覚寺統と持明院統の両統迭立〜南北朝時代の流れを改めておさらいしたんだが、
寝返りや内部分裂多くて複雑……、
原作付きとはいえ太平記の頃の池端御大と、
将軍の気まぐれと内輪揉め、
権力争いによりコロコロ敵味方が変わる応仁の乱を書いた市川御大はすごすぎる。 >>65
>>66
凄いよ。
作家の作った侍とか家康とかの像が200余あり、合戦の雰囲気が味わえます。昭和39年開設!
わしはこの前行って、5星付けたw >>60
十兵衛は本来的には十郎兵衛尉とかの略でしょ? 今回は藤夜叉の場面以外の所はとてもおもしろかった
りえちゃんは美少女だし情のある演技はいいんだけどね
なーんかポイントオブリターンになってしまってがっくしくる道誉良かった
忠直に怒ってやってくるけど忠直の言い分も理解する点も
同じく本来目指した所から大幅に舵を切らざるをえずダメージ受けているけど前に進もうとする尊氏も
それから忠直をただの短慮な弟にせず鎌倉武士の現場の言い分を代表させている所もいいね >>54
ドラマじゃ尊氏にあえて差し出したら殺しはしないだろう
なんて言ってたけど
基本敵に身柄を引き渡す=いつ殺してもいいよ
ってことなので >>74
忠直?新田の末流風情が口出しするとは無礼な控えろ!
この時代だとこうなるなw >>72
「多聞」は官途名ではなく「多聞天」という仏様の名に由来する 「ばさら」ってのは、
身分秩序を無視して実力主義的であり、公家や天皇といった名ばかりの時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈で派手な振る舞いや、粋で華美な服装を好む美意識
ってことでいいのかな? 判官殿は帝と言葉を交わしたとき感極まって震えていたらしいけどね 登子母子が尊氏に保護されたけど
登子に限らないけど、政略結婚が破綻した時は
実家側の一族(近しい親族側)から恨まれ
命狙われてるんだよなあ
後半、頼るのは亭主と息子、直冬など・・・
みたいな事を言い出すのも仕方ない? 佐々木道誉、いい奴やん!
自分は絶対的No.2にならず、裏方に徹して将軍を補佐。
俺は友達になりたいわ。 私本太平記には「時の湿地が咲かせる隠花植物や化け菌(きのこ)の多種類」って書かれてた 司馬遼太郎は南北朝時代には美意識が無いと言ったが判官殿にはあったよね
司馬遼太郎が求める美意識では無かったかもしれないが バサラに遊んでるだけで美意識は特に無いんじゃないかな。 バサラさんのやつ、興味深いが
大河のネタバレになりすぎるんで録画を止めたわ
今回の再放送は存分に楽しみたいんで なぜ、建武の新政が暗礁に乗りあげたのか? 根本には、公卿は武家を蔑視し、武家は公卿を軽んじていたからである。それが端的に論功行賞に現れ、武家の不満は爆発した。武家は不平のやり場を尊氏に求めたが、この趨勢を心苦く思っていたのが、大塔ノ宮だった。尊氏を倒せ! その作戦は宮のもとで練られていた。北東残党の蠢動は激しく、宮には絶好の時かと思われたが……。 >>93
宮も後醍醐も上手に武家を手懐けば良かったのに、もし尊氏討伐出来たとしても新たな神輿登場するのにね? 公家や寺社と武家の利害は対立するから、それを調整して安定した政権にするには
余程の政治的な能力とバランス感覚が必要だろう
出来たとしても個人の能力による一代限りのものになりそう >>82
奈良に多門院という寺院がある
無論この名称も多聞天から来ているが 北朝の治天の君・光厳院に矢を射掛けた土岐頼遠は死罪、光厳院の弟が門跡を務める寺院を焼いた道誉は流罪止まりか。
やっぱ土岐頼遠って馬鹿だわwww 北畠顕家の入京を防いだ大功労者だから助命嘆願も多くて処罰の判断に時間がかかったんだよな >>86
色々と紹介して貰えそうだしな
ああいう友達がいると便利だよ >>100
白拍子紹介して貰って大変なことになった人がいなかった? それは、たまらず中出ししちゃった人が悪いのであって、判官殿の責任ではなかろう >>96
異なる勢力の玉石混交であれば、相互理解に歩み寄りって姿勢がなければ上手くは行かぬ
まあ、各々が自己利益に走るのは目に見えているので、トップが強力にその統制役が果たせねば安定は望めない
古今東西、こんなのは普遍の法則って奴だし、建武の新政は公家支配にこだわるあまり武家を軽んじた
自らが身内を重んじる政策をとり、かつての北条化したとも言える、壊れるべくして壊れたと言えような ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています